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2011年4月

2011-04-30

アメリカが抱えている外交問題-パキスタンに関してNewsweek記事が気になった件

 昨日、米国防長官を努めてきたゲーツ氏の退任後にパネッタ氏が指名され、また、7月にアフガニスタンからの撤退開始を見届けた上で、ペトリス司令官は、議会の承認を得られればCIA長官に就任する予定だそうだ(NHK)。ゲーツ氏の名前は日本のニュースには良く出てきた名前で馴染みがあるが、もうこの名前を聞くことはなくなるのかと思うと、この4年間を少し振り返っていた。
 ゲーツ氏は、ブッシュ政権から関わり、アフガニスタンへ訪問した回数も多かったと思う。3月の初旬、NATO軍の国際治安支援部隊(ISAF)による誤爆で9名が死亡した時も、カルザイ大統領を直接訪問して謝罪するなど、両国の関係を取り持つ役目を果たしていた。そして、アフガニスタンから米軍が撤退するのは間近となってしまい、昨年、本当に撤退できるのだろうかと疑っていたのはどうやら無用な心配だったみたいだ。ついでといっては何だが、先日のNewsweek(4月27日号)で、アフガニスタン情勢の鍵を握るパキスタンとの関係に触れた記事が気になった。少し引用してクリップ的に書きとめておくことにした。
 記事のタイトルは「米パの亀裂をアルカイダが笑う」とあり、副題に「対テロ パキスタンとの関係がいくら悪化してもアフガン問題を抱えるアメリカは強気に出られない」というのが、なんだか素直にそのまんまではないかと思った。

 陰で実権を握り続けるパキスタン軍も、ここ2年のアメリカの諜報活動に不安と怒りを募らせている。彼らにしてみればデーピスの一件や無人機の空爆によって、自分たちが領土を完全に掌握できていないという現実を日々突き付けられている。
 パキスタンのアシュファク・キヤニ陸軍参謀長やアハメド・パシャー軍統合情報局(ISI)長官が望んでいるのは「レーガン・ルール」への回帰だ。
 このルールは80年代にさかのぼる。当時、CIAとサウジアラビア当局はISIに資金と武器を提供し、アフガニスタンに侵攻したソ遂軍と戦うイスラム・ゲリラ組織ムジャヒディンを支援させた。CIAとISIはまさに盟友だった。
 米政府は基本的に干渉せず、作戦や戦争の遂行はISIに任せていた。パキスタン側にも、主権や尊厳を脅かされているという感覚はほとんどなかった。
レーガン・ルールには、パキスタンの核開発を黙認するという暗黙の合意も含まれていた。しかし89年にソ連がアフガニスタンから撤退すると、アメリカはパキスタンの核開発に対する制裁を実施。90年にはF16戦闘機など、パキスタンが支払いを済ませていた武器の供給を突然中止した。パキスタン軍はあの裏切りを忘れていない。

 先にある「デービスの一件」というのは、CIA関係者である彼が強盗と見られるパキスタン人2名を射殺した事件で、パキスタン政府は当初、これを計画的な犯行ではないかと疑ってた(参照)。
 記事によると、その後、釈放に当たっては230万ドル(約2億円)が慰謝料として支払われているそうだが、パキスタンのメディアは、米印イスラエルの結託によってパキスタン兵器を奪う計画があるという陰謀論を仕立て、国民の怒りを煽っていると見ている(ブルース・リーデル)。
 このような背景を受け、アメリカを抜きに「レーガン・ルール」を活用し、独自の平和構想を目論んでいるのではないかという指摘だ。また、どれ程米パ関係が冷え込もうと、アメリカがパキスタンを必要とする理由はインドとの対立関係から抜け出したいと望むパキスタンを後押しすることは重要だからだ。これは、インドとアメリカの関係を維持することは、結果的にはパキスタンとインドが危険な火種とならないための配慮になる。このように、アメリカが両国の橋渡し的な位置にいることが必須であるにも関わらず、パキスタン国軍とタリバンなどイスラム武装勢力との関係もよくわからない関係のひとつで、アメリカの困惑を感じる。
 4月22日のAFPが次のように報じている(参照)。

 パキスタンを訪問した米軍制服組トップのマイケル・マレン統合参謀本部議長が20日、パキスタンの三軍統合情報部(ISI)はテロリストとつながっており、アフガニスタンの旧勢力タリバンとの戦いにおける取り組みが不十分だと批判したことに対し、パキスタン軍は翌21日、これを強く否定する声明を発表した。

 マレン議長の発言を受けてパキスタン軍は21日、アシュファク・キアニ陸軍参謀長は「パキスタンの取り組みが不十分で、パキスタン軍が透明さに欠けているとするネガティブなプロパガンダ」を断固として否定するという声明を発表した。またキアニ参謀長は「現在進めている作戦は、テロリズム打倒に向けたわが国の決意を証明するものだ」と述べたという。
 またキアニ参謀長は、テロリズムとの戦いの勝利の鍵となるのはパキスタン国民の支持だが、波紋を呼んでいる米軍の無人機による攻撃は、「テロリズムに対するわが国の努力だけでなく、我々の努力に対する世論の支持も損なっている」と批判した。

 パキスタンにも言い分があるようだが、両国の軍のトップ同士のこのような批判の応酬から、関係はあまりよくないように映る。アメリカが物別れで終わりにするはずもないだろうと見てみると、パキスタンに小型無人機85機を供与するという23日の産経記事があった(参照)。
 この配慮(懐柔策)は、先の「デービスの一件」後、既に手配済みだったのではないだろうか。アメリカとしては、アフガニスタン国境地帯の武装勢力掃討と物資補給路の確保はパキスタンの協力なくしては達成できないところであり、パキスタンとの関係維持に気を使っているだけではなく、相当の出費も嵩んでいると思う。 また、パキスタンがアメリカの要請にどれ程応えているか、そのことも監視しつつ、アメリカの意見力維持のためにも無人機の提供が先手にあったのではないだろうか。
 そういえば先日、Twitterで見かけたワシントンポスト紙のチャールズ・クラウトハマー氏(コラムニスト)の寄稿で、来年の大統領選は、オバマ氏が再選されるだろうと予測していた。アメリカの抱える問題解決のためには、大統領が変わらないほうが良いのかどうか分からないが、激務となるのは必須だと思う。アメリカは経済大国だという見方を強く持ってきたせいか、財政難であることや、それが外交に影響することに直結して考えにくかったが、莫大な費用を費やしてきている。財政的にもアメリカは厳しいところだと思う理由に、リビアへの軍事介入も事実上はアメリカが仕掛けた戦争であるため、抱える問題は山積されていると思う。こうした財政難と同時に、アメリカの外交はどのように変わるのだろうか。気になる問題だ。
 日本はというと、外交どころの話しではなさそう。
 昨日、国会で菅さん下ろしを露骨に発言する野党の言い分を耳にしたが、血相を変えていた。苛立ちと怒りだろうか、原発と震災復興問題という大きな課題についての議論ではなかった。菅さんにも問題はあるのだろうとは思うが、議論する部分が違うだろうと思った。被災された方々は菅さん下ろしの議論より、明日はどうなるかという問題解決を望んでいると思う。

 ここでは触れなかったが、パキスタンには核開発の問題もあり、アメリカのかかわりは、かなり深刻である。この件に関しては、極東ブログ「深刻化するパキスタン問題」(参照)で、詳しく取り上げている。参照されたい。

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2011-04-29

山本夏彦氏にもう少し近づいてみる

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完本・文語文
(文春文庫)
山本夏彦

 アマゾンに注文してある書籍の配送がいつもより遅れている。翌日か、翌々日に届くのが当たり前のようになってしまっているためそう感じるのは分かっているが、待ち焦がれてしまっている。早く恋来い。数冊注文した内、待っているのは、故山本夏彦氏の「完本・文語文」(参照)と「夏彦の影法師-手帳50冊の置土産(山本伊吾)」(参照)だ。
 文語文に触れてみたくなった理由については、このところの一連の話をつなげてもらうと分かると思うが、一言で言うと、日本語のにおうような美しさにもっと触れたくなったことだ。今まで知らなかった言葉の美しさに触れて、「におうように美しい」と、サラッと言えるような格好良さを身に着けてみたいものだと思った。それというのも、有名塾講師鳥光 宏氏の「「古文」で身につくほんものの日本語」(参照)を読んですっかり嵌ったからだと言い訳しておこう。

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夏彦の影法師
手帳50冊の置き土産
山本伊吾

 昨日も山本夏彦氏の人物像を描くために少し情報を集めてみたが、「やぶから棒」(新潮社)に掲載された氏の短い言葉からも感じたが、物事の真意を見極める洞察力や研ぎ澄まされたその感性は魅力的だ。そして、夏彦氏をもっと知ることが出来る本だと推測するが、引き続き「「夏彦の影法師-手帳50冊の置土産(山本伊吾)」(参照)の紹介があった。しかも、夏彦氏のご子息である伊五氏が、夏彦氏の一周忌直前に発刊した本だ。このことを知った私は、ある種の嫉妬のようなものを感じ、それは、私と実母にはない親子関係のような気がした。
 ここで思い出したのが、山本七平と加納明弘の親子関係だった。七平氏と息子さんの良樹さんの共著である「父と息子の往復書簡―東京‐ニューヨーク: 山本 七平, 山本 良樹」(参照)は、アメリカに住む息子さんと七平氏との手紙のやり取りをそのまま書籍に収めてあり、昔話を交えながら父が息子に語りかける様子に、その愛情の深さを感じた作品だ。また、加納明弘氏の息子さんは、父親の全共闘時代を生き抜いた話をその人生観と共に聞き取った話を「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!(加納明弘、加納建太)」(参照)に書き留めている。
 何故男親と息子と言う組み合わせであって、母親と娘ではないのかと不思議になる。亡くなった父親をしのんで息子が父親のことを書き残そうとするところに感動を覚える部分だが、そういう息子を育てた父親の愛情の深さや、息子の父親を慕う気持ちにそう感じる。そして、昨日紹介された「夏彦の影法師-手帳50冊の置土産(山本伊吾)」は、夏彦氏が使っていた50冊のメモ帳から出来上がった書籍だと知った。
 エントリーでは、次のように紹介されている。

 夏彦氏がなくなって10年もして本書を読む、つまり、彼の残した手帳を読んで思うことのひとつは、簡素に書かれたメモ帳から見える時代である。特に「第五章 意外で愉快な交友録」に顕著だが、彼の全盛であったころ、昭和の後年から彼の晩年までの幅広い交友関係の話は興味深い。一件偏屈にも見える夏彦翁には芸能界・文芸界から政界にいたるまで幅広い交友があり、そこから、ああいう時代だったなというのが時代の息吹として見通すことができる。バブルの風景の裏側という部分もある。あの時代を生きた人なら、本書のここを再読することは独特の感興をもたらすだろう。巻末には索引として「山本夏彦が出会った人たち」もまとめられているが、これだけでも簡素ながら歴史資料になるだろう。

 激動の昭和と言ったらよいのかな。バブルの風景は凄まじい時代の移り変わりであり、見たくもないものを見、知りたくもない人の薄汚さもみた。昨日引用した「やぶから棒」にもその影が見えたが、当時若かった私の視点とは違い、大正、昭和の古きよき時代の人の視点は興味深い。
 また、もう一点、読みたい気持ちがさらにはやったのはこの下りだ。

 言うまでもない。彼はその青春の記録を「無想庵物語」の続として残したのだろう。であれば、彼が公案のごとく残した少年の日々、フランス生活時代の、二度の自殺についても、なんらかのヒントが本書に描かれているかと期待する。しかし私は読み取れなかった。私の読解力が足りないのかもしれないが、息子の伊吾さんも、夏彦氏の愛読者がそこを気にしているのを了解しつつ、うまく解明できていないようだ。こうした問題は、いわさきちひろの評伝を飯沢匡が書いたように、第三者でないと無理なのかもしれない。私には到底その力量はない。

 自殺を図ったと言うことは勿論知らなかったが、生きて残したものが多くあり、死の直前まで執筆を続けていた人物だけに、若かりし頃、何を思い悩んだのかと知りたくなった。また、生き長らえた夏彦氏の持っていたエネルギーは何だったのかと知りたくなった。夏彦氏の書いたものを読み込んできたわけでもない私にどれ程のことが読み取れるのか分からないが、人の生き死の瀬戸際から教わることは多くある。読む前から想像ばかりを膨らましてしまってもどうかという嫌いはあるが、何とも止めようがない。
 昨日、友人からお呼びがかかり、訪ねてきた。彼女との話しの中で、このところ私が何故文語文に興味を抱き、今更ながらそれにもっと触れようとしているかなどの自分語りをしているうちに、子育てや日々の忙しさにかまけ、すっかりくすんでしまったものが見えてきた。それは、磨けば輝くのかどうかは分からないが、昔から言われているように、女は磨くものだというようなものかもしれない。トイレの神様昭和ヴァージョンと言ったところだろうか。何も見えないにもかかわらず、なんとなく先の楽しみのようなものを感じた。
 そうそう、先ほど(4月29日午前1時)発売スタートしたiPad2を早速Appleのオンラインストアー()から申し込んだ。これも、私の道楽のようなものかもしれないが、これもなんとなくだが、何かを暗示するようなものを感じた。

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2011-04-28

文語に親しむ一時

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「古文」で身につく、ほんものの日本語
鳥光 宏

 先日、紹介されていた「「文語」で身につくほんものの日本語」(参照)が届き、早速読んでみた。一言で言うと、文語文を味わえるようになりたいとさらに思った。「駿台予備校の人気講師の伝授」と帯にも紹介があるとおり、ところどころに学生向けのメッセージが添えてあり、なんだか懐かしさを蘇らせてくれる趣きもあった。
 一番印象に残ったのは、「さくら さくら」という文部省唱歌を例に、文語文の表現の豊かさを紹介している部分だった。「朝日ににおう(にほう)」の語彙を部品的に分解し、言葉の持つ美しさを嗅覚と視覚で感じ取るとはどういうことかが解説されている。今風に言うと、空気嫁とかの部類だが、読めない人からは「曖昧」だと批判される。そして、「「におうように美しい」なんて、さらっと言えたらいいね」と、本当に思えたから不思議だ。ここで「SABON(石鹸)は注意」というのを思い出して苦笑した。
 今まで振り返ったこともなかった「さくら さくら」という短い歌の中に使われている「におう」が、この歌の肝だったと言う点を今頃思い知った私は、なんだかこれまでの学習欲の乏しさをを無念に感じた。しかも、今の小学生の音楽の教科書には、歌詞の解釈がついているそうだ。ここで文語に触れて学ぶことができるというのは素晴らしいことではないか、と羨ましくも思ったが、筆者も嘆くように、現在の風景は言葉の情緒に合致しないというのがなんとも残念なことだ。これは、言葉の美しさが分かってみて初めて思えたことだった。

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完本・文語文
(文春文庫)
山本夏彦

 さて、昨日山本夏彦の「完本・文語文」の紹介があった(参照)。さらに文語文に親しむにはこれ、というお誘いとお見受けし、在庫があったので勿論即行で注文した。
 2002年に87歳で癌で亡くなっている。文芸春秋で短編に少し触れて読んだことがあるという程度で、これといったものを読んだことはない。本音で迫る辛口のコラムニストと評されている通り、なかなかなお爺さんであったと思う。なくなった時、4本も原稿を抱えていたと聞いたが、亡くなる直前まで書く仕事を貫いた人だったようだ。ネットで少し調べてみると「やぶから棒」(新潮社)に、氏のお言葉が出ていた。一部を紹介したいと思う。
 山本夏彦氏(「やぶから棒」新潮社)のお言葉である。

「私はジャーナリズムを嫌悪し、かつ軽蔑しながらなお長年そのなかで衣食してきたものである。だから、せめて自分でも信じないことは書くなと言いたい」  『平成元年1月』

「ワイロは浮き世の潤滑油である。もらいっこない人は自動的に正義漢になるが、一度でももらってごらん、人間というものが分かる。古往今来正義の時代は文化を生まなかった。『文化は腐敗の時代に生まれた』と昔、渡部昇一は言った。卓見である」『週間新潮 95.7』

「タバコの害についてこのごろ威丈高に言うものが増えたのは不愉快である。いまタバコの害を言うものは、以前言わなかったものである。いま言う害は全部以前からあったものである。それなら少しはそのころ言うがいい。当時何も言わないで、いま声高にいうのは便乗である。人は便乗に際して言うときは声を大にする。ことは正義は自分にあって相手にはないと思うと威丈高になる。これはタバコの害の如きでさえ一人では言えないものが、いかに多いかを物語るものである」『良心的』

 この世代は良くお説教をしてくれたもので、物事を謙虚に見つめ、日常を洞察的に客観視し、人の道をよく言い当てたものだと思った。苦言であり名言であると思う。それにしても、文語で流暢に文章を書く人が、口語体だとかなり辛辣なので驚く。
 さて、紹介にはこんな風にある。

 文語は江戸の雅文を明治に擬古的に再現した若い文学の文体であって、日本の伝統でもなんでもない。いやさすがにそこまではいいすぎかと思うが、近代ナショナリズムが西欧のロマン主義を受容しやすく構築した偽物であって、翁が批判するその後の岩波語が科学的社会主義の受容のための偽物構築物であるのさして変わるものではない。
 むしろ読み返して、擬古文というもののその若々しさに圧倒された。かく屁理屈をこねながらも尊敬の念は湧く。擬古文をものした人々は当時の普通の教養人であり、この教養たるやたしかに古典を吸収するインターフェースともなりえたものだろう。すごいな。

 私には擬古文などものにできるものではないが、先の「「文語」で身につくほんものの日本語」で何か蘇ってきたと感じていたのは、やはり、昔暗記した百人一首のたり・ら・りらみたいな言葉のリズムと響きだろうか。文語を学ぶなら朗読に限ると思う理由も、その辺にあるのかもしれない。CDで探したことはないが、ネットでも朗読が見つかる。
 「朗読【名作を読む】TEDの声(日高徹朗)では、作家ごとにかなりの数が収録されている(参照)。人の流暢な読みが心地よく、自然に文語が入ってくるのがわかる。
 因みに森鴎外の「舞姫」(1・2)はこちらのページの一番下にある(参照)。聴きながら、目で原文を準えるようなゆったりした一時が楽しみである。

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2011-04-27

「進化論をアニミズムと誤解」していたというこそばゆさ

 「ジュラシック・パーク」(マイクル クライン)()のこと、覚えている?後で製作された映画を見た人は多いかもしれないが、SF小説としての読み応えはたまらない。映画よりも描写は詳細に渡っていて凄い本だ。
 バイオテクノロジーを駆使してクローンを生み出し、自動化された管理システム内で飼育されている恐竜達を公開するまでに至った。このテーマパークが、人為的なミスによって制御不能に陥り、開発研究者達は自ら生み出したクローン恐竜に襲われてしまうというパニックサスペンスだ。こういう話しは、恐竜の存在を証明する化石の研究や新たな発見を知ることでどんどん話しが空想的になり、いつしか夢に降りてくる時がある。

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移行化石の発見
ブライアン・スウィーテク

 こんな話を唐突にどうしたの?という書き出しだが、昨日「移行化石の発見」(ブライアン・スウィーテク)という書籍の紹介で些か血が騒いでしまい(参照)、ジュラシック・パークを思い出してしまった。そういえばと、次に思い出したのが「猿の惑星」であった。空想に走ってどこかに行ってしまわぬうちに、早速本の注文を済ませた。
 この書籍を実際に読み、しっかり知っておきたいと思った部分は二点ある。一つは、人の直立歩行はナックル歩行から進化したのではなく、突然現れたものだという新説(?)と、もう一つは、始祖鳥が鳥の祖先ではないかと教えられた口だからだ。しかも、本書の隠されたテーマが「収斂進化(しゅうれんしんか)」だというので、ぞくっとした。高校で生物を選択した人なら覚えてるのではないかな。進化は、必然か偶然かという興味深い話だ。紹介によると、収斂進化にスポットを当てているわけではなさそうだが、援用しているとある。

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 収斂進化の話しは、例えば、人の二足歩行が生活様式などからの必然によるのか、遺伝的な要因によって進化を遂げたのかなどが挙がる。また、例に挙がっている始祖鳥も同様に言えるのだと思う。これらは、その必要性から進化したと仮定すると、その仮定にそぐわないことがあることも疑問として残ってはいた。それが、未知への誘惑と言うか、動機にある。
 例えば、鳥にあって始祖鳥に無い骨格上の違い等だが、私の頭の中は既に進化論(生気説)優先で、系統だった図式もインプットされてしまっているため、偶然説や創造説を受け入れがたくなっているかもしれない。本書が届く前に、頭を少し解す必要があると思い、助走的にちょっとネットで調べてみた。
 タラバ蟹の話しが分かりやすかったが、どうだろうか、私にとっては大変面白い話なので一部を引用させてもらった(参照)。

 分類学者がタラバガニをヤドカリのグループに分類したにはわけがある。タラバガニにはヤドカリによく似た曲がった腹が付いている。ただしとても小さく裏側にしまい込まれている。これは普通のカニには見られない。また、両者は成体では形が著しく違うが、幼生はとてもよく似ている。もう一つ、両者に共通するがほかのカニには見られない形質として、5対ある脚のうち、極端に短いものが一対ある点があげられる。この分類は本当なのだろうか?
 C.W.カニンガム、N.W.ブラックストーンとL.W.バスはこの疑問に答えるために、リボソームRNAを使ってタラバガニを含めたヤドカリのグループの分子系統樹を推定した。その結果、驚くことに、タラバガニがヤドカリの一つ、ホンヤドカリのグループから比較的最近進化したことが明らかになった(図1)。つまりタラバガニはヤドカリの一系統で、形態がカニのグループに酷似しているのは収斂進化の結果ということになる。形態の著しい相違にもかかわらず、タラバガニを正しくヤドカリの一員として位置づけた分類学者の眼力はさすがである。この論文は英国のネイチャー誌の表紙を飾ったが、「隠者から王者」という一文が印象的であった。

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 これはなんとも説得力のある話で、カニとヤドカリの容姿は全く違うにもかかわらず、あはは、タラバはヤドカリのなかーまとね、とすんなり入ってくるから可笑しい。
 先日Twitterで「日本人が進化論をすんなり受け入れたのは、アニミズムと誤解してるから。」というつぶやきに「ひでえっ ■━⊂( ・∀・) 彡 ガッ☆`Д´)ノ」と、反応しているやり取りを見て、ひどくない説だと逆に関心を持っていた。
 進化論は論であって、タラバの話のような具体的な骨格の違いなどの明示がない。頭蓋骨はこんな風に進化したのではないだろうか、鳥の羽は、指が変化してこんな風にできたのではないだろうか、と教わってきた。例えて言うと、呪文にかかって催眠状態にあるのかもしれない。だから、「アニミズム」という表現に、後でにんまりした。
 一連のTweetが「移行化石の発見」を読むための導入になるとは思いがけなかった。

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2011-04-26

宇多田ヒカルと 松任谷由実の歌の「孤独」に触れて

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For you
タイムリミット
宇多田ヒカル

 最近ここでも取り上げたユーミンの歌の変化について私がどう見ているか、それを拾い上げるのは、まるで私自身を見るような不思議な感覚があり、客観視できるのが面白いと感じてる(参照)。最近の彼女の曲を通して、生身の人間臭さに同感したり親しみを覚えると同時に、妙に自分自身のことが気になっている。昨日は、宇多田ヒカルの「For you」という2000年にリリースされた曲を聴いて、「孤独」についてぼんやりと考えていた。
 と言うのも、先日、宇多田ヒカルの歌だったら自分自身の歳相応の頃に戻れるというようなことを書いた時、それは過去にそう思ったのを思い出していただけで、実際、どんな曲だっかか、自分の記憶にもはっきりとした曲が浮かんでいたわけではなかったからだ。
 考えるテーマは「孤独」。宇多田のこの曲には何度も「孤独」が出て来る。彼女は、誰かに自分の寂しい気持ちを言うことのむなしさをよく分かっていると思う。それを言わずにわかってもらうために、いつか届くように、それを祈るように「For you」と歌っている。と感じる彼女がそうかどうかはわからないが、私の願う時の思考はそうだ。この歌は、宇多田が16歳くらいで作った歌で、その年齢からも人生の経験上からも悲痛な孤独と言うより、若い娘の足掻きのように映り、なんとも微笑ましくなる。これは、今の私の年齢からの視点だが、16歳くらいの私なら、自分の孤独を思う人に埋めてもらいたい時、逸る気持ちをどうしていただろうか。人に埋めてもらいたいと思っただろうか。「I want to make you cry」から以降にそれを表現していると感じた。

I want to make you cry
傷つけさせてよ 直してみせるよ
飛びたい時は
You always give me a brighter sky
You want to make me cry
悲しみで教えてくれた喜び
輝きたい時は
You always give me a darker sky
孤独の気持ちをわかって欲しい
届かないからこの歌を歌っている
誰かの為じゃな
自分の為にだけ
優しくなれたらいいのに
一人じゃ孤独を感じられない

 ちょっと小悪魔的だが、昔を思い出すと確かに、そうでもしないとこの鈍感男には伝わらないんじゃないかと弄れるような激しさ、あったかもと苦笑した。
 「孤独」という観点でユーミンの「ひとつの恋が終わるとき」をみてみると、孤独を埋めようというよりも、自然に従ってありのままの自分でいることに心地さがあるようにも思える。曲では、これを人との別離のシーンで再現していると感じた。このような表現は、昔のユーミンからはあり得ない変身とも思って驚いた。この驚きは先のエントリーにも書いたことだが、その後、対極にある曲として「情熱にととどかない~Don't Let Me Go」(Youtube )を引き出しから見つけたようだ(参照)。
 参った。この歳で、この若さは私にはない。この曲にも「孤独」が潜んでいるが、自分が前に向かって行くのと同じ方向に、同じ足並みで誰かと向かうことで打ち消されている感じがする。力強く生きる様を感じる。だが、私とのギャップは大きい。1991年の頃の私に戻してみるに、どう考えてもこのような若さではなかった。ユーミンは私よりも何歳か年上だというのに、彼女のこの歌は信じられないくらい若作りな感じ。つまり、このギャップをもっと早くに感じていたこともあり、それが彼女に傾倒しなかった理由かと思う。
 何か対象物を目の前において、それを見ながら引き出される自分自身の感性を客観的に見るのは、不思議と苦しさを伴わない。これは不思議だ。「孤独」という重たいテーマに向き合い、そこから自分を見るのは大変な苦痛を伴うものだ。また、これの一番頂けない理由は、頭の中で堂々巡りを始めることだ。それがどうだろ、ユーミンの歌の変化や宇多田ヒカルの感性に触れる自分自身の感情を間接的に調べ、それで苦痛を伴わないとは。これは、大発見ではなか。誰でも、こんなことは普通にやっていることなのだろうか。今頃気づいた。

