2011-02-06

とりとめのない話になったが、散歩で思ったこと

 生後6ヶ月を過ぎると、犬の運動能力もかなりパワーアップするもので、ジョギングコースにしていた7キロの道のりは、犬との散歩コースになっています。日中のぽかぽかとした日差しは、さすがに立春。昨日は、この散歩コースの折り返し点にしている公園で、お祖母ちゃんに連れられた兄と妹の二人に出会いました。犬の人懐こさに救われて、お陰でこうした人達と会話をする機会に恵まれるものです。そして、犬は子どもが大好き。
 お祖母ちゃんにしがみついて、また、祖母も心持ち強く保護するように手をしっかり握っている少女は、障害を持っていると見た目で直ぐにわかる子です。私は、そのことにすぐに気づいたのですが、それとは悟られないように素知らぬ顔を作って、連れた犬に気を配っていました。
 兄の方は、わずか3.5キログラムの犬とは言え、飛びついて行く犬の勢いに押されて寝転がって戯れていました。大はしゃぎしている兄の様子を、怖いもの見たさに祖母の後ろ手に回っては前に、犬が近づけばまた後ろ手に回りながら、少女なりの犬との対話をしているのだなあ、と微笑ましく見ていました。
 一緒の祖母も、足元がしっかりしていない少女を気遣ってはいるものの、きっと犬好き。怖がる少女に諭すように話しかけては次第に犬との距離を縮め、少女から、「ひも」「しっぽ」などの知っている単語を発するような反応が始まったのです。祖母の顔は笑いでほころび、それは、手放しの喜びようでした。兄も、妹やお祖母ちゃんの方を時より意識しながら、彼なりにパフォーマンスをしているようでした。
 この時間が20分位だったのかと思うのですが、別れ際に、「犬を飼うといいですね。」と私に話してきて、この少女が本来なら小学2年であり、脳性麻痺を患ってることを明かしてくれたのです。私は聞くまでもなく分かっていたのですが、軽く、「そうですか」と返事を返して別れました。
 思い出していたのは、生後一日だけ生きた私の第一子のことでした。
 内臓未熟で仮死状態で生まれ、出産後直ぐに小児科へ回されて延命措置の治療を受けました。医師の努力の甲斐もなく翌日息を引き取ったのですが、その時、医師から、「命がつながったとしてもこれだけの治療をすると、脳に障害が残らないとも限らない。そうならない限界のところまでの治療はしました。」と告げられた時には言葉が出ませんでした。目に前にいる赤子の体は、まだ温かく、今にも息を吹き返すのではないか、もう少し治療はできないのか、と訴えている心に「終わったんだよ」ともう一人の私が言っているのです。
 小さいお腹だと心配されながらも臨月までは元気にお腹で動いていた、元気だった私の娘は、生きるための空気を自分で吸えないほどのひ弱な生命力だったとは。この丈夫な体の私の何がいけないのか?と、自分を責める日々が続きました。「脳性麻痺の子どもを育てるのは大変ですよ。考えよう、ということもありますよ。」と、医師から言われ、また、亡くなった子どもよりも次に丈夫な子どもを生むことを考えたほうが良いと言うようなことを言わました。それを、そうだなと思えたのはずっと後の話です。
 もしかしたら、私も公園の少女のような子どもを育ててたのかもしれない、そういう思いが別れ際にあって、祖母が手を引くその子が小学二年だと思うと、これから先の苦労は他人事とも思えず、気が重くなったのです。いや、こんな風に見ちゃいけないと打ち消そうとするのですが、正直なところです。面倒を見てくれる人がいない最悪の状況を想定して、たった一人でも生きていかれるように親は育てなくてはならないのです。それでもできないことが残れば、それを誰かが何らかの方法で助けなければこの子は生き延びられません。そういう状況の人は日本のどこにでもいますが、この国は、どこまでそのことを考えてくれるのだろうかと不安になり、気が重くなるのです。
 もう一つの経験に、国が面倒を見てくれてよかったというのもあります。生まれながらにして足の筋肉の萎縮によって起こる先天性内反足だった、末の息子の時の経験です。
 一般的に、赤ちゃんはお腹では足を前に組んでいますが、息子はお腹であまり運動をしなかったのか、内側に縮まったままだったようです。出産後、直ぐにギプスをはめて治療に取り掛かったのは、筋肉が伸びやすい生後一ヶ月の治療が10年後の後遺症の予防につながるからです。息子も当然、整形外科の患者になって治療を始めました。
 10歳までは、足首から先を外向きに矯正するための装具(革製の靴)を足に合わせて手作りしてもらうのですが、成長の著しい時は、半年で靴が小さくなります。これを公費で賄わないで自腹を切ると、靴の代金だけで一組8万円相当かかります。国に申請して認可されると自己負担は二割の1万五千円くらいです。全部で9足作ったので、70万円以上はかかっています。この制度はありがたかったです。
 ただし、国からお金を出してもらうための手続きは大変です。医者の証明や装具の見積書などの書類を整えるために関係機関に何度か足を運び、現金を手にするまでには時間もかかり、子どもを連れてそのために歩きまわるだけでもくたくたでした。
 これは、国から補助を受けるだけの話ですが、長いプロセスを踏むので、現金が入金されると「ありがたい」という気持ちになるです。これがまた、惨めな思いなのです。 母親は、子どもに何かあると、それは自分のせいだと思いこみやすく、自責の念というのはずっと付きまとうので、これを受け入れるまでは葛藤があるものです。
 公園で遊んだ少女やその祖母に何も言わずに別れたのは、自分の身に起こってみないとわからない苦労や痛みをさもわかったような言葉や、社交辞令でさえも言いたくなかったからです。人がする苦労を分かち合うとか、慰めや同情は思い上がりからくるもので、そういう高いところは居心地が悪いのです。それよりも、黙って見ていることしかできない自分が歯痒く、複雑な思いで一杯でした。で、このような思いになるのは何故か、そこがどうしてもわからなかったのですが、昨日、なんとなくわかったのは、意識の問題です。
 国が上から下を見て、誰がお恵に相当するのかしないのかを見定め、そのお眼鏡に適った人はきちんとお願いをすると救ってくれる、みたいな意識が、私の知らぬ間に潜んでいたようです。だから、補助を受けるのは、周囲に申し訳ない気持ちがしてくるのです。そして、国には、ありがたいと思ってしまうのです。その国って誰よ?なんですよね。誰もいないというのに、自分で勝手に像を作ってしまうのです。時々、窓口の職員だったりもします。
 最後に一言だけ言うと、役人は、国民から業務を委託され、代行しているだけです。それを円滑に公平に行う仕組みのあり方や、制度を決めるために議論するのが国会議員の仕事です。それだけのことです。私達は、何かの時のために一人ひとりが国の機関にお金を預け、誰もがその必要があれば受け取ることのできるお金をもらうことに、遠慮や気兼ねなんてする必要はないのです。

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