「Why Libya is different from Darfur」ハミルトン氏の考えを知る
昨日のTwitterクリップで、ダルフールとリビアへの軍事介入についてを語るアメリカ人女性のインタビュー記事「Why Libya is different from Darfur」(参照)が非常に嬉しかった。思わず全文訳をつけてしまおうかと思ったほどだった。理由は、先日ここで触れた「ジェノサイドの基底について雑感」(参照)でも書いたとおり、アフリカで起きている国際社会の軍事介入はよしとしても、国連安保理は、介入国の争乱をどのような基準で見ているのか、本当にそれがその国のためになっているのかなど、複雑な思いがあった。いや、ある。これは悩みのようになっていて、解決の糸口も見つからなかった。考えるためのゲートにもたどり着かない状態だったからだ。記事のタイトルを見ただけで直ぐに読みたかったが、他の用事を片付けなくてはならなかったのでそわそわした。
介入に踏み切るその決定の是非が気になる元に、内戦は所詮内戦なのだから、介入すべきかどうか。また、見過ごしてはならないとするジェノサイドを問うのであれば、アフリカの内乱が全部同じように見えてくる。にもかかわらず、ダルフールでは何十万人もの人が既に虐殺されてからの介入だった。また、リビアやコートジボワールはどうだろう。違うじゃないか、と思いが錯綜した。
リビアであれば、内乱が始まってからわずか2ヶ月だった。コートジボワールでは、昨年の大統領選挙後の争乱からカウントすると4ヶ月と2週間である。ダルフールとは大違いだ。この差について、何か問う別な理由でもない限り、とても承服できるものではなかった。ダルフールでの介入がジェノサイドであり、公然と軍事的な介入が結果的によかったのであれば、逆にリビアやコートジボワールに介入したのはかなり時期尚早ではないのか、ともすると、内戦で済むのではないかと思ったりした。また、そもそも軍事介入自体が人殺しだろ、と私には同じように見えてならなかった。そのことも考える道筋を複雑にし、すっきりしない原因になっていたように思う。
そして、昨日のこの記事で、ダルフールでは、人々の助けを求める声が外に聞こえて来なかったことが国際社会の介入を遅らせたという話を知り、国際社会が勝手に外部で判断して介入の是非を決定している訳でもないことを知った。また、リビアに関していは、反政府側や周辺国との協調性の問題点などが根底にあったことなどが周知の事実であったことを知った。これに関しては私も「カダフィーという人物について」(参照)で既に触れたことだ。それなら話は分かる。とてもすっきりと分かる。リビアも割と早い時期に反政府側から介入の要請が出ていたことを記憶している。また、コートジボワールは、国際社会の管理の下で選挙され、その結果にいちゃもんをつけてぐずっていたのはバグボだった。そのバグボが暴挙を振るい、市民を殺害する行為に走れば、私だって容赦しない。介入の是非を問うまでもないことだ。国連安保理が、一定の平等的な観点を保った上での判断であるなら、何の文句もない。悩みの元は、その部分が疑わしかったけかもしれない。
今始めて結びついたのだが、リビアへの介入は石油の利権、コートジボワールへはフランスの支配的な管理による介入ではないかと勘繰ったのは、介入時期やその決定基準に不純を感じたからだった。これは、ここにも今まで書いてきたことだが、人は猜疑的な心理状態にあると、物事をそのまま見られなくなくなりそうだ。但し、フランスや西側諸国に石油の利権がまったく絡んでいないとも思わない。事実、利権問題は存在しているが、私の中で、これを混同せずに考えるという点に区切りをつけられたことは、あらぬ誤解を生まずに済んだと思う。
また、最後にハミルトン氏は、ダルフールには今後も国際社会の介入が必須だと話しているが、そういうことが起こらないことを願うしかない。また、今年1月の選挙によって南北が分かれたことや、バジル大統領が国際社会の制裁を外す条件を飲み、交渉が成立した点でも、そう簡単に約定を破ることはできないだろうと思う。もし何らかの違反があれば、それは今の権力の座からの失脚を意味すると思う。
最後に、アフリカ諸国に起こる虐殺を撲滅することは国際社会の横暴ではなく、その国に住む人々の生きる権利と自由を求める事に対する最低保証への使命でもあると思う。また、生きることは、人に備わっている当たり前の本能ではないかと思うと、ダルフールの二の舞だけは今後起こしたくない。助けを求めるかすかな声を、聞き取れる私でありたい。
記録の意味で、以下に一部の訳を書き添えておくことにした。
The pace of the Libya intervention has stunned the people of Darfur and the activists who worked so hard to protect them.Back in 2004, the assumption was that if you raised a loud enough outcry, governments would act to stop mass atrocities.The difference has not gone unnoticed by Rebecca Hamilton the author of 'Fighting for Darfur: Public Action and the Struggle to Stop Genocide'.
