« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月

2011-03-31

シリアの争乱を考えてみる

 一昨日のNHKニュースで、イスラエルの医療チームが東日本大震災の被災地に入って医療活動を始めた事を知り、中東が不安定な中よく来てくれたのもだと嬉しく思っていました。そのイスラエルが再び戦争に巻き込まれるような嫌な気配を感じたのは、反米意識の多い中東諸国をうまく取りまとめてバランスを保っていたエジプトのムバラク前大統領が反政府運動によって失脚した時からでした。そして、中東諸国で唯一アメリカの同盟であるイスラエルが、シリアの反政府運動の流れから影響を受けるかもしれないという印象を持ったので抑えておきたいと思います。
 この視点は、シリアの反政府運動の強まりからで、この国が不安定になると周辺の中東諸国にかなりの影響を及ぼすのではないかということです。残念ながら、シリアに関する日本での情報は少なく、これから書くことも昨日の極東ブログ「シリアの複雑な現状」(参照)に挙がっている情報を参考にしています。
 シリアに関して触れたここでのエントリーといえば、「アメリカの軍事介入について雑感」(参照)のバーレーン政府がスンニ派化を目論み、スンニ派国といわれるシリアから多くの労働者を呼び込んで市民権を与えるなど、都合よく利用されてきたことなどです。このときにも思っていましたが、中東和平問題を考える時、混乱して問題が難しくなってしまうのは、スンニ派かシーア派かのどちらが政権をもっているかにかかってくるからです。また、国際社会の介入が及び腰になるのも、原油消費国である利権の問題もあり、下手に介入すると、関係国とのバランスが取れなくなる点があるからだと思います。

 まず、シリアの反政府運動が始まったことを知ったのは今月の中旬でしたが、Twitterのクリップ記事でBBCが伝える「Middle East unrest: Silence broken in Syria」(参照)でした。
 記事ではチュニジアの反政府運動の流れを汲んで始まったとあるので、反政府運動と見なさしてよいと思いました。この記事で驚いたのは、馴染みのないシリアであることと、チュニジアのような反政府運動とは違って、政府がいきなり市民に発砲して死者を出している点でした。シリアといえば、強権圧政政治であるということぐらいしか知らない私の想像できたことは、逆らう者は殺せとなるのだという点でした。反対に、このような国の市民がよく立ち上がったものだと思ったものでした。そして、シリアに民主化があり得るのかという疑問でした。こういってはなんですが、北アフリカのチュニジアや中東のエジプトがかなり民主的に近づいたといっても、ほんの少しです。チュニジアは頭を変えては政権が頑張り続けていますし、エジプトは軍の下でしかあり得ない政府です。中東諸国でもっとも強権圧政政権であると言われるシリアに民主化は一番あり得ないシナリオではないかというのが妥当ではないかと思ってしまいます。
 という個人的な思いからの結果論ですが、だったら長引かない方が影響が少なくて済むと思います。そこで、最初に挙げた中東問題の観点でこの争乱を見てみると、反対派が抑え込まれてアサド政権が潰れた時、その先はどうなるのかということを読むのは難しいです。
 極東ブログで引用している外国紙は、右派的左派的な代表例だと思って読んだのですが、イランと関わりを持つことはイスラエルとの関係を刺激するということなのか、アメリカはかなり慎重に構えているという理由かもしれません。えこひいき目では、イスラエルがめちゃめちゃになるのは避けたいです。
 話を戻して、反対派が抑え込まれてアサド政権が潰れた後の可能性を挙げてみることにします。
 これまで牛耳られてきたスンニ派のバース党がアサドに代わって権力を握るというシナリオです。これは、派閥的には政権を握るほどの力があるのかという疑問があり、考えにくいし今のところ情報も出てきていません。
 次に、影響力を持っていたムスリム同胞団が復活するかという点ですが、これは、今まで相当弾圧されてきているし、老化も進んでいるため、現時点で脅威とするほどの力はないと思います。
 残る可能性としては、宗派や地域ごとに何らかの形で結束し、周辺国がそれに賛同して中東全体が混乱した状態にまで発展するかというシナリオです。この場合にのみ、イスラエルがともすると軍事反応を起こさざるを得ない状況が起こりうると思います。理由は、中東諸国が不安定になるとそれを利用してパレスチナ等の武装勢力が動き始めるかもしれないからです。
 悪いシナリオばかりが浮かんでどうもイケないです。よいシナリオはないものかと考えると、一番あり得そうもないのですが、最初に挙げたバース党と反政府(民主化を望む勢力)が組んで納得のいくそれなりの民主政権を樹立することでしょうか。このように立ち上がる政権は、往々にして民主的な政権の誕生とは言えないのですが、それでも多数意見を吸い上げて自分らが望むようなそれなりの国づくりはできると思います。
 アメリカが何らかの介入をするのであれば、最後の一番あり得ない平和的な解決を目指せるように仲介することでしょうか。リビアに関しては、ぐずぐずしながらも内戦に対して軍事的な介入に踏み切ったという失敗は取り消せません(参照)。シリアに対してはもちろん、アメリカが飛び込むという意味ではないです。一番気になるところは、一歩踏み外すと一大事にもなりかねない要素が多分にあるということです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-30

謎のMissionⅢ

 この「MissionⅢ」について、ブログに是非とも書いて記録しておかねば、未覚醒のままそろそろ起きて用意しなくてはと、ベッドの中で思っていた私。
 昨夜寝る前、ネットのニュースをチェックしている時に見つけた小さな記事の見出しが「MissionⅢ」に関してでした。これは、2006年、フランスが日本に提起した謎のミッションで、内容が明かされないまま履行されずに眠ったままだというのです。それを、今の日本を救うために、国際社会が発動しようというものでした。
 状況は、原発の事故で日本は封じ込めを食らい、出入国ができなくなってしまった以上、大型ヘリコプターによる空輸しか荷物をうけとる手段がなくなってしまったため、空からその荷物を落とすというもの。どこかで見た絵だと思ったら、国際社会が日本を失笑したあの「二階から目薬」作戦じゃないの?人のことは笑えないね。想像しながらそう思っていました。
 現在の日本の状況を把握しておく必要はあると思っている私に見えているのは、福島原発事故以来、とにかく風の吹く日は外に出ることができない。食料は1か月分くらいストックがあるとはいえ、ライフラインが寸断されてしまう可能性もあるのでうっかり手をつけられない。普段、捨てるに捨てられない私は、ストックに回したり、なんとなくとって置く習慣はあるものの、肝心な時に思い切ったことができないなんて、と、この性分に愛想を尽かしている。災害の緊急時に一番厄介なのは拘りに対しての執着で、この執着心を如何に素早く断ち切るか、これが行動の機敏さにつながることは重々承知な筈ですが、咄嗟の場合には理屈は関係なくなるものです。何かと不便ばかりなのは仕方のないことで、個人的な理由を並べてつべこべ言っても始まらない。ここは、MissionⅢに委ねるしかないと思っている。
 ところで国際社会が以前中止してしまったMissionⅢって、一体どんな司令で誰が動くのか、何も知らないでは始まらないじゃないかと思い、ネットで探すことにする。ヒットしたのは、コートジボワールで始まっている内戦に関連して、最近では関わりがあったらしい。
 昨年の11月、コートジボワールが一つになるための選挙をした結果、バグボ大統領がワタラ氏に負けたにも関わらず、その椅子に居座っている。この選挙には不正があったため、無効だと言い張るバグボ氏には軍を統率する力もあり、国際社会が選挙は有効で、ワタラ氏を新大統領に認定しても意味がない。内戦はどんどん醜い大人の意地悪合戦のようで、見ていて馬鹿馬鹿しいと思っている私の一番の関心事は、チョコレートの原料であるカカオの保護です。内戦は犬も食わない、違ったか。内戦に口出しするのは間違っていると思っている矢先に、バグボ側が、隣のリビエラから戦闘機を輸入しようとしているというニュースが昨日、舞い込んだのです(BBC)。それでも内戦は、内戦。ところが、気になるのは、リビアがそれで国際社会が非行禁止区域を作って勝手に見回りを始め、カッダーフィを一気に遣ってしまうというのです。これも間違っていることです。どれだけ血を流そうと、反カッダーフィの政府軍は、自分らの力でカッダーフィに反論し、自らの力で生きる権利を獲得しなければ意味がない。国際社会が反政府側に手を貸したのでは意味がないのです。こんなことは青臭いと言われるだけなんで私も言いませんが、フランスやイギリスが躍起になっているのは、石油の利権だけなので、馬鹿な発言は休み休みにしておくれ。見え見えなその根性を叩き直してくれる国もない。特に、期待のアメリカオバマ大統領はこのところの出費で頭が痛い。選挙もあるのだし、仕方がないかと諦める私だった。
 コートジボワールも内戦なので見守るしかないのは重々承知ですが、MissionⅢなら何とかいける。関わり方があるというのだけど、そのMissionⅢがよく分からない。
 ベッドの中でなんとなく目が覚め始め、昨夜、このMissionⅢの謎が解けないまま寝てしまったことを後悔している。後悔しても始まらない。起きたら謎解きの続きをしようと思っている私は、昨夜、どこまで調べていたかを思い出そうとしている。これが冒頭の、起きようとしている状態です。
 そして、起きてパソコンを見るてみると、何の履歴も残っていないし、私が調べものの時に使うタグも閉じてあるじゃないですか。念のためTwitterのログも見たけど、備忘のため、ハッシュタグ代わりにつけている「φ(..)クリップ」を当たっても、「MissionⅢ」はなかった。これは一体どういうことなのか。はっきりと目が覚めているのだからアレは夢じゃない、そう言い聞かせるのだけど、パソコンの検索履歴さえ残っていないのです。アレは全部夢かい?信じられないくらいリアルな夢だった。
 MissionⅢを念のため調べてみると、あった(参照)。バックグラウンドはまるで東日本大震災じゃないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-29

「トレンチ」に溜まった高濃度放射性物質の漏出経路について

 昨日の昼過ぎのNHKニュースのあとだったか時間は定かではありませんが、原子力保安院から略式図による説明がありました。これは、放射性物質を含む水たまりが「トレンチ」内にあるという27日の発見から、汚染水がどのような経路を辿ったかの説明でした。朝のNHKニュースの後にも山崎記者の話にもあり、詳細についての情報を待っていたところでした。
 その図はフリーハンドによるもので、この時点では汚染水がどこから漏れ出しているかということに言及する報告ではありませんでした。
 そして、夕方近く、Twitterで2号機内部の略式配管図と、汚染水が漏れ出している場所を特定する図と解説をしているサイトの情報を得ました(参照)。先の原子力保安院の略図を思い出し、この図が左右が逆になっただけだと直ぐには気づかなかったのですが、反応炉内の燃料棒を収めている詳細部分でした。
 指摘によると、反応炉内の水漏れの原因は、燃料棒を入れる口を塞ぐための黒鉛製の栓が破損したことによって漏れ出しているという説明で、英語で書いてある通り理解しました。実は、この時点で自分の英訳を何度も疑い、何度も読み返したのです。単語も念には念を入れてと、調べなおしたのですが、後で知った極東ブログの訳とほぼ同じような解釈で、間違っている望みは消えました。
 そして夕方、極東ブログの「どこから高濃度放射性物質が漏れたか、ワシントンポストを読む」(参照)のエントリーで、この情報の入手先が、「フェアウインド・アソシエイツ顧問で沸騰水型軽水炉を監督して40年の経験を持つアーニー・ガンダーソン氏」によるものだと分かりました。よって、かなり信憑性の高い情報であると思いました。また、非常に詳しく解説されているため、是非とも参照されたいです。
 ここまでが反応炉からの水漏れ場所についての流れです。
 話はだんだん専門的になってきます。個人的には、識者の科学的な説明や原子炉の構造や破損から、漏れている場所の特定に結びつけて行くことなどに関心があります。地震による原発事故が思いがけない状況に陥ったことも相俟って、普段は、誰もが知る必要のない情報かもしれませんが、私は、できるだけ提供される情報を理解して行きたいと思い、いろいろ調べながら私なりのペースで追って行くつもりです。
 さて、汚染水の漏れている場所の特定はこれで充分かというかとそうではなく、先ほど毎日から出た情報によると、放射性物質の漏出で気を置いているプルトニウムの検出結果を次のように報じています(2011年3月29日 1時18分毎日)。

トレンチはタービン建屋と海との間にある凹字形トンネルで、非常用電源を冷やすための海水が通る配管や海水をくみ上げるポンプのケーブルなどを納めている。普段は水がないが、1~3号機とも地表付近まで水で満たされているのを27日午後3時半ごろ発見、直後に線量を測定した。
プルトニウムの調査は21、22日に実施した。1、2号機から500メートル~1キロ離れた5地点で土壌を数百グラム採取し、日本原子力研究開発機構が分析。その結果、全地点の土から原子炉内で発生するプルトニウム239、240が検出され、うち2地点からプルトニウム238も検出された。
大気圏核実験では主にプルトニウム239、240が大気中に放出され、238はほとんどないことから、東電はこの2カ所については今回の事故によるものとみている。

 「トレンチ」と呼ばれるトンネルのことを始めて知った次第ですが、図の一番右の部分に水が溜まっていることが27日に分かってから、その水がどこから来たものであるかの経路については触れていません。なかなか核心部分に触れないものですが、可能性のある場所について、次のように報じています。

プルトニウムは▽被災時運転中だった1~3号機の炉心▽1~6号機の使用済み核燃料プール内の核燃料▽3号機で使用していたプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料のいずれにも含まれる。今回検出されたプルトニウムの由来について東電は「特定はできない」と話した。
原子炉の冷却作業は、水を増やすほどタービン建屋に汚染水がたまる恐れがあることから難航している。

 「今回検出されたプルトニウム」は、1、2号機から500m~1km離れたニ地点で検出されたものであると思いますが、記事にあるとおり、検出されたプルトニウムが含まれている可能性を三つ挙げています。一箇所ではないということが今後の作業にどのように影響するのか、今後ニュースでも報じて行くと考えられます。また、汚染水がトレンチに溜まっているとありますが、76mのかなり長いトンネルですから、相当の水の量ではないかと思います。結果論的ですが、外から水を放水して冷却する必要性があったという理由は歪めませんが、それが仇となってしまったかに思います。それだけ汚染水を生み出したのは事実です。
 今まで放射性物質の検出値や場所、空気中の放射性物質についていろいろ聞く中で、水漏れが反応炉からであると知った時、一番聞きたくない、知りたくない情報でした。不安を言っても始まらないし、口は災いの元にもなるので慎みますが、先の言葉を失いました。

追記:他紙を当たったところ、プルトニウムは燃料棒に含まれているという現有があり、その意味で、炉心(反応炉)か使用済み燃料保管プールの中の燃料棒から出て、水に融け出したと報じています(時事ドットコム)。

 東京電力は28日、福島第1原発の敷地内5カ所で21、22両日に採取した土壌から、微量のプルトニウム238と同239、240を検出したと発表した。このうち1号機から西北西へ約500メートル離れたグラウンド付近と北へ約500メートル離れた固体廃棄物貯蔵庫前の2カ所で検出されたプルトニウムは、今回の事故で損傷した核燃料棒から出てきたと考えられる。

 原子炉と使用済み核燃料プールのどちらから放出されたかは不明。3号機の原子炉は一部に通常のウラン燃料と異なるウラン・プルトニウム混合酸化物燃料(MOX燃料)を使っていたが、どの燃料棒から出たかも特定できないという。武藤副社長は「全体として放射性物質が出てくる量を少なくしたい」と述べた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-28

ウオール・ストリート・ジャーナル ジョン・バッシー氏曰く、「日本が直面する本当の試練とは」

 最近、ニュースに「復興」という言葉を多く聞くようになりました。震災から受けた痛みをいつまで引きずってはいられないという意識が働き始めているのだろうと感じています。一方でこれを応援する気持ちと、また一方では度重なる政府や関係者のミスを知ることも多く、がっくり落胆してしまう気持ちが共存しています。実際、被災されている方にとってはどうだろうかと気にもなります。
 こんな書き出しになるのをお許しいただくとして、今朝Twitterで拾った47ニュースの「炉心溶融を震災当日予測 応急措置まで半日も」(参照)を読み、今朝ほど、諏訪のこれからの産業について書いたこと(参照)と関連して感じることがあり、記事をここで紹介できるだけでもいいか、そういう気持ちで走り書きしました。
 先の記事には、地震発生後の数々の決定事項に遅れをきたした政府の原因を挙げています。大きくは、初動ミスが今の状況を作っているのではないかと読めるのですが、実際、同感する部分もあります。私もこれまでにも、この地震が原発に与えたダメージに対応する政府の方針が見えないことや、作業が捗らない理由は何かと、いろいろ考えてきました。最近の外国紙でも、日本政府は構造上、物事の決定に時間のかかるガバメントだという指摘があります。
 例えば、原発事故の経験を持つロシアはこのように話しています(参照)。

日本の複雑で硬直的な官僚的運営モデルによって、事故への対応が遅れてしまったのです。問題を検討する場所が、現場から離れれば離れるほど、政策決定は遅くなり、運営状況が悪化します。ロシア人にとっては5分で済んでしまうようなことでも、日本ではまず委員会を立ち上げ、会合を重ねることが必要で、しかも肝心な責任者は1人だけで、常に連絡を取れるとは限りません。副大臣より下の人と話しても、何も決定できないようになっているのです。

 日本の企業に勤めればこれは当たり前ですが、外国からしたら、誰に決定権があるのか混乱しています。確かに構造的にはそうだと思います。が、精神面でも決定する能力に欠けているのかもしれません。別の言い方をすると、公益性を考慮するあまり、決定が遅れるというか、皆さんの意見を充分に聞いた上で判断するというのが近いかもしれません。
 また、フランスの原子力機関からは「原子炉の圧縮容器が密閉状態ではない」(参照)という指摘が早くからあったようですが、東電が1~3号炉の破損を認めたのは28日でした(参照

 また東電は28日未明の会見で、1~3号機の圧力容器の破損の可能性について初めて言及した。注水を続けても圧力容器が満水になっていないとみられる上、放射性物質を含んだ水がタービン建屋の地下まで流れていることが理由という。ただ炉内の状態は不明な部分が多く、東電は中央制御室の機能を復旧させ、炉内の正確な水位や圧力などの把握を急ぐ。

 一生懸命作業を進めているに違いないとは信じつつも、次から次にミスや事故が発覚して事は大きくなり、一体何が原因なのかと考える時、「人災」という言葉も聞くようになりました。それでも、これまでいくつもの大きな災害を乗り越えてきた私たちなので、結束力と助け合う気持ちさえあれば大丈夫という部分もあります。が、今朝、私も産業界のことで触れたように、ピラミッド型の社会構造の下部層では恩恵も少なく、情報伝達も遅れます。ましてやそこには、役職という肩書きが付きまとうので、別の意味でハードルがあります。産業界の企業体も日本社会の構造をサイズダウンしたに過ぎないと考えるようになったのです。
 では、そこに何があったら日本は良くなるのだろうか、そう思っていた矢先に今朝、Twitterから飛び込んできたのが25日付けのウオールストリートジャーナル、オピニオンにジョン・バッシーが投稿した記事「日本が直面する本当の試練とは(参照」)でした。岡目八目という言葉を最近よく目にしますが、こんな指摘があります。

単一性と社会的結束は、国家にエネルギーと方向性を与えてくれるものの、その一方で、欠点もある。そして、日本は、それを驚くほど安穏として看過している。これが、日本の長期的な見通しが不確かな部分だ。
この「安隠として看護している」理由が以下にあります。
ここで問題なのは、日本の巨大な官僚制度だ。数十年にわたる一党独裁が政治の発展を妨げ、官僚が国を動かすこととなってしまった。
日本の規制当局と監督対象産業の間の「回転ドア」は、よくオイルが差されており、よく使われている。多くの場合、官僚トップは、退職後に民間セクターで有利なポストを期待できる。

 つまり「天下り」がその実態で、福島原発が2006年に事故を起こした時の隠蔽工作(改ざんによる)は東電と監督機関が結託して行ったという例を挙げています。皮肉なことに、福島原発ですが、かつてそういうことを繰り返したのも事実です。
 欧米諸国が日本と一緒に仕事をするのを嫌がる理由は、組織の構造上の問題に重ねて幕府のような上下関係が煩わしいこともあると思います。読み方によっては、この期に及んで言いたいことが噴出してきたとも言えますが、百歩譲って、ここはありがたく拝聴するということかなと思った次第です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今の諏訪から、今後について雑感

 「東日本大震災」と呼ぶことになったあの地震から二週間が過ぎました。長野県でも北部で震度6強という地震の影響で栄村など、一部では避難生活をおくっていると聞きます。大きな揺れを何度か経験した私でも、あの日の揺れは怖かった。しばらくその揺れに酔ったような状態が続き、時々訪れる余震と錯覚するような揺れを体に感じる時は気持ちの悪いものでした。
 これから先どうなるかと、予測できない生活の変化に戸惑う時期もありましたが、ここ諏訪は、落ち着いてきたかに感じます。一時は、特定のスーパーにだけ客が押し寄せるといった現象が見られ、地震の恐怖から買占めが発生し、混乱した時期もありました。私は、災害用のグッズがあるわけではないのですが、普段から食料品や日用雑貨に至ってはストックしているので、直ぐに困ることはありませんでした。たまたま地震の翌日に買い物に出て、前の前で買い占めの光景を目にした時は驚きました。こういってはなんですが、こういう時にどやどやとやってきてマナーもへったくれもなくなる年代は決まってます。必要なものだけ買って早々に帰宅しましたが、その後一週間は買い物に行きませんでした。ストックしている缶詰や有り合わせで一週間くらいはなんとなるものだと、かえって自信がつきました。
 先週でしたか、トヨタや日産が生産中止を宣言し、アメリカ工場ではリストラを始めたと報じました。大雑把な話になってしまいますが、震災を受けた東北地方に発注先が集中しているらしく、機能が停止状態になってしまい、国内やアメリカの工場へ充分に部品が行き渡らなくなってしまったそうです。これは自動車業界の話で、他に直接的な影響はないと思っていたのですが、現実は違っていました。
 日本の輸出産業の要である事を実感したのは、自動車製造に直接関係のない会社が意外なところで影響を受けていることを知ったからです。日中、国道の車の通りが少なくなり、仕事が動いていないのはよくわかります。諏訪の部品工場なども、元々長引く不況で小さな会社の廃業が続出していましたが、震災後いきなり生産中止となり、頭の痛い日が続いているようです。企業にとって何が一番の恐怖かというと、仕事が回らなくなることかと思います。今一番誰もが求めているのは、安定的に仕事が毎日あることです。儲けるなど、そんな贅沢はいいのです。
 仕事が途切れ途切れになると一番困るのは、月ごとの収支がアンバランスになり、支出を何で穴埋めるかという問題が出てくるからです。年で見たときに当然、赤字決算になるのですが、その赤字を少なくするために真っ先に白羽の矢が立つのは人件費です。小さな会社は何を考えるかといえば、人件費を削る分、安い外注に発注するのです。これは、孫受けの下の階層です。もっと安く請け負っているのは家庭内職者で、1個何銭の世界です。どこまで行っても仕事にはその対価として賃金の支払いは当然ですが、大手企業が立ち並ぶ諏訪では、賃金格差はもろにあります。
 ブランドメーカーの賃金形態がスタンダードとしてデンと構えていて、そこから中小様々な企業へ仕事が流れてきます。下流へ行けば行くほど単価が安くなるので、当然給料も安くなるのです。だから、皆大企業への就職を望むのでしょうけど、メーカーの生き残りも厳しくなり、今回の震災の影響も相俟って、就職内定者の春の就職が先延ばしになる会社が多いと聞きます。踏んだり蹴ったりな話しばかりで些か暗くなりました。
結局、東北地方に大手メーカーの部品工場が多い理由は、農業以外に他に仕事がないことが弱みとしあり、仕事を選べないからだと思います。メーカーにとっては、高くて近い外注よりも、遠くても安価な方がまだ生産コストを低く保てるということなのだと思います。今まで不思議とも思いませんでしたが、そういう体質がメーカーと下請けにあるのだと思います。
 閑散とした駅前商店街を歩くと、いつかの活気はどこへ行ってしまったのか、ここを行きかっていた人々はどこにいるのか、人の気配のない静かな町並みは寂れて行く一方です。
 大手企業に左右されることなく何か始めようと、ベンチャー企業の話などひところは耳にしましたが、私が他を知らないだけかもしれませんが、最近はあまり聞かなくなりました。このブームのように押し寄せる景気は、小さな波のどこの部分なのか、小さいなりにも長く続けられるような企業であれば良いと思うのですが、この波のお陰でやめて行く会社も多いようです。人が求めている部分を満たすようなニーズに合わせて行く企業は、先細りが目に見えています。ニーズの高まりが期待できない理由の一つに、品を取替えひっかえ、買い替えを余儀なくされてきた事にうんざり感が漂っていると思います。パソコンでいうなら、ブラウザのバーションアップと同時に、搭載しているアプリケーションがどんどんバージョンを上げてメモリーがパンク状態となり、メモリー増設やパソコンの買い替えに疲れてしまっているのと同じ状態です。この倦怠感をふっ飛ばしてくれたのがクラウドでした。IT業界がひっくり返るほどの激震が走ったのではなかったでしょう。お陰で、快適な環境になりました。
 書きながらはっとしたのですが、産業界にもこのクラウドのようなものが出現したら凄いだろうなとか、想像するだけでもわくわくしてきます。先の大手メーカー企業と下請け子会社との関係を崩すというよりも、新たに仕組みを作るというような動きです。加えて、長いスパでンで人に喜ばれる物を提供し続けるような何か、何だろう。少し真剣に考えてみようかと思います。

Grandpa_simpson_yelling_at_cloud

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-27

ニューヨークタイムズの放射線量グラフで4号機の火災を検証してみた

 昨日、Twitterからピックアップしたニューヨークタイムズ掲載の福島原発の放射線量グラフを見た時、一瞬にして目が点になってしまった。数字が提示する危険度というより、見た通り、グラフのピークが14日夜から15日、16日と大きく飛び出しているからです。瞬時にこの日、何があったかと遡ってニュースを当たり始めたところ、極東ブログから「ニューヨークタイムズが掲載した福島原発の放射線量グラフを眺める」(参照)のエントリーが挙がり、そちらを参照することにしました。グラフはここにも一応貼りますが、日々の放射線量に沿いながら日本で報じられたニュースを拾われているので、高い数値が検出された時、何が原因であるかが推測することできます。
 タイトルの「検証」はちょっと大げさかもしれませんが、ここでは、私の気づいた点を挙げておくことにします。周知のこともあるかと思いますが、記録的な意味でもここには残しておきたいと思います。

UPDATED March 25, 2011
Radiation at Fukushima Daiichi(参照
Levels of radioactivity measured by Tokyo Electric Power at different points around the Fukushima Daiichi nuclear plant.