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2011-04-25

天皇は「万世一系」説VS「山城国の小領主」説

 新書を含めてAmazonに数冊の書籍を注文したが、まだ届いていない。福島震災の直後は、流通が麻痺に陥ることを懸念し、宅配に負担がかからないよう注文を差し控えていた。今でもなお震災の影響で遅延しているとは思えず待っているが、まとめて届くと積読状態になりはしないかとびくびくしている。と言っても、今年の5月の連休も夏場もきっと出控えると思うので、きっと暇を持て余すと思う。ハンモックでゆったり気分で読書と決め込んでいる。なので、ドーンと来いと言うものだ。

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天皇はなぜ万世一系なのか
(文春新書)
本郷和人

 そういった中、ありがたいことに極東ブログでは書評が続く。いいな、この状態。積読本が増えるジャマイカ。何年もフォローしているから言えることだが、紹介の書籍を読むか読まないかそんなことは自由に決まっているが、取捨選択をしないことが知性を高め教養を身に付ける秘訣だと思っている。これは内面の話で、他者との比較の話しではない。他者の関心と自分の関心が違うから世界が広がるのであって、最初から自分の関心事だけを拾うのであれば偏ってしまう嫌いがある。何が言いたいかというと、日本史は苦手だが、極東ブログで昨日紹介の「天皇はなぜ万世一系なのか」(本郷和人)(参照)を読もうと思っているということ。で、紹介の書籍が、私のような歴史に疎い人間を想定しているかどうかは知らないが、書評は、著者の考え方を丸呑みするなという示唆とも読めた。
 読後の感想が面白い。

 さてこの議論を私はどう思うかというと、すまん、床屋談義だと思っている。面白いこというなあ、座布団一枚、である。
 もっとも、天皇家の血統が重視されていたとかいう陳腐な議論に固執しているわけではない。私の考えでは、天皇家というのは、近世以降は山城国の小領主にすぎない。家系が古いので古代についてお家の神話を持っているということだ。これは毛利家なんかも同じ。

 いろいろな説があってもよいとは思うが、一昨日に続いて(参照)極東ブログでは期待した内容からは二冊とも外れたっぽいのかな。私は、この書籍は自分語りで御馴染みのブログ界から飛び出してきたような印象を持った。これは、エントリーで引用されている部分からそう思った。が、よくよく考えるに、天皇継承理由に確固たるものがないから議論が続くのだろうと、浅識な私にとっては気が軽くなり、一意見として読めそうだ。
 天皇の後継者問題が大きくスローズアップされたのは、愛子様が誕生された時だったろうか、普段あまり関心のない私でも継承者はどのように選ばれるのか興味津々だった。初の女の天皇誕生となるのか、それは可能なのかと言った三面記事的な興味を持ったが、その視点でこの書籍のタイトルを見て買えば、選出するのが難しい理由はココダヨみたいに読んだに違いない。それは、ある人から見たら座布団一枚のような話なのだと、斜に見るでもないだろうと想像した。もしかすると、私のような趣で天皇継承問題を見るのが一般的なのではないだろうか。
  あまり関係ない話だが、先日、天皇ご夫妻が被災された方々に励ましの声を掛けれらている姿を見て感動し、涙したという某ブロガーの話があった。天皇でなくても、毎日のように芸能人や各界の有名人の関わりを報じていてそれほど珍しい光景とも思わなかったが、疑問は、何故、天皇だとそうまで感激するかだ。
 これは、天皇制への心性というもので、率直に言うと、天皇が生き神様という時代錯誤だ。戦後は、天皇も一国民である以上も以下もないとされたが、それまで生き神様と信じてきた国民は、そうは簡単に変われない。例えば天皇が私の住んでいる町の国道を通るとなると、整備されていない部分が舗装されて綺麗になるというのは昭和にもあった。これは、インフラ整備の観点では良いことだと思うが、その国道を通る時に、日の丸の旗を振るという儀式があった。オリンピックで日の丸の旗を振って応援するのとはちょっと違う。でも、ちょっと似ている。
 この小旗の話はこう。割り箸とぺらぺらの紙の日の丸の旗が各人に配られ、これで小旗を自作し、車の通る時間に一斉に外に出て出迎えるというのを学校でやったことがある。私は、これによって天皇崇拝教育を受けていたわけだ。戦後、20年も経った頃だろうか。私にとっては意味不明だったが、皆天皇の顔を見た見ないではしゃいでいた。そういう空気であったにもかかわらず、私にそれがなかったのは、両親が天皇制で縛られない中国に長く住み、影響を受けなかったからだと思う。
 私の中では、天皇の存在がそれほどの意味を持たないので、他者の様子の方が異様に映る出来事は沢山経験した。先のブロガーの年齢は知らないが、天皇を崇め奉る教育の名残りかと思う。最近の天皇家の動きを見ても分かるとおり、学習院大学や幼稚園を選択されないことや、皇族から娶らないことなどを見ても、むしろ、皇族が一般市民と同等の立場に立っている表れだと感じている。おそらく一般の、天皇制への心性も平成までではないだろうか。
 本の話に戻すと、床屋談義な話しのどこに読みどころがあると言うのだろうか。次のように紹介されている。

 おそらく本書を読んだ歴史好きのなかには、本書の議論の特異な粗さのようなものを感じるだろう。が、では本書は雑な本なのかというえば、その対極で、よくまあこんなディテールを議論するなあという話がいろいろあって面白い。特に、宗教権力と王家(天皇家)の関連については、特別珍妙な議論ではないのだが、一般的には近代以降の独立した宗教範疇で語られがちなので、本書のような王権権力構造や世襲的な世俗権力の構図でさらりと描かれるのは示唆深いだろう。

 「王権権力や世襲的な世俗権力の構図」は、厄介なことに現在でも存在する。国会議員の世襲の存続や、その家系を見ると浮き彫りになる。これを無くそうという話は、選挙のたびに話題にはなっているが、なかなか断ち切れない問題だ。一般市民から見ると、この問題の何が難しくて断ち切れないというのか不思議でもある。宗教の範疇ではないと思っているだけに、この部分は興味深い。

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2011-04-24

「枕草子」解読に近づくために、まずは漱石先生かなと思った

 「現代日本語と古文を結びつけてやさしく解説した書籍」。あったら読みたい、と思ったことがあった。それは、言葉に対する関心が何かであるが、学問的な関心ではなった。学校の授業で教わった古文や漢文は何故か全く好きではなかったし、毎度眠くなる授業だったのを覚えている。興味を持ったきっかけは、枕草子や源氏物語などの文学作品全集全24巻を友人から一冊ずつ借りては読破した中学二年の頃からの馴染みだと思う。その前に、小学生の頃、近所の四歳年上のお姉さんに百人一首を教えてもらって暗記した経験から、古文には違和感を持たなかった理由かもしれない。言うまでもなく、当時は全て暗記であり、意味など全く分からないにもかかわらず、年上のするように真似て覚えることが楽しみだった。ただ、意味が分からないことが、あるときから不満になった。いつか、この意味が何かを読み解きたいと思う気持ちはあったが、そのまま多くの疑問としてが残っている。
 その後、随分経ってから、丁寧語に含まれる言い回しの中に、古文由来の言葉なのだろうと疑問を持ち、使い方に迷ったままの会社員時代の懐かしさのようなものもある。社会人になる前に、もう少し勉強しておけばよかったと後悔することもあった。ただ、平成になってから、それらの言葉から全てが遠くなり、自分自身が疑問や興味を持つきっかけも乏しくなり、遠のいてしまった。
 昨日、極東ブログでこんな風に書いてあった(参照)。

古文が現代人にとって、ちんぷんかんぷんという状況が露出してしまうのは、本書の結果的な指摘のように、文部省唱歌あたりだろう。こうした近代の擬古文には、鷗外の「舞姫」もある。私が愛唱していた讃美歌もそうだ。これは通称大正訳聖書の関連もあるのだろう。あの時代、つまり明治・大正時代の古語は、当時の人にとっても、古めかしさの修辞だった。当時ですら特殊な文章だった。
修辞にすぎないが、この近代擬古文を経由すると枕草子といったいわゆる古文に接近しやすくなる。いきなり平安朝の古文を文法として提示するより、変遷の中間点として、唱歌や讃美歌など明治・大正時代の近代擬古文を学んでおくよいのではないか。候文なども併せて教えておくとよいと思う。

 でたあ。古文を理解するなら中間点の近代擬古文を学ぶとよいとある。私としては、古文を目標とするよりも、擬古文だけでも面白いのである。言われている森鴎外の擬古文と同時に思ったのが、夏目漱石だ。同じ時代の作家であるにもかかわらず、現代文にかなり近く、読みやすい。因みに夏目漱石は、森鴎外より五歳年下の1867年生まれだ。
 また、夏目漱石が文学で現代語で文章を書くようになった理由に、正岡子規との交友もあるようだ。正岡子規は、俳句を自由な言葉で表現することで、なじみやすいものに改革した人であり、漱石との交流は興味深い。
 漱石全集16に、漱石が御正岡子規との交友をこんな風に書いている。

「正岡子規との交際」
非常に好き嫌いのあった人で、滅多に人と交際などはしなかった。僕だけどういうものか交際した。一つは僕の方がええ加減に合はして居ったので、それも苦痛なら止めたのだが、苦痛でもなかったから、まあ出来ていた。こちらが無暗に自分を立てようとしたらとても円滑な交際の出来る男ではなかった。例えば発句などを作れという。それを頭からけなしちゃいかない。けなしつつ作ればよいのだ。策略でするわけでも無いのだが、自然とそうなるのであった。つまり僕の方が人が善かったのだな。
今正岡が元気でいたら、余程二人の関係は違うたらと思う。もっとも其他、半分は性質が似たところもあったし、又半分は趣味の合っていた処もあったろう。も一つは向うの我とこちらの我とが無茶苦茶に衝突しなったのでもあろう。
忘れていたが、彼と僕と交際し始めたのも一つの原因は、二人で寄席の話をした時、先生(子規)も大に寄席通を以て任じて居る。ところが僕も寄席の事を知っていたので、話すに足るとでも思ったのであろう。それから大に近よって来た。

 漱石の文章をここにこうして書くだけで、恐れ多くて手が震える。
 文章全体が旧仮名遣いになっているわけでもないが、なんとなく現代の言葉と入り混じった感じがする。また、「ええ加減」という話し言葉から、夏目漱石はどんな話し方をしていたのかもっと知りたくなる。
 ところで、極東ブログでも取り上げている「とても」についてだが、ここでも漱石は使っている。「こちらが無暗に自分を立てようとしたらとても円滑な交際の出来る男ではなかった。」と使っている。現代なら「こちらが無暗に自分をたてようとしても円滑な交際の出来る男ではなかった」となる。この部分を抜くと「たてようとしたらとても」が「たてようとしても」となる。わずか、四文字を削って縮めたのが現代言葉である。
 話は変わるが、調子に乗って漱石の「吾輩は猫である」の朗読を動画で聴いてみた(参照)。途中、アレ?と疑問に思う言い回しがあった。その一つ「左(さ)のように」はどうだろう。これが耳に止まった理由は、小沢昭一氏の「話に咲く花」で「ことほど左様に」が頻繁に使われているのが残っていたためだ。「そのように」の意味であると思うが、丁寧語で「左様でございます」と、今でも健在している言葉だ。
 さて、疑問は、何故「左」なのかだ。
 例えば、右の通りとか下に示す通りなどのように、場所を指す言葉が語源で、たまたま「左」を慣用的に使い始めたのであれば、「右様でございます」という言い方があっても良いはずだと思った。何故、「左」なのだろう?この言葉が古語由来であれば、昔の文章は、右から左に縦書きだ。右から書いているため、次に示すものは必ず左に書かれる。だから「左様」なのだろうか。昔は、左から右に縦書きも横書きもしなかったため、「左様」しかあり得なかったはずだ。理由はきっとそうに違いない。
 なんだか変な話に飛んでしまったかも。「飛んだ」と言うのは、「枕草子」や「百人一首」からという意味。

cover
「古文」で身につく、ほんものの日本語
鳥光 宏

 こんな風に、拾い出すと際限なく出て来る言葉の由来や不思議は、古文に直結できなくても、割と身近な漱石先生辺りからでも手繰り寄せられそうではないかと思った。また、このような研究をしている人がいて、もしかしたら、本でも書いているのではないかと思った。
 紹介されている書籍は解説書でもなさそうだし、古文を読むためのハウツー本でもなさそう。タイトルに釣られて読んでみることにした。知りたいのは、意味を変えずに、現代風に古文が読めるようになりたいのだが、この本ではなさそう。

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2011-04-23

他国から多くの支援を受けている日本

 アメリカの原子力規制委員会(NRC)が、事故の現状を独自に分析し、結果を出したとNHKが報じていた。このクリップを見て、なんとなく安堵している自分は変かなと思った(参照)。刻一刻と変化する事故後の原発の様子を追いかけるのに精一杯だったひところとは違って、脆弱(ぜいじゃく)とは言え、落ち着いているという米NRCの見解が、日本の見解とほぼ同じだと知りそれにほっとした。日本の東電には信頼をおいていない、という内部的な心理が露呈したのかもしれない。
 福島の原発事故を通してアメリカの協力体制や、支援活動の具体的な実行力には、その確実性に安心感をもった。このようなことでもない限り、こうしたアメリカの姿を見ることもなかっただろうと、感動的なシーンを思い出す。そして、アメリカの国防総省は、彼らを送り出している家族をも支えている事を知った。
 紹介しているのは、極東ブログ「April is Month of the Military Child」(参照)で、次のようなコメントがある。

 生死をかけて国家のために働いている軍人を親に持ち、また親元から引き離されていることもある子どもたちがいる。この子どもたちもまた、軍人と同じように国家に仕えているということを社会的に理解し、称賛しようという主旨である。

 また、米国防総省のHPでも紹介されている(参照)。
 国が、軍人とその家族に敬意を払うというのは決して軍国主義のようなイメージではなく、むしろ、国の協力者である軍人との絆のような関係ではないかと知り、感動した。動画の親子の「Daddy!」のシーンを観る時は、ティッシュの用意が肝心(参照)。日本の自衛隊は軍人ではないので異質ではあるが、この度の自衛隊の支援活動に感謝している声をよく聞く。米軍の取り計らいに感化されて思ったのだが、ひと段落着いた頃、「surprise」のような労いがあっても良いのじゃないかと感じた。
 支援と言えば、昨日、Twitterのクリップ記事で韓国中央日報のコラム「日本が友情で応える番だ(3)」が気になった(参照)。というか、この記事自体ではなく、コメント欄に投稿された誹謗中傷に、同じ日本人として恥ずかしさを覚えた。
 いつの間にかコメントは200を超え、「腹が立つ」は7000以上になっている。何にそれ程反応し、何が言いたいのだろうかとざっと見て、引用を使っている例が分かりやすいので切り出した。

安藤:
 「韓国は台湾のように日本の世話になったこともない」・・・。なんたる無知(無恥)!1910年の日韓併合による、36年間の日本による統治、1965年の日韓国交以降の対韓支援。これがなければ現在の韓国はなかった。
 「人の痛みを自分の痛みと考える純粋な人道主義的な同情心以外には説明できない」・・・。そんなことはわざわざ言うまでもなく、韓国人以外の人にとっては当たり前のこと。
 「重要なのは金額ではなく、その中に込められた気持ちだ」・・・。台湾よりも韓国の方が高額だったら、韓国人はこうは言わなかったでしょう。
 「今は日本が友情で応える番だ」・・・。見返りを要求するのは純粋な人のすることではありません。台湾の人はそう言うことは言いません。この一言で韓国人は馬脚を現してしまいました。

 一つ一つに反応していたらきりのないことだが、例えば、「韓国は台湾のように日本の世話になったこともない」を取ってみる。
 韓国では反日感情は強く、「支配を受けた」と韓国国民が感じていることに対して反論は無用で、これは人の感情だ。人の感情を歪めたり正したりすることはできない。当時のことを実体験として語れる世代ではないもの同士が、歴史上に起こった戦争の敵味方を何故現在も背負うのかという疑問もある。片付いていない問題としてよりも、感情的な問題だけに厄介な面はあると思う。
 例えば、日本の首相が靖国参拝するかしないかが常に問題になるが、韓国感情を逆撫すると分かっているから参拝しないのであるなら、韓国のその感情をしっかり受けとめたらよいと思う。日本の政治家は、これを受け止めずに、自分の主張しかしていないと思う。戦争は、お互いに傷跡を残して終わっており、どちらも戦争の犠牲であるのは変わりない。広島や長崎に原爆が投下され、日本は多くの犠牲を出した。投下したアメリカに謝罪しろと言ってもらいたい気持ちと同じような気持ちを韓国に突きつけられれば、少なくとも韓国の国民が持つ感情は理解できるのではないだろうか。アメリカは謝罪もしなければ、慰霊祭に大統領が参加することもない。これに怒りをぶつければ済む問題だろうか。私は、この矛盾を責めたいのではなく、この矛盾に向き合うことが決着をつけることだと言いたい。
 かつての戦争で痛い思いをさせたが、許して欲しい。そして、多くの死者が葬られたことも、また、自ら人の命を危めた方も、悔やんでも悔やみきれない重心に悩みながら亡くなったかつての戦士も日本にはいる。どちらが悪いと言えるだろうか。戦争は、両者に傷を残して終わった。
 義捐金の話に戻すと、韓国のコラムに書かれていることは、日本と韓国の友情を深めるために、これから日本が何をしたら良いかが書かれている。記事にはこう書かれている。

 友情を金額で表すことはできない。 重要なのは金額ではなく、その中に込められた気持ちだ。 恩を返す気持ちが大切であるように、苦境に陥った人を助ける純粋な気持ちも大切だ。 韓国と台湾が集めた寄付金それ自体は、実際には日本にとって重要なものではないかもしれない。 なくても変わらないものかもしれない。 日本が心より感謝するべきことは、かつて植民地だった両国の国民が見せた友情だ。 今は日本が友情で応える番だ。

 韓国では歴代一位の大金が集まった。それは、日本の痛みを思いやる韓国の人々の心づくしである。感謝の気持ちを率直に伝え、できることなら、戦争の痛手を癒して欲しいと願うことではないだろうか。

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2011-04-22

「When will we stop the genocide in North Korea? 」ロバート・パーク氏のワシントンポストへの寄稿記事から思うこと

 米特殊部隊(CBIRF)が来週帰国することになり、これで福島原発の緊急性の危機を脱した状況ではあるようです。災害の影響を受けて40日が過ぎ、避難されている方達の今後の暮らしや将来的なものがなかなか描けない中、大変な頑張りで辛抱強く暮す様子をテレビで見ると目頭が熱くなります。私には何もできませんが、被災された皆さんの望まれる将来に、一日も早く辿り着けるよう願っています。
 昨晩Twitterでクリップされていた記事を読んでいて、原発や中東・北アフリカのことばかりに気が行って、北朝鮮のことがすっかり抜けていることに気づいた。リビアで内戦が始まった当初、独裁政権に起こっている反政府運動を、同じく独裁政権国である北朝鮮にも何か似たようなことは起こりはしないかと、一時は注視している時期もあった。その前に、中国で、民主化運動家達がデモを計画していたが、あまりも盛り上がらず、私の関心もやや遠のいた感じだった。
 事は、民主化運動と括ってしまえばそうだが、その内側は人が何百万人も犠牲となって死んでいる。ただ傍観しているのは辛いものがあるが、それでも民主化を訴え、自由を勝ち取りたというのであれば、望みがかなうまで突き進む姿を見守らなければならないと思う。今だからこれは言えることで、民主化運動がチュニジアからエジプトへ飛び火した当初、感情的なものが整理できずに、ニュートラルな気持ちではなかった。
 さて、北朝鮮に話は戻るが、読んだ記事は、ワシントンポストの「When will we stop the genocide in North Korea?」(参照)で、いきなり、「北朝鮮の虐殺をいつ止められるの?」と問われる。これで直ぐにピンと来たのは1994年から1999年の食糧難時代を「苦難の行事」と呼び、食べ物がなくても苦難に耐えろと強いられた北朝鮮国民が大勢餓死したことだ。それは今でも続いている。読み進める中で、やはりこの件に触れて書いてあった。当時、脱北して中国や韓国へ逃げてきた人々は、金正日のことを悪魔だと言っていた事も覚えている。
 北朝鮮に民主化はあり得ないと思う理由に、まず、この世界一臆病でキチガイのような独裁者が居座る限り国際社会の介入すら難しい国であるし、そのキチガイが核を保有していることだ。道を閉ざされているのは確かである。こう考えていた私だったが、該当記事を読んで、角度がガラッと変わった。寄稿されたのは、Robert Park氏で、2009年12月から2010年2月まで北朝鮮で拘留された人権保護活動家で、宣教師だ。
 北朝鮮から何かされまいとすることではなく、金正日の虐殺行為に国際社会が一丸となって抗議するとしたらどうだろうか。この視点が、この記事では具体的に三つ提案されている。私自身の気持ちが前向きになった部分であり、書きとめておくことにする。

l An NGO strike. The nongovernmental organizations supporting the genocidal Pyongyang regime must withdraw all support from Kim Jong Il immediately and unambiguously declare their action a protest of the North’s concentration camps, systematic diversion of food aid and mass atrocities.
NGOのストライキ。 大量虐殺平壌体制をサポートしている民間の組織は、ただちに金正日の支持を解除することで、これは、北部の強制収容所の扱いに対する抗議だと明白に宣言しなければなりません(食糧援助と大規模な残虐行為の組織的転換)。

 日本のNGOは、脱北者の支援もしているようですが、国際社会が北朝鮮に制裁を加えている中、一方では食料を供給している現実を直ちにやめるべきだと提案しています。

l Use our resources effectively. The United States, South Korea, Japan and the rest of the international community must recognize that there is a way to effectively save those in desperate need. It is through the refugees, most of whom still have relatives and friends in the North with whom they are in secret communication. North Korean refugees and their ally organizations must be provided all possible resources.
効果的に我々の知恵を生かす。アメリカ合衆国、韓国、日本や他の国際社会は、効果的にそれらを収集する方法があることに気づくべきです。 それは難民を通してです。彼らが秘密に連絡を取り合う友人や親類の殆どは、北に暮らしています。 北朝鮮の難民と彼らの同盟国組織にすべての可能な知恵を提供することです。

l Mass demonstrations. Never have more than 100,000 people gathered to protest the mass atrocities in North Korea. All who object to the genocide must organize, assemble and make their voices heard.
We should get to work immediately, realizing that we are already far too late.
The writer is a human rights activist and missionary who was detained in North Korea from December 2009 to February 2010.
大規模なデモ。 大規模な残虐行為に抗議するため、決して100,000人以上程度の人々が結集するくらいではだめです。大量虐殺に反対する人全員で集まって組織化し、彼らの声が聞こえるようにしなければなりません。
我々はすぐにこの事業に取り掛からなければなりません。そして、もうすでに相当に遅れていると気づくべきです。

 ここを読んで直ぐに思い出したのは。「「Why Libya is different from Darfur」ハミルトン氏の考えを知る」(参照)で触れた、ハミルトン氏のダルフールの争乱についての意見だった。
 彼女によると、ダルフールでは、多くの人が虐殺され、助けを求める人々の叫びを国際社会が聞き逃した点を指摘していた。ついでに言うと、リビアの内乱に軍事介入する決断が早かった理由は、反政府側の代表が国連に助けを求めたのがきっかけだったからだ。つまり、パーク氏が言いたいのは、同じことだと思った。
 北朝鮮で大量虐殺に反対する人は、軍部関係者を除けば、大半の国民ではないかと思う。それが束になって金正日に抗議するという案だ。
 この三つを簡単にまとめてみる。

  •  デモの正当性を食料難にするため、周辺国は北朝鮮に収容所の大量虐殺を証拠に、全ての援助をストップする。
  •  脱北者とは密接に情報交換し、新しい情報を常に入手して政府や軍の動きを察知する。
  •  国民はデモ組織を作る。

 まずは、中途半端な支援をストップすることからだ。これなら簡単にできることだ。武器も資金も必要なく始めることができる。出口のないトンネルだと、入る前から怯んでいた気がしたが、なんとなく向こうの方に小さな光の点が見えてきたような気がする。

