2011-04-25

天皇は「万世一系」説VS「山城国の小領主」説

 新書を含めてAmazonに数冊の書籍を注文したが、まだ届いていない。福島震災の直後は、流通が麻痺に陥ることを懸念し、宅配に負担がかからないよう注文を差し控えていた。今でもなお震災の影響で遅延しているとは思えず待っているが、まとめて届くと積読状態になりはしないかとびくびくしている。と言っても、今年の5月の連休も夏場もきっと出控えると思うので、きっと暇を持て余すと思う。ハンモックでゆったり気分で読書と決め込んでいる。なので、ドーンと来いと言うものだ。

cover
天皇はなぜ万世一系なのか
(文春新書)
本郷和人

 そういった中、ありがたいことに極東ブログでは書評が続く。いいな、この状態。積読本が増えるジャマイカ。何年もフォローしているから言えることだが、紹介の書籍を読むか読まないかそんなことは自由に決まっているが、取捨選択をしないことが知性を高め教養を身に付ける秘訣だと思っている。これは内面の話で、他者との比較の話しではない。他者の関心と自分の関心が違うから世界が広がるのであって、最初から自分の関心事だけを拾うのであれば偏ってしまう嫌いがある。何が言いたいかというと、日本史は苦手だが、極東ブログで昨日紹介の「天皇はなぜ万世一系なのか」(本郷和人)(参照)を読もうと思っているということ。で、紹介の書籍が、私のような歴史に疎い人間を想定しているかどうかは知らないが、書評は、著者の考え方を丸呑みするなという示唆とも読めた。
 読後の感想が面白い。

 さてこの議論を私はどう思うかというと、すまん、床屋談義だと思っている。面白いこというなあ、座布団一枚、である。
 もっとも、天皇家の血統が重視されていたとかいう陳腐な議論に固執しているわけではない。私の考えでは、天皇家というのは、近世以降は山城国の小領主にすぎない。家系が古いので古代についてお家の神話を持っているということだ。これは毛利家なんかも同じ。

 いろいろな説があってもよいとは思うが、一昨日に続いて(参照)極東ブログでは期待した内容からは二冊とも外れたっぽいのかな。私は、この書籍は自分語りで御馴染みのブログ界から飛び出してきたような印象を持った。これは、エントリーで引用されている部分からそう思った。が、よくよく考えるに、天皇継承理由に確固たるものがないから議論が続くのだろうと、浅識な私にとっては気が軽くなり、一意見として読めそうだ。
 天皇の後継者問題が大きくスローズアップされたのは、愛子様が誕生された時だったろうか、普段あまり関心のない私でも継承者はどのように選ばれるのか興味津々だった。初の女の天皇誕生となるのか、それは可能なのかと言った三面記事的な興味を持ったが、その視点でこの書籍のタイトルを見て買えば、選出するのが難しい理由はココダヨみたいに読んだに違いない。それは、ある人から見たら座布団一枚のような話なのだと、斜に見るでもないだろうと想像した。もしかすると、私のような趣で天皇継承問題を見るのが一般的なのではないだろうか。
  あまり関係ない話だが、先日、天皇ご夫妻が被災された方々に励ましの声を掛けれらている姿を見て感動し、涙したという某ブロガーの話があった。天皇でなくても、毎日のように芸能人や各界の有名人の関わりを報じていてそれほど珍しい光景とも思わなかったが、疑問は、何故、天皇だとそうまで感激するかだ。
 これは、天皇制への心性というもので、率直に言うと、天皇が生き神様という時代錯誤だ。戦後は、天皇も一国民である以上も以下もないとされたが、それまで生き神様と信じてきた国民は、そうは簡単に変われない。例えば天皇が私の住んでいる町の国道を通るとなると、整備されていない部分が舗装されて綺麗になるというのは昭和にもあった。これは、インフラ整備の観点では良いことだと思うが、その国道を通る時に、日の丸の旗を振るという儀式があった。オリンピックで日の丸の旗を振って応援するのとはちょっと違う。でも、ちょっと似ている。
 この小旗の話はこう。割り箸とぺらぺらの紙の日の丸の旗が各人に配られ、これで小旗を自作し、車の通る時間に一斉に外に出て出迎えるというのを学校でやったことがある。私は、これによって天皇崇拝教育を受けていたわけだ。戦後、20年も経った頃だろうか。私にとっては意味不明だったが、皆天皇の顔を見た見ないではしゃいでいた。そういう空気であったにもかかわらず、私にそれがなかったのは、両親が天皇制で縛られない中国に長く住み、影響を受けなかったからだと思う。
 私の中では、天皇の存在がそれほどの意味を持たないので、他者の様子の方が異様に映る出来事は沢山経験した。先のブロガーの年齢は知らないが、天皇を崇め奉る教育の名残りかと思う。最近の天皇家の動きを見ても分かるとおり、学習院大学や幼稚園を選択されないことや、皇族から娶らないことなどを見ても、むしろ、皇族が一般市民と同等の立場に立っている表れだと感じている。おそらく一般の、天皇制への心性も平成までではないだろうか。
 本の話に戻すと、床屋談義な話しのどこに読みどころがあると言うのだろうか。次のように紹介されている。

 おそらく本書を読んだ歴史好きのなかには、本書の議論の特異な粗さのようなものを感じるだろう。が、では本書は雑な本なのかというえば、その対極で、よくまあこんなディテールを議論するなあという話がいろいろあって面白い。特に、宗教権力と王家(天皇家)の関連については、特別珍妙な議論ではないのだが、一般的には近代以降の独立した宗教範疇で語られがちなので、本書のような王権権力構造や世襲的な世俗権力の構図でさらりと描かれるのは示唆深いだろう。

 「王権権力や世襲的な世俗権力の構図」は、厄介なことに現在でも存在する。国会議員の世襲の存続や、その家系を見ると浮き彫りになる。これを無くそうという話は、選挙のたびに話題にはなっているが、なかなか断ち切れない問題だ。一般市民から見ると、この問題の何が難しくて断ち切れないというのか不思議でもある。宗教の範疇ではないと思っているだけに、この部分は興味深い。

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