Screenclip

 まず、グラフからも分かるとおり、15日、一番大きなピークがあり「Fire near Reactor No.4」とあります。これは、4号機から火災が発生したことを意味しています。この火災が原因で起きた放射能漏れはどうだったか、16日の読売新聞にこうあります(2011年3月16日12時45分 読売

1度目の火災は、15日午前9時38分に発生し、東電は同日、「午前11時頃に自然鎮火した」と説明したが、大槻課長は16日、「社員が、目視で炎が見えないのを確認しただけだった。申し訳ない」と謝罪した。実は1度目の火災が鎮火していなかった可能性を報道陣から指摘されると、大槻課長は「放射線量が高くて現場に近づけず、確認できない」と釈明した。
東電によると、火災確認後、社員が2度消防に通報したが、つながらなかったため、放置していた。

 火災状況を調べたついでに、東電の管理ミスの記事が出てくるとは思いませんでした。結果的には、この火災による放射能漏れが一番値が大きく、この時点で何らかの手を打てば次の火災ににはつながらなかったのではないか、と悔やまれます。そして、二度目についてはこうあります。

2度目の火災は16日午前5時45分頃、4号機の原子炉建屋から炎が上がっているのを社員が確認。午前6時20分に消防に通報した。
東電によると、福島第一原発では通常、協力企業の社員を含めて約800人が作業を行っているが、被曝の危険性が増した15日、70人を残して福島第二原発などへ退避させた。

 この時、800人もの人員が一斉に避難したことや残る作業者の数の差を見て、後の作業が滞りなくできるのだろうかという不安を持ったのが印象にあります。 そして、この火災の火元はどこかという点を当時は見落としていたかと思ったのですが、記事には言及されていません。
この読売記事の少し後の朝日記事ではこうあります(2011年3月15日13時42分朝日

一方、地震前から停止中の4号機の原子炉建屋も損傷し、火災が発生した。建屋に保管中の使用済み燃料の冷却ができなくなった可能性があり、燃料が損傷して漏れ出す可能性が出てきた。鎮火したが、付近の放射線量は急上昇した。消火には米軍も協力した。

 定期点検ということで停止中だった4号機は、この火災が発生するまで安心していただけに意表を突かれた形になりました。そして、初めて「使用済み燃料」がどういうものかに関心が集まりました(2011年3月19日09時55分  読売新聞)。

▼使用済み核燃料・保管プール
原子炉内にある核燃料は、使い終わった後も熱を放出し続ける。この使用済み核燃料には、毒性の強いプルトニウムなどの放射性物質が含まれており、人体に大量に入ると、がんなどの深刻な被害をもたらす。
使用済み核燃料は、建屋内の巨大プールの冷却水に沈められ、厳重に保管される。燃料棒が長時間にわたって大気に触れると、高温で溶けて大量の放射性物質が飛散する恐れがあるが、冷却水は放射線を外界に放出するのを抑える上に、燃料棒が溶けるのを防ぐ効果があるからだ。冷却水は、使用済み核燃料を核燃料再処理施設に運び出すまで、40度以下に保たれなければならない。作業はすべて機械操作によって行われる。

 こういうことも当初は知らなかったわけですが、現在行われている冷却作業の目的を知れば、使用済みも使用中も同じことです。炭や石炭と違って、燃えカスになると同時に鎮火するという代物ではないのです。何年も冷却し続けなくてはならないのです。
 そして、この使用済み核燃料がどれ程危険かについて米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ委員長の指摘がありました。この発言に関しては「福島原発4号機対応と菅政府についての雑感」(参照)でも原文から抜粋したとおりですが、17日のブルームバーグで日本語で記事にしています(参照)。

米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ委員長は議会証言で、東日本大震災で被災した福島第1原子力発電所の原子炉の一つで使用済み核燃料プールの水が全てなくなり、高レベルの放射性物質が漏れる結果を招いたと述べた。
ヤツコ委員長の議会証言に先立ち、国際原子力機関(IAEA)や医師、原子力技師らは、福島原発事故による住民の健康への最大の脅威は、プールに保管されている使用済み燃料だと警告した。
当局者らによると11日の地震と津波で冷却装置が機能しなくなり、3つの原子炉のプールの水温が上昇している。米ロスアラモス国立研究所の元幹部でウィーン在勤の技師、ロバート・ケリー氏は露出した使用済み燃料棒は発火して溶け、大気中に放射線を出す恐れがあると指摘した。使用済み燃料プールは原子炉とは異なり、鋼鉄やコンクリートで包まれてはいない。
ヤツコ委員長は下院エネルギー・商業委小委員会で証言し、「使用済み燃料プールで水がなくなったと考えられる」と述べ、「放射線量は極めて高く、是正措置を講ずる能力に影響を及ぼしている恐れがある」との見解を示した。
プールの水は作業員を保護するものだが、元NRCの安全性指導員で米科学者団体「憂慮する科学者同盟」の原子力物理学者、デービッド・ロックボーム氏は、使用済み燃料棒の上部が露出すると、プールの淵にいる作業員は16秒で致死量の放射線を浴びると電話会議で発言した。
科学者らによれば、水が蒸発して燃料棒が露出すると、燃料棒のウランが保護鞘を溶かして熱や放射性セシウムを放出する可能性がある。その後、ウランは残った水と混ざり、制御できない核反応が始まって大気中に放射性物質が出ていくという。
ケリー氏は電子メールによる取材に対し、「ウランが水中で溶ければ、ある種の原子炉を作ってしまうことになる。こうした状況でこの原子炉は制御不能となり、核分裂を始めることになる」と回答した。

 4号機の火災状況から、専門家の意見はこの時点で核心に触れた意見だったことが分かります。頑丈なコンクリートや鋼鉄に守られ、停止状態ある原子炉よりも使用済み核燃料の方が軽い管理の下に保管されているものだと驚いた次第です。
また、4号機に注意が必要な理由を24日、次のように公表しています(2011/03/24 12:41 ブルームバーグ)。

燃料プールの発熱
4号機について、原子力安全・保安院の西山英彦審議官は「たくさん使用済み燃料が入っているプールの発熱が問題」と指摘し、冷却系からのプールへの注水はあす以降になるのではないかとの見通しを明らかにした。燃料プールについて、西山氏は「1-6号機の中でも最も使用済み燃料の量が多い。目視で水が入っていることを確認しており、注水もしている」と述べた。しかし「すぐに沸騰状態になってしまうので100度になっている。応急措置で注水量を増やし、外部電源を使い安全な状態にすることが必要だ」と強調した。
冷温停止状態になっている5号機は、23日夕に海水ポンプの電源を仮設から外部電源に切り替えた際に停止したが、西山氏は「午前中にポンプを復旧させ、外部電源に切り替える」と述べた。

 その後、グラフ上の数値は落ち着いていますが、4号機からは現時点でも白煙が上がっています。
 一連のニュースを拾ってみて、20日の私の「福島原発4号機対応と菅政府についての雑感」(参照)でも触れたとおり、東電は、4号機のプールの水を確認しているとありますが、17日には「水はあると判断したため4号機に放水するのをやめた」とあります。そして、20日まで、水の有無は不明のままでした。一方、ヤツコ氏は11日地震が発生した直後、プール内の水について最悪のケースを想定した上で、核心に迫った言及をしています。
 この見解の相違は何故起こるのか大変不思議でしたが、昨日、「プルサーマル公開討論会・議事録5」(参照)でパネラーの東京大学大学院 大橋教授の話の中の「ラスムッセン報告」について、アメリカと日本の考え方の違いが興味深いです。
 端的に言うと、アメリカは、事故が起きた時の被害を計算する仕事と、その事故の起こりやすさの確率を計算するのだそうですが、日本は、想定不適当だとして無視するそうです。これはどういう意味かというと、日本には、原発には事故は起こり得ないという考えが前面にあるため、最悪のことを想定しないというのです。これって、ほんとうかよ、と疑ったのですが、15日に起きた4号機の火災発生後の日本の対応や、会見を振り返ると、何らかの事態が起こってから判断するまでが非常に遅いのは確かです。
 避難命令についても、測定値が出てから発令されています。これが当たり前だと思っていたのがどうも違うんじゃないか、と疑念を持ち始めた顕著な例では、アメリカの80km半径以外への避難命令でした。この時、日本は、30km半径でした。
 もし、これらの違いが大橋教授の指摘するような理由で起こるのであるなら、日本政府が即刻考え方を改めれば、先手を打って事態の対応に当たれると思います。アメリカの考え方を取り入れてみてはどうでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-26

小林竜司被告(26)の死刑が確定したことについて

 昨日、小林竜司被告(26)の死刑が確定した(毎日)のを知り、「こういう人は、牢獄で一生を送るとよい」と思い、判決には無念さがありました。理由は、判決が出るまで彼は、自分の罪に充分向き合ったとも言えない上、この先時間があればそれを満たす能力のある人間かどうかもまだわからないからです。私は、基本的に死刑には反対で、それに変わる終身刑賛成者だからという理由が判決に不満であるのとも違います。かといって、無期懲役が相当かとも思えず、なんとも複雑な思いでした。

cover
慈悲と天秤
小林竜司との対話
岡崎正尚

 人が人を裁く極限に死があっていいものだろうかと悩んだ頃もあったのですが、そういう悩みを持っていたのは若い頃で、今思うとあれは青かったなと思います。今回のケースは、審議が不十分ではないかという疑問が残っていることが前提にあるので、死刑判決は時期尚早の嫌いがあります。またしても残念に思う結果となりました。そして、「慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話」(岡崎正尚)(参照)を読んでから、この思いは違った意味で一層強くなったのです。
 判決を聞く被告の家族や被害者の家族の心痛はそれなりに汲み取るのですが、無期懲役の判決が出ると、往々にして被害者の家族の痛恨の思いが多く取り上げられます。そして、その声の多くは死刑を願うものですが、死をもってわびて欲しい、死んでもらうことが救いだという訴えは、冷たい言い方ですが、怒りの気持ちを静めるために死刑を望むことには違和感があります。家族を愛しているということの裏返しだということはよく分かりますが、裁判の判決にはそれは含まれないことです。家族の思いは尊重されるとしても、それが判決を決定付けてはならないのが司法の意味だと思います。
 反対に、加害者の判決に同情が加味されるかという問題であれば、「情状酌量」の余地がそれで、判決には含まれます。犯罪の軽重によっては、犯罪者にも生きる権利と改心のチャンスを与えるということだと思います。その余地の無いほどの残虐極まりない罪と求められれば、死刑という極刑を言い渡されます。
 小林竜司被告の犯した罪自体は、死刑が相当だといえるのだと思います。が、そうであるなら、一生牢獄で苦しむがいいという思いも捨て切れません。自分の侵した罪を省み、社会生活に復帰することは認められずに狭い獄中で苦しむがいいと思うのです。これは、日本の無期懲役とは違います。出所のチャンスの無い刑です。彼が、罪の意識の無い人物であれば終身刑といいたいところですが、実はそうでもなく、日本の法律では罪の重さで判決が下ります。
 実は、極東ブログ「[書評]慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話(岡崎正尚)」(参照)を読んで気づかされたのですが、この事件が今の法制度(裁判員裁判)であれば、彼に罪に向き合うチャンスを与えることができるのだと分かりました。つまり、死刑を回避することは刑を軽くするのではなく、彼に考える時間を与えることに等しくなると思えたのです。
 岡崎氏(著者)の本についてですが、一言でいうと、分類するのが難しい本です。さまざまな疑問を提起していくかに読めるのですが、彼自身の意識がその問題にのめり込み、引きずられるように書き綴っています。これは、自己陶酔しているようでもあり、それを見ている第三者の立場としての私には複雑な思いが残りました。
 二人は友情を温め、岡田氏はやがて小林被告を応援して行く姿に変わってゆくのですが、これはこれとして、だから応援側に回るという展開と、同時に、刑を軽くしてもらおうという気持ちの流れにはついていかれません。それを残念とも思わない私ですが、その理由に、岡崎氏がアスペルガー症候群を病んでいて、対人関係に苦労する姿を描写の中に読み取ることができるからです。公私混同という言葉が適切では無いかもしれませんが、岡崎氏の訴えを、「無罪」や「刑の軽減」に反映できることとは思いません。先に述べた、家族の気持ちを判決に結びつけられないのと同じ理屈です。
 私のこの本を読むきっかけは、事件の真相や犯罪者の獄中での思いに触れてみたいという思いからでした。それを岡崎氏の視点でどう捉えているのかという点が関心事でしたが、そういう視点で理解するのは難しかったです。むしろ、岡崎氏と獄中の小林被告との友情の実話として、そう捉えると、加害者と弁護士志望という二人の青年の感性として見えてきました。次第に、生きる苦悩を共感し合う話ではないかと思えたのです。立場の違う二人が生きることへの苦悩に共鳴しながら、友情を温めてきたという見方に変わったのです。
 そこへたまたま死刑判決が下ったのは、その苦悩から逃れることを幇助(ほうじょ)することになりはしないかと思えたのです。この「幇助」ということばが示すとおり、死刑が彼の死の願望を叶えることになるのです。

この事件について:報道されたことが記憶の中にもあるとは思いますが、Wikipediaでは「実行役リーダー」として記述があります☞「東大阪集団暴行殺人事件」

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011-03-25

「放射性物質の暫定基準」の背景について雑感

 昨夜の極東ブログ「東京都水道の放射性物質汚染」(参照)は「良記事」です。と、言われてこの記事を読んでも、「良記事」の判断保留解除は麻痺しません。話のテンポにリズムが加わって、あっという間に最後の締めへと引き込まれます。まあ、読めば分かります。
 私たちは福島原発事故後の放射能の飛散情報を耳にする時、必ず「放射性物質の暫定基準値」という言葉を耳にします。この基準値がどこからどんな根拠で定められているのか、その点がはっきりしないため、私は、政府の公表する「今すぐどうこうなりません。安心して大人は食べても大丈夫です。」という言葉が嘯いて聞こえるのです。政府に対する信頼度が低い私の問題だということは「暫定基準値」から始まった疑問と混乱」(参照)で触れたとおりです。とはいえ、疑問点として残っている以上、例えば、東京都の水の放射性物質汚染のニュースを聞くにしても、「暫定基準値」という言葉の賞味期限はそろそろじゃないの、とうんざりしてくるのです。
 先日、気になった時点で半日以上を費やしてネットで検索したのですが、なかなかぴったりとした回答は見つけられませんでした。23日の時点で日本にはデータが無いと判断し、それから調べる意識が遠のいていました。そして、私のしつこさもこんなもんかみたいに嘆かわしく感じたのは、昨夜の極東ブログの内容に触れたときでした。しつこさ度、最強!WHO(世界保健機関)あたりの出しているデータでも当たっていれば、ともすると私にもデータが見つけられたのかもしれませんが、今頃言っても遅いな。
 あちらから抜粋してここで何か言えるようなことは無く、調べられている内容をそのまま読んで解釈するのが一番だと思います。が、調べ方には脱帽です。結果論的な言い方になりますが、「暫定基準」の政府の設け方に確固たる根拠が無いという結論に納得してみると、そういう答えを見つけるのは、答えのあることを探すよりも大変なのです。当社比で言えば、膨大な時間を費やしたことでしょうし、ここまで根気よくできたかも疑問です。また、もっと格差を感じたのは、文献の読み方です。これは大いに参考になりました。そして、この答えをどれほど楽しみに読み進めたか。結論に触れたときは、脱帽しました。
 前置きが長いですね。お待たせ!政府が「暫定基準」としている根拠は、次の通りです。

意外とざっくりと、飲料水・牛乳・乳製品及び野菜類の3つで50mSv/年の2/3を分けましたということのようだ。これって科学的な根拠となるのか疑問がないといえば嘘になる。

 この数値を割り出した軌跡は、WHOからスタートしてIAEAの緊急事態のモニタリング手順に照らし、さらに数値を求める根拠となる文献を探し上げたことによるようです。つまり、これが、政府が基準値を割り出した背景です。そして、残念なのは、なぜ最後のところでアバウトな仕事をしてしまったのかということです。非常に残念です。
 勿論、「暫定基準値」自体に対する疑念は、今回のエントリーで払拭されました。かなり厳しい数値として基準を置いていることもわかったので、この数字を上回った東京都の水道水が210ベクレル/1キロ程度では無害(大人に取っては)に等しく、直ぐに影響のでない数字だと言われればそう思います。が、基準値と言いながら、必ず「人体に影響を及ぼす数字ではない」と添えなくてはならない「基準値」というのも紛らわしいものです。いっそのこと、誤差の許容を±50ベクレルくらいの狭い範囲にすればもっと分かりやすいのかもしれません。
 基準の範囲が広いことを了解している識者は軽く「人体には影響ない」と言いますが、市民の私たちは、基準の範囲がそれほど広いとも思っていないものです。紛らわしい混乱を招いているのは、「基準値」は、既に安全の範囲として前提に置かれているからですね。こんな基準の置き方ってあるのだろうか。いや、あるのですが、紛らわしいですね。でも、この点が分かったことは大きいです。が、「なぜそれが安全基準なのか」という疑問をさらに残してくれたのも事実です。この基準値を割り出すために使った数字自体の安全性は、結局、分からないのです。
 核を使った人体実験をしたわけではないので、今までの事故経験から割り出すしかないとすると、今回の福島原発事故の生データは、後世にとってかなり貴重だと言えると実感しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

リビア内戦への軍事介入

 リビアへの軍事攻撃は今月19日、英仏米が中心となった多国籍軍による空爆から始まっています。 この時、「アメリカの軍事介入について雑感」(参照)で、ことさらアメリカの介入についての違和感を書き連ねました。未だに終わらないイラク戦争の経緯を辿れば、リビアへの軍事介入は、イラクのシーア派の悲劇の二の舞です。いい加減にしておくれ、と呆れました。では、冷静に見つめ直した時、この介入がどう映るかと言えば、「国連安保理の決議」と言う大義名分の下に、リビアの内戦に口出しをしているに過ぎません。そして、リビアが原油国であるために、この口出しを善行動として正当化した最低の作戦を講じたのだと思います。
 ここで書きたいことは以上ですが、国際社会の動きは実際のところどうなのか、その点について記録することにします。
 昨日、イギリスのキャメロン首相の議会での発言からNHKは、次のように報じていました(NHK)

 国連の決議はリビアの市民の命を守るためのあらゆる手段を認めているとして、状況しだいでは、カダフィ大佐を軍事攻撃の標的にすることも排除しないとの考えを示しました。
 これは、キャメロン首相が23日、議会下院でリビア情勢に関する野党からの質問に対して答えたものです。この中で、キャメロン首相は「軍事攻撃の目標は、国連安全保障理事会の決議に従って選ばれなければならない」としたうえで、「決議は、リビア上空の飛行禁止空域の安全を確保し、市民の生命を守るため必要なあらゆる手段を認めている」と述べ、状況しだいでは、最高指導者のカダフィ大佐を攻撃の標的にすることも排除しないとの考えを示しました。カダフィ大佐を攻撃の対象にするかどうかを巡っては、軍の上層部から標的にはならないとの発言が出る一方で、国防相など閣僚からは、最近、攻撃の対象とする可能性を示唆する発言が相次いでいました。また、キャメロン首相は、リビアに対する作戦にカタールの戦闘機がすでに加わっていることを明らかにするとともに、クウェートとヨルダンも後方支援の形で参加すると述べ、今回の軍事作戦がアラブ諸国の強い支持を得ていると強調しました。

 カタールの役割どころというのは、リビアの飛行禁止区域の維持で、戦闘機の配備の準備が進んでいるいるようです(産経)。

ロックレア在アフリカ米海軍司令官は22日、リビアでの飛行禁止区域を維持するため、カタール空軍の航空機が今週末までに多国籍軍に加わるとの見通しを示した。実現すれば、アラブ諸国で初めての対リビア軍事行動への参加となる。

 また、アメリカは最初からこの戦争に大きく加担することを避けたいとして、早急にNATO(北大西洋条約機構)に指揮の移行を求めていますが、NATOでは、意見が分かれています(毎日)。

 深入りを避けたい米国は指揮権を早期にNATO側に渡したい考えだが、軍事介入に反対のトルコはNATOの正式任務とすることに難色を示している。主導権を握りたいフランスはNATOの役割を限定して米国色を薄めたい意向で、各国間の駆け引きが熱を帯びている。
オバマ米大統領は21日、リビア攻撃について、防空網破壊などの初期攻撃から、飛行禁止空域の設定・運用を目的とする次の段階へ「数日のうちに」移行すると述べた。これに伴い指揮権を米軍から、英仏軍かNATOに移したい考えだ。
ホワイトハウスによると「次の段階」での米軍の主な役割は、リビア政府軍の通信手段の妨害や情報活動、多国籍軍への給油など「支援的役割」という。
大統領はイラク戦争などを念頭に、「結果として米軍がすべての負担を担った」と言及。既に世界各地に展開する米軍や、米国の納税者の負担を軽減するためにも、今回は「国際的な任務」とすることが大事という率直な見解を示した。

 アメリカの内情は分かりますが、火をつけておいて後は「良きに計らえ」とは。喧嘩だったらなんだこいつ、ガツンとやられる卑怯者かもです。そして、聞いて驚くなかれ、この戦争が長期化すると10億ドル(808億円)だという見積もりまで出ています(朝日)。

 米シンクタンク、戦略予算評価センター(CSBA)のザック・クーパー氏は、リビア政権軍の防空施設を排除するための初期費用は4億─8億ドルになると予想。飛行禁止区域のパトロール費用は1週間当たり3000万─1億ドルかかるとしている。
また、米英軍がこれまでに使用した巡航ミサイル「トマホーク」の費用は約2億ドルに上ると述べた。
米軍は飛行禁止区域の設定にかかる費用について明確な数字は出していない。米国では2011年度の財政赤字が1兆4800億ドルに上るとの見通しがある中、リビアでの軍事費を支出できる余裕はないとの批判的な見方も議員や批評家から挙がっている。
英国のオズボーン財務相は、リビアでの軍事費は数億ポンドに上る見通しで、アフガニスタンでの軍事費を下回るとの見解を示した。しかし、軍事アナリストのフランシス・ツサ氏はBBCラジオ4に対し、リビアでの軍事費は政府の想定を超える可能性があると述べ、現時点の支出は航空機1機当たり約20万ポンド(約2650万円)、ミサイル1発当たり80万ポンドに達していると指摘。飛行禁止区域が設定されれば、1日当たり200万─300万ポンドの支出が見込まれるとの見方を明らかにした。

 また、先の毎日記事に戻ると、アメリカがNATOへの移行を望む中、肝心のNATO内部が合意に至っていない理由がいくつか挙げられています。

 (1)軍事行動に異を唱える反戦陣営(2)NATO主導を嫌うフランス(3)NATOへの指揮権移行を望む親米派--に分裂しているためだ。
 反戦陣営の筆頭はイスラム国のトルコだ。エルドアン首相は「NATOの軍事介入は危険な結果をもたらす」と地域の不安定化を警告しており、欧米の参戦国に対して即時休戦や民間人犠牲の回避を求めているという。
 対リビア空爆で戦端を開いたフランスは「アラブ連盟は作戦がNATOの完全な指揮下に入るのを望んでいない」(ジュペ外相)と指摘、NATOの役割を作戦立案などに限定したい。アフガニスタン戦争でアラブ世界に反感の強いNATOとして行動することへの抵抗と、「アフリカは欧州の担当地域」との対米意識がある。
 これに対して英国は「米軍指揮権のNATO移行」(キャメロン首相)を望む。NATOは90年代前半のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で飛行禁止空域の監視に空軍力を提供したことからリビアでも適任との判断だ。NATOにはユーゴスラビアやアフガンでの実戦経験があり、指揮命令の能力と仕組みを備えている。
 指揮権を巡る混乱は作戦に影響を与えている。F16戦闘機6機を発進させたノルウェーは21日、指揮権問題が解決するまで作戦参加を凍結すると発表した。イタリアもNATOが主導権を握らなければ基地使用許可を取り消す場合もあると警告している。アラブ諸国への配慮からゲーツ米国防長官は「NATO任務とはせずにNATOの指揮命令系統を使う方法」を提案する。

 この記事は23日のもので、この時点ではとても合意できるとは思えないのですが、合意するよりも前に決着がつくのではないかという面も逃せません(ブルームバーグ)。

多国籍軍幹部はカダフィ大佐支配下の空軍基地がすでに機能を失っており、地上軍への攻撃に注力していると語った。AP通信によれば、政府軍の戦車は空爆後にミスラタから退却した。現地の医師の話を引用して報じた。

 この戦争が誰にとって重要であるか、リビアの市民を守る使命感やカッダーフィは世界が認める悪者であるとしても、所詮はこれはリビアの内戦でしかないことです。カッダーフィを擁護するつもりはさらさらありませんが、片方を悪と多数が見なせばその悪を潰すことが正義だという理屈を押し付けているだけに映ります。リビアの平和を願って民主的で平和的な解決を図るのであれば、仲介が最大限の介入かと思います。その結果、どうしても内戦が終わらないのであれば、それは介入が徹底していないからとしか言いようがありません。
 アメリカは、日露戦争(1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)の仲介に入り、ポーツマス条約によって日本とロシアを講和させたという経験の持ち主です。その世話のお陰で停戦できた日本が、リビアの仲介を買って出られると良いのですが、残念ながら目下のところ国内はそれど事ではない状態です。菅さんも出たり引っ込んだりで、てんやわんやしています(参照)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-24

水道水からヨウ素131が検出されたことや今後について

 福島原発の事故後、雨日が諏訪では二日続きました。大した雨量ではなく、途中晴れ間を見ることもある程度の曇り空に小糠雨という程度でした。同時に気になっていたのは、放射能の影響でした。福島や宮城県では事故後、雪がチラつく日もあり、原発関係者は雨による被爆の影響を念頭に、神経を注がれていたのではないかと思っていました。
 昨日、東京都の飲用水にこの影響があったと最初に報じられ、各家庭は、この問題にどう対処したらよいのかという点で、ニュースのニュアンスが微妙に変化し、違和感がありました。その印象や、今後の参考のためにここでまとめておくことにしました。
 雨の影響で飲料水について初めてアナウンスを聞いたのは、昨日14:30頃のNHKニュースでした(参照)。

東京都は、葛飾区にある都の浄水場の水から1リットル当たり210ベクレルの放射性ヨウ素131が検出されたと発表しました。東京都は、乳児が摂取してよい基準の上限となる1リットル当たり100ベクレルを超えているとして、この浄水場の水道水を利用する東京23区と武蔵野市、町田市、多摩市、稲城市、三鷹市で、乳児に限って水道水の摂取を控えるよう呼びかけています。厚生労働省は、「乳児が飲んでも直ちに健康に影響を及ぼす値ではない」としたうえで、念のため、乳児の飲み水や粉ミルクを溶かす水として利用しないよう呼びかけています。

2a_wide

 これは、水道局の報告を受けた都の発表でしたが、東京では雨は21日から降り始め、22日午後の枝野官房長官の記者会見では、厚生労働省が実際に影響する濃度を知らせるという話でした(産経)。

 枝野幸男官房長官は22日午後の記者会見で都水道局の水道水について「数日摂取したとしても、将来にわたり健康への影響が出る可能性はない」と断言。にもかかわらず、実際に影響が出る濃度に関しては「厚生労働省が報告する」と厚労省に説明を委ねた。

