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2011年5月

2011-05-31

もう一度あのセザンヌを

 昨日、セザンヌの絵を改めて見てちょっと感動した。今日はこの話で盛り上がろうと思う。本当は、先日報じられた内モンゴル独立関連や中国政府対して起きる反政府運動の中味などを書くつもりだった。そのために多くの時間を裂いて調べ物をしたが、全てすっ飛ばすことにした。昨日と同じパターンになってもうたな。
 と言っても、セザンヌの絵がものすごく好きだというわけでもない。が、昔は良く見て回ったものだったし、感性は徐々に引き出されてくるもので、触れることから始めるのが大切だ。前にも書いたが、大英博物館では学術委によるレクチャーが無料であり、その説明を聞きながら一緒に絵を見て回るのが好きで、これは英語のレッスンも兼ねた私の休日の過ごし方でもあった。解説は、作者の生い立ちやどのような背景からその絵が描かれたかなど、歴史的なことも含めた話で、解説者の個性の違いもあって面白かった。ただ、その説明の詳細を鮮明には覚えていない。覚えているのは、解説員の特徴や話しぶり、テンポの違いの妙などで、その意図されたものとはまるで違うことばかりで申し訳ない。大英博物館のことなので多分、今でもこの行事は行われていると思う。権威ある博物館という感じで、格がぐっと上のランクである。短い旅行で立ち寄るようなスケジュールではとても味わいきれないものがあり、ゆっくりできる機会があればまたもう一度訪ねてみたい。

Selfportrait

Selfportrait:WikimediaCommons 

 さて、昨日、「自然、静物、人間が、対象として現れるれという奇跡をセザンヌは示している。」と、このようにセザンヌの絵を表現されたのがとても新鮮だった。セザンヌの絵の一見ちぐはぐな全体の構図からではなく、梨やレモンが何を語りかけているのかもう一度見直してみたいと思った瞬間だった。その奇跡を見逃していることに焦ったとでも言った方が良いだろうか。
 セザンヌは、後期の印象派とも言われているが、印象派という概念を一度疑ったほうがよいかと思うほど自分の固定観念が邪魔する。美しい絵とも違い、部分的に非常に個性豊かな風合いを持っていると思う。中には大人のバランスとしては考えにくい面も持ち合わせている。だが、色使いは非常に美しい。鮮やかに彩られた果物等の静物は、実物をみると色使いが豊富で驚く。セザンヌの絵で一番印象的なのは、それらが放つ光が一定であることだろうか。別の言い方をすると、一つ一つに正面から光を当てて描いたものをそれぞれの構図に収めているように見える。だから、遠近感もばらばらで、自分が何処から見ているのかちょっとした錯覚を覚える。そのお陰で、物が置かれているという一つの風景の常識を破る何かがあり、これが、セザンヌが静物に語りかけているそのものなのだと思う。この語りは何か?
 代表的な静物の絵を借りてみた。

Photo

Wikimedia Commons

 どうだろう、この絵は。
 果物バスケットは中にどんな果物が入っているか全部を見てよ、といった具合に取っ手が斜めに書かれているところを見ると目線は斜め上。でも、バスケットが何かで編んだものであることが分かるように側面で網目をよく捉えている。淵にはその繊維が立ち上がって、中身がこぼれないような作りをしていることまでがわかる。
 また、一番ちぐはぐして見えるのは、バスケットの隣にある壷の口から中まで見えるところから割りと高い位置から描かれているのに対し、その横の砂糖壷のようなものは左斜めから水平に近い目線で描かれている。これだけでもそれぞれから放つ光は、乱反射している。描いているセザンヌにしたら、それぞれに光を当てて静物の語りをそれぞれから受け止めているのだと思う。テーブルの足にも、手前の足の太さよりも太く描かれている奥の足に何を語ったのだろうか。それに、テーブルの天板だって右から左に直線になっていない。右は遠い場所から斜め上からだが、左側は、ほぼ真上からだ。なのに奥の足が天板のしたから見えている。
 セザンヌの他の絵でも同様に、こんなはずはないというアングルの違いが多々見つかる。これは、絵全体の物語というよりは、光を放つそのものの存在をこのように抜き出して語りかけているように思う。表現者としてのセザンヌというりも、物への語りかけという感じがしてきた。
 うーむ、こうなるともう一度、間近で一つ一つに語りかけたくなってきたな。ここだけの話し、今までセザンヌの絵を見てきただけで語り合って来なかったことに気づいた。悔やまれてならない。

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2011-05-30

ヤベッ、耳で読む本にはまりそう

 Twitterで「オーディオブックCDをiTunesにインポートする方法」(参照)というサイト情報をキャッチしたぜぃ♪今日は、この話で盛り上がろうと思う。内容はこのマンマ。やり方は、お勧めのリンク先の記事を読んでもらえば良いだけだが、タイトルを見ただけでスルーして欲しくないんだな、これが。自分には関係ないと思いがちな私くらいの中年の(特に)おばさんに目を留めて欲しい情報だと思い、勇んで書いている。本当は、タイとペルーのタクシン元首相の末妹とフジモリ大統領の長女、という二人の身内女性大統領候補の奮戦ぶりなど書くつもりでいたが、すっ飛ばすことにした。
 結論から先に言うと、「オーディオブックCD」というのにあまり馴染みのなかった私が言うのもアレな話だが、「耳で読む本」とでも言ったらよいだろうか。上質のナレーターや声の持ち主による本読み、つまり読み聞かせを音声データーにしたもので、絵本や小説、自己啓発的なの、語学、講演会、落語なども沢山ある。これをiPad、iPod等で気軽にいつでも聴こうよ、というのが今日の話だ。
 CDの「耳で聴いて読む本」にあまり馴染みがなかった私が言うのも僭越極まりないが、経緯を話すと、大昔、NHKラジオの短波で絵本の読み聞かせ放送があったころ、ラジオのスピーカーから直にカセットテープに集音するまでのことをして子どもに聴かせていたことがある。当時はまだCDがなかったし、ラジオとカセットデッキが一緒のメカを私が持っていなかったからだったか、その辺があまり記憶にない。兎に角、これを聴くのがとても楽しいのだ。大人が聞いても飽きないものだ。子どもも耳をそばだてて聴き入っていた。そこには想像の世界が広がり、いつしか本に親しむことにつながったとは思う。ここだけの話し、娘が中学で息子達が小学生の頃まで本を読んで聴かせることもあった。
 このように個人的な興味もあり、最近は、時々ネットで夏目漱石や芥川龍之介物の朗読を聴いている。あまり頻繁ではないという理由に、朗読の視聴にはそれなりに静粛な時間というものが必要で、日常の忙しさに感けていては出来ないというのが私流。それなりの時間を取ってゆったりとした環境がどうしても必要だと思う。一方、読書は、割と時間の許す範囲でちょこちょこ読みできる。どちらも良いのだが、耳で聴き取る集中力と目で読む神経の使い方が違う点だろうか。聴いた内容を理解する回路と、目で読んだ情報を頭で理解する回路が全く違うため、時々入れ換えるととても新鮮で、これだけでリフレッシュできる。
 先にも触れたように、親子の触れ合いを目的とするのであれば、親が読んで聴かせるに勝るものはないと思うが、今回の話はそれとは違う視点として切り離して頂きたい。

cover
iGuy
スタンド型のiPadケース

先日、私が手に入れたiPad2を早速、市内の友人に見せびらかした。因みに、オフィシャルサイトの紹介ビデオはこちら☞。彼女も娘さんから勧められているそうで、「これね」と、私が購入予約をしたとここで書いていたのを覚えていたようだった。私達のような中年のおばさんにはとてもお勧めしたいマシーンで、私がここでセールスするまでもなく皆さんよくご存知だと思う。一つだけ言い添えたいのは、iPhoneの大きい版くらいに思っていたが大間違いであったことだ。このことは、ここを読んでいてハッとし、早速いろいろ調べるに至った。ちょくちょく耳寄り情報がチラッと書かれているのでいつも逃さないようチェックしている。青空文庫も大変充実している上、読むための小道具としての辞書(大辞泉)との連動も嬉しい。
 余談だが、辞書で調べたい語句があるとする。パソコンだとマウスで左クリックしてその文字に網掛けをし右メニューで「Googleで検索」等を指定して検索サイトに飛び、意味を調べることができる。手順は違うがiPadでも同様に、Safariというブラウザに画面を変えて調べることができるが、普通は指で長く押してコピーをとり、iPadにあらかじめダウンロードしてある辞書へ飛んでペーストして調べる。が、この時、コピー&ペーストをあえて使わずに自分で文字として入力する動作を一手間入れると、脳はこの動作と一緒に文字を記憶する。自分で文字入力する手間の分、鮮明に脳に記憶されることになる。コピー&ペーストでは記憶に残らないことでも、この方法を使うと違いがはっきり分かると思う。
 さて、問題の朗読だが、既にオーディオブックCDが手持ちにあれば冒頭のサイトの説明のとおりの手順でiTunesにインポートしiPadやiPodを繋いで同期するだけだ。何曲も入っているCDを一つのファイルにまとめるなんて裏技はすごいと思う。例に挙がっているように、普通のサイズのCDでも良いかもしれない。アーティストが沢山だと整理しやすいかもしれないジャマイカ?
 経緯を話したとおり私は目下の所、オーディオブックCDは持っていない。なので、朗読をiTunesStoreから購入しようとしたが、数が少ない。これから増えて行くのかもしれないが、とりあえずAmazonから☞こういうところから取り寄せるか、最寄のBookOffで中古のCDでも当たってみようかと思った。

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2011-05-29

「放射能予防にいい食べ物」の誤解

 読むことを勧められた訳ではないけど、読んだらちょっとおかしなことが書いているかなと思ってしまったこちらの記事「放射能予防にいい食べ物」(参照)について、何度読んでも根拠がはっきりしていないので鵜呑みには出来ないと思った。
 今や、日本中の誰もが関心のある食べ物の安全性について、予防を目的として食べると良いという話が展開されている。既に周知のことだが、福島原発事故から2ヶ月以上経ってから本州のあちらこちらで放射性物質が検出されている。長野県の諏訪でも僅かではあるが、地面から検出されたことが先週報じられた。必要があるかなと懐疑的だったガイガー・カウンター(Geiger counter)も、もしかしたら備えた方が良いかもしれないなどと思い始めたところだった。また、娘や息子達が東京に住み、両親も僅かだが東京都心から外れた土地に住んでいる。これは、他人ごとでもない。
 原発関係の生活に関係する話には割と何でも斜に構えてしまうが、根拠やデータが無い話しなので、最初から注意深く読むのは当たり前だ。信じて命の安全が保証される世界の話しとは違う。
 さて、該当のエントリーだが、書かれた方はベラルーシに住まわれた経験からのようで、体内被曝の観点から放射性物質が体内に入りにくくするためと、新陳代謝を向上させることが予防に役立つと言われているようだ。中にはアルギン酸ナトリウムを取り上げて、排出を促しデトックス(解毒)効果がある食品としてぬるぬるする昆布などの海草類を勧めている。へぇ、とか思って買い急く人もいるかと思われるし、ヨウ素が被爆には良いという話も相俟って相乗効果を求めても良いような話だが、これはどうだろうか。海藻類の採取を当分の間見合わせなくてはならない三陸産や北海道の太平洋沖合いではどうだろうかと配慮する点もあると思う。また、ビタミンA、B、Cの摂取を勧めている部分で思ったのは、緑黄色野菜や果物を思った。記憶にも新しいが、福島原発事故後、直ぐに対策したのがほうれん草などの葉物だった。率先して食べたくない野菜が食べたらよいになってしまうと、純粋な方は悩んでしまうのではないだろうか。列挙されていることはまだまだ続いている。
 さて、これを受けて誰かがfinalvent氏に考察を依頼したらしく昨日、一つ一つに考察が加えられた(参照 )。私がここで下手に書くよりも、気になる方は是非一読いただきたい。
 私もこれを教訓に、疑わしきは然るべき専門家や詳しい人物に聞いて確認してからにしたいと思った。それからでも決して遅くはないと思った。

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欧州の南北に広がる経済格差を背景に主要国は迷走を始めた?

Stevebellg8summit001

  • Steve Bell
    • The Guardian,のコメントFriday 27 May 2011:French president Nicolas Sarkozy hosts the heads of the world's wealthiest nations in Deauville, France, for the G8 summitフランスの大統領ニコラ・サルコジは、ドーヴィル(フランス)のG8サミットで世界の最も裕福な国の指導者を接待します。

 ドーヴィル(フランス)で行われていた主要8カ国首脳会議(G8サミット)が27日、閉幕した。地震、津波、原発事故問題を抱える日本が世界に向けて何を発信するのか、それを問われた首脳会議であったと思ったが、なんとなく世界のメディアから菅さんはスルーされているような印象を持った。菅さんの出発に当たって、ファイナンシャルタイムズが独占インタビューした記事に訳をつけたJBpressが紹介しているが(参照)、その後は特にこれといって報じるものはなかった。むしろ、中東や北アフリカの民主化運動「アラブの春」への支持を採択したことに少し驚いた。
 ロイターが報じた記事によると、エジプトとチュニジアの独裁政権に変わる新政権の立て直しを後押しするため、総額で200億ドル(1兆7000億円)が「ドービル・パートナーシップ」として融資されることになったそうだ(参照)金額として、これで充分かどうか分からないが、日本の復興予算が今年度は約4兆円で、予算の全体では10兆円を超えると予想されている。まあ、単純に比較するわけにもいかないか。ただ、日本も大変だが、欧州諸国も財政的にはかなり緊縮財政が続いている。隣国の支援も外交的には必要あっての事とは思うが、足元に広がる火の手はどうなるのかと思った。
 5月12日のNewsweekの「南北格差拡大でヨーロッパ分裂の危機」(参照)では、欧州の南北が経済格差によって分離する危機が迫っていることを取り上げていた。この記事を読んでいたということもあるが、現実問題として、自国の経済状態が不安定になれば他国を救っている場合じゃない、という国民の不満が政権を揺るがすことになる。ドイツの風当たりは相当に厳しくなっているようだと感じる。この辺りのことを知るために、もう少し情報を集めてみることにした。
 ユーロ圏の足を引っ張ると表現するのはあまり好ましくないが、どうにもならないのがギリシャやアイルランドの経済で、ユーロからの融資を返済するどころか、財政危機の立て直しが遅れて巨額の財政赤字を抱えているため、ヨーロッパの債券市場で人気が落ち、国債がどんどん値下がりしている(NHK)。

 23日のヨーロッパの債券市場は、ギリシャの財政問題を背景に巨額の財政赤字に苦しむ国の国債が売られ、このうちギリシャとアイルランドは、10年ものの国債がいずれもユーロ導入以来の最安値まで値下がりしました。また、自力の財政再建が果たせるかどうかが注目されているスペインやイタリアの国債も大幅に値下がりしたほか、外国為替市場ではユーロもドルに対して下落しました。市場関係者は「ギリシャへの懸念に加えて、先週末、イタリア国債の格付けの中期的な見通しが引き下げられたことなども加わって、ユーロ圏の財政問題に対する厳しい見方が強まっている」と話しています。

 この記事でも分かるが、欧州の南の国々の代表として、ギリシャ、イタリア、スペインがどーんと上がっている。因みにスペインでは、25歳以下の失業率は45%に達しており、若年労働者の不満は爆発寸前だと毎日が報じている(参照)が、この数字は尋常ではない。これらの国が北の比較的裕福な国の足を引っ張っているという不満を先のNewsweekが次のように書いている。

「放漫国家」への財政支援に対する嫌悪感と移民の押し付け合いがユーロ圏の結束を揺さぶっている
「ギリシャとポルトガルを助けたいなら、『ユーロ圏から出て行け』と言うしかない」と、独メルケル政権と連立を組む保守派のキリスト教社会同盟(CSU)のペーター・ガウヴァイラー議員は言う。

オランダの極右政治家ヘールト・ウィルダースも昨年、こんな発言をしている。「(ギリシャは)卒業パーティーが終わったらすぐに引退生活に入るような国だ。彼らがスブラキ(ギリシャの肉料理)を食べ、(蒸留酒の)ウーゾを飲んでいる間に我々は働いている。ギリシャ人にやる金は1セントもない。スペイン人とポルトガル人も同じだ」
反EUの極右政党が各国で躍進
ユーロ加盟国で相次ぐ財政危機は、支援金の大半を負担する財政健全国のEU懐疑派に大きな恩恵をもたらしている。オランダでは、ヴィルダス率いる極右政党「自由党」が昨年の国政選挙で得票数を3倍近くに伸ばした。過半数に満たない中道右派の政権党は、自由党の協力がなければ政権を運営できない状態だ。

先月、総選挙が行われたフィンランドでも、対ポルトガル支援への反対を含む反ユーロ政策を掲げる民族主義政党「真正フィン人党」が突然、第3党に躍進。「パーティーはおしまいだ」と、同党のティモ・ソイニ党首は言う。「なぜフィンランド人が外国人を助ける必要があるんだ? フィンランドから搾取するのは許さない」
ファンランド議会でEUへの拒否権発動に必要な票を集められれば、真正フィン党がEUのポルトガル救済計画を台無しにすることも理論的には可能だ(現実には、EU支持派である与党の賛成を取り付けないかぎり、無理な話だが)。

だが、ドイツなどで主流政党からも救済反対の声があがっていることに加えて、真正フィン人党やオランダの自由党、フランスの国民戦線などの極右政党が台頭している現状は、ユーロ圏の結束を揺るがしかねない。域内の富裕国と貧しい国の連携こそ、EUの長年の命綱だったのだが。

 国民が支持している政党という視点で見ると、Newsweekが捉えているとおり、EUを支える公約を挙げている政党は人気が落ち始めている。また、EUの結束が何のためなのか、その趣旨自体が分からなくなってきているような向きがあると思う。これとは逆に、主要国は中東やアラブの民主化を支援するため、資金援助の政策の強化を決めている(毎日

 【ブリュッセル斎藤義彦】欧州連合(EU)は25日、中東民衆革命の拡大を受け、地域諸国の政治・経済改革を支援する「欧州近隣諸国政策」を強化すると発表した。公正な選挙や表現の自由の保障など民主化を進める国には資金援助し、EUへの市場参入などを認める。エジプトなど独裁的な国に支援してきた過去を反省したもので、民主化と支援を連動させる。
 EUは26日からの主要8カ国首脳会議(G8サミット)で中東政策の見直しをアピールする。11年から13年の近隣諸国政策の予算に12億ユーロ(約1400億円)を積み増し、約70億ユーロ(8100億円)規模とする。
近隣諸国政策は中東諸国だけでなく、ベラルーシなど旧ソ連諸国も対象。報道の自由の保障、公正な司法制度の確立、汚職の撲滅など民主化を達成した国には貿易関係の強化、学生などの受け入れ、安全保障協力などで応える。アシュトン外務・安全保障政策上級代表(外相)は「改革を早く進める国は、支援に早く近づくことができる」と述べた。

 民主化が進めば国際社会の一員となるのは道理で、納得できるが、民主化と支援を連動させるという考え方には直ぐに頷けないものがある。そこまで肩入れする理由がはっきりしないのと、民主化を進められる国力があれば支援を必要とするだろうか、という疑問があるからだ。エジプトのような独裁政権国を支援してきた過去の反省がこれか、と、少し路線が違うような気がした。
 私自身もよく整理できていないが、ユーロ圏の赤字を抱えた国を支援してきた結果、やってらんねぇと悲鳴を上げている一方で、これから民主化を進めるというエジプトやチュニジアには融資が決定している。これは、エジプトとチュニジアの民主化を管理するということに他ならないのではないだろうか。なんとなく、植民地時代の郷愁が漂ってくる。
 また、先の記事にもあるとおり、EUの経済問題をもう少し改善しないと政権こそ交代の危機に陥りかねないと思う。ユーロはドイツが持ちこたえられなくなれば破綻を迎えるのではないかとさえ思っている。しかも、セルビア・タディチ政権が検討中であるEU加盟が、セルビア復興に果たして有用かどうも怪しくなってきている。Newsweek5月27日記事で取り上げているが(参照)、加入すればEU諸国との関係改善になり、結果として復興にとっては良い方向になるような気もするが、不可欠かどうかは分からない。
 一見両極端に走っているように映るこの状況から、この先をどう読んだらよいかよく分からない。

追記:冒頭のイギリス人の漫画にあるようなフランスを中心にドミノ倒しの構図予言するようなエントリーが、2004年の極東ブログ「大欧州がコケるに賭ける」(参照)で興味深く書かれている。参考までにリンク先を参照されたし。

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2011-05-28

「自分が見捨てられているという感覚」について

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「年取るとなんというか普通に感情が抑えにくいことがある。自分が見捨てられているという感覚が基底にありそうな感じはする。」

 Twitterで目にとまったこの呟きが気になっていた。「見捨てられている」ことに抵抗する自分自身を自覚した時点で、これを認めていないことが心の中にいつも潜み、それを違った形で抑えようとしているのではないかと思った。特別に反応して気持ちの中でざわめきを感じた。この際だから少し書いておこうと思う。
 「自分が見捨てられてるという感覚」のことだが、表現として自分の口からついて出るのに、「見捨てられないように」などと仮定的に引用していることはある。あたかもまだそうではないと相手に思わせ、自分もその言葉を飲み込んで装っていたようだ。でも、本当は「見捨てられている」と自覚している。ちょっと間違うと被害妄想の時に言いそうな言葉でもあるが、「○○されている」とはなかなか言えない言い回し方かもしれない。見捨てることは何かからの受動的なことから始まるのか、それとも能動なのか、その心を見ることから始めないと抑制している本性が見えてこない。
 最近起きたむっとしたことに、散歩の途中で見知らぬ住人と思しき年配の女性に、通り過ぎてから後ろの方で「挨拶もしない」と文句を言われた時のことだった。急な坂道に沿って建っているその女性の住む家だろうか、その女性が私の死角にあった階段から降りながら私に気づいたのだろう。彼女が素通りする私を見て「挨拶すべき」と思ったに違いない。後からだが、その女性に私は、「気づいていたら挨拶ぐらいした」と言い返したかったが、問題はそこではない。気づいた自分がそうすればいいだけの話で、他人に挨拶しろとは何様のつもりだと言い返したくなり、徐々に腹立たしく思ったが、問題はそれでもない。問題は、歳を取るとそれくらいの図々しさが出て来て然りだと私が疑わないことの方だ。
 歳を取った人は、そんなもんだと置き去りに出来るのは寂しいものだ。俗に言う、年寄り扱いするということだが、裏腹に、自分がそうなりたくないという感覚が確固としてある。自分は違うと思っている。実際、この女性のようにはなりたくないものだが、私から見るふてぶてしさや図々しさもあの年代にとっては当たり前然とする観方がある。私も似たようなものになるのか?人に向かって自分に挨拶しろとはとても言わないだろうと思う。人のことを調べても埒が明かないが、これは人よりも優位であることの誇示なのか、年齢差に上下関係を絡ませているのか年を取ると感情が抑えにくいという一つの例だと思い、あえて書いてみた。年寄は僻みっぽいなどと言われる所以ではないだろうか。私はそうなりたくない。人を羨む気持ちはあるとしても、僻む方向へは移行したくはない。だが、いつしかあの女性のように僻み根性のようなものを無意識にむき出しにしてしまうことってあるのだろうか、と思うと空恐ろしくなった。あんなに醜い姿にだけはなりたくないと拒否する気持ちが強くなる。これがもっと怖い。これは私の気位の高さというものなのか。人前に出るのが嫌になる元だ。醜くなるのだけは嫌だという嫌悪感ははっきりある。
 こういった嫌悪感はどこからやってくるのかと思えば、気位の高さかもしれない。それと、自信のなさ。これらが出現するのは、見捨てられるような気がするからではなく、「見捨てられる」というはっきりとした感覚が基にあるからではないかと思う。勿論、その自覚はない。見捨てられいなために嫌悪し気位を高く持つというのはなんとなく矛盾してみえるが、これを繋ぐ役割を持っているのが寂しさではないかと思う。老いて朽ちる寂しさを癒すものはきっと何もないと思う。そのことに諦めがつていないような気がする。というか、人はこれを受諾とか受容とか言うが、この言葉を用いるにまで自分が至っていない。
 最近時々思うことに、Twitterをやめようかというのがある。これもある種の抵抗で、痛い思いをしたくないという表れだと思う。寂しさを受けいれていたら止めていることかもしれない。人と関わっていると紛れてしまうのは嘘っぽいな自分、と何処かで思っている。人の中にいると自分を紛らわしてしまうと思っている辺りの感覚が既に、もう一人の自分から「見捨てられている」のかもしれない。逆に、関わりたいと願っても現実には何も起こらない世界ではないかと、諭している。また、対象は人だけでもなく、世の中の出来事や人の考え方に寄り添おうとする自分もいるが、よくよく考えると、それが抑えられないむなしさだろうか。全て虚しさへ向かっているような気がする。
 自分自身を誤魔化しているように感じる時は一人にはなれないよと、心のどこかでもう一人の私が叱責してる。そうやって、一人になることが強く生きることならそっちを選ぶべきだと言い聞かせている。そう思っているうちはきっと一人にはなれないと、もう一人がせせら笑っている。なかなか踏ん切りがつかない。往生際の悪さとはこのことかと思うが、これを抑えて決断できないのは、「見捨てられているという感覚」が基にあるからかな。足掻きながらいつも葛藤している。潔くないこの姿は、惨めなだけだなと思っている。

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2011-05-27

エジプトのガザ地区検問所封鎖解除について雑感

  ムバラク政権のエジプトはガザ地区との国境にあるラファ検問所を封鎖してきたが、BBCが25日報じた記事によると、28日から恒常的に開らくことを決定したとあった。それによると、国境は金曜(イスラムの休日)及び祭日を除く毎日、朝0900時から午後2100時までとしている。この措置は、パレスチ人女性は年齢に関係なくビザなしで出入国できるが、男性は18歳未満及び40歳以上のものに限り査証免除が認められることになった(参照)。

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左下の「Rafah」がエジプト国境側の検問所

 これは、Twitterのクリップ記事で最初知ったが、その後、毎日記事でも同様に報じていた(参照)。ただし、BBCでは900から2100時とあるが、毎日では朝9時から5時となっていて詳細は確かではない。
 この事を知った時、直ぐに頭を過ぎったのは、イスラエルやアメリカの親イスラエルロビー団体の反発に対する懸念だった。同時に、エジプトの反政府の鎮圧が急がれているのか、外交的にはイランを配慮してか、その意図があるのかもしれないと思っていた。エジプトのラファ検問所封鎖解除決定が予想以上に早かったため、情勢を読むのに思いが錯綜して時間がかかった。未だに真相はよく分からないが、ラファ検問所開放によるその辺の空気はどうかと、少し記事を当たってみた。
 オバマ大統領の19日の中東和平に関する演説の意図について、その意図したものが何だったか、外国の記事を拾いながら推測的なことを書いた手前気になっていたが(参照)、オバマ氏は22日、ワシントンの親イスラエルのロビー団体の会合で演説したようだ。やはり、内容をフォローする噛み砕いた話しがなければ、ユダヤ人社会が黙っていないとは思っていた。
 次のように説明したと朝日が報じている(参照)。

  オバマ氏は「米国・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)」の会合で、提案について「67年6月4日に存在したのとは異なる境界線を、イスラエルとパレスチナ自身が交渉するという意味だ」と述べ、第3次中東戦争開戦前の境界線に戻る必要は必ずしもないとの考えを表明。「新たな人口統計の現実と双方のニーズを考慮することもできる」と説明した。
  オバマ氏は「イスラエルの安全を守る米国の決意は鉄壁だ」と強調。提案は「過去の米政権を含む関係者が長い間、議論の土台としてきた基本的枠組み」で、「取り立てて新しいものではない」と訴えた。

 イスラエルのネタニヤフ首相の強い反発同様、アメリカのこうした団体が黙っているわけもなく、早々に説明を果たしたのだと思ったが、交渉の最初から、占領地からの完全撤退を求める意図ではないといいながらそれを特定するのが難しい。実際、そこに住む人にしかわからない事情がイスラエル側からも出てきている。問題は、こうした対応でイスラエル側の譲歩を促進できるかだと思う。そのイスラエルが強く反発しているようだ。
 ネタニヤフ首相は24日、米連邦議会の上下両院合同会議で演説し、ユダヤ人入植地を一部撤退させる方針を示しつつも、国際社会が提案している「67年境界線」案を拒絶したことをAPFが次のように報じている(参照)。

  ネタニヤフ首相はまた、パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス(Mahmud Abbas)議長と、ガザ(Gaza)地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマス(Hamas)が統一政府の樹立で合意している限り、イスラエルが和平交渉の席に戻ることはないと断言。交渉の真の障害は、パレスチナ側がユダヤ国家としてイスラエルを認めることを拒否しているせいだと主張した。

