「福島原発1号炉の空焚き」を政府は言及しなかった
昨日の朝のNHKニュースの音声で、確かに私も聞いた。「地震当日の夜までに1号機の燃料棒が露出したことが原因で、翌日爆発を起こしていた可能性」と聞こえた。ん?と一瞬反応したのは、何故、今頃こんなことを報じるのかという軽い疑問だった。
この情報がさして珍しくない理由に、日が経つうちに、地震発生後から原発の状態がどのような危険に晒されているのか理解できているからだ。そして、かなり早い時期に、壊滅的な状態になっていることが把握できたからだ。また、ここでその疑問点を書きながら整理し、偶然、遭遇したメディアの情報に、NHKニュースが報じたような原発の状況を言い当てている内容に触れてきたからだ。ニュースを聞いたときは単純に、何故、今頃こんな分かりきったことを報じるのかという疑問だけが残っていた。
そして、極東ブログのエントリー「福島第一原発1号炉は地震当日にほぼ空焚き状態になっていた」(参照)が挙がった。タイトルが示すとおり、1号機が空焚き状態だったと何故言えるのか、その判定のために各メディアが報じた事故後の炉内部の水位の変化などで、1~3号炉のそれぞれの冷却機能自体の違いなどが窺えた。集中的にテーマを絞って記事を並べられてみると、「水位」一つで、いろいろな背景が見えるものだと興味深かい。
NHKニュースが今頃報じた理由は分からないが、1号機がメルトダウンを起こしている可能性は、いろいろな学者が既に説いていることであり、それが後付け的なデータを基に推測されているにしても、東電が把握していたことは事実として報じる義務感でもあったのだろうか。記事で引用されている各メディアは、NHKに続いて一斉に報じ始めたようでもある上、聞かれたから答えたという東電は、説明義務の自覚はなかったようでもある。これも問題として浮き彫りにはなったと思うが、裏を返せば、隠蔽を目論んだとは思いにくい。
私自身がここで原発事故を取り上げて考えてきたことは、廃炉に向かって作業が安全に進んでいるのかという点に絞られる。その作業の進行状況を、メディアを通してチェックしていると言い換えてもいい。それだけに、報じられていることの信憑性を問うことは枝葉の問題で、メインではない。だが、残念なことに、日本では煽り記事が多く、事実をかぎ分ける技術が読み手に必要となる。このことに気づいたのはブログを読んだり書いたりするようになってからだ。それまでは、あまり疑わなかった。
話を戻すと、1号機がメルトダウンを起こし、放射性物質を撒き散らしていたことを私たちは知らされていなかった。正式にその事実を報じたのは昨日であるが、東電は、隠蔽の意図はなかったと話している。保安院は、どうだろうか。実は、昨日のエントリー「保安院が「炉心が格納容器へ漏れ出している」のを認めたことについて」(参照)を書くに当たって調べ物をしていた時点で、次のような記事があった(日経2011/3/12 15:30)。日付は、大地震の翌日になっている。
経済産業省の原子力安全・保安院は12日午後2時、東京電力の福島第一原発1号機で原子炉の心臓部が損なわれる「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発表した。発電所の周辺地域から、燃料の核分裂に伴うセシウムやヨウ素が検出されたという。燃料が溶けて漏れ出たと考えられる。炉心溶融が事実だとすれば、最悪の原子力事故が起きたことになる。炉心溶融の現象が日本で確認されたのは初めて。
保安院は今回の炉心溶融について「放射性物質の広がりを計算した結果、現時点では半径10キロを対象とする住民避難の範囲を変更する必要はないだろう」と話している。
震災にあった1号機は、核燃料棒を冷やしていた水位が下がり、露出していたとの報告もあった。
この記事の存在でも分かるとおり、東電から報告を受けた保安院は、メディアに情報開示は行っていたようだ。
枝野官房長官が地震後最初に会見したのは、11日午後7時過ぎで、その直後に菅総理の会見となった。異常な遅さだったことだけは記憶に残っている。
残る問題は、政府が私たちへの説明責任を果たしたのかである。政府の対応がどうだったかと言えば、遅れて会見を行ったことにも訳があるようだ。その点は、極東ブログで引用されている枝野氏の説明にもあるとおりだと思う。
原子力安全委員会の専門家の皆さんに、ある意味で、情報の共有と分析をまさに同時並行で原子力安全保安院などともしていただき、そこでご意見をいただくオペレーションが数日、あるいは1週間程度続いていた。逆にその間、原子力安全委員会としての動きで見えなかったらある意味、そこは当然だろう。事態がある程度落ち着いて、時間単位、半日単位の段階になったら、原子力安全委員会としての独立した見解はその都度、出してもらうようになってきていると思う。その上で、今回の対応は、100点満点だったのかどうかについては事後的に第三者の皆さんに、政府も含めて検証いただく必要がある。
これは、事実に則した報じ方ではあると思うが、枝野氏の発言は、かなり巧みだ。
「原子力安全委員会としての動きで見えなかったらある意味、そこは当然だろう。」と、政府の入るすきがなかったことを正当化し、「原子力安全委員会としての独立した見解はその都度、出してもらうようになってきていると思う。」と、情報開示の義務は代理で満たしている、としている。その上で、どのような評価も甘んじて受けます、と言っている。つまり、文句を言われるようなことはありませんよ、と言っているのと同じだ。このような言い回しは、日本の政治家はみな身に着けていることであり、別に驚くことではない。が、枝野氏のような若い政治家が昭和風味なのには呆れる。ロッキード事件では「記憶にございません」と、ばっくれるのが流行った。平成では「なんらやましいことはございません」と続いた。彼が年老いたらどんな政治家になっているだろうか、想像しただけで充分だ。また、枝野氏の発言の根底に、政治家としての介入の余地がない事への嘆きがあるのではないだろうか。
事故後、私が感じていたのは、東電と保安院が正しい情報と安全のための指示を伝えてくれるものであれば、二重に政府が会見を催す必要性はないのではないかという疑問だった。内容が二重ならまだしも、保安院と東電、政府の言い回しが微妙に違うことが返って混乱を招いたこともあったからだ。さて、問題は、日本の組織の構造か、政府が政府の役割が分かっていないことか、どうなんだろうか。いっそのこと、原発問題を関係省庁に任せて復興やインフラ整備、外交といった政策的なことが不在にならないよう、私たちの生活環境への気配り目配りに重点を置き、分業すべきではないのかと思う。
ここで、エジプトみたいな構図が浮かび上がった。政府がどう足掻いても軍ありきであり、国民が民主化をどう望んでも軍の手のひらの上でしかないという構図だ。フィナンシャルタイムズだったか、今の政府に対して、以前こんな言い回しをしていた。「日本は、政治家が政治をしなくても沈没(崩壊)しないのは、優秀な官僚がいるからだ」。そして、この構造自体が悪の温床となってるという指摘も「日本が直面する本当の試練とは」(参照)で、ジョン・バッシー氏からしっかり意見をもらっている。
どれをとっても、良いところはないジャマイカと、また落ち込んだ。
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