 厚生労働省からその後、特に数値に言及する報告はなく、16:40のNHKニュースでは子どもの年齢に言及して次のように報じました(参照)。

東京都葛飾区にある都の浄水場の水道水から、1歳未満の乳児の摂取制限の指標を上回る量の放射性物質が検出されました。 東京都はこの浄水場の水道水を利用する東京23区と多摩地区の5つの市で乳児に限って水道水の摂取を控えるよう呼びかけていますが、長期的に摂取しなければ健康に影響はないとしています。

 そして、21:39、都の判断で、緊急用の水が配布されることになりました(日経)。

 江戸川は利根川から分かれた河川。都水道局浄水課は「久しぶりに雨が降り大気中などの放射性物質が河川に流れ込み、一時的に数値が上昇した可能性がある」と指摘。「雨水が海に流れ出るに伴い、数日の間に数値はいったん落ち着くのではないか」とみている。
 都は23日夜、防災用に備蓄している飲料水550ミリリットル入りのペットボトル24万本を、乳児1人当たり3本、都内の乳児約8万人の家庭に提供すると発表した。ペットボトルは、乳児の水道摂取を避けるよう呼びかけている対象市区の役所へ24日朝から搬送する。

 この間、厚生労働省は飲んではいけない放射線量の公表をすることは無く、19日に「基準値を超える水道水でも、代替となる飲用水がない場合には飲用しても差し支えない」との見解を発表しただけにとどまっているため、都の判断でミネラルウォーターを配布する決定をしたことは、迅速で、市民の不安は一気に解消したのではないかと感じました。内部で何があったのかは計り知れませんが、結果的には都の判断が速かったことが混乱を回避した事になると思います。残る気がかりは、厚労省の曖昧な対応です。
 都は、一歳未満への摂取制限しながら、農水省は、「基準値を超える水道水でも、代替となる飲用水がない場合には飲用しても差し支えない」という矛盾した情報が存在したままになっています。これは、飲料水が配布されれば済む問題ではなく、危機管理の問題としての政府の問題です。枝野さんが、農水省に振って終わりにできない問題です。
 では、何故、一歳未満の乳児に限られているのかという問題ですが、先日のエントリーで引用したとおり、チェルノブイリ原発事故後、牛乳を飲み続けた子どもたちの甲状腺異常が見つかり、ヨウ素131の影響だったことが分かっています(参照)。また、毎日は、次のように報じています(参照)。

原子力安全委員会は、放射性ヨウ素が300ベクレルを超える飲料水は飲用を控えるよう定めている。一方、食品衛生法に基づく暫定規制値は、100ベクレルを超える牛乳などを乳児用の粉ミルクや飲用に使用しないとしている。これを基に国はこれまで、100ベクレル超の水道水を摂取しないよう呼びかけていた。ヨウ素は甲状腺に集まりやすいが、小さい子どもは成長が盛んで甲状腺の発達も進むため、放射性ヨウ素も多く取り込み、影響が大きいと考えられている。

 数値が違うのは何故なんだろうかという疑問もありますが、基準値の低いほうの値(より低いほうが安心なので)を採用している国の見解を採用して私なりに考えてみました。
 金町で検出された210ベクレルは国の基準値100ベクレルの約二倍です。この数字が人体に直接直ぐに影響する値ではないとする根拠は、1ベクレルの放射性ヨウ素を経口摂取した場合の人体への影響は、0・022マイクロシーベルトと言われているので、単純計算すると、210ベクレルは4.62マイクロシーベルトとなります。一般人の1年間の被ばく限度は、自然放射線を除いて1000マイクロシーベルトなので、1000÷4.62=216.5となります。つまり、210ベクレルの216倍までは被爆限度内だという計算になます。
 政府が「代替となる飲用水がなければ引用しても差し支えない」というのは、ちょっと横柄な返答で、私たちは不安に刈られるとコンビニへ走るのです。風評被害を出しているのは私たちですが、この混乱を鎮圧したり、恐れるあまり政府が隠蔽を企てるくらいであれば、ほうれん草や牛乳、これに続く飲料水や他の疑わしい食品全てを廃棄し、安全な食品を国内外から調達して急場を凌ぐ配慮もありではないかと思います。つまり、被災者の衣食住を優先的に安定させるために、税金の使い道の優先順位が変わることを私たちは承服することだと思います。
 昨日、3月30日号Newsweek日本語版(参照)が読みであっていいよと人から聞いて早速、出たついでに買って読んだのですが、今回の被災をものすごく現実的な問題として突きつけられたように感じました。
 神戸淡路の震災と違うのは、今後も津波の恐れのある地域であることと、原発の近隣には住めなくなることです。もちろん、原発で働いていた方たちは失業ですし、近くの農家も、農業の再開は難しい条件になります。埼玉に役所を移し、一部の住民も一時移民したということも現実に起きていますが、帰る場所はあるのか?という事を仮定していませんでした。無いといっても言い過ぎではないと記事で読んだとき、これが最悪のシナリオの後に起こることなのだとはっきり思いました。この場合の最悪のシナリオとは、原発に人が近づけなくなることです。事故後、毎日危険を冒して必死の作業に当たっていられる方々には頭の下がる思いですが、こうして手を打っているのは何をためか、私たちは何を待っているかといえば、被爆被害を一生起こさないためです。それは、この場所に戻れるようにするためではないのです。東電も、廃炉はやむを得ないと考えているようです(朝日)。だったら、これから暮らす場所を早く見つけることではないかと思えてきたのです。こんなこと、被災地の方には気の毒な思いが伴い、言い難いことです。ほんとうに。
 因みに、長野県は新潟と静岡の地震の影響があり、フォッサマグナの地盤の上でもあることから強くお勧めはできないけれども、でも、東北の気候と似ているので馴染みやすいかもしれませんよ。温泉地も多く、農地や農家の空き家も沢山あります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-23

東国原英夫氏の都知事選出馬から思うこと

 二週間程前、突然知人が家に立ち寄り、何事かと思い、上がってもらって三時間ほど雑談するという日がありました。その前に、昨年の暮れに予告もなく現れた時、玄関先の立ち話で帰してしまったのが、ちょっと失礼してしまったという思いもあったのです。それもあって、じっくり話を聞く流れとなったのですが、何のことは無い、彼は4月の市長選に出るというのです。昨年、仄めかしていた時点で、なんとなく選挙のお手伝いでも頼まれるのかという予感はありましたが、友人だからとてそれだけのことで、彼と何かで関わることも無かったし、頼まれることも望み出ることも無く、そういう空気を感じたというだけの話の終わって内心ほっとしています。
 今回うちに立ち寄ったのは、だから、選挙に協力するとかの話しではないのはわかっていましたが、特にこれという話も無くただの雑談。彼の選挙のための協力者という立場ならブログで触れるのはおかしなことになってしまいますが、その関係は無いとなれば、個人的に、選挙に関して悩む話でもしようかなといったところです。

00330001_12

 東国原氏が、都知事選に正式に立候補を表明したという記事が、昨日、Twitterで流れてきて知り、ちょっと意外でした。これがきっかけで諏訪の市長選のことが気になり始めたと言っても良いくらいですが、まったく因果関係はありません。ただ、同年代である東国原氏の政治に対する思いに関心があることと、彼自身のやんちゃ時代をそれなりに見てきて、この人の人生みたいなものをそのまま見続けていいるという位の関心が常にあるのは確かです。コンビニ本として売っていた表紙が目立ったのもあり、買ってみた「日本改革宣言」ですが、読んだ印象では、都知事選ではなく出るとすれば国政だろうと思っていたのです。結構熱いです。因みに、内容はこんな感じ。

  • 国民が夢や希望を持てる国にしたい
  • 日本全体を活性化したい
  • 国民が安心安全に暮らせる国にしたい
  • 国民の生活に対する満足度や幸福度は一位であってほしい
  • 夢を持てる、敗者にやさしい、弱者にあたたかい、
    •  ホスピタリティにあふれている、そんな目に見えないが
    •  大切なソフトの部分での世界一を目指したい。
  • 新しい価値観の提示は永遠のテーマ。
    •  価値の変革、価値観の変革、自己の変革が
    •  今の日本に一番かけていることで
    •  一番必要なことかもしれない。
  • 地方自治と国政のあるべき姿。

 知事時代の経験談など、個人的な取り組みとして書いている部分を除いては、宮崎県知事を狙った時のように「東京をなんとかせんば」というよりも、「日本を何とかせんば」という空気しか本書からは漂っていないのです。この時点で狙っているのは国政だとはっきり思ったので、都知事選は想定外でした。そして、都民でもなので、私に都知事選を語る意味もないのですが、東国原氏と友人の市長立候補者としての共通点というか、これは私が感じていることですが、「タカ派」なところがそっくりなのです。こんな書き方をすのは批判めいてしまうかもしれませんが、そうではなく、はっきりとしないのですが、時代が巡り回っているのかというか、繰り返すような印象があります。
 東国原氏の思い描く日本改革は、同じようなことをかつて打ちたてた民主党が今それをやっていて、で、成れの果てはガラガラと崩れ、朽ち果てようという寸前ではないのか?と現実がどうしても重なってしまうのです。なんと言うか、理想に燃えている青年政治家的な青い感じがするのです。それで、国民の大半が今の政府に政権を任せたのじゃなかったっけ?としらけた思いがあります。私個人は、民主党は、ポピュリスト的なパフォーマンスを求心力として国民の票を集めただけの政党で、財源の確保も無いままにマニフェストもあったものではないと始めから期待もしていませんでした。が、惨憺たるもので、こうも酷い政党だとは思いませんでした。さらに思い起こすと、この「タカ派」的なイメージは、昔の自民党とも似ている部分でもあり、言い換えれば、昔の自民党の劣化版が今の民主党とすると、一世代超えて舞い戻ってきたかなという印象で、まるで石原さんが若返ったみたいな感じ。
 それはさておき、窮地にあった宮崎県を立て直すために一役買った東国原氏は、宮崎県知事としては、求められていた時に救世主的な出現をし、その役目を果たしたと思います。その彼が、理想社会を語り、それで東京に返り咲くというような構図かなと思うと、現実味がない話のように見えてくるのです。東京は、宮崎じゃないというか。それほど何かに困っているでもない、救世主を求めている風でもないように見えます。期待するとすれば、具体的な政策内容かな。
 東京のことはよく分かりませんが、諏訪だったら、現市長が大きな問題を起こしたわけではないし、市民が不平不満をたらたら言う様な悪政でもないし、そこそこの暮らしをしています。平穏といえばそうで、ここに何らかの改革の手を入れるのであれば、それはかなり具体的に市民の意表をつくような、素晴らしい町造りでも見える政策があれば振り向くかもしれません。市民からみると、現市長の難を言えば、箱物が好きというだけで改革派ではないし、突飛な言動も特徴もないのですが、なんとなく人柄的に人気があるみたいで女性票を集めていると聞きます。さらに、現職の諏訪市長も石原都知事と同じく、これが4戦目なのです。歳はまだ若いけど、ちょっと長すぎるかな。でも、なんとなくこれで良いんじゃない、と今までも過ぎてきたような気がするので案外、このまま残るのかも。
 で、初めて悩むというか、知人の枠をはずして一人の立候補者として彼を見たとき、この平穏な田舎町に何を持ち込もうというのか?これは、これから煮詰まって行くのでしょうけど、東国原氏と何かがダブルのです。聞いた彼の話の中に、名古屋の河村市長と懇談し、「減税の町」構想を描いているらしいことがわかった。新聞にも紹介されていたかな。
 税を小さくして行くことはとても大切なことで、民主的に政治が行われるためには税負担のバランスは不可欠です。また、災害復興を考えた時、増税は無理な話で、彼の立候補は良いタイミングとも言えます。が、悩むところです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-22

「暫定基準値」から始まった疑問と混乱

 福島原発事故以来、食品から「食品衛生法上の暫定基準値を超える放射線量が検出された」と知ったのは19日の枝野官房長官の会見でした(朝日)。一瞬ドキッとしたのですが、続けて、人体に影響するほどではないと説明されました。包み隠さず情報を提示すると菅総理が声明を出したとおり、報告を受けたとおりに説明されているのだとは思いました。が、私の今の政府に対する信頼度が低いためか、この会見の内容がかなり気になっていました。
 何が気になっていたか、二つあって、その一つは内部被爆と外部被爆が混同されてはいないのかという疑問でした。これについては、昨日の極東ブログの解説も参考にしながら考えたのですが(参照)、私が混乱した原因は、ベクレルとシーベルトの違いが理解できていなかったからではないかということです。
 実際に福島第1原発の事故後の影響で、茨城県高萩市のほうれん草から検出されたヨウ素は、1キロ当たり1万5020ベクレルで、この数値を被曝(ひばく)量に換算すると0・33ミリシーベルトだと報じられました。一般に人体に影響する線量は一度に100ミリシーベルトを受けたときとされてるため、今回の数値は全く問題ないレベルだという説明から、ここで重要なのは「ベクレル」と「シーベルト(Sv)」という単位の理解です(参照)。

 ベクレルは、放射性物質(放射能)の強さを表す単位で、1秒間に1回崩壊する放射性物質の強さが1ベクレル。ウランの放射性物質を発見した仏物理学者の名前にちなむ。また、放射線を人体が浴びた際の影響を表す単位のシーベルトに換算できる。

 放射能の内部被爆にどうして過敏になるか、ここで連想したのは、チェルノブイリ原発事故後の牛乳を飲み続けた子ども達の甲状腺に異常が出た事です。核分裂によって発生する元素のうち、蒸発しやすいヨウ素131とセシウム137が代表格だと言われていますが、空気中で冷却されると微粒子として風に乗ってあっちこっちへ飛散されるという厄介なものです。しかも、ヨウ素は甲状腺に集まるのです。チェルノブイリから学んだ事が大げさな騒ぎになるのも害ですが、内部被爆を念頭におかずにはいられませんでした。この件に関して、極東ブログで結論付けられているわけではありませんが、さらに情報を得て精度の高い考察を目指されているということがうかがえることから、今後の情報源としてマークした次第です。
 一昨日、3号機の格納容器の圧力上昇したため蒸気を抜くと一旦は報じられ(NHK)、その後、取りやめたと聞き(NHK)、度胆を抜かれる思いでした。そんなことをしたら高濃度のプルトニウムが飛散し、どれだけの物にどれ程の被爆が起きるとも限らないとひやひや物でした。
 Twitterでも、詳しい筋の話だと信じたい情報も流れてきますが、その発言を裏付けるソースが無いと、せっかくの言葉もどこまで受け止めてよいやら困惑気味です。こういった状況の中、上記のほうれん草と牛乳から検出された放射性物質の安全性についてCNNは、ヒューストンのアンダーソン癌センターの博士ジェームスコックス腫瘍教授の話を「Effect of radiation on humans still harbors mysteries」で、次のように報じています。

Dr. James Cox, an oncology professor at the MD Anderson Cancer Center in Houston, said he believes the radiation levels measured in these products pose a "nonexistent" immediate risk to humans, and "very low" long-term risk.
Still, he concedes that "radiation doses ingested through food is really very poorly understood."
彼は、これらの製品の中に測定された放射能濃度は、人体への即座の危険性は「実在しない」、また、長期には「非常に低い」危険を引き起こすとかんがえています。それでも、「食品から摂取した放射能に関しては、解明されていない」ことを認めています。

It collects in the human thyroid gland because the thyroid readily absorbs iodine and assumes the iodine-131 strain is like any other form, said Cox, an expert on the effects of radiation on the survivors of Nagasaki and Hiroshima.
甲状腺は容易にヨウ素を吸収するので、ヨウ素-131が違ったの構造を持つ元素であれヨウ素-131同位体も似ていると仮定され、これについてコックス氏は、長崎と広島の被爆者への放射能の影響に関係していると述べた。

 日本で報じている安全性もグローバルな基準に則しているとは思いますが、「安全」とは言いきれない、未知の部分が残されているのも事実です。ここは、是非とも抑えておくべき部分です。
 私のもう一つの疑問は、「暫定基準」についてです。
 今回話題のほうれん草や牛乳は、即座に人体に影響するものではないことと、これをかなり長く飲食したとしても、それも安心圏内だということは理解できました。が、であれば、「暫定基準」とはいったい何?これは、冒頭の「一瞬ドキッとした」時の疑問で、危機感を抱いた元です。
 調べると、以下のように設置されたそうです(参照)。

暫定基準値
福島第1原発の事故を受け、放射性物質を含む食品が見つかった場合に備え、厚生労働省が設定、17日に都道府県などに通知した。基準値を超えた食品を長年、食べ続けると、健康被害が出る可能性がある。食品衛生法に基づき、基準値を超える食品は販売できなくなる。国内産の食品を対象とする放射能濃度の基準値を設定したのは初めて。(共同通信)

 また、厚生労働省が17日、設置したという公式文書もありました(参照)。これは、急遽作成されたようですが、だから「暫定」としても、その「基準」はどうなんでしょう。基準値を超える食品を「食品安全委員会」の網に引っ掛け、検査機関にまわすという手順なのか、検査機関が同一の組織内なのか分かりませんが、これは、報道を聞いた時点で混乱が起きた原因でもあります。
 「暫定基準値を上回った」と報じた時点でびっくりこりゃマズイと感じたのは私だけだとしても、これは、何の基準値でしょうか。人体に対する安全の基準値では無いことは分かります。理由は、この後「直ぐに人体に影響は無い」として、データーが公表されているからです。検査機関が二段構えであることは後から納得した次第で、最初は、後者の「人体に直ぐには影響は無い」という結論を丸飲みできませんでした。基準値に引っ掛かったものは安全ではない、と最初に了解してしまっているからです。
 このことが大元の理由で「安全」という言葉を疑い、政府を疑い、調べるに至ったとも言えます。結果的にはおっけですが、このような困惑に陥ってみて、もう少し情報を整備してもらいたいと切望します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-21

アメリカの軍事介入について雑感

 昨日リビアの内戦に多国籍軍(米英仏)が軍事的な介入を始め、実質戦争が始まりました。話の展開は非常に速かったです。オバマ氏の開戦の声明をNHKニュースで聞きながら、戦争を始める時は理路整然としたことを言うものだなと、気持ち悪くなった。正義を振りかざして公然と人殺しを始めるという宣言など聞きたくもなかった。世界から暗黙の了解を得るだけでしょ。そんな声明は、聞いていて気持ちが悪くなった。ノーベル平和賞受賞者であるオバマ氏だけに、戦争は平和のための必要悪だと、そう言わざるを得ないだろうな。作戦名は「オデッセイの夜明け(Odyssey Dawn)」と命名されたらしい。なるべくしてなったとはいえ、多国籍軍は、反政府側を後押ししながらカッダーフィー軍を制覇するまでこの戦争は続くのだろうと思うと、イラク戦争となんら変わりない戦争をおっぱじめただけの話しです。ただし、イラク戦争のように表に出ている感じではなく、むしろ西側諸国としてのフランスが先頭を切っているようでもあります。メディアの報じ方もフランス勢を強調しているようではあります

cover
イスラムの怒り
内藤正典

イラク戦争は継続中ですが、この戦争が続く理由は、ムスリムの怒りを静めることができないからで、アメリカが弱いものいじめをやめないからに尽きると思います。イスラム教徒が命を張っても守ろうとするのは、弱者だからです。オバマ氏は、この戦争を終わらせると公約していますが、アメリカが手を引けば戦争が終わるということにはならないと思います。
 この戦争について書きたかったわけではないのですが、この戦争と並べて考えざるを得ないのがペルシャ湾に浮かぶ淡路島くらいの小島バーレーン(人口79万人)に起こっている争乱です。そして、並べる理由にアメリカの気持ち悪い介入を考えざるをえないからです。
 この争乱の背景は「バーレーン情勢-争乱の背景について」(参照)で既に触れましたが、今、何が気になるかと言えば、反政府側がイスラム教シーア派で、同じシーア派が政権を握っているイランを刺激することが、バーレーンと同様の王制であるサウジアラビアとの対立関係に結びつく可能性です。この可能性は高いと思っていて、その理由は、チュニジアの反政府運動の影響がバーレーンに波及した直後、サウジアラビアはリファラ王家を支持する考えを表明しました。この素早い反応は、自国の反政府運動へのけん制も意味していたのかもしれませんが、王制を敷いているサウジアラビアが圧政を自覚しているため、ビビッタのだろうかと憶測したほどです。
 サウジのことはちょっと置いといて、バーレーンとリビアを並べて、両国の争乱の中身は違うとしても、名目上、平和を言いながら軍事的に介入する関係国が怪しいのです。これについては、私には整理できていません。昨日始まったリビアの戦争において、米英仏は、反政府側についています。バーレーンでは逆に、サウジアラビアを中心に湾岸諸国が政権側支持の立場で軍事介入しています。この介入は、実質戦争になったと言えるのか、その辺は良く分かりませんが、朝日では次のように報じています(朝日2011.03.18)。

 王政の強硬姿勢を支えるのは、サウジアラビアやアラブ首長国連邦の兵らだ。計約1500人が戦車や装甲車に乗り、主要道路の交通を制限している。湾岸諸国はスンニ派君主が支配しており、バーレーン情勢の飛び火を恐れて軍事介入に至ったのだ。
 デモ隊の民主化要求は、少数派のスンニ派王政の廃止を導きかねない。ハマド国王は一時はデモを静観したが、15日に緊急事態令を宣言。武力で抑え込む方針に転じた。

 そして嫌なことに、バーレーンを応援するサウジアラビア政府に対して講義デモが始まったことです(3月17日 毎日

 デモはサウジ東部カティフなどで行われ、数百人が参加。サウジ軍を中心とする湾岸協力会議(GCC)合同軍のバーレーン派遣に反対するとともに、同国シーア派住民への連帯や、サウジでの政治犯の釈放などを訴えた。大規模な治安部隊が出動して解散を迫ったが、衝突には至らなかったという。
 スンニ派主導のサウジは、バーレーンのシーア派反体制デモが自国に及ぶことを懸念。同じスンニ派のバーレーン国王の要請を受けて派兵した。

 情報が前後してしまうのですが、それは、サウジ政府が先手を打っているためか、デモの理由が後ではっきりすると言う印象です。そして、リビア情勢沈静化に立ち上がったアメリカではありますが、バーレーンには、中東一帯の海域を管轄する米海軍第5艦隊司令部があり、アメリカの中東戦略においては要になっています。つまり、バーレーン争乱にサウジアラビアが首を突っ込めば突っ込むほど自国の反政府運動を刺激し、その影響は中東情勢・原油供給に及び、全世界に波及するのは避けられないのではないかと思えてくるのです。すると、アメリカが黙っていられなくなるという構図が浮かびます。私の目にはアメリカは、リビアでは反政府側につき、バーレーンでは圧政に加担すると映るのです。相手国は違うし、バーレーンは宗教、リビアは名目上平和への軍事介入ではあります。が、これは、アメリカのダブルスタンダードじゃないのか?そうか、どうか、ここが私にはすっきりと見えない部分です。ここがダブスタだとはっきり見えても、それだけの話で、アメリカの行いが変わることにはつながらないでしょうし、変な正義感なのかもしれません。でも、この妄想上のアメリカを肯定的に見ることができないのです。
 さて、バーレーンの王制についてですが、実際は、2001年に国民投票によって首長独裁体制から立憲君主制に移行しています。この立憲君主制が正常に機能していれば痛くも痒くもない筈ですが、この数年、バーレーン政府は「スンニ派化」政策を進めていると言われています。サウジアラビアやヨルダン、シリア、パキスタンなどのスンニ派諸国から多くの労働者を呼び込み、市民権を与えてスンニ派の人口比を高めようとしているというのです。これができるのも信仰心の強さで、日本では想像もつかないことです。これによってシーア派住民を抑圧してきたため、支配層は、逆にシーア派への警戒感を強める結果となり、軍や警察はスンニ派が占めているようです。また、外国から来たスンニ派には市民権を与え、軍や警察などの公務員としての職や、家などの特典を与えているため、シーア派の反感を買う原因になっているようです。このような背景から、バーレーンの王制には既に無理があり、限界ではないかという気がします。
 広義に王制は、王家に対して国民の敬愛なくしては成り立たないと思います。それが失われつつあることを承知だからこそ、スンニ派新市民獲得に不公平を生み、シーア派の反発にあっているのが現実だと思います。逆に言えば、徹底的な強権支配しか残る道はないかと思います。これに同調するサウジのスンニ派と、反政府に同調するイランのシーア派が絡んでくれば宗教戦争となり、アメリカが何らかの介入をせざるを得なくなります。では、どちらにアメリカ軍は加勢するのか、当然石油利権を思えばスンニ派である政府でしょう。すると、サウジアラビアとの外交上にも矛盾を生じることはありません。
 つまり、民主的で平和な社会を目指すアメリカが、王制の強権圧政政府を応援するつことになります(現実にはそうしてきている)。この展開になると、結果、オバマ氏の平和外交はまた失敗じゃん。すると、外交で成功するのは、日本や韓国のような同盟国とだけかもしれません。アメリカの世界平和構想と利権が合致しない国との外交で見え隠れするのは、アメリカの偽善と、背景の営利主義ということなのか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011-03-20

福島原発4号機対応と菅政府についての雑感

 昨日まで福島原発事故に関する記事をTwitterでフォローしながら、情報が錯綜しているのか、私自身が状況整理ができていないのか、やや混沌とした状態です。拾えばキリなく出てくる情報の、何を拾うのかが大変問われます。合わせどころは、安全と安心の確保以外の何ものでもありませんが、情報収集の難しさを痛感しています。少し整理しておくことにします。
 政府の判断で作業が進めらる中、私たちはそれを任せて見ている他ないのですが、居ても立ってもいられないというか、気がかりな点はこのところの政府の判断です。大きくは、①変化する原発の状況を正確に把握しているのか、②最悪のシナリオを想定した上での的確な対処が行われているのか、のニ点に絞られます。4号機に対するアメリカと日本の見解の相違があるのを知った時点から、この①と②に照らして政府の動向を気にかけて記事を拾い始めたのですが、そのきっかけとなったのは、日本政府が半径30km半径以内から避難するか、またはそれが困難な状況にある人は屋内待機という避難命令が出たとほぼ同時に、アメリカ政府が在日アメリカ人に出した避難命令が80km半径以内と、見解の違う避難勧告が出された時からでした。これは大きな差であるし、同時に、横須賀や東京で微量ながら放射能が検出されたことも相俟って、確実な判断を出して欲しいと政府に拝むような思いでした。
 実はこの時、測定されていた放射能数値は人体に直接影響の無い数値だと報じたため、80km半径というアメリカの見解はいかにも大げさと高を括ったのです。そして、それを裏付けるように、政府は、「1号機、4号機共に水はある。安定している。」(参照)と発表し、3号機の上空からヘリコプターで散水する事を決定しました。このような作業が可能なのも、1号炉と4号炉が安全圏内であるという判断に至るまでの東電の調査と政府の判断を信じたからでした。
 これ以降、政府はヘリコプターから数回水を上空から垂らし、アメリカの避難命令が変更されるでもなく、並行して、地上から放水作業も行われました。翌日の18日、その効果の程はどうだったか、ニュースを聞くと水温が何度か下がったもようでしたが、それが散水や放水の効果かどうかは定かではないと。そして疑問に思ったのは、危険に晒されながら放水が続けられている点です。効果の程が見込めないような作業を続ける理由です。
 クリスチャンサイエンスモニターが報じていることによると、外部から冷却する意味は無いに等しい。内部の水に直接的に働きかけることで冷却しないと意味が無い、というような見解もあります(参照)。そして、この辺りから私の政府への信頼度が猜疑心のようなものに変化しました。データー的に3号機のプールの温度を下げる効果に大きな期待は持てないにもかかわらず、危険を冒してこの作業を続ける根拠は何なのか。江戸時代のような「男の沽券」など、持ち出さないで欲しいとも思いました。
 実は、私はTwitter上で17日、finalvent氏にニュースのピックアップをお願いしています。これは、私がどれ程臆病かという問題で、信頼のおける人の拾うニュースをフォローしながら私自身の安心どころを見つけるためです。誰かのためになどという美しいものではないです。この日以降三日間、特に海外からのニュースがありがたかったです。
 冒頭の4号機の水の有無に関して、日本政府とアメリカの見解の相違という点が見え始めるきっかけになったのは、ニューヨークタイムズ紙の次の部分です(参照)。

But, in public at least, they offered no sharp rebuttals of the comments made by Gregory Jaczko, the chairman of the United States Nuclear Regulatory Commission , that there was little or no water left in a pool holding hundreds of spent fuel rods at Fukushima Daichi's No. 4 reactor.
“There was a slight delay conveying to the US side the information about whether or not there is water,” the government spokesman, Yukio Edano, said about the No. 4 reactor.Mr. Edano was responding to a question asked by a Japanese journalist at a morning news conference — the single one that dealt with Mr. Jaczko's comments.

