中東和平問題:ユダヤ人国家を目指すイスラエルと難民問題
エジプトのムバラク前大統領が退陣して3ヶ月になるが、親米穏健派で、イスラエルと中東アラブ諸国の橋渡し的な存在としての役割が大きかったと思っていただけに、イスラエルの外交戦略がどう変化するかなどに関心を寄せていた。
イスラエルやパレスチナの記事に気を置いていたということもあり、5月15日が「ナクバ」ということもあっただけに、ヨルダン川西岸、ガザ地区やゴラン高原などの各地でパレスチナ人による帰還を求める抗議行動が起きたのは意外ではなかった。今後の中東和平交渉がどう展開するか、また、その通過点と見なすのか、現況を備忘的にクリップしておくことにした。
各紙、この日のデモ隊の動きなどを伝えているが、全体的な把握をしている毎日記事をクリップした。(毎日2011・5・16)。
デモ隊の一部がイスラエル側へ越境または接近しようとしたところ、イスラエル軍が発砲、計8人が死亡し、多数が負傷した。AP通信が報じた。
またイスラエル・メディアによると、レバノン国境付近でもデモがあり、レバノン軍の発砲で4人が死亡。一方、ロイター通信は、イスラエル軍の攻撃で少なくとも10人が死亡したと伝えている。
イスラエルが占領するシリア領ゴラン高原のマジダルシャムスへは、シリア側からパレスチナ難民とみられるデモ隊の数十人が進入、境界付近でイスラエル軍が発砲し、6人が死亡した。ガザ地区でもデモ隊が境界に近づき、2人が殺された。
レバノン南部マルンアラスでは、デモ隊が国境フェンスを壊そうとしたため、レバノン軍が発砲し、4人が殺された。自治区ヨルダン川西岸ラマラでも大規模デモがあった。
まず、この15日の「ナクバ」だが、多くのアラブ人やパレスチナ人がイスラエルを追われて難民となった1948年5月15日をパレスチナの破局と意味付け
し、この日をそう呼んで記念日にしている。ムバラクが解任後間もないという点と、この「ナクバ」が重なったことが私が注視すべき日かとマークしていた理由
だ。
デモ隊に対するイスラエルの攻撃は、威嚇するという話しではなく、デモ隊に一方的に発砲したような状況かと読み取れる。
AFPは、レバノン、シリア、イスラエル政府のコメントを次のように報じている(参照)。
レバノン国営通信NNAによると、シリア政府は、流血の事態に対する「犯罪」行為については全面的にイスラエルに責任があると、イスラエルを非難する声明を発表した。また、レバノン政府も「ユダヤ人国家による侵略と挑発を阻止するため」との理由で、国連(UN)に苦情申し立てを行った。
これに対し、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)首相は、テレビ演説のなかで、「彼らの闘争は1967年に画定した国境をめぐるものではない。彼らが絶対に解決せねばならない大惨事と呼ぶものは、イスラエルの存在そのものを問題視することにほかならない」と述べ、「破壊を企てる者から、断固として国境と主権を守る」と言明した。
国境付近のイスラエルのピリピリした警戒が物語っているが、イスラエルが実効支配し、シリアが返還を求めているゴラン高原で過去にもこうした衝突が起きていたのか検索してみたが、ヒットしなかった。報じられている通り、これは異例の事態なのかもしれない。
同記事では、パレスチナ・イスラエル問題を次のように解説している。
1948年のイスラエル建国では、76万人を超えるパレスチナ人が、住む地を追われた難民となった。こうしたパレスチナ人を祖先とするパレスチナ難民の数は現在480万人に上るとみられ、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の推計では、ガザ地区に約100万人、ヨルダン川西岸(West Bank)に約75万人、ヨルダンに約200万人、シリアに約47万5000人、レバノンに約40万人が存在する。(c)AFP/Jack Guez
イスラエル軍が第一次中東戦争で勝利した時点で難民となったパレスチナ人が、中東の各国に散らばって子孫を増やしてきた分、追われたイスラエルへの訴えが潜伏する数と等しいと見てよいのだと思う。この勢いをムバラク一人がバランスを取ってきた功績は大きいと思う。エジプトにとっては独裁者であっても、中東和平問題を重く見ているアメリカにとっては大きな要であったことは確かだと思う。
また、中東和平交渉は、イスラエル側の入植問題によって昨年9月から途絶えているが、同時に、難民帰還問題も大きな問題だ。ただ、現実問題として、ユダヤ人国家を目指すイスラエルが多くの難民を受け入れるとは考えられず、解決の道は見込めないのではないかと思う。
ところで、関連記事を見ているうちにこのアメリカにもちょっと災難続きな話しがあった。中東和平担当特使ジョージ・ミッチェル氏が20日付で辞任すると発表したそうだ(参照)。
ミッチェル氏は辞表で「2年間の約束で職務を引き受けた」と“任期満了”を理由としているが、オバマ大統領の中東政策演説やイスラエルのネタニヤフ首相の訪米を直前に控えたタイミングでの辞任は臆測を呼びそうだ。
一部の米メディアは、ミッチェル氏が「シャトル外交に疲れた」と周囲に漏らしていたと伝えており、進展の可能性が見えない中東和平交渉に徒労感を強めていたとの見方が支配的だ。
この「シャトル外交」とは、言葉通り、行ったり来たりしながら外交問題に当たっていたという意味だが、オバマ大統領のイスラエル訪問直前のタイミングであるたけだけに何を意味するか、憶測を交えて次のように報じている。
オバマ大統領は中東に関する重要日程が立て込んでおり、19日には米国の包括的な中東政策に関して演説を行い、直前の17日にヨルダンのアブドラ国王、直後の20日にはイスラエルのネタニヤフ首相と会談する。いずれもミッチェル氏が中東和平で交渉を重ねてきた当事者で、唐突な辞任表明との印象はぬぐえない。
3月まで広報担当の国務次官補を務めたクローリー氏は13日、辞任は「和平交渉に前進の見込みがないことの表れ」と短文投稿サイト「ツイッター」につづり、米国が9月までに実現を目指す和平交渉の「枠組み合意」も「年内は不可能」との見通しを示した。
中東和平交渉はオバマ政権の仲介で昨年9月にイスラエルとパレスチナの直接交渉再開にこぎ着けたが、イスラエルの入植活動をめぐって中断し、再開の見通しは立っていない。
え、こんな国家の大切なことを広報担当官としてTwitterで拡散ですかっ。びっくりだけど、今や、Twitterを侮るなかれな時代になってきたと言うかだ。釣られるままに私がTwitterユーザーとなったのは2007年で、当時は、ブログから抜け出て個人的な日常会話を楽しむみたいな空気だったため、私は古株。それだけにこのようなことに驚くというドン臭い認識なのだろうと思う。
それにしても、外交官のお仕事と言うのは、所詮はシャトル労働が前提だと思う。それだけに、これは、交渉に前進の見込みがないことへの問責逃れの口実ではないかと私も思う。それにしても、この退任が、オバマさんの19日の演説前でよかったのではないかとも言える。演説に気を置くことにする。
【参考】
エントリーを書いた後、イスラエルの和平交渉に関するこれまでの取り組みなど調べているうちに、極東ブログ「イスラエル・シリア平和交渉についての日本版Newsweekの変な記事」(参照)で、アメリカをないがしろにイスラエルが単独でシリアと和平交渉に取り掛かると言うような趣旨の話しが2008年6月に持ち上がっていたことを知った。当時のことが詳しく考察されていて興味深い。リンク先を追記。
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