  ネタニヤフ首相は、イスラエル国民に「正直」であらねばならないとし、「この衝突を終わらせるいかなる和平協定においても、イスラエル側の国境を越えて入植地は残るだろう」と述べる一方、「将来のパレスチナ国家の大きさについては、わが国は非常に寛容でありたい」とも語った。

  しかし、「67年境界線案」やエルサレム(Jerusalem)分割案については、これまでと同様に却下した。パレスチナ側は将来、パレスチナ国家を樹立した際には東エルサレムを首都することを望んでいるが、ネタニヤフ首相は「エルサレムを再び分かたれることがあってはならない。エルサレムは1つのままイスラエルの首都であらねばならない」と述べた。

 ここで主張をするからにはそれだけの支持を得ているのかと思えばそうでもなさそう。イスラエルでは早速世論調査をしたようだ。こういうのはいずこも同じという感じがする。
 イスラエル紙マーリブ(Maariv)が25日に発表した世論調査では、国民の約6割が「首相はオバマ大統領の提案を受け入れるべきだった」と考えていることが明らかになったようだ(参照)。

  同紙の調査結果によると「ネタニヤフ首相は、(オバマ)大統領提案に無条件で支持を表明すべきだった」と考えている人が全体の10%、「条件付きで」支持すべきだったと考える人が46.8%で、合わせて56.8%の人が「オバマ提案を受け入れるべきだ」と考えていた。

  一方、オバマ提案に対し、ネタニヤフ首相は反対を表明すべきだったとした人は36.7%だった。

  調査はマーリブ紙のためにイスラエルの調査機関Telesekerが450人を対象に実施した。(c)AFP

 ああたったの450人かと思ったが、規模は小さくても一部の右派強硬論者を除けば国民の大半は賛成ということになるのか、ちょっと意外な数字だった。私にとっては、イスラエルとパレスチナの昔の状態からは想像しにくい数字だが、国家に対する意識も世代と共に変わりつつあるのだろうかと思った。首相個人の意見が国内で支持されなくても突っ走ることは、菅首相を見る限りそれも出来ると思う。だから頑張れでもなく、首相が強行に突き進むのも如何なものだろうか。
 ガザ地区のエジプト国境側では出入りが自由になる今、イスラエルがどんなに封鎖を訴えても有名無実になってしまうではないか。穴の開いた袋に水を注ぐようなものだし、大雨で穴の開いた傘をさすようでもある。このままでは、今度はイスラエルが逆に孤立化に向かう気がする。そうなると、孤立を避けることが国家の安全保証になるのではないだろうか。これだけでも凄い発想の転換だ。戦わずして平和が齎されるとしたら、中東やアフリカの揉めている諸国に対してサンプル表示ともなることだ。
 今回のエジプトの判断は、イスラエルを頑なにさせるか柔軟にさせるか、大きな転換をもたらすことになりそうだ。書きながらエジプトの軍部のクーデターで思い出したが、今回のラファ検問所解除は、エジプト軍とアメリカ政府とのシナリオではないかなと思った。オバマ氏はイスラエルの宥め役、エジプトはイスラエルを窮地へ追い込むという飴と鞭みたいな配役のように見えるのは私だけかな。

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2011-05-26

中国・ASEAN諸国の南シナ海領有権問題と日米の関わりについて

 三日程前になるが、毎日新聞で「南シナ海:中台やASEAN諸国 領有権の主張強まる」(参照)の記事が気になっていた。日米同盟に何ら異変も起きたわけではないが、中国の軍事力増強に伴い、アジア周辺国には中国や北朝鮮に対しては警戒心がある。現実に、中国から尖閣諸島沖で当て逃げのような目に遭遇した当時、政府の対応に苛立ちすら覚えた。また、先日公開されたWikileaksで知ったアメリカの公電にもあったとおり(参照)、民主党の防衛(抑止)に関する認識は杜撰なものだったことが私の警戒心につながっているという理由もある。それだけに関心が強くなり、我がことになったというものだ。
 早速蛇足だが、先日、沖縄アメリカ領事館大使だったケビン・メア氏が赤裸々にしゃべるという前宣伝に釣られて民放の番組を見てみた。そこで彼が話していたのは、民主党の人達は何故日本に米軍基地が必要か、抑止ということを分かっていない。特に鳩山さんは全く考えていない人だった。「菅首相はどうですか?」「宇宙人よりはましだけど・・・うーむ」みたいな砕けた感じで話が進み、彼が招かれたゲストとして質問なども受けていた。勿論、何故退職したかという質問もあり、個人のプライドと家族の名誉を守るには米政府をやめるしかなかったと話していた。私は、この番組をしばらく見ながら、先のWikileaksの内容を思い出していた。
 日米安全保障条約50周年記念を節目に、アメリカのキャンベル国務次官補と政権交代したばかりの民主党幹部や官僚との会談の中で、アメリカは日本政府にしきりに抑止の必要性を国民に説明するべきだと話していた。察するところ、新政権がどういったスタンスで日米同盟を考えているかがこの時点でアメリカ政府にきちんと伝わっていなかったのだと思う。また、鳩山案としての県外移設は、突飛に映ったのではないかと思う。野党時代に国民の声を政治に反映するのが国会議員の使命だみたいな夢の中にいた人なので、そのまま本心を言ったまでだった。それだけの人で終わってしまったが、アメリカにしたら、何て酷い政府だろうかと嘆かわしかったのではないだろうか。挙句の果て、沖縄の人達にはぬか喜びをさせてしまった。
 さて、日本政府はもとより、アメリカの抑止が東南アジア全域にとって大きな意味を持つことでもあるとは思いつつ、その日本政府が不在の折、現在の状況だけでも把握しておきたいと思い、クリップしておくことにした。
 まず、先の毎日の記事だが、何を問題にしているかだけ拾ってみた。

 南シナ海の領有権を巡り、経済力と軍備増強で実効支配を強化する中国、共同戦線を敷くフィリピンとベトナム、防衛強化を打ち出す台湾など、関係各国・地域の動きが活発化している。今後、シンガポールで6月3日から始まるアジア安全保障会議やインドネシアで7月に開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)でもせめぎ合いが続きそうだ。

  しかし、中国は多国間問題に発展することで米国の関与が強まることを警戒する。温家宝首相は先月下旬、マレーシアとASEAN議長国のインドネシアを訪問し、「領有権や海洋権益の争いは2国間で適切に解決すべきだ。問題の拡大や複雑化には賛成しない」とクギを刺した。中国国家海洋局は8日、南シナ海を担当する南海総隊に最新鋭の大型監視船「海監84」(排水量1740トン)を配備。海軍航空兵団は先月下旬、南シナ海で低空爆撃訓練を実施した。

 一方、フィリピンは中国への対抗色を強め、米国からヘリを搭載できる大型巡視船(同3250トン)を購入。フィリピン海軍では最大の艦船で8月にも南シナ海に配備される。潜水艦の購入も検討し始めた。このほか実効支配する南沙諸島のパガサ島の滑走路を、大型輸送機が発着できるよう改修する方針も発表している。

 ベトナムやフィリピンが積極的に国防に乗り出す理由だが、昨年、中国が独自のオンラインマップ「天地図(MapWorld)」のβ版を公開した際、いつもの勝手な線引きがあり、問題になった経緯がある(参照)。図があると華やぐのでここにその地図を貼ってみた。(クリックすると画像が拡大する)

Screenclip

 ベトナム政府の公式サイトによると、「天地図(マップワールド)」に示された南シナ海の境界線は、9本の途切れた線を用いて、両国間で紛糾しているスプラトリー(南沙)諸島とパラセル(西沙)諸島が、中国の水域にあるかのように示されている。11月5日、ベトナム外務省は、「天地図」は1982年の「国連海洋法条約」に違反し、2002年に交わされた「中国・ASEANの南シナ海における関係国行動宣言」の主旨に反するものだという声明を発表した。

 正確には10本の薄い線で囲まれた部分を指している。
 ところでだ。尖閣諸島の線引きはどうなっているのか見てびっくり。地図上の右上に「釣魚島」という表記の部分に線がない。日中首脳会談が昨年あり、そのために消されたのであろうか。
 このように、中国は、自国のご都合で勝手に線引きをするので困りもの。ベトナムとはしょっちゅうこの海域で漁船のトラブルが多発している。今に始まったことではないが、それだけにアメリカも手を焼いてきている。
 また、ASEANがこのような強気に出てくるのも19日、南シナ海問題ASEANの国防相会議が催されたようだ(参照)。

【ジャカルタ佐藤賢二郎】東南アジア諸国連合(ASEAN)は19日、インドネシアのジャカルタで国防相会議を開き、一部加盟国と中国が領有権を争う南シナ海問題や防衛面での協力強化を盛り込んだ共同宣言を採択した。
06年のASEAN国防相会議開始以来、共同宣言で南シナ海問題に言及するのは初。同海域での「航行や上空飛行の自由」の重要性を再確認する文言などを盛り込み、2国間交渉での解決を主張する中国をけん制した。
また、会議では15年のASEAN共同体構築に向けた防衛面での協力などについても討議。平和維持活動の能力向上のための「ASEAN平和維持センター・ネットワーク」構築を承認し、防衛産業の連携を強化して軍事面での技術向上を目指すことでも合意した。

 また、フィリピン軍の内部資料で、ベトナムが実効支配する島で新たに軍事施設の建設を進めていることが分かったと東京新聞が伝えている(参照)。

【マニラ共同】中国と台湾、東南アジア諸国連合(ASEAN)の一部加盟国が領有権を主張する南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島をめぐり、ベトナムが、実効支配する島などで新たな軍事施設の建設を進めていることが24日、フィリピン軍の内部資料で分かった。
中国も南沙諸島周辺で活発な軍事活動を展開しており、フィリピン軍は「緊張が高まる恐れがある」と警戒している。
資料によると、ベトナムが実効支配する20以上の島や環礁などの一部で、衛星通信施設などの建設を「驚異的なスピードで進めている」とし、「軍事基地強化を図っている」と指摘している。

 こういう動きを中国はどう見ているのかというのも気になるが、中国は確実に領有権拡張の動きを強くしているかに思われる。その中国の戦略が今後、日本のどこへどのように及ぶのかと思うが、地震と津波、原発の痛手を負ったというのに皮肉にも、核の抑止なくして太刀打ちでいない。複雑な思いはある。

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2011-05-25

「首相指示による海水注入のメモ」知らなかったのは多分本当

 一昨日、衆院で行われた震災復興の特別委員会を聞いていて、話の脈絡がまるで読めず、困惑していた。そして昨日、産経がその一部始終「海水注入の中断指示 首相は否定 では誰が? 瞬間判断で議事録なし」(参照)で報じてくれたはよかったが、これがまた時系列で事象を追っても東電の対応や政府の動き、それに加えて各氏の発言が微妙に分かりにくかった。今朝の産経記事「東電は海水注入を事前報告 菅首相「報告はなかった」と矛盾」(参照)は、これに追い討ちをかけるようなものでもう悲鳴を上げそうになった。過ぎ去ったことをそこまで追いかけてもあまり意味がないと、実は昨日まで思っていたが、今朝の産経で関心が変わった。国会答弁で菅さんは「海水の注入や中止の指示は出していない」ときっぱり言い切っているが、東電は『海水を注入すると再臨界の危険がある』と官邸から聞いたので、次の指示を待っていたという説明だった。これがいわゆる空白の55分だが、この空白時間が悪夢を生んだとも言えず、強いて言えば、ここで海水を注入したため水が蒸発して塩の塊ができた。やがて、それが目詰まりを起こし、後に注水した水が一定以上入らなくなった原因を作ったとも言われている。
 で、何が気になるかだが、菅氏、東電斑目氏、海江田氏のお三方が嘘をいっているようでもない。白を切るようなふてぶてしさも感じられない。では、他に犯人がいるのだろうか。細野氏が見たという総理のメモは、他の誰かが作ったとでも言うのだろうか。そこに関心が向いた途端、記事をGoogle Documentにコピペして重要部分を切り取り、表にまとめ始めた。が、その必要はなくなった。先ほど極東ブログの「福島第一原発、海水注入を巡るドタバタ」(参照)が挙がり、時系列を追って詳しく考察されている。
 私が思っていたのと同じで・・・って後出しジャンケンみたいだが、誰も嘘はついていなかったみたいだ。そして、私なりに間違えが起きた原因を考えるに、菅さんの「海水による再臨界」に対する懸念を知った東電も、あまり根拠なく心配したことが「待ち」に至ったのではないだろうか。しかも官邸の指示に従うという命令系統があったため、専門家としての強い意見を言わず、その専門性を欠いたのが東電側の理由と見た。
 また、菅さんを中心にした官邸の動きはよく分からないが、菅さんも覚えのない「首相指示による海水注入のメモ」に関して、菅さんは関知していなかったもようだ。だとすると、菅さんが国会で嘘をついていない事も、後で海江田氏がそのメモを「首相の指示」と信じていたことの裏づけになる。ただ、このメモ、誰が作ったのだろう不思議だな感が残る。でしょ。そもそも、首相指示のメモの存在を知らなかったと、そんなことは誰かがやったにしても自分が出したことになっているメモなんで、知らないは返ってまずいでしょ。そういうところも結構カッとなって断固として「やっていない」の菅さんだ。こういう時、今までは不思議だなぁで終わっていたが、これって官僚の誰かかも。政府が結論を出せないでいる間に、誰かがこっそり動くとすれば官僚しかいない。
 鳩山元首相が沖縄基地の県外移設を言っていた時、政府の誰も本気で動いていない中、アメリカときっちり話をつけていたのは官僚だった。これは、先日のWikileaksから学んだことであって他に何ら根拠はない。悪しからず。
 というわけで何も苦労しない上、画像も借りてきた。ありがとう、これでこの件はすっきりした。
 

画像は、極東ブログによって日経「衆院復興委主なやりとり」(参照)、「「空白の55分」混乱の連鎖 原発の注水中断問題 」(参照)、産経「海水注入の中断指示 首相は否定 では誰が? 瞬間判断で議事録なし」(参照)、「東電は海水注入を事前報告 菅首相「報告はなかった」と矛盾」(参照)、読売「海水注入、首相指示2時間前に「指示出た」メモ」(参照)を参照され、作成された。

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スーダン「Bashir, you step aside?」バジル大統領が退陣の意向?

 7月に南北がそれぞれ独立することが決まっているスーダンであるが、南北政府の係争地であるアビエイ(Abyie)で21日、北部政府軍が侵攻し、町を制圧した。このことを知ったのは、22日のTwitterの47ニュースのクリップ記事が最初で(参照)、その後も詳しく伝える記事に目を通していたが、7月の独立はどうなるのか気になった。記事を拾いながら備忘的に書き留めておくことにした。
 スーダン南北の独立は、北部のアラブ系イスラム教徒と南部の非アラブ(一部キリスト教徒)が分かれることによってすっきりするとはいうものの、国境付近のアビエイに関しては、石油資源が豊富であることが主な原因で、その帰属先を巡って南北の係争が続いた状態だった。南北を分断するのが難しい一番の原因であると思われていただけに、この期に及んでついに表面化したという感触があった。
 23日のAFP通信は、このことを次のように報じている(参照)。

スーダン首都ハルツーム(Khartoum)で会見した北部政府のアミン・ハサン・オメル(Amin Hassan Omer)大統領府担当相は、「アビエイと河岸北部一帯を掌握した」と発表。「SPLA(南部のスーダン人民解放軍)がアビエイで存在感を誇示しようとしており、CPA(南北包括和平合意)の下で許容できない」ことが進攻理由だと説明した。

これに対し南部自治政府は、北部政府の発表は「完全な虚偽」だと非難。北部政府がアビエイを「侵略」し「不法占拠」したことによって、南北間の衝突が再燃する恐れがあると警告した。

一連の動きを受け、スーダンの首都ハルツーム(Khartoum)を訪問中の国連安保理の訪問団は22日、「急速に悪化するアビエイ情勢について非常に深く懸念している」との声明を発表し、北部政府軍に対して部隊の撤退を正式に要求した。(c)AFP

 北部の理由がでっち上げかどうかと言われれば、いつものバジルかとしか思いようがないが、先の47ニュースで報じている通り、北部は戦車を15台持ち込んでいることもあり、国連安保理が撤退を要求したのは当然であると思う。
 また、アメリカ大統領報道官も21日、政府軍のアビエイ地区進攻を非難する声明を発表し、作戦の即時停止と同地区からの撤退を求めた、と毎日では伝えている(参照
 どこから見ても攻撃を仕掛けている北部に批判が集まっている。これは、今までのバジル大統領のやり口で、如何ともしがたい腹立たしい気もするが、そのバジルが大統領退任の意向があるようなことをアルジャジーラが「Bashir, you step aside?(バジル、引退?) 」と報じていた(参照)。記事はアラビア語だが、翻訳機能(Via Google Chrome)を使って英語で読める。以下がその部分だ。

In more than one occasion, the President announced Omar al-Bashir his intention to step down at the end of its current session and not run for a new presidential cycle after more than two decades, sat on a chair in which the Sudanese presidency without little competition.

Advisor to the Ministry of Information, the leading member of the ruling party spring Abdel Atti said the island revealed the truth of what went to President Bashir, in his desire not to run for another term, pointing out that the nomination of al-Bashir of whether or not "depends on the institutions of the party and not an individual decision."

Said Abdul Ati al-Bashir that "It is believed that twenty-six years old enough, and of the duty concession for others to come after him", warning that it "will be resolved in a timely manner."

Idea to step down
However, the member of the Secretariat of the Communist Party of Sudan Sulaiman Hamid did not rule out the possibility al-Bashir step aside, "al-Bashir may decide that and it may be
declining because of pressure from his party, as happened before."

He said the suspension of the island that the view of the al-Bashir is nothing more than to be only "hints" are not supported positions confirms this, pointing out that what he called "fun monopolize power to make heads nor accept the positions but utterly abandoned."

He called Hamed to be a comprehensive change "there is no meaning to step down as long as the President of his successor will be implemented the same policies of the National Congress introduced the country's current crisis."

【概略】 バシール大統領はこれまで何度も退陣する考えを伝えてきた。また、新たな選挙に立候補しないと言明してきた。過去26年も政権に君臨してきたことですでに充分である。また、アラブ世界に広まっている改革や、指導者の交代要求を気にかけているのは事実だ。バジル政権の幹部は、今回のバジル大統領の退陣への意向は本物で、変更はおそらくないと見ている。同様に、野党にも同じ意見のものがいる。しかし、大統領の言葉を信じない者の中に、それを左右するのは野党の動き次第で、時期立候補者がいなければ大統領は再出馬するのではないかという意見もある。

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Bashir, in a speech earlier to a number of his supporters (IRIN)

 バジル大統領は、ダルフールの問題で、虐殺を首謀したことで国際的に逮捕状が出ている。その人物が現職であることがそもそもな話しだが、バジルの周囲からその件は全く問題になっていないのだろうか。仮にあったとしてもバジルが大統領でいる限り周囲は庇うしかない。バジルが大統領を辞すれば、これに変わる人物次第では南部スーダンの独立問題ももう少しスムーズに運ぶような気もする。
 アルジャジーラが報じていることが事実だとすると、バジルの一部周囲にバジル下ろしの空気が醸成されつつあるということだろうか。これは、バジルを少しは考えさせるのではないかと思った。が、昨年の春の大統領選で再選された時を思い起こせば、選挙間近にいろいろと物騒な事件も起きている。参考までに、極東ブログ「ダルフール危機に関連する現状、お尋ね者バシル大統領再選」(参照)に、当時の様子が詳しく書かれている。

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2011-05-24

妊娠中毒症に効果的なL-アルギニンの話ーアメリカの研究報告

 子癇前症(妊娠中毒症)にはL-アルギニンのサプリメントの服用が効果的だ、というアメリカの研究チームの報告を読んで嬉しくなった。ま、少なくとも25年以上前に遡った私の妊婦時代だったらどんなに嬉しいかという話だ。でも、ここを読まれている人にこれから妊婦になる計画があるとか、その可能性を持つ方にとってはきっと役立つ情報であると思う。それよりも、一般常識として、男性が知っていても良いような話だと思うので取り上げることにした。
 昨日、Twitterで拾ったBBCのクリップ記事「Pre-eclampsia supplement 'can protect against disease'」(参照)によると、イギリスの医学ジャーナル誌BMJ(参照)で発表されたアメリカの研究チームによる研究報告で、子癇前症高リスクの妊娠女性を対象にした単盲検ランダム化比較試験(RCT)から、葉酸やビタミンCなどの抗酸化ビタミンとL-アルギニンの同時摂取でそのリスクが低下したそうだ。
 対象人数やデータ結果についてはここでは省略するが、葉酸の摂取に輪をかけた効果が期待できるのだと思う。何故この研究が素晴らしいと思うかだが、妊娠中毒症は妊婦や胎児にとっても厄介で、回避したい問題だからである。妊娠、出産経験者なら、誰でも健康管理の筆頭に置くのではないかと思う。まあ、この取り組みが母親になる一歩でもあるが、健康管理していても妊娠中毒症にかかる人は多いと思う。
 妊娠中毒症という言葉を私がはじめて知ったのは、妊婦になってからだった。昔はその程度の認知度だったと思う。どんな症状かと思ったら、それは、血圧が高くなり、むくみが出たり、蛋白尿が出ておなかの赤ちゃんに栄養が行かなくなり、自分の命も危なくなるといったことを引き起こすことになる。分かりやすく説明しているサイトがあったが、どうだろうか(参照)。

妊娠中毒症とは、妊娠に対してママの体がうまく適応できない状態をいいます。
 ママの体は、おなかの赤ちゃんを異物とみなし、赤ちゃんが体内にいることにより、体のいろいろな機能をそれに合わせようとしていきます。たとえば、お産のときの出血に備え、次第に血液が固まりやすい傾向になります。
 こうした変化に対して、体に負担がかかりすぎると、血圧が高くなったり、尿にタンパクが出てきたり、むくみが生じたりといった「不適応」の症状が出てきます。この状態が妊娠中毒症です。ほとんどの場合、赤ちゃんを出産して各器官への負担がなくなると、こうした症状は治まります。

   ずっと下まで読んで行くと「妊娠中毒症を予防するには?」に書かれているいくつかの注意事項は、かつて私の時代で医者から言われたことだ。

日常生活に気を配っていけば予防は可能です。妊娠中毒症は妊娠そのものが原因ですから、その原因を取り除くわけにはいきませんが、妊娠によってかかる負担を少しでも軽くすることがカギです。

まずは体を疲れさせないこと。つかれがたまってきたなと思ったら、早めに休むことが大切です。体だけではなく精神的な疲れも禁物です。ストレスをためないようにしましょう。

そして、食生活にも気をつけましょう。塩分を控えること、低カロリーに抑えること、高タンパクのものをとることが予防の3大鉄則です。

 文字面は簡単そうだ。だが、行うは難し!
 例えば、過度に疲れないようにと注意を払うとあるが、妊婦は、いつも疲労感というのはある。だからつい、休んでばかりいることになる。動かないのになんだか四六時中食べていたいという妊婦もいるし、これで食べ過ぎない努力も同時進行だ。これって、結構ストレスになるが、これをストレスにせずに溜めるなと言われる。良い循環を保ちたくても、一つ歯車が狂うと全体的に「やっちゃダメ」の方向へ向かうのでしんどい、めんどい。妊娠中毒症にならないための努力は、妊婦なら誰でも取り組む必要性を感じてきたことだと思うが、理由は兎も角、努力してもかからない保証はないし実際、中毒症にかかって入院で生活管理する場合も多いと聞く。
 ここで、今回の研究成果のありがたみを感じたのは、葉酸やビタミンCなどの高酸化ビタミンとL-アルギニンの併用でリスクが低下したことだ。つまり、サプリで補うことが出来ることだ。
 この葉酸とは何か?かなり周知のこととは思うが、産婦人科の医者のサイトの説明には次のようにある(参照)。

葉酸はほうれん草から見つかったビタミンB群のひとつで、読んで字のごとくブロッコリーをはじめとする野菜、大豆、キノコ、穀類に含まれ、生体内でのDNA合成の際の補酵素として重要な働きをします。赤血球への成熟過程や成長および妊娠の維持にも必要で、葉酸欠乏により巨赤芽球性貧血が起こります。特に細胞分裂の激しい妊娠初期はより多くの葉酸摂取が必要で、近年欧米をはじめとする諸外国の調査で、妊娠初期の葉酸の十分な摂取が赤ちゃんの奇形のひとつである二分脊椎、無脳症などの神経管閉鎖障害(neural tube defects、以下NTD)発症リスクを減らす効果があることが明らかになり、各国の国をあげた対策によりNTDの発症は減少しました。

 また、極東ブログ「そろそろ葉酸について一言言っておくか」(参照)では、当時、葉酸について一般的な認識として定着していなかったとも言いがたいが、何が葉酸で、何故妊婦になる前からの摂取が大切かなど詳しく説明されている。

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 以上が妊娠する前からと妊娠中の注意すべきことだが、葉酸については、妊娠に関係なく普段から補うというのではないかな。動脈硬化の原因と言われるホモシステインの産生を抑制するのに葉酸やビタミンB6やB12などのビタミンが効果的だと言われている。因みに、このサプリは私も普段服用している(入手先参照)。
 また、アルギニンに関して徹底的に書かれているサイト(参照)にサプリメントの選び方などが詳しく書いてあった。このようなサイトは沢山あるが、信頼の置けるものかどうかいつも気になるのでプロフィールは必ず見るようにしている。参考までに☞人物Amazon

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2011-05-23

ワシントンポストとエルサレムポストのオバマ演説に関する分析

 中東和平問題が気になる。一つには、オバマ大統領の演説からその真意が読めないことであり、大きな契機を迎えていると思っているからかもしれない。
 昨日のTwitterのクリップ記事、ワシントンポストのオピニオン「The blowup with Israel」(参照)を読んでみて、オバマ氏の意図していることが少し見えたような気がした。また、和平に向けた解決策の一つの提案として、新鮮なものを感じた。また、エルサレムポストの記事、「Obama’s sour notes in Israel are music to Europeans」(参照)は、ヨーロッパ諸国がオバマ演説をどのように受け止めているかという点などから分析した意見を発信している。これは、中東和平問題を多角的に見る一つの材料として厚みがついたような気がした。記事を引用しながら、少しまとめてみたいと思う。
 不安材料ばかりが頭にあった理由に、パレスチナ自治政府のアッバス議長が9月の国連総会でパレスチナ独立国家の宣言を求めることを発表し、その結果、イスラエルに波紋を呼んだ。これは、ともするとイスラエル・パレスチナ戦争の勃発にもつながる。 そんなことでも起きれば、おそらくアラブスプリング(中東の春)どころか、アメリカが世界に求める民主化を大きく後退させ、全てが失敗につながると思っていた。ここでアメリカがイスラエルを支持すれば、アラブ諸国全てを敵に回すことになりかねず、国連での議決ではアメリカは拒否権を行使するだろうと推測していた。こうなると、良い方法もあったものではない。昨日の「オバマ氏の狙いについて-ネタニヤフ首相とオバマ氏の会談より」(参照)で取り上げた産経大内記者は、「袋小路に陥った」とまで書いていた。こりゃ困ったと思った私は、さらにぐじぐじ言いながらも「そうかもしれない」とチラッと思っていただけに、内心打ち消したい思いがあった。
 さて、そもそもの私の推測の間違えは、アッバス議長の、パレスチナ承認に向けた提案の撤回はあり得ないという思い込みだった。その可能性すら思わなかったのが盲点だった。
 ワシントンポストのオピニオンはこう述べている。

Mr. Obama's intention is to persuade Mr. Abbas to give up his UN bid and return to negotiations with Israel.To do so, he endorsed one of the conditions Palestinians have tried to set for talks: that they be based on Israel's 1967 border lines, with swaps of land to accommodate large Jewish settlements in the West Bank.This is not a big change in US policy.Presidents Bill Clinton and George W. Bush, along with previous Israeli governments, have supported the approach.

オバマ氏の意図は、アッバス議長が国連への提出を放棄し、イスラエルとの交渉に戻るよう説得することである。 これを行うには、パレスチナ人が協議に設定しようとしたいずれかの条件を承認することである。:ヨルダン川西岸のユダヤ人入植地に対応するよう1967年の境界線に基づいて土地の交換をする。これはアメリカ政策の大きな改革ではない。ビルクリントンとジョージWブッシュ元大統領らがイスラエル政府とのアプローチとして支持してきた考えである。

 国連という国際会議の場で採択する運びとなれば、世界は文字通り二分されてしまう。そうなる前に、アッバス氏に提出を諦めてもらうということだ。そのために、1967国境案に基いてパレスチナの要求をいくつかのもうということらしい。
 なんとなくトリックみたいな気がするのは私だけだろうか。つまり、今までとなんら変わりないことだ。何が違うかと言えば、国連会議の場を外すことだ。そのために要求をのめば、採択する案自体が消滅することになる。話し合いがまとまらずとも、時間の引き伸ばしにはなるとは思った。
 また、エルサレムポストもこれと似ている分析だ。

So the US feels it not only needs to offer sweeteners to the Palestinians to come back to the negotiating table, but also assurances to the Europeans that there's an alternative path for progress on the peace process.To that end, Obama's rhetoric hit the right notes on the other side of the Atlantic.

