2011-04-05

ジェノサイドの基底について雑感

 昨日、Twitterで「ポグロムへの感性がないと、ジェノサイドの基底は理解できないんではないかな。」という言葉に触れた瞬間、北アフリカのいくつかの国で行われている内乱の要素にジェノサイドを含んでいることが浮かんだ。そして、自分自身のジェノサイドの認識はどうなのかと、ふと思っていた。
 アフリカと言えば、昨日もコートジボワールの内乱状況について「シーソーのような攻防を展開しているコートジボワールの内乱について雑感」で触れたばかりである(参照)。「内乱」と言っても、独裁政権下では、集団的な殺害行為を行っているだけではないかと冷ややかに見ているところがある。どうかすると、民主化運動や政権争いでのぶつかり合いもジェノサイドではないか、と疑ってみている部分がある。アフリカの情勢に着目するようになってから、ジェノサイドという言葉を軽く使う割りに、本当のところでは分かっていないのじゃないかという思いがある。昨日書いた思いも、そういう疑心暗鬼な部分から来ているのではないだろうか。また、これまで、ジェノサイド自体を取り上げてここで考えてみたことはなかった。
 比較にもならない上、まったく次元が違う問題であるが、ジェノサイドの理解にあたって一番近いところで考えられるのは、人種差別かと思った。その位の経験しかない私だ。30年以上前ではあるが、ロンドンの高級レストランが並ぶ通りを歩いている時だった。予約無しでも入れるようだったし、話の種に一度食事をしてみようかとそのつもりになって店を物色していた時だった。店の入り口の真正面に上品な感じの立て看板がある。よく入り口などで見かける「土足厳禁」みたいな、あんな感じのもの。「店に入る前にここ嫁」と言うわけだ。いきなり「Yellow&Black」で始まっている(ry。黄色人種と黒人は店にではお断りすると言う看板であった。ドアーの内側に突っ立っているドアマンが、こちらに冷たい視線を送っている。ああ、あたしの事ね。その日のメニューがドアーの横には同じように立ててあったが、店のメニューよりも有色人種を店に入れないことを重んずる店のポリシーがうかがえる。疎外感や孤独感を強く感じ、寂しかった。それを吹き飛ばして誤魔化すために、そんな店にはこちらから入ってやらないぞ、と強烈に思ったのを今でも覚えている。
 また、ヒルトンホテルや高級クラブとして有名なPLAYBOYClubなどの国際人が出入りするところではこのような人種差別はなかったが、植民地として香港などを支配していたイギリスなので、白人専用レストランが何軒かあっても仕方がないと言ったところだった。
 そういえば、イギリス人の友人達とパブにダーツが目当てでよく遊びに行った。4~5人でよく楽しんだものだったが、ユダヤ人が店にいると、イギリス人はユダヤ人(Jewish)の事を「ジューズがいる」と言ってしゃべらなくなる。そして、耳元に来て、「あいつはジューだよ」と親切のつもりで教えてくれる。そういうあたしは「ジャプスよ」と嫌味によく言ったものだった。すると「日本人は違うよ。」悪びれもせずに人種差別を言ってのける。因みに、日本人の悪口や、日本人の事を影で何か言う時、私たち日本人は欧米人から「ジャプス」と呼ばれる。これもいい気はしない。慣れるとどうでもよくなるが、彼らがジャプスと言って日本人を呼ぶ時は馬鹿にして何かを言う時で、言われたこちらは、疎外感や虚無感を味わう。
 こういう思いというのは、例えば虐めの対象になったりした状態と同じではないかと思う。虐めにあった結果、人によっては自分には生きる権利が認められないと思いつめて自殺に追い込まれる。嫌いだと言われた方が、まだ人格が認められているだけましだ。また、人種差別で味わった虚無感が、冒頭に挙げた言葉「ポグロムへの感性がないと、ジェノサイドの基底は理解できないんではないかな。」と結びつたのかもしれない。だが、考えてみると、人種差別はまだ「人種」という人間格を与えられ、認められているだけましなのかもしれない。確かにこれは、ジェノサイドからすると甘っちょろいことだ。
 「ポグロム」とは、ユダヤ人の虐殺を意味する言葉として定着している(参照)。この感性こそがジェノサイドの基底を理解する鍵になっているとすると、人が人として認められない究極の境地からこっち側にいる私などには、感じ得ないものを意味しているような気がする。理屈で理解できているようでいて、実際、ポグロムの恐怖に直面してみないと分からないことじゃないか。
 アフリカ問題が私にとって難しい理由も、平和を願うことと争いを混同しやすいのもみな、平和のありがたみを向こう側から見たことがないからではないだろうか。

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コメント

初めまして。
ロンドンにそんな断り書きをしていたお店が、最近まであったのですね・・・。
私も4年前ロンドンに留学した時、あからさまにではないですが冷たい態度をとられ、寂しい気持ちになったことを思い出しました。そうした意識が積もり積もって、ジェノサイドにまで至ってしまうのでしょうか。
差別感情をぬぐうことは、なかなか簡単にはできませんが、せめて他者を傷つけないようにしたいと思います。

最近こちらのブログを知り、懐かしくかつ新しいレシピの数々はもちろんのこと、料理の鮮やかなお写真や、Godmotherさんの博識ぶりに驚きました。

諏訪にお住まいなのですね。同じ信州人として、こんな方がいらっしゃるのだ、と嬉しいです(図々しくてすみません)。
これからもちょこちょこ覗かせてください(^^)

投稿: misa | 2011-04-05 13:03

misaさん、コメントありがとう。昔は黄色人種差別であったことも現代ではもしかしたらやっかみや嫉妬かもしれませんよ。世界が変わってしまって、昔と比較する跡形の根拠も危ぶまれます。
ロンドンにそんな断り書きをしていたお店は、30年以上も前の話で、むしろ4年前のmisaさんの話のほうが興味深いです。

私の実家は東京近郊で、ここへは結婚してから住んでいるのでネティブではないです。が、そこそこ住んでみても、信州人にはなれませんね。独特なものがあって、人間関係は難しいです。ほんと。

料理のレシピは山のようになってしまいましたが、時事問題に関心があるので今のところ休止みたいになっています。ブログの変化も私自身の変化として、あるがままといったところです。

こちらこそ、今後もよろしく。

投稿: ゴッドマー | 2011-04-05 19:07

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