2011-02-09

私の鍋遍歴からの愚考

 「善書は紙筆を選ばず」これは、昔母からよく言われた言葉ですが、そうじゃないんだなこれが。今は、道具を選ぶ時代なんです。で、やっぱり良いお道具を使えばそれなりの成果も得られるというものなんです。と、反発したわけではないのですが、色々やってみないとわからないというのと、良いと言われているものを一度は使ってみたいという好奇の目の奥に、自分の腕以上の出来栄えを期待してしまうのが調理器具なんです。
 確かに母に言われているころは、物を増やすよりも最低限の物を持ち、その手持ちの中から創意工夫をして使いこなすのが腕の見せ所なのだと、しかもそれをひけらかすことなく、秘めたる喜びとする奥ゆかしさがいい女なのだと教わったのです。道具に走る走らないというよりも、母の言うような「いい女」の方に魅力があって、できるだけ頭を使って料理は知的にするものだという考え方も、実は私にはしっかり入っています。そういう母はどんな人っかて?「トイレの神様」のおばあちゃんを想像してもらうとわかると思います。

 では、これまでの人生で鍋釜をできるだけ買わなかったと問われると、人一倍買ったかもしれないのです。その理由は、一生ものと自負できるような丈夫で長持ちする器具に出会うためでした。それを言うなら、例えば、洋服や靴、バッグなども私は良いものをたくさん持っています。イギリスのバーバリーのAll woolの(勿論)スーツやコート,、バッグ、スコッチハウスの帽子などは私の二十歳代の物です。日本では売っていないものなので例のバーバリーでございみたいなチェックではなく、よく見ないとそれとはわからないのですが、30年近く着ています。愛着もあって大切にしているためか、全く古着にも見えないのです。長く着ても型崩れなどしないし、どんなに時が経っても処分する理由がないのです。一番の天敵は、woolをこよなく愛する「虫」だったりしますが、手入れをきちんとしていればそれも大丈夫です。
 洋服ですらこのように一生ものと言えるような代物に出会うことができるのですから、他のものにも期待を寄せてしまうというものです。それが、私の場合は鍋釜なのですが、納得の行くものにはなかなか出会うことがありませんでした。
 最近のもので一番のお薦めは、ウー先生のパン。「ウー・ウェンパン」です(参照)。使い勝手といったら、空焚き以外ほぼ万能鍋と言って良いと思います。特に、ドーム型の蒸気調節穴付きの蓋のデザイン性や使用感は最高。そして、蒸し器として使えるように、平らな穴付きの内鍋なんて傑作品です。しかし、フッ素加工の耐用年数の虚しさだけが欠点。蓋と内鍋は無傷であるのに、肝心の鍋の底の部分だけが最初に傷んで不義理をするのです。これ、何とかなりませんか?なのです。せっかく素晴らしい鍋に出会ったというのに、フッ素加工の部分にだけは購入時に覚悟を決めないとダメなんです。
 また、鉄製の鍋と違って、フッ素加工は手入れをして復活させる事もできないのです。これは、最初から洗い流すだけみたいな簡単な手入れを優先させるツケで、長く楽をして寿命も短いという証です。私のウー・ウェンパンもここで2年半位になるので、そろそろかなというところです。ただ、お値段と耐用年数を考えれば、良とするところかもしれません。個人的には、このお値段で一生物になったら快挙ですが、適当に耐用年数を設けないと商売も成り立たないのかな。高度成長期頃の製品メーカーは、耐用年数と総合的な使用感の対価として値段設定し、商品の消耗時期よりもやや早く新製品を売り出したものです。だから、飛ぶように売れた時期の消費者は、商品価値を何に置いたかという点で、私の母の頃の価値観とは全く違いました。で、私はその生き残りのようなものなのです。
 さて、手持ちのお道具がだんだんみすぼらしい状態になると、思い出したように使うのがフランスの「VISION」製のフライパンなのです。これは、液晶化ガラス(耐熱強化)製で、大変丈夫です。IHヒーター以外なら、電子レンジ、直火、オーブンと、全ての熱源に有効です。これが、娘と同じくらいの年齢で、無傷で使用しています。フッ素加工のフライパンのように表面がダメになることもなく、鉄のフライパンのような磨きの手入れも一切必要ないのです。仮に料理でしっかり焦がすようなことがあっても、長い時間水に浸せば、焦げ付いたものが鍋の形のままぽっこり浮かんで取れてしまいます。

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 こんなに素晴しいバーバリー版フライパンがあるというのに、なーんでこれが重宝されてこなかったのか不思議なんです。また、この会社、もうこの製品も作っていないみたいなのです。
 既にVISIONはフランスでの生産は中止されていますし、その後アメリカへ移ったのですが、現在市場で買えるのはデッドストックくらいではないかと思います。私がこのフライパンを買った頃は、高度成長期の終わりに近かったのですが、VISIONも少しずつ商品ラインを増やしていました。フタ付きのキャセロールの大小やミルクパンのような片手鍋なども数種ありました。今思うと、あれが最後の足掻きだったのかも。
 当時、私がお世話になっていた方に商品群から一つを選んで毎年プレゼントしていたことがあって、彼女は、外から料理の出来具合が見えるので、うっかり焦がす事がなくなったと喜んでいました。その喜びを聞いて、ついには自分用にと私もフライパンを買ったのが今の手持ち品です。
 メーカー側からみると、一生物を作ると商品は絶賛させるけど、買い換える必要がなくなるので儲からないという原理なのかな。それと、高度成長期の商品価値は、短期耐用型で低下価格によるリピーターの購買意欲ですから、その時代の中で埋もれてしまった素晴らしい商品に無念さを感じます。
 私の寿命と共に物の一生も同じで良いと思っていましたので、死ぬ時は、物を残さない事が良いと思ってきましたが、一生物は私一代ではなく、譲りつなぐ事もできます。また、「物」というのは壊れるもので、儚い一生でしかないと思ってきたのですが、日常使うものが何十年も使い続けられるのであれば、それこそ物の真価じゃないのかな。私は、何か間違った考え方をしてきたような気がしています。

 どうかなと思って、簡単で美味しい男料理の先生のブログをぐぐったら、鍋釜に関して考察を発していらっしゃいました。私とは全く違った角度で、料理時間に的を絞って器具選びをされているあたり参考までに☞こちら。 因みに、ここで紹介されているスロークッカーは、後に私も購入し、ここでも度々料理例で紹介しています。

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