オバマ氏が国連総会での採択に反対で、これを避けるためにパレスチナには何か条件を与えて納得させ、欧州には国連で採択する以外の方法があることを示す必要があった。演説は、的を得た内容であったと分析している。

 国連まで話を持ち込まないことが和平交渉のポイントなのだと理解したが、果たしてできるだろうか。いや、希望的観測を言わせてもらうと、成功に導いて欲しい。
 ただ、ヨーロッパ諸国が変に利権問題などを熱く持ち込まなければよいなぁと、また変な思いが過ぎるのだが、しばらく今後の関連記事に注意しておきたいと思った。

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2011-05-22

オバマ氏の狙いについて-ネタニヤフ首相とオバマ氏の会談より

 中東和平問題に関するオバマ氏の考えがいまひとつ読めない。あの演説の狙いが見えない。昨日、NHKニュースやCNNニュースなどでもそれなりに取り上げていたが、アメリカの政治が読めるような内容ではなかった。期待はずれもいいところでがっかり。これは、アメリカ大統領の演説に私が期待を持ちすぎているのが原因なのだろうか。また、がっかりはそうかもしれないが、狙いがどこにあるのかいっこうに見えてこない。
 19日のオバマ氏の演説では、中東和平問題においてアメリカの原則的な立場の表明をした点と、実際は何もしないということが明らかになっただけだったため、イスラエルとの関係上、これだけでは済まされないのではないかと普通に思った。案の定、20日のオバマ氏とネタニヤフ首相との会談では、ネタニヤフ氏が激怒した形だった。オバマ氏の演説の文脈をそのまま読めば、国際社会のスタンダードである1967年の国境(議決242号)を遵守する考えである。これは、中立的な立場を取ったと見たが、パレスチナ国家にとっては現在の居住を認めることであり、イスラエルにとっては国境から撤退することを意味している。如何にネタニヤフ氏が激怒しても、国際社会のスタンダードに歩み寄ってこそ中東和平でありイスラエルの国益でもあると思う。これを承服できない理由がイスラエルにあるのもわかるが、であればアメリカとの関係上、何らかの交換条件なり密約なりがあってもよさそうなものだ。それを会談に期待した私は、浅墓だったのだろうか。「うん、そう」と誰かに言われそう。
 いろいろ憶測することはあるが、こうなってしまう原因は、演説でのオバマ氏の狙いが分からないことにあると思う。何が狙いだったのだろうか。日本の各紙社説など当たってみたが、どこも現実離れしたことばかりで話にならなかった(参照)。
 ただ、産経の大内清記者(カイロ)は、その狙いを模索しているようだ(参照)。

【カイロ=大内清】イスラエルのネタニヤフ首相が20日、ヨルダン川西岸からの原則撤退を求めるオバマ米大統領の提案を一蹴したことで、パレスチナ側がちらつかせる9月の国連総会での「国家承認」を同提案で思いとどまらせようという米国の狙いは、裏目に出る可能性が強まっている。

米国が国連での国家承認に難色を示すのは、総会に先立ち、安全保障理事会でこの問題を取り上げざるを得ないためだ。米国がここで拒否権を行使すれば、パレスチナ国家の樹立そのものに反対していると受け取られ、アラブ諸国との関係が悪化しかねない。
オバマ氏の19日の中東政策演説には、そうした状況に追い込まれる前に「67年境界線」案を軸に和平交渉を再開させ、自らの主導権を発揮したいとの思惑があったとみられる。

 アメリカが拒否権を行使する可能性の理由は明記されてないが、拒否権を使わざるを得ないのがアメリカのダブスタだ。アラブ諸国の肩を持てば、イスラエルの唯一の同盟国としてアメリカが中東での立場を無くし、イスラエルがアラブから袋叩きに会う前に暴れるかもしれない。というのは妄想としても、拒否権を使うのは目に見えている。仮に使わないとすると、1967国境を支持する表明上パレスチナ国家を認める方に賛成票を投じることになると思う。すると、イスラエルとは決裂する羽目になる。いずれもはっきりさせたくないのがアメリカの立場であると思う。
 ここで産経はオバマ氏の善意として「67年境界を軸に和平交渉を再開させ、自らの主導権を発揮したいとの思惑」と見ているようだが、私は、オバマ氏の偽善として見た。昨日、「アメリカは在米ユダヤロビーの事もあり、もしかすると拒否権行使ともなる。すると、アラブから反発を食らってしまうことは想定内のことである。つまり、アラブからの敵対視を軽減するため、1967年国境問題をちょい出ししたとも言える。」(参照)と書いたが、善意に思い至らない理由は、ユダヤロビーがアメリカ経済の主体構造を作っている背景を崩すはずがないという考えが一つ。また、オバマ氏自身、あの演説だけでは和平交渉が具体的に再開するとは思っていないはずだだからだ。これは、中東和平問題が簡単ではなかったという歴史を振り返れば分かる。また、オバマ氏は新しい案を提案したのではなく、1967年から言われ続けてきたことを引き継ぐ考えを表明したに過ぎない。私は、それが、アラブ諸国を認めるというオバマ氏のポーズではなかったかと憶測した。国連総会でアラブ諸国から大きな非難を受けないための策になるからだ。で、それは何のため?と、疑問はさらに深まる。
 大内記者は最後にこう結んでいる。

しかし、西岸への入植を推進する右派のネタニヤフ氏にとって提案は容認し難く、今回の拒絶でオバマ氏との関係が決定的に悪化し、交渉再開に向けた動きは袋小路に陥った。パレスチナ側としては、当面は国連承認を目指すという“脅しカード”を振りかざし、米国とイスラエルからの譲歩を狙うことになる。

 つまり、イスラエル外交に失敗したと締め括っている。そこまで言えるかな?とても疑問だ。ネタニヤフ氏の怒りがオバマ氏に向けられたとしても、アメリカとの関係がおかしくなるとは思えない。その理由に、アメリカは旧ソ連が主で、東欧のユダヤ人の移民によって経済発展を遂げた言わば、ユダヤ人あっての今日だからとしか言えない。そのユダヤ人とのつながりをオバマ氏が切るはずも無い。が、この観方は今は通用しないのだろうか、という疑問もある。また、逆にそれを利用する手も無くは無いが、そこに手を打っているような動きはないようだ。
 和平交渉が「袋小路に陥った」というのはなんとなく分かる。オバマ氏も手がつけられないのではないかとしか思いようがないが、どちらにも着けない窮地として袋小路に入りたかったとも言える。
 さて、また今日も未消化のままになってしまった。

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2011-05-21

最悪のタイ総選挙のシナリオ

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 おーまいがー。タイのタクシン元首相の9番目の妹さんインラック・シナワトラさんは7月3日、大統領選に出馬ですと。微塵じゃなかった美人43歳。アメリカ・ケンタッキー州立大の政治学の博士号を取得した後、タイのモバイル通信大手AISと、不動産大手SCアセッツで要職を歴任したキャリアウーマンである。政治家としてはずぶの素人と言う噂が各紙で流れているようだ。この点で、極東ブログで海外紙からの抜粋を引用しているので参考になった(参照)。日本でもぼちぼち見かけるが、タイの現政権のアシビット首相の対抗馬として正式に出馬を表明したと報じた毎日記事はどうだろうか(毎日2011・5・19)。

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タイのタクシン元首相派によるバンコク都心部占拠終結から1年の19日、タクシン派の「反独裁民主戦線」(UDDいわゆる“赤シャツ”))は軍との衝突に伴う死者を追悼するため、占拠の現場となったラチャプラソン交差点で1万人を超える大規模な集会を開いた。この日は7月3日投票の総選挙へ向け、各党の比例代表選候補者の届け出開始日でもあり、当局は多数の警官を動員して不測の事態に備えた。

昨年の衝突では、日本人カメラマン、村本博之さん(当時43歳)を含む91人が死亡した。軍は兵士の発砲で死者が出たことを認めず、貢献党は軍や政府の責任追及を公約に掲げている。【バンコク西尾英之】

 私は、このところオバマさんの中東和平問題で手詰まり感があり、ちょいスルーしていたが、ちょっと面倒な展開になるかもしれないという思いがよぎり、後のための参考として備忘的に記事を拾っておくことにした。
 彼女の出現には言葉を失ったほど呆気に取られた。記事にもあるとおり、昨年、タクシン元首相の支持者らが反政府デモを起こし、当時の軍の対応に対する責任追及を公約に挙げている点が既に挑発的であることだ。これだけで、赤シャツの血が騒ぎ出すには充分であると思った。
 また、タクシン氏は汚職罪で2009年、有罪判決を受けて海外逃亡中の身であるため、身内が首相の座に就くことで恩赦や裁判のやり直しなどを目論んでいるとしか思えない。それでも大統領に選出される可能性がなければ問題にはならないと言いたいところだが、実は、可能性があるから困りもの。
 実は、支持率も問題で現職のアピシット首相とは僅差(参照)である上、タクシン氏の支持者が多いタイ東北部の支持率は、64%と与党の21%を大きく上回っている(参照)。

【タイ】タイ国立コンケン大学の東北ビジネス経済研究センターが4月28日―5月3日にタイ東北地方の20県で実施した世論調査で、タクシン元首相派の野党プアタイの支持率が63・9%と、与党・民主党の20・7%を大きく上回った。連立パートナーのプームジャイタイ党は9・1%、チャートパタナープアペンディン党は5・3%だった。回答者は2354人。

東北地方はタイの中で平均所得が最も低い一方、人口が最も多く、過去に度々、国政選挙のカギを握ってきた。タクシン政権(2001―2006年)のばらまき政策で恩恵を受け、タクシン派の最大の地盤となっている。タイの民主党連立政権は数日中に下院を解散、6、7月に総選挙が行われる見通しだが、民主党は政権の座にあった過去3年で東北地方の支持を得ることに失敗した形で、政権維持への道程は険しいものになりそうだ。

 ばらまきで恩恵を受ける話しというと、日本の自民党政権時代の地方農業になんだかその構図を重ねて見てしまうが、所得の低い高いに限らずばらまきが効果的であるのは言うまでもない。そうなら、多くの支持者から支持を得ている政党が政権をとったらよろしいというのが民主的で理想的でありそうだが、反政府が実権政党になるのは、タイの場合はマズイ。
 タイという国は軍の力がかなり強い。というよりも、軍が国を治めている。軍人が首相を務めたこともあり、国防大臣はほぼ全期が軍人である。反政府のタクシン派が政権をとれば、混乱になることは間違いない。では、落選したらよいのかも。この仮説には意味など全くない。
 今回の立候補で一番の困りものは、仮に落選しても、世論調査の通りの割合で落選すれば両政党とも過半数に満たない。つまり、連立という道しかなくなる。これは、更なる混乱になる。軍と与野党連立政権がともに上手く政治運営が出来るわけがない。国民が一番迷惑なことになると思う。

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オバマ大統領演説について雑感:中東和平交渉に関わらないオバマ氏の見据えていることとは

 オバマ大統領の演説は予定通り19日に行われ、私も予定通り遅れて目を通してみた。始めはウォール・ストリート・ジャーナルあたりなら直ぐに全文が出るだろうと思ってチェックしていたが、ホワイトハウスのホームページにそれがあるのを知った(参照)。今更だが、これは驚きだ。というか、アメリカのホワイトハウスのホームページに日本の一主婦がアクセスし、大統領の演説をテキストで読めるなんて感激する。大変身近に感じられた。
 さて、15日の「ナクバ(大惨事)」にイスラエルとパレスチナの衝突があったことに触れ(参照)、この緊張状態でのオバマ氏の演説が気になっていた。中東和平問題に触れたオバマ氏の演説は約二年ぶりというのもある。ところが、全文ともなると非常に長い、またそれに訳をつけるとなると大変時間がかかってしまう。かといって一部を抜粋して引用に使うのは物足りなさもある。いろいろ思ったが、演説のメインである中東和平問題についてのみ取り上げることにした。
 話は広範囲なものだった。ビンラディン殺害からテロの問題に始まり、中東、北アフリカの政変という問題提起からアメリカの対応を模索したという話で始まり、これらの民主化への支持と経済的な援助を約束するものであった。
 スピーチを要約すると、中東和平の諸問題として1)パレスチナ国家の国境、安全保障問題、エルサレム問題、難民問題を挙げたが、パレスチナと安全保障問題がから交渉の取り掛かりとして重要である。2)交渉は、イスラエルとパレスチナ間で行われることが望ましい。3)パレスチナ国家設立は、国連総会での承認にはよらない。4)ハマス(イスラム抵抗運動)は、パレスチナの和解にとってこれまでの立場を見直すことが必須である。このように、中立的な立場から和平の重要性を説き、交渉再開を願っていることを明らかにした。
 この演説を受けて中東の各国からコメントをBBCが伝えているが(参照)、他の記事でBBCが報じている通り、イスラエルのネタニヤフ首相はオバマ氏との会談で、1967年の国境に関する創設案には反対するコメントを出した(参照)。この地は、防衛不能で、パレスチナ側に多くのイスラエル集落が残るためだとした。これは、パレスチナ国家の非武装化の問題が根本にあり、国境問題そのものであると言ってもよいのではないだろうか。
 この1967年国境は、第三次中東戦争の和解原則を定めた決議で、イスラエルには占領地の返還を、アラブにはイスラエルとの共存を求めるものだ(決議242号)。問題は、イスラエル側が撤退すべき占領地を曖昧にしている点で、パレスチナ人に対しては難民という扱いをして民族自決権を認めていない。国際的にはこの242号が中東和平の解決への定義としている。つまり、オバマ氏が演説で説いた立場は特別新しいものでもなく、これまで国際社会が取ってきた立場をこれからも変えないということを表明したに過ぎないと思った。ただ、アメリカ国内のユダヤロビー(ユダヤ系)のイスラエル支持者から大きな反感を買うような提言であるとは思う。
 結局、和平交渉が進まなかった原因に、イスラエルとパレスチナの国家間以外に世界中に広がるユダヤ系とアラブ系が二極に分かれ、国際法と決議242号の趣旨を無視した議論しかなかったからではないかと思う。とは言え、これまでアメリカの何らかの介入があったから中東和平問題が多少なりとも進んだかに思う。第一次から始まる第三次中東戦争を経て決議242号までこぎつけたのは、その歴史からもはっきりしている。が、今回、オバマ氏はアメリカの原則的な立場は表明したが、直接的な関わりへの言及は何もしてない。つまり、「見ているから仲良くしなさい」といったスタンスだろうか。喧嘩に割って入らないということだろうか。それでどうなるかと言えば、圧倒的に強いイスラエルは妥協しないでしょうし、パレスチナは暴力に訴えるしかないという従来どおりになるしかないと、こういう結末が見えちゃうことになる。
 私としては、圧倒的に強いイスラエルが問題解決に積極的にならなければ国境問題は解決できないと思っていて、オバマ氏の演説後のネタニヤフ首相との会談は、非常に重要なポイントだと思っていた。ところが、先のBBCの報じていることによると、ネタニヤフ氏は、オバマ氏の演説から国境に関する部分を削除して欲しいと激怒したことをもらしたとある。これが本当なら、和平どころではないようだ。また、ウォール・ストリート・ジャーナルでは、オバマ氏の演説後の両極のコメントを次のように報じている(参照)。
 

 1967年の境界線に基づくパレスチナ国家の創設案はパレスチナ紛争に対するオバマ大統領の最も重要な転換とみられるが、イスラエル当局者は直ちにこれを拒否した。一方、パレスチナ指導者は、オバマ大統領がイスラエルに入植活動の凍結を呼び掛けなかったと不満を漏らしている。

 今回、話の進展がないとすると次の場面は、秋の国連総会が国際社会が議論できる場ということになるが、パレスチナ国家承認という決議案が出されれば、アメリカは在米ユダヤロビーの事もあり、もしかすると拒否権行使ともなる。すると、アラブから反発を食らってしまうことは想定内のことである。つまり、アラブからの敵対視を軽減するため、1967年国境問題をちょい出ししたとも言える。
 これから先は、オバマ氏の善意なのか偽善なのかみたいな憶測に走る危険な考察なってしまいそうなので、今日はここまで。

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2011-05-20

1号機の非常用復水器のバルブが手動で閉鎖された時のデータを読んでみた

 地震と津波の被害を受けた福島第一原発にその日何が起きたのか、各メディアを当たったが、東電が16日、公表した当日のデータに着目しているのは日本ではウォール・ストリート・ジャーナル日本版だけのようだ。
 昨日、GE製MarkⅠの欠陥が原因バルブが開かなかった可能性について触れた(参照)。これは、極東ブログの考察を読んでここに記録する程度のものだったため(参照)、後からいろいろ記事を見ていた。そして、原発と自分自身の関心についても考えることがあった。その中で、ウォール・ストリート・ジャーナルは、東電から出てきたデータを基に事実関係を時系列的に絡めて検証した結果を報じているため、具体的で分かりやすい。特に、水素爆発が未然に防げなかったのかどうかや燃料の溶融についての検証を今の時点で知ることは、今後にとっての大きな資料となることは間違いないと思っている。
 日本で原発が全て廃止されるのかどうかについて将来のことは未定だが、石炭による火力発電や風力発電などが他にも考えられている中、その選択を迫られることになると思う。既にこの夏、15%の節電を政府は言い始めている。また、エアコンの設定温度を29度などという話も出ている。すぐさま思ったのは、子どもやお年寄りのような弱者にその脅威が迫るということだ。熱中症は室内でも無自覚のうちに起こることは周知であっても、実際、体の異変に気づくのは普通の大人でも難しい。これがこの夏、弱者を直撃するのは必須だと思う。こういった心配材料は尽きないが、近い将来、必ず考え直さなければならない問題であることは確かだと思う。そのためにも、原発をどこまで信頼できるのか、人間の限界は見えているのかどうかにかなり関心がある。政府や東電は目下のところ、原発に振り回されているのが現状だという印章だが、ここは是非とも乗り越えてもらいたい。
 さて、大きな発見というほどではないが、ウォール・ストリート・ジャーナルが19日「福島第1原発、地震直後の24時間」(参照2011・5・19)で、「当初あり得ないとみられていた水準まで事態が悪化したことがわかった。」として東電の16日の資料を基に詳細を報じている。この記事から1号機の検証をピックアップしておこうと思う。
 ウォール・ストリート・ジャーナルが参照している東電の16日の資料とは、「当社福島第一原子力発電所の地震発生時におけるプラントデータに関する報告書の経済産業省原子力安全・保安院への提出について」が該当資料だと思われる。これに添付された資料がプレスリリースのPDFファイル(参照2011・5・16)にある。見ると、地震の起こる直前と直後、その後に起きた津波後までの1~3号機の炉の圧力と水位が、解説を含めて記載されている。記事の冒頭では、このデータの読みを次のように報じている。

東京電力が16日に発表した文書によると、1号機の非常用復水器は、作動していたとしてもとぎれとぎれだった。同社幹部によると、本震直後、津波が起こる前に、炉内圧力の変化を制御するために復水器のバルブが手動で閉鎖されたようだという。バルブ再開にはバッテリー電源が必要だった。しかし、非常用バッテリーが津波で損壊したためバルブは開けられなかった公算が大きい。

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 図式の示す④の概要にあるとおり(クリックで拡大画像)、グラフが上下している状態になる前に手動でバルブが閉鎖された可能性を指摘している。が、その理由はこの記事では分からない。充分ではないが、産経は次のように報じている(産経2011・5・18)。

東電によると、1号機では本震発生直後の3月11日午後2時52分ごろ、緊急時の炉心冷却に用いる非常用復水器が起動したが、約10分後に停止した。急速な温度変化による圧力容器損傷を避けるため、手動停止させた可能性がある。津波到達は午後3時半ごろだった。

 「急速な温度変化による圧力容器損傷を避けるため」が理由で手動で停止させたとある。この判断は、何が根拠だったかがとても重要だと思う。というのは、先のウォール・ストリート・ジャーナルは、バルブの閉鎖が原因で急速な燃料溶融が始まった可能性として次のように結び付けているからだ。

バルブが閉鎖されていなければ、状況は違っていたかもしれない。冷却装置がないため1号機の温度は当初想定より急速に上昇し、より深刻な打撃をより早くにもたらした。東電は今週、1号機の問題が当初考えていたよりもかなり深刻だと認めた。新たな分析によると、本震のわずか5時間後に急速な燃料溶融が始まった可能性がある。

 バルブの閉鎖は人為的に行われたため、これが原因と結びつけてしまうと人災ともなりかねない。ここが、原発に対する人の能力の限界ともなりうると思う。重要な点は現場でバルブを閉鎖すると判断したことがどのような状況で判断されたのか、それが急務であれば何かの危険を回避できたことになる。さて、それは何だろう。
 「圧力容器の損傷を避ける」という産経記事の通りに読むと、冷却用復水器の爆発という文脈になる。そうなのだろうか。冷却用の腹水器のバルブを閉めることが急激な温度変化を回避し、ひいては圧力容器の損傷を回避できたということになる。
図中の③の解説によると、地震後、「腹水器が作動したため温度が下がった」とある。その後、温度が上がったのはおそらく手動で圧力弁を閉鎖したためで、④の状態につながったと予想される。因みに、昨日エントリーで触れたバルブの欠陥の可能性は、停電後の対処として手動では開かなかったということだったため、別の議論となる。
 この時何故、手動によって復水器のバルブが閉鎖されたのか、その判断が何によるものだったのかがいまひとつ釈然としない。ウォール・ストリート・ジャーナルの検証が正しいとしても、手動でバルブを閉鎖したことが次の惨事を回避するためだとしたら、それは判断ミスなのかとも思われる。が、炉の破損を回避したことにはならないのだろうか。

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2011-05-19

1号機のベントは標準的な手順として行うべきだった

 昨日、Twitterの原発関連のクリップ記事で気になることがいくつかあった。情報の信憑性もさることながら、現時点での個人的な推測もどうかという思いがあり、書くのを躊躇っていた。
 先ほど極東ブログで正にその件で考察された「GE製MarkⅠはそもそも欠陥だったのかもしれない」(参照)が挙がり、考えていた道筋は違うものの事故後のそれぞれの進み具合が何故違うのか、また、何故ベントが人為的に操作できなかったのかという点がかなりすっきり見えてきた。そう言ってよいのだと、なんだか噛み締めるような思いだ。ただ、自分なりに考えて来た点と、おそらく今後も2、3号機の変異が1号機のそれと何らかの形で関係してくるのではないかと言う思いもあるので記録的に書いておきたい。
 1、2、3号機の燃料棒はそれぞれ、70%、30%、25%と破損していることは東電の発表にあった通りとすると、1号機は燃料が全てメルトダウン(溶融)してしまった状態になっているため、再臨界の可能性はないとされている。であれば、2、3号機の燃料の残量から見て、仮に冷却が上手く行かず制御不能のような状態にでもなれば水素爆発の危険性などを思っていた。ところが、昨日、その3号機が別の意味で深刻な状態であることを知った(参照)。
 始めは3号機も、1号機の辿った道を同じように辿るのだろうと思っていたため、半信半疑な部分もあった。TBSの画像ニュースだったため、既にそのページは存在しないが、ニコニコ動画に誰かがコピーをアップしてくれていた。以下は、Cashから読んだ内容だ。

1号機よりも、さらに事態が深刻であることが明らかになりました。
福島第一原発の3号機は、炉心の温度がたびたび上昇するなど
不安定な状況が続いていますが、1号機と同様、燃料が溶け落ちたうえ、
原子炉に注いだ水が十分燃料に届いていないとみられることが、政府関係者への取材で分かりました。

原子炉には「シュラウド」と呼ばれる壁と圧力容器との隙間を
通して水が注がれていますが、底に固まっている燃料に
十分に水が届いていない可能性が高いことが分かりました。

専門家は、この状態が続いた場合、燃料が発する高熱によって、
圧力容器の底が抜ける可能性がある「深刻な事態だ」と指摘しています。
東京電力では当面、3号機への注水量を増やして監視を続ける方針です。

Screenclip

 この「シュラウド」が曲者らしい。が、冷却水を注いでも一時的に下がるだけで、シュラウドに詰まった破損燃料でそれ以上水が注入でいないということは、冷却のコントロールをどうするかという新たな問題が発生したということだ。
 そして、極東ブログで記事比較に引用されているウォール・ストリート・ジャーナル(参照)とニューヨークタイムズ(参照)の両紙も同様にTwitterでクリップした。この時点で私は、記事比較にまで至らず、前者のウォール・ストリート・ジャーナルだけで実はため息が出てしまった。原発事故の直後から事細かにドキュメンタリーのように書いているため、その描写が当時読んでいた記事と重なってしまい、酷く感傷的になってしまった。この件はさておき、人為的にベント(圧力を抜く)が間に合っていたらあれほどの爆発は起こらなかったのではないかと何度も悔やまれただけに、このベントが、実は、もしかしたらGE製MarkⅡの欠陥品ではないかというニューヨークタイムズの記事を疑いたくなった。これは、原発に反対するアメリカ下院議員が喜びそうな記事であるし、同紙が煽っているのではないかとか・・・、その可能性も充分あるとは思う。だからとうか、それが理由で書き控えたというのも理由だった。
 ベント出来なかった辺りの現場の騒然とした状態や、原発所長と東電社長の機微も伝わってきたが、トップ同士が何故ぶつかるかというか、それどころではなかったのではないだろうか。現に、緊急時にベントするというのは標準的なマニュアルだと後で知ったが、あの時、ベントすることを決断していれば、その弁が開いたか開かなかったかというが判明したはずだ。それが現実に起こっていれば、別に議論されていただろうと思う。ここで、欠陥の「疑惑」で持ち上がる問題ではなった可能性もあったといえると思う。
 全ては過ぎ去ったことで、結果から推測する作業が今始まったのだとやっと思えた。

追記:書き忘れたが、3号機の今後の点でベントの必要性が出た場合、ベントできるかどうかテストすることもできるかも知れないと当初思ったが、既に人為的には試した結果、開かなかったという報告が記載されている通り、欠陥品であると言い切ってもよさそうだ。仮にその必要性がでた場合、おそらく1号機でできなかった理由と同様、人が近づけるような状態ではないだろうと思う。

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ルワンダ大虐殺で軍幹部に禁錮30年の実刑判決から思うこと

 1994年、ルワンダの内乱でわずか3ヶ月間に80万人が虐殺されたと言われている。こういった歴史上の悲惨な体験を抱えながらも現在、カガメ大統領の下でルワンダは経済成長を遂げている。国際社会が虐殺を首謀したとするカガメ氏の罪を問うている中、昨年、8月に国民の90%以上からの支持を得て大統領に再選された。この数字に私がどう反応したかは「極東ブログ「2010年8月のルワンダ大統領選について」―「正義」との相殺を求めるべきか」(参照)でも触れた通り、異常な数字だと思った。よほどの人徳ある人物か、独裁的な政治基盤に国民がすっかり納得した国であるか、選挙に不正があったかのいずれかの理由でも存在しない限り、このような選挙結果は出ないと思ったものである。
 そして、国民の不満があるならば、いつかその数字の示す勢いが噴出するのではないかと思っていた。また、国際社会が「正義」をもってそれを正そうとすることが今のルワンダにとってどうなのか、正しさは必ずしも多くの人の幸せだとは言い切れないのではないか、など考え込んでしまった記憶がある。と言うよりも、答えが出せないだけに、事あるごとに「正義」と自分自身の正しさが下りてきて悩む。正しい自分が間違っているかもしれない、そう思って不安定(自分に自信がない)であることの方が正常ではないかと思うようになったきっかけは、「2010年8月のルワンダ大統領選挙について」(参照)の記事に触れてからだった。
 ルワンダ大虐殺を受けて国連が設置したルワンダ国際犯罪法廷(International Criminal Court for Rwanda、ICTR)は17日、元ルワンダ軍大将、アウグスティン・ビジムング(Augustin Bizimungu)被告に、禁錮30年の実刑判決を言い渡したと報じた記事を目にした(参照)。虐殺については、現在も裁判は進められ、けじめをつけることの意味もあるが、国際犯罪法廷で裁かれる被告の数は知れている。また、それで済むはずもないと思っていたところ、記事の最後に「ガチャチャ裁判」と、耳慣れないことが書いてある。

