2011-01-27

「女はおばさんになり、男は一生子どものまま」

今日は、ちょっと息抜きエントリー。題して「女はおばさんになり、男は一生子どものまま」。これは私がTwitterに投げたんじゃないよ、Twitterでうろうろしていたらたまたま牡丹餅が落ちてきたという感じ。そのつぶやきはアホみたいなことから始まっていて、芸能ネタか、と思ったのですが、そこに突込みやら若手の質問やらが入っていって、展開が面白くなったのです。

宮沢りえがバタ臭い顔になってきた。まあ、別にいいけど。
南野陽子がリアルおばさんぽくなるのは味わい深い。
女はおばさんになる。わかっていても興味つきないプロセス。
男はおっさんになるかというと、ちと微妙なもんがある。
男はうまく性的に成熟しない。
男は一生、子どもであることから、抜けられん。
ああ、なんだろなあ。やさしさかな。“@tailofcat: @finalvent “おばさん”の定義をお聞かせ願えますか。”

 抜き出すとこんな感じ(全部ではないよ)。
 私は言われるまでもなくすっかりおばさんなので、だからって、言われても痛くも痒くもないのだけど、年は取りたくないものです。年を重ねるのを如実に感じるのが容姿です。鏡を見ると、見えるのは年老いた私。容姿の変貌は嫌だと思っても逆らえないし、かくなるは、心の中で格闘や葛藤をするのをやめてみたりする。ところが、自分の加齢を心底受け入れていないものだからやせ我慢のような、また、これが惨めなものなのです。こんな風に思うのは男性も多分同じでしょう。ここで男性はおっさんと言われるようになるんだけど、中味は5歳の男の子みたいな感じがするのです。それも、ずっと変わらずに。近所に100歳のお爺さんがいるけど、このお爺ちゃんも5歳の部分が見え隠れして、お茶目で可愛い。どうでも良いようなことに真剣に取り組んだり、お気に入りがあって、それを愛でる姿が無心過ぎるくらい純粋なのです。私にしたら、こんな姿が5歳の男の子と見る部分で、そこが羨ましいところ。女もおばさんになると、これと似てくる部分もあると思う。
 Twitterのこの話題に戻すんだけど、おばさんの定義が気に入ったという理由でこのエントリーも書いているので、ここに是非触れなければ意味がないな。棚から「やさしさ」が牡丹餅のように落ちてきたのだし。
 この言葉を見たとき、馬鹿みたいに単純に嬉しかった。本当の意味は、言われたご本人しかわからないにせよ。そして、自分に言われたわけでもないのだから、勝手に自分に都合よく解釈しただけの話だけれど、的を得ているなと思えたんです。そして、女だけではなく、男が一生子どもみたいに終わるというのも、日ごろからそう思っている私なので、これも当たりだなと妙に感心したのです。
 おばさんはやさしいというのは、これは年齢的なものでもなくて、思考バターンによっても違ってくるのです。また、「おばさん」という言葉には既に概念が埋め込まれていて、この概念の説明は難しい。でもちょっと言うと、男に対しては危険と見られる女ではなく、どちらかというと性がない。「人」かな。
 最近の若い人たちを見ていて時々思うんだけど、30代の女性で、歳を取るとみな優しさが滲み出るようなおばさんになれるかというとそうでもない人が多いと思う。優しく見せる技を身につけている女性も多いけど、これらの人は同姓から顰蹙を買うタイプ。男性はどきどき間違えるみたいだけど。この辺の人のことは棚上げしといて、前者だけど、率直に言うと人に優しい時代に育っていないのが致命傷かな。だから、五感を引き出せずに大人になった人達で、時代的には物が増え出し、遊びも楽しいことが増えた一見よい時代なのだけど、物事の表層部分や肉眼で見るものへの美的な感覚が、心を豊かにするまでのところに届いていないと言ったらよいのか。これは、人とのつながりが大きな要因になっていると感じる。これを上手く学問的に説明できるとよいのだけど、ちと私には難しいのでご勘弁を。ただし、手遅れとかそういう問題は無し。いつでも五感を引き出すことはできるし、本人次第のところもあるかと思う部分です。

cover
ゲゲゲの女房
武良布枝

 女の優しさというのは、母なる優しさとして括ると、私世代にはぴんと来るかもしれないな。そして、この年代層はすごく幅が狭く、団塊世代を除く、前後の世代で、しかも東京オリンピックより前の生まれまでかな。東京オリンピックが齎した社会変革の前というか(アレを変革と呼んでよいのかどうか迷うところだけど)、昭和の時代がよかったと思えるのは、私の20代までかな。ゲゲゲの女房がその辺を上手く表現していたのがよかった。あの人間臭さのある社会に揉まれて育っていないと、大人の女になってから振り返り先がないのです。また、たとえ振り返ったとしても、そこに感慨のようなものが漂う心情になれず、癒されないのです。生きる中で癒されて憂いを持てるような心情になるには、それ相応の傷もあるかな。母なる優しさが通じない人たちがこれから増えるのではないかと思ったりもする。こういった背景のない、私よりも後の生まれの人たちは、多分、「女」として生きるんだろうなあと思えてくる。そして、その生き方は、相当頑張らないといけないのだと思う。見ていて痛々しい感じもする。私がおばさんで、やさしいかどうかはわからない。けど、おばさんなので嬉しい。また、あの団塊世代と私以降の生まれの人達と私は全く違う。
 私は、昭和のイイ時代に生まれて育ったということだろうか。

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