2011-01-12

ミャンマーの民政移管に動き出す野党-超党派の意図が見えない

 一昨日の10日のNHKニュースで、ミャンマーの軍事政権が新議会を召集すると報じた時、どうせ代わり映えのない軍事政権なのだしと聞き流していたのですが、アウン・サン・スー・チーさんが昨年11月に軟禁状態から開放されてからのミャンマーについて、自分の中で情報を飛ばしているにも関わらず、分ったような判断はマズイなぁ、と反省。また、政治的なことを書くようになったのは極最近でもあるため、ミャンマーについて今まで全くリファレンスがないのも片手落ちです。とはいえ、ミャンマーに関心があるというよりは、実のところ人々の民主化の動きや政治的な変化に対して必ず起きてきた保守勢力の理不尽な弾圧などに歴史を感じ、それが関心事なのです。今月末に行われる予定の総選挙は、形ばかりだと国際的にも批判されていますが、民主政治への移管のスタートではあるので、情報を集めて記録しておくことにしました。
 少し前のニュースで、ミャンマーが民主化を目指している背景ではあるにもかかわらず、軍の動きがおかしいなと感じたのは、徴兵制度が導入されたことでした。これは、私の全くの思い違いで、志願兵制の徴兵制という強制力への移行は、民政移管前に軍の基盤を強化するための狙いがあるとみられているそうです。思い違いというのは先にも触れたように、アウン・サン・スー・チーさんが率いる民主化最大勢力国民民主連盟(NLD)」は、総選挙に不参加であり、既に解党されていますから、11月の選挙そのものは軍支配によるものなので、政治の構造の改革と共に軍が弱体することを懸念しての事前行為だという見方があるようでした(NHK 1月7日 18時0分)。

 NHKが入手したミャンマー軍事政権公布の法令の文書によりますと、徴兵制について定めた法律は先月17日に公布されました。徴兵の対象となるのは、男性が18歳から45歳、女性が18歳から35歳で、徴兵の期間は2年ないし3年となっています。どのような兵役が課されるのか、詳しいことは明らかにされていません。

 去年11月、20年ぶりに行われた総選挙を受けて、早ければ今月末にも新たな議会が招集されたあと、新政権が発足し、少なくとも形の上では民政に移管することになっています。軍事政権としては、新政権が発足したあとも、徴兵制によって国民の間に軍の存在を浸透させ、影響力を維持しようとしているのではないかとの見方も出ています。軍事政権が新政権の発足前に、いわば駆け込み的に徴兵制の導入を決めたことに対し、国民からの強い反発が予想されます。

 この後、どれ程国民が強く反発したかという状況を報じるものはなく、いきなり昨年の11月の総選挙の結果を元に今月31日、上下両院と地方議会を一斉に招集すると発表されました(NHK1月10日 21時28分)。

 新たに開かれる議会では、まず大統領が選出され、大統領に任命された閣僚が新たな政権を作り、早ければ来月中にも軍事政権から政権を移管される見通しとなりました。これによって、形の上では、およそ23年ぶりに、軍事政権から民政に移管されることになりました。しかし先の総選挙は民主化運動のリーダー、アウン・サン・スー・チーさんを事実上排除するなど軍事政権側の政党に極めて有利な形で行われたほか、議員の4分の1が、選挙の結果にかかわらず軍人に割り当てられ、結局、議席の80%以上が軍事政権寄りの議員や軍人で占められています。このため欧米諸国からは「軍政独裁が形を変えただけだ」とする批判を浴びており、今後国際社会が新たな政権に対してどう対応するか注目されます。

 この選挙は、1962年の軍事クーデター以来49年ぶりに軍事独裁支配を終結させるとは言え、実質的に軍部支配を維持した形での、「民政移管」です。この政府のどこに民意が反映されるのかが気になりますが、アウン・サン・スー・チーさんが率いる民主化最大勢力「国民民主連盟(NLD)」(総選挙不参加、解党)から分裂して11月の総選挙に参加した政党「国民民主勢力(NDF)」は、上下両院と地方議会あわせて16議席を獲得していますが、この分派が野党的な動きをするのかどうかが気になります。軟禁状態から開放された直後のスー・チーさんの演説で、民主化勢力再構築に尽力して行く旨を表明していましたが、12月30日にNDFの申し出によって会談したことは、その方向性を持つという意味合いがあったのでしょうか(産経2010.12.30 19:44)。

