2011-01-10

「良い人間であることを歪めない場」探し-就活のこぼれ話

 昨日、成人式を行った地域が多かったことでしょう。我が家でも二人目の成人が誕生し、祝っていただいたおめでたい日でした。そして、この話題は、私が歳を食ったという話にしかならないと思ったのでするつもりではありませんでしたが、昨今の就活にまつわるメディアの報じることに少し反応して書いておくことにします。
 昨年の9月、息子の通う大学の連絡会で受けた印象から事は始まっています。大学3年から就活を始めるという話や、入学して単位を履修するだけではなく、成績の中味の良し悪しが早く内定をもらうことに繋がるということをしきりに話していました。そこからかもし出される空気は、中学や高校の進路相談のようでした。違いがあるとすれば、私大の売りがちらほら見え隠れするくらいのものです。つまり、大学としてはどの学生も就職できるように指導には力を入れているという点と、より良い就職先を獲得するには大学院へ進むこと、みたいな話です。そのような話を一般論として言われると、社会と大学の状況を把握できないでいる親にとって、子の進路に関わりを持つためのあり難いお話となるのです。何がって、親が我が子の将来に首を突っ込む始まりになるのです。
 今の世の中、親の介入が嬉しい人もいれば、ウザイ人もいるでしょうけど、私の頃は、親がそこまで介入することはほとんど無かったし、子が親の助けで就職を望むことも少なかったように思います。だからと言うのが理由ではありませんが、私は成人した息子達の就活に関わるのを当たり前とは思っていませんし、ましてや親が何ができるかを悩み、就活する子の助けとなるための親の相談をしに行くほど過干渉ではありません。
 10社にアプローチしても内定ももらえないと嘆いている学生の実話や、夏休みを全て就活に充て、そのための費用やパソコンの利用法まで至れり尽くせりの準備状況をNHKで報じていたのは8月ごろでした。番組から伝わってきたのは、努力の甲斐のない結果をもらった気の毒な姿の大学生と、親のお陰で就職が決まりましたというオチまでがついた内容で、私の感覚との違いをまざまざと見せつけられたように感じました。これは何かが間違っている、狂っているとしか思えず、親の過保護、過干渉の実態であり、胸中は穏やかではありませんでした。一生懸命就活しても一つも決まらないと嘆く学生をどうみているか、という視点の違いかと思いました。
 デフレによる不景気で求人が少ないため、確率的に厳しい状況であるから就職が難しいという現象はあるとしても、学生がバカだからとは誰も言わないです。言ったのは、池田信夫先生です(参照)。私は、他人のせいにすることを咎められて育っていますから、池田先生の言われることは良く分るのです。が、ここから考えを発展させられない学生さんの問題はあるにせよ、馬鹿だと承知したとしても、それで就職がきまるわけでもありません。
 影響力のあるメディアが報じることは、時としてとんでもない風評を作りますし、社会現象までをも起こします。極端ですが、自分を雇わない会社はおかしい、社会は間違っている、だからこんなに努力した自分は悪くない、悪いのはおまえだ、斬り、という回路が当たり前だという現象を作ってしまいがちです。かといって、バカな俺(私)が全部悪い、だから俺(私)はダメな人間、終了、ともならないのです。何故って、自分自身を人の尺度に当てはめなければ良いだけです。バカと言われようが自分であること。その自分が20社にアプライして失敗しようとも、納得の行く就職先が見つかるまで、泣き言を言わずに普通に頑張れば良いだけです。その苦労は、自分が買ったということを忘れないでやるのみです。それが無駄ともいえませんし、そこまでして見つかった職場は、ある意味大切に思うのではないかと思います。それも悪くはないです。また、身の程を思い知って方向転換するのも良いです。高望みさえしなければ、どこかしらに就職できます。
 ただ、どのような場面でも一つだけ外さないでいて欲しいのは、「良い人間であることを歪めない場」を探すことです。これは、息子が明日東京へ戻る時に伝えたいと思っていた言葉なのですが、Twitterでも同じようなニュアンスの言葉を言われていたので、はっとしました(参照)。が、考えてみると、割と多くの大人はこのように思うのではないかと思います。
 こんなことをしていても意味が無いんじゃないかと迷う時や、自暴自棄になる時に支えてくれるのは、自分は良い人間としてやってきたということに尽きます。挫折感を味わい卑屈な方向へ引いて行くような時、なによりも慰めて励ましてくれるのは、良い人としてやってきた自分自身です。言葉を換えると、誇りに思える自分であれということです。ただ、誇りというほどの大それたものでもなく、ごく簡単な身近なことに良い人間であろうとすることです。その小さな積み重ねを、自分にどれ程残せるかが人生なのではないかと思います。また、受け入れ先がたとえ自分のしたい仕事とは違う仕事を与えたとしても、その仕事を自分の好きなことにしてしまう方が幸せな生き方ではないかと思います。

☆ 池田先生の「誰もいわないが、学生がバカなことが就職難の原因。」という指摘に反応した様々の方の意見のまとめはこちら☞池田信夫氏(@ikedanob)の語る日本の新卒就職活動の問題点+ツイッターでの反応

☆ 「いいところに就職するより、長く良い人間であれるような場を探すほうがよい。」という人生感の話のまとめはこちら☞finalventの仕事とか人生とかのこと

 説教がましいし、転ばぬ先の杖を言ってもどうかという思いが残るのですが、何かあった時に思い出すと元気が出ると、その程度で受け止めてもらえたら幸いです。

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コメント

一般的に就活学生は異常に強気か異常に楽観しています。今、正規雇用で就職するだけでも大変なのに、やりたい仕事をさせろ(しかも正社員で)なんて…要求は実はあつかましいことなのです。ある程度、やりたい仕事を考えるのはいいと思います。しかしストライクゾーンが狭すぎるのはダメです。だから就活が長期化するのです。たとえばマスコミ志望者、出版社は大変な不況で、新卒採用などできるところは少数です。あっても応募が殺到するので競争倍率は100倍以上、大手は1000倍を越します。マスコミ志望者は、安定を重視してマスコミ以外の業界もストライクゾーンに広げる→①か、夢を最優先して安定を捨てマスコミ1本→②か、いずれか選択です。
そもそもフリーライター、若手芸人、歌手などは②に入ります。こういう人生は、覚悟があればそれはそれでいいと思います。しかし現実はそれほどの覚悟のない若者が、やりたい仕事しか嫌で、かつ、生活の安定が欲しい、というような就活をします。…これは社会をナメています。こういう若者は面接で見抜かれて落とされ、フリーターになっていくのです

投稿: やまだ | 2011-01-13 23:05

やまださん、仰るような学生の浅墓さを総じて池信先生はバカだというところではないかと思います。
 
社会に出て場数を踏むと分ってくることとは思いますが、根性がないと這い上がれないと言うこともあって、ニート化したりフリーター化すると言う話も分る気がします。

どこででもやるくらいの気持ちがある子は、柔軟性があるので、それこそ企業が欲しがっている人材だと思います。

投稿: ゴッドマー | 2011-01-14 06:47

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