 ルワンダ国際犯罪法廷は、大虐殺において重大な責任を有する者を訴追するため、国連が1994年に設置。タンザニア・アルーシャ(Arusha)に置かれている。

 虐殺に関与したとされる政府の上層部以外や一般市民は、ルワンダにおいて、通常の裁判制度やガチャチャと呼ばれる草の根レベルの裁判制度で裁かれている。

 ガチャチャ裁判は、村のもめ事を解決するための村人たちの集会が発展したもの。被告に弁護士がつかないことなどから人権団体から批判を浴びているが、ルワンダ政府当局によると、虐殺への関与の罪で100万人を超える被告人の裁判を行えるようになった。(c)AFP

 このような草の根レベルの裁判が行われているというのは知らなかった。調べてみると、AMNESTY INTERNATIONALで、次のように説明されている(参照)。

 2002年6月、ルワンダ政府によって「ガチャチャ」という裁判制度が設置されました。1994年のジェノサイド(大量虐殺)について未処理の件数が多いため、地域共同体でジェノサイドの容疑者を裁くことを目的としています。「ガチャチャ」の由来は、もともと地域にあった、家族内や世帯間のもめごとを解決するための慣習的な集会をさしていますが、新しい「ガチャチャ」は、より西欧に近い司法制度となっています。ルワンダ最高裁と司法省が管轄し、その裁判官は、もっとも重い判決で終身刑をいいわたすことができます。

 「ガチャチャ」の構成員は、住民の投票によって選ばれます。2002年10月には約26万人の素人裁判官が選出され、法律、裁判官としての倫理、心的外傷カウンセリングなど数日間の基本研修を受けました。

 しかし、「ガチャチャ」裁判は思うように進んでいないのが現状です。全国に8140か所に設置されるガチャチャ裁判は、2005年まで延期になりました。2002年に試験的プロジェクトとして746か所に設置された裁判の実施も遅れています。

 また、この裁判の実態、運用や問題点について、ジェトロ・アジア経済研究所の竹内進一氏のレポートには詳しい考察がある(参照)。参考までに。
 虐殺罪容疑者についての裁判は、国際社会がルワンダの虐殺を問うルワンダ国際法廷とルワンダ国内の通常の司法手続き、ガチャチャ裁判で行われているということを知り、虐殺の事実がうやむやになっていないだけでも評価できると思った。
 ルワンダの虐殺と一緒にしているわけではないが、原発事故による避難命令が出た今、気になっていることがある。
 福島県の一部の住民が避難命令に応じられないことに政府が困っていると報じる記事で、政府の「正義」と住民の「正義」がぶつかってどちらも譲らない光景が浮かんだ(参照)。この場合の「正義」に関してだが、原発事故を起こした東電(政府)が元々悪いという前提を立てると、住民の言い分は正しいとも言えるのではないだろうか。また、生命の危険からの回避という点では、避難を呼びかける側の行いは正しい。「正義」の文脈では、両方ともそれぞれの正義を以って相手の正義を譲れないとなる。どちらも正しいではないかと傍観者も思うと仮定すると、では何を基準に採決したらよいのだろうかという疑問がわく。人の命を基準に東電の言い分が正しいと言えるだろうか。命は、個人の自由意志で失うことを決めてもよいのだろうか。いや、それはまずい、守られるべきだと言うのであれば、先のルワンダの虐殺首謀者達は全員罰するべきだとなる。命は守られなければならないのであれば、福島の住民の話など聞いてる場合ではなく、強引に避難させるべきではないのか。
 このように、「正義」を正しさの尺度に当てはめると、どれも正しさとして尊重されなくてはならなくなる。また、大きな力のようなエネルギーを感じるが、「正義」を正すと悪者を必ず対極につくることになり、そこに不公平感を生み出して憎しみを持つ者をさらに増やすことになった時、大きなエネルギーとしてここで転化することになる。この繰り返しはずっとやってきたのじゃなかったかな。それでも、正しさを求め、「正義」を問うことをやめない今、公平さとは何か?と、また繰り返し考え始めてしまう。

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2011-05-18

中東和平問題:ユダヤ人国家を目指すイスラエルと難民問題

 エジプトのムバラク前大統領が退陣して3ヶ月になるが、親米穏健派で、イスラエルと中東アラブ諸国の橋渡し的な存在としての役割が大きかったと思っていただけに、イスラエルの外交戦略がどう変化するかなどに関心を寄せていた。
 イスラエルやパレスチナの記事に気を置いていたということもあり、5月15日が「ナクバ」ということもあっただけに、ヨルダン川西岸、ガザ地区やゴラン高原などの各地でパレスチナ人による帰還を求める抗議行動が起きたのは意外ではなかった。今後の中東和平交渉がどう展開するか、また、その通過点と見なすのか、現況を備忘的にクリップしておくことにした。
 各紙、この日のデモ隊の動きなどを伝えているが、全体的な把握をしている毎日記事をクリップした。(毎日2011・5・16)。

デモ隊の一部がイスラエル側へ越境または接近しようとしたところ、イスラエル軍が発砲、計8人が死亡し、多数が負傷した。AP通信が報じた。
またイスラエル・メディアによると、レバノン国境付近でもデモがあり、レバノン軍の発砲で4人が死亡。一方、ロイター通信は、イスラエル軍の攻撃で少なくとも10人が死亡したと伝えている。
イスラエルが占領するシリア領ゴラン高原のマジダルシャムスへは、シリア側からパレスチナ難民とみられるデモ隊の数十人が進入、境界付近でイスラエル軍が発砲し、6人が死亡した。ガザ地区でもデモ隊が境界に近づき、2人が殺された。
レバノン南部マルンアラスでは、デモ隊が国境フェンスを壊そうとしたため、レバノン軍が発砲し、4人が殺された。自治区ヨルダン川西岸ラマラでも大規模デモがあった。

 まず、この15日の「ナクバ」だが、多くのアラブ人やパレスチナ人がイスラエルを追われて難民となった1948年5月15日をパレスチナの破局と意味付け し、この日をそう呼んで記念日にしている。ムバラクが解任後間もないという点と、この「ナクバ」が重なったことが私が注視すべき日かとマークしていた理由 だ。
 デモ隊に対するイスラエルの攻撃は、威嚇するという話しではなく、デモ隊に一方的に発砲したような状況かと読み取れる。
 AFPは、レバノン、シリア、イスラエル政府のコメントを次のように報じている(参照)。

レバノン国営通信NNAによると、シリア政府は、流血の事態に対する「犯罪」行為については全面的にイスラエルに責任があると、イスラエルを非難する声明を発表した。また、レバノン政府も「ユダヤ人国家による侵略と挑発を阻止するため」との理由で、国連(UN)に苦情申し立てを行った。

これに対し、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)首相は、テレビ演説のなかで、「彼らの闘争は1967年に画定した国境をめぐるものではない。彼らが絶対に解決せねばならない大惨事と呼ぶものは、イスラエルの存在そのものを問題視することにほかならない」と述べ、「破壊を企てる者から、断固として国境と主権を守る」と言明した。

 国境付近のイスラエルのピリピリした警戒が物語っているが、イスラエルが実効支配し、シリアが返還を求めているゴラン高原で過去にもこうした衝突が起きていたのか検索してみたが、ヒットしなかった。報じられている通り、これは異例の事態なのかもしれない。
 同記事では、パレスチナ・イスラエル問題を次のように解説している。

1948年のイスラエル建国では、76万人を超えるパレスチナ人が、住む地を追われた難民となった。こうしたパレスチナ人を祖先とするパレスチナ難民の数は現在480万人に上るとみられ、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の推計では、ガザ地区に約100万人、ヨルダン川西岸(West Bank)に約75万人、ヨルダンに約200万人、シリアに約47万5000人、レバノンに約40万人が存在する。(c)AFP/Jack Guez

 イスラエル軍が第一次中東戦争で勝利した時点で難民となったパレスチナ人が、中東の各国に散らばって子孫を増やしてきた分、追われたイスラエルへの訴えが潜伏する数と等しいと見てよいのだと思う。この勢いをムバラク一人がバランスを取ってきた功績は大きいと思う。エジプトにとっては独裁者であっても、中東和平問題を重く見ているアメリカにとっては大きな要であったことは確かだと思う。
 また、中東和平交渉は、イスラエル側の入植問題によって昨年9月から途絶えているが、同時に、難民帰還問題も大きな問題だ。ただ、現実問題として、ユダヤ人国家を目指すイスラエルが多くの難民を受け入れるとは考えられず、解決の道は見込めないのではないかと思う。
 ところで、関連記事を見ているうちにこのアメリカにもちょっと災難続きな話しがあった。中東和平担当特使ジョージ・ミッチェル氏が20日付で辞任すると発表したそうだ(参照)。

 ミッチェル氏は辞表で「2年間の約束で職務を引き受けた」と“任期満了”を理由としているが、オバマ大統領の中東政策演説やイスラエルのネタニヤフ首相の訪米を直前に控えたタイミングでの辞任は臆測を呼びそうだ。
  一部の米メディアは、ミッチェル氏が「シャトル外交に疲れた」と周囲に漏らしていたと伝えており、進展の可能性が見えない中東和平交渉に徒労感を強めていたとの見方が支配的だ。

 この「シャトル外交」とは、言葉通り、行ったり来たりしながら外交問題に当たっていたという意味だが、オバマ大統領のイスラエル訪問直前のタイミングであるたけだけに何を意味するか、憶測を交えて次のように報じている。

 オバマ大統領は中東に関する重要日程が立て込んでおり、19日には米国の包括的な中東政策に関して演説を行い、直前の17日にヨルダンのアブドラ国王、直後の20日にはイスラエルのネタニヤフ首相と会談する。いずれもミッチェル氏が中東和平で交渉を重ねてきた当事者で、唐突な辞任表明との印象はぬぐえない。
 3月まで広報担当の国務次官補を務めたクローリー氏は13日、辞任は「和平交渉に前進の見込みがないことの表れ」と短文投稿サイト「ツイッター」につづり、米国が9月までに実現を目指す和平交渉の「枠組み合意」も「年内は不可能」との見通しを示した。
中東和平交渉はオバマ政権の仲介で昨年9月にイスラエルとパレスチナの直接交渉再開にこぎ着けたが、イスラエルの入植活動をめぐって中断し、再開の見通しは立っていない。

 え、こんな国家の大切なことを広報担当官としてTwitterで拡散ですかっ。びっくりだけど、今や、Twitterを侮るなかれな時代になってきたと言うかだ。釣られるままに私がTwitterユーザーとなったのは2007年で、当時は、ブログから抜け出て個人的な日常会話を楽しむみたいな空気だったため、私は古株。それだけにこのようなことに驚くというドン臭い認識なのだろうと思う。
 それにしても、外交官のお仕事と言うのは、所詮はシャトル労働が前提だと思う。それだけに、これは、交渉に前進の見込みがないことへの問責逃れの口実ではないかと私も思う。それにしても、この退任が、オバマさんの19日の演説前でよかったのではないかとも言える。演説に気を置くことにする。

【参考】

 エントリーを書いた後、イスラエルの和平交渉に関するこれまでの取り組みなど調べているうちに、極東ブログ「イスラエル・シリア平和交渉についての日本版Newsweekの変な記事」(参照)で、アメリカをないがしろにイスラエルが単独でシリアと和平交渉に取り掛かると言うような趣旨の話しが2008年6月に持ち上がっていたことを知った。当時のことが詳しく考察されていて興味深い。リンク先を追記。

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2011-05-17

米大使館公電のウィキーリークス情報に触れてみて

 世間で何が起こっているのか、メディアを通して社会を垣間見ていると、不安材料ばかりに見えてくる。逆に、日常に不安材料があると問われれば、見つけにくい。日常では見えないことや気づかないことに関心を寄せ、根底から考えてみたいと思っても、提供されている情報の信憑性から問うことを始めないと正確さが問われる。この繰り返しを随分長く見てきたが、最近のウィキーリークスからの政治の眺めは見通しが良かったかと思う。
 仮に私がこの先30年生きたとして、今、不安に思っている社会が変わるかどうかは考えてもどうというものでもない。と、一生懸命不安を抱く心を宥めるのだが、対極で、それは気休めというものだよ、と正気を戻そうとする声が聞こえる。こんな葛藤のようなものを心の中に自覚していることが頭から離れず、このところしつこく付きまとっている。睡眠から目が覚めたというよりも、寝ていたという感覚がなく、頭の芯が冴えている状態が続いたままである。眠れないとも違う。悩むほどではないが、これは社会不安を抱えた一種の緊張状態なのかもしれない、と自己診断している。そして、この自己診断も、先ほど寝ながら考えていたことだ。
 2002年頃に読んだ何かの本に書いてあったことを思い出し、現実に絡めてその本の嘘っぽい部分に落胆した自分がいる。その気持ちのやり場のなさや、はけ口はないものかと探していた。その本は、誰が書いた何という本だったか調べようと思っていたのは確かで、読んだのも本当の話。ただ、当時、経験した通りの衝撃のような感覚的なものが今の自分とすっかり重なっているというだけで、社会不安が同質というわけでもない。なんだか雲を掴むような話しだな。
 3月11日の地震と津波による直接的な被害はなかった私だが、相当なショックではあった。傍観しているからだろうか、物理的な被災がないからだろうか、東電や政府の対応に目が行く。客観視に拘り、できる限り私情を交えなで物事を捉えようとどこかに緊張がある。それが2ヶ月続いてきた。その疲れといえばそうかもしれないが、では、見なければ休めるのかというとそうでもない。政府に対する憤りなのだと思うが、この政府には、特別の思いがあるが、それをどう論じても解決の糸口はない。結局、封じ込めなくてはいられないものと、諦めるしか自分の中で決着がつかないのである。欲しいものが買えない時の諦めとはわけが違う。
 このところのウィキーリークスで日本政府の暴露情報を知った。これは何だろう、私にしたら、昭和時代の会社のお偉いさんと同じである。大方、東電もそんなものではないかと思ったりもする。結局、社会構造など何も変わっていないという落胆も味わった。初めて触れて驚いたというものではない。娘時代は、社会の薄汚い一部として受け止めるには私はあまりにも若過ぎたため、当時受け止められないまま今に至っていると言った方がよいかもしれない。言い訳でも自己弁護をするわけでもないが、私はその薄汚さを受け止めるにはあまりにも若くて純粋過ぎた。日本をリードする会社のトップクラスが私利私欲の塊で、その周辺にイソギンチャクの足のような触手をひらひらさせて取り巻きがいる。昔で言う「かばん持ち」や「風呂屋の三助」の体だ。おこぼれ頂戴でも良い。その一味に加われなかった私は脱落者であり、幸せ者であったと誇りに思うことが慰めであった。あれから何十年も経っているというのに、変わっていないんだな、何も。考えてみれば、今の政治家達は私が脱落した当時のイソギンチャク達である。世の中の酸いも甘いも知り尽くして今がある。先人からそれをを引き継いで今を生きている人達である。ここで二度落胆することもないか、自分頑張れとは言えないが、社会不安がどこから来ているのか少し分かってきた気がする。
 どうでもいいようなことを長々書いてしまったが、これは一種のガス抜き。
 政治家にその実力がないのは今に始まったことではない。実力のある人は一緒に腐るか、腐るのがいやなら離れるしかない。ある種の権力に立ち向かっても無力感しか残らないのは、今になっても同じだったと思うより他ない。
 公電の扱いについて私なりに、何をどう捉えるかについてのみ今まで書いてきた。朝日が日本のリーク先としてウィキーリークスから選ばれたのは何故か知らないが、読み応えの程はさほどない。取り上げる意図というか、新聞社ならリークに道筋をつけて読ませる意図というものがあるのが普通だろ、とか思うが、朝日からは感じられない。かといって数あるリーク情報から無作為に引っこ抜いた訳でもないだろうに、と物足りなさを感じていた。そして、極東ブログで取り上げたのは、全てニューヨークタイムズがセレクトした7件からで、意図的に「資料」としてエントリーが挙がっていた。私はその情報を拾いながら、朝日を読むでもなく他のブログの解説も読むこともなく、自分よがりの読みをここで書いてきた。これはこれで楽しかったものの、朝日にはかなりがっかりなものを感じた。その理由もなんとなく分かっていた。朝日の訳も最初だけ少し読んだが、原文から文章を消して(なかったことにして)公表された事を知った以降、読む気が失せた。なので、私が読んだのは、原文に忠実に訳をつけてエントリーを挙げてくれた極東ブログであった。
 昨日の極東ブログ「ニューヨークタイムズに掲載されたウィキリークス日本発公電について」(参照)に、訳者としてのfinalvent氏のこれまでの配慮や、リーク情報を扱うメディアについての私見が述べられていている。これまでどのような思いがあったかをここで初めて知り、情報提供の難しさや醍醐味、真髄がそこにあったことを嬉しく思った。ブログの時代はもう終わっていると言われだしてから久しいが、メディアのリーダーがあの体をなしているのであれば、ブログの存在価値は言うまでもなく意義のあることだ。
 また、当初、私が文書の隠蔽紛いでつまらないと放り出した朝日も、可視化されないことでその裏側を別の意味で読み取る面白さがあることに気づかされた。

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2011-05-16

ウィキーリークス2010年3月18日よる被災国日本の支援に向けた公電

 アメリカの公電の役割が少し分かってきた気がしたとこれまで思ってきた中、今回の内容は今までとは少し違う趣を感じた。公電の定義があるのかどうかは知らないが、在日アメリカ大使館からの情報は、アメリカ政府の対日外交の助けとなる役割は大きいと解釈している。
 昨日、3月18日、ウィキーリークスで明らかにされたアメリカの公電に極東ブログで訳がついた(参照)。内容は、3月11日、日本に起きた地震と津波後の一週間から日本の様子を伝えるものだが、その視点は、支援ということに尽きるような気がする。公電から米政府の意図することを推測するのは難しいし、所詮は私の憶測で終わるが、実際、米政府の支援活動を拾い出してみると、公電の役割や米政府への理解度が自分の中で進んだ。これは、今までフォローしてきた公電についても同じことが言える。
 今回の公電のタイトルは、「CRITICAL INFRASTRUCTURE AND EMERGENCY RESPONSE IN JAPAN(日本の重要な社会基盤と危機対処)」とあるとおり、被災後のアメリカの対応や支援を検討するための基本情報になった文書ではないかと思った。全体から受けた印象は、インフラ整備に始まって仔細に渡る考察のきめ細かさだ。これを嬉しく思ったと同時に、アメリカの支援活動が思い出され、その背景にこのような文書での情報交換があったことを知り、アメリカに対する認識が広がった。基本的には日本とは同盟国という、いわば契約の上で成り立っているが、これまでの信頼関係なくして今回のような支援はあり得ないことではないかと思った。具体的には、「多国から多くの支援を受けている日本」(参照)でも書いたことだが、「トモダチ作戦」を被災地で展開してくれたことはニュースでも報じていた。アメリカの軍用ヘリコプターに沢山の支援物資を積み、独自でリクルートしながら孤立しているような小さな避難場所に生活必需品や水、食料などを手渡しリレーしてる光景が思い出された。それに感謝する住民の姿を見て、熱い思いがこみ上げ、「トモダチ作戦」にはじんときた。
 さて、この公電は、このように始まっている。

2. (SBU) Japan and the U.S. are the world's two largest economies, closely linked to each other and to other major world economies. A catastrophic event or major infrastructure failure in Japan, therefore, would negatively affect the U.S., the rest of Asia, and the global economy as well.
「主要な世界経済と密接に結び付きつつ、日本と米国は互いに世界の経済の二大大国となっている。従って、日本の大惨事や社会基盤の大規模機能停止は、米国、アジア諸国、さらには世界経済に悪影響を与える。」

 これを書く視点は、アメリカの世界に対する使命感とでも言うべきだろうか、アメリカの日本の観方が窺える部分だ。また、被災した日本の立ち直りを支援する米国の意義であり、ダメージが世界に与える影響という観点からアメリカの日本支援の基本敵な考え方があると理解した。読み進めると、その徹底ぶりは随所に見られたが、それらは「要約」に記されている。

要約:日本では、重要な社会基盤と各種制度が、さまざまな自然災害や歴史課題に直面してきた。そのためこの国は、地震などの既知の脅威に対応する準備と能力を発展させてきたし、災害に国民が対応する能力を高めるために情報を共有する意志を積み重ねてきた。しかし、官僚制の縦割り主義と事なかれ主義によって次第に日本は、感染症の大流行といった対応が手薄になり、脅威に弱くなってきているようだ

世界第二位の経済力や日米経済統合を考慮すれば、日本で発生しうる大惨事の顛末は重篤になる。重要な社会構造とその保護という課題で二国間交流を活発にすることや、重要な社会構造と危機対応への作業全般に日本を加えることは有益だろう。以上、要約。

 「要約」の「官僚制の縦割り主義と事なかれ主義によって次第に日本は、感染症の大流行といった対応が手薄になり、脅威に弱くなってきているようだ。」の記述部分に気持ちが反応した私だが、同時にいろいろな場面や思いが重なり、客観的に書くのも難しいと感じている。それは、風評が経っているとおり、日本がアメリカの支援に抱く「GHQに占領された戦後の日本そのものである」という観方があったり、強引なやり方だというような反発的な他人の感情に私自身の気持ちも揺らいでしまうからだろうか。これは、ブログに書くことへの躊躇かもしれない。が、私自身の認識の薄さとして、世界が日本の被災にどれ程の危機感を持って見ているかや、それは、かなり大きなものとして世界は日本を捉えているのだということがこの公電から気づかされた。自分の国のことを一番知らないからかもしれない。このギャップが大きければ大きいほど、また、見る観点が違えば違うほど米政府の日本への関わりをどう捉えるかも違ってくると思った。中には支援という違和感であったり、米政府の腹を探ったり、何かを勘ぐることだったり方向へ行ってしまうのだろうと思った。理解するということは難しいことだと改めて痛感した。
 ほんの一例だが、空港整備の必要性について、米政府の支援が世界観に立ってのことだと感じ取れた部分だ。

日米間を結ぶ物流は、双方のみならず全世界にとっても決定的な意味を持つ。2006年の日米貿易総額は2077億米ドルとなった。平均すると、5億6900万米国ドルの商品が毎日日本の空港・港湾を通過している。
米国便のある日本の大規模空港には、成田(東京横浜)、関西(大阪神戸)、および中部(名古屋)がある。これらは日米間の旅行客が利用するだけではなく、太平洋横断の旅行客にも重要な中継点となっている。米国への旅客便では、1日あたり50便と1万3000人の乗客が成田から米国に到着し、これはロンドンヒースロー空港に次ぐ。従って、これらの日本の空港が使用不能となれば、米国とアジアとって深刻な事態となる。

 今回の地震と津波を一挙に受けてしまったのは仙台空港だったのは記憶に新しいと思うが、人が暮す場所の復旧のめども立たない時点で、アメリカの空軍が仙台空港の復旧に着眼し、実行に移した点などから(参照)、大使館の見方と並行した支援策であったように感じた。
 また、つい昨日Twitterで「GHQ彷彿させる官邸へ派遣の米国人 菅総理に代わり決裁権」(参照)という記事を拾った。これは、5月9日付けの記事で、次のように始まっている。

焼け野原からの戦後復興に大震災の復興計画を重ね合わせる菅直人・首相は、屈辱の歴史までも真似ようとするのか。GHQ(連合国軍総司令部)に主権を奪われ、自主憲法さえ作れなかったあの時代は、この国の在り方に大きな禍根を残している。だが、菅政権はこの震災対応の中、国の主権を米国に売り払うことで、自らの権力を守り切ろうとしている――。

 外国の政府関係者を官邸に入れてその指示を受けるなど、国家の主権を放棄したも同然であり、GHQ占領下と変わらない。

 菅首相に代わってアメリカが派遣した人物が決裁権を握っていると書かれているが、それが本当だとしても、これがGHQ占領下の日本政府と比較できることとも思わない。ただ、このような思い方は、戦争というものの残した傷でもあると思うし、そう思う人を否定するわけではない。実際、支援あっての日本の今の姿かと思われる点は評価に値する。ただ、政府がアメリカのこういった支援を「干渉(または、権力を侵害)されている」と受け止めているのかどうかが日本の市民は理解できていないのは確かだと思う。こういった疑念のようなものが湧いてきている原因に、政府が他国との連携をしているのかしていないのかさえも公表しない点にあるとは思う。原発への対応も、明らかにこれはアメリカ政府の助言で動いたのではないかという時、一切その経緯は明らかにされていない。これは私が気づかなかっただけだろうか。原発をそれなりに追ってここに書いては来ているものの、常にその疑問があった。
 一度だけ心底ほっと安堵したときがあった。それは、アメリカの原子力規制委員会(NRC)が、事故の現状を独自に分析し、結果を出したとNHKが報じていた時で、同時に東電の見解が一致していたときだった(参照)。ちょっと情けない話でもある。
 公電の最後に、次のようなコメントが記されている。

意見。高度な技術と産業・民間へのその活用は日本の経済成長の重要な要素であったし、米国主要企業やその他の企業にも当たり前であった。日本産業からの提供が途絶えると深刻な事態になる。同様に、国際的金融制度と通信・交通の中継基地としての日本の役割は衝撃にもなりうるし、日本の諸活動停止がすれば、米国やその他の同盟国に深刻な影響を与える深刻な事態となる。参考資料で示した努力を米国が推進する際、発生しうる混乱を予防するため、さらに発生後の悪化状況緩和のための議論に向けて、日本に手をさしのべるよう配慮することが有益であろう。意見終わり。シーファー記す。

 二次災害に及んで考察された部分だと感じたが、日本の東北地方には沢山の機械部品生産工場があり、ニュースでも報じていたようにかなり被災した。その影響は約10日後、信州の精密業へもあったし、トヨタの米工場が生産中止に追い込まれたのも事実だ。これらの影響を少しでも軽減しようという思いがこの公電から伝わってきた。
 後からこのリーク情報で知るよりも先に、日本の政府が担当者と関わる中で知っていたのなら、その感謝の意を表明してもらいたかった。アメリカの支援を変な誤解で終わらせたくないという気持ちが残った。

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2011-05-15

ウィキーリークスで2010年2月2月4日の公電による日米防衛に関する実務者会議の様子

 引き続きウィキーリークスで明かされた2010年2月4日、日米実務者レベルの会議内容についての公電の訳が極東ブログで挙がった(参照)。
 今回の話し合いの焦点は、「日米安保条約50周年記念構想、4年毎国防計画見直し(QDR)及び核戦略見直し(NPR)、思いやり予算などの接受国支援(HNS)、米軍再編/普天間移設施設、二国新間交流及び次期主力戦闘機導入計画」とはっきりしていて、ざっと読んだところ無駄のない実りある内容だと思った。
 会議での日本の官僚は、アメリカの提案を国民に説明する責任を踏まえて話を進めていて、危なげない印象を受けた。それより気になったのは、アメリカ側の方が日本の国民感情に警戒心を強めている嫌いがあり、これは、一重に政府の問題なのだと思った。そして、この点に一番違和感があり、私自身、当時書いたことを再読してみたり、遡って新聞を読んでみたりした。実務的な話しがかなりすっきり進んでいるのとは裏腹に、国民の苛立ちや怒りの矛先は辺野古移設を懸念して嘉手納統合に拘る岡田外相バッシングといったムードだった。鳩山氏の「県外移設」に希望的観測を持つ沖縄県民や、県外移設に賛成的な人達の不安を煽ったことも相俟ったのかもしれない。やつれた岡田氏の写真も見たが、頬はコケて目の周りにクマを作り、げんなり顔になっていた。
 また、新政権の閣僚は、政権交代前の自民党と官僚の癒着体質を批判してきた立場であったため、政府高官とはけん制し合ったり腹の探り合いから始まっていたのは然りだと思う。その流れから、日米同盟問題の要とも言うべき抑止や核問題を理解しない新政府が、ここ一番でつんぼ桟敷の目に合い、重要課題は全て実務者である外務省と防衛省の官僚が話を進めていたのだと納得した。まあ、その皺寄せと言っては何だが、国民と政府の間でクッションのような位置にあった岡田氏は、衝撃を吸収するような軟質のクッションではなく、かといって跳ね返すのとも違う低反発な吸収型スポンジであったかもしれない。一人でよく頑張りましたね、と声をかけたくなったほどだ。
 さてと、一番言いたいことを言ってしまうと書く気力も抜けた感じがするが、そうも言っていられない。一連のリーク情報によって、今後アメリカとどう向き合うかがすっきり見えてきた気がする。これからは政治家を信じるとか政治家に任せると逃げずに、アメリカとどう付き合って行くのかを自分の問題にしたいと思った。その点に絞って拾ってみることにしょうと思う。