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2011-04-21

ひとつの恋が終るとき-松任谷由実

 ユーミンの新しいアルバムの紹介から(参照)、早速iTunes Music Store(iTMS)から「ひとつの恋が終わるとき」をダウンロードして聴いている。彼女の熱狂的なファンというわけではないが、曲の紹介で聴くようになり、味わっている。まず、この曲を聴いた最初の印象は、同じ世代のユーミンとして身近に感じられたことだった。この感覚は、昔の彼女の曲からは感じ取れなかったことだ。
 彼女の昔の曲には、人生や恋をテーマにした曲が沢山ある。昔、私がこれらの曲を聴く時は、多少、自分自身の気持ちに無理を強いて彼女の世界を自分に取り込んで聴いているようなところがあった。そうやって、意図的に作られたシーンで聴いている自分が現実に戻ると、やっぱり歌の世界観とのギャップが埋められなかった。良い曲であるけど、曲に酔えない自分は、超現実的であったのだと思う。幻想的な世界観は持たなかったのだと思う。その感覚今の私じゃない、みたいな距離があった。むなしさも残った。だからだと思うが、大昔の自分に実際に起こったことで、思い出したくないことは、蓋をしていたのかもしれない。蓋をして置いておくというのは、存在を認めていることであって、抹殺していることではない。実際、蓋をするというのも感覚的なもので、「蓋をする」と、言うことが慰めであったかと思う。苦しさがふっと降りてくるとき、打ち消せるものはないかと周囲を見渡し、うろたえたのだと思う。
 ユーミン自身の身の上に起こった現実は、私が蓋をしたかったようなものと似ているのかもしれない。前に突き進もうとするエネルギーを蓄えたような曲が彼女には多いが、曲から力をもらうと言うよりは、本心を隠した仮装を薄々感じ、曲に誤魔化されまいと思っていたような気がする。
 その私が、彼女と同じ人生のステージに立っている心地よさを感じたのは、「ダンスのように抱き寄せたい」だった。その時の感想も書いている(参照)。同世代が持つ、これこそこの感覚が正直なところじゃないかという嬉しさと同時に、曲が私に入り込んできた。ユーミンが、現実の心情を歌に織り込んでいると始めて感じた曲だった。
  彼女の人生観も変わったのじゃないか、最初そう思ったが、おそらくそれは人生観ではなく、生き方そのものが変わったからではないかと思い直した。そして、今日の「ひとつの恋が終わるとき」は、女なら誰でも当たり前だと言える辛さをそのまま曲に書いている。彼女は、やっと自分を解放し始めたのだろうか。昔のユーミンの曲とは全く違って、違和感なく入ってくる。変な比較だが、宇多田ヒカルの感性は歳相応のものだなと、違和感なく心地よく聴ける。ヒッキーの曲の世界に、私がそのまま戻ることができる。ユーミンの若い頃の曲では戻れない。そこには、何か嘘があるとしか言えない。「何か」は、分からない。そこが彼女の辛い部分で、私達世代にありがちな、自分を全部出せないところかもしれない。だから、ユーミンは、自分らしさに戻ったということではないかと勝手に思った。
 男性にはあまり信じてもらえないようだが、女には、現実に持つ心情を隠すことはある。理由は、自分から見せるのではなく、気づいてもらいたいから。人にもよるのかもしれないが、「私はこれを持っている」と、持っているものを特定して教えたくない嫌いがあって、相手がそれを感じたものでよいという、相手任せな部分もある。たまにそれがとてつもなく違うものだとがっかりなのだけど、伝わらない辛さを持ちながらも、気長に待つようなところがある。ユーミンのこの曲にもそれを感じ、彼女がさらに身近になった。

cover
Road Show
(Amazonオリジナル・クリアファイル(チケットサイズ)特典付き)
松任谷由実

ひとつの恋が終るとき-松任谷由実

前も見えない雨が それぞれの道 照らしてた
駅へ送ってゆくよ 最終電車 いってしまう前に
ハンドルの向こうに続く
きみのいない人生へと急ぐよ このまま
きみは傘の雫と みじかいため息 ふっと残し
ふりかえりもしないで
すぐ階段に 消えてゆくのだろう
トレンチの背中を伸ばし
ちがう人に見えたならば
涙に にじんで ぼやけて流れるけれど
強くなる もっと強くなれば 忘れずにいられる
つらくても きっとあとになれば やるせなく思える
駅へ送ってゆくよ ひとつの恋に終りを告げるよ
ミラー越しに
前も見えない雨が 別々の明日 包んでた
鍵ならかえさないで
二人のドアは もう開かないから
信号が変わるたび めくる
なつかしい風景 まるで
ポスター みたいに 破ってしまいたいけれど
強くなる もっと強くなれば 失くさずにいられる
つらくても きっとあとになれば 美しく思える
駅へ送ってゆくよ ひとつの恋に終りを告げるよ
ミラー越しに

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2011-04-20

イラクとリビア介入を国連安保理決議1441に照らして考え直してみる

 国際社会の軍事介入問題は難しい。特に、イラク戦争が何だったの?という疑問が頭をもたげる。また、同様に、リビアの争乱に国際社会が軍事介入した点は置き去りにできない。今まで私も随分悩んできた。日本が直接的に関わっているわけではないにしろ、何が悩みかと胸のうちを明かすと、良心の呵責による苦みのようなものと、どう悩んでもどうにもならない事だと置くに置けないこれって何、と、繰り返し戻ってくる。そして、問題が絞れないことが混乱につながっていた。
 昨日、極東ブログ「リビア・ステイルメイト」(参照)は、最初、私の抱える問題の的を絞りやすくしてくれるような気もしたが、とんでもなかった。逆に、国際社会が考え直さなければならない大きな点を浮き彫りにした事にもなり、ついては、またしても私の悩みだなあと受け止めた。
 虐殺は、人権を無視した行為であり、これは許してはならない事だとはっきりしているにもかかわらず、リビアへの介入は何か違うものが当初あった。正直な話し、私如きが良心の呵責に苦しんでいるのに、米英仏はどうなんだろうかという見方にもなり、心のどこかで、イラクと何が違うのかと批判的に見ていた。いや、イラクの後だけに、事態はもっと悪いと思っていた。それもあって、リビアへの介入は、当初から「イラク2.0」(イラクのバージョンアップ版)という見方は変わっていない。
 そして、極東ブログで引用されている英ガーディアン社説では、「リビアの混乱はまさに国連安保理決議1441の問題であり、それは国連安保理の存在から、世界の国際法のあり方を問い直す」という問題が提起された。私は、この部分から「イラク2.0」を考え直せというメッセージを突きつけられ、自分なりにここで整理しておくことにした。
 イラク攻撃直前の国連安保理決議をめぐって各国がどのような主張をしていたか、拾い上げてみた。

  • 米国:イラク攻撃の根拠は、国連決議1441、687、678で十分。新たな国連安保理決議は不要。
  • フランス・ドイツ・ロシア:イラクが大量破壊兵器を国連安保理決議1441に基づいて完全に破棄したのであれば、その申告義務を履行しているかどうかの見極めに、さらに査察の時間が必要で、継続すべき。当面は、攻撃するべきではない。
  • 英国:上記の中間的な意見。短期的な査察延長が必要とし、イラクに義務違反があれば攻撃するという内容の新しい国連安保理決議を要する。
  • 安保理非常任理事中間派各国:中期間(45日間)程度の査察延長後、義務違反の有無を判断する。
  • 日本:単純に米国支持。

 かなり大雑把だが、アメリカ主導の下にイラク戦争が始まったと言われる由縁がここにあり、先のガーディアンが指摘する「国連決議の1441の問題」が理由に挙がる。これは、イラク戦争前に各国が攻撃開始の根拠にしているからで、国連決議の1441自体がそもそもどうよと、ここを疑うことだ。この根拠が崩れることはイラク戦争の正当性がなくなることであり、その決議を採択する基になった国際法自体がどうよと問うことになる。ここが問題の核心であり、考えの的が絞られた部分だ(と思った)。
 この国連決議の1441とは何か?一言で言うと、イラクに武装解除を求めることで、主な内容は、Wikipediaにもあるので引用した(参照)。

  • イラクが武装解除義務の重大な不履行を続けていると判断
  • イラクに、大量破壊兵器および関連計画について全面的かつ完全な申告を30日以内に提出するよう要求
  • イラクに、直ちに無条件で国連の査察に協力することを要求
  • イラクに、順守の最後の機会を与えたと警告
  • 以前の決議(決議1154)で査察の対象外とされていた大統領施設についても査察を認めるよう要求
  • イラクの違反が続いた場合、それがイラクに対して重大な帰結をもたらしうるものだと再三警告したことを想起

 国連がイラクの武装解除を決議し、その義務に違反したイラクを厳しく取り締まることを全会一致で採択したのがイラク攻撃だ。考える的は、全会一致が正しいとは限らないという点と、国連の決めたことが絶対とするならば、一致していることが必須ではないかと思う。矛盾したような表現になるが、これが国連の矛盾点ではないかと思う部分でもある。
 前者の全会一致が正しいかどうかだが、イラク戦争の正当性であった大量破壊兵器の所有の点で、今のとこ存在は確認されていない。念には念を入れて各国が捜査するとしながらも、「あるはず」という仮定での見切り発進を採択した結果、未だに正しかったとは言えない。この点だけでも既に国際審議違反と言える。
 また、一致という点では、リビア攻撃は最悪だった。攻撃開始時点で各国のリビア攻撃理由がばらばらで、反対していたトルコなどは無視に近く、米英仏が主導で採択したような背景だった。しかも、アメリカは早くからNATOに引き継ぎたいと言う姿勢を示し、フランスはNATOの介入に不満だった。このことは3月25日の「リビア内戦への軍事介入」(参照)でも触れた。このような不一致は、明らかだった。
 国際法を問い直すのであれば、最低でもこの二点を取り上げなくては矛盾したままになる。
 問題は沢山あると思うが、あまりに理不尽で、都合よすぎやしないかと思う。
 日本は国際法を優位としてそのまま取り入れていることもあり、当初、私自身が国際法そのものを問うという思考回路が働かないこともあったが、胸にあった違和感の元だったのかもしれない。

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2011-04-19

復興再建と増税について雑感

 昨日のエントリーで引用した東電の「事故の収束に向けた道筋」の工程表を改めて眺めてみて、紙一枚にまとめられているせいか、簡単な作業のような印象を受けた(参照)が、内容は、とんでもない工程だと思った。今まで原発事故をそれなりに取り上げてきてみて、作業がどれ程困難極まりないかは多少なりとも理解できているつもりだ。それを少なく見積もっても、東電の工程表のように、本当に作業が期間内で進むとは思えなかった。
 その大きな理由と思われるのは、東電がみている「収束」とはど言う状態に原発が落ち着くことか、その前提がそもそも違うとは思った。率直に言うと、「道筋」は「廃炉計画書」ではないのが一点と、各炉ごとに作業が整理されていないため、平面的にステップ1や2の各炉ごとの進行できるようにも解釈できように見える点だ。当然、時間のかかる炉もあるり、例えば、燃料棒の破損状況や、放射性物質が水や大気中に放出されている状況がみな違う点などが挙がる。
 中でも一番手を焼いてきたのが2号機だと思う。高濃度の大量の汚染水がどこから漏れ出し、どこを伝わって染み出しているのか特定すらできていない状況で、人が近づくことができない。因みに、18日、遠隔操作ロボットによる放射線量が計測されたようだ。これによると、1・3号機では、それぞれ最高で毎時49ミリ・シーベルト、同57ミリ・シーベルトと、人間の作業が困難になるほどの高い放射線量を測定したとあり、2号機の汚染水に関しては、これを大きく上回る放射線量だとしている(2011年4月18日21時53分  読売新聞)。
 また、東電の計画の密閉作業は3ヶ月となっているが、読売発表の数字から、作業にどう取り掛かるのかでさえ未定だ。素人が言うのもどうよな話だが、工程表があまりにも大雑把で、このまま計画の通りに作業を進めることが優先され、安全確保がおろそかになるのが一番の心配となった。
 東電が出している「ロードマップ」は、「中間的課題」までしか出ておらず、廃炉までではない。何故か理由は分からないが、二つの嫌な理由が浮かんだ。一つは昨日も触れたように、住民への気休めとしてステップ1と2を進行させながら時間稼ぎをし、デッドラインが守れない時点で東電幹部が辞任して住民に謝罪するというシナリオ。
 二つ目は、復興計画のための財源確保に緊急性を持たせ、国民に増税を余儀なく認めさせるためだ。嗚呼、こんな事を勘ぐる嫌なヤツだな私って、と嘆かわしい。が、何のことはない、そう思っていた矢先に昨夜のニュースで増税計画が明るみに出たではないか。それはNHKニュースだったが、念のため他のメディアにも当たってみた。殆ど内容は変わらないため、NHKを引用することにした(参照)。

 民主党は、役員会で、東日本大震災からの本格的な復興に向けた第2次補正予算案の編成にあたっては、歳出のさらなる見直しなどに加えて、復興目的の国債の発行で財源を確保し、その償還のための増税を含めて与野党で結論を得る方針を確認しました。
 それによりますと、第2次補正予算案の編成にあたっては、歳出のさらなる見直しが必要だとしており、現在月額1万3000円の子ども手当については、支給額や所得制限の導入など、制度の在り方も含め、与野党で早急に議論するとしています。また、第2次以降の補正予算案の財源については、復興目的の国債「復興再生債」を発行して従来の国債とは区別して管理し、償還の財源を担保するとしています。そして、償還の具体的な財源については、増税を含めて与野党間で第2次補正予算案の編成までに結論を得るとしています。一方、第1次補正予算案の財源として基礎年金の国の負担分を充てることに自民党などが反発していることを踏まえ、2分の1という国庫負担の割合は維持するとしたうえで、必要な財源は社会保障と税の一体改革の中で、与野党で協議したいとしています。民主党は、こうした方針を自民党など野党側に提案して協議を行いたいとしており、岡田幹事長は、記者会見で「既存の歳出の削減だけでは第2次補正予算案以降は対応できず、『復興再生債』を発行しなければならない。その償還のための財源は税以外になく、どういった税で、いつ行うかは、これからの議論だ」と述べました。

 既にマニフェストなどは崩壊している上、子ども手当てがなくなることも覚悟だとして、「復興再生債」を発行することには勿論異議はない。では一体いくらぐらいを復興資金として必要とし、その財源はどこからひねり出すのだろうかと探してみたところ、時事通信が具体的な数字に言及して伝えている(参照2011/04/19-00:13)。

 東日本大震災の復興財源確保のため、消費税を期間限定で増税する案が政府内で浮上していることが18日、 分かった。現在5%の税率を3年程度、3%引き上げる案を中心に検討されており、復興の本格化に伴って発行する国債の償還財源に充てる。複数の政府・民主党関係者が明らかにした。
 仮設住宅建設やがれき撤去など、当面の復旧対策が中心の2011年度第1次補正予算案の財源として、政府・民主党は、国債の発行は見送る。しかし、政府・民主党内では、復興には最低でも10兆円超の予算措置が必要との見方が支配的で、2次補正以降では財源の柱として「復興再生債」(仮称)を発行する方針だ。
 財源をめぐっては、政府の復興構想会議議長の五百旗頭真防衛大学校長が14日の初会合で「震災復興税」を提唱したこともあり、民主党内では「増税で対応せざるを得ない」(幹部)との声が強まっている。消費税を3%引き上げれば、年間7.5兆円の財源が見込まれる。

 当初、民主党は、復興には4兆円だと言っていたが、いつの間にか10兆円となっている。これには異議はないが、どのような根拠で金額が倍以上になったのかは全く分からない。
 また、財源は消費税からだと、とんでもないことを言い出している。このタイミングで増税を言われた国民が反対すれば、非国民のような目で見られるのジャマイカ。なんだか、それを恐れて反対できなくなるような気風が醸成されるのではないだろうか、と妄想した。被災者も大変だが、そうでなくても、これ以上の負担はキツイ。また、感情論ではなく、経済政策として、ここでの増税は全く理に適わない。
 今回の災害がどれ程の規模かは言うまでもないが、二次災害もかなり言われている。つまり、実際に被災していなくとも、その影響は国内にじわじわと押してきている。ますます先行きに不安を抱く中、直ぐに財布に響いてくる消費税を増税するのは承服しかねる。消費税に白羽の矢がたつのは、増税しやすいからという理由はあると思うが、政治家は、財源確保は増税が正しいと信じているからだろうか。菅さんも増税を言って党内からもバッシングされたが、今なら良いどころではなく、最悪のタイミングだと思う。増税の是非は雰囲気やムードではないと思うが、論旨が見えないため、その辺の足りなさを感じる。

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 高橋洋一信者ではなないが、高橋氏の復興予算40兆円をどう作るのかという考えを、阪神大震災の「逐次投入」の失敗例をとって解説されていたのを読み直し(参照)、これだ、と思った。この「逐次投入」というのは、簡単に言えば、小出しではダメだという意味だ。阪神の震災復興費が小出しで、それが失敗だったと私は認識していないため比較のしようもないのだが、今回は阪神震災よりも被害は大きいのは承知している。
 高橋氏は、このような莫大な費用を直ぐに捻出するために消費税などの増税しやすいもので補うと、経済が停滞し、被災で購買意欲のなくなったムードから税収は見込めないという前提を上げている。日本は、長いデフレの状態であるため、この話は納得できたし、さらに拍車をかけるという根拠もよく分かった。だからこそ、日銀引き受けの国債を40兆円くらい積んで、100年掛けて返せばよいという話だ。また、「あらためていう。「震災増税」で日本は二度死ぬ本当の国民負担は増税ではない」(参照)では、この期に及んで増税ムードを作り始めている閣僚の名前を挙げながら、あのふっくら一見、温厚そうな高橋氏がダメだダメだと言わんばかりに半鐘を連打している。今回は、画像があったので顔出しした。
 先にも挙げたように、東電の工程表の通りに廃炉計画が進むはずはなく長期化するだろうし、相当な時間と労力が必要と思われる。それに伴ってこの先何年も消費税で増税された時、私には体力が残っているだろうかと不安になった。

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2011-04-18

東電は「事故の収束に向けた道筋」を発表した

 テレビで流れたニュース画像を遠隔操作でファイルに保存し、後からいつでも簡単に編集可能だという時代に今、私はいる。この操作は、自分のテレビに内蔵されているアプリケーションを使って、番組ごとのクラウドに自分のIDで入るだけの簡単操作でできる。初め、NHKのオンデマンドがクラウドになり、他局も足並みを揃えたため、今の時代は番組の録画などをする時代ではなくなっている。
 私は、この機能を使って、何年も前に起きた福島第一原発の事故の様子を収録しようと、政府が発表した被災地の状況などを今の時代でどれだけ集められるか、密かに作業を進めていた。その私は何故か30代でバリバリ働いている。この新機能で読み込むためには、正しくクラウドにアクセスしなければならないため、資料が見つからないこともある。
 やっと4本だけ収録した時点のことだった。作業の続きをするために、これまで収録した資料を読み込もうとするが、ロックされて資料を見ることができない。何度もトライして諦めかけた時、この作業に詳しい友人が、「この資料はヤバイんだよ。ロックされた理由は、例の国だよ。」と、教えてくれた。知らないのは私だけだった。もっと教えて欲しいと頼むと、「そういうことは自分で考えるものだよ。この手の収録を始めた時点で、そんなことは自覚するものだよ。」と言って、教えてもらえなかった。私は、この資料の何がヤバイのか、どんな重要な秘密があるのか、それが知りたかったが、誰も教えてくれず、結局迷宮入りとなることを悟った。
 後から、誰が得するのか考えて浮かんだのは、ロシアと官僚だった。政治家は、官僚が書いたシナリオのとおりに政策を進めただけ、東電は、会社の存続のためには官僚の言いなりにならざるを得ないと判断し、会長と社長はその後、自殺してしまった。
 リアルな夢を見たものだ。
 夢を思い出しながら、昨日のことを思い出していた。東電の、原発に対する今後の計画についてだった。夢で気がかりだった資料というのは、昨日東電が公開した計画案のことだと思った。
 テレビで、9ヶ月も先にならないと自分の家に戻れないのかと嘆いている人もいれば、9ヵ月如きでは片付かないのではないかと言っている住民の声を聞き、その印象が焼きついていた。私は、後者だと思っている。おそらく私が生きている間にいは収束しないだろうと思っている。そして、何故、あんな無理な計画案を出すのか、とても信じられなかった。もっと長くかかるだろうし、そうなると、計画案の根拠となった考え方や姿勢を問われる。その時、東電の責任者が辞任するのは目に見えている。9ヶ月間、時間稼をし、実現しなかったら東電のトップが謝罪して退くことになるのだろう。で、住民は、腹立たしい思いを封じるしかなくなる。そんなところじゃないかと思った。
 現実は、もっと酷いのだろうか。もっと悲しいのだろうか。
夕方、例によってニュースクリップをフォローした。拾っては読み、次を拾っては読む。次第に筋書きのようなものが見えてきて、この現実に実際生きているいることが夢であって欲しいと思った。鉄腕アトムを見た世代としては、科学の力や10万馬力で動く原子力ロボットに見た夢は、原発の将来だったと思う。その夢が夢のままであれば、こんな現実には遭遇しなかっただろうに。
 別に東電を責めているわけじゃないし、いつ辞めようか、そう考えるのなら汚名を被る時じゃないかな。肩書きを生かしきるだけじゃないかな。できることは、そういうことじゃないかと思う。
 昨日クリップした記事を順に挙げておく事にする。

福島第一原子力発電所・事故の収束に向けた道筋-東京電力株式会社(平成23年4月17日)

 たった一枚の紙に計画案が記されている。ステップ1で3ヶ月、ステップ2で6ヶ月とあることに唖然とした。

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4号機の建屋でも強い水素爆発?写真で明らかに-(2011年4月17日01時34分  読売新聞

 「夢」の残骸写真。定期点検中で稼動していなかった4号機建屋が爆発を起こした時、何が起きたか誰も知らなかった。使用済み燃料プールには、使用済みが783本、使用中548本、未使用が204本だと中日が報じていた(参照)。未使用も一緒だったと、当初は報じていなかった。
 これらの一部が破損していると聞いているが、その破損が原因で水素爆発したと言う言及は未だにない。米NRCヤツコ委員長は、1~3号機の使用済み燃料プールもおそらく同じではないかと推測している(参照)。つまり、4機全てが悪い条件にはまると、チェルノブイリどころの規模ではない。広島、長崎に続く三度目の被爆経験国なのだと実感した。

Japan nuclear crisis 'over in nine months'-BBCニュース(17 April 2011 Last updated at 09:58 GMT)

 BBCニュースのローランド・バーク氏(Roland Buerk)は、「 it is still not certain that the nine-month deadline can be achieved.」(9ヶ月で達成できるということが懐疑的)と批判的だが、この東電の発表は、政府の命令によるものだと、次のように前置きしている。

Japan's government had ordered Tepco to come up with a timetable to end the crisis, now rated on a par with the world's worst nuclear accident, the 1986 Chernobyl disaster.

 変なところにチェルノブイリとの比較が出てくるものだ。あの事故が世界で最悪の原発事故であるため、収束は同等の手順で行えという命令が政府から出たのだろうか。「政府」という疑問を持ったのはこの時だった。

東電会見ライブ()()勝俣会長、辞任の時期「悩んでいる。社長もそうだと思う」(産経)

 白髪の東電幹部が揃って謝罪。

福島第一原子力発電所・事故の収束に向けた道筋-東電プレスリリース

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 添付資料に計画の詳細が加わった。

原発事故「前進できた感じする」=菅首相-(時事ドットコム2011/04/17-17:47

 菅直人首相は17日午後、福島第1原発の事故に関し、首相官邸で記者団に「きょうは東京電力の(収束見通しの)発表もあって、少し前進できた感じがするよね」と語った。

 ここで何て書いたらよいものやら、先に文字が進まない。
 先日の会見でも「原子炉は一歩一歩安定化に向かっておりまして、放射性物質の放出も減少傾向にあります。」(参照)という残念な発言を耳にしたばかりだった。この部分だけを切り取れば、現在の原発状況に対して首相自ら先頭を切ってデマを飛ばしているようなものだ。現状は、この言葉とは全く逆だ。注水によって汚染水を増産する一方、原子炉内部の燃料棒を冷却し、どのような場所で何が起こるかを常に監視しながらぎりぎりの対処に迫られ、前進の道を模索している状態である。東電が発表した今後の道筋は、「政府」のオーダーだとBBCローランド・バーク氏は言ったが、菅総理ではないことがこの発言ではっきりした。「9ヶ月というオーダーを出したのは、官僚でしょう。日本は官僚によってコントロールされているし、一国の首相がノー天気でも何とか保たれているのもそのお陰だとしか言えない。
 菅総理は、アメリカ・インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙などに「日本の復興と再生への道」というタイトルで寄稿したしたそうだ。原文記事は読んでいないが、日本のメディアはこのことを報じている(産経)。

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2011-04-17

17日ウォール・ストリート・ジャーナル「政府、低濃度汚染水の海への放出に関する分析結果を公表」について

 原発関係のその後の記事を見ていて17日、ウォール・ストリート・ジャーナル日本版の「政府、低濃度汚染水の海への放出に関する分析結果を公表」(参照)の記事で、どんな分析結果が出たのか関心を持った。周辺国には多大な心配を掛けている点で、私自身のこれまでの印象では、何の説明も無く海に汚染水を垂れ流すなど、政府のすることは非常識ではないかと感じていたからだ。15日付けの分析結果も含めて、記録しておくことにした。
 そして、報告書に釣られて調べているうちに、ウォール・ストリート・ジャーナルの当記事は、事実に則していない記事であると感じた。その部分は、調べているうちに分かってきたので、エントリー中で言及することにする。
 先のウォール・ストリート・ジャーナルの該当記事は、経済産業省原子力安全・保安院が報告書を公表した意図を次のように伝えている。

【東京】政府は15日、被災した福島第1原発から低濃度汚染水1万トン超を海に放出した件に関する報告書を公表した。周辺国で高まる海への汚染拡大に対する懸念を軽減する狙いとみられる。

 このように書き出すからには、データが安心できるものでなければ意味が無い。と思い、ここは、私もしっかり把握しておきたい部分だと思って読み進めた。

経済産業省原子力安全・保安院が日本時間15日夜に公表した報告書によると、東電が今月4日~10日に福島第1原子力発電所から海へ放出した比較的低濃度の放射能汚染水は合計1万0393トンに上った。放出量の内訳は地下水排水設備が1323トンと、集中廃棄物処理施設が9070トン。
原子力安全・保安院は分析の結果、海に放出した汚染水の濃度は非常に低いことが明らかになったと表明した。含まれる放射性物質の大半は、東日本大震災後1週間以内に原子炉内で発生した一連の水素爆発により生じ、その後の降雨で降下したものとみられているという。
また、保安院の石垣宏毅審査官によると、サンプリング調査が示すところでは、放出された汚染水に含まれる放射能の量はヨウ素131やセシウム134と137など合わせて約1500億ベクレルと、原子炉等規制法が定める海水での濃度の基準の100倍程度にあたる。

 これによると、汚染水の濃度が低いということことよりも、なんだかものすごい量の放射性物質を垂れ流したとしか思えず、保安院が公表したデータを見てみなくては意味がない。
 探してみた結果、以下の報告書が該当のものではないかと思われる(参照)。

2. 東京電力(株)からの報告概要
(1) 集中廃棄物処理施設内部の滞留水については、4 月 4 日午後 7 時 3 分より放水口南側の海洋に放出し、4 月 10 日午後 5 時 40 分に終了(放出量は約 9,070 トン)。
5 号機及び 6 号機のサブドレンピットの滞留水については、4 月 4 日午後 9 時より放水口北側の海洋に放出し、4 月 9 日午後 6 時 52 分に終了(放出量は約 1,323トン)。放出した滞留水の合計は 10,393 トン、放出した放射性物質の総量は約1.5×10の11乗ベクレルであった。
(2) 沿岸及び沖合での海洋モニタリングの結果、顕著な変動は確認されていない。滞留水の海洋放出に伴う影響は、近隣の魚類・海草等を毎日食べ続けると評価した場合でも、成人の実効線量は約 0.6mSv/年である。
(3) 今後とも、現在実施中の海洋モニタリングの結果を注視し、影響評価を継続する。