0318aworsejapanearthquakenuclearwat

 ヤツコ氏のグループが指摘しているのは4号炉には「水はない」であるのに対し、枝野氏の会見では「水があるかないかの情報をアメリカ側に伝達するのがやや遅れた」としながら、ヤツコ氏の見解を否定するでもなく肯定もしない、日本からの情報が遅れたためと言い留めています。この枝野発言を裏付けるソースがないのですが、17日の日本の作業を振り返ると、3号炉にヘリコプターから散水を始めたため、ヤツコ氏が「水はない」と指摘している4号炉には水が入っているという判断が政府にあったことを意味していると思います。 また、この見解の相違がアメリカの80kmと、日本の30km半径の避難範囲のちがいとして現れたと言う点は、今だから納得できますが、この情報を得た時点での私は少し混乱気味でした。極東ブログでもこの辺りのやり取りを別のソースの引用で説明されています(参照)。
 ここまできて、4号炉の冷却が最も急がれているではないか。ここで散水したらよいのは4号炉だったのか、とか間違っても思ってはいけない。そんなことをしたら焼け石に水というものだと言うことらしい。極東ブログの引用を借ります。

"It's a bad idea to drop water onto the fuel racks. You could get an inadvertent criticality. That means you could have a nuclear reaction, similar to that in a reactor core, in the fuel pool," Gundersen said.
 「燃料棚に水を投下するのはまずい考えです。予想外の臨界になるかもしれない。つまり、核反応を起こしかねないのですよ。燃料プールのなかで原子炉内に似たことになります」とガンダーソンは語った。

 リンク先を読むと、この手の原子炉で働いた経験者の話だそうですが、この記事は17日で、その時日本政府は4号炉には冷却水があると判断しため、難を逃れたとも解釈できます。その後、4号炉のプールの冷却水が少ない、ないしは「無い」と、未だ判断されている訳でもないのがどこまでも不安の材料です。そして、この4号機の水の有無が未確認のまま、放水を計画中だとしています(読売)。これは、上の「予想外の臨海」につながる可能性を意味します。
 私なりに一市民として身の安全を思う時、4号炉についてのみではありますが、①の正確な状況の把握と②の的確な対処に政府を当てはめると、①は、意見の違うアメリカを否定したままであることと、②は、①の状況下で4号炉に水をかける方法は的確な対処になりえず、非常に危険な判断だと思います。はっきり言って、こんな政府はキチガイじゃないかと思います。それでも、菅政府を応援するしかないのです。作業に当たられている方に、くれぐれも気をつけてください。お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-19

「シャローム」

 「平安あれ。シャローム。」と、昨日、こう書かれていたのがとても不思議でした。「シャーローム」の意味は確か、「さようなら」ではなかったのかな。「平安あれ。さようなら」って言うはずなし。だから、人に平安を願って、引き続き「さようなら」って変でしょう?
 そう連想したのは、「シャロームの歌」という歌を思い出したからでした。もの悲しい静かなこの曲の響きは、別れの歌ではなかったかな。私の大好きなダークダックスが歌っていたのを思い出して探すと、すぐさまYouyubeで出てきた。やったー。何度か繰り返し聴きながら、昭和の懐かしい光景を浮かべていました。調べているうちにトップ・テナーでいつも左端が立ち位置のパクさんこと高見澤宏氏は、2011年1月、心不全で亡くなっていることがわかりました。残念です。
 昔の光景は、母が割烹着を着ていて、チャンネルを変えようとする私に「ダークダックスは好きだから回さないで。」と言う母の髪は黒々として、まだ若々しい張りのある声でした。そして、一緒に歌いながら気持ちよさそうにしている光景です。あれは、NHKの歌の番組だったような記憶があります。
 その頃のテレビには足が4本ついていて、チャンネルはつまみ式のダイヤルでした。だから、チャンネルは「回す」のです。そう言えば、意味も知らずに「チャンネル」って普通に使っていたな、子どもの頃。テレビから聞こえる音には響きも臨場感もないと思ったのは、ステレオのスピーカーで、EP版のレコードで聴いた時でした。
 EP版というのは一分間に45回転するレコード盤のことで、LP版の33回転と並行して、ダイヤルで切り替えてプレイヤーに乗せて音楽を聴いていました。EP版は、版が小さく、両面で2曲収録されていました。ダイヤモンドのレコード針が溝の上をなぞって音を出すレコードには、痛く感動したものでした。溝が磨り減らないようとても用心して息を凝らし、そっと針を下ろすとちりちりという音が始まります。曲がいつ始まるかと長く待つ時は、針の乗せどころの具合の悪さを我ながら反省したものです。
 さて、この曲から連想する昔の光景は沢山あるのですが、肝心のこの曲についてはよく知りません。ネットでは、曲が古いせいか、昔の人がネットに関わらないからこの曲について触れられないのか、あまり情報がありません。では、「シャローム」の語源はどうか。
 ヘブライ語で「平和」を意味するとあります(参照)。それだと冒頭の「平安あれ。シャローム。」が「平安あれ。平和。」になってしまうじゃない。これはどう考えてもおかしい。さらに調べると、「牧師の書斎」というサイトの「ヘブル語の意味する「平和」(シャローム)」に、この言葉の説明がありました。

◆シャロームשָׁלוֹם(正確に発音すれば、シャーローム)は、現代のイスラエルにおいては日常の挨拶―「こんにちは」、「さようなら」―用語です。ちなみに、ギリシャ語の挨拶はエイレーネーです。ヨハネの福音書の20:19, 21, 26に使われています。「平安があなたがたにあるように」(エイレーネー・ヒュミーン)。これも「こんにちは」とか「こんばんは」という挨拶です。
◆しかし、ヘブル語のシャロームの本来の意味は、単に、争いのない、平和な状態を表わすだけでなく、力と生命に溢れた動的な状態をいいます。シャロームが意味するものは、以下にあげるようにきわめて豊かです。

(1)         平和 (対国、対神、対人) ・・・和平、和解
(2)         平安 (個人的)・・・平穏、無事、安心、安全
(3)         繁栄 (商業的)
(4)         健康 (肉体的、精神的) ・・・健全、成熟
(5)         充足 (生命的) ・・・満足、生きる意欲
(6)         知恵 (学問的) ・・・悟り、霊的開眼
(7)         救い (宗教的) ・・・暗闇から愛の支配へ
(8)         勝利 (究極的) ・・・罪と世に対する勝利

◆日本では別れるときの挨拶として、「それでは失礼いたします」と言いますが、イスラエルにおいては「シャローム」(豊かで溢れるほどの祝福があるように)と言うのです。私たちもそんな意味を込めた挨拶をしたいものです。シャローム!!

 ここまで調べてみて、冒頭の言葉「平安あれ。シャローム」は、「平安あれ。そして、豊かで溢れんばかりの幸せが訪れますように」というメッセージだったのでしょうか。そうか、このメッセージは、広く大きな意味で言われていたのかもしれない、そう思えたのです。
 私も、被災された方にそう願わずにはいられません。地震と津波後、一週間が過ぎましたが、寒さを凌いでなんとか元気で乗り越えられますように。

                                 荻谷 納 作詞  イスラエル民謡

1.シャロム チャペリン シャロム チャペリン シャローム
    シャローム
     レヒットラオ レヒットラオ  シャローム シャローム

2.どこかでまたいつか 会えるさ
    また会おう また会おう どこかで

3.きれいな想い出 抱きしめ
    また会おう また会おう この山で

4.緑の星ふたつ 寄り添う
    離れても 離れても 寄り添う

5.どこかでまたいつか 会えるさ
    泣かないで 泣かないで さようなら

6.また会うその日まで さようなら
    また会う その日まで さようなら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-18

鯖(さば)の水煮缶のパスタ-緊急時にいかがでしょう

P3180002

 料理のレシピは久しぶりで、なんだか気恥ずかしい感じがします。
 東北関東大地震で被災されてる方が充分に食事ができていないということをニュースで聞いていましたが、今朝は仙台港に第一便として支援物資を満載した船がついたと聞き、徐々に品物が手元に届くのではないかと思うと少し嬉しく思いました。そして、今日は、このような緊急時の食事作りにどうかなと、先日からいろいろ試作しているレシピを紹介することにしました。今日のレシピは、「鯖の水煮缶のパスタ」です。

P3180001

 貴重な水を無駄にしないように少々荒っぽい手法で味付けもシンプルですが、缶詰をメインに、あり合せの野菜やキノコがあれば美味しいパスタになります。牛乳があれば栄養的には最強だと、自ら太鼓判を押します。お試しあれ。

材料(2~3人分)

  • パスタ・・250g(6分茹で)
  • 鯖の水煮缶・・1缶(250g)
  • シメジ・・1/2株
  • ブロッコリー・・適宜
  • 牛乳・・200cc
  • 固形ブイヨン・・1個(マギー製)
  • あれば水溶き片栗粉・・小さじ2(同量の水)
  • 塩・胡椒・・適宜
  • 水・・500cc
  • パスタを横に並べられる鍋

作り方

  1. 鍋にパスタと水を入れて火にかけ、沸騰したら火を止め、好みの硬さになるまで放置する(全部で約5分)。
  2. その間にフライパンに牛乳を張り、シメジと細かくしたブロッコリー、ブイヨンを加えて蓋をして加熱する。
  3. ブロッコリーの色が変わって火が通ったら様の水煮缶を全て加え、実を適当にほぐす。
  4. 全体が馴染んだら水溶き片栗粉でとろみをつけ、塩と胡椒で味付けする。
  5. 1のパスタを皿に盛り付け、4の鯖ソースをたっぷりかけて出来上がり♪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

後藤政志氏(福島原子炉格納容器同型設計者)の13日会見と17日東洋経済紙のコメント

 福島原発事故後の冷却作業の効果が上がっていない模様で、昨日も、ヘリコプターで散水するシーンをテレビの映像で見ました。素人目には、あれでどれ程の効果があるのかと、ちょっと疑問に思っていました。民放でこの作業を放送している間、元東芝社員で福島原発原子炉格納容器と同型の設計責任者である後藤政志氏が、画像を見ながら強度に関する解説をしていました。私は、運よくこの番組を見たものだと、食い入るように見入りました。印象として、設計者という立場を超えて現在の冷却作業が適切であるか、また、その効果はどの程度かといった分析は、専門外のためコメントできないと言われたのを聞いて、信頼の置ける方であると思いました。
 連日、冷却作業が続行されている間にも、使用済み燃料のプールの強度や、炉心が溶融して原子炉の底に溶融物が落ちればさらに冷却ができなくなり、原子炉圧力容器の底が抜けるなどの事態が起こると懸念されています。これらの点について、素人ながら聞きかじっては何を意味しているのか、ネットで調べたり、ニュース情報をつなぎ合わせたりしていますが、イマイチ一貫した筋が見えてきません。そこで見つけたのが、昼間のテレビの後藤氏が事故後に行った13日の会見です。
 二時間にわたる会見で、テレビ放送はしなかったようです。見つけたサイトでは、録音テープから氏の発言部分だけを起こしたもので、さらに私は、設計者という観点から、炉の構造や耐震強度などを分かりやすく説明されている部分だけを引用させてもらいます(参照)。
 また、この会見は、事故後の13日ですが、昨夜、フォローしている人のTweetにも東洋経済オンライン新聞「福島原発事故、ヘリ、放水車は冷却に無力、最悪な事態に備えた対応を」(参照)がピックアップされていて、後藤氏のコメントが記事に引用されているのを知りました。この記事は、福島原発の17日の状況に基づいた解説だと思われます。
 事故後の13日の会見では、柏崎刈羽原発の話から始まって、原子炉の構造についての話から始まっていますが、ここでは、事故後の原発に何が起き、どのような対応が急がれているのかと言う話しをピックアップしました。その後、変化する状況に対して私たちは今、何を見据えたらよいのか、それを手探りするのに、17日の東洋経済の記事で扱っている後藤氏のコメントにはいろいろなヒントがあると感じ、一部を引用します。

後藤政志氏  福島原子炉格納容器同型設計者会見内容
演題: Ban(伴英幸氏), Kamisawa & Goto(後藤政志), The Earthquake and Nuclear Disaster In Tohoku 「地震と東北に於ける核災害について」
日時:2011年3月13日 19:30 - 21:30
場所:外国特派員協会(東京)
主催者:原子力資料情報室(CNIC)-Citizen’s Nuclear Information Center
主とした発言者: 後藤政志(元東芝エンジニア。専門は原子炉格納容器の強度、解析の研究。今回問題を起こしている福島原子力発電所の原子炉格納容器と同型の設計の責任者。)

テーマ:原子炉格納容器の構造とその耐性、及び非常事態における炉心融解の危機について

(前略)
私が研究して来た結果、を申し上げます。
格納容器の強度は大体設計の2倍くらいまでは、たぶん保つであろう。
ただし厳密には2倍、から上手くいくと5倍くらい保つかもしれません。
それは(圧力に耐えられる数値にばらつきがあるのは)何故かといいますと、プラントの形質、とか一部弱い所があったりしますので、プラント一号機か二号機か、それぞれ違いますから、同じ値とは限らない訳ですね、2倍から5倍の間くらいかと思います。
実はこの事故の状態では、ですね、もう格納容器は設計の状態を超えているんです。
冷却機能も、完全ではないわけです。
従いまして、格納容器がこのままいって爆発する、ことを恐れていました。
それで、先ほど申し上げたように、格納容器からヴェントしたわけです。
これは格納容器、という目的ですね、放射能を閉じ込めるという目的に反しております。
しかしながらやむを得ずヴェントした(それ以外選択肢がなかった)、とそういうことであります。
そういう不安定な状態の中で、冷却を維持するために、冷やしているんですが、水が足りない訳です。
通常プラントの中は、非常にきれいな純粋、真水で動かしています。しかしながら水がないので、事故の対策としてやむを得ず、海水をそのまま原子炉、に入れることを決断しました。
海水を入れるということは、プラントとしてはもう使えないということを覚悟してやったことだと考えます。
同時に、それだけではまだ、確実ではない。何故かと言いますと、まだ、冷却がずーっと上手く行くかどうか、現在、余震も続いていますから。
従いまして、この格納容器の機能を、維持する事が絶対、必要です。
しかしながら、格納容器の、万一ですね、さらに炉心溶融が進んだ場合、格納容器はほぼ、間違いなく壊れるだろうと思います。
なぜならば、先ほど申し上げましたように圧力が、1.5倍とか2倍になって、温度も上がっている状態、もちろんその後少し下がっているんですけれども、また炉心が溶けて来ると、そういう状態になります。
そのために、格納容器の中も、海水で満たす、ことを現在始めています。
(通訳の方の確認を受けて)一つは原子炉圧力容器の中、二つ目は原子炉格納容器の中を海水で満たすことをしています。サプレッションプールだけではなくて、全部この水を上まで(原子炉格納容器全体に)入れちゃうんです。
非常事態としてそういう対策をやりつつある、とそういうことです。
今、満水しているのは、原子炉の中は一号機は既に、海水を入れて、格納容器の中も今入れている途中です。
実は他のプラントも次々とそのようになる可能性があります。
従いまして、現在ですね、非常に危機的ですぐ、そのまま格納容器が壊れるという状態ではありませんが、非常に、もし、炉心、のここで冷却に失敗する、今冷やしているところが止まってしまうとか、ありますと、最悪のシナリオにいく可能性があります。
一つ、追加しますと、ここには絵がありませんけど、格納容器の外側に、原子炉建屋という、リアクタービルディングがあります。
昨日、このリアクタービルディングの上部で水素爆発が起こりました。
その爆発によりまして、建物の上部は吹き飛んでおります。
非常に心配されました格納容器、原子炉、は何とか、その爆発、に耐えられたようです。
原子炉において、心配なことは、冷却、出来なくなることですね、それが一つですね。
それと、爆発です。水素が出ますので、燃料が溶けると水素が出ます。その水素が爆発する。
格納容器の中は、窒素を封入しています。
窒素を封入してありますから、格納容器の中で水素ガスが出ても、簡単には火はつきません。
しかしながら、今回は、格納容器をヴェントしています(格納容器の中のガスが、今回の非常措置により、外に排出されている状態になっている)。
従いまして、窒素ガスのいくらか、かなりの部分かもしれません、外に出ている可能性があります。
実際の、発表によりますと、格納容器の中には窒素があるから大丈夫だという説明になっています。
が、それは、間違いです。今出ちゃっているから、危ないんです(窒素がないから、窒素で封入されていないから、水素が出ますよね。水素ガスが出て、中の窒素が外に出されちゃうとですね、窒素封入になってませんから、それに酸素が加わると、燃えるんですね)。
ですから、通常の状態ではない、ということです。
ただこのまま、冷却に上手く行く、同時に格納容器が壊れない、そういう状態になれば、事故は収束できると思います。
ただ繰り返しますが、決して安定した状態ではない。
ですから、プラントの周辺の人が退避しているわけです。
以上、概要を申し上げましたけれども、現在まだ進行形であります。
私は、原子力に携わったエンジニアとしての立場から、非常に、今回、事故に関わられて、けがをされた方、あるいは被害を受けられた方に対して非常に、哀悼の意を表したいと思います。
私自身、設計に携わった立場といたしまして、こういう不幸になったことは、非常に無念であります。
ただ特にですね、現在、いろいろ報道で見てますと、本当の実態、ですね、何が起こっているか、の説明が足りない、と私は思います。
正確にその状態を、みんなに知らせて、それによって対策と同時に被害を最小限にする手だてを講ずるべきだろう、と考えます。
現在の状態を維持するためにも、たぶんプラントの運転に関わる人、メンテナンスの人、あらゆる方が努力されているという風に、その方々に非常に、の想い、苦労を思いますと、非常に胸が、苦しい思いであります。
以上、どうもありがとうございます。

***

「福島原発事故、ヘリ、放水車は冷却に無力、最悪な事態に備えた対応を」(参照

最悪の事態を想定した対処は行われているのか
元東芝社員で原子炉格納容器設計者である後藤政志氏は、「断言はできないが、格納容器は破損していると思う」という。設計段階ではあらゆる危険性を考えたうえで設計するが、「(地震に津波が重なったために)多重故障が発生したため、安全システムがすべて作動しないという最も恐れていることが起きた」と説明する。
では、十分に原子炉を冷却できないと、どのような事態が待っているか。最悪は、放射性物質の大量放出を止められないということだ。
後藤氏は、今後予想される危機を以下のように説明する。まず、原子炉の冷却ができないと炉心が溶融して原子炉の底に溶融物が落ちる。さらに冷却ができないと、原子炉圧力容器の底が抜ける。底まで落ちた溶融物はコンクリートと反応し、大量の水素ガスなどを出す。そして、この段階で格納容器が破損するので、外部に大量の放射性物質が放出される。
溶融物が発生した段階で冷却のために水を投入することも難しい。というのも、溶融物に水を注ぐと一気に水蒸気爆発が起きるためだ。水蒸気爆発は、火山から流れ出たマグマが海面などと触れあうとすさまじい蒸気を発生させることを思い浮かべるといい。原子炉の場合、燃料被覆管に使われているジルカロイ合金が摂氏1400度で溶融を始め、その溶融体が冷却水に落ちると水蒸気爆発が起こりうる。

後藤氏はさらに先の危機シナリオを提示する参照)。

冷却がうまくいかないと、事故の内容が進むにつれて水素爆発や水蒸気爆発、あるいは再臨界が起こりうると、後藤氏は警告する。再臨界とは、落ちた溶融物のなかには核分裂を進めうる燃料が残っており、それが勝手に臨界を始めるというもの。原子炉へのホウ酸の撒布が検討されているのも、この再臨界を防ぐためだ。
水素、水蒸気爆発など大規模な爆発現象が発生すれば、放射性物質が大量に飛び出し、チェルノブイリ原発事故と同じような事態を招く可能性がある。爆発を起こさなくても、徐々に放射性物質が外部に出続ける可能性があると、後藤氏は言う。いずれにしろ、深刻な事態が継続することは間違いない。
いたずらに危険を煽るのではなく、現状を把握して最悪の事態を想定したうえで対処すべきなのだが、それが行われているかはとても心許ない。それが余計に不安を煽る。(福田恵介 =東洋経済オンライン)

 政府の行っている現在の作業が効果的であるのかどうか、先のヘリコプターによる水の散布なども、その効果のほどはどうなのかと気がかりは沢山あります。ありとあらゆる可能性をやられているのだと、ここは政府を信じるしかないと思います。欧米からは批判的なコメントも出されていて、それを取り上げて日本のメディアが報じてるのを目にすると、政府が気の毒にも思えてきます。「いたずらに危険を煽っている」とは思いませんが、今回の事故は、人類が未経験の事故で、施す対応策が全て効果的に働くという期待も持てないのだということは、少しわかってきました。
 この先、分からないままでいるよりは、原子炉に対して少しでも理解を深め、今何が行われているのか、その効果はどうなのか、最終的には私たちの生活はどうなるのかまでを見据えて見守りたいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-17

大前研一氏曰く「電気の節約」

 都内に住む娘から、米やトイレットペーパーがスーパーの棚になくなって、食糧危機だと連絡が入りました。缶詰やインスタントラーメン、レトルト食品ははとっくの昔に姿を消し、食べ物が手に入らなくなったという知らせを受けました。これは何が起きているのか、という話は先日もここで話したとおりで、買占めによる理由が一番だと思います(参照)。オイルショック時の買占め難民を経験している私は、これも一時的なことであるという判断で、妙に落ち着いていられるのですが、とりあえず食べ物が手に入らないとあっては何らかの対処をしければなりません。とりあえず、近くの人に聞いて、どのスーパーに品物が残っているか情報を得てから買い物に出ました。店内は、惨憺たるものでした。生鮮食品では、魚も肉もまだ品物はありますが、売り場は縮小されていました。目に付いたのは、冷凍の魚や、切り出して味付け加工した肉や魚が多かったです。それでも娘に送ればこれはよいかなと思われる食材が見つかるだけましで、人は売り物に群がるでもなく、落ち着いている様子でした。トイレットペーパーは、制限はあるけどまだ山のように積んであったし、都内ではパンが買えないと聞いていましたが、沢山売っていました。ガソリンも、制約はあるにせよ、関西系のスタンドは在庫を持っています。
 何とか娘に送る荷物は整ったものの、やり終えてから何とも遣る瀬無い思いが残りました。この状態がいつまで続くのかという、どちらかと言うと愕然とする思いや絶望感が残るのです。食品不足、電気の節約、ガソリンの制限販売、通麻痺など・・・、この状態がいつまで続くのか、誰もそれを言える人はいないのではないかと思うのです。
 原発に関して、昨日もNHKニュースを聞きながら、Twitterでフォローしている信頼筋の流す記事をクリップしたり、学者の見解をコラムなどで読んでみたり、それをする意味は何か?と自分を振り返ってみるに、安全でありたいし、安心材料を探すに尽きます。ところが、政府の姿勢や発表に対して疑心暗鬼にならざるえないような「隠蔽」を暴露するような記事や、外国メディアが撤退し始めるのは危機感がどこまであるか、のような不安感を煽るような記事が皮肉なことに目に付くのです。そして、これらの記事がデマや煽り記事だと断定するために、その倍以上の労力でそれを完全に否定できるような事実を書いた記事を見つけなくては安心できないのです。このいたちごっこのような状態が長く続く理由に、原発の情報元である東電の状況把握や、それを受けた政府の危機管理の線引きへの信憑性に対して、信頼を置いていないと言う個人的な問題があるのは承知しています。
 昨日、この疑心暗鬼な状態に拍車をかけたのは、科学ジャーナリスト塩谷喜雄氏の「未曾有の震災が暴いた未曾有の「原発無責任体制」」でした(参照2011/03/15)。
 氏は、日本の炉心溶融に至る構造上の問題や、これまで経験した原発事故のバックチェックなどの管理不足を指摘しながら、これらが充分になされてこなかった原因にとして「産学官のもたれあいが生んだ「虚構の安心」」だと指摘しています。そして、この記事の最後にはこうあります。

 逆に、安定供給を旗印に、様々な優遇を受けてきたのは誰だったろう。今回電力の融通が簡単に行かない理由の1つである東西の電流のサイクル数の違いを是正せずに、地域独占のメリットをむさぼってきたのは誰だっただろう。
 今回の巨大地震があぶり出したのは、原子力発電の限界というより、発送電一体の地域独占、旧電力体制の賞味期限切れではなかったか。日本のエネルギー戦略にとって、原子力の占める位置は決して軽くない。問題は、それを運営する事業主体に難があるということだ。木川田、平岩、那須と続いた東電の哲学と先見性の経営は、福島原発の非常用電源と同様に「喪失」してしまったのだろうか。
 生命を懸けて原発の暴走を止めようと奮闘している東電社員、協力会社社員、自衛隊員には、心から感謝するとともに、被害がこれ以上広がらないことを祈る。

