こんな夏にはこんなことを-チェーホフもありかな
昨日のニュースで、今年の夏の電力不足に大手企業は、二週間から三週間の一斉休業を検討していると聞いた。いいなあ、オイ。昭和の働きずくめの時代に、欧米人が三ヶ月や六ヶ月という長い休みを利用して、世界の旅を楽しんでいる姿を羨ましく指をくわえて見ていた、そんな時代が日本にもやってきたのかと一瞬思った。現実は、そんな悠長な時代がやってきたわけではない。福島原発事故による電力不足が、夏の需要に追いつかないことを懸念しての秘策だ。なんでも、お休み中は、できるだけ東電管轄外地域へ出ろ、みたいな勝手なことを言っていた。
だが、よくよく考えてみなくてもわかるように、大手企業のそういった決定は、子会社や孫受けにはありがたい決定でもある。急に生産日程を変更されてあたふたするよりは、この夏は仕事がありませんよと今、決定してもらった方が何かとありがたい。ただし、減収は覚悟だ。中小企業は、その長期休業保証をどうするかという問題がある。長いデフレ不況が続いてきた中、現在稼動している中小企業にはあまり余裕がない。これは、二次災害と言えば、もろにそうだと思う。被災者のライフラインもまだ確保できずに、インフラ整備もまったく追いついていない現在、二次的な被害を受けながらもじっと黙っているしかない。
この夏はどうしようかな、と思い始めてはっとしたが、電力がどのような形態で戻ってくるのかまったく分からないではないか。もしかして、石原都知事が言うように、販売機が町から姿を消し始めるかも知れないし、蓮舫行政刷新担当大臣が節電大臣と肩書きを変えるかもしれない。何が起こるかわからない政府だという上に、東電の電力供給量は落ち込むようだ。というか、日本はこれからどんどん貧乏になって行くのだと思う。石原さんの世代に見えてくるのは、戦前戦後を乗り越えてきた自分らの若い頃の姿ではないかな。だとすると、ここは、ますます元気にパワーフルに活躍する出番だと思っているのかも。私世代も、この世代に育てられ、昭和の激動を見てきたわけで、一旦そこに戻るというだけだ。
こんなことを妄想しながら、さて、私はこの夏どうやって過ごそうかと考えていた。
先日、山用品の店で見たハンモックを思い出した。あれは、この震災前だった。そのときに想像していたのは、木陰に吊るして本を読んでいる姿だった。場所は、家の近くの神社の涼しい所で、手弁当を食べ、本を読みながらそのままお昼寝という風景だった。その風景が昨日戻ってきて、私を誘惑した。家の中ではどうしてもエアコンを入れてしまいがちになるし、何かと電機を使う。暑いからと言って涼しいところへ旅行するのは、エネルギーの無駄遣いになる。この際、どこかに出かけるのをやめて、家で涼しくす過ごすと言うのはどうだろうかと思った。今までと同じようなことをどうやったらできるか、などという思考回路は外し、何も無いところからできることを探し出してみるという発想なら、思いがけない経験ができそうな、なんとなくわくわく感がやってくる。いいな、これって。
![]() 新訳 チェーホフ短篇集 アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ 沼野充義 |
うつらうつらこんなことを思いながら寝ようとしたところへ、極東ブログでチェーホフの短編集の新訳紹介エントリーが挙がった。チェーホフは、うら若き乙女はあまリ読まないと思う。私が昔本を読みあさった頃は、星真一、五木寛之、北杜夫とかが流行っていたかな。今はもうお爺ちゃんだけど。私は、こういった作品も沢山読んだが、石川達三やチェーホフも読んだ。オジサンのエロさみたいなものも感じたが、男の中年が女性を見る視点として面白かった。実際に、オジサンというのは助平だと、冷ややかな視線を送って見ていた頃もあった。男の人を異性としてみていない時があったのも、もしかすると、早くにオジサン世界を文字で知ったつもりになっていたせいだろうか。
それはさておき、書評のこの部分が気に入った。
チェーホフ短編の面白さを味わうというなら、特別新訳を読むこともないのだが、こっそり言うけど、Tolle Lege、取って読め、買って読め。
なにゆえ? 新訳ならではの面白さというのもあるけど、この本、作品ごとの末にいちいち訳者のこってりとした解説が付いていて、そこがたまらん。おまえ、文学好きだろ、みたな世界が延々と広がっていく。ラノベの評価で友だちと罵倒を繰り返すような熱い思いが湧いてくる。
チェーホフ短編自体も面白いが、率直に言うと、女性にとっても、これ、面白いのかというと、困惑。20代までの男にとって面白いかというと、微妙。童貞さんには、がちで面白くないと思う、すまん。
ここに、「20歳代の女性にとっては面白いかというと、微妙」とは書いていないが、読んだ私は、オジサンに対してげんなりしながらも、現実を知ると言う意味で読み、やはりげんなりした。今の20歳代女性にとっては「糞」で終わるかも。分からないな。いずれにせよ、文学作品としての印象は残っていない。今頃だが、本には読む適齢期はあると思う。間違ったからと言って無駄でもないが、筆者からのメッセージを受け取る適齢期というのは、意図されているものを受け取った時に分かるものだ。年齢で分けるのは難しい。
訳者の解説が面白いと絶賛されているのを見逃す手はない、注文した。
そうそう、今年の夏用に、本の紹介がもっとあると嬉しい。ハンモックは用意しておくとして。
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