2011-03-14

「時には昔の話を 」加藤登紀子を最近聴いている

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紅の豚
サントラ
加藤登紀子

 先日、加藤登紀子(1943年12月27日 - )の「時には昔の話を」という曲がダントツにイイという紹介記事に触れて(参照)早速、言われるままにiTunes Storeから買って聴いています(参照)。この曲については、野暮な感想は書かない方がいいな、と思ってしまう。泣けるよ。だから、簡単な紹介程度にします。
 語りに節をつけたような歌で、彼女が昔「ほろよいコンサート」と称して一杯引っ掛けながらやっていたコンサートがあったけど、そこから、そのまま曲として出てきたのじゃないかと思うような語り歌です。個人的には特に彼女のファンということでもないのですが、でも昔、ギターの練習曲として「ひとり寝の子守唄」を弾いていた頃、訳も考えずに意味も解釈しないで歌っていたこともあり、馴染みのある歌手です。

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青い月のバラード
獄中結婚から永訣まで
加藤登紀子

 「時には昔の話をしようか」を聴けば、この曲、全共闘時代の思い出と共に亡くなったご主人が重なっていることは察しがつくと思います。東大紛争よりも少し前の時代の、学生運動の火付け役的な時代かと思いますが、ご主人である故藤本氏(1944年1月23日 - 2002年7月31日)は、ブント(共産主義者同盟)系の三派全学連の「反帝全学連」の委員長で、加藤登紀子にコンサートを依頼したことがきっけけで知り合い、「獄中結婚」で話題になりました。お二人の馴れ初めや当時の時代的な背景は割愛しますが、この機会を得て、「青い月のバラード―獄中結婚から永訣まで」(03年 小学館)を読んでみました。関心のある方はどうぞ。
 私の場合、昔を懐かしく思うようになるのは、30代に入ってからだったような気がします。自分を振り返ってみる時はいつの年代でもあるのですが、20代の頃は、振り返っては何かを見つけ、それを糧に前に進むだけのようなエネルギッシュな私を思い出します。
 この曲ができたのは1987年、おときさんが43歳の時だったと知り、確かに中年に差し掛かる頃は、そろそろ昔を懐かしむようになる頃で、振り返るスパンが長く感慨もそれなりにあるけど、人生の後半をどうしようかと前向きなエネルギーがまだまだあったかな。この曲の最後にもそういうエネルギーを感じます。

今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走り続けているよね
どこかで

 そして、先の本書にこの時期のことを次のように記しています。

87年は、私にとって大きな節目の年だった。四月には末っ子の美穂が小学校に入学し、十三年間続いた保育園への送り迎えがついに終了する。 子育ての中のあわただしさと、ヒットの出ない低空飛行。このまま過去の人になってしまうのかという焦燥感がなかったとは言えない。 それらを全部払拭したのが、この年。私は四十三歳。 結婚と唄と子育てとに引き裂かれることもなく、すべてが「加藤登紀子」という太い川となって流れ始めるのを感じていた。

 この歌ができる前の1980年代は離婚の危機だったそうで、それを乗り越え、振り返ってみると、やんちゃをやった頃のことが埋め込まれた時代は、やはり昭和な風味かな。私の上の世代のやっていたあの運動の中に、この二人がいたわけだ。私は、当時、「馬鹿みたい」と、冷ややかに見ていたな。駅や公園などで、薄汚れたジーンズをはいて、どこにでもごろごろしていたあの世代。空間を見つけては、車座に座って議論を交わしていた、あの世代。

あの日の全てが空しいものだと
誰にもいえない

 学生運動は運動に終わってしまっただけで、彼らが夢見た自由で幸せな世界はなかった。東大がなかったら学生が幸せになると信じて破壊した挙句、あれが空しいなんて言えないだろうな。おときさん、かなり正直に語っているな、と率直に思いました。ここは、彼女の人柄を垣間見る部分です。
 なんだかんだと言いながら歌に釣られて感想を書いてしまいましたが、この曲をこうして考えていると、世代は違うけれど、私も昔に引き戻されてしまうのです。同じ時代に育った同じ世代と、その頃を語り合える今があるというのは、なんだかほっとするものです。

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