 キャンベル国務次官補は、普天間移設施設(FRF)が絡む同盟の変更期間にあっては、接受国支援問題は政治的に慎重にするように指摘した。

 「接受国支援」とは、それまで「思いやり予算」と呼ばれてきた在日米駐留関係支援金で、呼称の変更は、前原氏が外相の英語の直訳的な呼び方が相応しいという意見で変更された。これを対象国のアメリカの高官から指摘されたというのは、日本の国民性をよく分かっているということだろうか。アメリカに守ってもらうために日本に基地を置いてもらっている、という言い方をすれば良いのだろうか、表現に困るところだ。何故かと言うと、基地の存在自体に反対する日本人がいる中、抑止自体を考え直さなければこの予算に理解が得られないという難問だからだ。ひいては、防衛問題だからだ。基地に反対するということは、抑止を無用とすることだとすれば、防衛は自国でやります、とそこからどうするか議論しなければならなくなる深い問題だと思う。

在日米軍再編についてだが、米国政府との相談前に普天間移設施設の各種代替案を日本国民に伝えるのは差し控えるよう、キャンベル国務次官補は日本側に勧めた。グレグソン米国防次官補は、普天間移設施設の決定を政治問題にすることで、特に岩国基地などその他の再編計画に悪影響を及ぼしていると懸念を表した。

 政治家がダメなことを熟知した上での発言だったと思う。ただでさえ鳩山案あり、岡田案あり、小沢案ありと、先方にはこの会談前に各氏の腹のうちがその側近からインフォームされているため、既に学習済みであったのだと思う。因みに、鳩山氏の側近は松野氏(参照)、小沢氏は山岡氏(参照)、岡田氏は側近ではなく外務省官僚斎木氏が絶賛したが、政府内では経験の浅い閣僚と見なされていた(参照)。皆さん、自分の尊敬する師匠のためにアメリカに取り入ろうと苦労されたようだが、アメリカも自国の利益になる部分を聞き分けていたと思われる。上手がいるものだ。

4年毎国防計画見直しと大陸弾道ミサイル防衛見直し
グレグソン米国防次官補は、米国が東北アジアで米軍力を削減するのではなく、むしろ太平洋全域で既存同盟国の軍事力を拡張しているのだと強調した。米国はグアムとアジア周辺の日本自衛隊(JSDF)の軍事力と作戦の増強を奨励する。

要点は、核兵器削減に向けた米国の意欲であり、同時に米国とその同盟国・友好国を脅かす紛争の可能性を低減するための、強化抑止と拡大抑止である。

核戦略見直しは米国の戦略的な抑止力への投資を促すものになる。

非核兵器による攻撃能力と大陸弾道ミサイル防衛が地域抑止に重要な役割を持つことから、米国はこの地域において継続的かつ追加的な協力を求めることになる。クリントン長官とゲーツ長官に寄せた岡田克也外務大臣の書簡で、米国は、この件について日本の国益を理解しており、日本との対話継続を心待ちにしているとバサラは述べた。

 この部分は、アメリカの同盟に対する姿勢と核問題に関する方針を述べている部分で、非常に重大は発言だと思った、と同時に、この重大な内容が周知でなかったことがベースにあり、防衛問題に関して国民があまりにも無知であったと思う。結果、政府不信につながったのではないかと思った。当時を振り返ると、政府は別の部分にエネルギーを注いでいたかに思う。
 私はこの頃、ブログにこう書いている。

「どちらがどうだと言いたいわけではないですが、沖縄で反対する県民の声というのも、それがあっての移設問題なので充分検討される必要はあるとは思いますが、米軍が日本に駐留する意味が何か、そのためにどこに基地を置いたらよいかと候補を絞れば、自ずとその場所が見えてきそうなものですし、その候補地住民は、条件を出して歩み寄るというような解決はできないものなのかと思います。」(参照

 何かが足りないと思ってこんなことを書いた記憶があるが、よくよく考えたら、民主党内が同盟に関してばらばらな意見を持っていたし、連立の社民党などはお呼びではなかったわけだ。これに関しては民主党はいつでも切ると強気な発言をしながらも、議席数不足に話しが及ぶと助平根性を隠せなかったわけだ。それ故、国民に統一見解を示す道理もなかったというものだ。勿論、私はここまで無知な政府とは思わなかった。キリッ。

拡張防衛対話
民主党政権になった時点では、拡大抑止に関連する戦略課題を理解していなかった岡田外務大臣だが、今ではこの問題について二国間対話を始めようとせっつきだしたと外務省・梅本北米局長は米国側に報告した。外務省としては、公式議論の開始に向けて、2月15日の第一週に一団を米国に派遣したがっている。キャンベル国務次官補は、解決される必要のある3点の個別問題を強調した。

 ここで初めて岡田氏だけが問題意識を持ったと、こんなことまで言われている。相手にしてみれば同盟のパートナーである政府がこのザマで、頼れるのは官僚だけだと思っていたに違いない。このアメリカの余裕は、先に、官僚が「早期の妥協はしないように」と念押ししたことの効果でもあると思う。先日は、「官僚が日本を売った」と書いてしまったが、ごめん。この場を借りて謝るが、そう思ったのは事実だ。また、斎木氏もどうせコメントするなら、「一切発言していない」などとリーク情報を否定して繕う必要はなかったと思う。まあ「政府が無能だから」ともい得ないかぁ。
 この話はさておき、オバマ氏がノーベル平和賞を受賞した際の演説から、核兵器削減問題と抑止拡大の話はともすると矛盾していると疑ってはいなかっただろうか。これに関しても話題になっている。

(1) 拡大抑止、(2) 核兵器履歴(日本では「秘密条約」として知られている)、(3) 核兵器搭載の確認・否認を要さない空港・港湾の利用

彼はまた、日本の国民はオバマ米大統領のプラハでの演説に強い期待を寄せていると指摘し、従って核兵器削減と抑止力強化の矛盾を調整する必要があると述べた。さらに日本の防衛上、米国の核兵器への依存を減らすと、米国と日本の通常兵力への依存が高まることになることも日本の国民に理解させる必要があるとも梅本局長は述べた。双方とも、基準となる条件の作成と、できるだけ早期の拡大抑止についての対話の開始に同意した。

 ここが私にも良く理解できなかった点だったが、誤解もしてなかった。
基地の場所が沖縄であることの意味と並行して、アメリカの原子力空母や核保有ということ自体が東アジアでは抑止力であるにもかかわらず、保有量を削減されてしまえば抑止力も低減するのが道理である。その言葉通り、「米国と日本の通常兵力への依存が高まる」点について、この時点で合意されていたわけだ。が、政府から何の説明もなかった私たちは知らなかった。当たり前だ。政府が説明できるほど理解している段階ではなかった○| ̄|_

安保50周年記念:達成
拡大抑止の対話、地域安全評価及びサイバー攻撃防衛の協力を含め、双方の活動を提案した上で、いったい何をもって日本政府は日米安保条約50周年記念の達成とするのだろうかとキャンベル国務次官補は問いかけた。梅本局長は、日米安保条約50年記念計画の対話が現在開始され、一連の対話を経て、21世紀に向けた同盟の節目となる共同宣言で頂点に達するプロセスをもって岡田外務大臣は達成と見ると語った。

 Good question,Mr.Campbell.と言いたいところだ。が、未だに「共同宣言で頂点」に達したとは言い難いものがある。
 沖縄の住民との合意が取れていない日本と、アメリカ下院議員から辺野古移設は現実的な案ではないとした上で、アメリカの経費削減に物言いをつけられている米政府だからだ。これは日本にもよくある、野党が与党の予算に異議申し立てをすることでより世論に政治力をアピールするかという政争の面と、実際、アメリカの財政も厳しいという実情もあると思う。

普天間移設施設
キャンベル国務次官補は、日本側が米国政府と相談の前に一方的に普天間移設施設の選択案を国民に提示することがあれば、米国側は強く反応するだろうと指摘した。梅本局長は、米軍再編手順は普天間移設施設に限定されるものではないと指摘し、双方は米軍再編の他の部分も前進させるよう促した。グレグソン米国防次官補は、普天間問題が手順を逸脱している間に、普天間移設施設の政治問題化が、特に岩国基地など他の再編問題に悪影響を及ぼしていると応答した。

 この会談が大変切れ味のよいものだという印象を受けた理由に、このような梅本氏の発言が随所に見られたからだろうか。アメリカと対話しながら、将来を見据えて話を進めようとしている点で秀でていると感じた。
 13年間かけて練り上げてきた自民党時代のアメリカとのせっかくの合意を、民主党のおかげで、無駄に時間を使って膠着させたに過ぎなかったという点がはっきりとしたことは確かだ。この政権も長くはないと思うだけに、現野党が前民主党とちっとも変わらないようにしか見えないのが困りものだ。

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2011-05-14

オサマ・ビン・ラディン死亡後のパキスタンとその関係国について雑感

 ウサマ・ビン・ラディン容疑者が殺害されて二週間が過ぎようとしている。速いものだ。若い頃は気が遠くなるほど時の経つのが遅く、早く大人になりたいと思ったものだが、歳をとると、このまま時間が止まればいいのにとうんざりする。ビンラディンが殺害された隠れ家からは大量の資料が押収されたと知ったが、その資料を手にした捜査官は、テロ対策にとっては有用な内容だと話しているそうだ。その膨大な資料が物語るのは、彼の描くイスラム社会の姿であり、それは見果てぬ夢となってしまった。彼のしたことを擁護するわけではないが、彼の成し遂げようとしていたものはイスラムの生きる道を切り開くことであったと思うと、感慨深い。
 また、あの殺害は暗殺だと思った時点で合法であるとはとても思えなかった。国際社会が認めた暗殺のどこに合法性があるのかと悩んだ事は、殺害後ここでも書いた(参照)。ビンラディンが殺害されてもイスラムの怒りが収まったわけでもなく、代わる誰かがいつか現れ、同じ事を繰り返すだけかとも思っている。今日は、彼が潜伏していたパキスタンを取り巻く情勢のその後について少し触れておくとにした。
 これまでも時々、折りに触れて書いたきたが、パキスタンという国は見通しが悪い。その理由はいろいろある。アメリカとの関わりにおいては、その要請に応じてイスラム過激派の掃討作戦に加担しながらも、軍部とイスラム過激派との繋がりが存在していることは間違いないと見てよい。また、反米世論に配慮しながも、支援国としてのアメリカとの関係を絶つことは出来ないでいる。
 政治的に安定しているか、といえばそうとは言えない。軍の実権がザルダリ大統領よりも優勢であり、大統領の政治基盤は脆弱だと言える。さらに、状況を不透明にする要素として、影響力の強いパキスタン軍情報機関(ISI)がイスラム過激派とどこかでつながっていることだと思う。
 ビンラディン容疑者に関してパキスタンの関与が否定できない理由に、首都近郊の軍事都市に住んでいた。画像を見て呆れたが、派手に有刺鉄線を張り巡らした塀と、隠れ家にしてはなにげに大きな邸宅であったことだ。あの家を知らなかったとしたらパキスタン政府は無能に等しい。また、知っていたとしたら、どのレベルがそれを知っていたかが気になる。軍か、それとも政府か、その一部なのか。誰かがかくまっていたとなると、アメリカに対する立派な裏切り行為である。また、アメリカの襲撃を知らなかったとしたら、パキスタンにとっては、アメリカの領域主権侵害である。が、これを主張すると、アメリカの忍び足を嗅ぎ分けられない無能な国だと世界に宣伝することにもなる上、国民から対米従属体質を吊るし上げられる事にもなる。真相は分からないままだが、こんな時、Wikileaksから情報の暴露はないのだろうかとふと思った。
 国際的な悪影響を懸念してしまうのがパキスタンであることは言うまでもなく、アメリカが推進する対テロ戦略の要でもあり、核保有国でもある。しかも、お隣が歴史的対立関係のある核保有国のインドで、これまでも軍事衝突を繰り返してきている。ビンラディン殺害の背景ですら見えない難しさがある中、このままでは済まされない問題ではないかと改めて思った。
 日本のメディアはどのように報じているか、備忘としてクリップすることにした。
国軍の面子が丸つぶれとした上で、対米関係が「きしんでいる」と報じている毎日(参照)。

 軍トップのキヤニ陸軍参謀長は5日、軍幹部会議で「主権侵害だ。同様の事件が再発したら対米協力関係を見直す」と警告した。ギラニ首相も9日の議会演説で「主権侵害」に言及し、軍の反米的な姿勢を踏襲した。

インドのシンクタンク「防衛研究分析研究所」(IDSA)のスムルティ・パタナイク上席研究員は「潜伏はパキスタン軍トップの了解なしにはあり得ない。オバマ米大統領はそんな相手国(パキスタン)を信用しておらず、事前通告なしに作戦実施に踏み切ったのだ」と分析する。
米国との確執が尾を引く中、ギラニ首相は来週、中国を訪問し、関係強化を呼びかける予定だ。パキスタンは米国が約束した75億ドルの経済支援が計画通りに拠出されていないことにいらだちを強めており、中国からの支援に期待している。中国が表明した原発開発協力を確実に実施するよう働きかける見通しだ。(毎日新聞 2011年5月13日 東京朝刊)

 パキスタンに限らずだが、アメリカとの関係がきしむと言うよりも、経済支援されあれば何にでも応じると言うだけで、パキスタンがアメリカとイスラムに対してダブスタ的な態度をとるのは、アメリカが手を引いた時の危機感もあると思う。中国に関係強化を申し出ているのも、敵対関係であるインドが中国の関係国であるかどうかなどお構いなしというかで、アメリカとイスラムとも似たような構図が中国を挟んで同じようにインドとパキスタンとも似ている関係だ。

 米国内にはパキスタン軍情報機関(ISI)などが同容疑者の潜伏を支援・黙認していたとの見方があり、議会には対パキスタン援助を見直すべきだとの意見もある。だが、カーニー大統領報道官は9日の記者会見で、米・パキスタン関係を「複雑な関係」と認めながらも、「協力関係の維持が非常に重要だ。我々の国家安全保障上の利益だからだ」と述べ、関係見直しを求める主張を一蹴した。
 米国がパキスタンとの同盟を重視する一つの理由は同国の核兵器開発だ。米政府高官は「(ビンラディン容疑者の潜伏先からの)押収物に大量破壊兵器に関するものがないか調べることは、最優先事項の一つだ」と述べ、同容疑者が核物質や核兵器関連情報を入手した形跡の有無を調査する考えを明らかにした。

 アメリカがパキスタン支援をする理由は、核保有国であるというのが一番大きな理由であり、それが国家安全保障上の利益ではあると思うが、不透明であるだけに関係の見直しは出来ないとなると、7月のアメリカの撤退が気になる。ビンラディン殺害も、イスラム過激派の弱体化が狙いであったとは思う。が、その狙い通りに事が運ぶかが問題だ。
 この状況下で中国がパキスタンに接近していることを産経が報じている(参照)。

 「米国とパキスタンが不和の中、存在を見いだす中国」。インドでは、今週に入ってから、ビンラーディン容疑者殺害をめぐる中国のパキスタン支持を注視する報道が相次いでいる。
 きっかけは、中国のトーンの変化にある。中国外務省報道官は2日の会見で、容疑者の殺害を「国際的なテロとの戦いにおいて重要で前向きな展開だ」として米政府に理解を示した。しかし、「パキスタンの立場を理解し支持する」(3日)、「主権と領土は尊重されるべきだ」(5日)と、徐々にパキスタンの主張に歩調をあわせていった。

 これに応えたパキスタン大統領はその喜びの声明をだし、中国を相当に持ち上げたようだ。

 これを中国に詳しい関係筋は次のように見ている。
インドが警戒する背景のひとつとして、同国北部カシミール地方のパキスタン管理地域における最近の中国の開発加速をあげる。中国の投資は2000年代後半に飛躍的に増加したという。「将来的に中国が同地域統治を視野にいれた動き」ともいわれ、今回の支持も、パキスタン内の親中ムード醸成の一環ではないかとの見方も出ている。

 世界中から稼ぎ出し、そのカネでどこへでも染み入っていくアメーバーのようだが、これが中国。
 ここでインドはこれをどう見ているかが気になるが、勿論良いわけはない。このような中国とパキスタンの急接近をけん制するためか、インドのシン首相は、アフガニスタンと関係を強化するため訪問しているようだ(参照)。

カルザイ政権は元々、パキスタンに警戒感を抱いてきた。しかし、反政府武装勢力タリバーンとの和解を目指す中で、タリバーンに影響力があるとされるパキスタンと和解に関する協議機関設置で合意するなど連携強化にかじを切っていた。
ビンラディン容疑者殺害で、米軍のアフガン撤退へ弾みがつく。インドとしては、撤退後の「力の空白」を突いてパキスタンが影響力を拡大するのを阻止したい考えだ。【5月12日 朝日】

 また、少し物騒な情報でウィキーリークスが明らかにした米外交公電によると、インドで爆弾テロなどを実行するためパキスタンで訓練されたテロリストのインドへの越境を、パキスタンの情報機関、3軍統合情報部(ISI)が手助けしていることをが分かったとする共同の記事を毎日が引いている(参照)。

公電は、キューバ・グアンタナモ米海軍基地にある施設の収容者の証言を基に作成。インドとパキスタンが領有権を主張し、テロなどが頻発しているインド北部ジャム・カシミール州でのテロ実行に関し、パキスタン軍の元少佐が自宅から指揮を執っていたことも分かった。
ある収容者は、国際テロ組織アルカイダがインド機の爆破を計画していたと証言。さらに、米国や英国などではインド人への監視が緩いため、インド国籍のイスラム教徒をテロリストとして米英などに送り込むことを検討していたとも述べた。(共同)

 例えばの話し、アメリカがビンラディンを殺害したように、インドがパキスタンに潜伏するテロリストを闇討ちしに行くとは考えにくいが、無きにしも非ずである。ただ、そこまでヒートアップしてないないことを望むしかないが、このままパキスタンの中国外交が進めば、インドは何らかのけん制をするようになるとも思う。ビンラディンの死で、アメリカがアフガニスタンから撤退しやすくなったかに思われたし、オバマ氏の究極の作戦だったに違いないが、情勢が良くなっているとは言いがたい。

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2011-05-13

ウィキーリークスで2010年1月26日に公開された鳩山氏の側近松野氏の働きについて

 昨日の明け方、12月9日のウィキーリークスの公電で伝えられた沖縄基地移設問題に関して民主党内の意見割れや、小沢氏側近の山岡氏のアメリカへの取り繕いなどに触れて書いたが、その余韻が残っている時、Twitterで「米有力議員ら移設案見直し要求」(NHK)というクリップニュースが流れた。
 この件では特に驚くこともない。先日から折に触れて話している通り、ゲーツ国防長官が退任する6月以降が狙い目だというこぼれ話をもたらした下地議員らが、ジョーンズ前米大統領補佐官(国家安全保障担当)と5日にワシントンで会談した際に聞き出したことを知っていたというのも理由だ(参照)。ボーっとしていたのもあって、その前の早い時間にもこの件で各紙が報じていたことを後から知ったが(時事47東京)、2009年、岡田氏が外相として沖縄基地問題を独自に調査し、辺野古案は現実的ではないとした上で、嘉手納基地の一部と普天間飛行場の統合案を検討していた事が浮かんだ(参照)。
 この案は沖縄の人達が容認できるものとは思えないが、岡田氏の実直さは、このところのリーク情報では見ない政治家として一目置いた。ここだけの話し、ウィキーリークスでこのところ暴露されているのは、人がもつ二面性という点でろくでもない側の方だ。嘉手納基地の件が今浮上したのは何かの因縁か、絶妙なタイミングとも思う。そして、昨日の昼頃、極東ブログで2010年1月26日付けの次なるリーク情報の訳が挙がった(参照)。
 きたーっ!!とばかりに飛びついて読んだ。名護市長選の翌日の公電であった。おお、段々記憶が最近のこととして蘇ってきた。不思議なものだ。2009年から2010年に変わった途端に「昨年」のこととなり、頭の引き出しの場所も守備が良かった。
 さて、ここで耳寄り情報だと思ったのは当時、鳩山氏が一人だけ浮きまくりだった点がまず一点。二点目に、側近であり「首相が全幅の信頼を置く」松野官房副長官は、ジキルとハイドだった点だ。そこを見抜いているようであるルース氏は露骨には書いていない。ここは、クリントンさんのようにコメツキバッタ2.0にならないような配慮でもあるのかもしれない。私は、一度読んでその事実を疑い、二度目で松野氏の立ち回りのよさが窺えた。三度目は、読みようによっては手回しの良い側近であり、鳩山氏の性格を知り尽くしているが故の暗躍を果たしているというべきかもしれないとも思った。鳩山氏は県外移設を本当に実現できると思っていたのか、表向きに過ぎなかったのかその辺がはっきりしてこないが、少なくとも、斎木昭隆氏など官僚は阻止しようとしていた(参照)。また、松野氏は辺野古移設と県外移設の両案以外の可能性として、独自に模索し始めていたのだろうか。その辺の機微は、見方によってはジキルとハイド的な部分だ。
 さて、その松野氏が今回のリーク情報の主役だ。
 松野氏が米大使館に伝えた中で名護市長選の結果は鳩山氏の決意を揺るがすものではない、というころまでは政府の政策決定による部分と地方政策とを区別して明言しているため、特に問題はないと思ったが、次のような発言がいきなり出て来た。

現行の普天間案に手を入れた案はいまだ検討事項となる。「鳩山首相には依然『自由裁量』があると松野はなんども述べた。

 ここをどう読むかだが、「現行の普天間案」とは2006年、自民党時代に合意が認められた案で辺野古移設のことだと思うが、これが「検討事項」として松野氏の中で生きているというのがそもそもアレな話だ。これは、鳩山氏の県外移設案を何と心得たか戯け者めが、と、お怒りがあってもよいようなことだ。だが、『自由裁量』という言葉を鳩山氏の名誉のために残しつつ、「県外移設」以外の選択肢を検討する腹もあることを暗に仄めかしたことが暴露されたわけだ。つまりここがハイドでありジキルでもある。鳩山氏の県外移設案がぽしゃった際の腹案として他の選択肢を模索していたとすれば、側近ならではの手際のよさとも受け取れる。これをアメリカの大使館員ルース氏はどう思っただろうか。謎。
 さて、この選挙に世間の注目が集まったとおり、辺野古移設に反対するという理由だけで稲峰氏が僅差で市長となったわけだが、ご覧の通り政府は気にしていない。では何が見えたというのか。ここで「沖縄基地移転に見る小沢独裁政治の行方」(参照)で小沢氏の目論見を書いたことを思い出し、そこからもう一度、極東ブログの1月26日の「名護市市長選挙と普天間飛行場移設問題」(参照)を読み直してみた。政局の様子をがっつり捉えられていて、リーク情報と並行して読む醍醐味がある。あまりにも大当たりなので以下に引用させてもらった。

しいて言えば、三点可視になった部分はある。
一つは、鳩山政権が昨年夏に想定していた以上に迷走していることだ。
決定プロセスにあった。端的にいえば、合議的なプロセスもマニフェストもへったくれもなく、小沢氏の独断ですべてが最終的に覆ったことだ(参照)。くどいが、小沢氏の判断は結果からすれば正しいとも言えるものであり、小沢氏が民主党の屋台骨であると言えないでもない。そして、この独裁的な決定権を事実上持つ小沢氏が、辺野古移設問題でもNo!と言っているから(参照)、連立与党がとりあえずまとまっているかに見える。ただし、この小沢氏の論点は辺野古移設反対に留まらず、「軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ」(参照)という見解に結びついているにもかかわらず、民主党内ではその合意はまったくといってほど取れていない。

二つ目は、その屋台骨の小沢氏の動向がまったく不明になっていることだ。小沢疑惑の今後の動向は見えない。

三点目は、以上の経緯を踏まえても米国が軟化していることだ。軟化の理由は、日本の政治の不在に対する米側の絶望感だが、加えて、高まる中国問題や、オバマ政権も鳩山政権のように内部できしみが発生しいることがある。

論理的に見れば、鳩山政権の課題は、辺野古移設の可否ではなく、普天間飛行場を撤去して、米側が要求する「軍事上の要請を十分満たした代案」の推進である。現行では、鳩山氏の発言からもそれを志向しているので、5月までの検討を注目したい。

 間を抜きすぎた引用で分かりにくいかもしれないが、リーク情報にあったように、鳩山氏やその側近がどう動こうと、官僚が阻止して辺野古案をねじ込もうともびくともしない小沢案がこうしてあったということ。側近の山岡氏が必死こいて大使館で説明した理由も多分これだ。
 第七艦隊というよりも「やまと」があれば極東地域の安全保障は万全だと言われているほどの空母らしい。小沢氏の腹は、これに守れている日本は安全だというだけではなく、先日のリーク情報にもあったとおり、核の持ち込みを目論んでいたのが本当なのだとやっと私にも結びついた。つまり、国連軍に寄与するための軍隊を日本も配備するというところまで話は及んでしまうことになる。ここは、昨日のエントリーでは確信が持てず、疑問視のままで終わっていた部分だった(参照)。
 山岡氏がアメリカ大使ルース氏に7月の参院選まで待って欲しいと暗躍に奔走したが、小沢氏が首相になっていたら日本はとんでもないことになっていたのジャマイカ。核の平和利用と並行して核保有国日本になるところだった。そして、今だから笑える「一緒に降りましょう」と鳩山氏が自らの辞任と同時に小沢氏を降ろしたこと、これが鳩山氏を党代表に選んだ民主党の唯一の功績かもしれない。
 エントリーはここまでのつもりだったが、昨夕飛び込んできたオスプレイ関連ニュースに少し触れておきたい。
 琉球新報が以下のように伝えている(参照)。

 

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政府は普天間飛行場に2012年から配備が計画されている垂直離着陸輸送機MV22オスプレイについて、沖縄側に正式に配備を説明する方向で調整に入った。政府はこれまでオスプレイ配備の可能性については言及していたが、正式な説明は避けていた。普天間飛行場の移設が遅れ14年までの閉鎖が困難になったことで配備が迫っていることから、地元への説明が不可避と判断した。早ければ今月末に開催予定の沖縄政策協議会で説明する可能性もある。仲井真弘多知事も配備反対を鮮明にしており、県内の反発を呼ぶのは必至だ。

米海兵隊は12年から24機を順次配備させる予定だが、日本政府はこれまで、米側から配備について正式な報告は受けていないと繰り返し、地元への説明を避けてきた。
一方、09年12月には防衛省の担当者が沖縄等米軍基地問題議員懇談会で「(米国の計画書では)普天間のヘリは、全てオスプレイになるとの記述だ」と述べるなど、政府がCH46の代替としてのオスプレイ配備計画を把握していることを認めていた。

 さて、2009年に防衛省がアメリカの計画書を住民に知らせていることからすると、当時の民主党政府の説明責任は果たされず、「正式な報告は受けていない」と言い逃れをしたかに思われる。が、アメリカのこの計画は、基地問題が未解決のままでも貫くつもりがあったと思われる。
ついでと言っては何だが、先の小沢氏の野心の文脈で引用した同エントリーにこのことが示唆されている。

台湾有事に備えるには沖縄にヘリポートが必要だとの論もあるが、アーミテージ氏の言う可能なかぎりの「軍事上の要請を十分満たした代案」に新在沖海兵隊飛行場の必要性がどの程度あるかについては、明確な議論はない。というか、この問題は、現行の普天間飛行場でかなりクリアできるので、その意味では、辺野古移設がすべて頓挫しても米側としては現在の普天間飛行場の確保でなんとかなる

 アメリカの示した2012年の計画を行使するには今から予告があって然るべきだし、これを妥当だと政府は認めざるを得ないだろう。沖縄の人々が、危険極まりないとするオスプレイを普天間に持ち込むなと反対すれば、アメリカの基地移設案を呑むしかなくなる。アメリカとの合意は辺野古だが、オスプレイのための準備は整っていないとなると、「普天間飛行場の確保でなんとかなる」の道理が通る。それとも、抑止は無用だとして日本は独自に軍を持つかという小沢案をとるかだ。

