「放射性物質の暫定基準」の背景について雑感
昨夜の極東ブログ「東京都水道の放射性物質汚染」(参照)は「良記事」です。と、言われてこの記事を読んでも、「良記事」の判断保留解除は麻痺しません。話のテンポにリズムが加わって、あっという間に最後の締めへと引き込まれます。まあ、読めば分かります。
私たちは福島原発事故後の放射能の飛散情報を耳にする時、必ず「放射性物質の暫定基準値」という言葉を耳にします。この基準値がどこからどんな根拠で定められているのか、その点がはっきりしないため、私は、政府の公表する「今すぐどうこうなりません。安心して大人は食べても大丈夫です。」という言葉が嘯いて聞こえるのです。政府に対する信頼度が低い私の問題だということは「暫定基準値」から始まった疑問と混乱」(参照)で触れたとおりです。とはいえ、疑問点として残っている以上、例えば、東京都の水の放射性物質汚染のニュースを聞くにしても、「暫定基準値」という言葉の賞味期限はそろそろじゃないの、とうんざりしてくるのです。
先日、気になった時点で半日以上を費やしてネットで検索したのですが、なかなかぴったりとした回答は見つけられませんでした。23日の時点で日本にはデータが無いと判断し、それから調べる意識が遠のいていました。そして、私のしつこさもこんなもんかみたいに嘆かわしく感じたのは、昨夜の極東ブログの内容に触れたときでした。しつこさ度、最強!WHO(世界保健機関)あたりの出しているデータでも当たっていれば、ともすると私にもデータが見つけられたのかもしれませんが、今頃言っても遅いな。
あちらから抜粋してここで何か言えるようなことは無く、調べられている内容をそのまま読んで解釈するのが一番だと思います。が、調べ方には脱帽です。結果論的な言い方になりますが、「暫定基準」の政府の設け方に確固たる根拠が無いという結論に納得してみると、そういう答えを見つけるのは、答えのあることを探すよりも大変なのです。当社比で言えば、膨大な時間を費やしたことでしょうし、ここまで根気よくできたかも疑問です。また、もっと格差を感じたのは、文献の読み方です。これは大いに参考になりました。そして、この答えをどれほど楽しみに読み進めたか。結論に触れたときは、脱帽しました。
前置きが長いですね。お待たせ!政府が「暫定基準」としている根拠は、次の通りです。
意外とざっくりと、飲料水・牛乳・乳製品及び野菜類の3つで50mSv/年の2/3を分けましたということのようだ。これって科学的な根拠となるのか疑問がないといえば嘘になる。
この数値を割り出した軌跡は、WHOからスタートしてIAEAの緊急事態のモニタリング手順に照らし、さらに数値を求める根拠となる文献を探し上げたことによるようです。つまり、これが、政府が基準値を割り出した背景です。そして、残念なのは、なぜ最後のところでアバウトな仕事をしてしまったのかということです。非常に残念です。
勿論、「暫定基準値」自体に対する疑念は、今回のエントリーで払拭されました。かなり厳しい数値として基準を置いていることもわかったので、この数字を上回った東京都の水道水が210ベクレル/1キロ程度では無害(大人に取っては)に等しく、直ぐに影響のでない数字だと言われればそう思います。が、基準値と言いながら、必ず「人体に影響を及ぼす数字ではない」と添えなくてはならない「基準値」というのも紛らわしいものです。いっそのこと、誤差の許容を±50ベクレルくらいの狭い範囲にすればもっと分かりやすいのかもしれません。
基準の範囲が広いことを了解している識者は軽く「人体には影響ない」と言いますが、市民の私たちは、基準の範囲がそれほど広いとも思っていないものです。紛らわしい混乱を招いているのは、「基準値」は、既に安全の範囲として前提に置かれているからですね。こんな基準の置き方ってあるのだろうか。いや、あるのですが、紛らわしいですね。でも、この点が分かったことは大きいです。が、「なぜそれが安全基準なのか」という疑問をさらに残してくれたのも事実です。この基準値を割り出すために使った数字自体の安全性は、結局、分からないのです。
核を使った人体実験をしたわけではないので、今までの事故経験から割り出すしかないとすると、今回の福島原発事故の生データは、後世にとってかなり貴重だと言えると実感しました。
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