スーダン南部独立後の南北の課題
急激に南部の独立に向けたムードが高まり、住民投票管理委員が見守る中で七日間に及ぶ投票が速やかに行われたわけですが、この性急さがそもそも不気味なものを感じさせます。昨日、南部独立の容認が加速した背景を調べ出すうちに、新たな問題を指摘する記事を一度に拾い出すのが困難であったため、途中で保留にしました。今日はその続きとして、スーダンに新たに発生している問題や今後についてクリップしておくことにします。
まず、ピックアップした各紙の記事から、スーダンの抱える問題として分りやすく大きく六つに括ってみました。
(1)アビエイ地区の帰属問題
(2)武装解除問題
(3)多数派部族による新たな南部支配
(4)バジル政権のイスラム化に反発する反対勢力との抗争
(5)水の問題(インフラ整備)
(6)国際援助の限界(「アフリカの大統領選挙と国際社会との関係の変化」)
(6)に関しては既に昨年12月に書いているので、リンクを張るだけにとどめます。
まず、(1)のアビエイ地区の帰属を巡る抗争ですが、油田の利権問題の起こる元に現行の仕組みをどうするかという問題が解決できないでいるのが大きいようです。
2005年の包括和平合意に基づいて北部と南部で半分ずつ配分されてきてきますが、南部で産出される原油はスーダンの総輸出額の9割を占める原油のうち約7割とも言われています。独立が認められると、「国境」の画定時に問題になるのは、北部の収益が確実に減るため南北が原油の取りっこをすることになるのです。また、北部に暮らす100万人といわれる南部出身者の市民権の問題が浮上するため、内戦の再燃を懸念します。
毎日新聞が報じていることによると、11日までにこの地区付近で起こった武力衝突で30人以上の死傷者を出しているということです(参照)。
380億ドルの対外債務についての情報が錯綜している可能性があります。同じ毎日の10日では「南部が分離独立した場合も「(北部が)引き継ぐ」との考えを示した」(参照)とあります。本音と建て前があるにせよ、南部独立を容認することが大きな譲歩でもあるため、債務軽減をアメリカに懇願するのは見え見えです。北部のアラブ系遊牧民と南部のアフリカ系農耕民との戦闘とみられる。帰属が未確定の油田地帯を巡り、南北間でなお確執があり、南部独立の足かせになっていることを改めて見せつけた。
北部を拠点に同地区に南下し、家畜の放牧を続けてきたミッセリアの投票権を巡り、北部・中央政府は有効と主張。一方、南部自治政府を主導するディンカ人主体の「スーダン人民解放運動」は「和平合意でアビエイはディンカの領域と規定された」「遊牧民を住民とは規定できない」などの理由で投票権を認めず、議論が暗礁に乗り上げている。
米国務省高官らは11日、ワシントンで、住民投票の結果を北部が受け入れたうえで、アビエイ地区の帰属問題解決▽テロ支援の停止--などが満たされれば、テロ支援国家指定解除を行うという従来の方針を強調。北部に圧力をかけた。
一方、油田とともに懸念として残る380億ドル(約3兆1000億円)の対外債務について、国営スーダン通信は、バシル大統領がカーター元米大統領に債務帳消しを求めたと報じた。バシル大統領は、カーター元大統領に、南部が独立すれば「全債務は北部が負う」と述べたが、南北双方の返済能力のなさを訴え、棒引きへの協力も求めていた。
(2)の武装解除ですが、働き盛りを戦士として費やした多くの兵士が社会復帰する問題です。これには、独立したばかりの新しい南部政権下で社会人となるための育成の問題や、南部に新政権を立ち上げることと平行して、住民の暮らしのためのインフラ整備や職場の確保の問題もあります。
時事ドットコムは、次のように伝えています(参照)。
15日まで続く南部独立の是非を問う住民投票に沸く中、最大都市ジュバ郊外の軍事キャンプでは、武装した兵士たちが「和平が確実に訪れたとは言い切れない」と厳しい表情を崩さない。
和平合意では、南北双方9万人ずつの兵士を削減することが決められ、兵士が市民生活を始めるため、教育や職業訓練を受けた後に社会復帰する計画だった。しかし、南部自治政府関係者によれば、こうした教育や訓練を受けている南部の旧反政府勢力スーダン人民解放軍(SPLA)兵士の数は約1万人にすぎない。まだ約400人が社会復帰しただけだ。
兵士の削減が進まない背景には、「独立国家が樹立され、安定するまで予断はできない」と戦闘再燃を警戒する軍指導部の判断もあるもようだ。