 (3)で触れている「モニタリングの結果」が、以下である。

(a) 1 号機~4 号機の近傍(南放水口付近)でのモニタリング結果
・ 本区域は高濃度の汚染水が既に流出(4/2 に 2 号機取水口付近のピットから流出していることを確認)しており、周辺の放射能濃度が上昇している状況(ヨウ素 131 が 1~100Bq/cm(3)程度、セシウム 137 が 0.1~20 Bq/cm(3)程度。
・ こうした環境において、今回放出された汚染水は、ヨウ素131が6.3 Bq/cm(3)、セシウム 137 が 4.4 Bq/cm(3)であり、周辺環境と大きな差は無い。
・ 多少の変動はあるものの、放出前と概ね同程度の範囲内の測定結果が得られており、有意な変化は見られていない。

 ここまでは数字も明らかであり、一定環境で求めた値であるため、信憑性を問うようなことは無いが、このPDFファイルを読み進めると、30kmの沖合いの数字は上記の東電のデータとは違うと下記のように言及している。

⑤ 文部科学省が実施中の沖合約 30km における測定データを見ると、全体的には低減傾向にあるものの、福島第一及び第二発電所の沖合約 30km の測定点において濃度が上昇している結果が得られており、意図的ではないにせよ福島第一原子力発電所から高濃度の汚染水が漏出した経緯もあるので今後の動向を注視する必要がある。

 ここで、文部科学省のデータを参照しないとわからん!というわけで、またしてもPDFファイルの検索にかかった。調べると、結構緻密にデータを取ってあることを知り(参照)、さすが、日本のお役所のお仕事はできていると思った。後からこんな記事が出てきてびっくり(「水素爆発「考慮必要なし」 福島原発2報告書」)、横線で訂正した。
 このデータの中でグラフでは7日以降右肩上がりで、データで検出したことがわかるグラフは、以下の「福島第一原発の沖合い30km地点の海水中(表層)」の16日のグラフ(5/6ページ)が該当する。

福島第一原子力発電所周辺の海域モニタリング
海水中(表層)の放射能濃度の測定結果

平成23年4月16日(15日採水)  文部科学省

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 保安院のデータと照らすために4月10日の文部科学省のデータへ戻ってみると、福島第一原発の沖合い30kmの部分の(4)だけ、データがない(参照5/6ページ)。理由は分からないが、4日以降の6日、8日、10日と続いてNO4の海域(福島第一原発沖合い30km海域)ではデータを取っていないというのがデータのようだ。
 ウオール・ストリート・ジャーナルに戻ると、「周辺国で高まる海への汚染拡大に対する懸念を軽減する狙いとみられる」と、ウオール・ストリート・ジャーナルが推測し、保安院の報告書の一部から、「海に放出した汚染水の濃度は非常に低いことが明らかになったと表明した。」と安全性だけをクローズアップしているように読める。これは、裏取りが甘いのか、あえて記事に書かなかったのか。どうなんだろう。
 記事で引用している部分だけを見ると、文字面は安全だが、経済産業省原子力安全・保安院の報告書にあるとおり、文部科学省のデータを辿れば、30kmの沖合い海中(表層)のデータでは急上昇している。これに関して、保安院も「高濃度の汚染水が漏出した経緯もあるので今後の動向を注視する必要がある。」と言及している。
 保安院の報告と文部科学省の報告書が示す数字で中国や韓国を安心させられるどころか、日本の私たちにとっても今後も注意が必要だと言われたに等しい。
 原発から30km離れた沖合いで、何故数値が上がっているか、また、何故ここで急上昇したのか不気味だ。今後の魚介類への影響も含め、専門家の分析を仰ぎたいところだ。

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2011-04-16

原子力安全調査専門委員会がまとめた原子炉の調査結果

 日本原子力学会の原子力安全調査専門委員会がまとめた原子炉の調査結果について14日、読売が報じた(2011年4月14日22時44分  読売新聞)。

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 3基は核燃料の一部溶融が指摘されているが、専門委は「溶融した燃料は細かい粒子状になり、圧力容器の下部にたまって冷えている」との見解を示した。
 専門委では、東電や経済産業省原子力安全・保安院などが公表したデータをもとに、原子炉の状態を分析した。
 それによると、圧力容器内の燃料棒は、3号機では冷却水で冠水しているが、1、2号機は一部が露出している。1~3号機の燃料棒はいずれも損傷し、一部が溶け落ちている。溶融した核燃料は、冷却水と接触して数ミリ以下の細かい粒子に崩れ、燃料棒の支持板や圧力容器下部に冷えて積もっていると推定している。これは、圧力容器下部の水温が低いこととも合致している。沢田隆・原子力学会副会長は「外部に出た汚染水にも、粒子状の溶融燃料が混じっていると思われる」と説明した。

Madeinaviary

 この記事をTwitterでクリップした後、再度、記事内に付記されている画像の拡大ページのリンク先がTwitterで流れた。右がその画像だが、原子炉内の燃料棒が1号機は70%以上、2と3号機は30%程度が「一部破損」ということからイメージしてみた。
 この破損状況については、かなり前にも報じられていたし、その点で驚くことはなかった。それでも、イメージ画像の下部に粒粒状の塊になって積み重なっている部分は、1号機では70%で、上部に残っている燃料棒の30%は殆ど「棒」という形を成していない無残な姿であるに違いないと想像した時、これまで持っていた私の「破損」のイメージが崩れ、「崩壊」だとはっきり思った。どこまでもイメージはイメージに過ぎず、正確なものではないにしろ、相当なショックを受けた。言葉にしてTwitterで発することができなかった。これは、我ながらよい対応だったと思った(その後がいけなかったが)。
 アメリカのフェアウインド・アソシエイツ顧問で、沸騰水型軽水炉を監督して40年の経験を持つアーニー・ガンダーソン氏の見解を最初に紹介されていた極東ブログ記事により(参照)、私はこの状態を早くから知っていたが、昨日のニュースで初め知った人も多くいるだろう。また、まだこの事実を知らない人も多くいるのではないだろうか。この状態は、勿論、多くの人が知っておくべきだと思うので、ここにも貼り付けることにした。
 夕方挙がった極東ブログ「原子力安全調査専門委員会が福島第一原発原子炉状況をまとめた」(参照)では、いくつか疑問を投げかけている。
 気がかりとしている1号機と2号機について、私も気になったが、きっと誰しも不可思議な思いが残るのではないだろうか。データが限定的だから、という理由もその分析を困難なものにしているようだ。確かに、3号機のように冠水しない不思議さが残る。というか、不気味だ。
 現時点ではどうなのかが気になり、エントリーが挙がってからわずかな時間しか経っていないが、「水位」に言及して検索を掛けてみたところ、日経の15日の最終記事で現在の状態を次のようにまとめている(日経2011/4/15 23:32)。

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 1号機は温度制御が難航し、圧力容器内の燃料棒の約7割が損傷している。燃料損傷で発生した水素による水素爆発が起きないよう、7日未明から圧力容器を覆う格納容器に窒素注入を続けている。ただ内部の圧力は想定通りには上がっていない。容器から空気が抜け出ていると考えられ、放射性物質が外に出る懸念がある。
 2号機は格納容器の一部である圧力抑制室が破損しており、ここから放射性物質が出続けている可能性がある。タービン建屋地下や坑道(トレンチ)にたまった汚染水の濃度も2号機付近が最も高く、除去作業は同機を優先している。
 3号機は3月14日に水素爆発が起きて建屋が壊れたが、その後は炉内の温度は比較的安定していた。ただ4月14日には、圧力容器上部の温度が数十度上昇しているとの計測結果が得られた。東電などは計器の異常と説明するが、注意が必要だ。
 4号機は使用済み核燃料プールに大量の燃料がある。水位が一時低下して燃料が過熱、一部が損傷したとみられる。12日に採水して分析したところ水温は90度もあり放射線量が高いことが判明。水位も下がっていたため、急きょ水を約200トン注入した。プールの水温や放射線量の新たな計測はしておらず、冷却できたかどうかは不明という。核燃料の損傷が進めば、放射性物質の放出が増える懸念がある。

 注水した水が漏れ出すことと、汚染された空気がどこからか漏れ出すかの点のようだ。このことから、一体、どの程度のメルトダウンが起きているのだろうかと知りたくなって調べてみると、フォーリン・アフェアーズ リポートの4月号で、物理学者であるビクター・ジリンスキー氏(元米原子力規制委員会委員長)が次のように述べている(参照)。

   どの程度のメルトダウンが起きているかは、原子炉内の放射線量が原子炉を開けても問題がない程度まで放射性崩壊が進んだ数年後に、実際に原子炉を開けてみるまではわからない。福島第一原発の原子炉がどのような状態にあるかは、状況がさらに悪化しないと仮定しても、今後、数年間はわからないままだろう。

 ある意味がっかりだが、一方では、菅さんを信頼して今後をまかせるしかない。「世界に事故の経験を正確に伝えていくことが義務だ」と先日言われた通り、適切な識者と問題を共有し、より良い方向へ導びかれるよう祈るしかない。

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2011-04-15

こんな夏にはこんなことを-チェーホフもありかな

 昨日のニュースで、今年の夏の電力不足に大手企業は、二週間から三週間の一斉休業を検討していると聞いた。いいなあ、オイ。昭和の働きずくめの時代に、欧米人が三ヶ月や六ヶ月という長い休みを利用して、世界の旅を楽しんでいる姿を羨ましく指をくわえて見ていた、そんな時代が日本にもやってきたのかと一瞬思った。現実は、そんな悠長な時代がやってきたわけではない。福島原発事故による電力不足が、夏の需要に追いつかないことを懸念しての秘策だ。なんでも、お休み中は、できるだけ東電管轄外地域へ出ろ、みたいな勝手なことを言っていた。
 だが、よくよく考えてみなくてもわかるように、大手企業のそういった決定は、子会社や孫受けにはありがたい決定でもある。急に生産日程を変更されてあたふたするよりは、この夏は仕事がありませんよと今、決定してもらった方が何かとありがたい。ただし、減収は覚悟だ。中小企業は、その長期休業保証をどうするかという問題がある。長いデフレ不況が続いてきた中、現在稼動している中小企業にはあまり余裕がない。これは、二次災害と言えば、もろにそうだと思う。被災者のライフラインもまだ確保できずに、インフラ整備もまったく追いついていない現在、二次的な被害を受けながらもじっと黙っているしかない。
 この夏はどうしようかな、と思い始めてはっとしたが、電力がどのような形態で戻ってくるのかまったく分からないではないか。もしかして、石原都知事が言うように、販売機が町から姿を消し始めるかも知れないし、蓮舫行政刷新担当大臣が節電大臣と肩書きを変えるかもしれない。何が起こるかわからない政府だという上に、東電の電力供給量は落ち込むようだ。というか、日本はこれからどんどん貧乏になって行くのだと思う。石原さんの世代に見えてくるのは、戦前戦後を乗り越えてきた自分らの若い頃の姿ではないかな。だとすると、ここは、ますます元気にパワーフルに活躍する出番だと思っているのかも。私世代も、この世代に育てられ、昭和の激動を見てきたわけで、一旦そこに戻るというだけだ。
 こんなことを妄想しながら、さて、私はこの夏どうやって過ごそうかと考えていた。

Hammock3

 先日、山用品の店で見たハンモックを思い出した。あれは、この震災前だった。そのときに想像していたのは、木陰に吊るして本を読んでいる姿だった。場所は、家の近くの神社の涼しい所で、手弁当を食べ、本を読みながらそのままお昼寝という風景だった。その風景が昨日戻ってきて、私を誘惑した。家の中ではどうしてもエアコンを入れてしまいがちになるし、何かと電機を使う。暑いからと言って涼しいところへ旅行するのは、エネルギーの無駄遣いになる。この際、どこかに出かけるのをやめて、家で涼しくす過ごすと言うのはどうだろうかと思った。今までと同じようなことをどうやったらできるか、などという思考回路は外し、何も無いところからできることを探し出してみるという発想なら、思いがけない経験ができそうな、なんとなくわくわく感がやってくる。いいな、これって。

cover
新訳 チェーホフ短篇集
アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ
沼野充義

 うつらうつらこんなことを思いながら寝ようとしたところへ、極東ブログでチェーホフの短編集の新訳紹介エントリーが挙がった。チェーホフは、うら若き乙女はあまリ読まないと思う。私が昔本を読みあさった頃は、星真一、五木寛之、北杜夫とかが流行っていたかな。今はもうお爺ちゃんだけど。私は、こういった作品も沢山読んだが、石川達三やチェーホフも読んだ。オジサンのエロさみたいなものも感じたが、男の中年が女性を見る視点として面白かった。実際に、オジサンというのは助平だと、冷ややかな視線を送って見ていた頃もあった。男の人を異性としてみていない時があったのも、もしかすると、早くにオジサン世界を文字で知ったつもりになっていたせいだろうか。
 それはさておき、書評のこの部分が気に入った。

チェーホフ短編の面白さを味わうというなら、特別新訳を読むこともないのだが、こっそり言うけど、Tolle Lege、取って読め、買って読め。
 なにゆえ? 新訳ならではの面白さというのもあるけど、この本、作品ごとの末にいちいち訳者のこってりとした解説が付いていて、そこがたまらん。おまえ、文学好きだろ、みたな世界が延々と広がっていく。ラノベの評価で友だちと罵倒を繰り返すような熱い思いが湧いてくる。
 チェーホフ短編自体も面白いが、率直に言うと、女性にとっても、これ、面白いのかというと、困惑。20代までの男にとって面白いかというと、微妙。童貞さんには、がちで面白くないと思う、すまん。

 ここに、「20歳代の女性にとっては面白いかというと、微妙」とは書いていないが、読んだ私は、オジサンに対してげんなりしながらも、現実を知ると言う意味で読み、やはりげんなりした。今の20歳代女性にとっては「糞」で終わるかも。分からないな。いずれにせよ、文学作品としての印象は残っていない。今頃だが、本には読む適齢期はあると思う。間違ったからと言って無駄でもないが、筆者からのメッセージを受け取る適齢期というのは、意図されているものを受け取った時に分かるものだ。年齢で分けるのは難しい。
 訳者の解説が面白いと絶賛されているのを見逃す手はない、注文した。
 そうそう、今年の夏用に、本の紹介がもっとあると嬉しい。ハンモックは用意しておくとして。

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2011-04-14

原発使用済み燃料の問題

 福島第一原発の避難区域のどこかで、近所の人達と固まって避難している夢を見た。政府の誰かが私達の腕を強引に引っ張って、指定する避難場所へ避難しろと催促されている場面だ。数名なのだが、どうしても移動はしないと言って座り込んでいる。役人は諦め、次回に来る時は、勧告書ではなく命令書を持ってくると言って出て行った。
 その後、私たちは、ひそひそ話を始める。
 政府の言うとおりにしても、どうせ日本はいずれ住めなくなる国になるのだから、動いても同じことだとと皆で話し合い、結束を固めた。
 目が覚めて、この夢には避難の意味がまったく含まれていないことを知った。避難するのは被爆しないためではないのか?そのことは、夢の中の私の意識にはなく、政府の言うとおりにはしないと意地になっている、そこだけがはっきりしていた。
 さて、一昨日、経済産業省の原子力安全保安院が福島第一原発の事故の評価をレベル7に指定した。INES(アイネスまたはイネス)が設けている国際基準に準じて評価されるもので、既に周知のとおりチェルノブイリと並んだと報じてる事だ。世間はこれをどう見ているのだろうか。世間と言っても、私が世間話をするのはTwitterが多い。家の周辺はお年寄りばかりで、原発の話しはあまり通じない。Twitterで話をしていると言っても、かなり独り言だ。思っていること、ベントしたいことを設けられた四角い枠にタイプしてEnterキーを押しているだけのこと。さっきの夢の話じゃないが、一緒に避難する近隣の住民は誰だったのだろう。よくよく考えると、そういった付き合いのある人はあまりいない。それは、むしろ幸いなのかもしれない。沢山持っていると失うものも多いが、無ければ失う辛さが軽くて済む。
 話を戻すと、INESの基準に準じてレベル7に上がっても私は驚かない。ここで書いてきていることは、言い換えればレベル7以上の想定であったし、Twitterに投稿された外国情報が豊富で、日本の比ではなかった。また、それらには、納得の行く説明なり解説をつけているため、信憑性の高いものだと感じて取り上げてきたからだ。そして、あの菅総理の会見での話は、どこか他所の国の話でもしているのかと思った。原発事故に対する正直な認識から率直に話されているとしたら、菅さんの原発の理解度は最悪で、現職の総理から降りてもらわなければならないレベルだ。
 今起きている原発事故は大変深刻で、よい風など一行に吹かない。状況の変化が起こる時は、それは、悪い知らせだ。発覚してから手を打つような対処法しかない中、アメリカの提案に応じて海水から真水を注水することに切り替えた点と、1号炉の水爆の予防措置として窒素を注入したことだけが唯一、妙な安心感が持てたことを覚えている。
 こうした中で、米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ(Gregory B. Jaczko)委員長の新しい見解が12日、ニューヨークタイムズで公表され、早速、極東ブログ「NRCは水素爆発の原因を炉ではなく使用済み燃料プールと見ている」(参照)で訳がつき、解説された。実は、このエントリーが挙がる前にTwitterで該当の記事のリンクが投稿され、読んで内容は大まかに把握していたが、最初、肝心の部分を誤訳したため手間取った。原子炉の構造と、使われている英単語がどの部分を指しているのか理解できなくても、忠実に訳をつければ分かってきそうなものだが、そうは簡単に運ばないものだ。ここでは「secondary containments(第二次格納施設) 」を使用済み燃料プールと訳している。それでよいのだと思う。
 早速読ませてもらい、ヤツコ氏の指摘と、気がかりだった4号炉の火災原因が結びついた。以下がその肝の部分だ。

the explosions in the secondary containments might have been caused by hydrogen created in the spent-fuel pools within those containments.
原子炉建屋の爆発をおこした水素は、建屋内にある使用済み燃料プール火災から発生していたかもしれないと述べた。

 1号機と3号機の爆発の原因として考えられてきたのは、炉心から発生した水素が建屋の上部に溜まって爆発したと言う説明だった。この説明は、NHK科学文化部(かぶん)よる解説が分かりやすく、ニュースを聴いていた人は思い出すのではないだろうか。フランス・アレバ社の説明用資料から図を切り出したアニメーションが分かりやすい(参照)。これを否定するものでもなく、この可能性も勿論置いておくとしても、ヤツコ氏のこの仮説は、地震時、定期点検で稼動を中止していた4号機建屋が火災を起こした裏づけとなる。この火災発生時の状況は、以前取り上げたことだ(参照)。
 これは、想定内のことではあったが、他の施設の爆発原因とまでは考え及ばなかった。そこが今回の収穫だ。ヤツコ氏のこの新しい説は、稼働中だった1、3号機の使用済み燃料プール全てにも言えることではないか、というのが極東ブログで考察している。言うまでもないが、2号機に関しては、爆発は起きていない。

 4号機爆発の水素が使用済み燃料プールに由来するとしても不思議ではない。
問題は、1号機と3号機の水素爆発の水素は炉から、4号機は使用済み燃料プールからという、現在優勢な二元説にNRCが疑念を呈した点にある。別の言い方をすれば、1号機と3号機の爆発も使用済み燃料プールから発生したものではないのか?
もちろん優勢説からの反論は容易い。1号機と3号機の使用済み燃料プールの温度は4号機ほど高くないので水素の発生はないか少ないというものだ。

 これまで部分的に分かってきたことが理路整然とつながった、というすっきりとした印象を受けた。私としてはここまででかなり満足してしまったと同時に、これは大変大きな問題なのだと認識した。椅子から崩れ落ちるかと思った。地べたに座り込んで呆然としているような気分だった。
 稼動中止だった4号機建屋が爆発し、そこで自分なりに検証してみた時、使用済み燃料を水に浸した状態で炉の直ぐそばの隅っこに置いてあった、という事の重大さが分かった。それは、燃料棒が冷却水から顔を出してしまうと、再臨界が始まる危険性を知ったからだ。今回の地震では全ての電源がなくなり、冷却水の循環系等が全て動かなくなって起きた事故だが、何重もの厚い壁で包まれている炉心よりも、むしろ使用済み燃料プールの水を冷やす電源が止まり、加熱して水が蒸発し、中身が露出した問題の方が厄介だと認識した。よくもまあ、「あんなところ」にあんなふうに置いてあったものだと呆れた話になる。
 このことは、今になって分かったことなのだろうか。この度の事故の検証で、原発の炉の設計者が時々話をされているが、使用済み燃料の終末処理に関してはどのような見識があるのだろうか、伺いたいものだ。原発の事故の検証というよりは、これ以上放射性物質を世界にばら撒かないよう食い止めながら、廃炉に向かって行く一方で、使用済み燃料の終末処理が新たな問題となるようだ。それは皮肉にも、ヤツコ氏の説が暗示している。
 これまで受けた原発の恩恵に対して何十倍ものお返しが課せられるということだ。

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2011-04-13

ロイター竿白真一記者と読売が報じている福島第一原発4号機火災の相違点について

 昨日、米原子力規制委員会(NRC)と保安院の福島第一原発3、4号機に関する見解の相違について触れたところだったが(参照)、Twitterに思いがけない情報が投稿されたため、内容的には続編だ。
 それは、ロイターのアメリカ版の小さな記事「Fire seen at Fukushima nuclear plant; flames no longer visible」だった(参照)。竿白真一記者の取材記事で、日付は4月11日とある。この記事が伝えているのは、3月15日に起きた4号機火災時の東電社員の消火のための通報の様子だが、日本の読売が3月16日に伝えた東電大槻氏の会見での4号機の火災の様子と事実関係が異なる。これは、東電の隠蔽か確認漏れかを問わずにはいられない内容だ。また、重要なのは、この日の放射線量がこれまでの検出値で最も高い値である点と、NRCが指摘する3、4号機の使用済み核燃料棒が同日、吹き飛ばされて周辺に飛び散った可能性があり、事実確認をしておきたいと思う部分だからだ。ちょっと間違えばデマにもなることで、慎重にこの日の事を扱いたいと思っている。
 まず、ロイター記事だが、短いので全文を引用する。

Fire seen at Fukushima nuclear plant; flames no longer visible
Mon, Apr 11 19:53 PM EDT
By JAPAN-PLANT/FIRE

(Reuters) - A fire broke out at Japan's crippled Fukushima Daiichi nuclear power plant, operator Tokyo Electric and Power (TEPCO) said on Tuesday, although flames and smoke were no longer visible.
事故を起こした福島第一原発から火災が起きた。東電作業員は、火曜日にそう言い、既に炎と煙は目視できなかった。
A worker saw fire at a building near the No.4 reactor at around 6:38 a.m. (5:38 a.m. EST) and a fire fighting unit of the Self Defense Forces was sent to fight the blaze, a TEPCO spokesman said.
作業員が4号機付近の建物が炎上しているのを見つけたのは6:38(5:38米東部標準時間)、消火活動のために、自衛隊の消防部隊を出動されたと、東電広報が言った。
"Flames and smoke are no longer visible but we are awaiting further details regarding whether the fire has been extinguished completely," he said.
「炎と煙は見えなかったが、完全に消火したかどうかの詳細確認を待っていた」と述べた。
Japan has been battling to bring under control the plant damaged severely by last month's devastating earthquake and tsunami.
日本は、先月の地震と津波による壊滅的な被害から原発をコントロール下に置くために努力をしている。

Reporting by Shinichi Saoshiro
竿白真一

 まず、時間の確認だが、この記事内の「6:38」は括弧付けで東部時間(EST)が付記されているためアメリカ西部時間である。時差の15時間を足すと、日本時間では火曜(15日)の午前9時38分となる。これは、4号機の第一回目の火災が発見された時間で、東電作業員は自衛隊の消防部隊に通報後、自衛隊が消火に当たり、その後の詳細報告を待っていたという流れになっている。
 一方、3月16日の読売は、次のように火災を伝えている(参照)。

福島第一原子力発電所4号機で16日朝に発生した2度目の火災を巡り、東京電力は同日の記者会見で、「1度目の火災で鎮火したことの確認をしていなかった」と、確認を怠っていたことを明らかにした。火災場所は前日と同じ4号機の北西部分で、社員が目視で鎮火したと思い込んでおり、同社のずさんな対応が浮き彫りになった。
東電の大槻雅久・原子力運営管理部課長が、同日午前6時45分の会見で公表した。1度目の火災は、15日午前9時38分に発生し、東電は同日、「午前11時頃に自然鎮火した」と説明したが、大槻課長は16日、「社員が、目視で炎が見えないのを確認しただけだった。申し訳ない」と謝罪した。実は1度目の火災が鎮火していなかった可能性を報道陣から指摘されると、大槻課長は「放射線量が高くて現場に近づけず、確認できない」と釈明した。
東電によると、火災確認後、社員が2度消防に通報したが、つながらなかったため、放置していた。
2度目の火災は16日午前5時45分頃、4号機の原子炉建屋から炎が上がっているのを社員が確認。午前6時20分に消防に通報した。