リビアへの仲介のペースは、ダルフールの人々や阻止しようとする活動家を唖然とさせた。2004年の話に遡れば、仮に、救いを求める声が政府を動かすのに充分であれば、大規模な残虐をとめることができたのではなかろうか。リビアでは、その叫びが始まるとすぐに、政府に介入した。 「Fighting for Darfur: Public Action and the Struggle to Stop Genocide」の著者、レベッカ・ハミルトン氏によると、その違いは見過ごされていない。
“What Libya has that Darfur never had, still does not have to the present day, and desperately needs, is a unified international commitment to do civilian protection,” said Hamilton.
リビアでは何か、それが、ダルフールにはなかったことで未だにないものは、必要性に迫られたことだ。これは、民間人保護のために統一された国際的な約定だと、ハミルトン氏は語った。
Hamilton says Libya underscores for her how the battle to protect civilians takes place in the realm of global geo-politics.In this case it was the Arab League's request to the UN Security Council to enforce a no fly zone and protect civilians that made the difference.
ハミルトン氏は、民間人を保護するための戦いは、世界的な地理政治の領域で行われる方法として、リビアは代表的であるとしている。このケースでは、国連安全保障理事会にアラブ連合の要求は、飛行区域を実施し、民間人を保護の強化に違いを生んだ。
“Without that then you would have had China in particular doing what it did in Darfur–and which is its typical position–which is to threaten to veto anything that looks interventionist,” said Hamilton.
「そして、それがなければ、ダルフールで行った中国であったし、それは典型的な位置介入する干渉主義者に見えるとハミルトン氏は言った。
“But with the Arab League specifically requesting to the UN Security Council that they do this, I think that led to China agreeing to abstain and let such a strong civilian protection resolution go through.”
しかし、アラブ連合がこの介入を国連安保理事会に明確に要請していて、私はそれが、制約となって、このような強力な民間保護の解決案に同意するよう中国に伝わったと思います。
The Arab League was willing to forsake Libyan leader Muammar Gaddafi in a way it was never ready to forsake Sudanese President Omar al Bashir. Michael Knights of the Washington Institute for Near East Policy says a key motivating factor in the Libya intervention was the widespread desire to see Gaddafi fall.
アラブ連盟は、スーダンの大統領オマー・アル・バシルを見切る準備ができていなかった方法でリビアのリーダー、ムアマル・カダフイを見捨てても構わないと思っていた。ワシントン近東政策研究所のマイケルナイツ、ワシントン氏は、リビアの介入の要素を動機づけた鍵は、カダフイ失脚は、皆の願望であったと言います。
“The Arab League generally has no love for Gaddafi,” said Knights“Many of the key players have a strong desire to see Gaddafi fall because of prior disagreements and bitter conflicts that they've had with him.Likewise the West has long-lasting grudges against Gaddafi whether they be the US, the British, the French.”
「アラブ連合は、一般的にカダフィ大佐への慈悲はない」とナイツ氏は言った。 「キープレーヤーの多くは、カダフィの失脚を切望し、前に意見の相違があって、長い間苦い闘争してきている。 同様に、西側諸国はカダフィーに対して長期的に恨みを持ち、米国、英国、フランスなどもそうではないだろうか。」<中略>
The UN Security Council did eventually deploy a peacekeeping force to Darfur, but not before hundreds of thousands of people had died and millions had been displaced.Even now, says Rebecca Hamilton, there's an urgent need for international pressure for a peace settlement and the enforcement of a ceasefire in Darfur.
国連安全保障理事会は、結局ダルフールに平和維持部隊を配備しましたが、何十万人もの人々が死んで、数百万が今や強制退去する前ではなかった。今でさえ、和平調停に対する国際的な圧力と休戦の実施の緊急な必要性がダルフールにあるとレベッカ・ハミルトン氏は、言っている。
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