2011-02-07

死刑囚永田洋子という人-元連合赤軍幹部の獄中病死

 1971年から1972年に連合赤軍が起こした事件で、当時、世間のことがまだあまりよく理解出来ない年齢の私にも、あの凄惨な事件を起こした主犯である永田洋子被告に情状酌量の余地などあるはずがないと思ったものでした。
 昨日、永田洋子被告が獄中で病死したことを知り、この事件が何だったのか、まず当時の事を思い出そうとしていました。が、事件の内容で覚えている記憶は、逮捕後の報道によるものばかりで、リンチ事件が起きたことを報じるニュースや、連合赤軍の当時の活動の詳細は、実感としてのものではないということがうっすらわかったのです。つまり、永田被告自身を、この人にはこういうことをした人という後付情報の上に自分の見方を重ねて認識しているのだ、という感覚的な捉え方だった事に気づいたのです。死刑の社会的な意味や意義を考え始めたのはしばらくした後で、あのあさま山荘の籠城事件(1972年)からもう40年も経っているのかという感慨が気持ちを埋めていました。
 この世代がやらかしたことを言い始めると、ロクでもないことばかりなのです。団塊世代と括られている世代で、西田敏行の「65歳になりました」というコマーシャルを耳にする度に心の中で「大きな声でえばることじゃないよ」と、ついつぶやいている始末です。戦後、「お前たちは誰のお陰で生きていると思っているんだ」と親から恩着せがましく言われて育ち、それを敗戦したアメリカのせいにして反発心を剥き出しに、よくもまあ世の中をめちゃめちゃにしてくれたものだ、というのが私の印象です。中島みゆきの歌が大嫌いなのもその理由で、歌詞に世代の臭いがたっぷり染み込んでいて臭ってくるのです。
 永田被告に話を戻すと、私の彼女像は、革命戦士になることは世の中を良くするための正しさだと妄想していていた気違いだと思っていました。正義を盾に人殺しをしても許されると思っているとんでもない奴と思ったのは、1982年(昭和57年)の一審東京地裁で「同志殺害の原因は、当時の誤った革命理論に求められるべき」を主張したからです。革命理論が間違えだったら、殺したあんたの罪じゃないと言うのかい、と反発したのを覚えています。これが、この世代の物事に対する正当化というもので、自分のせいじゃないと平気で主張するのです。それもその筈、恩着せがましく親に言われて従順に育った幼少期をすごした結果、自分の幸せを奪われたと恨んでいるのです。自分の不幸は、人のせいなので、自分に向き合う回路がないのかもしれないと思ったほどです。今の国会議員のこの世代にもこの特徴が出ていると、この際なので付け加ておきます。
 この時の判決は、「永田被告らの個人的資質の欠陥」と指摘した上で、「自己顕示欲が旺盛、感情的、攻撃的、強い猜疑(さいぎ)心、嫉妬心」などを列挙するものでした。当時私が持った疑問は、この人は殺人という罪に向きあうことができるのだろうかということです。妄想の中に自分が存在している事に気づき、その上で、現実に戻れるかどうかが彼女の獄中生活にかかっていたのではないだろうか。仮に戻ったとしても、死刑が取り消されるとも思っていませんでしたが、結局、病死ではもう向き合うことも問うこともできません。
 私は、死刑によって殺人犯を葬るのではなく、馬鹿は死ぬまで治らないという考え方です。社会復帰の可能性云々ではなく、凶悪犯は、生きて一生自分の犯した罪に向き合うが良いと思っています。だから、終身刑の賛成者です。
 永田洋子死刑囚と文通をしていた瀬戸内寂聴氏は、その後の控訴審で死刑の回避を訴えたのですが、その理由を調べると「被害者の一日一日を思い出し、責任を痛感している」「生きて事件の意味を考えさせてほしい」(参照)とあります。獄中で手記を書くなどをみると、永田さんは革命戦士からひとりの人間に戻りつつあるのかとも感じていましたが、命数には逆らうことはできず、自ら「総括」することもなく死に絶えたのは、彼女にとっては心残りではなかったのかとさえ思います。

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コメント

You TubeでNobody is Right、顔のない街の中で、ひまわり"SUNWARD"、瞬きもせず、清流、風にならないか、命の別名、糸を一度聴いてみてはいかがでしょう
食わず嫌いもありますから。ダメなら仕方ない。

投稿: ミラー | 2011-02-07 10:43

ミラーさん、コメントありがとう。
ご紹介の歌は知っているんですけどね。
うーん、まさにこんな感じの歌がダメです。

訴えたり、呼びかけたりする彼女のスタンスは、正にこの世代の特徴です。彼女は歌を通してそれをやっている人です。心の叫びに共鳴するする人がいてもそれは全く構わないのですが、私は鳥肌が立ちます。

ただ、ご紹介いただいて嬉しかったです。
ありがとう。

投稿: ゴッドマー | 2011-02-07 13:11

人は自分を映す鏡、鏡に映った自分の顔を見て人のことを語っていないか、人間はそんなものです。人は自分にないものに憧れ、自分の部分を人に見つけたとき嫌います。あなたの嫌いな世代のことを考えた場合にそれを感じます。ただ嫌うのではなく、人の振り見てわが身正せということわざもあります。相手に一つでも嫌な面があるとその人をすべて否定してしまうホーンズ効果があります。それは相手の嫌な面ばかり探そうとするからです。
一つでもいい良い所を探してあげる。たったこれだけで人間関係は驚くほど良くなります。この世に生を受ける人の誕生は驚くべき大変な確率で生まれてきます。
そして人との出会いも長い付き合いから一期一会まで様々です。それそれの出会いの大切さで得るものがあります。もう一度、前にあげた歌と私の好きな誕生、一期一会を聴いて見て下さい。多分感じ方が違ってくるのではないでしょうか。
大変失礼なことを語ってお許しください 長くなってごめんなさい

投稿: ミラー | 2011-02-08 12:08

ミラーさん、このように語られると、私は余程の片端なのか?という気がしてきました。ここをずっと読まれていらしたら、おそらく私の一部分を話していることに気づかれると思います。今までにいろりろ話してきています。このエントリーはその一部であるとご理解ください。

 また、中島みゆき個人の歌の内容をどうこう思っての批判ではありません。彼女の歌が訴えているのは大衆に対する呼びかけや叫びという、私にすればこの世代の若かりし頃の学生運動そのものなのです。当時をご存知でしたら話している意味はご理解されると思います。言わば、そこに嫌悪があるのだと思います。

 また、中島みゆきファンでいらっしゃるようですので、エントリーで言及したことはお気に触ったようですね。失礼いたしました。
 

投稿: ゴッドマー | 2011-02-08 17:15

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