 「社員が2度消防に通報したが、つながらなかったため、放置していた。」というのは一度目の火災を指していると思われるが、先のロイター記事では、自衛隊の消防部隊が消火に当たったと伝えている。この二つの記事の違いは、ロイター記事は、おそらく消防に通報した本人か、それを知るスタッフなどに確認した取材記事ではないかという点だ。
 次に、一度目の火災が完全に消火したかどうかの確認はできず、放射線量が高くて現場に近づけなかったという理由だ。が、ロイターが報じているとおり消防に当たったのであれば、その後の報告があったかどうかの確認ができていないのではないかと推測できる。つまり、大槻氏は、消火作業が行われたこと事態確認できていない状態で会見しているようにも思える。
 これについて何が問題になるかというと、昨日触れたNRCの指摘する3・4号機の使用済み燃料棒がプールから飛び出したのではないか、ということに日本側が反応しない理由につながるのではないかということを思うからだ。一回目の火災がどうであったか、その火災の様子を検証するでもなく、翌日の火災の報告の際、通報義務を怠ったことを謝罪して済ませている。謝罪をしても、問題自体が存在していれば、未解決のまま残ることになる。放射線量が一番高いのは、一回目の火災と重なるからだ。記者の質問で、この火災が二回目の火災に影響したのかどうか、それ自体が問題なのかどうかが分からない。
 16日の二度目の火災を報告する会見で、一度目の火災の事実の把握が充分ではなかったことが判明した後、東電は、その事実関係を精査したのだろうか。
 そして、今頃になってロイターが、3月15日の火災について報じるあたりの背景がよく見えないが、これだけ4号機の使用済み燃料プールの爆発問題が海外で話題になっているにも関わらず、日本で東電からデータの提示がないのも不思議だ。私が記者ならロイターの竿白記者同様、消防への通報者に取材したと思う。何が事実なのか、まったく分からなくなった。
 また、面白いメッセージがある。これは、「「原子力工学研究者からのメッセージ」-2011年04月11日 福島原子力発電所事故を機に記したメッセージと4/6までの情報に基づいた事故分析です」(PDF)では、爆発事故どころか、4号機に関する記述が一切ない。連名の東大教授らの分析なのかが疑わしくなるほど内容が無いようで、とほほな中身だ。が、この表題にあるとおり、連名の教授陣が送っているメッセージを読もうじゃないの、と再読した。
 東大教授陣は、「4号機に関するデータは一切持っていません」というメッセージを全力で知らせているのではないだろうか。

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2011-04-12

NRCと東電・保安院の3・4号機に関する見解の相違について

 昨日の夕方、福島に大きな地震が発生した。余震は、現在(夜中)でもなお集中的に続いているようだ。ここ諏訪では大した揺れではなかったが、何度も何度も揺れを体感しているうちに起きているのが辛くなり、眠くなった時点で早々に寝た。案の定、その分早く目が覚めたが、テレビをつけると、番組の途中で地震速報が何度か流れ、寝る前に感じた恐怖のようなものがそのまままた舞い戻ってきた。この恐怖は、揺れによるものではない。原発は大丈夫なのだろうかと、その心配ばかりだ。
 昨日の一番大きな揺れの後、保安院の会見だったか、50分間注水が停止したと知った時は絶句した。この地震の後、少し経ってから極東ブログで「放射性物質を含む瓦礫の撤去が始まる」(参照)のエントリーが挙がったが、気持ちが集中できず、同じ場所を何度も繰り返し読んでいた。起きてから早速読再読し、またしても原発に対して気がかりな点が残った。今後の問題でもあり、書き留めておくことにする。
 それは、3・4号機に関してだが、米原子力規制委員会(NRC)が3月26日付けのOfficial Use Only(内部機密)の文書でいくつか指摘がある中の一部分で触れている。この文書は、極東ブログで別のエントリーでリンクされていたため、その時点で読んでいたが、炉心の状態についての文脈で読んでいたため、原発敷地内の瓦礫の撤去作業のくだりで、使用済み燃料プールの爆発の文脈では気を置かなかった部分だ。
 少し遡って記憶を戻すと、4号機に関しての認識は、使用済み燃料プールの爆発という強烈な出来事と共に、使用済み燃料棒は、炉心で制御されている燃料よりもはるかに危険な状態に晒されている点だった。勿論、平常時ではまったく問題はないとしても、全ての電源が停止した場合に備えていなかったという点だ。設計上の問題であるという以外、詳しくは分からない。4号機への関心は、この時がピークになった。また、3号機については関心が少し遠のいた。
 まず、4号機の使用済み燃料プールが全6機のうちで最大容量である点と、15日午前中、4号機付近で大きな爆発が二度起きた。二度目は、一度目の火災の沈下を東電側が見逃していたためその事実を知らなかったことが後で判明した。このことは、「ニューヨークタイムズの放射線量グラフで4号機の火災を検証してみた」(参照)を書く時点で、読売記事から拾ったものだった。このエントリーでもニューヨークタイムズが作ったグラフを引用したが、4号機の爆発原因が何であるか日本側では明らかにされていなかった。話は前後するが、当時は、アメリカの方が確実なデータを持っているような嫌いがあり、何故東電からデータが出てこないのか不思議に思っていた。これが隠蔽と疑ったのは当初にはあったが、以後の東電の態度を見ていると、説明責任の認識や義務感の欠落かもしれないと感じている。
 話を極東ブログに戻すと、該当エントリーでは、瓦礫の撤去作業の開始にあたり、先のNRC文書で指摘されている使用済み燃料棒の破片の発見場所に注目している。記事で引用されている日本の記事を読む限り、確かに、瓦礫の散乱状態を報じる意識は、水素爆発によるものだとしている。
 極東ブログでは次のように解釈している。

報道からは、初めて瓦礫撤去活動が始まったような印象がある。また、高い放射線を発している場所は、(1)2号機と3号機の間、および(2)3号機西側とされ、NRC文書の指摘場所とは若干異なる。また、放射性物質が水素爆発に由来するとしても燃料プールからの散乱という指摘は日本側報道にはない。

 NRCの指摘と言うのは、先の3月26日付けの内部文書にその記述があり、極東ブログの引用を借りる。

Fuel particulates may have been ejected from the pool (based on information of neutron emitters found up to 1 mile from the units, and very high dose rate material that had to be bulldozed over between Units 3 and 4. It is also possible the material could have come from Unit 3).
燃料粉塵が使用済み燃料プールから飛び出している可能性がある(施設から1マイル離れたところに中性子線放射が検出されたとの情報、及びブルトーザーで均しておくべき3号機と4号機の間にある非常に高い線量率の物質による。これもまた3号機から飛び出た可能性のある物質である。)

Screenclip

 撤去作業に関しての指導書のようであるが、気になるのは、東電では3号機と4号機の爆発をどう見ているかという点だ。グラフでは3号機に関して14日の水素爆発以後、17日には燃料プールの水を確認している。報道にない事は、事実になかったということではない。東電が3・4号機の爆発原因と、今後の危険性をどう見ているか、その点がこちらに伝わってこないのは、単にメディアの関心が向かないだけなのか、東電が説明義務を感じていないからなのか、違和感が残る問題だ。
 また、今後の作業を行うに当たり、このような見解の相違のままでは危険であるし、そこここに放射能を含んだ燃料棒の破片が転がっている可能性が問題だ。また、指摘に対して対応しないという姿勢は、アメリカとの信頼関係が今以上に損なわれるのではないかと気になる。周囲からの指摘に耳を貸さないままでよいわけもない。
 ついでに言うと、これまでも遠隔操作のできるロボットの提供に関して、早い時点でフランスなどからオファーもあったようだが、政府は受け入れていない。日本はロボット先進国であるとばかり思っていたが、最近は、政府の刷新の名の下に開発費をケチったため、原子力安全技術センターが研究開発していた無人ロボットが朽ちてきたようだ。2000年に開発したロボットも東電に引き渡されていたが、捜査できる人材がなく、また、予算がつかなくなったため維持管理ができなくなったと報じていた。これら一連のことは、「原発政策に加えたい項目」(参照)で、既に触れた。
 また、産経記事「1~4号機個別復旧プラン策定 難題山積、実現性?」(参照)では、正確な現状把握がないまま東電と保安院が今後の復旧プランを練っていると報じているが、その根拠がよく分からない。

 ただ、いずれも復旧の障害となる難題を抱えるうえ、高濃度の汚染水と高レベルの放射線量に阻まれ、正確な状況を把握できておらず、具体的なプランは見えない。原子炉や核燃料貯蔵プールを安定的に冷却できるめどについて、保安院は「数カ月単位の時間がかかる」(西山英彦審議官)と繰り返すばかりだ。

 その内容とは、ここで着目している3・4号機についてのみ引用する。

▦3号機
3号機は14日の水素爆発で、建屋が最も激しく損壊しており、格納容器の配管が損傷し、2号機と同様に汚染水が大量に漏出している恐れがある。また、残留熱除去システムも被害を受けている可能性があり、「復旧は厳しい」(関係者)との見方がある。
汚染水の移送先であるタービン建屋内の「復水器」では、「水が増え続けているが、原因は不明」(保安院)という状況で、排水作業も進んでいない。このため、2号機と同様に、外部構築の検討が必要になりそうだ。
▦4号機
震災時に定期点検中だった4号機では、核燃料貯蔵プールにある高熱の使用済み燃料への対応が最大の課題だ。現在は、生コン圧送車で注水し水の蒸発分を補給しなんとか危機的な状況を回避している。1~3号機のプールも同じ状況で、注水した水を循環させるシステムの復旧が急務だ。
さらに使用済み燃料をプールから取り出し、安全に保管できるのかも問題だ。水から露出すると高い放射線を放出するため、建屋内部で遠隔操作で搬出する必要があるが、建屋に加え、クレーンなどが爆発で壊れている可能性があり、取り出し方法の検討を迫られている。

 実際の計画書なりを見たわけではないため、この内容が全てとは思わないが、使用済み燃料プールの爆発や、燃料が飛び出したという言及はない。
 今回、極東ブロブで取り上げられたNRCの見解と日本側の認識が「相違」であるかどうかの確認も取れていない状況であるなら、「正確な把握」には至っていないと思う。このままでよいとは思わないが、では、いったい誰がこれに物言いをつけるのだろう。それとも、このまま続行するのだろうか。

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2011-04-11

フランス・アレバ社のスライドから同社のリンクとブラウン博士の名前が削除されたこと

 原発事故後、その状況を把握して行く中で、とにかく自分自身の無知を思い知った。が、反面、ここでブログを書くことで随分知ることもできた。その程度の私が、今から書こうと思っていることがどれ程僭越極まりないことかと思いつつも、情報整理という建前のもとにやはり書かずにはいられない。
 それは、昨日の極東ブログ「アレバ作成と見られる資料を眺める」(参照)が、ショッキングだったからだ。率直に言うと、フランスの原発開発にも隠蔽体質的なものを感じたからだ。こんなことを前面に書く自分自身を薄汚いと嫌悪する気持ちがあるが、疑心暗鬼の目で常に見ているわけでもない。単純に、素直に記事を読み進めて見えてきただけだ。しかも、記事内で引用されている4月2日付けニューヨークタイムズ(参照)を最後まで読めば、ネットで一度は公開されていたアレバ社の図式や解説がいつの間にか消され、そのデータに関してノーコメントだと後で言われれば、それは、よほど都合が悪いからに決まっているという結論に至っただけだ。消されたデータや参照先のリンクは、3月21日、米スタンフォード大学が今回の福島第1原発事故と原子力発電の将来について考えるパネルディスカッションを催した際の資料だった。
 先のニューヨークタイムズ記事の展開は、フランスのエネルギー会社(アレバのこと)を取り上げて、如何に研究が進んでいるかを紹介している。特に、ここでも再三取り上げているとおり、私も1号機のメルトダウンには関心がある。後からおっつけ情報のように出てくる詳細については、原発事故当時の検証に役立つが、驚きは後からじんわりと来ている。日本に対しても、こういった研究を大いに参考にするように親切なアドバイスの意味も込められている気がした。が、極東ブログで指摘している通り、記事の2ページ目の終盤部分にあるとおり、3月のプレゼンテーション後に、公開されていた画像やアレバへの参照が全て削除されている、と伝えている。
 ここで間違ってはいけないと思い、原文を読み直し、極東ブログが示す参照リンクのWikispooks(参照)へ飛び、PDFファイルを開けてみた。見た目が美しい。五つのセクションで福島第一原発事故の詳細を説明するものだ。各ページの下部のページを記す部分に 「The Fukushima Daiichi Inciden-Dr. Matthias Braun - 01 April 2011」とあり、文責を示している。マティアス・ブラウン博士による資料だということが分かる。これが、アレバのサイトになく、Wikispooksで見つかったというものだ。
 内容については、先にアメリカのフェアウインド・アソシエイツ顧問で沸騰水型軽水炉を監督して40年の経験を持つアーニー・ガンダーソン氏の見解(参照)にもあったように、1号機がメルトダウンを起こした後、どのように爆発を起こしたのかが大変鮮明に分かりやすく解説されている。但し、燃料棒が解けて圧力容器の底に溜まっているとしているガンダーソン氏の説とは異なり、メルトダウンは燃料棒の束の内側部分に起こるとして、外側部分が未だに残っていることが再臨界の可能性を示唆している。
 このように、大変説得力ある資料であるがために、だからアレバにとっては営業的にマズイのだろう、と最初は思った。ここで、アレバって何?と初めて聞く人もいるかと思うので、会社概要を記しておくことにする(参照)。

Areva(アレバ)はフランスに本社を置く世界最大の原子力企業。原子力の燃料であるウラン生産世界3位。日本を含め世界各国で事業展開。ウランの生産、濃縮から原子力燃料加工、販売、再処理まで原子力事業全般を手がけている。
2007年6月に南アフリカ共和国のウラン生産企業UraMin(ウラミン)を買収。原子力需要の増加を踏まえてウラン生産能力を倍増させる。また、日本の三菱重工と共同で中規模原子力発電プラントの開発に携わっている(2006年)。
メイン事業であるウラン生産を含めた原子力事業の他、1980年からは金鉱山から金の生産も行っている。Arevaの鉱山部門は子会社であるAreva NC(旧Cogema)が担っている。

 ウラン製造がメインらしい。3月31日には都内で記者会見し、事故の影響について、「福島の事故には多くの人がショックを受け、大きな連帯感を持っている。反原発の動きがあるのも事実。まずは原発の状況を安定させ、この経験を将来に生かす」という、営業トークであった(参照)。

 福島第1原発で使われていたウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料はコジェマ(アレバの前身)で製造された。日本は使用済み核燃料からプルトニウムを取り出して再び燃料に加工する技術を持っていないため、稼働を待つ六ケ所村再処理工場もアレバの技術支援で建設されたものだ(参照)。

 アレバの技術は、既に日本以上のものがあるように感じられる。
 この会社が作成した先のプレゼンテーション用の資料をネット上に一度は公開し、それが削除された後Wikispooksに残り、そこからブログなどを介してこのように拡散している。ここで私がその一派として何を言うかと問われるなら、アレバが情報を削除し、同社の広報担当者がノーコメントだというのは隠蔽だということだ。そこで、これは、何を隠蔽するかが問題になってくる。
 事故事態は、営業的な面では不利になる要素だと当初は思ったが、プルトニウムを扱う会社が、危険を逆手にとってより安全な技術力を売り物にしない手はないだろう。福島原発事故は、同社にとってはよい営業資料でもあるし、記者会見でもそう自負している通りだと思う。
 だとしたら、残る隠蔽理由は、福島第一原発事故後のケアーはアレバの技術力ではどうにもならないということだろうか。匙を投げてるということだろうか。

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2011-04-10

福島第一原発1号炉から想定されていることについて

 福島第一原発の冷却作業が続く中、ネットのニュースはどんどん更新される。その速さを感じることと同時に事態が深刻化しているわけではないと思うが、なんとも気持ちが落ち着かない。座ってテレビを見ながら団欒したのはいつだったかと、思い出せないくらい目まぐるしい日が続いている。
 その代わりに、ネットの動画で著名人や専門家の対談などの収録番組を見るようになった。これもネット環境が整ったお陰だが、見逃せない情報が満載で、録画は、気になれば何度でも繰り返し見ることができるのでありがたい。こんなことはとっくの昔に知っていると言う方も多いと思うが、私の年代の、特に女性は、ネットに疎いもので、割と知らないことが多い。どちらかと言うと使い方が単調で、用途が狭いまま安心している人が多いと思う。
 今日は、地震関係の情報をビデオでこんな風に得ることができるのだという意味で紹介することにした。しかも、昨日ここで取り上げた1号機の放射線量の異常増加(参照)に関してから、どのようなことが今後想定されるか、考えを知ることができる。また、地震直後に空焚き状態となり、翌日水素爆発を起こしたことも知らなかった私たちが、今後の問題として知っておきたいことだと感じたからだ。
 インタビューの相手は、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教の「福島第一原発1号機の再臨界の可能性を懸念」について、氏の意見を電話で聞くという番組である。

小出 裕章(こいで ・ひろあき)
京都大学原子炉実験所助教。1949年東京都生まれ。72年東北大学工学部原子核工学卒業。74年東北大学学研究科原子核工学科修了。74年から現職。伊方原発訴訟住民側証人。著書に『放射能汚染の現実を超えて』、『隠される原子力 核の真実』、共著に『原子力と共存できるか』など。

 原発に対する考え方の点で、欧米は、最悪の事態を想定して危機管理しているということに対して、日本は最悪の事態を想定しない(ないと信じている)。このことを知ったのは、プルサーマル公開討論会で(参照)、パネラーの東京大学大学院 大橋教授の話の中の「ラスムッセン報告」の解説からだった。
 東電は、地震後、1号機で何が起こったか大体の予想はついていたと思うが、そのご報じられることもなく、後からネット情報アメリカの具体的な指摘には、想像以上のものを感じた。小出氏の話は脅しではなく、その道の識者の一考えである。ただこのような意見を生の声で聞くことは少ないと感じた。最悪の事態を想定した上で、できうる限りの退避策を講じるのが身の安全確保につながると思う。政府は私たちに安全、安心をまずアピールするが、現在海に捨てている汚染水にしても、安全であるはずがない。
 昨日、福島第二原発は、新たな安全規定の変更を申請したとあった(朝日)。

 日本原子力発電は8日、東海村の東海第二原子力発電所が津波ですべての電源を失った時に備え、新たな安全対策を盛り込んだ保安規定の変更認可申請を経済産業相に提出した。
 東海第二原発は今回の震災で外部電源が止まり、津波で3台ある非常用発電機のうち1台も停止した。現在は外部電源が回復し、原子炉は冷温停止状態になっている。
 新たな保安規定は、すべての電源が失われ、原子炉の冷却できなくなった福島第一原発のような事態を想定。移動式の非常用発電機やポンプ、ホースの設置、要員配置などを盛り込んだ。
 福島第一原発事故を受け、経産省原子力安全・保安院が、各事業者に安全対策の実施を指示していた。

 これを受けて、今まで一体何を想定して規定値を作っていたのか疑問が残る。また、最悪の事態を想定するのであれば福島第一原発ではなく、先の小出氏の話にもあるように、「チェルノブイリ」の事態を想定するべきではないかと思う。

 震災後の1号炉の状態について、各紙がどのように報じたかを追っている極東ブログ「福島第一原発1号炉は地震当日に空焚きが想定される状態になっていた」(参照)が、詳しい。

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2011-04-09

「福島原発1号炉の空焚き」を政府は言及しなかった

 昨日の朝のNHKニュースの音声で、確かに私も聞いた。「地震当日の夜までに1号機の燃料棒が露出したことが原因で、翌日爆発を起こしていた可能性」と聞こえた。ん?と一瞬反応したのは、何故、今頃こんなことを報じるのかという軽い疑問だった。
 この情報がさして珍しくない理由に、日が経つうちに、地震発生後から原発の状態がどのような危険に晒されているのか理解できているからだ。そして、かなり早い時期に、壊滅的な状態になっていることが把握できたからだ。また、ここでその疑問点を書きながら整理し、偶然、遭遇したメディアの情報に、NHKニュースが報じたような原発の状況を言い当てている内容に触れてきたからだ。ニュースを聞いたときは単純に、何故、今頃こんな分かりきったことを報じるのかという疑問だけが残っていた。
 そして、極東ブログのエントリー「福島第一原発1号炉は地震当日にほぼ空焚き状態になっていた」(参照)が挙がった。タイトルが示すとおり、1号機が空焚き状態だったと何故言えるのか、その判定のために各メディアが報じた事故後の炉内部の水位の変化などで、1~3号炉のそれぞれの冷却機能自体の違いなどが窺えた。集中的にテーマを絞って記事を並べられてみると、「水位」一つで、いろいろな背景が見えるものだと興味深かい。
 NHKニュースが今頃報じた理由は分からないが、1号機がメルトダウンを起こしている可能性は、いろいろな学者が既に説いていることであり、それが後付け的なデータを基に推測されているにしても、東電が把握していたことは事実として報じる義務感でもあったのだろうか。記事で引用されている各メディアは、NHKに続いて一斉に報じ始めたようでもある上、聞かれたから答えたという東電は、説明義務の自覚はなかったようでもある。これも問題として浮き彫りにはなったと思うが、裏を返せば、隠蔽を目論んだとは思いにくい。
 私自身がここで原発事故を取り上げて考えてきたことは、廃炉に向かって作業が安全に進んでいるのかという点に絞られる。その作業の進行状況を、メディアを通してチェックしていると言い換えてもいい。それだけに、報じられていることの信憑性を問うことは枝葉の問題で、メインではない。だが、残念なことに、日本では煽り記事が多く、事実をかぎ分ける技術が読み手に必要となる。このことに気づいたのはブログを読んだり書いたりするようになってからだ。それまでは、あまり疑わなかった。
 話を戻すと、1号機がメルトダウンを起こし、放射性物質を撒き散らしていたことを私たちは知らされていなかった。正式にその事実を報じたのは昨日であるが、東電は、隠蔽の意図はなかったと話している。保安院は、どうだろうか。実は、昨日のエントリー「保安院が「炉心が格納容器へ漏れ出している」のを認めたことについて」(参照)を書くに当たって調べ物をしていた時点で、次のような記事があった(日経2011/3/12 15:30)。日付は、大地震の翌日になっている。

 経済産業省の原子力安全・保安院は12日午後2時、東京電力の福島第一原発1号機で原子炉の心臓部が損なわれる「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発表した。発電所の周辺地域から、燃料の核分裂に伴うセシウムやヨウ素が検出されたという。燃料が溶けて漏れ出たと考えられる。炉心溶融が事実だとすれば、最悪の原子力事故が起きたことになる。炉心溶融の現象が日本で確認されたのは初めて。
 保安院は今回の炉心溶融について「放射性物質の広がりを計算した結果、現時点では半径10キロを対象とする住民避難の範囲を変更する必要はないだろう」と話している。
 震災にあった1号機は、核燃料棒を冷やしていた水位が下がり、露出していたとの報告もあった。

 この記事の存在でも分かるとおり、東電から報告を受けた保安院は、メディアに情報開示は行っていたようだ。
 枝野官房長官が地震後最初に会見したのは、11日午後7時過ぎで、その直後に菅総理の会見となった。異常な遅さだったことだけは記憶に残っている。
 残る問題は、政府が私たちへの説明責任を果たしたのかである。政府の対応がどうだったかと言えば、遅れて会見を行ったことにも訳があるようだ。その点は、極東ブログで引用されている枝野氏の説明にもあるとおりだと思う。

 原子力安全委員会の専門家の皆さんに、ある意味で、情報の共有と分析をまさに同時並行で原子力安全保安院などともしていただき、そこでご意見をいただくオペレーションが数日、あるいは1週間程度続いていた。逆にその間、原子力安全委員会としての動きで見えなかったらある意味、そこは当然だろう。事態がある程度落ち着いて、時間単位、半日単位の段階になったら、原子力安全委員会としての独立した見解はその都度、出してもらうようになってきていると思う。その上で、今回の対応は、100点満点だったのかどうかについては事後的に第三者の皆さんに、政府も含めて検証いただく必要がある。

 これは、事実に則した報じ方ではあると思うが、枝野氏の発言は、かなり巧みだ。
「原子力安全委員会としての動きで見えなかったらある意味、そこは当然だろう。」と、政府の入るすきがなかったことを正当化し、「原子力安全委員会としての独立した見解はその都度、出してもらうようになってきていると思う。」と、情報開示の義務は代理で満たしている、としている。その上で、どのような評価も甘んじて受けます、と言っている。つまり、文句を言われるようなことはありませんよ、と言っているのと同じだ。このような言い回しは、日本の政治家はみな身に着けていることであり、別に驚くことではない。が、枝野氏のような若い政治家が昭和風味なのには呆れる。ロッキード事件では「記憶にございません」と、ばっくれるのが流行った。平成では「なんらやましいことはございません」と続いた。彼が年老いたらどんな政治家になっているだろうか、想像しただけで充分だ。また、枝野氏の発言の根底に、政治家としての介入の余地がない事への嘆きがあるのではないだろうか。
 事故後、私が感じていたのは、東電と保安院が正しい情報と安全のための指示を伝えてくれるものであれば、二重に政府が会見を催す必要性はないのではないかという疑問だった。内容が二重ならまだしも、保安院と東電、政府の言い回しが微妙に違うことが返って混乱を招いたこともあったからだ。さて、問題は、日本の組織の構造か、政府が政府の役割が分かっていないことか、どうなんだろうか。いっそのこと、原発問題を関係省庁に任せて復興やインフラ整備、外交といった政策的なことが不在にならないよう、私たちの生活環境への気配り目配りに重点を置き、分業すべきではないのかと思う。
 ここで、エジプトみたいな構図が浮かび上がった。政府がどう足掻いても軍ありきであり、国民が民主化をどう望んでも軍の手のひらの上でしかないという構図だ。フィナンシャルタイムズだったか、今の政府に対して、以前こんな言い回しをしていた。「日本は、政治家が政治をしなくても沈没(崩壊)しないのは、優秀な官僚がいるからだ」。そして、この構造自体が悪の温床となってるという指摘も「日本が直面する本当の試練とは」(参照)で、ジョン・バッシー氏からしっかり意見をもらっている。
 どれをとっても、良いところはないジャマイカと、また落ち込んだ。

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2011-04-08

苦しいけど心地よい、何これ

 どうにかしたい。何とかならないものか、といった苛立ちや焦りはない。物理的な何かを手元に引き寄せたいという欲望もない。もしかしたら、そういうエネルギーは、前にあったのかもしれない。
 それは違うと言われてしまうと、妙にあっさり、そうねと思える。では、何も考えないかと言うと、それも違う。いつも考えて思っている。それが、人の姿としてなのか、あるイメージを持っている脳内での反応なのか、よく分からない。つかめない。
 あれかなこれかな、と、一つ一つ挙げながら違うものを潰すのだけど、いつまでもなくならない。気づくと、同じようなものをまた持ち出して、同じように潰している自分に気づく。そして、今日は、今は、考えるのを一旦棚上げしようと、そう決め込む。

cover
なぜ私だけが苦しむのか
現代のヨブ紀
H.S.クシュナー

 翌日、起きた瞬間からまた、同じ事を繰り返してしまう。頭の中に存在するコレは何なんだろう。
 こういう思いに縛られているのも嫌ではない。でも、時々気が狂いそうなくらい苦しくなる。逃げようにも逃げ場がない。
 自分の考えの中のことからどうやって逃げられるというのか。H.S.クシュナーのいう「人間であることの自由」とは何だったか、もう一度読んでみようかな。