 原発の問題点の指摘としてはかなり踏み込んだ内容でもあるとは思います。ここに書かれた内幕の様子が本当であれば、怒り心頭というものではないかと、そうは思いますが、それも、原発の存在あっての事です。
 話が途中でしたが、「計画停電」などの節約はいったいいつまでなのか、まともに食料が買えるようになるのはなるのはいつか、避難されている方々に元の暮らしが戻ってくるのはいつか、これらの問題が解消したと言える線引きはどうだろう。電気の供給が地震事故以前の状態に戻ることなのか、または、それと同等の状態を作る事なのでしょうか。だとしたら、その道は開けるのか?
 昨日、娘に荷物を発送した後、漠然とこのような思いが残っていました。そして、私の寝ている間に原発情勢はどうなったかとフォローしている人のTweetをチェックして遭遇したのが、大前 研一(おおまえ・けんいち)氏の「福島第一原発で何が起きているのか――米スリーマイル島原発事故より状況は悪い」でした(参照)。ちょっと長い記事であるのと、どこも切り取りたくないほど内容が充実しているので、是非、読んでみてください。私が注目する点で、今日の自分自身のエントリーで焦点を当てている原発の今後に関してのみ取り上げるとすれば、9ページから10ページの内容です。
 お恥ずかしいのですが、9ページの「日本の世論は新たな原発建設を許さないだろう」で初めて原発は私たち市民の意志に基づくものだという現実が目の前に下りてきたのです。やっと我が事になったのです。原発を自分の生活区域に持たない、のほほんとした一人でしかなかったなと反省しました。地震発生後、原発への影響を一番に心配していた私に課せられる今後の決断は、新たな原発建設を許すのかと言う問題です。それはできないと、現段階でははっきりそう思います。と同時に、不満たらたらであろうが、現状の暮らしを甘受する覚悟をしなくてはなりません。大前氏の分析とそれを基にした考察は、極端な印象がありますが、私はこの極論が好きです。その理由は、最低最悪の状態を覚悟できる点と、そうならないように努力する道を開くことがすっきり見えるからです。できなくて元々、できれば儲けです。大前氏の考察の最後にその部分が書かれています。

 原発技術者は残った炉の安全運転に従事するか、中国などに行って生計を立てるしかない。そこまでの結論は既に出たものと思った方がいい。
 となれば、家庭や事業所で使う電力を35%(日本の総発電量における原発の割合)減らすとか、家電製品は最低30%の省エネ性能をクリアしたものしか売ってはいけないといった対策をとる。あるいは、湯水のように電力を使用している国民の生活を改める。そうしたことが我々にできる目下の現実的な解決策ではないだろうか。
 幸い日本経済は全く成長していないので、これはできない相談ではない。今回の反省から全ての原発を再点検し、必要な施設の付加をして生かせるものは生かす。しかし、新たな炉の建設や今回のような恐れのある炉は廃炉とするしかない。国民はその不便を「電気の節約」という行動で積極的に甘受するしかないだろう。

 これは、薄々そうだな、とどこかで思っていたことです。この「電気の節約」を覚悟するには、私にとっては至って簡単なことです。原発のなかった頃というか、原発が初めて動き出した頃の昭和の生活を思い出し、当時のような暮らしに戻るだけです。良くてテレビ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機があれば良いくらいなもんです。車は、置いても一台。FFファンヒーターがダメならパラフィンストーブ、それがダメなら練炭。それもダメなら豆炭。もっと行くと薪ストーブかな。その前に、バイオテクノロジーで開発された新素材があるかな。因みに、日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年10月26日で、東海村に建設された実験炉が初発電を行ったのです。当時の暮らしが想像できない方は「ゲゲゲの女房」と照らしてみると良いと思います。そして、あの頃よりも近代化が進んでいる日本なので、何もあの頃に戻る必要はなく、昭和風味のふりかけをかけるだけです。きっと現在の「電気の節約」の方がより快適ではないかと、そのように何故か前向きな気持ちが持てました。これ以上の底はないと思えるくらいの苦労をしておくと、何とかやっていかれるものです。
 ところで、大前さんの書かれた記事に触れて、この腹の据わり方はどこから来るのかと思えば、さすが、1943年生まれでした。そうか、これからは、近所の年配の方から何かとお知恵を拝借することになるのかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-16

「天罰」は法華教の教えだった

 石原慎太郎氏の「天罰」発言が少し話題になっているようです。昔からメディアのネタとして取りざたされることの多い方で、ああまたか、という程度にしか思っていませんでした。石原さんの今までの発言は、世間への啓発的にも聞こえるし、時には批判として痛烈な場合もあったと思いますが、私個人としては、このような言い回しに耳慣れています。と言うのも、祖母が同じような言い方をする人で、母も少し似ているからです。時々、辛辣だなと感じることはよくありましたが、言われていることはごもっともなことだと反証の余地もなく、それで話は終わることが多かったのです。このこともあって、昔から、石原さんの発言にいちいち引っかかることもなく、石原さんがかっとなって何かを言っても、それは、東京の親父さんを怒らせたくらいに受け止めていました。そして、その度に思っていたのが、何故、記者がいちいち取り上げるのかという疑問のようなものでした。
 今回の「天罰」発言もそうで、この言葉を昔の人が言う時は、当然、天が与える罰として自分も含めた全ての人が対象です。たまたま東北で被災された方が含まれてしまうので、それを含めるつもりはないと前置きした上での発言で、撤回するに値しない意味合いで言われていたと思います。このような言葉は、若い記者には解釈できないのかもしれません。言葉尻にばかり飛びつくのは、まるで食べ物に群がるハエのようにも見えます。今回の地震と津波で日本中が敏感になっている時に、この発言に反応する人達もいるだろうなくらいに思った時、石原さんが被災者に向けていっているのではないと解釈できるのは私くらいの年齢からかもしれないと思いました。
 これが私の印象です。が、極東ブログでもこのことを取り上げていて、年齢で理解できる部分とは別に、石原さんの信じる教えという点からの解説が興味深く、そこには、私の長年の謎を解く鍵がありました。(参照)。その部分について、少し触れておくことにします。
 30年近く前に他界した私の祖母が、子どもの私を叱る時に何故「罰が当たる」とか「天罰」という言葉を使っていたのか、ずっと謎でした。その理由ではないかと納得できる説明にやっと遭遇したのです。次の部分が私の祖母を知る手立てとなることで、引用させてもらいます。

書き起こしながら思ったのは、共同通信・産経新聞記事が注意を払っているように、何に対する「天罰」かという点である。文脈を理解すると、石原都知事は、これを被災者に限定していないことは明白だろう。 さらに石原都知事の思想信条に近く読み取るなら、「天罰」の対象は日本国民であり、日本国民はこの天罰を全うすることで、災害の被災者の霊魂が救われるのだと考えていることがわかる。被災者に対して、ざまーみろといった意味合いはまったく読めない。むしろ、自身を天罰の対象に含めているとすら見てよいかもしれない。

 ここです。祖母が叱る時も必ず人として、してはならない事だと諭していました。このような時、祖母は穏やかで、目線は私ではなくどこか遠くを見るようでした。祖母自身がその言葉を自分に言い含めるように話していたのでしょうか、子どもながらに、祖母は誰に言っているんだろう、という疑問を持ったその仕草の記憶があります。これが、法華経の教えからであったとは。
 私は、法華教を(も)学んだわけではありませんが、法華教について私が想像して言えるのは、対立する二元論的な現実を捉えてそれを円満に解決する教えではないかということぐらいで、これに当てはめてよいものやらちょっと疑問ですが、例えば、普段こまめに片付け物をしていないから大切なものが無くなるとかです。普段の生活に何でも当てはめられます。考えてみると、大人が子どもを叱るのに都合もよかったのかもしれませんね。石原さんの発言も、悪政に対する「天罰」として、災害を当てただけだと思います。但し、被災者に対して向けた言葉ではないのは勿論で、次の部分がぴったり来ます。

 法華教教派の信者である石原都知事にしてみれば、現下の日本は「立正安国論」の同様の状態、つまり邪教民主党興隆によって天罰を受ける状態に見えるのではないか。日蓮のように、日本を糺すきっかけとしての天罰に見えたのではないか。

 石原さんが都知事に立候補した理由を「国家破綻への危機感だ。東京が混乱すれば、国家の喪失につながりかねない」と述べていますが、「天罰」の出所も、石原さんの中では政治と言う文脈で筋が通った話しだと思います。
 とても不思議ですが、石原さんのこれまでの言葉は祖母の言葉とも重なり、ますます、祖母が法華教教派の流れを受けていたとしか思えなくなりました。ただ、お経を読んだり信心深い人ではありませんから、これは単に、昔の人は法華教になぞらえてこのような言い回しをしたというだけなのか、よく分かりません。
 意外なところから、30年近く前に亡くなった祖母のことを思い出すきっかけとなりました。私は祖母から学んだことが沢山あるのですが、それは亡くなってからずっと後にその意味が分かったことが多く、いまだに答えが出ているわけでもないのです。当時、理由を聞いても説明してくれたことはなく、「大人になれば分かる」とだけ言われました。当然、大人になっても分かるわけではなく、疑問のままです。
 疑問や不可思議な気持ちを抱くことをは学びの原点であり、簡単に持論を見せないのは、子どもを考える人に育てる大人のあり方とも思います。それを学んだのは祖母からでした。知らないうちに、私は祖母から法華教を学んでいたのかもしれません。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011-03-15

「計画停電」は理解に苦しむ

 昨日、東京で計画停電が施行されたのは夕方でした。一日前、計画停電の発表を夜半に聞いた東京に住む長女は、同市内に住む弟二人と、東京と埼玉のほぼ県境の埼玉側に住む私の両親に、この計画停電が該当する時間帯を調べた上で知らせてくれました。住んでいる地域がどのグループかと、そのグループがどの時間帯に停電になるかを調べるのに、思いのほか難航し、結局、夜中までかかって実家へは何とかファックスで連絡し、息子二人へも連絡が取れてやれやれだったと聴いたのは朝の6時ごろでした。
 「げっ、あと20分でおばちゃんのところが止まるね。」と話していた矢先、中止になったと(昨日)知りました。NHKテレビ放送を音声で聴いていた私は、6時20分から停電する予定の第一グループの該当駅で、人々が立ち往生していると知りました。 計画停電に該当する沿線駅はシャッターを閉めた状態であったため、電車の運休を知らずにいつもの通り駅に向かった人々は立ち往生し、タクシー待ちに転じて長蛇の列を作っていると知りました。はっきり言って、これは、計画停電の伝達が不徹底極まりない。夜八時に計画停電の実施だけをニュースで予告し、十一時過ぎにグループと時間割を知らせ、東電のホームページなどを使って詳しく見よ、というぶっきらぼうな報じ方だったそうです。私の両親がネット環境にないことを知っている娘は、慌ててどのグループに属するのか両親の分まで調べ、時間割を夜中にファックス送信したという意味が、これで納得できたのです。
 余談ですが、私は長野の諏訪に住んでいますが、実家は埼玉で、娘や息子達はみな東京北部なので、私自身が都内のことを把握しているうちに、なんだか都内に住んでいるような感覚なのです。これが、語り口がそうなる由縁です。
 停電を知っていたグループ1の人達は、大方、こんな風に準備し、悠々とその時のために待機していたことでしょう。偉い偉い。よかったね、ホッ。また、極東ブログがこの計画停電を待っていた一日の様子を書いてくれたのも途中読んで、なんとなくドタバタの様子は垣間見ていました(参照)。ところが、その停電が中止となった。ええええっと思った娘から電話が入り、一言文句が出た。そりゃそうでしょう。
 昨日の計画停電は、東電にしたら「計画」でも、市民にとってはとんでもない混乱を招いた無計画停電で、しかも、不発だったのです。何故こんなこんな混乱を招いたか、それは、東電の善意からでもあるとは思います。できるだけ停電を避けたいという思いと、電気の需給バランスを見極めるのは、相場師的なスキルも必要で、全部行っちゃう寸前で部分的に送電を切るのだそうです。苦労されているのは分かるのですが、市民にとっては準備する時間がいかせん足りなかったようです。
 状況が状況なだけに、政府が全体感をもって指揮を取るのは当然ですが、イラ菅ではまとまらないし。電車がいきなり止まるというのは予想だにしないことでした。えっ、信号もですか、と承服できる範囲は、落雷までです。が、今回は、天災ではなく国が相手。この圧倒的な権限に、手も足もでないといった無力さを感じたのは初めてでした。すごいな、国って。やる時はやるんだ、と脱力でした。地震と津波騒ぎで中東の話が飛んでいますが、この時、エジプトの軍のことを思っていました。軍が、大統領を下ろしたり代わりを立てたり、市民に対する食糧供給やライフラインの復旧にいたる全てを軍が動かしているエジプトに、一瞬、私は日本の官僚政治にそれを見たのです。
 まあ、それはさておき、明日からに備え、このブログも馬鹿なことばかり言ってはいられない、なにかお役に立てる情報をと思い、ネットから最新情報をいくつかピックアップしました。

まず、計画停電の日程表は、

東電の15日~18日の計画停電概要 ☞家電Watch

原発に関する正しい科学知識の入手先情報

MIT研究者Dr. Josef Oehmenによる福島第一原発事故解説☞A Successful Failure

買い物に関して、以下のTweetは一人一人が心する点かと思うので拾いました。

とりあえずフォロワーさん1700人いる人間としての責任を持ってつぶやきます。流通業出身の人間ですが、明日も明後日も普通に食料は入荷されます。海外、関西の物流は生きているので買占めさえしなければ普通に食卓に出回る量は明日も仕入れられます。皆さんいつも通りの買い物につとめましょう!yowanep

 このところ、買い物に行った方は分かると思いますが、どこもかしこも品切れ状態です。だからということも言えるし、困らないように備えるという心理も分かります。災害による非常時とはいえ、買い物に行ってあの混雑と品切れを目にしながら、「いつも通りの買い物につとめる」というのは難しい。焦燥感とでも言ったらいいのか、目当てのものは大概入手困難ですから、殆ど諦め状態です。
 私がこの状態に最初に遭遇したのは、11日の大地震が発生し、同夜、中越に震度6強の地震があった翌日でした。混雑はある程度予想していましたが、開店後30分頃に行って、まず駐車場で並び、店内では生鮮食品以外の保存食やレトルト、缶詰類、ガスボンベの棚がガラッとしていました。そして、カートには山のような買い物を積んで、15台近くあるレジにはぎっしり人が並んでいました。騒然たるものでした。あれから買い物には行っていない私ですが、日に日に品薄になるようで、昨日の東京の娘の情報では、コンビにカップ麺や缶詰がなくなっている上、最寄のスーパーには張り紙で、在庫不足で閉店とあったそうです。まるで、オイルショックのときのトイレットペーパー品切れ騒動並みです。
 危機感は、人の、物を溜め込む心理に働きかけ、ハムスター化させます。計画的な生活が送れるような情報も、イマイチ少ないです。食品やガソリン、灯油などの入荷見通しなど、できれば情報が欲しいです。
 あとね、最後になちゃったけど、災害関係の報道ばかり丸一日は勘弁ね。やりすぎです。緊急情報は兎も角、普通の番組を入れながら、間歇的な地震報道をダイジェスト版くらいで括ってくれるとよいです。三日三晩続いた上、携帯の緊急地震速報のサインが鳴ると、体が硬直して、恐怖感が拭えません。何かリラックスできるような番組をお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-14

「時には昔の話を 」加藤登紀子を最近聴いている

cover
紅の豚
サントラ
加藤登紀子

 先日、加藤登紀子(1943年12月27日 - )の「時には昔の話を」という曲がダントツにイイという紹介記事に触れて(参照)早速、言われるままにiTunes Storeから買って聴いています(参照)。この曲については、野暮な感想は書かない方がいいな、と思ってしまう。泣けるよ。だから、簡単な紹介程度にします。
 語りに節をつけたような歌で、彼女が昔「ほろよいコンサート」と称して一杯引っ掛けながらやっていたコンサートがあったけど、そこから、そのまま曲として出てきたのじゃないかと思うような語り歌です。個人的には特に彼女のファンということでもないのですが、でも昔、ギターの練習曲として「ひとり寝の子守唄」を弾いていた頃、訳も考えずに意味も解釈しないで歌っていたこともあり、馴染みのある歌手です。

cover
青い月のバラード
獄中結婚から永訣まで
加藤登紀子

 「時には昔の話をしようか」を聴けば、この曲、全共闘時代の思い出と共に亡くなったご主人が重なっていることは察しがつくと思います。東大紛争よりも少し前の時代の、学生運動の火付け役的な時代かと思いますが、ご主人である故藤本氏(1944年1月23日 - 2002年7月31日)は、ブント(共産主義者同盟)系の三派全学連の「反帝全学連」の委員長で、加藤登紀子にコンサートを依頼したことがきっけけで知り合い、「獄中結婚」で話題になりました。お二人の馴れ初めや当時の時代的な背景は割愛しますが、この機会を得て、「青い月のバラード―獄中結婚から永訣まで」(03年 小学館)を読んでみました。関心のある方はどうぞ。
 私の場合、昔を懐かしく思うようになるのは、30代に入ってからだったような気がします。自分を振り返ってみる時はいつの年代でもあるのですが、20代の頃は、振り返っては何かを見つけ、それを糧に前に進むだけのようなエネルギッシュな私を思い出します。
 この曲ができたのは1987年、おときさんが43歳の時だったと知り、確かに中年に差し掛かる頃は、そろそろ昔を懐かしむようになる頃で、振り返るスパンが長く感慨もそれなりにあるけど、人生の後半をどうしようかと前向きなエネルギーがまだまだあったかな。この曲の最後にもそういうエネルギーを感じます。

今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走り続けているよね
どこかで

 そして、先の本書にこの時期のことを次のように記しています。

87年は、私にとって大きな節目の年だった。四月には末っ子の美穂が小学校に入学し、十三年間続いた保育園への送り迎えがついに終了する。 子育ての中のあわただしさと、ヒットの出ない低空飛行。このまま過去の人になってしまうのかという焦燥感がなかったとは言えない。 それらを全部払拭したのが、この年。私は四十三歳。 結婚と唄と子育てとに引き裂かれることもなく、すべてが「加藤登紀子」という太い川となって流れ始めるのを感じていた。

 この歌ができる前の1980年代は離婚の危機だったそうで、それを乗り越え、振り返ってみると、やんちゃをやった頃のことが埋め込まれた時代は、やはり昭和な風味かな。私の上の世代のやっていたあの運動の中に、この二人がいたわけだ。私は、当時、「馬鹿みたい」と、冷ややかに見ていたな。駅や公園などで、薄汚れたジーンズをはいて、どこにでもごろごろしていたあの世代。空間を見つけては、車座に座って議論を交わしていた、あの世代。

あの日の全てが空しいものだと
誰にもいえない

 学生運動は運動に終わってしまっただけで、彼らが夢見た自由で幸せな世界はなかった。東大がなかったら学生が幸せになると信じて破壊した挙句、あれが空しいなんて言えないだろうな。おときさん、かなり正直に語っているな、と率直に思いました。ここは、彼女の人柄を垣間見る部分です。
 なんだかんだと言いながら歌に釣られて感想を書いてしまいましたが、この曲をこうして考えていると、世代は違うけれど、私も昔に引き戻されてしまうのです。同じ時代に育った同じ世代と、その頃を語り合える今があるというのは、なんだかほっとするものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-13

地震大国日本が誇ってきた原発-東日本大震災

 夜中に、「ああ、今日も命がある」と目覚める自分がまず思うのは、生きているということ。ひょとしたら、夜中に大地震が来て、あっけなく家屋に押しつぶされ、一瞬にして死んでしまうのじゃないかという恐怖が拭えません。携帯をみると、緊急地震警報の知らせが鳴った形跡があり、地震に気づかずに寝入っていたのだと知ると、何かあっても私はきっと起きられないだろうと思います。数回の地震をこの二日で体感しただけで、これほどの恐怖心を植えつけられるとは思いもしませんでした。そして、次から次に発見される遺体や怪我人、被害の状況を、事実として静かに受け止めるのが精一杯です。避難生活では、お腹を満たす充分な食事は取れているでしょうか。行方不明の家族の安否を気遣いながらも、助かった方には生きる望みをつないで欲しいです。
 さて、長野県北部に激しい地震が数回あり、これが、私にとってどれほど恐怖だったかは昨日書いたとおりです(参照)。 この地震の震源地が中越(新潟)と聞いて直ぐに連想したのは、2007年の新潟中越地震でした。翌年、高速道路を通った時は、まだ復旧の作業中で、片側通行になっていました。まるで蛇のように捩れ、うねっていた道路から、当時の被災の規模は想像もつかず、大変な惨事だったのだろうと感じました。
 地震後、特に注目していたのは、この地震が柏崎刈羽原発にどのように影響するか、または、しないのかでした。当時の原発に関する政府の会見は、歯切れの悪さは印象にはっきりと残っていて、原発推進派の識者の解説の印象は、日本の原発が如何に安全であるかを強調するものでした。専門的な知識のない私には難しい技術的な内容でもあり、具体的にあまり記憶していません。マグニチュード7.3の大地震で、むしろあの程度の被害で済んだのは如何に日本の原発が安心であるかと、地震の規模を比喩の材料に語っていたのは覚えています。この放送は、勿論民放で、非常に政府寄りの人物を呼んだものだと冷ややかに見ていました。
 そして、翌年、春の桜に大異変が起き、かなりの放射能が放出された可能性が話題になりました(参照)。人への影響はどうだったのか、関心はあったのですが、情報を追うまでには至らず不覚ですが、当時の原発関係者は分かっていたはずです。少なくとも、放射能漏れがどの程度のものか、また、人体にどれほどの影響をもたらすのか。そういった情報はあまり公開されず、蓋をされたという政府への怒りのような気持ちだけが湧き上がりました。
 そして、昨夕、私の心配はまた起こりました。福島原発がその焦点で、中越での卑怯な政府は、二度と演じないで欲しいと、そのことを思って枝野氏の会見をじっと待ちました。長い。会見が予定されていた時間から30分以上は経っていただろうか、やっと始まった。内容を要約すると、現段階は調査中であるという点と、施設から半径10km以内から非難せよというものでした。会見後の記者質問で、最初の記者が非難勧告が出たということは、爆発したという解釈でいいですか?といったニュアンスで質問した後、枝野氏の返答は非常に曖昧で、「最悪のことを想定して半径10km以内アから非難されるように」と二度、同じやり取りを繰り返していました(参照)。このやり取りが終わり、次に2つほど質問を受けている最中、原発側からの記者会見が始まり、NHKは枝野氏の質疑応答を中断して、画像を原発側の会見に切り替えました。因みに、この後NHKは、「放射能漏れで何が必要か」(参照)で枝野氏の補足をしています。
 私が心配していた事というのは、政府が隠蔽工作するのではないかという点でしたが、それがあったかどうかよりも、枝野氏の会見の前に、原子炉の建屋の外壁は吹き飛び、骨組みだけになっている画像をテレビで既に見てしまっている私たちの前で、「爆発した(建物が)と判断していいのか?」と聞いている記者への返答が曖昧になったのは何故?この疑問が払拭できません。「原子炉の安全を確認中」だと言及がなかったのは残念です。既に多くの死者をだし、被災して途方にくれている市民や、作業中に被爆した作業者が病院で被爆の手当てを受けていて、現実を知る恐ろしさはあります。が、骨組みだけ残った建物を見て、それでも、「調査中で確かなことは言えない」では用が足りません。政府が私たちに知らせるべき事は、政府は何に取り組んでいるのかという点や、原子炉が安全かそうでないかだと思います。批判はその後です。会見が始まるのが大幅に遅れた当初、隠蔽工作に疑念を持ったのは、原発の損傷による事故は、政府のエネルギー政策に支障をきたすマイナス要因であると思ったからです。これに関して政府は、昨年10月から原子力政策大綱の見直しの必要性段階でもあるようです。
 先の柏崎刈羽原発はどれほどのダメージを受け、それは何だったのか、それを教えてくれたのは翌年の桜で、放射能の漏れでした。こうして後から実態が露になった経験から、世界一安全な原発施設だという体面は取り繕いようもなく、もう既に幻想でしかないと思います。
 そして、政治とは何か、と、深いところに疑問を投げかけられたように感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-12

マグニチュード8.9を観測した地震、その日

 無事に目が覚めた。生きているらしい。ゆっくり休めたことに感謝して起き上がったのは夜中でした。気がかりだった東京の末の息子の携帯に電話をかけてみたのですが、呼び出しても向こうでは出ません。大きな地震の後、余震が長く続いて怖くて不安だった時に、何度も携帯に電話したのですが、ダイヤル後に表示されるのは「現在つながりません」という表示で、携帯がこれほど頼りないものであるとは思いもしなかっただけに、家族の安否がさらに気がかりでした。
 余震が続く中、最初に連絡が取れたのは一般電話同士で娘とでした。無事を伝え合っている会話の途中に二度目の大きな地震が来て、電話で会話している娘の声のそばで、部屋の何かががたがた音を立てているのが聞こえた時は、黙ってその音を聴いているほかありませんでした。
 娘は、埼玉県に近い東京の北部の新しいマンションに住み、息子二人は、同じ市内でも車で10分ほど離れたところのマンションに二人で住んでいます。何かがあればお互いが協力できる近い場所に住んではいるものの、連絡を取り合う唯一の手段である携帯がパンク状態とは、全く、これほど頼りなく、心細くなるとは思いもしないことでした。携帯に依存的だった証です。
 余震が続く4時半ごろ、何を思ったか、犬に夕方の食事をさせなければいけないと思い、パスタと野菜、ひき肉を煮込んだものを簡単に作って与えていました。Twitterに時々目をやりながら、フォロワーの流す情報がリアルで、地震に関係ない地方の人のTweetが浮いていましたが、それでも、その土地の無事の知らせなのだと思うとほっとしたものです。自宅に一人、犬と一緒にいた私は、Twitterを眺め、時々地震情報と思しきものをRetweetしたり、ニュースから聞き取った情報を短い言葉で流すことで気持ちに落ち着きが戻るのを実感していました。最初は、キーボードがうまく打てず、気持ちが動転していることを自覚した時はミスタイピングばかりでした。これが私への「落ち着け」というサインとなり、しだいに指先に気持ちが集中して行くのが分かりました。
 後から、あの雑多の中で犬に食事を作ったのは余裕からではなく、何をしたらよいか分からなかったため、犬にだけはご飯を与えなくてはと、そう思ったからでした。一人というのは心細いものです。とうとう実家へは連絡が取れず仕舞い。夜になって、アルバイト先の一般電話を借りてかけているという長男から連絡が入り、少しほっとしました。
 アメリカのメディア、テレグラフとニューヨークタイムズの地震情報をTwitterでキャッチして驚いた。はじめはテレグラフで「米政府当局:震源地は東京から400km沖、深さ32kmで発生、マグニチュード8.8」と知り、続いてニューヨークタイムズの「米国地質調査所:マグニチュード8.9「メガ」ラベル。 深さ約24m、東京から北東の海上406kmが震源地」と、この部分を記事から読み取って速報のようにRetweetしたのです。これもその時は作業として流したのですが、後から考えてみたらものすごい強い地震であったことにヒヤッとしました。阪神淡路大震災の当時、たまたま三重県にいた私は、あの揺れを木造3階建ての3階で経験しているので、あの揺れ以上だったとは思っていたのですが、被災地でマグニチュード7.3でした。今回は、地震観測史上最大であったとは、全く驚きです。
 ところで、この地震と津波による集中アクセスで、携帯と電話がパンクしてもつながったのはSkype(スカイプ)でした(参照)。これは、インターネット環境で通話するというものです。今回は、携帯も電話もつながらない娘が、私のスカイプナンバーへ連絡を入れていました。最初は通話をオフにしていたため気づかず、これがちょっとネックではあります。通話する同士がインターネットにつながっている状態で、スカイプの接続を常にオンにしていないと呼び出し音に気づかないため、メールチェックと同じように時々着信履歴を見るとよいようです。また、iPhoneユーザー(iPad,iPodも)であれば、スカイプのアプリケーションソフトが先日リリースされています(参照)。今回、娘のスカイプコールをiPhoneで受け取っていたので、インターネット通話というよりも携帯でビデオ通話をしているという感覚でした。無料でもあるし、これはとてもお勧めです。調べてみると、Skypeもどんどん進化しているようです。Skypeのホームページが分かりにくいのでまとめたというサイトはこちらです☞また、活用法はこちらです☞
 取りとめのない話を長々書きました。こうしている間にも、時々揺れを感じます。原子力発電所の施設への影響などが心配ですが、今後もニュースを聞きながら対応したいと思います。また、最後になりましたが、仙台の若林地区では200~300人を越える遺体が発見されたと知り、お見舞い申し上げます。
 世界で起こる災害が地震大国日本へもとうとうきたという感じですが、地震への危機感がある日本であるからでしょうか、規模が大きな地震であるにも関わらず被害はこれでも比較的少なかったといえるのかもしれません。むしろ、今回は、津波が意表をついたという印象です。
 たった今、(午前3時59分)震度6の地震です(新潟県の中越付近が震源:マグニチュード6.6.震源の深さは8km)。携帯が緊急地震を知らせる音を発しました。20分後、再び携帯が緊急音が鳴りました。5時43分現在、緊急地震速報が既に5回ほど出ています。全て、長野県北部ですが、殆ど同じ揺れをここ中部でも感じています。
 今日一日、無事でいられるだろうか。こんなふうに命に危機感を持ったのは初めてです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011-03-11

