2011-04-24

「枕草子」解読に近づくために、まずは漱石先生かなと思った

 「現代日本語と古文を結びつけてやさしく解説した書籍」。あったら読みたい、と思ったことがあった。それは、言葉に対する関心が何かであるが、学問的な関心ではなった。学校の授業で教わった古文や漢文は何故か全く好きではなかったし、毎度眠くなる授業だったのを覚えている。興味を持ったきっかけは、枕草子や源氏物語などの文学作品全集全24巻を友人から一冊ずつ借りては読破した中学二年の頃からの馴染みだと思う。その前に、小学生の頃、近所の四歳年上のお姉さんに百人一首を教えてもらって暗記した経験から、古文には違和感を持たなかった理由かもしれない。言うまでもなく、当時は全て暗記であり、意味など全く分からないにもかかわらず、年上のするように真似て覚えることが楽しみだった。ただ、意味が分からないことが、あるときから不満になった。いつか、この意味が何かを読み解きたいと思う気持ちはあったが、そのまま多くの疑問としてが残っている。
 その後、随分経ってから、丁寧語に含まれる言い回しの中に、古文由来の言葉なのだろうと疑問を持ち、使い方に迷ったままの会社員時代の懐かしさのようなものもある。社会人になる前に、もう少し勉強しておけばよかったと後悔することもあった。ただ、平成になってから、それらの言葉から全てが遠くなり、自分自身が疑問や興味を持つきっかけも乏しくなり、遠のいてしまった。
 昨日、極東ブログでこんな風に書いてあった(参照)。

古文が現代人にとって、ちんぷんかんぷんという状況が露出してしまうのは、本書の結果的な指摘のように、文部省唱歌あたりだろう。こうした近代の擬古文には、鷗外の「舞姫」もある。私が愛唱していた讃美歌もそうだ。これは通称大正訳聖書の関連もあるのだろう。あの時代、つまり明治・大正時代の古語は、当時の人にとっても、古めかしさの修辞だった。当時ですら特殊な文章だった。
修辞にすぎないが、この近代擬古文を経由すると枕草子といったいわゆる古文に接近しやすくなる。いきなり平安朝の古文を文法として提示するより、変遷の中間点として、唱歌や讃美歌など明治・大正時代の近代擬古文を学んでおくよいのではないか。候文なども併せて教えておくとよいと思う。

 でたあ。古文を理解するなら中間点の近代擬古文を学ぶとよいとある。私としては、古文を目標とするよりも、擬古文だけでも面白いのである。言われている森鴎外の擬古文と同時に思ったのが、夏目漱石だ。同じ時代の作家であるにもかかわらず、現代文にかなり近く、読みやすい。因みに夏目漱石は、森鴎外より五歳年下の1867年生まれだ。
 また、夏目漱石が文学で現代語で文章を書くようになった理由に、正岡子規との交友もあるようだ。正岡子規は、俳句を自由な言葉で表現することで、なじみやすいものに改革した人であり、漱石との交流は興味深い。
 漱石全集16に、漱石が御正岡子規との交友をこんな風に書いている。

「正岡子規との交際」
非常に好き嫌いのあった人で、滅多に人と交際などはしなかった。僕だけどういうものか交際した。一つは僕の方がええ加減に合はして居ったので、それも苦痛なら止めたのだが、苦痛でもなかったから、まあ出来ていた。こちらが無暗に自分を立てようとしたらとても円滑な交際の出来る男ではなかった。例えば発句などを作れという。それを頭からけなしちゃいかない。けなしつつ作ればよいのだ。策略でするわけでも無いのだが、自然とそうなるのであった。つまり僕の方が人が善かったのだな。
今正岡が元気でいたら、余程二人の関係は違うたらと思う。もっとも其他、半分は性質が似たところもあったし、又半分は趣味の合っていた処もあったろう。も一つは向うの我とこちらの我とが無茶苦茶に衝突しなったのでもあろう。
忘れていたが、彼と僕と交際し始めたのも一つの原因は、二人で寄席の話をした時、先生(子規)も大に寄席通を以て任じて居る。ところが僕も寄席の事を知っていたので、話すに足るとでも思ったのであろう。それから大に近よって来た。

 漱石の文章をここにこうして書くだけで、恐れ多くて手が震える。
 文章全体が旧仮名遣いになっているわけでもないが、なんとなく現代の言葉と入り混じった感じがする。また、「ええ加減」という話し言葉から、夏目漱石はどんな話し方をしていたのかもっと知りたくなる。
 ところで、極東ブログでも取り上げている「とても」についてだが、ここでも漱石は使っている。「こちらが無暗に自分を立てようとしたらとても円滑な交際の出来る男ではなかった。」と使っている。現代なら「こちらが無暗に自分をたてようとしても円滑な交際の出来る男ではなかった」となる。この部分を抜くと「たてようとしたらとても」が「たてようとしても」となる。わずか、四文字を削って縮めたのが現代言葉である。
 話は変わるが、調子に乗って漱石の「吾輩は猫である」の朗読を動画で聴いてみた(参照)。途中、アレ?と疑問に思う言い回しがあった。その一つ「左(さ)のように」はどうだろう。これが耳に止まった理由は、小沢昭一氏の「話に咲く花」で「ことほど左様に」が頻繁に使われているのが残っていたためだ。「そのように」の意味であると思うが、丁寧語で「左様でございます」と、今でも健在している言葉だ。
 さて、疑問は、何故「左」なのかだ。
 例えば、右の通りとか下に示す通りなどのように、場所を指す言葉が語源で、たまたま「左」を慣用的に使い始めたのであれば、「右様でございます」という言い方があっても良いはずだと思った。何故、「左」なのだろう?この言葉が古語由来であれば、昔の文章は、右から左に縦書きだ。右から書いているため、次に示すものは必ず左に書かれる。だから「左様」なのだろうか。昔は、左から右に縦書きも横書きもしなかったため、「左様」しかあり得なかったはずだ。理由はきっとそうに違いない。
 なんだか変な話に飛んでしまったかも。「飛んだ」と言うのは、「枕草子」や「百人一首」からという意味。

cover
「古文」で身につく、ほんものの日本語
鳥光 宏

 こんな風に、拾い出すと際限なく出て来る言葉の由来や不思議は、古文に直結できなくても、割と身近な漱石先生辺りからでも手繰り寄せられそうではないかと思った。また、このような研究をしている人がいて、もしかしたら、本でも書いているのではないかと思った。
 紹介されている書籍は解説書でもなさそうだし、古文を読むためのハウツー本でもなさそう。タイトルに釣られて読んでみることにした。知りたいのは、意味を変えずに、現代風に古文が読めるようになりたいのだが、この本ではなさそう。

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