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保安院が「炉心が格納容器へ漏れ出している」のを認めたことについて

 昨日のTwitterでクリップしたニューヨークタイムズ「Core of Stricken Reactor Probably Leaked, U.S. Says」(参照)に目を通した時、不思議に思う点がいくつかあった。アメリカの下院の公聴会で、議員の一人エドワード・J・マーキー議員が日本の原発事故の話を何故持ち出すのかという点と、意外にもこの件で、アメリカの原子力安全委員会(NRC)内部でも情報把握に矛盾があるように感じたことだ。ここが記事の読ませる部分。日本のメディアのやすっぽさと違うのは、その矛盾した組織の質や管理体制を突くようなことを同時に書かない、事実だけを書くスマートさだ。特にこの記事を追うと、福島第一原発2号機の圧力容器の底が抜けているのかいないのか、それを誰がどのように捉えているのかだけが浮かび上がってくる。矛盾についても、読み取るのはこちらで、とても考えさせられて頭が割れそうに混乱した。
 時間を置いて、同じくTwitterのクリップ記事で、この件をダウジョーンズニュースワイヤー記事が矛盾点だけを拾って報じていた(参照)。引き続いて、ブルームバーグ記事「米原子力規制委:福島2号機圧力容器、溶けて損傷と認識-下院議員」(参照)とクリップが続くとおりに追って拾い上げてみて、真相がかなりはっきりしてきた。
 分かりやすいブルームバーグからその部分を引用する。

4月6日(ブルームバーグ):米原子力規制委員会(NRC)が福島第一原子力発電所2号機について、原子炉の過熱に伴い圧力容器が溶けて損傷している可能性が高いとみていることが分かった。エドワード・マーキー米下院議員(民主、マサチューセッツ州)が6日、下院エネルギー・商業委員会の小委員会の公聴会で明らかにした。
マーキー議員の広報担当ジゼル・バリー氏は、福島第一原発2号機の状況に関する情報は、議員のスタッフとNRCとのやり取りで明らかになったと説明している。
一方、NRCの原子炉・危機管理プログラム担当のマーティン・バージリオ副局長は公聴会後に記者団に対し、NRCは「炉心容器が壊れている」とは考えていないと述べ、日本に駐在するスタッフから毎日数回の報告を受けているが、破損について言及はないと指摘。「圧力容器が失われれば、最後の防御壁の格納容器しか残らない」と付け加えた。
バージリオ副局長は、東日本大震災の余震が続く中で、燃料棒の過熱を防ぐために使われる水によって圧力容器を覆う格納容器が壊れやすくなっているとの米紙ニューヨーク・タイムズの報道について、同紙が引用したNRCの報告は承知していないと語った。
NRCの矛盾点がはっきり浮かんでいる部分は、最後の「米紙ニューヨーク・タイムズの報道について、同紙が引用したNRCの報告は承知していないと語った。」の部分だ。

 マーキー議員の広報担当ジゼル・バリー氏が話している通りだとすると、マーキー議員のスタッフとNRCとのやり取りで、圧力容器が溶けて破損している可能性は明確だ。が、マーティン・バージリオ副局長は記者に、破損についての言及はないと断言している部分だけを見ると、NRC内部の情報伝達にミスや漏れがあるのか、共通理解ではないことが見て取れる。
 問題は、先日から私が気がかりだった2号機の圧力容器の底抜けの点だ。これは、「福島第一原発廃炉へ、現状からどう向かうのか」(参照)で触れた底抜け問題として、一貫して一番の関心事である。自分の書いた部分だが、再度明記しておくことにする。

 炉の水漏れを止めるための修理作業のことだが、底が抜けているとしたら、それを修理するのは可能だろうか。大前氏のこの説は、アメリカのフェアウインド・アソシエイツ顧問で沸騰水型軽水炉を監督して40年の経験を持つアーニー・ガンダーソン氏の見解(参照)に似ている。また、私の知る限りでは、東電はこの件には触れていない。でも私は、この問題が核心ではないかと、実は一番気になっている。
福島第一原発を廃炉にする方向であるなら、葬るまでどのような道を辿るのだろうか。

 先の一連記事は、ガンダーソン氏の「底抜け」の見解がやっとまな板に乗ったという気がして、この点が議論さるのを心待ちにしていた。高濃度の放射性物質が水に混ざって海に流れ出した元の原因部分ともなる上、冷却水を入れればその分汚染源を増やすことになる。日本の保安院は、このことをどのように監視しているのか、大変気になっていた。
 ここで突っ込むのも気が引けるが、この度の原発事故後、随分経ってから保安院の存在を知り、この機関が何をする機関で、政府とのつながりはどうなっているのかも知らなかった。ニュースで登場してもまるで素人トークで、事故後、日本の一般市民の常識からみてもはるかに勉強不足だと感じた。
 話を戻すと、私の記事読みはここまでで、尻切れトンボで気持ちが悪かったが、昨夕、極東ブログで「マーキー米下院議員は福島第一原発2号炉の底は抜けていると主張」(参照)が挙がった。やったー!お待ちかねのまな板に上げる材料が今度こそはっきりするのジャマイカ、そういう期待感一杯でじわっと読ませてもらった。
 絶句。何にって、まず私の読み落としに気づいたから。
 極東ブログで最後に引用している部分で、日本の保安院の件に触れているのがその部分だ。

But a spokesman for the Nuclear and Industrial Safety Agency of Japan said that he was familiar with the NRC statement and agreed that it was possible the core had leaked into the larger containment vessel.
しかし、原子力安全・保安院広報はNRC声明と同感で、炉心が大きいほうの格納容器に漏れている可能性も同意していると述べた。

 この引用部分は冒頭の、最初にクリップしたニューヨークタイムズの事実だけを報じた記事からだった。犯罪者は現場に戻るではないが、最初に分からなかった部分へ戻ってみると、話の全容が見えてきたというわけだ。
 実は、その時点で私は保安院のすることに腹立たしさを覚え、冷ますのに少々時間がかかった。冷静になって始めた作業は、保安院を嘘つきだと腹を立てるよりも、どこかで格納容器に漏れ出した事実を認める話をしたのか、その事実はないかと探してみた。
 この記事はどうだろうか(産経2011.3.15 08:46)。

 福島第1原発2号機で15日午前6時過ぎに起きた爆発で、原子力安全・保安院は、2号機の原子炉建屋に損傷があり、そこを通じて原子炉内の放射性物質が外部へ漏えいしている恐れがあると発表した。
 原子力安全・保安院によると、圧力抑制プールは通常3気圧だが、爆発音の後1気圧に下がったため、損傷したと判断したという。圧力抑制プールは原子炉圧力容器の底にある水をためた部分。
 また、東京電力は、2号機の爆発を受け、同原発所長の判断で、2号機の監視や操作に必要な人員以外を原発の外へ避難させ始めたことを明らかにした。
 海水の注水は継続、原子炉に大きな変化はみられないという。

Aviary

 この記事は3月15日、大きな爆発があった日でもあるが、「圧力制御プール」というのは、先のニューヨークタイムズの「the larger containment vessel」ではないのか?燃料が反応する部分は「原子炉圧力容器」と呼び、その容器を丸ごと覆っているのが「原子炉格納容器」で、「制御プール」へ通じている。産経記事が指している部分は圧力制御プールだが、ここが破損しているという言及にとどまっている。これは、先のニューヨークタイムズで保安院が認めている、「炉心が格納容器に漏れ出している可能性」とは直接的には整合しないが、構造的にはつながっている為、微妙なところではないかと思う。保安院は、どの部分で燃料棒が「格納容器へ漏れ出している」といっているのだろうか。または、どこか他で認めたのだろうか。それが謎。極東ブログの追記部分にもあるが、見解が出ていればなおのこと気がかりは残る。
 何かといえば、保安院がこの事実を知っていたのであれば、4月1日、ピットの亀裂から漏れ出している汚染水の出所について察しがついたのではないかと思った。それでなくても、炉心からしか出てこない放射性物質を、既に汚染水から検出しているという経緯もあった。そこで、海洋生物への影響や、漁業関連への通達などは直ぐにはなかったように記憶しているが、このような通達がいつも遅れていると感じる。これが保安院の仕事でなければ誰の仕事だろう、という疑問が常にある。

追記:

マーキー議員が下院の公聴会で福島原発の話を持ち出した理由についてだが、ニューヨークタイムズ(日本語版)「米ペンシルベニア州原発、全電源失えば炉心損壊の可能性=NRC分析」(参照)で、原発に反対派である氏が、原発の危険性を公聴会で説くために、ペンシルベニア州の電源が全て失われた場合を想定して分析した結果を公表し、日本の原発についても言及した。これは、皮肉にも第2号機の炉心溶融と底が抜けている点を決定付ける説明にもなった。

 分析は米原子力規制委員会(NRC)が行った。同州ピーチボトムにある原発の2基の原子炉で深刻な事故が起きた場合の影響について分析している。議員らによると、この原子炉は、福島第1原発やバージニア州サリーにある原発の原子炉と似た仕様になっている。

 反原発派のエドワード・マーキー下院議員(民主、マサチューセッツ州)は声明で、福島第1原発の2号機の炉心が「非常に高温となっているため溶融し、恐らく原子炉圧力容器から漏れ出している」と述べた。また少なくももう1つの炉心も著しく損壊していると指摘した。

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2011-04-07

福島第一原発第一号機炉心に窒素の注入が始まった

Madeinaviary

 昨日のTwitterで、ニューヨークタイムズの「U.S. Sees Array of New Threats at Japan’s Nuclear Plant(参照)と言う記事を拾った。興味深く読んだ。その数時間後、極東ブログで直ぐにこの件を取り上げたエントリー「ニューヨークタイムズが福島原発対処の米国秘密文書を報じる」(参照) )が挙がった。これを読んで私は、原発事故以来初めてほっとしたと言う安堵感を感じた。これがそのときの正直な思いだった。そして、今朝聞いたNHKニュースで、一号機への窒素の注入が始まることを知り、肩にあった緊張がほぐれた。
 昨日も政府の今後の方針について不安があり、目先の対応に四苦八苦している政府を見ているといつ安心して福島第一原発は石棺に葬られるのだろうかと不安だった。勿論、窒素を注入することも簡単とは言えないようだが、そのことよりも、将来を見据えて先手を打つ配慮があると言うことが安心につながった。
 また、極東ブログで説明されている、ニューヨークタイムズ紙が報じているような内情を一切しらなかったとしたら、また、この決断が日本政府単独の判断だとしたら、どれ程の不安がよぎったかと空恐ろしくなった。
 米原子力規制委員会(NRC)の報告をニューヨークタイムズ紙が頃合よく報じてくれ、日本政府関係者のケツを上手く叩いてくれた、そんな感じがあったためしめたと思った。
 再臨界の懸念はNHKの科学文化部でもチラッと言っていたので、再度、あの予期せぬ水素爆発が起こるのではないかと、変な心配は、第一号機であったと言うのも意外で、これまでまったく報じていなかっただけに、よっぽど政府の眼中になかったのだと思うとかえってぞっとした。あの二号機のように、「建屋の上部が吹き飛びました」と言うのを聞きたくはなかった。やれやれ。
 気持ちは少し安堵感をもらったとして、水処理の件、周辺地域や海洋への放射性物質の被害などがかなり気になっているなか、漁業関係者の話は胸の詰まる思いがしている。
 民主党主導で政権が動いているのは然りだが、ここでかんじるのは、アメリカの知恵を借りることや支援を受けること、自民党とのタイアップ、これらが民主党の課題ではないかと思えてきている。何が理由か分からないが、共に成し遂げるという事ではないかと思うが、口で「一致団結」を言うことはできても、それをやる力のない人達ばかりが揃っている政党だと思う。これが一番問題ではないかという指摘もあるようだ(参照)。どうか、これを機に体質の改善を切望する。

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「Why Libya is different from Darfur」ハミルトン氏の考えを知る

 昨日のTwitterクリップで、ダルフールとリビアへの軍事介入についてを語るアメリカ人女性のインタビュー記事「Why Libya is different from Darfur」(参照)が非常に嬉しかった。思わず全文訳をつけてしまおうかと思ったほどだった。理由は、先日ここで触れた「ジェノサイドの基底について雑感」(参照)でも書いたとおり、アフリカで起きている国際社会の軍事介入はよしとしても、国連安保理は、介入国の争乱をどのような基準で見ているのか、本当にそれがその国のためになっているのかなど、複雑な思いがあった。いや、ある。これは悩みのようになっていて、解決の糸口も見つからなかった。考えるためのゲートにもたどり着かない状態だったからだ。記事のタイトルを見ただけで直ぐに読みたかったが、他の用事を片付けなくてはならなかったのでそわそわした。
 介入に踏み切るその決定の是非が気になる元に、内戦は所詮内戦なのだから、介入すべきかどうか。また、見過ごしてはならないとするジェノサイドを問うのであれば、アフリカの内乱が全部同じように見えてくる。にもかかわらず、ダルフールでは何十万人もの人が既に虐殺されてからの介入だった。また、リビアやコートジボワールはどうだろう。違うじゃないか、と思いが錯綜した。
 リビアであれば、内乱が始まってからわずか2ヶ月だった。コートジボワールでは、昨年の大統領選挙後の争乱からカウントすると4ヶ月と2週間である。ダルフールとは大違いだ。この差について、何か問う別な理由でもない限り、とても承服できるものではなかった。ダルフールでの介入がジェノサイドであり、公然と軍事的な介入が結果的によかったのであれば、逆にリビアやコートジボワールに介入したのはかなり時期尚早ではないのか、ともすると、内戦で済むのではないかと思ったりした。また、そもそも軍事介入自体が人殺しだろ、と私には同じように見えてならなかった。そのことも考える道筋を複雑にし、すっきりしない原因になっていたように思う。
 そして、昨日のこの記事で、ダルフールでは、人々の助けを求める声が外に聞こえて来なかったことが国際社会の介入を遅らせたという話を知り、国際社会が勝手に外部で判断して介入の是非を決定している訳でもないことを知った。また、リビアに関していは、反政府側や周辺国との協調性の問題点などが根底にあったことなどが周知の事実であったことを知った。これに関しては私も「カダフィーという人物について」(参照)で既に触れたことだ。それなら話は分かる。とてもすっきりと分かる。リビアも割と早い時期に反政府側から介入の要請が出ていたことを記憶している。また、コートジボワールは、国際社会の管理の下で選挙され、その結果にいちゃもんをつけてぐずっていたのはバグボだった。そのバグボが暴挙を振るい、市民を殺害する行為に走れば、私だって容赦しない。介入の是非を問うまでもないことだ。国連安保理が、一定の平等的な観点を保った上での判断であるなら、何の文句もない。悩みの元は、その部分が疑わしかったけかもしれない。
 今始めて結びついたのだが、リビアへの介入は石油の利権、コートジボワールへはフランスの支配的な管理による介入ではないかと勘繰ったのは、介入時期やその決定基準に不純を感じたからだった。これは、ここにも今まで書いてきたことだが、人は猜疑的な心理状態にあると、物事をそのまま見られなくなくなりそうだ。但し、フランスや西側諸国に石油の利権がまったく絡んでいないとも思わない。事実、利権問題は存在しているが、私の中で、これを混同せずに考えるという点に区切りをつけられたことは、あらぬ誤解を生まずに済んだと思う。
 また、最後にハミルトン氏は、ダルフールには今後も国際社会の介入が必須だと話しているが、そういうことが起こらないことを願うしかない。また、今年1月の選挙によって南北が分かれたことや、バジル大統領が国際社会の制裁を外す条件を飲み、交渉が成立した点でも、そう簡単に約定を破ることはできないだろうと思う。もし何らかの違反があれば、それは今の権力の座からの失脚を意味すると思う。
 最後に、アフリカ諸国に起こる虐殺を撲滅することは国際社会の横暴ではなく、その国に住む人々の生きる権利と自由を求める事に対する最低保証への使命でもあると思う。また、生きることは、人に備わっている当たり前の本能ではないかと思うと、ダルフールの二の舞だけは今後起こしたくない。助けを求めるかすかな声を、聞き取れる私でありたい。
 記録の意味で、以下に一部の訳を書き添えておくことにした。

The pace of the Libya intervention has stunned the people of Darfur and the activists who worked so hard to protect them.Back in 2004, the assumption was that if you raised a loud enough outcry, governments would act to stop mass atrocities.The difference has not gone unnoticed by Rebecca Hamilton the author of 'Fighting for Darfur: Public Action and the Struggle to Stop Genocide'.
リビアへの仲介のペースは、ダルフールの人々や阻止しようとする活動家を唖然とさせた。2004年の話に遡れば、仮に、救いを求める声が政府を動かすのに充分であれば、大規模な残虐をとめることができたのではなかろうか。リビアでは、その叫びが始まるとすぐに、政府に介入した。 「Fighting for Darfur: Public Action and the Struggle to Stop Genocide」の著者、レベッカ・ハミルトン氏によると、その違いは見過ごされていない。
“What Libya has that Darfur never had, still does not have to the present day, and desperately needs, is a unified international commitment to do civilian protection,” said Hamilton.
リビアでは何か、それが、ダルフールにはなかったことで未だにないものは、必要性に迫られたことだ。これは、民間人保護のために統一された国際的な約定だと、ハミルトン氏は語った。
Hamilton says Libya underscores for her how the battle to protect civilians takes place in the realm of global geo-politics.In this case it was the Arab League's request to the UN Security Council to enforce a no fly zone and protect civilians that made the difference.
ハミルトン氏は、民間人を保護するための戦いは、世界的な地理政治の領域で行われる方法として、リビアは代表的であるとしている。このケースでは、国連安全保障理事会にアラブ連合の要求は、飛行区域を実施し、民間人を保護の強化に違いを生んだ。
“Without that then you would have had China in particular doing what it did in Darfur–and which is its typical position–which is to threaten to veto anything that looks interventionist,” said Hamilton.
「そして、それがなければ、ダルフールで行った中国であったし、それは典型的な位置介入する干渉主義者に見えるとハミルトン氏は言った。
“But with the Arab League specifically requesting to the UN Security Council that they do this, I think that led to China agreeing to abstain and let such a strong civilian protection resolution go through.”
しかし、アラブ連合がこの介入を国連安保理事会に明確に要請していて、私はそれが、制約となって、このような強力な民間保護の解決案に同意するよう中国に伝わったと思います。
The Arab League was willing to forsake Libyan leader Muammar Gaddafi in a way it was never ready to forsake Sudanese President Omar al Bashir. Michael Knights of the Washington Institute for Near East Policy says a key motivating factor in the Libya intervention was the widespread desire to see Gaddafi fall.
アラブ連盟は、スーダンの大統領オマー・アル・バシルを見切る準備ができていなかった方法でリビアのリーダー、ムアマル・カダフイを見捨てても構わないと思っていた。ワシントン近東政策研究所のマイケルナイツ、ワシントン氏は、リビアの介入の要素を動機づけた鍵は、カダフイ失脚は、皆の願望であったと言います。
“The Arab League generally has no love for Gaddafi,” said Knights“Many of the key players have a strong desire to see Gaddafi fall because of prior disagreements and bitter conflicts that they've had with him.Likewise the West has long-lasting grudges against Gaddafi whether they be the US, the British, the French.”
「アラブ連合は、一般的にカダフィ大佐への慈悲はない」とナイツ氏は言った。 「キープレーヤーの多くは、カダフィの失脚を切望し、前に意見の相違があって、長い間苦い闘争してきている。 同様に、西側諸国はカダフィーに対して長期的に恨みを持ち、米国、英国、フランスなどもそうではないだろうか。」

<中略>

The UN Security Council did eventually deploy a peacekeeping force to Darfur, but not before hundreds of thousands of people had died and millions had been displaced.Even now, says Rebecca Hamilton, there's an urgent need for international pressure for a peace settlement and the enforcement of a ceasefire in Darfur.
国連安全保障理事会は、結局ダルフールに平和維持部隊を配備しましたが、何十万人もの人々が死んで、数百万が今や強制退去する前ではなかった。今でさえ、和平調停に対する国際的な圧力と休戦の実施の緊急な必要性がダルフールにあるとレベッカ・ハミルトン氏は、言っている。

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2011-04-06

福島第一原発廃炉へ、現状からどう向かうのか

 一昨日のNHKニュースの東電社員による会見で、泣きながら声を詰まらせ、しゃべれなくなる様子を見た。その様子に呆気を取られ、その後の話しが飛んでしまった。しばらくしてから、福島第一原発敷地内の別タンクにある溜めてある汚染水を海に捨てたということだった。話しがどんどん展開して行く中で、現在行われている作業が何のための作業か少し混乱気味になってきた。状況を追って把握しておこうと思う。
 施設内のタンクから汚染水を海に捨てた理由に戻ると、これは、2号機から漏れ出していると見られる汚染水(毎秒3リットル)を何らかの方法でこのタンクに溜め、海に流れ出すのを防ぐためだったらしい。あの涙の理由は、汚染されてると分かりきった水をタンクから故意に捨てることへの無念な思いからだろうか。それにしても、ピットから垂れ流し状態になっている汚染水の放射性物質濃度の比ではないと聞いた。
 タンクの問題について日経は、次のように報じている(参照)。

 今後、2号機などの高濃度汚染水6万トンを、集中廃棄物処理施設(容量3万トン)に入れるほか、復水器や復水貯蔵タンクなどに約2万トンを移す。足りない分は、約2万トン分のタンクを新設するほか、5日午後に清水港(静岡市)を出発し16日以降に現地入りする予定のメガフロート(大型浮体式海洋構造物、容量1万トン)や、容量約1500トンのバージ船を数隻活用する。計画通りに行けば計8万トン以上の汚染水を貯蔵できる計算だ。
 海江田万里経産相は5日の記者会見で「汚染された水を(意図的に)海にもうこれ以上流さない」と述べた。
 ただ、汚染水は1~3号機のタービン建屋や坑道以外にもある。4号機の地下にもかなりの量があり、いずれ排出しなければならない。1~3号機にも原子炉に冷却水を入れ続けており、高濃度汚染水が今後も漏れてくるのは確実だ。
 東電は汚染水の現状をつかめていない。いったんは集中廃棄物処理施設の低濃度汚染水を4号機のタービン建屋地下に流し込んだが、逆に3号機坑道の汚染水が増えてしまった。建屋地下と坑道が地下でつながっていたとみられる。

Aviary

 この汚染水が海にそのまま流れ出しているているのはピットと呼ばれる場所のコンクリートの亀裂が原因で、当初の対策はコンクリートを流し込んで亀裂を塞ぐということだった。この方法が失敗に終わり、続いて高分子ポリマーだったが、これも失敗に終わった。また、この作業中にもどんどん水は海に流れ出しているため、水がつたわってくる経路の砕石層に今度は薬剤を入れてガラス状に固める方法を採用しているそうだ。
 朝日が次のように報じている(朝日)。

 東京電力の福島第一原発2号機で、原子炉内の水とみられる高濃度の放射能汚染水が海に流れ出ている問題で、東京電力は5日、流出ルートをほぼ特定したと発表した。流出を止める工事を実施し、効果を調べている。
 海への流出が見つかったのは、2号機の冷却水を取り入れる取水口近くの作業用の穴(ピット)付近。コンクリートの破損部分から流れ出ていた。
 東電がピットの下の砂利(砕石層)に色のついた水を流したところ、色水が汚染水とともに流れ出てきたという。
 砕石層は、タービン建屋とピットを結ぶ管の下に敷き詰められている。原子炉内からの汚染水はこの管に流れ込み、管のひび割れから砕石層に漏れ、ピットの下の方まで伝ってきた可能性があるという。
 東電は5日午後、ピットの下に、砕石層をガラス状に固める薬剤を入れる止水工事をした。工事の後、海へ流れ出る水量はやや減ったという。東電は流出が止まるまで、さらに薬剤注入を続けるという。
 一方、4日夜に始まった、集中廃棄物処理施設や5、6号機の地下水をためる升からの比較的濃度の低い放射能汚染水の放出は、5日も続いた。東電は計1万1500トンの放出を予定しており、5日夜までに約5900トンを放出した。

Madeinaviary

 原発事故が起きてから、何らかの形で注水は続けられている。理由は、1~3号機が地震によって制御棒が差し込まれ、停止後も熱を冷ますためだ。
 停電によって水を循環させながら冷却する装置が動かない事を知り、素人の疑問としてずっとあったのは、放水した水の行き場だった。と言うよりも、入れても入れても溢れ出てこない水は、一体どこへ流れているのかという疑問だった。やがて、トレンチから漏れ出している水が見つかり、この水をどうするか検討中にピットの亀裂から海へ垂れ流し状態になっているという経過だ。また、この水の濃度から、炉心からの汚染水ではないかと言われている。断片的にニュースを聞いていることもあり、途中の情報が抜けているのかもしれないが、炉心の底が熱で融け、その部分からの汚染水漏れだとは報じていない。報じるのを避けているのか、原因が特定できないからかよく分からないが、もしも、炉心の底抜けだとしたらピットの亀裂を塞ぐことや、先のガラス質に変わる薬剤を注入しても、水は行き場を探して新たに難度の低い場所へと侵食を始めるだけではないだろうか。海へ流れ出すのを食い止めたとすると、今度はそこから地中に深く染み込むということだろうか。
 東電は、汚染水の処理に追われてあたふたしているという状態なのだと思うが、かなり深刻な状況だと思う。最も避けたい、高濃度の汚染水を水際でくい止められないという問題だ。炉を冷却しながら水を循環させる仕組みにしなければ、この問題はどのような方法をとっても時間の問題ということになると思う。
 昨日のTwitterでクリップした大前研一氏は、水の処理に関して次のような見解を話している(参照)。

 汚染水をどう処理すべきか
冷却に関しては、タービン建屋に何らかの形で立ち入り、底にたまった汚染水を復水器から炉心に戻し、循環させることを優先的に模索するべきだ。緊急冷却系が使えるならそれでもいいだろう。今のように毎日800トンもの水をポンプで外部から注入すれば、その受け皿が必要になるが、敷地内のラド・ウエイスト(放射性廃棄物)貯蔵用プールはおそらく満杯だろう。仮に空っぽであったとしても1カ月程度で満杯となる。