メア氏講義メモ雑感

 昨夕のNHKニュースで、ケビン・メア米国務省日本部長の更迭が決まったと聞いた時点で、日本との外交上、それが米政府の現状での得策かと思ったのですが、極東ブログで紹介されているメア氏の講義メモの訳文を読んで、少し違う印象を持ちました。日本との外交上の問題として、アメリカ政府の「更迭」という対応の是非にまで口を挟むつもりは無く、気になったのはメア氏の沖縄認識で、どこでそれを感じたか、また、今後の日米関係にとってどのよな意味をもたらすかなど、気づいた点を書きとめておくことにします。
この講義メモの訳文の一部を引用します(参照)。

Tokyo needs to tell the Okinawan Governor, “if you want money, sign it [agree to the relocation plan].”
日本の政府は沖縄県知事に、「おカネが欲しければ、[移転計画に]同意なさい」と告げる必要があります。
-Japanese culture is a culture of "Wa" (harmony) that is based on consensus. Consensus building is important in Japanese culture. While the Japanese would call this “consensus,” they mean “extortion” and use this culture of consensus as a means of “extortion.” By pretending to seek consensus, people try to get as much money as possible. Okinawans are masters of “manipulation” and “extortion” of Tokyo.
- 日本の文化は、合意に基づく「和」(調和)の文化です。合意形成が日本文化に重要なのです。日本人が「合意」というとき、その意味は「高値のふっかけ」で、「高値のふっかけ」として合意文化を使用するのです。合意を求める振りをして、日本国民はできるかぎりのカネを得ようとします。沖縄の人たちは、日本政府への「手練手管」と「高値のふっかけ」では名人級です。

 この部分は、日本のメディアが「ゆすりの名人」という言葉を使って煽り記事のように仕立てていますが(産経)、沖縄県民が望んでるのは現金でしょうか。「合意」の意味は「高値のふっかけ」と、どこでそう思ったのでしょう。例えば、メア氏の経験で、カネでなんとかなる県民だといえるような事実があったとか、そうでなければ、メア氏自身が物事をそう受け止める個人的な思考プロセスがあるからでしょうか。それはそれで良いのですが、この発言は、高官として長く沖縄に滞在しても沖縄県民を理解するまでには至らなかった、という証でしかないように感じました。ですから、ナンセンス。この発言の前提に、沖縄が基地依存しているということでもあれば話はつながります。いずれにしても個人の観方で、そういう意見をお持ちであることは否定はしませんが、公の席で学生に教え諭す内容とも思えません。ただ、沖縄の人々の怒りを受けてみて、これは誤解しているとしかいえない気もします。そうであるなら、この誤解を解かなくては、沖縄県民が何を望んでいるかは永久に理解できずに終わると思います。言われた側も、前提にしていることが見え透いているので、本気で怒ることじゃないと思います。ついでに言うと、この発言を煽りの材料にして報じる日本のジャーナリズムにもうんざりです。問題の核心をそらしてしまい、ゴシップとなるのが関の山です。なっていますが。
 次の引用は、メア氏の日本人の本音と建前の説明部分です。

-You should be careful about “tatemae and honne” while in Japan. Tatemae and honne is the “idea that words and actual intentions are different." While in Okinawa, I said MCAS Futenma “is not especially dangerous." My statements caused Okinawans to protest in front of my office. Although Okianwans claim MCAS Futenma is the most dangerous base in the world, they know it is not true. Fukuoka Airport and Osaka Itami Airport are just as dangerous.
-みなさんは在日中は建前と本音に用心すべきでしょう。建前と本音というのは、「発言と行動の意図が違っているという意味」です。沖縄にいた頃ですが、普天間飛行場は特段に危険ではないと発言しました。この発言が、私のいる総領事館前で沖縄の人たちの抗議になりました。沖縄の人たちが普天間飛行場は世界一危険な基地だと言っても、彼らはそれが正しくないことを知っています。危険といっても、福岡空港や大阪伊丹空港と同程度です。

 これも不理解の上で成り立っている発言で、普天間飛基地が有する飛行場が世界一危険な飛行場であるかどうかを、他の条件の違う飛行場と比較して論ずる事に意味がない上、総領事館前で抗議された時、それは、何に対する講義かが理解されていないのでは?そうでなければ、この二つの次元の違う話を比喩にできるはずはないと思います。が、こういう話を聞かされて鵜呑みにするのもどうかと思います。
 これがオフレコであったのかどうだったかも当然どうでもよい話で、この話のないようは、アメリカ人の世間話程度の軽さだと思います。これが大学の講義だったというからびっくりな話になっただけじゃん、と思うのです。
 また、これらの内容が速記で書き取られたものでもなく、テープ起こしでもないメモですから、メモを取った人のフィルターも通っているので、いぜんとしてメア氏の発言そのものでもないわけです。
 さて、キャンベル米国務次官補が8日、日本に向けてアメリカを飛び立つ直前のインタービューの内容が気になります。 先の産経が報じているのは次の通りです。

キャンベル氏は来日前の8日午前(日本時間8日夜)、ワシントン郊外のダレス国際空港で記者団に対し、「報道がもたらした誤解について個人的に陳謝したい」と述べ、メア氏の発言自体にではなく、発言報道による混乱に対し、メア氏の上司として「陳謝」することで、事態の沈静化を図ろうとした。
ここで言われている報道とは何を指し、そこから生まれた誤解とは、勿論、日本が誤解しているということでしょう。謝る相手は日本なので、当然こちらで誤解しているという意味のはずです。何が誤解なのか、よく分かりません。
ところが、日本に到着後、氏の姿勢が変わったのです。
しかし、成田空港についた際、一転してキャンベル氏は米政府を代表して謝罪する意向を表明。出発前の発言だけではかえって沖縄の反発を招くと判断、「米国を代表して心から陳謝したい」と発言した。 
この変化について、日米外交筋は、「メア氏更迭を日本側に伝えるようホワイトハウスから指示を受けたようだ」と語る。

 確かにこのように報じていたのを記憶していますが、途中で急に対応が変化した理由が気になります。何故、そうなったのか。昨夜のNHKニュースが、これもまた微妙なニュアンスです(参照)。

アメリカ国務省のメア日本部長が「沖縄はゆすりの名人だ」などと発言したとされる問題で更迭されたことについて、上司にあたるキャンベル国務次官補は、日米関係を損ねたうえに、外務・防衛の閣僚協議などを控えた重要な時期にあることから、更迭に踏み切ったことを明らかにしました。
これは、日本を訪れているキャンベル国務次官補が、10日、都内のアメリカ大使館で、テレビカメラを入れない形で記者団の取材に応じて明らかにしたものです。この中で、キャンベル次官補は、メア日本部長が「沖縄はゆすりの名人だ」などと発言したとされる問題で更迭されたことについて、「日米関係をある程度損ねてしまい、責任ある行動を取ることが適切だと判断した。メア氏はこれまで日米関係に尽力してきたが、今回の事態を受けて、新たな日本部長を任命するのは避けられなかった」と述べました。そのうえで、「日米両国は、外務・防衛の閣僚協議などハイレベルの会合を控えた非常に重要な時期にある」と強調し、アメリカ政府としては、ことし春に外務・防衛の閣僚協議を行って日米同盟の深化を目指す立場から更迭に踏み切ったことを明らかにしました。一方で、キャンベル次官補は、メア氏について、次の職務は分からないものの国務省には残るとしたうえで、メア氏本人に発言内容を確認するのかという質問に対しては「われわれはすでに謝罪し、立場を明確にしている」と述べるにとどまりました。

 あくまでもニュースから受ける印象ですが、メア氏の発言に対しての是非よりも、この大騒ぎの沈静化を意図するものだと明確にしている辺りから、日本人の本質的な部分にきっちり焦点を当てていると感じます。キャンベル氏が謝罪のつもりでアメリカを飛び立った後、日本では大騒ぎになってることに急遽対応したことをうかがわせます。つまり、こういうことで大騒ぎになる国民だと見破られているのでは。そのために、政府の高級官僚をも更迭させ、ポーズをとらざるを得なかったのかという残念な思いが残ります。
 昨年、オバマ大統領がアフガニスタン駐留米軍マクリスタル司令官を事実上更迭した事を思い出しましたが、あの時の判断も早かったです(参照)。発言の事実関係を検証するよりは、騒ぎを拡散させないとなると、さっさと蓋を閉じるが勝ちよみたいです。アメリカがこのような対策を講じるのは、発言問題よりも沖縄問題の方が重く、よもや不利益となるからでしょう。
 これで何を学ぶか。少なくとも沖縄に関しては理解されてないのですが、日本の政府が沖縄を理解することに尽きると思います。ただ、この政府にはそれは望めそうもないのが、とほほです。角度を変えれば、今回のアメリカの素早い措置、対応は、米政府のための得策というよりは、日本はこれに助けられたとも言えます。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011-03-10

米高官メア氏の発言を取り上げた読売新聞社説について

 米高官メア氏の沖縄に関する発言問題を取り上げた社説を読んで、なんとも脱力を感じてなりません。これは他人事でもない話で、いっそのこと明日から書くのを止めようかという気持ちになります。気が重くなる元は、今朝の毎日新聞社説の論旨が、個人的な思いや言論を裁いてやろう的な反自由主義を前面に表出させた記事だったからです。共産主義国じゃあるまいし、国家権力まがいの考えをを振りかざすように、社説に撒き散らさないで欲しいという思いに助けられ、めげてはいられないと、書く気になりました。
 記事は、日本に対する最大級の冒涜だという批判に始まり、日本政府と沖縄県知事の遺憾のコメントを載せ、これが如何に今後の沖縄問題を拗らせるかと語った上で、こう書いています。

在日米大使館は「伝えられている発言は米政府の政策と相いれない」との声明を発表し、外務・防衛当局による局長級協議のため9日来日したキャンベル国務次官補は、記者団に「(日本側との協議で)米国を代表して心から陳謝したい」と語り、米政府として公式に謝罪する考えを示した。

 このように、メア氏の発言内容と米政府の政策との関係は一切無い、としている上で謝罪しています。この時点で、前段のメア氏の発言の是非を問う内容は全く必要のないものです。強いて言えば、米政府が、何に対して謝罪するのかだけが明確化されていればよいのだと思います。そうではないからだと思いますが、前段に書いていることが強調的になり、その論旨を追ってみるに、メア氏のコメントに不服を述べています。

 メア氏は「講義はオフレコ(非公開)だった」「発言録は正確でない」と述べた。オフレコということで本音を語ったのだろう正確でないというなら本人が説明すべきだ

 「オフレコということで本音を語ったのだろう。」と「正確でないというなら本人が説明すべきだ。」の二点が、いわゆるいちゃもんです。文脈は、前の文章を受けているところから、当然、オフレコで本音を言ってはならないと言うことと、政府の謝罪ではダメだと言っているのと同じです。
 オフレコで本音を言うことに何か問題でも?と聞き返したくなりますが、これこそ言論の自由です。但し、政府の要人という立場で米大学の講義でしゃべっていいのか?という問題はあります。だからこそ米政府が出てきて公式に、発言内容と政府の政策の無関係を説明し、日本に対しては、政府として謝罪をしたのでしょう。これで済ませるべき話です。
 ゴシップ記事という価値しかないような記事ですが、反自由主義を突きつけられると胸に息苦しさを覚えます。

 「finalventの日記」では、今日の大手紙社説毎日新聞社説 社説:米高官の暴言 これで対日責任者とは - 毎日jp(毎日新聞)読売新聞社説 米高官沖縄中傷 同盟関係損なう不穏当な発言 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)で、各紙社説にコメントされています。ご参考までに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イラン情勢-民主化運動がしぼんだっぽい

 中東や北アフリカで反政府運動が静まらない中、イランが意外に静かだという印象を受けます。イラン情勢が気になるのは、中国の支援で核施設の建設を進めている点と、反米・反イスラエルの強硬姿勢を持っている点です。国際社会からは核保有に対して制裁措置が取られているため、市民の暮らしは日増しに厳しくなり、反政府運動が展開されることは国際社会の意向を汲む動きとして喜ぶべきですが、政府と反政府の力関係がよく読めません。その辺に焦点を当ててニュースをクリップしておくことにします。
中東の民主化運動を「イスラムの目覚め」だと煽る一方で、国内反体制運動を厳しく弾圧として、反政府運動の指導者であるムサビ元首相とカルビ元国会議長を自宅軟禁状態に置き、2月28日、BBCが報じたことによると、拘置所に移送されたとあります(参照)。また、この二人を支えているラフサンジャニ元大統領がその政治力を大幅に後退させたとの報道もあります(朝日)。

【テヘラン=北川学】イランの最高指導者の任免権を持つ専門家会議は8日、新しい議長に保守派のマフダビキャニ師を選出した。現議長で保守穏健派のラフサンジャニ元大統領は議長選への立候補を見送り、議長を退く。保守強硬派アフマディネジャド政権に対抗してきた穏健派の発言力は低下するとみられる。
ラフサンジャニ師はアフマディネジャド大統領の政敵で、大規模な反政府デモを引き起こした2009年6月の大統領選では改革派のムサビ元首相を支持。翌月、イスラム教金曜礼拝の導師として「国民は選挙結果に疑念を抱いている」と演説し、保守強硬派の批判を浴びた。その後は公の場に姿を見せることもなく、事実上の失脚と見られていた。
ラフサンジャニ師は立法上の意見対立を調停する最高評議会議長として指導部にとどまるものの、影響力は限られるとみられる。

ラフサンジャニ元大統領:金権体質(親族・側近の腐敗)という噂が絶えない人物のようですが、経済重視の現実派でもあり、09年の大統領選では改革派のムサビ氏を支持し、改革派の後ろ盾として、アフマディネジャド大統領との対立を深めていました。拘束状態にあるムサビ氏とカルビ元国会議長、の後ろ盾として、ラフサンジャニ元大統領の政治力後退が重なり、改革派にとっては冬眠に入った状態だと言えます。
 また、8日の「国際女性デー」に日程を合わせた女性のデモが行われたようですが、政府との衝突を避ける為に無言で抗議デモを決行したようです(読売)。

 改革派ニュースサイト「カラメ」によると、テヘラン市内では中心部の広場など数か所に改革派支持者が集結。女性を中心に、少なくとも数千人に達したとみられる。
参加者は治安当局との衝突を避けるため、反政府スローガンは叫ばず、改革派指導者のムサビ元首相の自宅軟禁などに対し「無言の抗議」を行った。「カラメ」によると、治安部隊は催涙ガス弾などを使い、集会を強制的に解散させた。
反体制派の情報によると、抗議デモは、中部イスファハン、南部シラーズ、北部ラシュト、北西部ケルマンシャーでも行われた。

 因みに、「国際女性デー」とは、「女性たちが、平等、安全、開発、組織への参加のための努力により、どこまで可能性を広げてきたかを確認すると同時に、今後のさらなる前進に向けて話し合う場」(参照)なので、イランの反政府運動と直結しないと思ったのですが、ムサビ元首相の自宅軟禁などに対し「無言の抗議」を行ったと報じているとおり、両氏の夫人らの解放を求める趣旨があったようです。が、あっけなく解散させられたようです。
朝日はこれに加えて、大統領の訪問に合わせた各地の抗議デモを次のように伝えています(朝日)。

 一方、3月に入り、アフマディネジャド大統領が地方の遊説先で抗議行動に遭遇することが続いている。改革派サイトによると大統領が訪れた南部ファルス州のスポーツセンターで7日、食肉加工会社を解雇された約50人が「腹が減った」「未払いの給与を支払え」などと叫び、治安要員に遠ざけられた。
 大統領は2日にも西部ロレスタン州で演説。英BBCによると、会場に「我々は空腹だ 織物工場の労働者」と訴える横断幕が掲げられた。
核開発を進めるイランは欧米などの制裁下にある。物価も上がり、国民は不満を強めていた。

 ここで初めて、制裁下にあるイラン市民の声を聞いたように思います。このように制裁効果はあるものの、イランの民主化は応援しますが、その勢いで政府が苦しくなると、今度は核を盾に世界の脅威ともなり兼ねないのがイランです。
 エジプトのムバラク元大統領が失脚した際、イスラエルとの和平問題の存続が懸念され、イランの核化が気がかりでした。これを阻止するには一撃するしかない、と語ったのはJohn Bolton氏(ブッシュ政権時の大使)ですが(参照)、確かにあの時代なら爆撃機を飛ばしてドカンとやったアメリカです。ところが、昨年、「Stuxnet」というコンピューターウイルスでイランの核施設をマヒ状態にし、時間稼ぎをしたという話しがあります。
 Twitterで流れてきた情報で、3月4日のBBCによると、イスラエルとアメリカの共同開発であることが明らかになったようです(参照)。発展を遂げるとそれなりの対応策もあるもので、復旧には2年ほどかかるといわれています。この復旧でもたもたしている間に、民主化運動に何らかの片がつくとよいですが、今後はどうかと言えば、21日からはイラン暦の新年休みに入ります。これが、政府と改革派市民運動との対立の冷却となるのか休息となるのか、このまま注視して行くつもりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-09

ファイナンシャルタイムズが図星の社説-Woops. There goes another Japanese minister.

 フィナンシャルタイムズの社説にJapanの「J」を見た瞬間、げっ、と思ったら、社説も「Woops」で始まっている。前代未聞だな、こりゃ。今度は何を言われているかと注意深く読んだのですが、同日の早朝に「前原元外相が日本を見捨てた本当の理由」(参照)を書いたばかりだったため、釣られて書くにせよくど過ぎやしないかと遠慮した次第です。でも、海外の視点として、日本の政治や政治家はいったいどう見られているのか、それこそが気になっていました。そして昨日、極東ブログ「フィナンシャルタイムズの日本政局評価もトホホ」(参照)で、早速この社説の紹介記事があがったのです。とても微妙な言い回しの訳に苦慮していたため、支えになりました。ありがとう。
 さて、本題です。社説としては短い記事ですが、かなり端的にまとめてあります。この政権になってから一年半で首相は二人目、外相は次が決まれば三人目という数字に驚いて見せているのですが、これに続けて痛烈な批判なのです。

It is a sorry testament to the thin layer of talent within the DPJ that pundits are struggling to come up with a credible name.
それは、民主党の人材が薄っぺらであるという証であり、これは専門家ですらその人選に苦慮しているほどです。

 と訳してみて、これってどういうことを言っているんだろうか?普通は人材層が厚いからいくらでも替え玉がるのねと、こう思いガチ。日本人が実際この政府を見ていれば、全く逆で、そんな些細な問題で辞任させて・・・後釜はもういないだろう、です。この感覚を念頭に、フィナンシャルタイムズは、この記事を書かかれたに違いないのですが、これはすごい感性だと惚れ惚れします。
 記事全体は、最初に下げて、途中上げて、最後にもう少し上げて、最後はどん底に下げる。そんな感じですが、政府がこんなに酷いのに、日本という国が何とか保たれているのは官僚のお陰であると、そう言い切れるのもすごいことです。

This, remember, from the party that promised to put politicians in charge and cut bureaucrats down to size. The sad fact is that rudderless politicians are more than ever relying on a professional – albeit overly conservative – bureaucracy. If Japan were not blessed with a cadre of well-trained mandarins it really would be in trouble. Its policies, both internal and external, could lurch dangerously from pillar to post.
 これ、思い出してごらんなさい、官僚統制を縮小し、政治主導を公約した政党だったんですよ。悲しい事実は、舵取りのきかないこの政治家は、プロであるにせよ、保守的な官僚をますます当てにしているということです。 不幸にして洗練された官吏の枠組みが無かったら、本当に困窮していたでしょう。内政であれ外交であれ、たらいまわしの危険さらされたでしょう。

 ここまで言ってもらってありがとうというべきか、全くその通り。内乱が起こるでもなく、なんだかんだ言っても、日本は平穏です。だから、日本の法律で定められてるとはいえ、些細な問題で外相から降りた前原氏が、降りても何とかなるとはね。「If Japan were not blessed with a cadre of well-trained mandarins it really would be in trouble. 」のように、最悪の想定を未来過去形で例えられているのは、逆を強く肯定的にする言い回しになるので、日本は、官僚なくして成り立たない国だと言われているのです。また、僅かな可能性ではあるにせよ、前原氏は、いずれ首相のポストに返り咲くのではないかとほのめかしているのには驚きました。 これがこの記事の最後の持ち上げ部分ですが、最後の落としはキツイ。

The question is: by then, will anyone care?
問題は、その時までに誰か関心あるかな?

 これ以上の屈辱は無いと思いますが、20万円ぽっちの献金疑惑に便乗して沖縄問題から逃げた前原氏が、無能といわれる政府であれ、その党首になんぞとんでもない話です。
 また、タイミングよく、昨日からNHKでも何度かニュースに出てくる、米国務省の日本部長さんがとんでもない失言をしたと大騒ぎになりかけています。(参照)信憑性はイマイチ分かりませんが、謝罪するというコメントを出したそうです。内容はどうであれ、沖縄の市民が怒っているため、沈静化に奔走している様子です。
 昨日、このことを知った時点で、またきっと大騒ぎになるとは思いましたが、多少口が滑ったとしても、誰でもこれくらいのことは言いますし、そういう感情がアメリカ人にあってもおかしくないことです。そもそも、事実関係はどうなのか、この話は昨年のことですし、何もはっきりしていない時点でこの有様です。このタイミングでこういう話しが出てくること自体、変でしょう。
 私の気がかりはこの失言問題ではなく、この騒ぎをアメリカの落ち度として、政府が、沖縄基地移設問題をうやむやにするのではないかという懸念です。ファイナンシャルタイムズに言われなくともこの政府は舵が取れないので、どの道どうなるもものでもないのです。が、今朝のニュースでは、沖縄県民が大騒ぎをしていると報じていました。これを盾に、アメリカの軽い発言のせいでまとまるものもまとまらなくなったと、政府の言い訳に沖縄の人達の怒りを利用して欲しくないのです。前原氏が逃げたことも相俟って、いいタイミングにこの件が持ち上がったものだと、とほほです。
 また、ファイナンシャルタイムズは、沖縄問題を何というだろうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

ニフティーさんからの原稿依頼について

 昨日、ニフティーのココログの担当の方から原稿依頼のメールを頂いた。依頼の内容を簡単に言うと、ある商品の試飲後、その感想をブログに掲載するというもの。これは、ココログさん曰く「ブロガーの紹介記事でサイトへ誘導する」と言う取り組みなのだとか。そして、これはお仕事。お礼がもらえるというお話しです。昨日、この件についていろいろ考えていて、うまくまとまらないので率直な気持ちを書くことにした。
 これがお返事となるかもしれない。最初にお断りしておくが、ココログさんも企業なので、何かと収益になることをお考えではあると思う。それに関して、一ユーザーである私が批判する意味もそのつもりも無いので悪しからず。
 ひゅー、原稿書くの大好き!きたーっと、最初ちょっと思った。が、待てよ。このお話、お礼を頂くということは、それなりの文章を書かないとマズイわけだ。「サイトへ誘導する」とあるとおり、私が試飲した商品の感想をここで読まれ、その商品に興味を持ってもらい、企業のサイトから購入してもらえるように書かないとマズイ。となると、ちょっとプレッシャー。これには、二つの理由がある。
 一つ目は、試飲した商品を私が美味しいと感じるかである。正直者の私は、嘘がかけない。なので、もしも美味しくなかったら、サイトへうまく誘導するような美味しいことは書けないのである。
 二つ目の理由は、美味しかった場合、「美味しい」ということを率直に書くにせよ、コマーシャルとして書くとは、ブロガーの本質的な部分に何やら引っかかって来る。この二番目がちょっと厄介。モラルとして定義があるわけでもないし、ここをどう説明したものか、そのことを実は考えていた。
 そもそも、ブログとは、私の踊り場のようなもので、書きたいことを書いている。観客は、どなたが見ても見なくても構わない。タダ見の上、どんな感想を持ってもらっても結構。書く側の私としては、読む人にとって何らかの得になれば幸いで、それも私が決める事はできない。自由奔放なのがブログである。
 ここに利害関係を持ち込むのはとても不自然で、逆に、それをやってしまったら、好んで読んでくれている人への裏切り行為のような気がして、とても後ろめたさを感じる。ブログを商用にはできないとういこと。これは、私の問題なのだろと思うが、踊り場ではなくなってしまう。ブログとその向こうにいる人との関係を侵害してしまうのではないかと思う。それは、私にはできないな。
 余談だけど、先日、魚を扱う会社の営業マンが、卸先の店舗の販促用に油カレイの画像を使いたいという申し出があった。このブログの画像が美味しく見えたそうで、油カレイのそばに調理例として紹介用に使用したいとの事だった。勿論無料で差し上げたが、このような場合なら売ってもよいとも思う。私の撮影した画像を商用に使いたいと言われたら、それはつまり、私の撮影技術と料理の腕前に対する対価だからだ。
 もう一つ、ここでも貼り付けているアフィリエイトの件。これも当初は迷っていたが、これで稼ごうというものではない。中にはそういう手法を使って稼ぎ出しているという人の話も聞くが、以前、書いたように、日に2000~2500Pvの年間のアフィリ収益と、ココログに支払っている金額がとんとんみたいなものなので、ここの維持費として相殺されている。
 話しが散漫になったが、どう考えても、ブログの読み手を意図的に特定サイトへ誘導させるという案には賛同できない。この案は、ニフティーさんの25周年を記念した新しいサービスやコンテンツへの取り組みだという話だが、私個人は、ブログを商用にしてしまうと、読者が興ざめするのではないかという懸念を抱く。私が読み手なら、きっとそう思う。それは、思いがけない損失へつながるのではないかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-08