(3)は、南部が独立することは、南部に新たな対立を生むという問題です。独立を願って90%以上の南部住民が投票をしたことから、「独立」が平和になるための総意であっても和合にはならないのが現実です。キリスト教徒がほとんどだということと民族の違いは相容れるものではないらしいのです。数多くの民族がある中、多数派が少数派に対して強い立場となるという原理からか、南部には新たに支配力が生まれることを懸念する住民もいるようです(時事ドットコム)。
しかし、南部の中にも対立の構図は存在する。民族数は40を超え、09年には民族間抗争で2500人以上が死亡した。解放闘争を主導したディンカ人が、キール大統領を筆頭に南部自治政府や治安機関の要職を占める中、少数派からは公的機関での雇用や、住民サービスをめぐる差別的な扱いに不満も出ている。
ウガンダ国境近くの南端に住む少数民族出身のヨブ・アネットさん(26)は「どうして新たな支配のために独立に投票しなければならないのか」との思いから棄権した。
(4)は、南部の独立を容認したバジル批判が飛ぶのは必須であるため、大統領として求心力を取り戻すために北部のイスラム化を推進する動きを見せているようです。これは、バジル大統領がお尋ね者になった「虐殺」を首謀したことの繰り返しを懸念します。バジルならやりかねないと、国際社会や周辺国の見方は強く、警戒を要することだと思います(産経2011年1月12日)。
【ハルツーム=大内清】スーダン南部の独立が現実味を増す中、領土維持の失敗という「屈辱」を味わっている同国のバシル大統領が、求心力確保のため、北部のイスラム化を一層推し進める構えをみせている。非イスラム教徒からの反発は大きく、政権の出方次第では北部が再び不安定化する懸念もある。国際社会が今後、どうバシル政権に穏健化を促していくかが、同国安定の鍵を握る。
イスラム主義勢力「民族イスラム戦線」の支持を受け、1989年のクーデターで政権を奪ったバシル氏は、内戦をスーダン全土の完全なイスラム化のための「ジハード(聖戦)」と規定してきた。
しかし、長期化した内戦に対する国際社会の非難は激しく、2005年には米英などの仲介を受け入れて包括和平合意に署名。独立に向けた南部の自決権を容認したことは、「南部をイスラム共同体(ウンマ)の一部とみなすイスラム主義者からすれば裏切り行為」(外交筋)とされた。バシル氏にとっては大幅な譲歩だったが、米国などによる経済制裁は緩和されず、経済が一向に上向かないことへの国民の不満も強まっている。
バシル氏の「シャリーア強化」発言からは、北部社会に強い影響力を持つイスラム主義勢力の歓心を買い、権力基盤を盤石にしたいとの焦りがにじむ。
オバマ米大統領は、米紙ニューヨーク・タイムズへの寄稿で、バシル政権に対し、和平合意などの内容を順守するなら、経済制裁の解除も検討するとのメッセージを送った。しかし、米欧には人権問題でスーダンに根強い不信感があることから急速な関係改善は難しい。スーダンを国際社会に取り込んでいく道筋はみえていないのが実情だ。
【ニシジュ(スーダン南部)時事】スーダン南部独立の是非を問う15日までの住民投票は、独立支持が大半を占めるもようだ。最大都市ジュバから約20キロ離れたニシジュ村の住民も、独立により南北内戦終結が確実となり、水や電気などの住民サービスの到来を待ち望んでいた。
「水も電気も十分な教育も、医者もいない」-。村の投票所で独立賛成に投じたアシリア・ムーイさん(50)は、長年の内戦に苦しめられた人生にもついに幸福の時がやってきたと喜びをかみしめた。しかし、積年の生活苦から今や視力をほとんど失い、足取りもおぼつかない。
ジュバからの道のりは、南部最大の貿易相手国ウガンダとの幹線道路に当たるが、未舗装の悪路が続き、電線や水道施設などの生活基盤もない。村の住民は泥や植物で建てた質素な家に住み、家財道具らしきものはほとんどなく、硬い土の床に寝転がる生活だ。
村には、わずか1カ所の井戸があるだけ。人々はほそぼそとした農業やまきを路上で売って生計を立てている。肌を焦がすような太陽の下、ある母親は疲れた様子で寝転がり、子供たちは木陰で過ごしていた。
南部の「独立」を期に南北の大きな内戦は終結を迎えることになるとはいえ、これが新しい細胞となってさらに分裂して次の争いの核になるだけなのだろうか。解決とは何をもって解決とするのか、憤りを感じます。
開拓で英気を養い、自然の恵みに感謝し癒される喜びを早く見つけて欲しいと願うばかりです。
長きに渡ってダルフール関連を取り上げている極東ブログの「ダルフール紛争が日本にも問われている理由」(参照)で、バジル大統領が問われた罪についてが詳しく解説されています。参照されたし。
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