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2011-05-12

ウィキーリークスで12月9日公開された山岡氏の働きについて

 リークされた普天間基地移設問題に関するアメリカの2009年12月9日付け、公電の訳文が極東ブログで挙がった(参照)。2009年、政権交代時の政府の要人や関係閣僚の動向がどのようであったか、また、日本との外交に有用な情報としての扱いが興味深い。過ぎ去った事とは言え、その観察力や事実把握を知って、対日アメリカ外交は容易くはなかったと察した。今頃になって当時の個々の動きを知るのは感慨深さもあるが、現実に起こったことなのかと疑わしい部分もある。というのは、国の役人や政治家の裏側というものは、NHKの大河ドラマでも見ているような展開である。訳されているご本人が「漫画にするとわかりやすいかも」などと言われていたが、そうかもしれないと思った。
 アメリカ側に立ってみると、私も理解に苦しんだ鳩山という政治家だが、沖縄基地移転や同盟国であるアメリカの抑止の問題をひっくり返すような発言を連発し、さぞ驚かれていたに違いない。同時期、外交官であった斎木氏はアメリカに政府の要望に妥協するなと引っ張り(参照)、政府は主要人の意見のまとまりもなく、日本側の本音や動向を読むのは至難の業であったことだろうと思った。
 さて、今回は、極東ブログのリークシリーズ第一回に登場した山岡国会対策委員長の12月8日の発言を中心に、公電によって本国アメリカ政府に報告したものだ。山岡氏がアメリカにインフォームした情報の意図的なことを読むのは難しいが、これをアメリカの立場で読むのも当然難しいと感じた。私の着眼点が問われたが、山岡氏の言動から見えてくるのは、小沢氏の当時の思惑だった。分かってくるうちに何故か泣けた。山岡氏の当時の読みは全て外れたと言ってよいほど、現実は違った。結果的に何一つ思ったとおりに運ばず、小沢氏の右腕としてはきっと一番残念であっただろう。
 まず、この公電の冒頭にあるとおり、連立政権の難しさから日本政府の沖縄基地移転問題の決定が遅れていることを念頭に話しが始まっている。鳩山氏がオバマ氏に約束したとされる普天間基地移転の決定がなされない理由は、連立を維持する必要性からだと説明し、理解を求めてる。これも、翌年7月の参院選で勝利すれば現行案で決着することを保証し、アメリカをそのように説得している。
 当時、私たち国民は、鳩山氏が政権交代の目玉とも言われた「県外移設」を信じようと努力し始めていた。というか、半信半疑でもあり、県外移設の計画案も示されないまま気を揉んでいた。因みに私は、個人的には県外移設は無理な話だと思ってた。辺野古移設に収まると社民党が離脱するかもしれない、そうなると民主党政権自体の存続が危ぶまれた。山岡氏が現行案で押し切ろうと苦慮していたことから、小沢氏には腹案もなかったと言える。
 また、決着が遅れている他の理由として、岡田外相が年内決着にごちゃごちゃ言っていると伝えている。そこで、岡田氏が当時沖縄基地移転問題をどのように考えていたか、外相の立場で話した記事がある(参照)。

  岡田克也外相は29日午前の参議院本会議代表質問で、林芳正・自民党参議院政審会長の質問に答え「米海兵隊普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県外移転は難しい。米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)との統合(案)は個人の発言か、内閣で合意を得たものかとの問いでありますが、これは、外務大臣としての判断であります」と「政府の合意でなく、外相としての発言である」と語った。
  岡田外相は、こうした考えに至った理由として「(現行の基地移転プランが)自民党を中心とする政権の下で、13年間かかったもの(プラン)であり、これ以上の時間をかけることはできるだけ、避けたい」との思いが強いこと。
  さらに「これ以上時間をかけるということは、普天間基地周辺の住民の危険がこれからも続くということ(を意味する)」「なるべく時間をかけず、基地移転について、現行案よりも、なるべく沖縄に負担を軽くする方法はないものかということを今、真剣に検討している。その中で、既存の滑走路を活用することのできる嘉手納基地統合案がひとつの案として浮上し、わたしのところで検証作業を行っているところです」と説明した。
  岡田外相は「嘉手納基地統合案の検証結果を踏まえて、できるだけ早く結論を出したい」と答弁した。しかし、この案に対して嘉手納基地の地元、嘉手納町が臨時議会を開き、統合案に反対するとともに、案の撤回を求める意見書を可決している。(編集担当:福角忠夫)

 この記事を読んでなんだか涙ぐんでしまった。県外移転は難しいという点と、それまで自民党が13年間を投じて出した結論をじっくり精査した上、根拠ある考察を示している点は岡田氏の誠意であり、沖縄に対する実直さではないかと感じた。これは、一連のリーク情報には見ない政治家の心を垣間見た気がした。が、この動きも小沢氏とは違う。岡田氏は外相でありながら常に蚊帳の外であった事を立証した事になる上、発言にも「外相として」と強調されているあたりは、鳩山、小沢両氏に関係ないというメッセージを送る必要があったことがうかがえる。
 山岡氏は、鳩山氏がオバマ氏と交わした期限の約束に拘り、その責任を果たそうとしない鳩山氏に業を沸かしたのか「poor communicator」と、アメリカに愚痴をこぼしたようだ。この焦りのようなものの元に何があるのかと思った。
 そして、山岡氏(=小沢氏)はもう一つ大きな見当違いを言っている。仲井真知事の再選の見通しはないと見ていたようだ。仲井真氏は、自民党政権化では辺野古移設で協調していたため、まさか、県外移設で再選されようとは、この時点では考え及ばないことが後に起こったわけだが、仲井真氏のこの勢いは現在にも至っている。山岡氏の読みは、全て希望的観測という話で終わった。また、一連の動きには、沖縄の人達の意向を汲むような配慮の欠片もなかったことが窺える。
 ここで2009年9月21日のリーク情報(極東ブログ)で明らかになった山岡氏とキャンベル国務次官補との会談を思い出した。「自民党のやり方を変えると民主党が約束したから、民主党は選挙に勝てたのだ」述べた上で、「過去に結んだ「秘密協定」を公開することが重要なのである。」と、アメリカに主張していた意図は、小沢氏が次の首相になるためのお膳立てだったのかもしれないと思った。以下がその具体的な部分だ。

政治的理由から、この公開を鳩山や岡田といった民主党員は非核三原則を法制化するための一歩と望んでいるかもしれない。しかし、山岡と小沢は、核持ち込みが必要かもしれないと日本の公衆が受け入れるよう、折を見て、説得することが民主党の目的だと確信していると山岡は述べた。

 ここで言われたとおり、小沢氏が核の持ち込みを容認する考えを持っていたのだろうか。それとも、アメリカとの話を優位に持ち込むための話術としてだったのだろうか。これは、大きな疑問として残った。
 また、小沢氏の訪中の話を持ち出し、中国から歓待を受けて大成功を収めたにもかかわらず、年明けのアメリカとの会談の要請に応じようともしなかったアメリカの冷遇を対比的に話すことで小沢氏の実力をアピールし、キャンベル氏に今後の小沢氏との親密関係を約束させている。
 9月の時点では小沢氏を次の首相だと強くアピールし、その後、鳩山氏の意思決定の弱さ、岡田氏のぐずつき、連立政党との意見不一致などを理由に12月8日、翌年の7月の参院選で勝つことによって安泰になると読んでいることをアメリカに力説した。その理由は何だろうか。全ては、小沢氏が首相になるためだったのだろうか。

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2011-05-11

KIRKLANDオリーブオイルの非常識さに負けた

 「KIRKLANDのオリーブオイル、使い始めたけど、ぐーよ!色は深い緑色で滑らか。透明度もかなり良い。口に含んでゆっくり試飲したけど、甘くて香りも良い。総じて弁ちゃんのお見立ては満点に限りなく近いと思う。」と、Twitterではしゃいだので少しは広まったかもとは思いつつ、ここしか見ていない方にもお知らせしておこうかと思い書き始めている。オリーブオイルのお勧めなんてまるで料理ネタで、このブログに相応しいとも思うし。
 「KIRKLAND オリーブオイル」と入力してGoogleで検索すると、「コストコのオリジナルブランドKIRKLAND-コスト商品コオンライン」と出て来る。そして、その下に「Amazon.co.jp: 【KIRKLANDカークランド】エクストラ バージン 」と検索結果がでている(参照)。私は、コストコの会員ではないのでAmazonで注文した。
 さて、このオリーブオイルの素性も全く知らずに4リットルもの大量買いをしてしまった。が、全く後悔していない。それどころか、商品に納得しているので良かったと思っている。紹介元は、ここでも時々登場する男料理の巨匠finalvent氏のお勧めがあったからだ。因みに、彼を巨匠と呼ぶ理由がある。彼は、男性にもありがちな手抜き料理をものの見事に旨い料理に仕上げてしまう。この影に、五感由来の哲学的な考え方が潜んでいる気がする。また、夢で遭遇した中華料理の達人直伝の炒飯まで(参照)、奇想天外な発想を楽しませてくれる人物でもある。例えば、これから暑い夏日の食欲不振と、料理やりたくない病にかかった際はこれなんかお勧め☞豚ネギ丼
 2月の中旬、Twitterで氏が「KIRKLANDブランドの品質の高さには驚く。コスコは安売りではないんだというのは、ちょっと市場感が変わる」(参照)とつぶやいているのを察知したのがきっかけ。コストコは、実家のそばにもあるので良く知っているが、あまり行かない。大量生産品をまとめて買うから割安感のある商品戦略と、実際に他店の同様商品との比較では安価な商品が多いが、何が何でも買い物をする場所でもなかった。
 今回、オリーブオイルが存外に満足度を上げてくれたからだが、ここでコストコを調べてみた。普段はあまり見ない企業紹介ページ「コストコとは?」を覗いただけだが、ユニークな発想で商品を揃えていることが分かった。
 私が面白いと思った部分だけ抜粋してみようと思う(参照)。

まず、取り扱い商品は、その分野のトップブランドの製品だけを扱っています。安いからといって、2流3流のメーカーから仕入れることをしません。トップブランドだと、仕入れが高いのが世の常識ですが、次のような実に正攻法で仕入れをしています。

1.すべて現金仕入れである。

2.世界の500店近い店舗の一括仕入れで信じられないほどのロットで大量発注する。

3.1アイテムは1品種に絞り込んで発注するので、メーカーは効率よく製造できて、売り上げが上がる。

4.仕入れは、1ロットで完結する発注方法である。
日本の流通業では、在庫管理をして、売れたものを速やかに補充する方法を取っています。
つまり、売り切れても翌日には速やかに補充されるのです。
コストコでは、売り切れたらそれでおしまい。 次回いつ入荷するか? もう入荷しないか、わからないのです。
これは仕入れ担当バイヤーが、全力を挙げて、最適の条件と最適のタイミングで、商品を発注するためです。
したがって、予定より早く完売すると、売れ筋として次の発注につながり、予定より売れ行きが悪い商品は死に筋として、次の発注はなくなるのです。
この方式は、売り切れてもまた入荷するからそのときに買えばいいさ? が常識だった日本人にカルチャーショックを与えました。つまり、気に入った商品は、その場で決断して買わなければ、2度と入荷しないものがあると学習するのです。
コストコでは、この方式を「お宝探し」 「トレジャーハント」と呼んでおり、
会員にとっても、2度と入手できないお宝を、安くゲットできるチャンスなのです。

 1~3は、高品質で安価に購入できるというのは昭和時代からあるアメリカらしい感じが漂うが、日本の牛丼チェーン店とも似ている購入形態かもしれない。牛の一頭買いをし、自社で部位別の分配をするため無駄がなく、安定的な供給が出来ると以前テレビで紹介していた。
 4番が面白いと思った一つだ。「予定より早く完売すると、売れ筋として次の発注につながり、予定より売れ行きが悪い商品は死に筋として、次の発注はなくなるのです。」というのは、売れる売れないの個々の理由はあるにせよ、これは商品に対する市場からの答えを製造者に教える一番良い方法ではないだろうか。これは、生産側が自社製品の開発で一番知りたいことかもしれない。襟を正してプロに徹するためにも良いと思うが、反面、トレンドな物しか置かないという店のポリシー化にもなるかもしれない。それはちょっと寂しいかもと私などは思う。売れ筋でなくても気に入ったものは個々にあるし、長きにわたって使い続けたい愛着を持つものもあるが、それらは、コストコには期待できないということだ。ここは、客の要望を何でも抱えてもらうのではなく、売り手市場そのものかもしれない。
 日本としてはこのスタイルはどうだろう。高齢化に過疎化が進む田舎に出店を、とは思いにくいが、形態としてはベッドタウン向きかもしれない。でも、内心、日本情緒や日本人の心情からいうと、買い手市場で、あくまでもお客が望むものに応えてくれるような商品ラインナップに愛情を感じてしまう。ま、これも歳だよと言われてしまいそうだけど。

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 さて、先のオリーブオイルの製造元はイタリアということ以外に表記がない。説明の通り、コストコのオリジナル商品として定着している提携品だということだろう(参照)。安定的に購入できるというのは嬉しい。500mlあたり約500円という安価なオリーブオイルはKIRKLANDが始めての私だが、今まで二種類愛用してきた内、普段使いのはここで入れ換えになりそう。実は、これも悪くはない、気に入って使っていたギリシャ製の「イスティオン」(参照)で、炒め物や焼き物など火を通す料理に使ってきた。これとの比較だと、香りの面ではKIRKLANDより勝るが、他の面ではKIRKLANDは譲っていない。あくまでも個人的なテイストでしかないが、これは嬉しい発見であった。因みに、食べるオイルとして、サラダやカルパッチョ、マヨネーズ作りなど、そのまま頂くのはポルトガル製の「CARM」で、500ml2100円(値引き後)を使っている(参照)。これは、オリーブの実をそのまま食べているという感覚を得ることが出来る、味、香りともに良いオイルだと思う。
 オリーブオイルは高価なほど高品質というのは通例だと思うが、そういった意味では、KIRKLANDはとても非常識。500mlで500円、しかも、コストコのオリジナル商品であるため一年中品切れがない。嬉しいことだ。ただし、4リットルは一般家庭ではかなり長持ちするため劣化を懸念する節もあるかと思う。私は、揚げ物は極力少ない油を使う上、オリーブオイルを使用しているので一ヶ月に500ml以上は使わないかもしれない。消費期限は1年と表記されていたので、劣化しないよう冷暗所保存が必須だと思う。また、油の劣化は、外見では色で見分けるが、画像の深い緑色が茶系にならなければ賞味期限を過ぎても味の変化はないと思う。味では、渋くなったり風味がなくなることで見分けている。

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2011-05-10

ウィキーリークスで公開された外務省官僚高見沢氏の発言と沖縄基地移転問題-何故朝日がリーク情報を好むのか

 昨日、2009年10月15日の在日アメリカ大使館発公電の訳が挙がった(参照)。内容は、キャンベル国務次官補が率いる国務省・国防総省代表団が長島昭久防衛副大臣及び外務省・防衛省担当員と10月12日、在沖米軍再編と普天間飛行場移設案の背景となる経緯について協働した時の報告文書でウィキーリークスの漏洩情報だ。一昨日に続き、官僚の働きぶりに関して取り上げることにした。が、今回は、朝日記事の扱いでは一部を削除していることも最初から分かっているため、その辺の謎も深く考えながら読んでみた。そして、段々頭に血が上り始めるのを自覚しながら、心が冷静になれと呼びかけているうちにさっさと書くとことにした。
 普天間飛行場の返還と移設問題で当時、「県外移設」を打ち出していた民主党とアメリカ側との会談の楽屋裏で、外務省官僚高見沢氏がアメリカに、「妥協すべきではない」という助言をしていたことがリークされた。この助言は、滑走路や施設面でのアメリカ側の要求と日本側の移転要求理由との突合せをして歩み寄る段階だったが、ここまでは極普通の展開であり、リーク情報の価値というものは見出せなかった。話の展開が変わったのは、北沢防衛大臣と長島防衛副大臣が臨席しない昼食会においてだった。つまり、非公式な食事の場で話の展開がガラッと変わった。
 これを知って驚いた。こんな言葉で表現してよいものかと思うが、日本の官僚がアメリカに日本を売ったと解釈した。ここは、原文に何か間違えはないか、まさかに訳が間違ってはいないかと何度も読み返した。
以下からその部分は始まる。

2. (S) Takamizawa stressed in a lunch meeting subsequent to the briefing (excluding Nagashima and others) that the U.S. delegation ought not to take Nagashima's assessement of current realignment plans at face value and cautioned against premature demonstration of flexibility in adjusting the realignment package to be more palatable to the DPJ Government.
説明会後の(長島らは参加してない)昼食会のことだが、高見沢は、現行の再配置案に対する長島の評価を額面通りに受け取らないようにと強調し、また民主党政府にとってもっと口当たりのいい再配置案に調整するような柔軟性を早まって示さないようも警告した。

 英語の言い回しなのでアレな感じがするが、率直に言うと米側が早期に妥協するなという意味だ。これは、官僚が鳩山政権の県外模索を阻むための助言だと思う。ということは、防衛省は県外移設に反対なのか、普天間飛行場自体の返還に反対なのかのどちらかということになる。
 この先を読むと、朝日がまた例の如く文章を削除したらしく、英文との突合せでその部分を補って訳がつけられている。
 話は有事の際の滑走路の必要性について議論されたのち、メア氏が補足的に発言している部分が削除されている。

EAP/J Maher observed that the runways at Ie and Shimoji would not be sufficient on their own, but would require the full complement of support facilities, including for refueling and maintenance, to be useable by U.S. forces. Japanese discussion of contingency air fields often overlooks this requirement, he added. Naha Consul General Greene noted that, as Japan worked through its National Defense Program Guidelines (NDPG), it would be important for both sides to de-conflict expectations on Shimoji options.
メア東アジア・太平洋・日本部長は、伊江島と下地島の滑走路だけでは十分とはいえず、米軍が使用可能とするためには、燃料補給と保守管理を含め、万全体制の支援設備が必要になるだろうと見ていた。日本人による有事飛行場についての議論はしばしばこの要求が見落とされるとも加えた。那覇在グリーン総領事は、日本は防衛計画大綱策定中であり、日米双方とも下地島という選択肢を争点にしないことが重要であると述べた。

 太字部分は消えていた部分であるが、消して隠蔽したかったことは何だろうか。滑走路の必要充分条件を満たすための話をそれまで伝えていなかったことが明るみになると、何の都合が悪かったのだろうか。子どもじみているので違うかもしれないが、単純に、自社でこの内容を報じてこなかったことへのバッシングを恐れたのだろうか。
 私の記憶だと、有事の際、燃料補給と保守管理を含めた万全体制を行うのは、鹿児島県の徳之島案が浮上した時が初めてだった。徳之島に飛行場を置くと例えば台湾有事では出動に時間がかかる上、燃料が不足してしまうこと等を知った。そして、疑問だったのは、何故そのような初歩的なことも加味せずに徳之島を候補に入れたのかだった。鳩山さんいよいよ阿呆になった、くらいに思っていたことだった。
次の文書工作部分は、タイトルのとおりである。

MOD and MOFA Read-out on the Presentation
米側プレゼンテーションに対する防衛相と外務省の腹の内
12. (S) In a private read-out over lunch immediately following the FRF presentation, MOD DG Takamizawa cautioned the U.S. side not to take excessive comfort in Nagashima's assessment of current realignment plans. The Vice-Minster had been much tougher in his questions on FRF during internal MOD sessions, and he was aware that A/S Campbell had spoken about realignment the previous evening with State Minister for Okinawa Seiji Maehara (a proponent of Kadena consolidation).
普天間移設施設についてのプレゼンテーション直後の昼食会でなされた腹の内の探りだが、高見沢防衛政策局長は、現行の再編計画に対する長島の評価で安堵しすぎないよう米側に警告した。長島副大臣は、防衛省内の議論では普天間移設施設に根強い疑念を持ちづけているし、キャンベル国務次官補が前夜、前原誠司沖縄担当相(嘉手納統合案の提案者)と再編について語ったことも知っている。
Takamizawa added that the U.S. Government should also refrain from demonstrating flexibility too soon in the course of crafting an adjusted realignment package palatable to the DPJ Government. On environmental issues, for example, perceptions of U.S. Government flexibility could invite local demands for the U.S. side to permit greater access to bases and to shoulder mitigation costs for environmental damage.
米国政府は、民主党政府にとってもっと口当たりのいい再配置案に調整するような手順を拙速に示すのを控えるようにとも高見沢は述べた。環境問題では、例えば、米国政府が柔軟性を理解することで、基地へ立ち入り権を沖縄県側がより拡張することになり、環境破壊緩和の負担要求をするようになりかねない。

 高見沢氏はアメリカに、民主党に対して甘い顔をすると無理難題を言ってくるから気をつけろと言っているようだが、他でもこの程度の事はリークされている。何故、朝日はここを削除したかだが、朝日は米軍基地と公共事業による環境破壊問題についてこれまでもあまり取り上げていない。その元の理由を推測するに、戦後民主主義を掲げてきた朝日にとって、政府が落ちるのは許せないという主張や、閣僚との確執に対抗して官僚が交渉の不利となるようアメリカの片棒を担いでいるのが許せなったからではないだろうか。リークすることで逆に官僚を悪者にし、自らの利益となるよう企てたのかもしれない。一連のリーク情報も、政府官僚が市民に叩かれることを目的としている嫌いもあると思う。また、それに乗せられて、私も官僚を叩くという罠にまんまとかかるところだったな、などと立ち止まる必要もあった。ただ、朝日に品格も品位もないのは、リーク情報に手を加えるようなセコイ事をするところで、良くありがちな小心者の安っぽさではないだろうか。これに引っ掛かりそうになった私の血は、頭に上ってしまうところだった。
 一昨日ここで取り上げた斎木昭隆氏(参照)に続いて高見沢氏も同様、これが日本のエリートの実態ですかというもの。ただ気になるのは、彼らの目的だ。これほど薄汚く立ち回り、品位もないと罵られてもこの役目に徹する価値があるとしたら、それは私腹を肥やすためなのか、日本の存続のためだろうか、わからない。こうして何もなかったように日本が没することもなくそれなりに健在していることは、その賜物なのだろうか。
 リーク情報にあるような密約、売国、個人情的漏洩などを致した官僚の数々の働きによる成果といったらよいのか、現実に何かに役立ったのだろうか。というより、民主党が画策する基地問題はこれからどう展開するのか全く見えない。とりあえず、鳩山さんは退陣したし、普天間飛行場移転は辺野古移設で合意している。
 昨日の沖縄タイムスによると、北沢防衛相は7日、仲井真弘多知事と会談を持ったようだ。これによると、会談では同飛行場の県外移設を求める仲井真知事と、名護市辺野古への移設を決めた日米合意の履行を主張する北沢氏との間で議論がかみ合わず平行線だったようだが、次のような条件が提示された(参照)。

普天間飛行場の移設と米軍再編がパッケージとする見解を強調した上で、「日米合意が進まないと嘉手納以南の基地の返還、(海兵隊の)グアムへの移動という大きな枠組みの動きが止まってしまう」と述べ、あらためて辺野古移設を推進する考えを示した。

 交換条件のように出された課題だが、この条件を満たすためには辺野古案に沿うしかないように思える。日本の官僚が命がけで阻止したとおり、仲井真知事の県外移設の可能性などは無いに等しい。蒸し返しても同じ結果になるだろう。ところが、移設先を米軍嘉手納基地への統合はどうかという考えも出て来たようだ。実は、現地の土地勘をもつ人なら大概嘉手納統合案にうなずくというものらしい。朝日記事にはこうある(参照)。

 訪米中の国民新党・下地幹郎幹事長らの国会議員団は6日、ワシントンで記者会見し、ジョーンズ前米大統領補佐官(国家安全保障担当)と5日に会談した際に、ジョーンズ氏が沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設先として、同県名護市辺野古ではなく、米軍嘉手納基地への統合を支持した、と述べた。
 下地氏によるとジョーンズ氏は、日米両政府が合意している辺野古への移設について「初めて合意した時から、実現する姿を想像できなかった」と発言。嘉手納基地への統合案が「今も最良と思っている」との持論を披露し、米国防長官が6月末に交代する時が「この問題を前進させる大変よい機会だと思う」と語ったという。

 ゲーツ国務長官の退任が6月に迫っているが、今年の2月に次のように話している(参照)。

 ゲーツ国防長官は「移設問題の解決なしに、部隊が沖縄を離れることはないし、土地が日本・沖縄に返還されることもない」「私としては、今春の遅い時期までには、満足できる解決ができるよう望んでいる」と16日のアメリカの議会の公聴会でこう語り、この春までに普天間問題にかたをつけたいとの考えを示しました。
 これに対して仲井真知事は、名護市が基地建設に反対していることをあげ春までに解決するのは困難との立場を強調。普天間問題の解決が嘉手納以南の基地返還の前提条件になっていることに対しては不快感を示したということです。

 在任中に沖縄問題に片をつけたいという意向は達成できないようだが、退任後すぐさま話しが一転するとも思っていもいないことだろう。この件には関心を持っておきたい。
 また、話しが散漫になるのだが、訪米中に国民新党・下地幹郎幹事長はキャンベル国務次官補との会談で「3年以内に(代替施設の)着工できなければ普天間はそのまま残ると明確なサインを出した方がいいと述べた。」とある(参照)。一議員としての訪米であるため、キャンベル氏も「議員の率直なメッセージに感謝する」と応えたようだ。このような動きは、移転問題に進展がみられないことからの苛立ちからだろうか。だが、いずれにせよ、日本の官僚は移転を望んではない。だとすると、議員の苦労や政府の模索は、沖縄の要望に答える方向ではない。官僚が望んでいるのは、普天間基地はどこへも移さないということだろうか。
 官僚が決めたレールの上しか走れない電車であるのに、政府と沖縄がそれぞれの好きなところへ行くのだと運転席を取りっこしているだけのように映る。

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2011-05-09

鉄腕アトムから誕生したI am robot and proudとピアニストGlenn・Gould(グレン・ グールド)のことについて

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 Shaw-Han Liemは、エレクトロニカ(電子音楽)のソロユニットI am Robot and Proudとして活躍するカナダトロント出身のアーティストだ。先日知ったばかりで、その時にここで紹介したが(参照)、彼のことを調べきれずになんとなく未消化だったため、このところ検索ワードを変えたりして調べていた。充分とは言えないと思うが、たまたまfinalventの日記で別の曲を紹介していたため(参照)、再び書き留めておきたくなった。曲名は「When I Get My Ears」という。まずはYoutubeで聞いて欲しい。

 画像は、トロント市内だろうか。このビデオの投稿者はShawhanとあるが、本人だろうか。CDを出している彼が自らそうゆことするかなぁ。と不思議に思ったが、宇多田ヒカルのようにYoutube公式サイトを作ってファンに聞かせるくらいなのでアリかなとも思った。これを疑った理由はもう一つある。それは、音楽のイメージを画像でわざわざ固定化するようなことに疑問を持ったからだ。彼の魅力は、自由な想像と解釈が聞く側に独占できることだと私が勝手に思っているからだが、本人だったらどうしよう。マズイかも。
 この曲の題名である「When I Get My Ears」からの連想で、聞こえない私が耳を授かりたいと願う時は一体どんな時だろうかと曲からイメージしてみたら、それは水の中だった。水中に潜ると音は聞こえるが、耳の鼓膜が反応していると言うよりも、脳が反応しているように感じる。水中のいろいろな音は脳が聴いていると言ったらいいのかな。その不思議な感覚で聴いているような錯覚に陥るのは、遠くの音が近づいてきてはまた次の音がやってきて、これが重なっては離れるのを繰り返す時だ。途中、子どもの声が私を呼んでいるのかと思った。
 先日、Wikipediaで彼のことが書いてあるのを見つけた(参照)。迂闊だった。こういったものが何故先日見つからなかったのだろうか、まったく。短いので前文引用する。

 i am robot and proud とは、カナダトロント生まれ、在住の中国系カナダ人であるショウハン・リーム (Shaw-Han Liem)による一人プロジェクトである。エレクトロニカを中心に楽曲を作成し、2008年現在、アルバムを五枚発売している。
 リームは、トロント王立音楽院で、クラシックピアノを十年間学んでいたが、1990年代半ば、コンピュータでの作曲による電子音楽に転向した。「i am robot and proud」ということばは、リームが高校生だったときに手塚治虫『鉄腕アトム』(英語:ASTRO BOY)から着想を得てつけたもので、2000年からプロジェクトの名前として使用している。そして2001年に、イングランドのCatmobile Records からThe Catche を出してデビューした。
 i am robot and proud の楽曲は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークマンハッタン区にあるニューヨーク近代美術館制作の短編映画のサウンドトラックにも使われたり、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴにあるシカゴ文化センターでのビデオ作品とのコラボレーションで、ライブを催した。

 鉄腕アトムから着想を得たと言うのは何とも可愛いものだと思い、そういえば、彼が作る音にはほのぼのするものがあると感じる。アトムが歩くたびに聞こえたピコピコという効果音と同じように、彼の曲の中でも効果音が聞こえてくる。
 彼がHMVのインタビューに応じ、曲作りに触れて次のように話している(参照)。

--- あなた自身が作品を作るうえで一番こだわりを持っていることとはどんなことでしょうか?