ルペン氏支持率上昇の中、フランスに政権交代は起こりそうもない予感

5007492259_6e9b33d75f

 3月6日、Twitterで拾ったBBCの「Marine Le Pen poll rating shock for French politics」(参照)(世論調査によるマリーヌ・ルペン氏の支持率がフランス政治にショック)が報じているフランスの政局の動向が目にとまりました。ルペン氏は(42歳)、フランスの極右政党である「国民戦線」の現党首で、今年1月に引退したジャンマリ・ペルン氏(82歳)の三女です。この政党がどのような特徴を持っているかなどは、1月19日の「フランスに見る政局の変化-移民に反対する国民戦線新党首誕生」(参照)でも取り上げました。もろに世襲です。着目すべきは、党首だった父親の引退直後に行われた世論調査で、彼女の支持率は18%で、社会党候補と目されるストロスカーン元財務相の30%、再選を目指すサルコジ大統領の25%に次ぐ3位に入ったという結果が意味することにあります。極右政党とはいえ、父親の超保守的な姿勢とは少し違って、当時からソフトなイメージが受けている、とフランス紙パリジャンからも評価され、人気が高いのが定評のようです。
 このルペン氏人気がさらに盛り上がりを見せ、先の記事によると、トップに上がり出たというのです。

It gives her 23% of the vote, 2% ahead of both President Nicolas Sarkozy and Socialist leader Martine Aubry.
現職のサルコジ大統領と最大野党である社会党のマルティン・オブリの(21%)を2%上回る結果となった。

 この結果は、政界やメディアにショックを与えていると報じているものです。勿論、念頭にあるのは、来年予定されている大統領選挙に大きく影響してくるという見方です。いや、この調子で行くと、もしかしたら大統領だってありうると大騒ぎしています。
 日本でも経験した政権交代がフランスに来年起こるのか?というのが焦点になるのですが、前回も触れたように、父親の築いた国民戦線は極右政党で、特に移民などに強く反対的です。しかし、昨年のスウエーデンの総選挙では、移民に反対している政党が与党に議席をもたらしたため、移民に反対的な意見も徐々に反映されるのではないかと感じました。いったい移民のなにが問題なのか、ここで改めて問うことは時期尚早かもしれませんが、今後の欧州の流れに必ず問題になることであるため、書きとめることにします。

cover
イスラムの怒り
内藤正典

移民は、ヨーロッパ主要国の植民地時代を経て、アルジェリア、モロッコ、チュニジアといった北アフリカ出身の独身男性達を移民として受け入れたことに始まっています。19世紀以降、フランスの植民地でしたが、戦後、相次いで独立したにも関わらず、国内に目立った産業もないため、旧宗主国であるフランスを頼ったのです。この流れはフランスにとっても好都合なことで、同時に、戦後の高度成長を支える労働力不足問題がありました。これを解決するための政策として、政府はほぼ無制限に滞在と労働の許可を与え、経済効率が優先であったため、不法入国者の取り締まりも積極的に行わなかったのです。フランスのサッカーチームにジダンという元選手は、フランスチームのヒーロー的存在でしたが、引退試合で起こした暴力問題で、彼は、世界にムスリムの怒りを知らせました。
 やがて、貧困のアフリカ人にとっては良き働き場所であり、フランスにとっては労働力拡大の好都合であった時代は変わり、景気が回復してフランスに余裕が出てくると、貧富の差や労働に差別などが生じ、結局、移民が不満が暴動などの背景だと思います。父親のジャンマリ・ルペン氏が若い頃は、この時代を見てきているため、移民に強く反対する理由が何かと想像するのですが、ここでは調べきれず、機会があったらゆっくり探してみたいものです。
 一方、3月2日号のNewsweekで「(ナチスの)強制収容所は野蛮の極致」「過激派と極右はお断り」マリーヌ・ルペン氏を次のように書いています。

過激派と極右はお断り
マリーヌは党のイメージチェンジも図り、「(ナチスの)強制収容所は野蛮の極致」という発言でマスコミをにぎわせた。ホロコーストに批判的な主張を打ち出すことで支持を集めようというのだ。
「悪魔呼ばわりを甘受することも、逆にそれをあおるのも間違っている」と、彼女はリールの議事堂のカフェテリアで、ゆでアスパラガスを食べながら本誌に語った。
スキンヘッドにミリタリージャケットを着て党本部の周りをうろつくような手合いは歓迎しない、と彼女は続ける。「反ユダヤ主義者と過激派と極右」はお断りだ。「そういう人は必要ないと私は言ってきたし、国民戦線の支持者の68%も必要ないと言っている。つまり、少なくともこの問題は解決済みだ」
反イスラム感情を利用
しかし極右の本当の問題は、アラブ系や北アフリカ系移民に対するお決まりの痛烈な攻撃ではなく、「女性や同性愛者の権利、宗教の自由といった自由主義の価値観を守るという名目で、イスラムという宗教を標的にした外国人嫌悪の感情的な議論」だと、仏ナンテール大学の社会学者シルペイン・クレポンは言う。「選挙の票集めとして、かなり効果的だ」
これは、国民戦線を穏健派にも受け入れやすくする戦略でもある。「マリーヌが宗教を攻撃しているので、人種差別に強く反対する左派でさえ共感できる」と、世論調査会社BVAオピニオンのガエル・スリマンは言う。「フランスという国は歴史的に、宗教に対抗して形作られた」
「いろいろ問題はあるが、彼女が父親より急進的でないことは確かだ」と、クレポンは言う。「(ただし)父親よりほんの少し危険ではないおかげで、極めて不寛容な意見も多くの人に支持されている」
政治を右傾化させるルペン効果は、既に始まっている。幅広い有権者を引き付けるマリーヌを黙らせてサルコジが再選を果たすには、さらに右へと踏み込む必要がありそうだ。

 もろに選挙を意識して取り上げている記事なのでそれはちょっと置いといて、政治が右傾化するのはフランス国民の選択であるし、それが民主的な選挙で決まるなら尊重するとしても、「宗教的な攻撃」はイスラムを敵に回す事になるには違いない話しです。例えば、フランスのサッカーチーム内でイスラムを攻撃すればどういうことになるのか、フランスチームは崩壊します。たとえ人種差別でなくとも、差別を浮き彫りにし、反目を作ることになると思います。
 こうした極右政党の台頭、反イスラム・反移民感情の高まりは、アフリカ系フランス人や、フランス国籍を持たない移民も同時に揺さぶることになり、黙ってはいないでしょう。また、仮に政権を獲得しても、それは日本の民主党同様で絵に描いた餅となり、あっさりと退陣になるのが関の山だと思います。
 このところのアフリカの反政府運動から見て、今後の欧州各国で予定されている選挙の動向を掴むのは難しくなる気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-07

前原元外相が日本を見捨てた本当の理由

 前原氏の外相辞任には驚いた。この話を知ったのは、報じられてから日をまたいだ今朝、というか夜中のネットニュースからでした。昨晩は、内輪のことでそれどころではなく、ニュースもチェックできなかったため、夜中にごそごそしていたのです。そして、静まり返った部屋で大きな驚きの声を出してしまった。その驚きは、たった「20万円の献金が理由」だからだと思ったからです。午前中までその思いを引きずっていましたが、どうも腑に落ちない引っかかるものがあり、なんとなくネットを探していました。
 また、先ほど、枝野氏が当面は兼任すると知り、刻一刻と日本の政治が悪化の道を辿っているのを記録しておかねばと思ったのです。明日はどうなるか?もう菅政権は既に終わっているからといって首相をこれ以上ころころ変えるのはみっともないことで、政権を変えるに値する政党が出てくるまでは、この政府を温存するだけです。それだけのためといってはまったくもって失礼かも知れませんが、今までも書いてきたとおり、その理由が本心で菅さんを応援しているのです。
 当初、前原氏は、「故意ではない」と話していたように記憶していて、池信先生のブログ(参照)に目を通すに、やはり、「故意の受領でなければ罰せられない」と言及されています。前原氏くらいの人ならそんなことは知っていることでしょうし、だから当初、「故意ではない」ときっぱり言ったのではないかと思い、メディアの馬鹿騒ぎの方が阿呆らしく喧しかった程でした。それだけに、前原氏の辞任が不自然に感じられたのです。
 そして今日昼前、極東ブログ「前原外務大臣辞任、呆れた」(参照)では、ウォールストリートジャーナルの前原氏辞任を報じる速報を引用しながら、軽くサラッと言及されています。

 私にははっきりしていることがある。普天間問題から逃げたなということである。ウォールストリートジャーナル「前原外相辞任、菅政権に打撃-外交関係円滑化努力に支障も」(参照)にも指摘があるが、米国側としては、リビア並みに手詰まりになった。

 前原氏の辞任は日米関係へも打撃だ。2009年に民主党が政権を取って以来、沖縄米軍基地の移転問題で緊張が高まっている。前原氏は親米で知られ、当初は沖縄担当相として、その後は外相として交渉を主導していた。

 リビア並みの手詰まりというのは、お手上げ状態。因みに私も午前中、臭いをかぎつけて普天間問題に辿りついたところでした。沖縄タイムスの「前原氏「沖縄に感謝示す施策を」」(参照)で次のように報じています。

 さらに「辞める人間が生意気な言い方かもしれないが」と前置きした上で、「大事なことは、繰り返しになるが(沖縄への)おわびと感謝の気持ちを言葉だけではなく施策に表すことだ。その意味で今年は極めて重要な年だ」と強調した。
具体的に2011年度で期限が切れる沖縄振興計画と米軍用地の返還に伴う特別措置法(軍転法)を列挙し、「ポスト沖振を決める年でもあり、軍転法に代わるものを作らないといけない」と指摘。政府の姿勢として「基地問題とリンクさせずに沖縄の振興、自立的な経済発展を本気で考えるべきだ」とし、仲井真弘多知事をはじめ沖縄側と連携を取る重要性に言及した。
日米関係については「同盟深化が道半ばでやることができなくなるのは慚愧(ざんき)に堪えない」と志半ばで辞任する心情を吐露。「外交の空白を生じるより、けじめをつける方がプラスになると判断した」と述べた。

 親米家で知られ、自らも精力的に動いていたとされるだけに、20万円ぽっちの無罪であると分かりきった献金問題と、日本の今後を大きく左右する外交問題と比べれば、選ばれて外相の椅子に座っているのは名誉でもあるでしょうし、政治家冥利に尽きるというものです。今回の20万円は、この椅子から自らを退けるほどの問題にも値しないというのが一般的な見方です。だから、この辞任話しが胡散臭く思えてくるのです。それに、いかにも心残りのように沖縄基地移転問題に拘って会見では言及されている様子です。これが返って変でした。では、何から逃げたのかが問題です。
 極東ブログの指摘しているアメリカが手詰まり状態だというのは、今年2月16日の米ゲーツ国務長官の発言にあると思います(参照)。

ゲーツ長官は16日のアメリカ議会公聴会で、代替施設の工法や滑走路の本数などについて、今年春の遅い時期までに結論を出したいとの意向を示した。さらに、「普天間問題が解決しなければ、海兵隊のグアム移転などは行われない」と日本にクギを刺した。
日米交渉の遅れについて、アメリカ政府内には不満がくすぶっており、ゲーツ長官はこうした声を背景に、普天間問題の早期解決をあらためて日本側に迫った形。

 そして、今月頭に日本政府は辺野古のV字滑走路の位置を変える案を検討し、米政府に提出済みです(参照)。

当初はウミガメの産卵場もある大浦湾の埋め立て面積を減らすため、南西に移動させる案を検討したが、修正しても生態系への影響に大差はないと判断した。
 一方、南東に移動すれば、飛行ルートは辺野古の居住地区から離れ、安全性は向上、騒音被害も大幅に軽減できる。55メートルの移動は、自民党政権時代に合意したV字案に基づく環境影響評価(アセスメント)を適用できる範囲内での最大限の修正となる。
 米側は「V字案が最善」と主張してきただけに修正案に応じる公算が大きい。
政府は今後地元の説得を進める方針だが、仲井真弘多(なかいま・ひろかず)沖縄県知事と稲嶺進名護市長は辺野古移設への反対姿勢を崩しておらず、同意を得るのは容易ではない。

 日本政府がアメリカと合意した案の通り、辺野古移設案で当然進めた結果なので、対アメリカでは代議名文は果たせるとしても、問題は、沖縄住民の反対です。これがある以上、アメリカも強引に動けません。沖縄頑張れ!と、ここは応援しますが、間に挟まってしまった前原氏は逃げた。
 これは、日本にとっての大ピンチ。アメリカとの信頼関係はどうするのか。前原氏のことを後にぐずぐず言いたくないのでここで言及しますが、沖縄のみならず、日本を見捨てた前代未聞の前外務大臣前原氏は、わが身に降りかかった20万円の献金疑惑に便乗して沖縄問題から逃げた。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

玉手箱の中の「さよならをするために」

 本当の意味で旅立ったのかもしれない。息子。
 「自我」の蓋が開いたね。上と下に気配りするあまり、やっとそのことに気づいたかな。それが、どんな形で表に飛び出そうと、それに驚くよりも、その存在に気づけてよかったと思う。いつかは誰もが気づくことだけど、大概は、見て見ない振りして終わる。
ここでまた大人に近づいたね。

***

 極東ブログで紹介されている曲(参照)、「さよならをするために」は懐かしいばかりじゃない、メロディーと共に玉手箱の蓋が開いて、いつの間にか私は高校生に戻っていました。「さよならをするために」という曲と一緒に、その玉手箱から一通の手紙が出てきて、その手紙を読んでいる姿に戻っていました。
 手紙は、A3の製図用の紙で、広げるとぎっしり文字で埋め尽くされている。こんな変わった手紙は初めて。真ん中に縦に仕切り線がフリーハンドで引いてあって、その左側から横書きで始まっている。この一風変わった手紙が、私が最初に男性からもらった手紙だったかな。いや、それよりも前に誰かからもらっている。もう、それすらも忘れてしまった。何が書いてあったのか、内容はナイヨウなものだったけど、彼からもらう手紙は沢山たまった。5年後、その手紙ももらったプレゼントも、何もかも燃やしたはずなのに。そして、よい思い出だけを玉手箱に格納したはずなのに、思い出すのは痛みばかり。ずっと後になってその痛みを時々思い出す時に、付録のようについてきたのがこの「さよならをするために」だった。あの痛い思いを、どうやったらこの美しくいかにもさらっとした歌のように流せるのだよ、と憤慨すような気持ちだった。
 今頃になって気づいてもしょんないけど、「あたしのよさがわからないようなやつは、およびぢゃねぇんだよ」とでも悪態をついていればよかったのかもしれない。でも、残念ながら、そういう向こう気の強さはなかったな。それは今でもそう。

さよならをするために

過ぎた日の微笑みを みんな君にあげる
ゆうべ枯れてた花が 今は咲いているよ
過ぎた日の悲しみも みんな君にあげる
あの日知らない人が 今はそばに眠る
温かな昼下がり 通りすぎる雨に
濡れることを 夢に見るよ
風に吹かれて 胸に残る想い出と
さよならを するために

昇る朝陽のように 今は君と歩く
白い扉をしめて やさしい夜を招き
今のあなたにきっと 判るはずはないの
風に残した過去の さめた愛の言葉
温かな昼下がり 通りすぎる雨に
濡れることを 夢に見るよ
風に吹かれて 胸に残る想い出と
さよならを するために                

 まったくだ。脳内が昭和でくらくらしてくる。
 この詩の意味は女なら分かると思う。それも昭和風味な感覚を要するので、古くなきゃダメ。そして、ねっとりした風味はあまり好きやじゃないくせに、どうしてもねっとりしてくる。そういう時は、極東ブログのように、詩学的に分析して、シュールの世界観を持つとよい。すると、少しずつ痛みが和らぐような感じがしてくる。気づくと、歌にこびりついた当時の思いが剥がれ落ちている。不思議だ。恋とかいうものは、自分の思いを相手にべっちゃりとくっつけて、それをいつまでも守りながら持っていたいもの。その程度のものなの。
 でね、これがトドメの曲ザ・ピーナッツの「ナオミの夢」だ。あーあ、またくらくらだ。

 「Come  back to me」とか言われるとつつって戻っちゃいそうな哀れさがやってくる、これがなんとも。これも昭和だわ。コミカルに歌っているけど、なんか未練の垂れ流しだわ。
 脳内が昭和でくらくらになったついでに暴露しちゃうと、去年のクリスマスストーリーのザ・ピーナッツの紹介で(参照)火がついたとまでは言わないまでも、時々Yuotubeで聞くようになったのはホント。昔「夢であいましょう」というNHKのバラエティー番組があって、ザ・ピーナッツが出ていたから見たというくらい聞き惚れていたのです。しかも、歌詞の意味なんて全くそっちのけで。で、じっくり聞いてみると、女の未練や悔恨をしっとり歌っていて、とても恥ずかしくなるほどこれがマジに入ってくる。これは、単に歳を食ったつことかな。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2011-03-06

オバマ外交の失敗-リビアの「内戦」

 当初、リビアの反政府運動は、カダフィー大佐の独裁政権への不満から、チュニジアの反政府運動の流れを受けた形で始まったと報じていました。この反政府運動を受け、反旗を翻したカダフィー政府は、アフリカ人傭兵や空軍、治安部隊あらゆる手段を使って反政府運動の弾圧を試みています。当初は、反政府運動は市民のデモであり、カダフィーの弾圧は虐殺行為だったと言えますが、カダフィーに反目した兵士が反政府側に乗り換えた時から武装による戦いへと変化し、これを現在「内戦」と呼ぶようになったのだと思います。「内戦」だとソーシャルメディアが言い出せば、それは「内戦」だと言う単純なことではなく、国際社会がリビアに軍事的な介入をどうするかという時に、「内戦」であれば介入はできなくなるということです。痴話喧嘩なんで、ほっといてよと、カダフィーが公然と殺害作戦を展開できるのです。それでも、他国の揉め事に首を突っ込むべきじゃないということです。そうなると、少し気になることもあり、その辺を書くことにします。
 いまさら蒸し返したところでどうにかなることでもないのですが、当初、私は、アメリカの鈍い動きに苛立っていたのです。理由は、政府が国民を虐殺するのはやめれ、という人権保護の考え方からです。カダフィー軍が、反政府運動を始めた市民に発砲した時点で、何らかの形で国際社会がこれに介入すべきだったと言いたくなる理由です。エジプト争乱でのオバマ氏の判断の鈍さを加えれば、何故、リビアを黙って見過ごしたのだろう。そういう疑問がどうしても出てくるのです。メディアが「内戦」と流して世界がそうだと思えば、後にこれは、アメリカの不介入の正当性だったという部分だけが伝説として残ります。ここで私見を言わせてもらうと、これは、オバマ外交の失敗です。そして、アメリカの歴代大統領の序列にも加えなくてはなりません。
 アメリカの中東への関与は1953年、イランのクーデターから始まり、広義に中東和平問題として取り組んできたといえますが、象徴的なのは、ブッシュ政権のイラクとアフガニスタンの両戦争です。オバマ氏は、これをそのまま引継いでいます。が、これまでの関わりから見て、軍事的な外交は殆ど失敗に終わっているのではないかと思います。動きにキレがないというか。私がイラついても仕方ない事ですが、レーガン元大統領が、カダフィーを「中東の狂犬」と呼んでガツンとこらしめたからこそ彼は今日まで静かだったように思います。ところが、中東の反政府デモに勢いがつき、このエネルギーはリビアに波及し、リビア国民は、カダフィーを怒らせたのです。カダフィーは何をするか分からないというトラウマでもあるのか、オバマ大統領は、この「狂犬」に対して静かです。
 そのアメリカに向けて3日、カダフィーはけん制するかのような声明を出しています(FNN)。

 激しい内戦が続くリビアで、最高指導者のカダフィ大佐は、アメリカが介入すれば、「血みどろの戦いになる」と警告し、欧米の軍事介入を強くけん制した。
 カダフィ大佐は2日、首都トリポリで支持者を前に演説し、「わたしは死ぬ用意ができている」と述べ、あらためて退陣を拒否し、反体制派との徹底抗戦を主張した。
 そのうえで、「アメリカがリビアに足を踏み入れれば、血みどろの戦いに突入し、多くのリビア人が死ぬ」と述べ、アメリカなどによる軍事介入を強くけん制した。

 これは私の個人的な印象ですが、オバマ氏以前のアメリカ大統領は、このような情勢を黙って見てはいませんでした。外交的には、発信源となって関係国との国際会議を行ったり、具体的な方針を立てるための調査団を派遣したりと、精力的に関わる国を巻き込みながら国際的な問題へと拡大させてきたと思います。日本は島国で、ともすると国際社会から置いてきぼりにされてしまう嫌いもありますが、経済大国日本にはそれなりの声もかかり、そのお陰で、何かと貢献できたという過去もあります。これがアメリカのやり方で、同盟国を巻き込みながらアメリカの導きたい方向へと自ずと進んできたと思うのです。
 既に国連安保理の機能も帯に短し襷に流しといったところで(参照)、拒否権が邪魔してにっちもさっちも行かない状態です。加えて、ロシアや中国は、国際社会の意見には耳を貸しません。その上、リビアが「内戦」となると、他国の揉め事なので首を突っ込めません。やっと世界の関心が寄った飛行禁止区域については、反政府側に対するカダフィーの殺害行為を食い止める手段として検討され始めたようですが、大きな軍事作戦を要する、とこれを名目に、及び腰姿勢の嫌いもあります。
「内戦」だからとこのまま放置すれば、リビアはいったいどうなるのか?昨夜の日経(参照2011/3/5 20:23))では、カダフィー政府軍の武力は優勢で、奪還しつつあるようです。

【カイロ=押野真也】反体制派と政府側との衝突が続くリビアで4日夜から5日にかけ、政府側が首都トリポリ西郊の要衝、ザウィヤに激しい攻撃を加えた。戦闘機やヘリコプター、戦車などを投入した最大規模の攻撃で、死傷者は民間人を含めて150人以上に達したもよう。ザウィヤは反体制派が掌握していたが、武力で優勢な政府側が奪還しつつある。
政府側は空爆に加え、数百人の兵士、20台以上の武装車両でザウィヤの居住地域を無差別で攻撃した。中東の衛星テレビ、アルジャズィーラは、血だらけの負傷者の映像を繰り返し放送し、死傷者数を150~200人と伝えた。なかには子供や女性が多数含まれており、カダフィ政権は国際社会からさらなる非難を浴びそうだ。

 こう見ると、軍事力からすれば、最終的にはカダフィー軍が勝つ可能性が高いと思います。そして、それは、「狂犬」の刃が反政府側に向くことを意味すると思います。無駄に人が殺害されるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-05

バングラデシュ グラミン銀行総裁ユヌス氏解任の背景について

3b204dca44cf11e0a8c600144feab49a

 国際的に取り上げられるような目立つこともあまり聞かないバングラデシュのことですが、一昨日、NHKニュースが報じた「ユヌス総裁“解任取り消しを”」(参照)にはちょっと驚きました。
 ユヌス氏(70歳)といえば、貧困に苦しむ人たちに無担保で融資を行うというグラミン銀行の創設者で、これを評価されて2006年、ノーベル平和賞を受賞した人物です。それが、解任される事態になっていたとは、何が起きたのかという疑問を持ちましたが、ニュースからはその背景がつかめなかったの調べてみました。
 元になったニュースは次の通りです。

バングラデシュの中央銀行は2日、「ユヌス氏が中央銀行の承認を得ずに総裁に就任していた」として、ユヌス総裁を解任する命令を出しました。これを受けて、ユヌス氏は3日、この命令を不服として首都ダッカの高等裁判所に処分の取り消しを申し立てました。申し立てが受理されれば、今後、法廷の場で解任の是非が争われることになります。ユヌス氏は、貧困に苦しむ人たちに無担保で小口の資金を融資する「マイクロクレジット」と呼ばれる制度を考案し、みずから設立したグラミン銀行を通じて、貧困層の自立を支援したとして、2006年にノーベル平和賞を受賞しています。ユヌス氏は、ここ数年、バングラデシュ政府の腐敗や汚職を批判して、政権との対立が深まっていたほか、去年末には、グループ企業に不透明な融資を行ったと報じられ、グラミン銀行は否定したものの、政府は、ユヌス氏の辞任を求める圧力を強めていました。

 この記事から受ける印象は、政府の腐敗を批判する反政府側を強権的に弾圧し、臭いものには蓋をしろ的な構図のように取れますが、辞任の直接的な理由と見られる「中央銀行の承認を得ずに総裁に就任していた」や、「不透明な融資を行った」などは、ノーベル平和賞受賞そのものを否定するような内容とも取れます。だからこそノルウエー政府が国営放送を通してまで報じるわけですし、ユヌス氏が申し立てをしているのだと受け止めるのが筋とは思います。
 まず、記事中の「ユヌス氏が中央銀行の承認を得ずに総裁に就任していた」については、英フィナンシャルタイムズの3月2日記事にその詳細がありました(参照)。

“According to the bank's legal advisers, the founder of Grameen Bank, Nobel laureate Professor Muhammad Yunus, is accordingly continuing in his office,” the bank's management said.The government controls 25 per cent of the voting membership of Grameen's board of directors and has appointed a chairman, making a battle for control likely.
銀行側によると、ムハマドユヌス氏(グラミン銀行の創設者で、ノーベル平和賞受賞者)は、顧問弁護士よってその執務を認められているとしている。一方、グラミン銀行株を25%有する政府の承認を得ずに総裁に就任していると反論している。

 これはいったいいつのことか?グラミン銀行設立の1983年当時のことを蒸し返しているとしか考えられません。さらに同記事では、銀行法で、定年60歳としていることをも解任を正当化しているようです。確かに、総裁として長く君臨してきたのは確かだと思います。
 また、NHKニュースの「グループ企業に不透明な融資を行ったと報じられ、グラミン銀行は否定したものの、政府は、ユヌス氏の辞任を求める圧力を強めていました。」の不透明な融資とは何を指しているのか、これを調べると、12月1日、ユヌス氏の100万ドル流用疑惑が原因ではないかとする記事があります(indianexpress)。

Bangladeshi Nobel laureate Muhammad Yunus has been accused of stashing some USD 100 million originally for microcredit operations of his Grameen Bank to his another venture in 1996, breaching agreements with donors and violating the country's financial rules.
1996年,グラミン銀行の資金100万ドルをグラミン銀行の下部組織に回したのは財務上違法である。

 としていますが、実はこの100万ドルは、ノルウエー政府からグラミン銀行への資金提供であったため、下部組織に流用したのはノルウエーとグラミン銀行間の取り決めに違反するというのが本筋のようです。しかも、この後12月8日、この資金をグラミン銀行に戻したことで解決しているとノルウエー政府はユヌス氏を擁護する声明を出しています。
 以下は、これに間違いないとする声明です(参照)。

