大前研一氏曰く「電気の節約」
都内に住む娘から、米やトイレットペーパーがスーパーの棚になくなって、食糧危機だと連絡が入りました。缶詰やインスタントラーメン、レトルト食品ははとっくの昔に姿を消し、食べ物が手に入らなくなったという知らせを受けました。これは何が起きているのか、という話は先日もここで話したとおりで、買占めによる理由が一番だと思います(参照)。オイルショック時の買占め難民を経験している私は、これも一時的なことであるという判断で、妙に落ち着いていられるのですが、とりあえず食べ物が手に入らないとあっては何らかの対処をしければなりません。とりあえず、近くの人に聞いて、どのスーパーに品物が残っているか情報を得てから買い物に出ました。店内は、惨憺たるものでした。生鮮食品では、魚も肉もまだ品物はありますが、売り場は縮小されていました。目に付いたのは、冷凍の魚や、切り出して味付け加工した肉や魚が多かったです。それでも娘に送ればこれはよいかなと思われる食材が見つかるだけましで、人は売り物に群がるでもなく、落ち着いている様子でした。トイレットペーパーは、制限はあるけどまだ山のように積んであったし、都内ではパンが買えないと聞いていましたが、沢山売っていました。ガソリンも、制約はあるにせよ、関西系のスタンドは在庫を持っています。
何とか娘に送る荷物は整ったものの、やり終えてから何とも遣る瀬無い思いが残りました。この状態がいつまで続くのかという、どちらかと言うと愕然とする思いや絶望感が残るのです。食品不足、電気の節約、ガソリンの制限販売、通麻痺など・・・、この状態がいつまで続くのか、誰もそれを言える人はいないのではないかと思うのです。
原発に関して、昨日もNHKニュースを聞きながら、Twitterでフォローしている信頼筋の流す記事をクリップしたり、学者の見解をコラムなどで読んでみたり、それをする意味は何か?と自分を振り返ってみるに、安全でありたいし、安心材料を探すに尽きます。ところが、政府の姿勢や発表に対して疑心暗鬼にならざるえないような「隠蔽」を暴露するような記事や、外国メディアが撤退し始めるのは危機感がどこまであるか、のような不安感を煽るような記事が皮肉なことに目に付くのです。そして、これらの記事がデマや煽り記事だと断定するために、その倍以上の労力でそれを完全に否定できるような事実を書いた記事を見つけなくては安心できないのです。このいたちごっこのような状態が長く続く理由に、原発の情報元である東電の状況把握や、それを受けた政府の危機管理の線引きへの信憑性に対して、信頼を置いていないと言う個人的な問題があるのは承知しています。
昨日、この疑心暗鬼な状態に拍車をかけたのは、科学ジャーナリスト塩谷喜雄氏の「未曾有の震災が暴いた未曾有の「原発無責任体制」」でした(参照2011/03/15)。
氏は、日本の炉心溶融に至る構造上の問題や、これまで経験した原発事故のバックチェックなどの管理不足を指摘しながら、これらが充分になされてこなかった原因にとして「産学官のもたれあいが生んだ「虚構の安心」」だと指摘しています。そして、この記事の最後にはこうあります。
逆に、安定供給を旗印に、様々な優遇を受けてきたのは誰だったろう。今回電力の融通が簡単に行かない理由の1つである東西の電流のサイクル数の違いを是正せずに、地域独占のメリットをむさぼってきたのは誰だっただろう。
今回の巨大地震があぶり出したのは、原子力発電の限界というより、発送電一体の地域独占、旧電力体制の賞味期限切れではなかったか。日本のエネルギー戦略にとって、原子力の占める位置は決して軽くない。問題は、それを運営する事業主体に難があるということだ。木川田、平岩、那須と続いた東電の哲学と先見性の経営は、福島原発の非常用電源と同様に「喪失」してしまったのだろうか。
生命を懸けて原発の暴走を止めようと奮闘している東電社員、協力会社社員、自衛隊員には、心から感謝するとともに、被害がこれ以上広がらないことを祈る。
原発の問題点の指摘としてはかなり踏み込んだ内容でもあるとは思います。ここに書かれた内幕の様子が本当であれば、怒り心頭というものではないかと、そうは思いますが、それも、原発の存在あっての事です。
話が途中でしたが、「計画停電」などの節約はいったいいつまでなのか、まともに食料が買えるようになるのはなるのはいつか、避難されている方々に元の暮らしが戻ってくるのはいつか、これらの問題が解消したと言える線引きはどうだろう。電気の供給が地震事故以前の状態に戻ることなのか、または、それと同等の状態を作る事なのでしょうか。だとしたら、その道は開けるのか?