 会談はNDF側からの呼びかけで行われた。会談は約1時間行われ、出席したNDF幹部のキン・マウン・スエ氏は記者団に、「個人的な会談で、政治については話していない。また会うだろう」と語った。
 NDFのタン・ニェイン議長は会談後、フランス通信(AFP)に対し、「(スー・チーさんは)われわれNDFの立場を理解している。そうでなければわれわれと会うことはなかった」と語り、会談が良い雰囲気で終わったことを強調した。
 同議長は、先の産経新聞とのインタビューで、同国の民主化実現のため、スー・チーさんに党の枠組みを超えて一緒に活動するよう働きかける考えを示していた。

 ただ、このNDFは、昨年11月の総選挙時にスー・チーさん率いるNLDの決断した選挙ボイコットに反発して立ち上げた政党であることと、産経のインタービューに次のように答えてるのは、スー・チーさんが変わるべきだと言っているようなものです(産経2010.12.21 19:32)。

 スー・チーさんについて議長は「彼女の国への愛情、国民のために犠牲となることをいとわない決意と勇気には疑問の余地はない。ただ、彼女が現実の政治から離れている間に物事は大きく変わった。彼女がそれに気づき、われわれと一緒に民主運動を引っ張っていくことを期待している」と述べた。

 「物事は大きく変わった。彼女がそれに気づき、われわれと一緒に民主運動を引っ張っていくことを期待している。」この発言の内面に、スー・チーさんに反目するものがあるような懸念がありますが、政治とは、理想を掲げて進むだけではなく、妥協して折り合うことでもあるとは言われています。
 余談ですが、ミャンマーのこの様子は、民主党の菅さんと社民党の福島さんを見ているようです。政治は男女平等ですが、性差と言うのはあると、最近思うようになりました。その現れかどうかは分りませんが、沖縄問題で折り合いがつかずに離党した福島さんは理想を追い求めるタイプと見ました。一方菅さんは、節操も何もあったものではないと批判されても、与党勢力強化のために可能な限りの他党へ連立の同意を求めにアプローチしています。この姿と分派したNDFのタン・ニェイン議長が重なって見えてくるのです。柔軟と言えばそうかもしれませんが、政権維持のためなら理想やマニフェストまでをもさて置き、みたいな菅さんを見ているせいか、スー・チーさんとどのような合意ができるのか関心があります。
 NDFのタン・ニェイン氏が言う「物事は大きく変わった」とは、実際、何が大きく変わったというのだろうか。スー・チーさんがNDFと共闘することが、本当の意味で民主化に向けた最善策なのだろうか。そういうところが見えてきません。

追記:ミャンマーの内政にについて調べていたところ、2004年10月20日極東ブログ「ミャンマーの政変、複雑な印象とちょっと気になること」(参照)で、当時のスー・チーさんらが求める民主化と軍政の背景を知り、さらにミャンマーの民主化について考えさせられました。

 1962年から1988年までは、ネ・ウィン将軍の軍事政権が続いた。ネ・ウィンは鎖国政策をとるのだが、好意的に見るなら、イギリスによって注入された要素を排除し、植民地化と異民族支配によって中断された民族主義的な国家の完成を目指していた。そしてある意味では、ネ・ウィンを継いだ現在の最高権力者タン・シュエの意図もその途上にあるとも言えるだろう。

その民族主義的な国家の形成は、その後、軍政自らが結果的に招いた欧米の制裁のよる鎖国的状況から困窮を招き、もはや国内は強権によってしかつなぎ止められないいびつなものに変形してしまった。
 別の言い方をするとベトナムのように社会主義であれ民族主義的な国家であれば、その民族国家的な基盤を形成し、その上に経済的な発展があれば、民主化はその段階の上に位置づけやすい。

 「民政」とは「軍政」ではないにしろ、その国の安全や民族間の問題をいびつな国家に作り上げることで解決することはないのは勿論です。問題は、民主政治にどっぷりつかって保守的な考えを持ち、「軍政」に対して左派的な視線を注いでいる側にあるのではないかと感じました。

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