バーレーン情勢-争乱の背景について
人口79万人ほどの小さな国、バーレーンの動向が気になります。中東で次々に起こる争乱の着目点も、その国の歴史的背景や宗教の違いに起因するので、おのずと視点を先に絞る傾向になってました。昨日のニュースを辿りながら、この国の宗教的な背景や、問題点を拾い出して考えてみました。まず着目したのは、この反政府運動と見られる市民のデモからです。
バーレーンの警察隊によって16日夜から17日未明にかけて、首都のマナマの中心部にある真珠広場を占拠していたイスラム教シーア派住民など数百人に、催涙弾などによって強制排除が行われました。この際に、子どもを含める住民に死傷者を出し、戦車や装甲車50台が配備され、物々しい厳戒態勢を敷いたことが大きく報じられました。武器を持たない住民のデモにこれだけの厳戒態勢になると言うことの意味は何だろうか。エジプトの反政府運動の一派の主導者であるゴニム氏の、あの涙ながらに語っていたインタビューを思い出していました(参照)。
一方、政権側は、この動きを受けて17日、国会を緊急に召集したにもかかわらず、シーア派野党勢力(18議席)は同日、政権に抗議し辞職したとあります。
この国の政権の特徴として、リファラ王家などの少数派のイスラム教スンニ派指導層が、国家の実験を握っている点と、全体の約7割が多数派のシーア派住民で、住宅、医療、政府への就職などであ差別的な扱いをされていることが挙げられます。反政府運動と報じられている節もあるようですが、中身は宗教上の対立と言えると思います。政権は、外国人の多いスンニ派に市民権を与えることによって宗教人口の比率逆転を狙っているとも言われ、これに危機感を持つシーア派住民から体制転換を求めるなどの団体が増え、18日の大規模デモ実施につながったようです。
ここまでの動向で何が気がかりかと言えば、この帰趨が、ともするとイランのシーア派やサウジアラビアのシーア派(15%)への影響への懸念です。サウジアラビアは、中東のバランスを取っているというだけでなく、世界経済においては石油を通して関係国が多い点や、バーレーンはアメリカの中東の軍事拠点であることが挙げられます。
また、バーレーンは、アメリカの中東戦略へ重大な影響を及ぼしかねないとして産経が報じています(参照)。
ペルシャ湾やアラビア海などを管轄する米海軍第5艦隊の司令部と、米兵約1300人を抱える米軍の重要拠点だ。同艦隊は計約2万8千人の兵力を擁し、1~2隻の空母部隊を常時運用する。米中央軍の指揮下で、イラクやアフガニスタン作戦を支えるほか、イラン監視や、ペルシャ湾のシーレーン(海上交通路)確保などの役割も担う。
バーレーンの政権に話を戻すと、宗教的に対立を生むような不公平な政策がまかり通るような政府とはどれほどのものなのか、そこを調べて驚いたのは、2001年2月には国民投票によって、それまでの首長独裁体制から立憲君主制へ移行していたのです。つまり、このデモの発端となっているシーア派住民の不満は、立憲君主制が正常に機能した上で解決されれば問題はないとも言えると思います。
では、正常に機能していないのか?
その前に、立憲君主制って何?という疑問を持つ人もるでしょうか。代表的な国は私も昔お世話になったイギリスがそうです。「国王は君臨すれども統治せず」という考え方です。
イングランド王室は、王権が弱い時期に、マグナ・カルタ(大憲章)や権利請願を認めさせられていいる上、名誉革命によって権利の章典による立憲君主制が確立しています。簡単に言うと王権も法に縛られるという事です。「立憲君主」というのは王様も、みんなで決めた法律には逆らっちゃだめよということです。因みに、英国は、マグナ・カルタ(大憲章)や権利請願、権利の章典、裁判の判例などが憲法の変わりとなってます。いまだに法廷での裁判官、検事、弁護士は17世紀ごろのいでたちで、ベンチ・ウィッグと呼ばれるモーツァルト風、儀式ではフル・ボトム・ウィッグと呼ばれる長いバッハ風の2通りを使い分けています。ベンチ・ウィッグのほうは2本のシッポがついています(参照)。
脱線はこのくらいにして話しを戻すと、国民の宗教比率のアンバランスに加えて、王家を中心とするスンニ派とシーア派の不平等が、多数派であるシーア派の不満として現れたと言えそうです。これを決定付けたのは、Twitterで拾ったワシントンポストの記事と、そのリンク先の記事でした(参照)。
Last summer two dozen Shiite opposition leaders were arrested and charged under terrorism laws.Many other activists were rounded up, and a human rights group was taken over by the government.
去年の夏、シーア派の野党指導者ら24名がテロ法違反で逮捕された。多くの他の活動家も駈り集められ、政府は人権擁護団体によって引き継がれた(買収)。
この逮捕が野党にとっては弾圧となり、くすぶっていた不満と共に今回噴出したと見ているようです。
ここまで考える中、問題の収拾の糸口は何か、それが読めないのですが、ポイントは、野党勢力であるシーア派の要望をうまく吸収することで政府内が安定化するのであればそれに越したことはないと思います。が、先にも触れたように、お隣のイランはシーア派イスラームが国教ですが、バーレーンに政権交代のような極端なことが起こりでもしない限り、同じシーア派の飛び火にはならないと見てよいのか、この辺が難しいです。また、サウジアラビアのシーア派(15%)の台頭に飛び火し、スンニ派との抗争へと発展しないか、そうならないことを願うばかりです。
参考として、西側諸国がバーレーンをどのように見ているか、外国各紙から記事を取り上げて極東ブログがまとめているのが詳しいです(参照)。
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