 ここを読んで、極当たり前のことを言っているようにしか見て取れないのだが、では何故、このようなことを東電はできないかと思う。当然、これくらいのことは考えているだろうに。炉の水を循環させることに成功すれば、副産物的に発生するもろもろの問題が全て解消するように思う。
 この作業が進まない理由について、先の日経記事が次のように報じている。

 汚染水の量は経済産業省原子力安全・保安院などが推計した。1~3号機の坑道には3千~6千トン、タービン建屋地下の水の量は正確ではないが、水深1~2メートル程度がたまっていることから概算し、坑道と合わせて各号機に2万トンあるとした。
 この汚染水を取り除かなければタービン建屋地下に入れず、水を循環させながら原子炉を冷やすポンプなどの電源を復旧できない。特に優先度が高いのは、海への流出が続く2号機の高濃度汚染水だ。
 当初、東電が考えたのは汚染水をタービン建屋内の復水器に入れる案だった。復水器にあった水を他のタンクに玉突き排水していたところ、海への流出が発覚。コンクリートや吸水性樹脂では流出が止まらず、2号機の汚染水除去を急ぐ必要に迫られた。
 窮余の策として、集中廃棄物処理施設にあった1万トン、5~6号機の立て坑内の1500トンの低濃度汚染水を4日から海に放出した。これらの水に比べ、2号機から流れ出ている高濃度汚染水は100万倍の放射性物質を含む。2号機の水を約10リットル流すと、今回海に意図的に流した低濃度汚染水の放射性物質の量を上回る。

 電源復旧作業を困難にする理由は、建屋に近づけないという理由のようだ。現段階は、炉の温度を冷ますという直接的な作業の前の段階であり、そこに行き着く手前に問題が派生しているのが現状のようだ。
 漏れ出した水の処理について大前氏の意見では、反応炉に戻すとある。東電案は余剰タンクに移すとある。作業がイメージし難いが、大前案の汚染水を炉に戻すのが順当のような気がする。それだと、汚染水の処理に困らないからだ。でも、問題は、氏が言われている炉心の底が抜けているという点を仮定すると、水を戻す前に底を修理する必要があると単純に思う。
 また、東電案の水を別のタンクに移してから建屋に入って普及作業をするというのも、水は単に溜まり水ではなく、炉心から水は漏れ続け、どこからか一定量の水がこぼれ出しているので、つまり、炉から漏れ出す水を止めれば、タンクに移す必要はなくなる。または、次の作業に移れなくなるということだろうか。この点では両者とも同じ作業が必要になるのではないだろうか。
 炉の水漏れを止めるための修理作業のことだが、底が抜けているとしたら、それを修理するのは可能だろうか。大前氏のこの説は、アメリカのフェアウインド・アソシエイツ顧問で沸騰水型軽水炉を監督して40年の経験を持つアーニー・ガンダーソン氏の見解(参照)に似ている。また、私の知る限りでは、東電はこの件には触れていない。でも私は、この問題が核心ではないかと、実は一番気になっている。
 福島第一原発を廃炉にする方向であるなら、葬るまでどのような道を辿るのだろうか。

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2011-04-05

ジェノサイドの基底について雑感

 昨日、Twitterで「ポグロムへの感性がないと、ジェノサイドの基底は理解できないんではないかな。」という言葉に触れた瞬間、北アフリカのいくつかの国で行われている内乱の要素にジェノサイドを含んでいることが浮かんだ。そして、自分自身のジェノサイドの認識はどうなのかと、ふと思っていた。
 アフリカと言えば、昨日もコートジボワールの内乱状況について「シーソーのような攻防を展開しているコートジボワールの内乱について雑感」で触れたばかりである(参照)。「内乱」と言っても、独裁政権下では、集団的な殺害行為を行っているだけではないかと冷ややかに見ているところがある。どうかすると、民主化運動や政権争いでのぶつかり合いもジェノサイドではないか、と疑ってみている部分がある。アフリカの情勢に着目するようになってから、ジェノサイドという言葉を軽く使う割りに、本当のところでは分かっていないのじゃないかという思いがある。昨日書いた思いも、そういう疑心暗鬼な部分から来ているのではないだろうか。また、これまで、ジェノサイド自体を取り上げてここで考えてみたことはなかった。
 比較にもならない上、まったく次元が違う問題であるが、ジェノサイドの理解にあたって一番近いところで考えられるのは、人種差別かと思った。その位の経験しかない私だ。30年以上前ではあるが、ロンドンの高級レストランが並ぶ通りを歩いている時だった。予約無しでも入れるようだったし、話の種に一度食事をしてみようかとそのつもりになって店を物色していた時だった。店の入り口の真正面に上品な感じの立て看板がある。よく入り口などで見かける「土足厳禁」みたいな、あんな感じのもの。「店に入る前にここ嫁」と言うわけだ。いきなり「Yellow&Black」で始まっている(ry。黄色人種と黒人は店にではお断りすると言う看板であった。ドアーの内側に突っ立っているドアマンが、こちらに冷たい視線を送っている。ああ、あたしの事ね。その日のメニューがドアーの横には同じように立ててあったが、店のメニューよりも有色人種を店に入れないことを重んずる店のポリシーがうかがえる。疎外感や孤独感を強く感じ、寂しかった。それを吹き飛ばして誤魔化すために、そんな店にはこちらから入ってやらないぞ、と強烈に思ったのを今でも覚えている。
 また、ヒルトンホテルや高級クラブとして有名なPLAYBOYClubなどの国際人が出入りするところではこのような人種差別はなかったが、植民地として香港などを支配していたイギリスなので、白人専用レストランが何軒かあっても仕方がないと言ったところだった。
 そういえば、イギリス人の友人達とパブにダーツが目当てでよく遊びに行った。4~5人でよく楽しんだものだったが、ユダヤ人が店にいると、イギリス人はユダヤ人(Jewish)の事を「ジューズがいる」と言ってしゃべらなくなる。そして、耳元に来て、「あいつはジューだよ」と親切のつもりで教えてくれる。そういうあたしは「ジャプスよ」と嫌味によく言ったものだった。すると「日本人は違うよ。」悪びれもせずに人種差別を言ってのける。因みに、日本人の悪口や、日本人の事を影で何か言う時、私たち日本人は欧米人から「ジャプス」と呼ばれる。これもいい気はしない。慣れるとどうでもよくなるが、彼らがジャプスと言って日本人を呼ぶ時は馬鹿にして何かを言う時で、言われたこちらは、疎外感や虚無感を味わう。
 こういう思いというのは、例えば虐めの対象になったりした状態と同じではないかと思う。虐めにあった結果、人によっては自分には生きる権利が認められないと思いつめて自殺に追い込まれる。嫌いだと言われた方が、まだ人格が認められているだけましだ。また、人種差別で味わった虚無感が、冒頭に挙げた言葉「ポグロムへの感性がないと、ジェノサイドの基底は理解できないんではないかな。」と結びつたのかもしれない。だが、考えてみると、人種差別はまだ「人種」という人間格を与えられ、認められているだけましなのかもしれない。確かにこれは、ジェノサイドからすると甘っちょろいことだ。
 「ポグロム」とは、ユダヤ人の虐殺を意味する言葉として定着している(参照)。この感性こそがジェノサイドの基底を理解する鍵になっているとすると、人が人として認められない究極の境地からこっち側にいる私などには、感じ得ないものを意味しているような気がする。理屈で理解できているようでいて、実際、ポグロムの恐怖に直面してみないと分からないことじゃないか。
 アフリカ問題が私にとって難しい理由も、平和を願うことと争いを混同しやすいのもみな、平和のありがたみを向こう側から見たことがないからではないだろうか。

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2011-04-04

シーソーのような攻防を展開しているコートジボワールの内乱について雑感

 このところ、コートジボワールでの内乱がシーソーゲームのようにバグボ側とアタラ側の攻防が行ったり来たりしているようだ。ここでも折に触れて書いてきたことだが(参照)、内乱が治まる気配がまるでない。
 繰り返しになるが、昨年11月、国連が見守る中で前大統領バグボ氏と国際社会が認めるアタラ氏の大統領選挙を行った結果、バグボ氏が負けた。ところが、バグボ氏はそのまま政権の座に居座っているため二人の大統領が権力争いに走り、実際、国を二分する形となってしまった。これが次第にエスカーレートし、内乱へとつながった。
 3月31日、BBC「Ivory Coast: Ouattara forces surround Gbagbo in Abidjan」(参照)が伝えていることによると、バグボ側の一部の警察部隊と軍司令官が離党し、戦力的に衰退していると報じたためこのまま白旗でも揚げて降参するのかもしれないと感じたのだが、それは甘かった。復活してきているらしい。また、記事では、フランス軍の装甲車が町を巡回しながらフランス国民の安全に努めているとしている。フランスは、コートジボワールの宗主国でもあったため、植民地時代からフランス軍基地も置かれている。アタラ側は、先週木曜から日曜まで夜間の外出禁止命令をだして治安に当たっていた。
 この緊張は、バグボが隣のリビエラから爆撃機を輸入する動きを阻止するため、西部のドゥエクエでアタラ側が非常線を張り、争乱が激しくなった後だっただけに気を揉んだ。昨日のCNN日本語版「コートジボワール内戦、西部激戦地で死者800人か」(参照)では、次のように報じてる。

(CNN) 赤十字国際委員会(ICRC)は、大統領選結果をめぐり混乱が続いているコートジボワールの西部主要都市ドゥエクエで先月28日と30日に激しい戦闘が起こり、800人に上る大量の死者が出たと発表した。
国連当局者によれば、ドゥエクエでの戦闘の際、330人が死亡。うち220人はワタラ氏側の支持部隊が、残る100人はバグボ氏側の政府軍が殺害したとみられている。これに先立ち、赤十字国際委員会の広報官は31日、犠牲者の大半は一般市民だと述べていた。一方、ワタラ氏陣営は支持豚による殺害を否定している。
最大都市アビジャンの掌握をめぐり激戦が続くなか、3月下旬にはバグボ氏陣営の敗色が濃くなったとみられていた。しかし2日にはバグボ氏側が巻き返し、ワタラ氏側が掌握したとされていた国営テレビをバグボ氏側が奪還。ワタラ氏陣営への反撃を呼びかけるバグボ氏の声明が流れた。

 また、BBC「Ivory Coast: French forces take over Abidjan airport」(参照)ではフランス軍の関わりについて、首都アビジャンの治安と空港の保護のため、フランス軍は300名を派兵したと報じている。

France has sent an extra 300 soldiers to Ivory Coast, defence ministry spokesman Thierry Burkhard said, taking the total French force to about 1,400.
フランスは、コートジボワールに300人の兵士を追加的に向かわせた。国防省のスポークスマンティエリブルクハルト氏は語った。これによって、送り込んだフランス兵士は約1,400名となる。

The airport had been secured by UN troops since Friday, but the French move meant the airport was now able to re-open, Mr Burkhard told the BBC.
金曜日から空港は国連軍によって占拠されていたが、このフランスの動きにより、空港が今や再開できることを意味しました、とブルクハルト氏はBBCに語った。

 このような動きを垣間見ている中、昨日、自分の中で大きく抜け落ちた部分があったことに気づかされた。そして、この国の情勢をどう見ているか、まずそれが問われた。国連の立会いで行われた選挙であることから、その関わりの正当性の是非がどこまでも問われることだと感じた。
 ここ数日のコートジボワールの動向を見る限り、フランス軍が関わった事で大きな出来事はなかったかに思われる。ところが、ここへ来て300人の追加的な派兵があった。これにひどく反応した私は、何が許せなかったのか、そして、今まで許せたのは何故かを問われた。
 この国の平和を願うことは、現在の流血戦の是非を問うこととは別問題である。国連が公正だと認めた選挙結果に従わないバグボ氏が、その座から退くまで見守る上で、軍の力も必要であるなら同じように血を流すこともあるということ。この理屈が分かっていれば、フランス軍の派兵に驚いたり批判的になったりはしないはずだ。が、心のどこかに、争いごとにだけに反応するものがあるようだ。私の思いも、次第に変化してきたように思う。早く内戦が終わって欲しいと思う時、これ以上残酷で無残な状態を見たくないという心の中のざわめきが煩わしいさとして存在する。争いごとが長引くと、次第に私の気持ちも、私が見たくないからやめて欲しい、と変化していることに気づいた。その嫌気から開放されたいと願うのは、他人の平和を望むものではない。状況を知れば知るほどそれが強くなるのは、自分の心の平穏を望む部分なのだと思う。勝手なものだなと思う。抜け落ちたのは、願っているのは何か、だった。
 しかし、一方では、決着が着くまでとことんやるべしと見ている部分もある。そうやって求めていることを明らかにして行くことも、自らの願いとして勝ち取ることから始めなけらば本当の自由や平和は掴めないのじゃないか、と、そう思って見守りたい部分だ。
 これを認めることが、私の心の葛藤に決着をつけることなのだろうか。深く沈んだ気持ちになった。

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2011-04-03

スティーブン・チュー氏の見解から福島第一原発の現状について

 昨日、福島第一原発の1~4号機全ての使用済み燃料棒プールが安定的だという点と、地震と津波被害を受けた3月11日の時点で稼働中だった1~3号機の核燃料の破損の点について、スティーブン・チュー氏の見解が報じられた。私の理解度の悪さをここで言っても始まらないのは承知だが、これを報じる記事が目にとまった時点で困惑してしまった。
 午前中いくつかの記事を見かけたが、着眼点がそれぞれ違うため、事実関係を全て拾って明らかにするというものでもなく、この原発事故で、現時点で最も注意を払わなくてはならい点がズレてしまい、内容が掴みにくかった。この状態と前後して、Twitterで朝日記事「1号機核燃料「最大で7割損傷」 米エネルギー省認識」(参照)をクリップした。が、タイトルに釣られて見事に文脈を読み違えた。直ぐに「違うでしょ」という指摘をもらったが、脳内では情報が錯綜し、どこが違うかを確認するのがやっとだった。因みに、この朝日記事では、炉心の破損状態をメインにしているため、先日ここでも触れた(参照)15、16日に放射性物質の検出量が異常に高かった原因のように結び付けて文脈を読んだ点がとんでもなくハズレであった。
 あの時点では、使用済み燃料プールの水が減ったため火災が起きたのではないかという見解があり、ついては、このプールからの水漏れを疑われていた。また、制御棒によって核分裂反応を制御されている反応炉からの水漏れよりも、ガードが緩い使用済み燃料プールの水の有無の方がもっと危険度が高いということが判明した事故でもあった。
 さて、夕方近く、先の朝日記事が引用した元記事であるウォール・ストリート・ジャーナル日本語版「福島第1原発、一部炉心は損傷=米エネルギー長官」(参照)をクリップした。この記事で初めて、問題が二点に絞られた。
 まず、反応炉内の燃料棒の破損状態について。

同省の報道官は、朝食会後、長官の記者団に対する発言内容を明確にした。それによると、長官の発言は1号機の燃料棒が70%も損傷しており、2号機の燃料棒は3分の1が損傷しているとの情報に言及したものという。(長官は朝食会では、3号機での「放射線量がかなりのレベル」にあると述べていた。また「米国に提供された日本からの情報」を引用し、2号機については「炉心の70%が損傷して最も深刻なメルトダウン状態」になっていると述べていた)

 今更言うまでもないが、「破損」「メルトダウン」は炉心溶融のことで、核燃料が加熱して解けて破損してしまうことだ。70%破損したということは、破損を起こしている時点でかなりの放射性物質が飛散したことを意味する。同時に、残る30%の破損を食い止めて安定させれば、最悪の被害を想定してもこれまでよりはかなり低い被害で収まるということになる。
 二点目の見解は、1~4号機の使用済み燃料プールが安定状態にある点だ。

しかし長官は1日、「高級レベル」の日本の当局者と「米側の科学チーム」間で行われた協議を引用し、「1号機から4号機まですべてのプールには水があると信じられる。すべてのプールには温度測定装置があるが、水があるに違いないことを示している」と述べた。


 目でみてわかりやすいよう、日経の表を借りてきた(参照)。

Madeinaviary

 この記事によって二点に的が絞られたとはいえ、全文には尾ひれがついているため、文脈を読み取るのは難しかった。現在の原子炉の状態について、最新のデータによる「高級レベルの日本の当局者」との突合せによる見解の信憑性を疑問視するという意味ではなく、情報の発信元や、見解の突合せの時系列の違いも含まれているからだった。この辺りの違和感が何であったか、それが解明し、上記のような引用部分にがすっきりまとまったのは、極東ブログの「米国エネルギー省スティーブン・チュー(Steven Chu)長官による福島原発の見立て」(参照)が強力な助っ人となったからだ。
 先に取り上げた朝日記事とウォール・ストリート・ジャーナルの出所も彼のクリップだが、該当の記事には、チュウ氏の見解を取り上げた他紙も引用された上で複眼的で情報が厚く、信憑性もより高いのではないだろうか。
 ここまでは、チュウ氏の見解が何であるかの確認作業のようなものだが、問題は、原子炉の冷却と放射性物質の漏出防止だと思う。ただし、チュー氏の見解によって、1~4号機の使用済み燃料プールは安定状態と見なすことができたのは嬉しい情報だ。従って、目下の問題は、炉心の冷却と漏出防止に絞られる。書いてしまうと、これだけに尽きるのだが、わずかこの数行にまとめられるような簡単な作業ではないと思う。また、すっかり安心できるわけでもないが、何が行われているのかを理解する上で、段階的に作業が進んでいることは理解できた。
 冷却に関しての気がかりは、トレンチに漏れ出した高濃度放射性物質がどこから漏れ出しているのかという点だ。これは、フェアウインド・アソシエイツ顧問で沸騰水型軽水炉を監督して40年の経験を持つアーニー・ガンダーソン氏が見解を示した通り(参照)、燃料棒の挿入口を塞いでいる黒鉛の栓が反応炉内の高熱によって融けたというのが想定されているのか、その辺は確認できていない。が、現時点での水の漏出防止作業は、トレンチとつながっている「ピット」で発見された亀裂の修復や、溢れ出す水に配慮した作業が続いている(中日新聞2011年4月3日 02時07分)。

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2011-04-02

原発政策に加えたい項目

 一昨日、フランスのサルコジ大統領が来日した際の福島原発事故復興支援に関する話の中で、遠隔操作のできるロボットの話が興味深かった。日本がロボット産業を推進してきていることや、昭和時代、時折テレビで紹介されているロボットを見ては、「鉄人28号」を思うことがあった。漫画家の想像の世界が現実化することにとてもわくわくしていたのを思い出していた。

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 水爆によって福島第一原発設備に近づけないと報じていたとき、内部で一体何が起きているのか、内部の状態が予測不可能だと報じられ、東電の作業の進み具合にもどかしさを感じていました。サルコジさんのロボット提供の話を今回の来日で知り、これをきっかけに、これまでの作業で何故ロボットを使わなかったのか気になった。現実的な可能性として、ロボットの運用は検討されたのかどうなのか、情報を拾ってみることにした。
 産経記事によると、日本は欧米各国の支援を得て、原子力災害に対応できるロボットが投入されているにもかかわらず、十分に活用できていないと報じている(参照)。

事故を想定したロボット運用のノウハウが日本にないためで、専門家からは、政府や東電が「原子力災害に備えたロボット政策を怠ったつけ」との批判が上がっている。
災害用ロボットの権威である東北大の田所諭教授は「原子力災害用に開発されたロボットは人に代わって危険な現場で作業をこなす能力がある」と指摘する。
 活用を妨げているのが、ロボットの運用の問題だ。原子力安全技術センターは「操作方法を東電に教え、使い方も東電の判断に委ねている」とするが、東電の受け入れ態勢もさることながら、東電任せで、慣れない事故現場での作業効率が十分かは疑問だ。
3月28日付米紙ワシントン・ポストは、世界的にみれば原子力災害に対応したロボットを配備する国は少数だと紹介した。米国でも、1979年のスリーマイル島原発事故後に産学連携で開発が進んだが、経営難で行き詰まったという。
それでも、田所教授は「電力会社や当局が、ドイツやフランスのように原子力災害に備えたロボット開発を推進してこなかったことは問題だ」と指摘する。

 記事の文脈は、なんとなく東電と政府叩きのようなものを感じるが、運用上の問題と指摘されているロボット操作というのは、ちょっと教えてもらったというだけで直ぐに操作できるものなのだろうか。変な話、ファミコンゲームを手元で操作するようなものを持って軍用ロボットを遠隔操作している場面を見た記憶があるが、この記事で指摘しているように、東電で使いこなせないことが運用の妨げになっているのだろうか。
 では、今回の事故でまったく運用されていないのかとみると、朝日記事に、アメリカのハイテク企業が多数名乗りを上げているとする中、日本政府が積極的に公募しているようなニュアンスで報じている。(朝日)。

 「日本政府が世界にロボット、無人機を求めています」。世界の注目が「フクシマ」に集まっていた3月22日、米バージニア州にある国際無人機協会(AUVSI)のホームページに会員企業向けの案内が載った。
その内容というのは、
 国際無人機協会によると日本側が求めているのは、(1)運搬用ロボット、(2)原発の深部に入り込んで破損状況など詳細データを収集できる小型ロボット、(3)放射能汚染区域にも物資や機器を運べる、遠隔操作型の無人ヘリコプターやトラック――の3点だった。

 この記事を疑うわけではないが、いや疑っているが、今回ロボットが運用されたという話は聞いた記憶がない。記憶にあるのは、米軍無人偵察機グローバルホークが福島第一原発の事故現場を飛行し、その映像の公開を巡って賛否両論あったという話だ。結局、先月25日、正確な情報の開示を先すべきだとの判断に傾き公開されたが、この時点では、日本が画像を検証できない事が理由で公開するまで時間がかかったと報じられた。
 同記事では、日本も現地に一台派遣していると報じている。ホンマかいな。

放射線計測器やカメラなどを積んだ「防災モニタリングロボット」だ。原子力安全技術センターが1億円弱をかけ、2000年に開発した。
これまで防災訓練で使われていたが、「実戦」は初めて。地震発生から数日後に東電側に引き渡された。ただ「使用状況に関する情報は入っていない」(同センター)という。

 やっぱり。
 運用されたていれば先のグローバルホークスの比ではない画像が公開されていたに違いない。
 では、何故運用されていないのか、問題はそこだ。記事にはこうある。

「ロボット先進国」の日本では、原子力施設の事故に対応する専用のロボットも開発してきた。
同センターのほかに、旧日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)も、99年に茨城県東海村のJCOで起きた臨界事故の後、放射性物資で汚染された場所の状況を把握することなどができるロボット5台を開発した。
だが、福島には派遣されていない。今はもう動かないからだ。予算がつかなくなり、維持管理ができなくなったためという。(小宮山亮磨)

 嗚呼、「それ、必要ですか」と、連日金切り声を上げていた画像が目に浮かびますが、事業仕分けで削られたのでしょうか。探してみると、ありました。
昨年10月29日、事業仕分け三日目(参照)に、「A-13: エネルギー対策特別会計の電源立地対策費」では、以下の項目で検討されている。

(1)電源立地地域対策交付金(うち(独)日本原子力研究開発機構が設置する原子力発電共用施設地域に係る交付金)
(2)電源立地等推進対策交付金(うち原子力・エネルギー教育支援事業交付金)
(3)原子力施設等防災対策等委託費(うち環境放射能水準調査等委託費)
(4)原子力施設等防災対策等委託費(うち防災訓練実施調査)

11月9日、結果概要(参照)で、

「10~20%を目途に全体として予算の圧縮を図る」(電源立地地域対策交付金については、経済産業省所管分も含め同様に精査)

 とあり、これが該当していると思われる。因みに、「電源立地地域対策交付金」について、経済産業省自然エネルギー庁に詳細説明がある(参照)。
 昨年の事業仕分けが今回のロボット運用に支障をきたしたとは思わないが、多額の費用を投じて開発されたロボットを眠らせてしまっているという現実が今回の運用に結びつかなかったとしたら、政府の片手落ちではないだろうか。
 機械的なことは素人にはよく分からないが、被爆の危険にさらされながら毎日作業をしている人のことを思うと、万が一の時に備える事は無駄使いとは思えなくなる。
  災害時の危機管理に最悪のシナリオを想定した場合、「予算」自体がその管理の中の重大要素だと思えた。

 ここまでの話は、政府が開発事業ありきとしている場合の矛盾した予算削減の実態の与太話だが、では、国家予算が現実にないという実情に沿った与太話をすると、そもそも税金で国立大学を維持することが矛盾してくる。国に、何のために優秀な頭脳を育てるのかを問わなくてはならなくなる上、今後、開発事業に優秀な頭脳が必要とされなくなれば、海外での活躍が選択肢に入ってくる。今回のように、ロボット開発や技術向上のための予算を削った上、「刷新」の字に相応しく新たな方策を立てることもないのであれば、急場では海外の支援なり技術力に頼るしかなくなる。その両方をしなかったのは政策が悪い以外のなんでもないと思う。
 菅さんの力強い会見を昨日聞き、ほっとしたというか言葉を信頼してお任せしようと思えたが、日本はこれから開発事業をどう展開するのか、またはしないのか展望を開いてもらいたいと思った。これからの子ども達が将来を考える時、どこを目指すのか、それが見えるようにしていただきたい。「日本人に生まれてよかったといわれるような国を目指す」と、そう言われた言葉が残っている。