I Am Robot & Proud 音楽を作っているときは、あまりいろんなことを計画しないようにしてる。「正しく」鳴っているなと思うまで、サウンドや作曲で遊ぶだけなんだ。でも、最高の音楽って、何かを感じさせるものだと思うんだ。エモーションかもしれないし、ダンス・ミュージックみたいにフィジカルなフィーリングかもしれないし、音楽のかけらから心の中に映像を思い浮かべることかもしれない。音楽を作るときは、そういったクオリティを持ったサウンドを産み出せるよう頑張ってるよ。

 また、先のWikipediaにあるトロント王立音楽院と言えば、ピアニストのグレン・グールド(参照)が学んだ音楽学校だ。サイトを見ると他にも大御所と言われるアーティストが誕生しているではないか。ひゃー、これは、面白い引き合わせだと思った。
 バッハの通訳と言われるグールドのピアノ演奏スタイルは独特であり、猫背で縮こまった背中から伸びる腕の先に神業的なフィンガーワークを覗くことができる。せっかくなので、二曲だけ代表的な演奏を紹介しておきたい。
 1964年3月シカゴのリサイタルを最後に全てのコンサート活動をやめることになるが、以下の「ゴールドベルク変奏曲アリア&カノン集」がその当時の演奏だ。また、最後の公開演奏であったと聞いている二曲目は「ゴールドベルク変奏曲1-7」で、Youtubeの動画はNHKでその姿を収録したものだと紹介されている(参照)。

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2011-05-08

ウィキーリークスで公開された外務省官僚斎木昭隆氏の発言について

 「ウィキーリークスに公開された2009年9月21日の公電をもうひとつ簡単に試訳してみた。」ということで極東ブログで「その2」が挙がった(参照)。
 内容は日本の外務省・斎木昭隆アジア大洋州局長と米キャンベル国務次官補が9月18日、東京事務所で会った時の話を在日アメリカ大使館から本部へ報告したものだ。ここで私がこの公電をどういう視点で見るかが文脈を捉えるポイントになると思う。このところ書いている公電関連のエントリーではいちいち断り書きなどはしていないが、この公電に関しては気になった。
 アメリカの大使館員のフィルターを通した伝聞事項であることを念頭に置くとしても、日本外交の相手国であり、同盟国でもあるアメリカ政府が日本をどう見ているのかは興味深い。また、日本の外交官が閣僚とアメリカ政府との間でどのような役割をしているのか、その辺が公電から読み取れると良いと思った。また、新政権と官僚組織について触れている部分も興味深く、その部分をピックアップしながら感想をつけておきたいと思う。

1. (S) SUMMARY: Assistant Secretary of State (A/S) for East Asian and Pacific Affairs Kurt Campbell met with Japanese Ministry of Foreign Affairs (MOFA) Director General (DG) of the Asian and Oceanian Affairs Bureau Akitaka Saiki at the latter's Tokyo office on September 18. DG Saiki praised MOFA's new leader, Foreign Minister Katsuya Okada, but warned that the new administration's threat to tame the Japanese bureaucracy would end in failure.
概要。アジア・太平洋担当・カート・キャンベル国務次官補は、外務省・斎木昭隆アジア大洋州局長と9月18日後段の東京事務所で会った。斎木局長は新任の外務大臣岡田克也を賞賛したが、日本の官僚制を懐柔しようとする新政権の威嚇は失敗に終わるだろうと警告した。

 この文章が公電の一番最初の概要部分で、まずここで政権交代後の民主党が「官僚制を懐柔しようとする新政権の威嚇は失敗に終わる」と、官僚である斎木氏がアメリカの要人に話した意図がよく分からない。新政権の人事に関する個人的な印象の話しの部類ではないかと思うと、抜け駆けしているようにも思えるし、斎木氏とキャンベル氏の関係が親密にも受け取れる部分だ。民主党が野党であった頃から批判的であった事を「威嚇」とみていることや、最初から「失敗に終わる」といえる斎木氏の真意が知りたい部分だ。

2. (C) Speaking about the new DPJ government, DG Saiki said he was glad to have Katsuya Okada heading the Foreign Ministry, as he is "very intellectual" and "understands the issues." Saiki explained that Okada did not pose any problems in his areas of responsibility--North Korea, South Korea, and China. Although some bureaucrats were worried about the DPJ government's threat to diminish their power, Saiki warned that if the DPJ tried to crush the pride of professional bureaucrats, it would not succeed.
民主党による新政権に話が及ぶと、斎木局長は、外務省大臣となる岡田克也を「非常に知的で」かつ「諸問題を理解している」として、その任命を喜んだ。北朝鮮、韓国、中国への責任範囲で岡田は問題を抱えてないと斎木は説明した。官僚のなかには新政権の威嚇が彼らの力を削ぐのではないかと懸念する者もいるが、もし民主党が専門官僚らを潰そうとしても成功しないと斎木は警告した。

 「官僚のなかには新政権の威嚇が彼らの力を削ぐのではないかと懸念する者もいる」のニュアンスから伝わってくるのは、官僚側には閣僚から侵害されまいとするような対抗意識のようもので、まるでアメリカに外交問題の窓口は外務省であるとアピールする意図でもあるのかと感じる。

4. (S) Saiki lamented that the DPRK believes that 2002 was "a mistake"--referring to when North Korea admitted that it had abducted Japanese citizens. The DG said he believed that the DPRK had killed some of the missing abductees, and explained that the fate of Megumi Yokota was the biggest issue, since she was still relatively young (in her forties) and the public was most sympathetic to her case. He believed that some of the abductees were still alive.
北朝鮮は、2002年に日本人拉致を認めたことは「失策」であったと思い込んでいると斎木は嘆息した。北朝鮮はすでに未確認の拉致者の数名を殺害していると斎木は自身の確信を語り、横田めぐみの運命が最大問題となるのは、彼女が比較的若く(40代である)、大衆がもっとも彼女の事件に感心を寄せているためだとも説明した。斎木は、拉致者の数名は生存しているとも確信している。

追記: 朝日新聞に「外務官僚「日米の対等求める民主政権は愚か」 米公電訳」(参照)が掲載されていたので対照し、朝日新聞が報道を欠落させたと思われる部分を太字にした。

 この斎木氏の「確信している」という点に関して日本ではどういう扱いだったのか確認できないが、拉致被害者の数が多いので該当すると思われる人物に心当たりがあっての発言かどうかなど気になる。日本が拉致問題に関して敏感なことを承知で話したとは思えない内容だが、アメリカの大使が自国の不利となるような誤報を流すはずもないとも思う。また、エントリーで追記されていた部分について、一部を削除して報じるあたり日本のメディアもこんなものかと思うが、それにしても、後からだろうと思うがWikileaksの公開版も伏字になっていた(参照)。朝日が削除した後に伏字にしたとなると、朝日からそういう要請でも出したのかと思った。ただ、滑稽なのは、斎木氏が全面否定のコメントを出したにもかかわらず、一部分だけ伏せるということは、朝日は、このリーク情報の信憑性の高さを示したことにもなる。と、私は思う。

Saiki was concerned that the new minister in charge of abductions, Hiroshi Nakai, was a hardliner. Saiki concluded by saying the Japanese needed to sit down with the North Koreans to decide how to make progress on the abductions issue, and that the new Japanese government would be just as attentive as the Liberal Democratic Party was to the problem.
斎木は、新拉致担当相中井洽が強硬論者であることを懸念していた。拉致問題の行方を決めるには、日本はまず北朝鮮と同席する必要があるとした。また、日本の新政権はこの問題について自民党と同程度に注意深いだろうとも述べた。

 前段の岡田氏に関する個人的な偏向を言うのと同様、これは、個人的な人の見方であるが、このような内輪の話を外交の相手国とすること事態に品格を感じない部分である。担当閣僚である中井氏が強硬論者であることは、拉致問題を遂行する上でその特性が不利になるという懸念なのか、はっきりしない。この辺は斎木氏の愚痴のようにも思えるが、話す相手が外交の相手国だからと言うよりも、そもそもあるまじき会話だと思った。

6. (S) Saiki confessed that he was "very disappointed" with initiatives such as ASEAN and ARF, where leaders tend to talk about the same topics using the same talking points. Despite the frustration stemming from the need to form a consensus on all decisions between ten countries with "unequal economies," Saiki stated that "we must continue" and cannot allow China to dominate in Southeast Asia.
ASEAN(東南アジア諸国連合)やARF(ASEAN地域フォーラム)の指導性の点で斎木は落胆していると告白した。指導者たちは同じ要点で同じ話題のみ語る傾向があるからだ。「不均衡経済」について十か国間で全決定に合意を要するために生じる不満にもかかわらず、日本は継続しなければならないし、中国に東アジアを支配させてはならないと斎木は述べた。

 ASEANやARFの指導者の短所とするようなこの発言は、その国に対する批判的な見方だが、このような会話をアメリカとすることから、外交官としては好ましくないことではないだろうか。このような話は、相手国の耳に入れたくない話しではないのか?

9. (S) Regarding DPJ leaders' call for an "equal relationship" with the U.S., Saiki confessed that he did not know what was on the minds of Prime Minister Yukio Hatoyama and FM Okada, as the bilateral relationship was already equal.
日米間の双務関係はすでに対等であるのだから、民主党指導者の言う米国との「対等な関係」の要望について、鳩山由紀夫首相や岡田克也外務大臣がなにを考えているのかわからなかったと斎木は告白した。

 斎木氏のこの疑問は、鳩山氏や岡田氏に直接聞いて払拭すべきことだが、それを率直に話し合えないところに問題があると思う。冒頭から感じるのは、斎木氏の内面には閣僚に反目する感情があるのではないだろうか。アメリカにこの話をするのは如何なものかと思う。

Saiki theorized that the DPJ, as an inexperienced ruling party, felt the need to project an image of power and confidence by showing it had Japan's powerful bureaucrats under control and was in charge of a new and bold foreign policy that challenged the U.S. Saiki called this way of thinking "stupid" and said "they will learn."
斎木の考えでは、民主党は政権政党としての経験がないので、権力と自信のイメージを得る必要性から、民主党は日本の強固な官僚制度を支配下に置くとか、米国に挑戦しているのだという新規で大胆な外交政策に関与していることを見せつけているとのことだ。斎木はこの手の考え方を「ばか」呼び、「彼らも学ぶことになるだろう」と語った。

 斎木氏の民主党に対する本音なのだとは思うが、これを話している本人がアメリカから「斎木もstupid(バカ)」だといわれるような下品さだと思う。困ったものだが、斎木氏がかなり上から目線な人物であり、何様かと思う。外交官としての立場も品格の欠片もないと思うが、冷静な状態ではない。逆に、苦悩の日々であったのだろうかと斎木氏が心配になった。

On the other hand, ROK President Lee Myung-bak's strong desire to have Hatoyama visit Seoul on or around the date of the trilateral summit between Japan, South Korea, and China, may strengthen bilateral relations between the neighboring countries. Saiki continued that the Foreign Minister supported such a visit, but there was no reply as of yet from the Prime Minister's Office.
 他方、李明博韓国大統領が、日韓中の三か国会議の日取りに併せて、鳩山を訪韓させたいと強い意欲を持っていることは、隣国間の二国関係の強化となるだろう。このような訪問を外務大臣も支持したが、首相官邸からの返信はいまだないと斎木は語った。

 鳩山氏が韓国を訪問したのは就任直後の6月と10月9日だったので、キャンベル氏とのこの会談後だったわけだが、反日運動もある中、韓国を就任直後の訪問先として一番に当てられたことは、韓国に与えた印象としては良かったと思う。鳩山氏の外交で韓国だけは落ち度もなかったかに思う。これは大きな謎だった。
 感じるままに書いてみたが、会談した目的は何だったのかが掴めないのが残念だ。外交官として公的な立場を除外視出来ない立場でありながら、内容的には日本の閣僚に対する個人的な見解や感情的なことを何故アメリカの国務次官補に言ったのだろうか。
 この際なので書き添えておくことにするが、斎木氏について、対朝外交で気になっていることがある。2002年10月のクアラルンプールで行われた日朝交渉の際、アジア大洋州局参事官だった斎木氏は、拉致問題で強硬な姿勢を貫いたことが原因で決裂に導いたという経緯がある。あれがパフォーマンスだったかどうかは定かではないが、テーブルを叩いて交渉相手に詰め寄ったことがナショナリストから絶賛され、スター扱いされたようだった。また、拉致被害者の家族などからの信望も厚いと言われていた。その後も対朝鮮外交を担当していたが、当時、日本が奇妙だと思ったのは、外国との交渉を決裂に導いたにも関わらず絶賛されたことだった。本来なら、外交官は交渉をまとめるのが仕事であり、それが評価されるべきだと思う。支持を受けたのは右からで、その斎木氏がナショナリズムの再興に手を貸すようなものであるとしたら、例えば、新拉致担当相の中井洽氏を「強硬論者」と呼ぶあたりは偏見であるだろうと思った。率直に言うと、斉木氏の起用自体がどうなのかとも思ったが、今回、いいお灸をすえられたと思って改心するところはあるのではないだろうか。
 今回のリーク情報を受けてなにか報じるものはないかとざっと見渡したところ読売が報じる斎木氏の「否定」記事と(参照)、岡田幹事長のコメントがあった(参照)。

【ワシントン=小川聡】米紙ニューヨーク・タイムズは3日、外務省の斎木昭隆・前アジア大洋州局長(現インド大使)が「北朝鮮は、安否不明の拉致被害者の何人かを殺害していると思う」と発言したとする在日米大使館発の米政府公電を同紙ウェブサイトで公開した。
内部告発サイト「ウィキリークス」から入手したとしている。
公電は、斎木氏が局長当時の2009年9月21日付で、キャンベル米国務次官補との同18日の東京での会談を記録したもの。斎木氏は「横田めぐみさんの命運が最大の問題だ。比較的若く、世論は彼女の事件に最も同情的だからだ」と指摘したうえで、「拉致被害者の何人かは生きていると思う」と語ったとしている。
斎木氏は4日、読売新聞の取材に対し、「発言した事実は全くない」と発言そのものを否定した。そのうえで「全ての拉致被害者は生存していると強く信じており、その前提に立ってこれまでも北朝鮮側と交渉を重ねてきた」と強調した。
(2011年5月5日17時43分  読売新聞)

民主党の岡田幹事長は5日、訪問先の那覇市で記者会見し、米紙などが内部告発サイト「ウィキリークス」から入手した米軍普天間飛行場移設問題を巡る日米政府間協議の内容などを報じたことについて、「そもそも違法な機関によって明らかになったことだ。仮に(日本側)官僚が言ったことが事実だとしたら、好ましくないが、それ以上のことをいう気持ちはない」と述べた。
(2011年5月5日23時34分  読売新聞)

追記:無記名でコメント欄で次のようなご指摘を頂いた。元記事を修正させて頂きました。

これはコメントではありません。些細なことですが、次の段落でit had Japan's...の一文は誤訳です。正しくは、「民主党は日本の強固な官僚制度を支配下におくとか...」ではないかと思います。
Saiki theorized that the DPJ, as an inexperienced ruling party, felt the need to project an image of power and confidence by showing it had Japan's powerful bureaucrats under control and ...」というご指摘を頂いた。

 

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2011-05-07

ウィキーリークスで公開された沖縄基地移転に関する鳩山発言について

 夢で、リークされた一昨年の鳩山発言に関して何故触れないのかと、降りてきたブログ仲間に叱られた。ひぇーと震え上がって目が覚めたとき、夢の続きで後悔の念を抱いている自分がいた。書く理由が見つからないのに何故後悔しているのか、その辺がリアルと夢の狭間でピントが合わないが、昨日のエントリーの補足的に書いておくことにした。
 ウィキリークスに公開された鳩山前首相の沖縄基地移転問題に関して、この発言の事実はないと否定する会見が5日にあった。NHKニュースからも聴いていたし、ネットでも各紙が取り上げていたことだったが、昨日のエントリーでは具体的には触れなかった(参照)。自分自身の中では終わってしまっている過去のことであるのと、その蒸し返しの意味が現在進行している問題に関係してくるわけでもないなら、あえて触れる必要はないと思っていた。が、この先何があるか分からない沖縄基地移転問題であるため、振り返る起点としてもここで出来る限りの情報を集めておくことにした。
 まず、発言内容について、東京新聞が以下のように伝えている(参照)。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題をめぐり、鳩山由紀夫首相(当時)が2009年末、コペンハーゲンでクリントン米国務長官と会談した際、新たな移設先が見つからなければ、06年に米国と合意した同県名護市辺野古への移設案に立ち戻る意向を伝えていたとされることが、内部告発サイト「ウィキリークス」が5日までに公表した米公電で明らかになった。
 鳩山政権は当時、辺野古に代わる新たな移設先の検討作業に着手。鳩山氏は日本国内では、沖縄県外への移設も視野に06年の日米合意の修正に意欲を見せていたが、米側には逆の意向を示していたことになる。
在京米大使館から米国務省などに宛てた09年12月の機密公電によると、藪中三十二外務事務次官(当時)は同21日、ルース駐日米大使と昼食を共にした際、鳩山氏がクリントン氏に対し、新たな移設先が見つからなければ「日本政府は06年の日米合意に立ち戻る」と確認したと伝えていた
 別の機密公電によると、同9日には、前原誠司国土交通相(当時)がルース氏と会談。前原氏はその際、10年度予算や同関連法案が成立してしまえば、鳩山政権は辺野古移設案に反対する社民党や、国民新党との「連立を解消する用意がある」と告げていた
 これらの会談から約半年後の10年5月、日米両政府は普天間飛行場の移設先を辺野古崎地区とする日米共同声明を発表した。
 菅直人首相は、日本政府はこれらの公電の内容にコメントすべきでないと述べている。(共同)

 公電の原文は見ていないが、「新たな移設先が見つからなければ、06年に米国と合意した同県名護市辺野古への移設案に立ち戻る意向を伝えていた」と、「10年度予算や同関連法案が成立してしまえば、鳩山政権は辺野古移設案に反対する社民党や、国民新党との「連立を解消する用意がある」と告げていた」の部分が5日のNHKが報じた「辺野古移設 “米と約束”文書」(参照)で指摘している部分で、この記事の後に、その影響に関する懸念を以下のように伝えている(NHK)。

 アメリカ軍普天間基地の移設問題を巡って、当時、日本政府は、新たな移設先の本格的な検討に着手したばかりで、鳩山総理大臣は、地元の沖縄に対しては、県外を含む新たな移設先を検討すると説明していながら、アメリカに対しては従来の案に戻す可能性を伝えていたとする外交文書が明らかになったことで、沖縄などから反発の声が上がることが予想されます。そして昨日、これを否定する会見を行い、次のように話している。

 政府の内部文書などをインターネット上に掲載している「ウィキリークス」は、東京のアメリカ大使館が本国に送った公電だとして、おととし12月、当時の薮中外務次官がルース駐日大使に対して、「鳩山総理大臣は、クリントン国務長官と数日前に会談した際、普天間基地の新たな移設先が見つからなければ、名護市辺野古に建設する従来の案に戻すことを約束した」と述べたとする文書を公表しました。これについて、鳩山氏は、訪問先の北京で記者団に対し「少なくとも私はクリントン長官にそのような発言は全くしていない。薮中次官がそのような発言をしたかどうかは知らないが、もし発言したとしたら、間違った発言だ」と述べ、否定しました。そのうえで、鳩山氏は「沖縄の皆さんの思いを考えれば、とても辺野古にはできないと考えていたので、最低でも県外への移設を求めて努力してきた。それが実らなかったことは不徳の致すところだ」と述べました。

 さて、言った言わないのどちらが真実か、それを追い求めるというものか?はたと考えてしまった。
 アメリカ大使館のスタッフが米政府本部に報告した文書であるため、内容の信憑性は高いと思うが、なにぶんにも人の聞き伝えを文書にしたものであることは間違いない。現に、発言者である鳩山氏が無実無根のようなコメントも出しているため、嘘を書いているとまでは言わずとも、全てが真実とは言い切れなくなってしまっている。そのため、 「言わなかった」という事実を見つけるのは不可能で、これを辿っても無駄だ。ここでおそらく私も書く意味がないと判断したような気もするが、米政府の公電が正しいのではないかと言える現実はある。
 まず、辺野古案に戻すとクリントン氏に伝えた件だが、鳩山氏が認めているとおり「それが実らなかったことは不徳の致すところ」と、現実になっている。また、連立解消については、2009年12月3日、この日初めて社民党が自ら連立から離脱する考えを明らかにしている(Youtube)。鳩山氏が「連立を解消する用意がある」といわれたような実際の行為があったかどうか別として、社民党が連立から離脱したのは事実だ。鳩山氏が発言を否定しているこの二点は現実に起きているため、これがシナリオどおりではなくて何だろうと言いたい。嘘つき呼ばわりするのは個人の名誉を棄損することになるので言えないが、かなりそれに近いと言える。夢で背中を押す人がいたので書いたわけだが、いけしゃあしゃあと、白を切るとはこのことかと情けなく思った。どこかにトリックでもあるのか、また、鳩山さんの「否定」の立証も出来ないものかと考えてはみたが、先にも書いたとおり「言わなかった」ことの事実は存在しない。残るのは、言われた言葉に呼応して起きた事実であり、その事実が教えてくれることから探し出すほかない。
 鳩山発言に関して米公電の内容とは正反対であるため、その真相がイマイチすっきりしないことの無念さは残る。また、沖縄基地移転問題が暗礁に乗り上げている現実である今、鳩山政権の脆さというか襤褸(ぼろ)さは、前政権の自民党案よりも酷い結果を残している。疑念を抱きながら信頼関係を装うというという自分の中での矛盾は、今回の件からは払拭できなかった。

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2011-05-06

ウィキーリークスのことやら「I am robot and proud」のことなど

 ニューヨークタイムズが報じた2009年9月21日付けのウィキーリークスの公電は、自民党から民主党に政権が移る時期のアメリカの対日外交に関するものだった。極東ブログで訳がついた(参照)。掲載記事が紹介されるまで私が知っていたのは、数あるリーク情報のごく一部を搾取して引用された日本のメディアの情報だった。特にどれかを拾って激しく反応すると言うものでもなかったが、ニューヨークタイムズが報じた内容の一部で触れている記事に、鳩山さんのいつもの失言の類を中国でしゃべったことが、キャンベル国務次官補を興奮させたというのは後から知っても恥ずかしい思いがした(参照)。
 この記事だけだとなんとなくアメリカが日本の前首相をネタに嫌味を言っているような印象を受けたが、訳がついた9月21日の公電は、政権交代時に如何にアメリカ政府が尽力したかという印象を持った。普通に、政権交代の影響として周辺国が大変気を使うものなのだと改めて実感したが、鳩山さんからスタートしたのもまずかったと、後々の流れを振り返るに日本の外交はその体をなしていなかったとも思った。備忘のために、アメリカがピックアップした項目だけを拾ってみた。

インド洋上再補給・沖縄基地問・秘密核合意と日本の非核三原則・中国・小沢は訪米の失敗に拘っている・小沢の役割・民主党指導者のスタイル

 各項目ごとの内容は、商業取引では欠かせない顧客情報のようなもので、良くも悪くも客観的に相手の情報を収集して有利に商談を進める作戦作りの基準書のようなものだ。当時は、山岡氏がアメリカの窓口になっていたようだが、このような背後の努力も虚しく鳩山首相は短い命で首相の座から退いてしまった。また、日本の首相が頻繁に入れ替わり立ち代りするものだから、日本を相手に外交を進めるのは容易ではないと察した。
 ところで、外交ではこれくらいのことは当たり前に行われていると思ってはいたが、日本政府はこのようなことはやっていないのじゃないかと思う節があり、ヒヤッとした。昨年、メドベージェフ大統領が国後島へ舞い降りた際、慌ててロシア日本大使を呼びつけて叱り飛ばしたのを思い出したからだ。
 また、横浜サミットで胡錦濤国家主席が来日した際の菅首相との面談では、菅総理の台詞はメモ読み状態だった。会話でも対話でもなかった。せっかくのチャンスにアレはまずいというか、成果はあったのだろうか。
 このように書き始めると政府叩きとなる嫌いがあるのでこの辺でやめておくが、日本もリークされる程の情報があっても良いはずだけど、政府にはないのじゃないかな。ネタにもならないというか。中国やロシア、韓国や北朝鮮に関するリサーチ情報とかきっとないのじゃないかな。外交的には、こういった情報がないと進められない筈なんだけど。
 と、こんな風な感想を持った。
 話はガラッと変わるが、昨日、素敵なエレクトロニカ(電子音楽)を見つけた(参照)。何でも、「聴いているとさらに目が覚めた」というので、エレクトロニカにありがちなうるさい系かと思ったら全く違う系。なんと言うか、心地よい。ついつい聴きこんでしまうから目が覚めるのだろうか、そこらへんはよく分からないが、ボサノバのような雰囲気もある。あれかな、ギターの入り方が絶妙かも。今日は、本当はこの曲についての話がしたかったのだが、まるで情報がない。ただただ心地よい曲だとしか言えない。

 どういう人物が作曲したのか興味が湧いて調べたが、このグループに関しては情報が少なかった。【The Electricity In Your House Wants To Sing】 / I am Robot and ProudというCDを勧めるブログの紹介記事があった。乏しい情報の中で、唯一作者に触れていた(参照)。

 カナダのトロントに住む中国人Shaw-Han Liem(ショー=ハン・リーム)によるプロジェクト"I am Robot and Proud"の新作3rdフル・アルバム!!
大ヒットした前作【Grace Days】より3年振りとなるアルバムです。
本来ならば前作と比べて感想を書きたい所なのですが、"Kaito"同様"I am Robot and Proud"を聴くのはこのアルバムが初めてなので、そこは省略。
と行きたい所ですが、他のレビューを参考にしてみると前作同様、期待を裏切らない内容で、柔らかくキラキラしたメランコリックなサウンドは健在との事。

 2003年に「Grace Days」がリリースされたらしく、それが大ヒットした?うーむ、その頃私は何を聞いていたのか全く思い出せない。昔のTalking Headみたいなものだったかな。などいろいろ思いにふけりながら昨日はぼーっとしていた。

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2011-05-05

中島敦の文学に触れる時

 この連休は本を読むと予告したとおり、時間さえあれば本を読んでいる毎日だ。と言っても、随分と読書力が落ちたことを感じ、しょぼーんな日々でもある。昔なら何時間でも集中して読めたが、まず、目が疲れる。老眼といえるような自覚はないが、疲れると言うのはその兆候だろうと思う。友人には私よりも早く老眼鏡をかけている人もいれば、最近、度の弱いのが必要になってきたと聞く人もいる。そして、読むのが億劫になるとも聞いている。なんとはなしだが、そうなる前に沢山読もうと焦っているのだろうか、読んでおけばよかったと悔やむ気持ちを後で味わうことのないよう拍車がかかっているのかもしれない。
 先日、Apple StoreでiPad2を買った。と言ってもまだ届いてはいないが、実は、母の日のプレゼントに私の母に進呈しようかと考えていた代物だ。昭和3年生まれの母は今年83歳になるが、昔から読書が好きで、暇さえあると新聞か本を読んでいる人で、私は、なんとなくその血を引いているのかもしれない。実家には本が沢山あるが、いつだったか母がその本の処分について話していた。私のこの歳でも老い先、あまり物を残しておきたくないと思うのに比べ、母は、暢気だと感じていたほどその手の話を聞いたことがなかった。あまり片付けが上手な人でもないので、さほど気にならなかったのかもしれない。そんなこんなの思いがあり、紙文化から移行してはどうかと思っていた。
 一昨日帰った岐阜の友人ともiPadの話で一時盛り上がった。息子さんが既に持っているそうだが、彼女は、関心がないものには目もくれず、機能などはあまり知っている風ではなかった。私がiPhoneを使いこなしていると見えたらしく感心していたが、私としては、アプリケーションの使いこなしがイマイチではないかと思っている。何万とあるアプリケーションから使い勝手の良いものやニーズに合わせて選ぶというのが面倒くさくなるので、一度入れたらずっと同じものを使っている。ただ、ネット上の友人というのはありがたいもので、特に同世代の勧めるものには違和感なく飛び移ることが出来る安心感を持っている。
 前置きが長くなったが、昨日は中島敦の「光と風と夢」(参照)の紹介だった。冒頭にもあるとおり、高校の国語の教科書の「三月記」という短編で出会っている人が多いのではないだろうか。

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中島敦全集(1)
中島敦

 秀でた才能を持っていても磨かなければ一流の作品は生み出せないという戒めや、辺境に身を置くような臆病な性格は羞恥心から来るのか、それとは裏腹に他人からは理解されず、尊大で傲慢だと思われてしまう人の儚さのようなものを感じる作品だ。中国の「人虎伝」を元に書いたというかそのものという短編小説だが、とても悲しい。胸にグサッと刺さり、ひりひりするような痛みを覚えるような作品が多い。finalventさんがニ、三日前から何かを読みふけっていると知り、何を読んでそんなに感動しているのだろうかと興味津々だった。中島敦と知って、なんとなく分かるような気がした。と、分かったようなことを書くのはおこがましいが、内容が分かったという意味ではない。中島敦の文学は読む度ごとに味わいが深まると言うか、引き付け方によっては味わいが変わると言う意味だ。それが「光と風と夢」だと知り、早速iPhoneに入れている「i文庫」で読み始めたが、その前に読みかけがあるので今はしおりを挟んで書棚に置いている。
 中島敦と言えば、4年近く前に折に触れて「三月記」を読んだが、読み時を間違えた感があった。何とも悲しく切ない虎の生き方に涙が止まらず、何度も読み返して思い知ったのは、人の生を変える事や救うことは出来ないということだった。そして、それ以降読めなくなったのを覚えている。紹介の「光と風と夢」は実はまだ読んでいないが、「三月記」の後遺症のため臆する気持ちもある。
 書評にはこうある。

