2011-03-01

政変が起きても変わらなかったチュニジア-雑感

 27日、チュニジアのガンヌーシ首相が辞任し、メバザア暫定大統領が新首相に任命したのはベジ・カイドセブシ元外相(84)でした。ガンヌーシ氏が辞任するのは時間の問題だとは思ってはいましたし、それは、チュニジア国民の民主化要望に答えるような人事にならなければ話がおかしくなると思っていました。新首相のベジ・カイドセブシ氏(Al-Baji Quaid Essebsi)が84歳と知って、まずお歳に驚き、名前の読み方も良くわからず、最初は調べようもなかったのですが、ベンアリ政権前のブルギバ大統領時代、1963年から内相や外相、ベンアリ時代に国会議長も務めた人物のようです。
 この流れを汲んで、チュニジアがどう変わろうとしているのか、遡ってみました。
 ブルギバ氏(1903年~2000年)は、チュニジアのフランスからの独立を指導し、初代のチュニジア大統領です。フランスとの親和政策を取り、1975年に終身大統領となったまでは良かったようですが、不況と共にイスラム原理主義が関係する暴動が相次いだため1987年、ベンアリによる無血クーデターによって失脚しました。このブルギバ時代の有力な閣僚べジ・カイドセブシ氏は、脱ベンアリという意味はあるのかもしれませんが、疾風怒濤の革命時代感覚がチュニジアに戻ることはないのかと少し疑問です。フランス植民地としてのチュニジアを独立させ、クーデターを経て正にこれから民主化に向けた政権交代が始まるというスタートに相応しいのは、躍動感あふれるもう少し若い政治家ではないのかとチト思うのです。
 そもそも、チュニジアの政変は、失業問題や物価の高騰などの経済問題が背景でしたから、これを解決するための政権交代でなくては意味がないわけです。首相や大統領が誰であろうと、これらの問題を民主的に解決して行く指導者であれば良いのではないかと思うのです。が、クーデターまで起こしたベンアリ政権がここで崩壊したのは、初代大統領であったブルギバ氏を自らが失脚に追い込んだ理由と同じ、不況で不安定になった市民の一部が暴れだしたことによるものです。暫定政府はガンヌーシ氏を首相に始まってまだ6週間ですが、市民はそれでも飽き足らず、デモによってガンヌーシ降ろしを実現しました。これが民主的な政権交代につながったとなれば、市民のうねりの力はすごいものがあります。ですが、遡ってみたとおり、政権交代を果たせても変わらないのは経済状態への市民の不満です。市民に、国情に対する性急な期待を持つなとは言いがたいのですが、過剰になれば大きな混乱を招き、やがて宗教的に解決を委ねるような原理主義の台頭や、その混乱を弾圧するための新たな独裁政権を生み出すという悪循環になりかねません。
 民主化を思うと何故かマイナス要素ばかりが浮かぶので、民主化に成功した画期的な国の話でもあればと探すに殆どないです。ちょっと不謹慎ですが、ロイターの記事がそれを決定付けるかの如く見事に並べています(参照)。

 ワシントンを拠点とする人権団体「フリーダム・ハウス」が2005年に発行した報告書「How Freedom is Won: From Civic Resistance to Durable Democracy(原題)」は、「独裁的支配からの移行の多くは自由にはつながらない」と指摘。独裁政権から移行した67カ国を調査した結果、35カ国が「自由」となったが、23カ国が「部分的に自由」、9カ国が「自由でない」としている。また、民主主義を持続させる要素には、移行前からの強力な市民の団結力のほか、野党側に非暴力的な戦略があるかどうかだと分析している。

 元米国務省高官で、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際研究大学院のダニエル・サーワー氏は、セルビアを例に挙げ、2000年にユーゴスラビアのミロシェビッチ大統領を失脚させるために、治安当局の過去の行いを不問にすると当局と取引を行ったことが、民主化を停滞させたと語る。「エジプトも同様の問題を抱えている。ムバラク大統領を退陣させるために民衆は軍部隊を信頼したが、問題は軍が今後全体的な改革を認めるかどうかだ」だと、サーワー氏は分析する。

 1986年に民衆のほう起によって失脚したフィリピンのマルコス元大統領は、初めは選挙によって民主的に選ばれている。また、旧ソ連からの独立を求める革命を起こし、のちに欧州連合(EU)に参加した東欧諸国の例も挙げられる。
 その中で唯一の例外はベラルーシだが、同国は独自の言語を持ち、長らく旧ソ連の支配下にあったため、独立国としての歴史がほとんどなかった。地理的にも文化的にもスカンジナビアに近いラトビア、リトアニア、エストニアなどのバルト3国が民主化のモデルとされる一方、1994年にベラルーシの大統領となったルカシェンコ氏は西側の指導者たちから欧州最後の独裁者とみられている。

 くしくもエジプトのムバラク大統領が辞任に追い込まれた2月11日からちょうど32年前の1979年同日、イランではパーレビ国王がイスラム革命により失脚し、王制が崩壊した。しかしその後、新旧体制派双方が暴力に訴えたことで、人権団体「フリーダム・ハウス」の分析では、民主化が遠のいてしまった。

 チュニジアに話を戻すと、多大な犠牲を伴う運動を起こして手にした強権支配体制打倒の果てに残るのは、市民の忍耐や理性でしょうか。ロイター記事でピックアップされている各国の失敗から、もうそれしかないような気がします。全ての人の満足が得られないも民主政治でもあります、と言いつつ、いや、これは他人事ではないですね。日本の首相も数年でころころ変わっているのは何、これ、ですから。外国から見たら日本も不思議な国に映っていると思いますし、外交だって、これだけ首相が変われば進むことも進みません。きっと、多大な迷惑もかけているに違いありません。ぼやけているのですが、どこかに矛盾のようなものを感じます。日本は民主政治であるにもかかわらず、リーダーを変えたがる市民の心理というのもなんだか変じゃね、って聞こえる。
 仮に、今の政権でよしとして、首相も菅さんで良しとすると何がいけないのかな。日本の場合は政治家に政治力がないことが原因なので、これに我慢するしかないと、そういうことになりますが、なんだか納得がいきません。

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