昨日、娘に荷物を発送した後、漠然とこのような思いが残っていました。そして、私の寝ている間に原発情勢はどうなったかとフォローしている人のTweetをチェックして遭遇したのが、大前 研一(おおまえ・けんいち)氏の「福島第一原発で何が起きているのか――米スリーマイル島原発事故より状況は悪い」でした(参照)。ちょっと長い記事であるのと、どこも切り取りたくないほど内容が充実しているので、是非、読んでみてください。私が注目する点で、今日の自分自身のエントリーで焦点を当てている原発の今後に関してのみ取り上げるとすれば、9ページから10ページの内容です。
お恥ずかしいのですが、9ページの「日本の世論は新たな原発建設を許さないだろう」で初めて原発は私たち市民の意志に基づくものだという現実が目の前に下りてきたのです。やっと我が事になったのです。原発を自分の生活区域に持たない、のほほんとした一人でしかなかったなと反省しました。地震発生後、原発への影響を一番に心配していた私に課せられる今後の決断は、新たな原発建設を許すのかと言う問題です。それはできないと、現段階でははっきりそう思います。と同時に、不満たらたらであろうが、現状の暮らしを甘受する覚悟をしなくてはなりません。大前氏の分析とそれを基にした考察は、極端な印象がありますが、私はこの極論が好きです。その理由は、最低最悪の状態を覚悟できる点と、そうならないように努力する道を開くことがすっきり見えるからです。できなくて元々、できれば儲けです。大前氏の考察の最後にその部分が書かれています。
原発技術者は残った炉の安全運転に従事するか、中国などに行って生計を立てるしかない。そこまでの結論は既に出たものと思った方がいい。
となれば、家庭や事業所で使う電力を35%(日本の総発電量における原発の割合)減らすとか、家電製品は最低30%の省エネ性能をクリアしたものしか売ってはいけないといった対策をとる。あるいは、湯水のように電力を使用している国民の生活を改める。そうしたことが我々にできる目下の現実的な解決策ではないだろうか。
幸い日本経済は全く成長していないので、これはできない相談ではない。今回の反省から全ての原発を再点検し、必要な施設の付加をして生かせるものは生かす。しかし、新たな炉の建設や今回のような恐れのある炉は廃炉とするしかない。国民はその不便を「電気の節約」という行動で積極的に甘受するしかないだろう。
これは、薄々そうだな、とどこかで思っていたことです。この「電気の節約」を覚悟するには、私にとっては至って簡単なことです。原発のなかった頃というか、原発が初めて動き出した頃の昭和の生活を思い出し、当時のような暮らしに戻るだけです。良くてテレビ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機があれば良いくらいなもんです。車は、置いても一台。FFファンヒーターがダメならパラフィンストーブ、それがダメなら練炭。それもダメなら豆炭。もっと行くと薪ストーブかな。その前に、バイオテクノロジーで開発された新素材があるかな。因みに、日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年10月26日で、東海村に建設された実験炉が初発電を行ったのです。当時の暮らしが想像できない方は「ゲゲゲの女房」と照らしてみると良いと思います。そして、あの頃よりも近代化が進んでいる日本なので、何もあの頃に戻る必要はなく、昭和風味のふりかけをかけるだけです。きっと現在の「電気の節約」の方がより快適ではないかと、そのように何故か前向きな気持ちが持てました。これ以上の底はないと思えるくらいの苦労をしておくと、何とかやっていかれるものです。
ところで、大前さんの書かれた記事に触れて、この腹の据わり方はどこから来るのかと思えば、さすが、1943年生まれでした。そうか、これからは、近所の年配の方から何かとお知恵を拝借することになるのかも。
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