 中島敦の文学とは何か。あえてひと言で言えば、人がものを書くということの妄念の姿である。これが自身と死の形を決定していくなら、受け入れるほかはあるまいという壮絶な生の覚悟の姿でもある。むしろ、そうした中島の姿に近似な虚構としてスティーヴンソンが選び出された。

 「三月記」を読んだのを後悔したような気になったのは、その時、「壮絶な生の覚悟」がなかったからかもしれないと思った。読み時を間違えたと言うのはそのことだったと思うと、中島敦の文学にここで触れることは生への覚悟を迫られるということかと思った。
 さて、この「i文庫」だが、大変便利なアプリケーションである。本好きにはおそらく一番人気があるのではないかと思う。新書もあるし、著作権の切れた昔の純文学など8000冊以上の青空文庫を揃えている。私は、作家別の索引から読みたい本をあさってはダウンロードし、書庫に溜めている。何十冊もあるが、リアルに机の上に積んであるのとは違って満足感と充足感があるから不思議だ。
 また、辞書との連携が非常に便利で、読んでいる最中に簡単にアクセスできる。普段、紙で本を読む時は辞書を引きながらということはあまりない。その分、前後の文章から分からない語句の意味を「読む」学習にはなるのだが、辞書があればあるに越したことはない。それも、分からない語句の上に指を長く押し付けているだけで辞書の選択画面に変わるという素早さだからたまらない。
 また、手持ちの資料やネット情報をZipファイルとして作成すればi文庫に転送することが出来るので、自作の本が出来るのが嬉しい。今、その準備をしている最中でもあるが、目標を持つということは楽しいことである。

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2011-05-04

オサマ・ビン・ラディン氏の殺害について

 オサマ・ビン・ラディン氏がアメリカ軍によって殺害され、水葬された。何かと最近海に流すのを聞くが、あまりいい気はしなかった。水葬とは埋葬しないという意味かと思ったが、これは、永久に葬るという意味合いだったのだろうか。
 殺害されたことを最初に知ったのは2日、外出先でたまたまTwitterのタイムラインで流れたBBC記事を拾って読んだ時だった(参照)。一緒にいた友人とはこの件で少し話しながら帰宅したが、何とも気が重かった。そして、気持ちに整理が出来ず、書くに書けなかった。未だにすっきりしているわけではないが、書きとめておこうと思う。
 最初に持った感想は、「オバマ氏率いるアメリカは正義をなしたと勝ち誇り、国を挙げて人殺しをした」であった。その晩のニュースで映し出された映像を見て、街に繰り出して上気している人々の様子を見るなり気持ちが悪くなった。
 911テロで多くの人が犠牲となり、その悲しみの深さがどれ程のものだったかは、あの歓喜の裏返しなのだということは理解できないでもないが、同時にそれと同じ悲しみをオサマ・ビン・ラディン氏を国の英雄と見なす人々に与えたことになる。つまり、「敵のテロリストは味方の英雄」である。これがそもそもの問題であるため、その目的や意図を議論に入れると、準じて意見が分かれるだけで収集がつかなくなる性質を持っていると思う。だが、オバマ氏が「正義をなした」と言っているのは他人事じゃない。私もその一人として含まれていると思うと気分が悪くなるのは、人殺しの片棒を担ぎたくないという拒否反応であることは間違いない。
 感情的なことはさておきと簡単には行かないが、国際社会の一員として、何に賛同するのか考えてみた。というよりも悩んでいるが。
 ビンラディンは、米軍のサウジからの撤退や、アフガニスタン、イラク戦争で具体的な要求をしなかったと言えば嘘になるが、仮に米軍がサウジから撤退したとしてもアルカイダのテロが収束したとは考えにくい。その背景に、イスラム教徒が世界的に西側、キリスト教文明に圧迫されたことによる脅迫観念があり、彼らの要求は、実現が困難な種類のものだったとは思う。その結果、手段として世界的に無差別なテロ「911」を行使したことは立派な犯罪である。イスラムに対するネガティブなイメージを全世界に植え付けることとなったのは事実だとも思うが、行為そのものから、テロか否かを判断するのが最も公正だとしているのが国際社会の基準で、これ以上の公正な基準などはあり得ない。国連加盟国のどこからも謗りを受けない公平な発言すべき国連事務総長が、このテロ行為を首謀したビンラディン氏の殺害を歓迎しているというのが国際的な評価のようだ(日経)。

 潘事務総長は「アルカイダの犯罪はほとんどの大陸に及び、悲劇をもたらすとともに、何千人もの命を奪った」と指摘。ビンラディン容疑者の死亡に関して、個人的な感想だと断ったうえで「正義が達成され、非常に安堵している」と心境を語った。

 これでも私が殺害が公平だと思えない理由に、ビンラディン氏が国際社会のテロに対する認識を理解したうえで自分の罪を認めなくては意味がないと思っているからだ。が、どう考えてもその接点はおそらく永久に見ることはないとも思った。それは、「イスラムの怒り」(参照)で知った彼らの信仰上、その育ちから歪められないものだからだ。命がけで守る意味があるからだ。
 それよりも、本当に彼が911テロ事件の首謀者なのだろうか。途中の記憶も曖昧だが、あのテロ事件後、どこからともなくビンラディン氏が首謀者だとされ、彼の隠れ家を追跡するニュースを知ってはいたが、彼が首謀者であるという仮定的な見方の上で成り立っていたのではなかっただろうか。そこがよく分からないままだというのもすっきりしない。
 また、もっと突き詰めて考えてみると、彼一人を殺害しても、イスラムの怒りには終わりはなく、延々と引き継がれて行くだろうという点だ。これを思うと、米国のあの歓喜に湧いた図柄は、またいつしか次の地獄絵と変わるのではないかと思った。これを「ビン・ラディン氏がいなくても、アルカイダという旗さえあれば、自らの死を厭わず神風決死隊に参加する人々は絶えない。」(参照)と言われていて、実は、このエントリーを書く気になった。大勢が喜ぶ中に水をさすような罪悪感があり、気後れしてしまったのが正直な気持ちだ。
 ここまで整理するのにかなり時間がかかってしまったが、オバマ戦略としてはこの時期にビンラディン氏殺害を行ったのは、計画的だったと言える。諸説いろいろあるようだが、Newsweek(日本語版)のコラムで冷泉彰彦氏がまとめている意見は参考になった(参照)が、最後の一行が気になった。

 いずれにしても、今回の事件は「オバマという政治的怪物」の真骨頂だと言えるでしょう。良い意味でも悪い意味でも、オバマは2期目を射程に入れてきたと思われます。

 「良い意味でも悪い意味でも」とは何だろう?と、ふと気になったが、ここは私の悪い癖で直ぐに答えが見たくなってしまうところだが、これが今後の私が見て行く課題なのだと思った。
 また、世界の独裁者はどう見ているのかと気になり外国紙も当たったが、それらしきことに触れている記事はなかった。
 ビンラディン氏の殺害を極東ブログでは次のように見ている。

  米国の関心も、現実的にはビン・ラディン氏の始末より、パキスタンが保有する核の管理にあり、パキスタン国内の反米的勢力に懸念を抱いている。その点で今回の事態は、彼らへの強い威嚇にもなり、米国の戦略の駒を上手にひとつ分だけ進めたことになる。
 国によっては威嚇も感じない剛胆なる独裁者もいるが、我が隣国の小心なる独裁者は身震いしただろうし、中東にいるその友人の独裁者も悪寒くらいは感じただろう。

 冷泉氏の視点から、オバマ氏の政治的な手腕という文脈で捉えたため、その強かさにメジャーを当ててしまうが、世界平和を唱えるオバマたらんとするなら、アフガニスタンから撤退するまえに片付けるべきはパキスタンの保有する核管理問題であり、大きな課題だと思う。同時に、パキスタンの核開発に北朝鮮が手を貸しているならば、その触手はしばらく伸ばせないような威嚇ともなったのかもしれない。

 

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2011-05-03

大前研一氏の「日本復興計画」、読んでみようと思う

 昨日、岐阜の友人が突然遊びにやってきた。誘われるままに県内観光まがいのドライブに付き合ったが、外は黄砂で霞んだ一日であった。中国から黄色い砂が飛んできて日本中を覆いかぶしてしまうのかと思うと嫌な感じがしたが、逆に、福島原発辺りの空気も日本列島側にではなく海の方へ運ぶのだなとぼんやり思っていた。日差しはないのにぽかぽか陽気で、霞の向こうには太陽があるのだと肌で感じながら、久しぶりの外出らしい外出だったと振り返った。
 地震は長野県でも震度6強を記録し、その後、原発事故と余震の恐怖が長く続いたため、連休でどこかへ行くような気分すらなかった。原発の恐怖と書いて、これは、無知からくる恐怖だなと思ったが、いつまでもそんなことは言ってはいられない。立っている地面がぐらぐらしている間その恐怖と向き合い、人間の力ではどうにも止めようのない揺れの怖さはもう沢山だと天災の怖さは十分味わったが、人の力で何とかできるものだという思い込みのようなものが原発にはあった。が、原発の一番の恐ろしさは、人はあまりのも原発に無知で、なにが起こるか的確に予測できない事と、人が近づけなくなるということだった。手の施しようもない状態とはこのことで、何と恐ろしいことかと思った。これまでもいろいろ書いてきたからこそ言えるのだが、ニュースの情報だけでは理解できないことが多くあったと思うし、むしろ混乱状態に陥っていたのではないかと思った。そこを補ってくれたのは、Twitterやブログでの情報、また、多方面の識者の見解を知ることが出来るYoutubeなどの映像は、問題を多角的に見つめる手段となった。この時代でよかったと思った事もあった。

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日本復興計画
大前研一

 極東ブログで紹介の「日本復興計画」(参照)の著者である大前研一氏が、原発がどういうものであるかを具体的に率直に説明する学者として代表的な人物だと思ったのは、原発事故後の割りと早い時期だった。ここでは3月17日の「大前研一氏曰く「電気の節約」」(参照)で紹介したが、その前からTwitterを通して氏の意見に触れられるサイトの情報なども入手できたため、私の中ではポピュラーだった。どの記事だったか記憶はないが、大前氏の寄稿の文末で「日本復興計画」の発売予定が記されていた。この時点で、私の記憶ではAmazonに予約したつもりだったが、未だに届いていない。そのことを思い出させてくれたのも昨日のエントリーだった。また、この本が未配であることを思い出しても、さして残念でもなかった。それは、大前氏の話をあちらこちらで繰り返し聞いたり読んだりしてきたこともあるため、真新しい復興計画が書かれているといった期待感がもてなかったからかもしれない。このまま本が届かなければ忘れてしっていたのではないかとさえ思ったが、以下の短い引用にコメントされていることが気になった。

 以上は私の現時点(三月十九日)での各種データからの推測だ。福島第二原発のほうは津波の被害を受けていないので、炉が停止しても非常用電源が立ち上がった。外部電源は福島第一と同じ変電所から来ているので、これは津波の前にすでに地震で落ちてしまっていたと考えられる。なぜ福島第一の非常用電源施設が使用不能になったのかは、被曝の惧れなく炉に近づけるようになってから詳しく調べれば判明するだろう。

だいたい予想は付きますがね、これは。
 本書で文章の形で大前さんの当時の話を読みながら、あの時点のことをいろいろ想起した。この本は重要史料となるだろうとも思った。

 「重要史料」とある。「資料」ではない。私は、勝手な思い違いで危なく史料を無駄にするところだった。早速注文の履歴をチェックし、もう一回注文し直した。
 今だから言うのだが、原発事故直後だった3月中旬頃、Twitterの一部で大前氏のことをとんでもない学者だという風評が立っていた。賛否両論あっても良いとは思うが、氏の考えを読み聞きする範囲で私は、逆に率直に物を話す人だと好感を持っていたほどだった。これは、極東ブログのエントリー全般にも同様のことが言える。むしろ、原発そのものを隠し立てせずに教えてくれていると感じたし、だからと言って妙な安心感を持つこともなかった。むしろ、これまで疑うこともなかった安全性に過信してはならないと俄かに知ることができたと思っていた。私に氏を擁護するほど原発の知識はなかたったが、あそこまで語って世に知らせようとする姿勢は、学者としての愛情ではないかと感じた。
 極東ブログが言われる初めのころの読者の反応は、私がTwitterで見かけた「とんでも学者」扱いされた大前氏のそれと同じ大衆心理のようなものではなかったかと感じた。多くが賛成する考えが正しいとは限らないし、真理が何であるかがどこに潜んでいるか、探し当てることが大切だと思っていた。今ではどうだろうか。当時、極東ブログで推察していた原発の姿の通りに概ね進んできているし、大前氏の話した原発の最後の姿にほぼ近づいている。だから両氏が正しいと言いたいのではなく、研鑽の繰り返しなのかなと思った。
 さて、どれ程どん底であろうと、次に意識が向くのは「復興」しかない。書評では復興計画にあまり言及はないとあるが、人々が涙ながらに政府の対応を求める姿が目に浮かび、重ねて現実は厳しいものだと受け止めて行くのは苦難を伴うことになる。政府が復興政策に取り掛かるとき、その資金は、私たち国民から集めた税金を使うしかない。復興が十分に行われるために、どれくらいの予算がトータルで必要なのだろうか、それは分からない。でも、これから先もっと貧乏になって行く先細りの経済しか見えない日本を思うと、私個人が答えられるのはあまり期待しないで欲しいということだ。それじゃぁ何とも寂しい限りだ。
 大前氏が週刊現代で少し具体的な話をしている。

 「大前研一氏 原発設計は知識人でなく現場の知恵を重視すべき」
今後、もし原発を新設する場合は、今回の事故の反省をすべて生かし、たとえ全電源を喪失しても格納容器が損傷しても冷却機能だけは維持できる原子炉、絶対に放射性物質が飛散しない原子炉を考えねばならない。
 たとえば、完全に別系統のループを外部から持ち込んだ電源車で崩壊熱の冷却を続ける、といった“現場の知恵”ともいえる発想が欠けていたことが今回の事故で浮き彫りになった。
 つまりMITの大教授や原子力安全委員会など頭でっかちの「安全基準」の外側に、想定外の暴走を止める意外に簡単な仕掛けがあった、ということである。これから事故の解明が進む中で、数々のアイデアが浮かび上がるに違いない。(週刊ポスト2011年5月6日・13日号)

 僅かだが、将来に希望をつなげられたらよいと思った。

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2011-05-02

メア氏発言が分かりにくかった背景とメディアへの警戒感

 メア氏発言で私の気がかりは、二つあった。それも、大騒ぎするほどのこともないと当初はあまり関心がなかったが、一つは、メア氏が学生相手の講義で沖縄を侮辱した発言をしたと報じられた直後、メア氏のコメントを一切表に出さなかったアメリカ国務省のその理由だった。隠蔽と言うよりも、事を大げさにしないため口をつぐんだと言う印象だった。大方、沖縄感情を損ねないための配慮と言う気はしていた(参照)。
 その後、ウォールストリートジャーナル日本のインタビューに応える形でメア氏本人の 言い分を聞いた時(参照)、学生によるメモの内容は歪曲されたものである点と、そのメモを作成したのは「おそらく反基地運動の関係者」、という表現によって仄めかしに聞こえた点だった。そこで疑ったのは、メア氏は、反基地運動家を知っているのかどうかだった。
 学生と反基地運動家がつながっていることが立証されなければ、メモの歪曲を言及するには信憑性の点で曖昧すぎると思った。また、本当は誰が歪曲したかを知っているのかもしれないと思っていた。これを推測だけでここに書くわけにも行かず、事の進展を待っていたと言えばそうだが、メア氏が自ら退職して名誉回復のために表に出てきて釈明と反論をしたとき、歪曲の張本人が暴きだされればよいとは思った。
 極東ブログは、メディアの報じていることが事実に則していないのではないかという点を明るみにし、メア氏一連の背景を出来うる限り洗い出している。結果、私が感じたのは、片手落ちの報道に多くの人が振り回されたと言うことだった。
 昨日の極東ブログ「メア氏問題の背景」(参照)を読めば分かることだが、講義を受けた学生の中に反基地運動を首謀する同大学院生の猿田佐世がいたことと、学生の指導的立場であるデービット・バイン准教授が「二人のリーダー」に該当するようだ。これはまず間違いないのだと思うが、問題が、このようなメンバーを国務省の役人が催す講義に参加させていた事だとすれば、国務省の落ち度である。また、歪曲が事実なら、何故この二人を名誉棄損で訴えないかなと思う。それが出来ない理由が国務省にあるからメア氏は口止めされ、結果、名誉回復のため退職して表に現れたのだろうと推測した。謎のままになってしまうのは、国務省の本当の理由だ。メア氏はおそらく知っていると思うが、個人の名誉回復は出来ても、守秘義務を侵害すれば元も子もなくなる。この謎は、このまま迷宮入りとなるのだろう。
 「私のメディアに対する警戒感がわかる人なら、またやってるねくらいの話である。」と、前段で言われているが、メディアに警戒感を持つことを教えてくれたような事件だったと思ったのは私だけではないと思う。それがプロのジャーナリストかと疑いたくなるが、相手に求めてもどうにもならないので、自分で調べて事の真相を知るしかなくなると思った。
 話はガラッと変わるが、放射線防護の専門家として内閣官房参与に任命されていた小佐古敏荘東大大学院教授が4月29日、放射線量基準をめぐる政府の対応を「場当たり的」だと批判して辞任した件で、少し気がかりがある。今後どうなるかは分からないが、メディアに対する警戒感も含めて備忘として書きとめておきたいと思う。
 この辞任は、原発や放射線の問題で官僚に頼らない「セカンドオピニオン」が必要だとする考えのものとに首相官邸に呼び入れた専門家の造反であると捉えてよいのだと思う。わざわざ呼び入れた学者に批判されたままでは、政府は認めたことになる。そこで、枝野氏が説明の会見を開いたが「誤解されたまま辞任した」と釈明している。これでは、政府の面子を保ったに過ぎない。問題は、小佐古氏の専門家としての意見が何であったかと、そのことが議論されていないから「誤解だ」で済ますしかなくなっていることが残念であり、政府への不信にもつながる点だ。小佐古氏は、放射線防護の専門家であるゆえ、市民に直接的な問題として見逃したくなかった。
まず、氏の意見だが、5月1日の赤旗が端的にまとめている(参照)。

小佐古氏は29日の辞任会見で、原子力災害関連の法令順守を基本とする立場から、政府の対応を「その場限りで『臨機応変』な対応を行い、事故収束を遅らせている」と批判。その具体例としてあげているのは、次の3点です。
(1)福島第1原発からの放射能拡散を予想する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI)が手順通りに運用されず、公表が遅れた。
(2)放射線業務従事者の緊急時被曝(ひばく)限度について、今年1月の文部科学省放射線審議会で法令の100ミリから500ミリシーベルト~1シーベルトまで引き上げるよう提言したが採用せず、今回の事態を受けて急きょ、250ミリシーベルトに引き上げた。
(3)原子力安全委員会の委員は4月13日、福島県内の小学校等での被曝量について「年間10ミリシーベルト程度」と発言したが、文科省は19日に「1~20ミリシーベルト」との基準を決定した。

とりわけ小佐古氏が強く批判しているのは(3)です。会見で「通常の放射線防護基準(1ミリシーベルト/年)で運用すべきだ。特別な措置を取れば数カ月は年10ミリシーベルトも不可能ではないが、通常は避けるべきだ」と指摘。原発労働者でも年間20ミリシーベルトの被曝はまれだとして、「私のヒューマニズムからして受け入れがたい」としています。公表されている各種の資料を見ると、国内の原発労働者の年間平均被曝量は数ミリシーベルト程度です。

 小佐古氏の辞任表明を受けてから直後の4月30日、枝野官房長官は次のように説明している(参照)。

--辞任の理由で小学校の年間限度を20ミリシーベルトにしたことをあげ、強く非難していた。原子力安全委員会にも、もっと限度を下げるべきだとの意見もあったというが
「これについては明らかに誤解をしているが、20ミリまでの被爆は構わないというような方針、指針ではまったくない。当該学校について地域的な広がりとしては20ミリシーベルトには達しないと思われている地域の学校についての問題。そして、校庭について。確か3・8マイクロシーベルト/アワーを超す線、これが、この屋外につまり校庭の真ん中に1日8時間いて、そして屋内に残りの時間、木造住宅に16時間いて、365日を継続すると20ミリシーベルトになるという計算だ」

 枝野氏の主張する「誤解」は何にかかっているのかとじっくり読むのだが、人の言葉と言うのはよく分からないものだ。
 「20ミリまでの被爆は構わないというような方針、指針ではまったくない」と強調しているのが何にかかっているかだが、誰もそうは批判していない。もっと下げるべきだとして小佐古氏は、「通常の放射線防護基準(1ミリシーベルト/年)で運用すべきだ」という主張と、原子力安全委員会の「年間10ミリシーベルト程度」と両者は提示している。ところが、ここで議論されたでもなく政府は、「年間1~20ミリシーベルト」という文科省の基準を採用したため、小佐古氏は、存在意味を失ったのだと思う。年間被爆量の違いこそが意見の違いの部分であり、これは「誤解」ではない。
 ここで、一市民として恐ろしいのは、専門家の観点と役所(文科省)の観点が違うにもかかわらず、その根拠を議論することなく提示された決定事項から健康被害が回避できるのか、その指針の信憑性が欠けることだ。言い換えると、被爆許容量があるとすれば、それは低いほど安全であるというのが一般的な解釈だと思う。枝野さんの話しが苦しい言い訳ではないのなら、何故、小佐古氏の意見の扱いを明確化しないかだ。「誤解」の一言で済ませる問題ではないと思う。
 専門家がその専門性として主張し、政府の方針がその責任範囲を超えるという理由で辞めるということは自由だが、政府に対する不信は残る。逆に、これを利用して菅下ろしの陰謀を企てている人物がいるとは思いたくないが、日経は次のように報じている(参照)。

枝野幸男官房長官は記者会見で慰留する余地のない辞任だったと主張した。小佐古氏を細野豪志首相補佐官を通じて首相に推したのは辞任会見に同席した空本誠喜氏。小沢一郎元代表のグループ出身の当選1回の衆院議員だ。首相官邸内では「反菅」勢力との関わりなど辞任劇の背景を勘繰る向きもある。

 このように書かれていると、否が応でも政局の権力問題に風景が変わる。ここで何かの思いが読み手に固定観念化すると、他の記事の読み方も自ずと偏ることにもなり兼ねない。
 メディアへ警戒感を持っていても、読み手側に偏りがあるとなかなか中立的な立場で物事が見えないものだ。私の例では、血生臭いことが苦手であるため、中東の争乱の何が内戦で何がジェノサイドかなどの区別がつきにくくなる。
 読み方という意味でも、極東ブログの今回のエントリーは、両者に適度な刺激をもたらしたと思う。

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2011-05-01

オバマさん、アイルランドに行くらしい!

 オバマ大統領が5月23日か24日、アイルランドの中部にあるモニーゴール(Moneygall)村に表敬訪問らしき旅に出ると知った(参照)。これは、アイルランドにとっての経済効果はあるのかなどと少し思ったが、全く関係ないみたいだ。オバマ大統領のご先祖様は、この村の靴屋の息子さんだったそうだ。この話の流れがとても面白く、ずっと続くのかと思ったらそうでもなかった。じゃが芋飢餓で、食うや食わずの生活がおそらく続いたのだろう、アメリカに住む母方の親類を頼って渡米されたそうだ。その年が1850年だということからざっと160年前。ということは、一代を30年と見て、5代目くらいに当たるのがオバマさんの代かな。エントリーで引用されているワシントンポストでは「great-great-great-grandfather」とあるのでだいたい当たっていると思う。ご先祖の生まれがアイルランドというのが分かったのは2007年で、この年にオバマ氏が訪問していたというのも知らなかった。であるなら、今回の訪問は、来年の大統領選挙をターゲットに、アイルランド系の票まとめが目的の訪問だと思った。その数はというと、おお(びっくり)、米国の自称アイルランド系4500万人にスコットランド系アイルランド人が6~700万人を足すと、ざっと5000万人になるらしい。「まとめる」と言える数にはなるのだろうな。
 早速、野暮ったい話しから入ってしまったが、私はアイルランドが大好きで、イギリスで学生だった頃、一人でアイルランドにヒッチハイクした事がある。その時、オバマ氏の訪ね先であるモニーゴール村の西20km程にあるニーナ(Nenagh)と言う小さな町で二日ほど泊まったことがあり、当時の風景を思い出してしまった。
 町と町を結ぶ道路は殆ど舗装はしてあるが、羊の放牧のための緑の絨毯(じゅうたん)と空は、ずっと向こうの地平線でぶつかり、そこで緩い弧を左右に延ばしていた。立っていた私は、その丸い輪で囲まれて地球の広さを実感していた。それくらい何もないところだ。オバマ氏が訪問するモニーゴールという地名は、Google地図をかなり拡大してから現れてくる。ニーナの方が先に表示されるところをみると、実際はかなり小さな村だと思う。その村を訪問することがアメリカで5000万票もの票獲得につながるという感覚はどうだろう、日本人には考えにくいかもしれない。うーむ、よく分からないが、アイルランドに関しては、この地からアメリカやオーストラリアに人が散らばり、先祖の故郷としているのは実際よく聞く話だった。
 思い出話のようになってきてしまうが、イギリス本土のホリーヘッド(Holyhead)からダブリン(Dublin)へフェリーで渡った時、オーストラリア人兄弟と出会い、三人でレンタカーを借りて車でニーナへ向かった。何故ニーナかというと、この兄弟の先祖の出身地がニーナで、叔父夫婦が継いでいる先祖代々の家を訪ねるための旅行を計画していたからだった。つまり、オバマさんでなくても自分のルーツを辿る旅というのは割りとヨーロッパでは多い。勿論、この兄弟だけでなく、そういう旅をする学生も多かった。これは、移民という歴史があってのことで、オーストラリアの西部は、イギリスの植民地でもあった。日本なら長男が家を継いでいることが多いため、親戚付き合いの一環がこれと似ていると思う。
 近い例えで言うと、東京でお笑いをやって知名度が高くなった東国原氏が、生まれ故郷の宮崎県知事に当選するというような話に縮めることは出来るのではないかな。スケールはかなり違うが、でも、宮崎県民が、「宮崎をなんとかせんば」と帰郷してくれた彼に一票を投じ、活躍の程が試された。

Madeinaviary

 話をニーナに戻すと、私の遠い懐かしい記憶のニーナは大変小さな町ではあるが、どんなに小さな町でも旅人が泊まれるBed&Breakfastがある。朝食付きでアットホームな雰囲気の泊まり宿だが、食事が大変美味しい。頼むと夕食も用意してくれる。肉はふんだんに用意され、パンは自家製の酵母で、ストーブで焼いたブールが主食だった。雑穀が沢山混ざったパンだった。このパンの美味しさが忘れられず、酵母パンを焼くきっかけとなったのは言うまでもない。オバマ大統領のご先祖様が、あのニーナの近くと聞き、あの風景を見ながらニーナの町を通り過ぎるのだろうかと思うと、私も行きたくなってきた。
 そういえば、アイルランドのダブリンから来ていた英会話学校の講師と諏訪で知り合いだった。子ども達がまだ学校へ上がる前くらいのことだった。カトリックで、非常に礼儀正しい青年だった。家に何度か遊びに来たこともあったし、パーティーに呼ばれて行ったことがある。彼は5~6年諏訪で講師をした後ダブリンに帰ったが、帰国直前に家にやって来て将来設計を話してくれた。この時、話してくれた夢が実現し、ダブリン市内でラーメン屋さんを営んでいと塾経営者から後で聞いた。やったね、リアム!といったところだ。
 彼が日本で一番驚いたのは、ラーメン屋さんがいたるところにあり、いつでも気軽に食べられる食堂が沢山あることだと言っていた。日本の食文化にいたく惚れ込んでいたので、ターゲットはダブリン大学の学生相手のお店かもしれない。勿論、ダブリンには中華街もなく、唯一外国のレストランと言えば、アメリカのWimpyが出すガーベッジしかないと言っていた。因みに、アメリカのWimpyのハンバーガーとは全く別物で、ゴム製の肉かと思ったのを覚えている。私がダブリンに立ち寄って驚いたのは、外食できるまともなお店がWinpyしかなかったからだ。
 一度ふらっと旅に出てみたくなった。GoogleMapでしかニーナの画像が見つからず残念だったが、町のメインストリートの画像を見つけた。町を外れると、いきなり田園風景となって次の町まで家一件も見なくなり、羊の群れしか見なくなる。
 オバマさんと全く関係ない話になってしまったな。

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