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2011-04-01

癒着の温床である日本の電力事業

 行き場がない、遣る瀬無い思いというのは今のような気持ちを持っている時ではないかと思う。溜まったというわけでもないが、このところのニュースを追いながら日本のこれからを思うと、ふとそう言いたくなる衝動のようなものが起こってくる。この間夢で見た「謎のMissionⅢ」(参照)のような日本に、現実にそうなってきているようで恐ろしい。原発事故が起きてしまった日本に住んでいる私自身は、ここで恐れたところでどうにもならない身の危険は覚悟している。なるようにしかならない、とそう思っている。
 アメリカンAIRから、日本へのフライトを減らすという発表があった(参照)。被爆を恐れるあまり、客が減ったのだという。海外から見る今の日本は、例えたら何だろう。とにかく近づかない方がいいという判断からだろう。これは、海外で何かあると、日本人も同じようにしてきたことで、特段驚くことでもない。まあ、その気持ちは分かる。
 夢の「MissionⅢ」の終盤で、謎として終わってしまった空からヘリコプターで何やら荷物を落とすという、アレを思い出した。夢が現実化したという驚きはあった。この記事は、私の「謎のMissionⅢ」を読んだ人からのSurpriseingな冗談だったのかも。被爆を懸念して海外から誰も日本に寄り付かなくなった時の最後の手段として出てきたのは、「二階から目薬」作戦だった(参照)。あんなことをしてどんだけの効果?とチャンチャラおかしかった政府のMissionを、馬鹿にした部分だけがあざ笑うために夢に被ってきた。こういってはなんだけど、日本の政府に愛想を尽かしているということかな。
 愛想を尽かしたといえば、昨日、なかなか読み応えのある記事を拾った。ロイターの特集で、今般の震災を取り上げた布施太郎記者のレポートだった。最初に読んだ時、私のアンテナは、15、16日にかけての線量の異常な検出値についての情報が少なかったことへの疑問だったため、文脈を読み違えてしまったのだが、フォーカスの当て場所についてTwitterで指摘をもらい、再度読み直した次第だった。私があまりにも鈍いので事業自得だが、このやり取りがSMプレイにしか見えない人もいるらしい。対話をどう見られても構わないし、私に向けられることであれば甘んじて受けるが、私の対話の相手を侮辱することには許しがたい思いがある。聞こえよがしに匿名性を利用したそのようなTwitter上での行為に腹立たしい思いがあった。情報を提供されている方には申し訳なく思った。
 読み直したこのレポートから受けた印象は、癒着の実態だった。原子力発電の推進は、営利目的であり、これによる利権に群がる欲深い蛆虫の構図だった。そこに登場するのは、東京電力、官僚、議員、関わる企業、識者(学者)で、昔から変わらぬ日本の癒着の現実だった。
 一方、海外からはどのように見えるかについて最近、日本と関わった外国の高級官僚や記者、識者から鋭い指摘を受けていると思う。ビジネストークに時間がかかり、決定権は一体誰が持つのかという究極の疑問を投げかける内容が多く目にとまる。つい数日前にもウオール・ストリート・ジャーナル「【オピニオン】日本が直面する本当の試練とは」(参照)で、「天下り」を具体例に取り上げてしっとりとまとめた記事がネットで公開されていた。
 高い電気代はどこへ消えて行くのか、という思い、計画停電はまるで国家権力の横暴じゃないか、とはじめ思った強制力に対し、腹立たしい思いが今頃になって何故湧き上がるのかと遣る瀬無い思いがある。が、日本に立ち上がるチャンスが再びあるとしたら、安全で安心できる電力供給と、最悪の事態を想定した上での危機管理をすることで切り開くしかないないのではないかと感じた。
 布施氏には申し訳ないのだが、先のレポートから、日本の原発が「安全神話」となってしまった文脈だけを残すため、記事から部分的に拾い出した。全文を読みたい方は、下欄の「【全文】」を参照いただきたい。

特別リポート:地に落ちた安全神話─福島原発危機はなぜ起きたかロイター2011年 03月 30日
布施 太郎

とりわけ、大きな懸念があったのは東電の福島第1原発だ。40年前に建設された同施設は太平洋に面した地震地帯に立地しており、その地域は過去400年に4回(1896年、1793年、1677年、1611年)、マグニチュード8あるいはそれ以上と思われる巨大地震にさらされている。

そして、同グラフは高さ15メートルを超す大津波が発生する可能性も示唆。リポートでは「津波の高さが設計の想定を超える可能性が依然としてありうる(we still have the possibilities that the tsunami height exceeds the determined design)」と指摘している。

6号機まである福島原発の原子炉のうち、3号機の復水器の設計に携わった。その知見を借りたい、というのが細野補佐官からの依頼だった。
3号機はすでに水素爆発を起こしていた。

ところが、地震後の大津波で、非常用ディーゼル発電機も含めたすべての電源が失われ、注水ができなくなった。この非常事態を前提とした具体的な対応策が、東電のアクシデント・マネジメントには存在しなかった。
事故発生後の失策の一つは、1号機に対する海水注入の決断の遅れだ、

1号機の冷却装置の注水が不能になったのは11日午後4時36分。

翌12日午後3時半に1号機は水素爆発を起こした。

海水注入の遅れが水素爆発を誘発し、それが現場の放射線環境の悪化を招く。作業員の活動は困難になり、対応がさらに後手に回る。初動を誤り、スパイラル的に状況が悪化していく悪循環の中で、福島原発は大惨事に発展した。

水素爆発後、政府は東電に対して非公式に海水注入を「指示」したものの、それはあくまで東電の責任において行うとの暗黙の前提があった。
「すでに事態は個別企業の問題という枠を超え、国や社会に対して大きな危険が及ぶ状況に変わっていた。原災法に基づいて、政府が海水注入の意思決定を行い、早く指示を出すべきだった」

制御不能になった原子炉そのものをどうやって止めるのかは主眼に入っていない」と経産省のある幹部は明かす。

政府の事故対応と状況の分析については、経産省原子力安全・保安院が最前線の責任を担っている。

今回の事故では東電や関連会社の従業員が発電所に踏みとどまって危機処理にあたる一方で、地震発生時に集まった同院検査官は15日には現場を離脱し、1週間後に舞い戻るなど、その対応のあいまいさが指摘される場面もあった。

同院は2001年の省庁再編により、旧科学技術庁と旧経産省の安全規制部門を統合、新設された。

通産省(現経産省)出身で同機関の事務次長(原子力安全・核セキュリティ担当)を務めていた谷口富裕氏について、「特に日本の安全対策に対決するという点においては、彼は非力なマネージャーであり提唱者だった(Taniguchi has been a weak manager and advocate, particularly with respect to confronting Japan’s own safety practices.)」と記されており、同氏の取り組みに満足していない米国の見方を示唆している。

「最大の脅威は原発の壁の外にあるだろう」として、地震や津波、火山噴火、洪水などの激烈な自然災害の発生を想定し、一段と備えを強化するよう求めた。

今回の事故後、清水社長は地震発生2日後に記者会見を行っただけで、あとはまったく公の場所に現れていない。

「事故の陣頭指揮を取っている」と説明したが、一時、過労で統合本部から離れていたことも明らかになった。統合本部に入っている政府関係者は「リーダーシップを発揮しているようには見えない」と打ち明ける。

今後の日本の電力エネルギーをどのように確保するのかという点だ。

その一方で東電の供給力不足解消の見通しは立っていない。

全文
[東京 30日 ロイター] 巨大地震と大津波で被災した東京電力(9501.T: 株価, ニュース, レポート)・福島第1原子力発電所から深刻な放射能汚染が広がっている。「想定外だった」と政府・東電が繰り返す未曽有の大惨事。
ロイターが入手した資料によると、事故の直接の原因となった大津波の可能性について、実は東電内部で数年前に調査が行われていた。なぜ福島原発は制御不能の状態に陥ったのか。その背後には、最悪のシナリオを避け、「安全神話」を演出してきた政府と電力会社の姿が浮かび上がってくる。
底知れない広がりを見せる福島第1原発からの放射能汚染。敷地内で原子炉から外部に漏れたと思われるプルトニウムが検出される一方、1、2号機のタービン建屋の外に放射性物質が流出していることも明らかになった。核物質を封じ込めるために備えた安全策は機能不全に陥っている。経済産業省原子力安全・保安院の担当者は29日未明の会見で「非常に憂える事態だ」と危機感をあらわにした。
<埋もれた4年前のリポート、福島原発モデルに巨大津波を分析>
「津波の影響を検討するうえで、施設と地震の想定を超える現象を評価することには大きな意味がある」。こんな書き出しで始まる一通の報告書がある。東京電力の原発専門家チームが、同社の福島原発施設をモデルにして日本における津波発生と原発への影響を分析、2007年7月、米フロリダ州マイアミの国際会議で発表した英文のリポートだ。
この調査の契機になったのは、2004年のスマトラ沖地震。インドネシアとタイを襲った地震津波の被害は、日本の原発関係者の間に大きな警鐘となって広がった。
とりわけ、大きな懸念があったのは東電の福島第1原発だ。40年前に建設された同施設は太平洋に面した地震地帯に立地しており、その地域は過去400年に4回(1896年、1793年、1677年、1611年)、マグニチュード8あるいはそれ以上と思われる巨大地震にさらされている。
こうした歴史的なデータも踏まえて、東電の専門家チームが今後50年以内に起こりうる事象を分析。その報告には次のような可能性を示すグラフが含まれている。
―福島原発は1―2メートルの津波に見舞われる可能性が高い。
―9メートル以上の高い波がおよそ1パーセントかそれ以下の確率で押し寄せる可能性がある。
―13メートル以上の大津波、つまり3月11日の東日本大震災で発生した津波と同じ規模の大災害は0.1パーセントかそれ以下の確率で起こりうる。
そして、同グラフは高さ15メートルを超す大津波が発生する可能性も示唆。リポートでは「津波の高さが設計の想定を超える可能性が依然としてありうる(we still have the possibilities that the tsunami height exceeds the determined design)」と指摘している。
今回の大震災の発生を「想定外」としてきた東電の公式見解。同リポートの内容は、少なくとも2007年の時点で、同社の原発専門家チームが、福島原発に災害想定を超えた大津波が押し寄せる事態を長期的な可能性として認識していたことを示している。
この詳細な分析と予見は、実際の防災対策にどこまで反映されたのか。ロイターの質問に対し、東電の武藤栄副社長は「(福島第1原発は)過去の最大の津波に対して余裕をもっている設計にしていた」とは説明。それを超えるような津波がありうるという指摘については、「学会の中で定まった知見はまだない」との認識を示すにとどまった。
<従来の事故想定は機能せず> 
大震災発生から5日経った3月16日。上原春男・佐賀大学前学長は、政府から一本の電話を受けた。「すぐに上京してほしい」。声の主は細野豪志・首相補佐官。東京電力の福島第1原発で発生した原子炉事故を受け、政府と東電が立ち上げた事故対策統合本部への協力を依頼する緊急電話だった。
着の身着のままで佐賀空港から羽田空港に飛んだ上原氏は、統合本部のある同社東京本店に足を踏み入れ、思わず目を疑った。節電で照明を落とし、休日であるかのように薄暗い館内。その中を眉間にしわを寄せた同社社員や経済産業省原子力安全・保安院の職員たちがせわしなく行き来する。かつて彼らが見せたことのない悲壮な表情を目にして、上原氏はすぐさま事態の異様さを直感したという。
上原氏の専門はエネルギー工学で、発電システムのプラントなどにも詳しい。6号機まである福島原発の原子炉のうち、3号機の復水器の設計に携わった。その知見を借りたい、というのが細野補佐官からの依頼だった。
上原氏がかつて手掛けた3号機はすでに水素爆発を起こしていた。外部電源を失っているため、消防のポンプ車が海水をくみ上げ原子炉格納容器内に注入するという、なりふり構わぬ対応が続いていた。社内に危機管理のノウハウを持つはずの東電が、外部の専門家に救いを求める。それは従来の事故想定が機能しない段階まで事態が悪化していることを物語っていた。
「危機対応も含めて安全管理のプロがそろっていたら、こんな状態にならなかったはずだ」と上原氏は悔やむ。
<遅れる判断、海水注入>
原子力発電の世界に「アクシデント・マネジメント(過酷事故対策)」という言葉がある。「コンテンジェンシ―・プラン(危機対応計画)」と言い換えてもいい。1979年の米国スリーマイルアイランド原子力発電所事故を踏まえ、欧米などで導入が進み、日本でも1992年に原子力安全委員会が整備を勧告した。「原発では設計や建設段階、運転管理などすべての段階で安全を確保しているが、そうした安全上の想定を超え、さらに大きな事故が起こった場合に備えての対策」(電力会社広報)だ。
ここでいう大事故とは「シビアアクシデント(過酷事故)」、つまり原子炉内の燃料に大きな損傷が発生するなど、現在の原発の安全設計では前提にしていない緊急事態を意味する。その起こりえないはずのシビアアクシデントが発生しても、被害を抑える措置ができるように原子炉や冷却装置などのハードウエアを整備する。同時に、そうしたシステムをどう運用して対応すべきか、ソフト面の行動規範も定めている。
安全対策を二重、三重に講じて完璧を期したはずのその対策は、しかし、福島原発事故では機能しなかった。それは何故か。
東京電力によると、アクシデント・マネジメントには、原子炉の暴走を抑えるために必要な措置として、注水機能や、電源供給機能の強化が盛り込まれている。ところが、地震後の大津波で、非常用ディーゼル発電機も含めたすべての電源が失われ、注水ができなくなった。この非常事態を前提とした具体的な対応策が、東電のアクシデント・マネジメントには存在しなかった。
事故発生後の失策の一つは、1号機に対する海水注入の決断の遅れだ、と複数の専門家は見る。1号機の冷却装置の注水が不能になったのは11日午後4時36分。消防のポンプ車で真水を注入していたが、その真水の供給も途絶え、原子炉格納容器の水位は低下。冷却機能を急速に失って、翌12日午後3時半に1号機は水素爆発を起こした。
現場にいた原子力部門の責任者、武藤栄副社長は「それ以前に海水注入の検討を始めていた」と話すが、実際に注入を開始した時刻は午後8時20分になっていた。
海水注入の遅れが水素爆発を誘発し、それが現場の放射線環境の悪化を招く。作業員の活動は困難になり、対応がさらに後手に回る。初動を誤り、スパイラル的に状況が悪化していく悪循環の中で、福島原発は大惨事に発展した。
武藤副社長は「想定外の津波が起こった。アクシデント・マネジメントは様々なことが起きた時に応用手段を取れるようにすることで、今回は最大限の努力を払った」と繰り返す。
<政府もコントロール機能が欠如>
「東京電力も政府も、アクシデント・マネジメントが不十分だった」。原子力工学が専門で、地球環境産業技術研究機構の山地憲治・研究所長はこう指摘する。「シビアアクシデントが起こった時にどのように対処するのか。技術的な対応だけではなく、発生した時に誰がトップに立って指揮し、どういう体制で動くのかなどについて訓練や準備が大幅に不足していた」と分析する。
政府にさえ、緊急時対応をコントロールする機能が欠如していた。アクシデント・マネジメントという表現自体は日本の法律には明記されていないが、同じ事態を想定しているのが原子力災害特別措置法だ。原子炉に大きな問題が生じた場合、政府が電力会社に必要な指示を出すことができると規定している。
だが、政府からは適切な指示が出ていたのか。「自らの考えで海水注入の判断を行った」(武藤栄副社長)というのが東電の説明だ。政府関係者らによると、水素爆発後、政府は東電に対して非公式に海水注入を「指示」したものの、それはあくまで東電の責任において行うとの暗黙の前提があった。
「政府は海水注入の判断を東京電力に任せず、政府の責任でやらせるべきだった」と山地所長は主張する。海水を注入すれば、塩分で機器が使えなくなり、「廃炉」にせざるをえない。山地所長によると、福島原発の設備を新たに作り直すとすれば、費用は1兆円程度になるという。東電の経営にとっては重大な決断だが、「すでに事態は個別企業の問題という枠を超え、国や社会に対して大きな危険が及ぶ状況に変わっていた。原災法に基づいて、政府が海水注入の意思決定を行い、早く指示を出すべきだった」というのが山地所長の意見だ。
そもそも、政府の対応を決める原災法自体が、原子炉が制御不能になる事態を想定していない。菅直人首相は11日、同法に従って原子力非常事態宣言を出した。「原災法のもともとの狙いは、原発事故の際の地域住民の避難や屋内退避をどのように行うのかという点にある。制御不能になった原子炉そのものをどうやって止めるのかは主眼に入っていない」と経産省のある幹部は明かす。「誰もリアリティを持って、法律を作らなかった」(同)のである。
<問われる原子力安全・保安院の対応力>
政府の事故対応と状況の分析については、経産省原子力安全・保安院が最前線の責任を担っている。だが、今回の事故は、その役割と遂行機能についても疑問を投げかけた。
今回の事故では東電や関連会社の従業員が発電所に踏みとどまって危機処理にあたる一方で、地震発生時に集まった同院検査官は15日には現場を離脱し、1週間後に舞い戻るなど、その対応のあいまいさが指摘される場面もあった。
「安全性に問題があり、人間が暮らすには不便が多かった」と、保安院の西山英彦審議官は弁明する。しかし、ある経産省幹部は「保安院は大規模な原発事故に対応する訓練もしていなければ、それに基づいて危機処理にあたる能力も十分にあるわけではない」と打ち明ける。
同院は2001年の省庁再編により、旧科学技術庁と旧経産省の安全規制部門を統合、新設された。約800人で組織され、原発の安全審査や定期検査、防災対策などを担う。全国に立地されている原子力発電所に近接する場所に、オフサイトセンターと呼ばれる「原子力保安検査官事務所」を構え、検査官が発電所に毎日出向き、運転状況などをチェックしている。
ある電力会社の技術系担当者は、検査官の働きについて「定期検査などは非常に厳しい。機器の寸法を図る測定器の精度までチェックするなど、検査は念が入っている」と説明する。しかし、民間の原子力専門家の中には「原子炉運転の仕組みなどは、保安院の検査官は電力会社に教えてもらうこともしばしば。検査と言っても、形だけのチェックをしているにすぎない」などの厳しい指摘も少なくない。
<安全基準への過信、リスクを軽視>
震災発生後、日本政府や東電から流れる情報に対し、海外各国は過敏ともいえる反応を見せた。福島原発からの放射線漏れを懸念した米国政府は、日本に住む米国民に対して、日本政府の指示を上回る避難指示を出し、同原発から80キロ以上の距離に移動するよう促した。仏政府は自国民に日本からの脱出を助けるため、航空便を手配。さらに多くの大使館や外資系企業が職員や社員の日本脱出や東京以西への避難を進めている。
海外には、日本が原発に対して高い安全基準を課してきたという認識がある一方、その有効性に対する日本の過信を疑問視する見方も少なくない。
ウィキリークスが公開した文書によると、国際原子力機関(IAEA)の本部があるウィーンの米国大使館は2009年12月、ワシントンに対して、1本の公文書を送った。そこには、通産省(現経産省)出身で同機関の事務次長(原子力安全・核セキュリティ担当)を務めていた谷口富裕氏について、「特に日本の安全対策に対決するという点においては、彼は非力なマネージャーであり提唱者だった(Taniguchi has been a weak manager and advocate, particularly with respect to confronting Japan’s own safety practices.)」と記されており、同氏の取り組みに満足していない米国の見方を示唆している。
IAEAは昨年、「世界への警鐘」として、2007年の新潟県中越沖地震についての報告書を発表。そのなかで、これまでの原発の放射線漏れ対策は、主として装置の不具合や作業員のミスなど原発内部のリスク要因に目を向けていた、と指摘。さらに同地震の例を引きながら、「最大の脅威は原発の壁の外にあるだろう」として、地震や津波、火山噴火、洪水などの激烈な自然災害の発生を想定し、一段と備えを強化するよう求めた。
その警告は、今回の福島原発の惨事において、どこまで生かされたのか。放射線被ばくの危険にさらされながら決死の注水や電源回復などにあたる現場の作業員の行動については、国内のみならず海外からも称賛の声が届いている。しかし、翻せば、それは危機への備えが十分にされていなかった日本の現実、と海外の目には映る。
「私たちがいま目にしている英雄的な行動が何を意味するか、原発が直面している現実を改めて考え直すべきだ」と、世界各地で環境や安全対策の強化を提言している「憂慮する科学者同盟」(The Union of Concerned Scientists)のメンバーで、原発設計の専門家でもあるエド・ライマン氏は語る。
「彼ら(政府と東電)は地震、津波、原発の緊急時に備えていたかもしれない。しかし、これら三つの災害が大規模に発生する事態を十分に想定していたとは考えにくい」と、もう一人のメンバーで電力事業のエキスパートであるエレン・バンコ氏も従来の日本の原発対応に疑問を投げかける。
<もたれ合う政府と業界、金融危機の構図と二重写し>
原発推進という利害のもとで、密接な関係を築いてきた経産省・保安院と電力会社。ともに原発の危険シナリオを厭(いと)い、「安全神話」に共存する形で、その関係は続いてきた。だが、監督官庁と業界の密接な関係は、ともすれば緊張感なき「もたれ合い」となり、相互のチェック機能は失われていく。その構図は1990年代の「金融危機」と二重写しのようでもある。
かつて、旧大蔵省銀行局は、銀行の健全性を審査する検査官も含めて銀行と馴れ合い関係に浸り、バブル崩壊で不良債権が積み上がった銀行の危機的な状況は見過ごされた。背景にあったのは、銀行は決して破綻しないという「銀行不倒神話」だ。95年の兵庫銀行の破綻を契機に、金融危機は加速していくことになるが、大蔵省は銀行局の破綻処理スキームの構築などで後手に回った結果、金融危機を拡大させていくことになった。最終的に大蔵省は解体され、金融庁の発足につながっていく。
国策として原子力推進を進める経済産業省に、安全規制を担う保安院が設けられている現状では、強力なチェック機能は期待しにくい。保安院が「原発推進のお墨付き与えるだけの機関」(電力アナリスト)と言われる理由はここにある。
原子力安全委員会の班目春樹委員長は22日、参院予算委員会で「規制行政を抜本的に見直さなければならない」と述べた上で謝罪した。民主党も昨年の総選挙のマニフェストのもとになる政策集で「独立性の高い原子力安全規制委員会を創設する」とうたっており、現在の規制体制の抜本見直しは避けられない。推進と規制の分離が課題となり、保安院を経産省から切り離した上で、内閣府の原子力安全委員会と統合する案が現実味を帯びそうだ。
<競争原理働かぬ電力会社、ガバナンスの不在招く>
民間企業でありながら、地域独占を許されて電力供給を担う東電。特権的ともいえる同社のビジネス環境が、同社のガバナンス確立を遅らせる要因になってきた、との指摘は根強い。
東京電力に緊急融資2兆円―。原発事故を受けて急速に信用が悪化している東電に対し、主力銀行の三井住友銀行など大手7行が今月中に巨額融資を実行するニュースは、市場関係者も驚かせた。ある銀行アナリストは「経営再建問題に揺れた日本航空に対しては融資を出し渋ったのに、今回は随分と気前がいい話だ」と話す。
格付け会社のムーディーズ・ジャパンは東京電力の格付けを「Aa2」から2段階下の「A1」に引き下げた。A1は全21段階のうち、上から5番目だ。社債市場では、国債と東電の社債のスプレッドが従来の0・1%程度から1―2%に拡大。原発事故の成り行き次第では、さらに広がる可能性もある。
東電が各大手行に融資の依頼に回り始めたのは、福島第1原発で爆発が立て続けに起きていた震災翌週のことだ。東電役員が「3月中に実行してほしい。おたくは上限いくらまで出せますか」と伝えにきた、とある大手行幹部は言う。しかも、当初提示してきた条件は格安のLIBORプラス10ベーシスポイント。経営危機に直面するリスクの高い借り手には、とても許されない好条件だ。「さすが殿様会社。自分の置かれている状況がどんなに悪化しているのか分かっていないようだ」と、同幹部はあきれ返った。
原発処理の行方次第では、東電は債務超過も懸念される深刻な局面にある。そのリスクを負ってでも各行が融資に踏み切ろうというのは、「東電不倒神話」があるからだ。「独占事業を営んでいる東電は潰れないし、政府も潰さない。貸した金は返ってくる」と別の大手行幹部は言い切る。
全国9電力体制の下、料金自由化も進まない電力市場では、業界各社間の競争原理が働かず、「経営規律を厳しくして企業体質を強める」という普通の民間企業なら当たり前の課題も放置されがちだ。
一つの例が、東電の役員構成だ。同社には代表取締役が8人おり、勝俣恒久会長、清水正孝社長の他に6人の副社長も全員代表権を持つ。他の日本企業では滅多にお目に掛かれない布陣だ。ある電力アナリストは「組織が縦割りで融合していないことの表れ。経営判断も遅くなる」と分析する。
企業として取るべき行動の不備は、地震後の対応でもはっきりと表れた。今回の事故後、清水社長は地震発生2日後に記者会見を行っただけで、あとはまったく公の場所に現れていない。
同社広報は「事故の陣頭指揮を取っている」と説明したが、一時、過労で統合本部から離れていたことも明らかになった。統合本部に入っている政府関係者は「リーダーシップを発揮しているようには見えない」と打ち明ける。清水社長は資材部門出身で、「原発事故の処理ができると思えない」(電力会社関係者)との指摘もある。こうした対応に、経産省からも「電力自由化の動きが進まず競争がないため、経営規律が働いていない」(幹部)との声が上がっている。
<エネルギー政策の構造改革に口火も>
今回の原発危機は、東電や電力会社の企業体質に大きな転換を迫るだけでなく、日本のエネルギー政策自体の構造改革に口火をつける可能性もある。政府の中には今回の事故をきっかけに、抜本的なエネルギー政策の見直しに取り組むべきとの声も出始めた。
最大の課題は、原発の安全神話が崩れた今、今後の日本の電力エネルギーをどのように確保するのかという点だ。日本の電力供給に占める原発の割合はすでに約3割に達している。その一方で東電の供給力不足解消の見通しは立っていない。
このままの状態が続けば、企業の生産回復を阻害する構造的な要因になり続ける可能性もある。電気事業法には電力会社による電力の供給義務が盛り込まれているが、「資源エネルギー庁と東電は法律に違反しない範囲でどのように計画停電を行うかに、すべての力を注ぎこんでしまっている」(政府関係者)という。
もう一つの焦点は電力自由化だ。国策である原発推進を二人三脚で進めてきた電力会社と経産省だが、電力自由化では対立を続けてきた。2000年初頭に経産省が水面下で進めようとしていた発電と送電を分離する抜本的な自由化案は、東電を中心とした電力会社の抵抗に会い、あえなくお蔵入りとなっている。
原発のリスク負担を今後も民間企業に押し付けるのか。現在の全国9電力体制を維持し続けるのか。これまで避け続けてきたこうした難題に政府は緊急の回答を迫られている。
東電は原発事故に伴う損失で経営自体が困難になることが予想されるが、その先には電力産業自体の構造改革とエネルギー政策の転換という歴史的な変化が待ち受けているかもしれない。
(取材協力:Kevin Krolicki, Scott DiSavino 編集:北松克朗)

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