"There is no indication that Norwegian funds have been used for unintended purposes, or that Grameen Bank has engaged in corrupt practices or embezzled funds," Norwegian minister for environment and international development Erik Solheim said in a statement issued by the country's foreign ministry.
 ノルウェー環境大臣と国際開発エリック・ソーエム氏は、ノルウエー外務省が明らかにした「グラミン銀行は、ノルウェーからの資金を故意に目的外使用したり、基金を横領したとい事実は全くない。」という公表した。

 この100万ドル疑惑も、10数年も前の話です。にもかかわらず、昨年末にバングラデシュのテレビで放送された事から何を連想するかと言えば、政府のユヌス氏への弾圧としか思えません。誰がこのいちゃもんをつけているのかは、先のフィナンシャルタイムズが、現首相だと報じています。

Sheikh Hasina recently expressed open scepticism about the benefits of microfinance , and outright antipathy towards its famous pioneer, accusing microlenders of “sucking blood from the poor in the name of poverty alleviation”.
現首相のハシナ氏には、最近マイクロファイナンスの利益に関して懐疑的な見方があり、「貧乏人から、貧困緩和の名にかけて吸血する」とあからさまに訴えている。

 二人の関係は2008年の選挙の際、二大政党に批判的なユヌス氏が新党を発足させるなどの政治活動を展開し、政府批判をしたことなどが現政権の不興を買っているという背景があることを報じています。
 この選挙は、2007年1月の予定でしたが、政党内の対立により夜間外出禁止令が出されるほど情勢が不安定になったため、翌年に延期されたという経緯もあります。これってどこの国にもありがちな、足の引っ張り合いじゃないのか?ただ、バングラデシュに関しては、ノーベル平和賞の受賞であることや、その認定をしているノルウエーが、授与者として相応しいかどうかを見極める味もあり、世界のメディアが取り上げるのはもっともだと思います。
 因みに、ハシナ氏の言いがかりである「貧乏人から、貧困緩和の名にかけて吸血する」と言う根拠はあるのか?そこを調べてみました。
 「マイクロクレジット」と呼ばれている無担保小額融資制度が、グラミン銀行の貸付けシステムです。これは、貧困層でなくても嬉しいシステムですよ。一般的に、土地や建物を持っていないと借り入れできないのは当たり前で、本当に困っている人には貸してくれないのが銀行というイメージはあります。それだけならとても良い制度ですが、金利は年利20%だそうです。因みに、日本の住宅金融公庫の年利は、最初の10年が2.2%ですから、約9倍。カードローンでも10%です。と、ここでハシナ首相も単に罵っているだけではないのかと思ったのですが、とんでもない、バングラデシュの高利貸しの金利が100%以上だと知り(Wikipedia)、グラミン銀行の利息はベラボウでもないと思いました。というか、物価上昇率の高さを加味すると、相対的には低いと言えそうです。
 やはり、今回の騒動は、どう見てもハシナ氏の言いがかりのようにしか思えません。
 オチもヒネリもない、つまらない話でした。

追記:「オチもヒネリもない」と書いてみて、何か面白い話はないかとネットで探したところ、極東ブログ「どういう恰好で寝るべきなのか」(参照)で、今日のエントリーとは全く関係ないのですが、バングラデシュ人の寝る時の習慣について触れています。エントリーそのものが面白いのでリンクを張ります。握手をして融資の成立を確認するのが信用貸しの方法だと言うグラミン銀行ですが、人のよさそうな国民と言う気もします。そして、政権転覆を何度も繰り返すバングラデシュにある日、ノーベル平和賞を授かると言う栄誉が転がり込み、銀行総裁の座から引きずりおろされるような不名誉は、これだけでも大きな問題だったといえそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-04

乳房再検査の話

 昨日、乳房の超音波エコー検査を受けてきました(まただよ、また!)。年に一回受けているドック検診結果によるものでした。何もなければ書かないのですが、今回は、再検査が半年後に組まれたこともあり、癌やその検査に関して多くの方が書いていることとは承知の上で、マンモグラフィーを受ければ安心ということでもないという点についてだけ触れたいと思います。また、これについてまつわるいろいろな思いもあるので、書きとめることにします。
 まず、何故定期検査を受けるのか?全く検診を受けないという考えの人もいるので、あえて選択の意味を書くことにします。
 受ける受けないの究極の分かれ道は、死に至るような癌や何か重大な病気を早期に発見し、積極的な治療をして延命を図るのか、自覚症状として異変を感じてから最終的に病院へ行くか(または行かないか)、のどちらかだと思います。どちらが長生きか、それは全く分かりません。これは、自分の生き方の選択肢だと思います。検査は誰も強制はしないことなので、まずここで積極治療の意思決定が必要です。ドック後、再検査の必要を指摘されたら100%応じるのだという覚悟を最初にもってドックに望むのです。これが曖昧だと、検査が苦痛になり、不安定な気持ちにもなります。一般的に、検査には痛みに対する我慢や、内視鏡検査などにともなう事前準備の必要など面倒なこともありますが、私は、病気の早期発見に努め、早期治療をもって完治を目標としているということを前提にしています。
 仮に私が75歳で余命5年です、と言われたらもう検診など受けないでしょう。人生80まで生きたらよしとするような気がします。また、80歳になっても悪いところはどこもなかったら検診はその辺で止めておくかもしれません。因みに、ご近所の100歳のご夫婦は、検診には行っていないと聞きます。検診という制度は昔はなかったし、人生の習慣として存在しなかったからという理由でしょうか。運よく重い病気にかかることなく、百歳まで無事でこられたということです。
 前置きはこのくらいにして、乳房検査の話に入ります。ここ数年話題になっている、マンモグラフィーという乳房のX線の検査をドックの基本検査である触診に追加し、ここ数年受けていますが、毎年再検査へ回ります。マンモグラフィーだけではどの道検査は片手落ちだとも言われていますが、マンモグラフィーで映ったものが何であるか、それを超音波エコーで調べるためです。専門医師の話しで、触診、マンモグラフィー、超音波エコーの三拍子が揃っても完璧とはいえないのが検査だと聞いている通り、それぞれに調べる目的が違います。マンモグラフィ-で影が映ったからといって必ずしも悪性ではなく、私が持っている「のう胞」のようなただの水の袋も映し出されます。また、マンモグラフィーでは映らないのに超音波エコーなら映る、という場合もあるのです。
 マンモグラフィーの検査方法は、乳房の縦と横を左右合わせて4回撮影します。簡単に言うと、おっぱいを透明の板に挟んでできるだけ薄く潰した状態に保って撮影するのです。これが超痛いのです。一般に言われているのは、垂れパイの人は痛みがあまりないそうですが、私は、垂れパイではなく張りがあるので、激痛が走ります。まったく。マンモグラフィーの激痛は、ある意味優越の境地とでも思わなければ、そうそう我慢できるものではありません。
 問題は、このマンモグラフィーの検査の後、何故さらに毎回再検査になるかです。私の場合、マンモグラフィーで白い影が映り、それが何かをつきとめるため超音波エコーによって乳房の断面を診るためですが、毎年「のう胞」だという診断が下るのです。またか、という思いを繰り返すだけなので、今年は触診だけにしておこうか、などというブレも起きます。そこで気を抜かないようにひたすら自分に言い聞かせ、過去にまあいいかで失敗し、後悔先に立たずの苦々しい経験を呼び起こして検査に挑むのです。
 そして、昨日、超音波エコーで見えた影は今までのとは違う全く新しいものでした。これが半年後の検査をすることになった犯人です。診察では触れない上、マンモグラフィーにも映っていないのです。これが、医者の言う「三拍子」の意味です。但し、現時点では癌だと断定するものではないため、半年後に生育状態を観察するのだそうです。
 ここまでが乳がん早期発見の検査過程ですが、ちょっと理不尽さも感じます。これについて、私の意見を言わせてもらいます。
 乳がんの検査はもっかのろころ触診、マンモグラフィー、超音波エコー、組織検査で行われていますが、ドック検診では触診が基本で、マンモグラフィーは希望による追加項目です。毎回これに引っかかるのが分かってるので、マンモグラフィーに加えて超音波エコーまで一緒にやって欲しいと申し出た時、それは出来ないと言われたのです。これは病院の方針によるものなのか、医療的な決まりなのか定かではありませんが、今回のように超音波エコーでしか映らない影の発見にもつながるわけで、受診者が希望する範囲で実施されても良いのじゃないかと思うのです。何故ここに規制のような形で制約されてしまうのかと不思議です。逆に言えば、マンモグラフィーで何も映らないからといって、安心できないということです。超音波エコーでしっかり映し出された映像を見せられると、うげっ、なにこれ、と驚きました。が、結果的に見つかってよかったと、いうことです。ところで、ここで見つかったことを喜べるかがっかりするか、それが先に述べた受信の最初の腹決めが関係します。積極的に治療を望むと決めたからこのステージにいるのです。それを忘れてはいけません。
 脅かすわけではないですが、昔は触診だけで、それでは充分ではないから今はマンモグラフィーを盛んに勧めています。それほど遠くない日に、超音波エコーが検査項目に加わる時が来てもよいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011-03-03

中東情勢悪化に伴う原油価格高騰の「最悪のシナリオ」について雑感

 諏訪の景気?悪いなんてもんじゃないです。これは、私の駄洒落と並んで寒過ぎてもう凍り付いています。長引くデフレで持ちこたえられない中小企業はすでにふるい落とされてしまい、残ってるわずかな企業は零細もいいところです。低価格競争の挙句、身を削る思いで働いて凌いでいるだけです。どたばたと働いて忙しそうにしているだけでも羨ましがられますが、実は、働くほど赤字が嵩むという状況です。
 昨日、久しぶりに友人宅で過ごし、ご主人のお昼の帰宅と重なってしばし雑談をする中、話題は景気問題でした。いずこも大変な思いを引きずりながら凌いでいることを知り、共感を覚えてほっとしている場合じゃない。帰宅後、高騰し続けるガソリン価格はこの先どうなるのか?食品の物価よりも際立っているのがこのガソリン代。これが上がると全てが値上がりするのは過去に何度も学習していることです、今回の値上がりの原因を考えてみました。
 一般論としてガソリン値上がりの原因は、中国やインドなどの人口の多い興新国の需要拡大や産油国の不安定な国内情勢による減産、先物市場としての石油に投機マネー現象が起こるなどが上げられています。この一般論に現状を当てはめれば回答が得られるはず、と凡人の私は単純に当てはめてみました。
 まず、①の新興国の需要の高まりがこの急激な高騰の原因になっているかですが、実際の数字を求めるのは困難でした。不確かではありますが、少しずつ上昇してきているとはいえ、これほど急激な値上がりに結びつくとは考えにくいです。
 ②は、大いに関係します。昨年のチュニジアから端を発して、北アフリカや中東では反政府運動が波及し、マヒ状態に陥っています。原産国であるリビアの内戦は最悪の状態に向かっているようです。昨夕Twitterで流れたクリップ情報です(ロイター)。

[ベンガジ(リビア) 2日 ロイター] 中東の衛星テレビ、アルジャジーラによると、反体制派が制圧していたリビア東部のブレガで、体制派と反体制派が衝突し、体制派が奪還した。
アルアラビーヤによると、ブレガの空港周辺は、体制派の軍の管理下にある。
アルジャジーラはまた、反体制派が軍の基地を管理下に置いている東部の街が戦闘機による空爆を受けていると伝えた。

 この状況で現在のところの原油生産量は日量160万バレルの半分以上が停止していると伝えています(SankeiBiz)。ところが、同記事ではリビアが停止状態ならサウジが頑張るよ、ってなわけでリビアの減産分を増産して相殺するという事になったそうです。

アルファリCEOはサウジ東部の都市コバールで28日、記者団から供給不足に対応して増産する方針かどうかを問われたのに対し、「顧客からの需要の増加分を供給する用意がある」と答えた。ただ、追加供給の具体的な量については言及せず、「顧客の需要は日ごとに変化するため、当社の増産規模を言うのは難しい」と説明した。

 これもサウジにいつ何が起こるか先の保証はないので、現況で押さえておくことにします。
 最後に③については言うまでもなく、中東、と北アフリカ各国に相次いで起こっている反政府運動や内戦の影響を懸念する消費国は、買い急ぐあまり投機的になっています(時事)。

 2日午前のニューヨーク商業取引所(NYMEX)の原油先物相場は、不安定な中東・北アフリカ情勢に加え、米国内の石油在庫減少を上げ要因に続伸した。米国産標準油種WTIの4月物は午前9時40分現在、前日終値比0.76ドル高の1バレル=100.39ドル。一時は101ドル台を付けた。

 またまた一般論になってしまうのですが、原油の適正価格といわれているのは1バレル80ドルくらいまでと言われていますから2008年の120ドル位までは覚悟の範囲に入ってくるのかもしれません。
 ここでの結論は、③の要因がガソリンの値上がりに一番貢献していると言えそうです。つまり、サウジアラビアがリビアに変わって頑張ると②の原因を解消し、結果、先物として投機マネーが起こるのが価格の高騰を引き起こすのです。実際の需要供給バランスの不安定ではなく、原油に群がるマネーゲームが起きているということです。
 この理屈が転じて、ガソリンの消費を控えれば下落するということもいえますが、需要が減ると産油国も生産調整するので、全く先が見えません。
 と思いきや、英フィナンシャルタイムズに寄稿された クリス・ジャイル氏(Chris Giles)によると、確実に需要は減少すると報じています(参照)。

This would not matter if oil producers, who are the beneficiaries of the sudden windfall, were to spend their gains on other goods and services.However, because oil-producing countries tend to spend less of their incomes than oil-consuming nations, the price rise is almost certain to lead to a drop in global demand.
 突然の棚から牡丹餅的な収益を手にする産油国が、その利益を消費に還元するのであれば、その効果は所得の再配分として全く問題はない。しかし、石油消費国に比べ、産油国は往々にして所得を消費に回す割合が少ないため、原油価格は上昇し、世界需要の低下につながるのはほぼ確実である。

 簡単に言うと、儲かった国からからお金が流れないので消費国は節約に走る、ということです。
 記事ではこれに続いて、現在の原油高騰は、2008年の需要拡大による高騰とは異質で、その背景は、産油国の国情が不安定であることと、世界中の主な消費国が赤字を抱えている点を指摘しています。
 赤字国に石油高騰がもたらすのは、物価上昇によるインフレです。これは、日本にとっては好都合でもありますが、急場凌ぎに銀行から借り入れを起こすには至らないという予想が立つとすれば、各国の中央銀行も、インフレと戦う姿勢になるのではないか。そうなると、石油原油価格の高騰は、最悪のタイミングに起きたと言える、そうKing氏は話しているようです。
 この説明を元に、日本の2008年ガソリン高騰のことを振り返ってみました。
 4月1日、当時野党であった民主党がガソリン税25円の値下げを要求し、暫定的に値下げしたものの、4月30日、与党(麻生政権)は、ガソリン税の暫定税率を復活させる法案を衆議院で再可決し成立させ、従来と同じ税率に戻ったことがありました。あの時は、国全体がこの件でごった返し、麻生政府にも愛想をつかしたものでした。余談ですが、この時、値下げを打ち立てた民主党は、国民から支持を得て政権交代に勢いをつけた時期でした。国民受けする提案をするのは良いとしても、その財源確保などを問うても、もう誰もが民主党支持に移ってしまいました。これを後から後悔しても始まりませんが、はっきり言って、あの頃は今よりはましだったかな。
 さて、原油価格が国民生活を脅かすとなれば、2008年に民主党が提案したように政府が暫定的に税金分を肩代わりするくらいはお願いしたいものです。が、これは、政府の資金に余力があればの話しであって、現政府にそんな予算はありません。逆立ちしても鼻血も出ません。これがFT記事で指摘されていることで、日本に限ったことではありません。もやは、世界の消費国は殆ど赤字国です(かろうじてドイツが良いかも)。財政破綻の危機は、ギリシャ、アイルランドだけにとどまるとは思えません。
 先の記事にもあるとおり、サウジアラビアがリビアに代わって原油を産出し続ければこの高騰は長く続かないのではないか、というのが目下のところの望みの綱のようです。中東の国に静けさが戻るまでサウジの産出が続けられるか、同時に、消費国の経済状態が辛抱出来るかが鍵だと思います。こうなると、体力消耗しないよう温存させるしかないと思います。
 最後に私が気になる点について。
 産油国が、棚ぼたで転がり込んだ利益を兵器購入に当てるのではないかという点です。兵器が充実すれば、戦争が長引くことになるのです。また、その購入先が、赤字を抱える先進国や中国の可能性も無きにしも非ずだと思うのです。一部の外国報道に、それを伝えているものもありますが、信憑性は分かりません。火事場泥棒とはよく言ったもので、どたばたと混乱状況にある国を出し抜いて、狡い商売に走るような体たらくにはなって欲しくないです。

⇒参考までに:極東ブログ「原油高騰の雑談、2008年前半版」(参照)では、2008年の原油高騰がどのように起きたかなど詳しく解説されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-02

水たまり遊び

 久しぶりに二日に渡って雨が降りました。それも、丁度、犬を散歩に連れ出そうかという時間に降っているのです。犬は雨なんてへっちゃらのへとは言え、後の始末が大変なことになるので、レインコートを着せて昨日は決行しました。いつも会う散歩仲間には誰にも会うことはなかったのですが、小学生の下校と重なり、行きは低学年に帰りコースでは高学年に遭遇し、一緒に歩く楽しい散歩となりました。うちの犬は7ヶ月を過ぎたばかりなので年齢的には人間の小学生が丁度遊び相手に良いのか、積極的に子ども達の方へ向かってじゃれ付きます。生き物を飼っていないのか、慣れない子は恐る恐る近づいては様子を見ながら触ったり撫でたり。噛み付かないと分かるまでたっぷり時間がかかるのですが、私は足を止めて見守ることにしています。
 大したことではないのですが、昨日はうれしい光景を目にすることが出来ました。
 水溜りを囲んで、3~4名の子どもが水を飛ばして遊んでいるのです。私が小学生の頃も良くやったな、あれ。周囲の泥を盛り上げて堤防にしてそこを攻める遊びとか、静かに遊んでいると荒々しい男子がやっていてびちゃっと潰したり。同じようなことをして遊んでいるその子らを見て、なんだかほのぼのしたのです。
 あれは、息子が小学生の頃でした。担任に、転校生である息子が流行らしたという水溜りの遊びがまた復活してよかった、と言われたことがありました。この意味はそのままで、水溜り遊びをする子がいなくなって寂しく思っていたのでしょう。親元を離れて、息子が三重県の阿山町(現伊賀市)で低学年時代を過ごした話は以前したことがありますが、そこは超田舎で、学校まで3kmほど小高い山の間に車一台が通れるくらいの砂利道で、用水路を隔てて田んぼに囲まれたのどかなところでした。そこを一緒に暮らす仲間と学校に通い、道草を食った話は傑作集がきるほどで、面白いことが連日起こっていました。ここで生み出された様々な遊びは、そのまま息子と共に転校先であるこの地元小学校に輸入され、センセーションをもたらしたのです。親としては、快く受け止めてくれた先生にも感謝なのですが、実は、田舎育ちの息子と町場育ちのこの地域の子どもと交流はどうなるものかと不安でもありました。学校から借り物のパンツやズボンを着て帰宅する息子を家で迎えるたびに、今日はどんなイタズラをやったのかと、話を聞くのが楽しみなようでもあり、冷や冷やものでもありました。
 これらの遊びが成長には必要だということを教育者から言われずとも自ずと知れたことで、私と同世代だった担任も遊びの必要性を何かに感じていたのではないかと思ったのは、当時、中高生が非常に荒れた時代でもありました。小学校の隣には大概中学が建ち並んでいますが、小学生には見せたくない光景が多々ありました。喫煙や駐車中の車への悪戯などです。また、非行も多く、夜中の徘徊で警察に保護されたり自転車泥棒をしたり。服装もかなり乱れ、茶髪やピアスをして粋がっていました。近づけたくないと思う親は多かったと思いますが、そういうことに蓋が出来るはずもなく、近所でも悪戯に会わないよう注意していました。ただ、これは他人事ではなく、少なからず我が子もその影響を受けながら育つのです。かわいい小学生が数年するとああなるのね、と危機感を抱く元には、非行に走る中学生には何かが足りないと思ったものでした。それが、水たまり遊びや下校途中の道草などの遊びに隠れた何かだったのだろうか。
 この遊びが近所の小学生達に戻ってきたのか、とそう思えて昨日は嬉しかったのです。水遊びの面白さや、犬などの動物を見て何かを感じ、触れてみて何かの感動に遭遇する。何でもいい。いろいろなことに触れる機会があればあっただけいいんじゃないか。
 最近、若い人達が優しくなったと言う人がいて、もしかしたら今のこの世代は、子ども時代に子どもらしく遊んで育ったのではないかと感じていたのです。子ども時代に子どもらしくあるというのはどういうことか、それが分からない親世代もあると思いますが、子どもが荒れている時は大人も荒れている時です。何かと自分に返ってくるのですが、今の政治はあまり良くないけど、子ども達は優しく、大人社会も総じて良いと言えるのかもしれません。
 不景気だというのに心は荒んでいないのは良いことじゃないか、雨の散歩からそんなことを思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-03-01

政変が起きても変わらなかったチュニジア-雑感

 27日、チュニジアのガンヌーシ首相が辞任し、メバザア暫定大統領が新首相に任命したのはベジ・カイドセブシ元外相(84)でした。ガンヌーシ氏が辞任するのは時間の問題だとは思ってはいましたし、それは、チュニジア国民の民主化要望に答えるような人事にならなければ話がおかしくなると思っていました。新首相のベジ・カイドセブシ氏(Al-Baji Quaid Essebsi)が84歳と知って、まずお歳に驚き、名前の読み方も良くわからず、最初は調べようもなかったのですが、ベンアリ政権前のブルギバ大統領時代、1963年から内相や外相、ベンアリ時代に国会議長も務めた人物のようです。
 この流れを汲んで、チュニジアがどう変わろうとしているのか、遡ってみました。
 ブルギバ氏(1903年~2000年)は、チュニジアのフランスからの独立を指導し、初代のチュニジア大統領です。フランスとの親和政策を取り、1975年に終身大統領となったまでは良かったようですが、不況と共にイスラム原理主義が関係する暴動が相次いだため1987年、ベンアリによる無血クーデターによって失脚しました。このブルギバ時代の有力な閣僚べジ・カイドセブシ氏は、脱ベンアリという意味はあるのかもしれませんが、疾風怒濤の革命時代感覚がチュニジアに戻ることはないのかと少し疑問です。フランス植民地としてのチュニジアを独立させ、クーデターを経て正にこれから民主化に向けた政権交代が始まるというスタートに相応しいのは、躍動感あふれるもう少し若い政治家ではないのかとチト思うのです。
 そもそも、チュニジアの政変は、失業問題や物価の高騰などの経済問題が背景でしたから、これを解決するための政権交代でなくては意味がないわけです。首相や大統領が誰であろうと、これらの問題を民主的に解決して行く指導者であれば良いのではないかと思うのです。が、クーデターまで起こしたベンアリ政権がここで崩壊したのは、初代大統領であったブルギバ氏を自らが失脚に追い込んだ理由と同じ、不況で不安定になった市民の一部が暴れだしたことによるものです。暫定政府はガンヌーシ氏を首相に始まってまだ6週間ですが、市民はそれでも飽き足らず、デモによってガンヌーシ降ろしを実現しました。これが民主的な政権交代につながったとなれば、市民のうねりの力はすごいものがあります。ですが、遡ってみたとおり、政権交代を果たせても変わらないのは経済状態への市民の不満です。市民に、国情に対する性急な期待を持つなとは言いがたいのですが、過剰になれば大きな混乱を招き、やがて宗教的に解決を委ねるような原理主義の台頭や、その混乱を弾圧するための新たな独裁政権を生み出すという悪循環になりかねません。
 民主化を思うと何故かマイナス要素ばかりが浮かぶので、民主化に成功した画期的な国の話でもあればと探すに殆どないです。ちょっと不謹慎ですが、ロイターの記事がそれを決定付けるかの如く見事に並べています(参照)。

 ワシントンを拠点とする人権団体「フリーダム・ハウス」が2005年に発行した報告書「How Freedom is Won: From Civic Resistance to Durable Democracy(原題)」は、「独裁的支配からの移行の多くは自由にはつながらない」と指摘。独裁政権から移行した67カ国を調査した結果、35カ国が「自由」となったが、23カ国が「部分的に自由」、9カ国が「自由でない」としている。また、民主主義を持続させる要素には、移行前からの強力な市民の団結力のほか、野党側に非暴力的な戦略があるかどうかだと分析している。

 元米国務省高官で、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際研究大学院のダニエル・サーワー氏は、セルビアを例に挙げ、2000年にユーゴスラビアのミロシェビッチ大統領を失脚させるために、治安当局の過去の行いを不問にすると当局と取引を行ったことが、民主化を停滞させたと語る。「エジプトも同様の問題を抱えている。ムバラク大統領を退陣させるために民衆は軍部隊を信頼したが、問題は軍が今後全体的な改革を認めるかどうかだ」だと、サーワー氏は分析する。

 1986年に民衆のほう起によって失脚したフィリピンのマルコス元大統領は、初めは選挙によって民主的に選ばれている。また、旧ソ連からの独立を求める革命を起こし、のちに欧州連合(EU)に参加した東欧諸国の例も挙げられる。
 その中で唯一の例外はベラルーシだが、同国は独自の言語を持ち、長らく旧ソ連の支配下にあったため、独立国としての歴史がほとんどなかった。地理的にも文化的にもスカンジナビアに近いラトビア、リトアニア、エストニアなどのバルト3国が民主化のモデルとされる一方、1994年にベラルーシの大統領となったルカシェンコ氏は西側の指導者たちから欧州最後の独裁者とみられている。

 くしくもエジプトのムバラク大統領が辞任に追い込まれた2月11日からちょうど32年前の1979年同日、イランではパーレビ国王がイスラム革命により失脚し、王制が崩壊した。しかしその後、新旧体制派双方が暴力に訴えたことで、人権団体「フリーダム・ハウス」の分析では、民主化が遠のいてしまった。

 チュニジアに話を戻すと、多大な犠牲を伴う運動を起こして手にした強権支配体制打倒の果てに残るのは、市民の忍耐や理性でしょうか。ロイター記事でピックアップされている各国の失敗から、もうそれしかないような気がします。全ての人の満足が得られないも民主政治でもあります、と言いつつ、いや、これは他人事ではないですね。日本の首相も数年でころころ変わっているのは何、これ、ですから。外国から見たら日本も不思議な国に映っていると思いますし、外交だって、これだけ首相が変われば進むことも進みません。きっと、多大な迷惑もかけているに違いありません。ぼやけているのですが、どこかに矛盾のようなものを感じます。日本は民主政治であるにもかかわらず、リーダーを変えたがる市民の心理というのもなんだか変じゃね、って聞こえる。
 仮に、今の政権でよしとして、首相も菅さんで良しとすると何がいけないのかな。日本の場合は政治家に政治力がないことが原因なので、これに我慢するしかないと、そういうことになりますが、なんだか納得がいきません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »