2011-01-13

ハイチ大地震から一年-復興への問題と日本が担ってきたこと

 1月12日はハイチ大地震から1年を迎えた日です。あの惨事を伝えてからもう一年が過ぎるとは、時の流れを早いと感じる災害です。一昨日のニュースで見かけたハイチの現在の様子は、復興を続けてきた1年で何がなされたのかという疑問を持つような、何も変わらないような風景に驚きました。瓦礫の山とテントしかないのです。支援活動はどうなっているのかという単純な疑問で少し調べてみると、いろいろな問題が障害となっていることが分りました。なお、この地震については、極東ブログ「ハイチ大震災」(参照)で詳しく解説されています。

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 地震による被害の状況はどうだったのかは、各紙で報じられている通り、昨日までで死者約30万人と言われていますが、国連開発計画(UNDP)の調べによる被害額は大変な額に相当しています(共同2011年1月11日(火)22:13)。

 国連開発計画(UNDP)は11日までに、ハイチ大地震による経済損失は78億ドル(約6400億円)との推計を発表した。ハイチの国内総生産(GDP)の約1・2倍に当たる。復興費用は115億ドルと見積もられている。被災者は350万人に上り、29万棟以上の家屋が全半壊。政府機関の建物も大統領府を含む6割が崩壊した。首都ポルトープランスでは8割の学校が全半壊した。

 また、震災直後の避難生活150万人は半減に近い81万人になり、特に昨年11月に流行した感染症コレラの深刻化に加えて国際支援による定住場所の確保などがその減少につながったと報じています(時事ドットコム2011/01/10-10:47)。
 この数字がどれ程のものかをイメージするために阪神・淡路大震災の数字だけを抜粋しました(ひょうご震災記念21世紀研究機構)。

マグニチュード7.3 、死者6,434人、負傷者40万人、損壊家屋25万棟、被災家族45万世帯、避難者最大30万で、95年からの5年間に増加した兵庫県GDP(復興のための追加需要)7兆7,000億円、そのうち70%は民間部門による (国・県・市の負担は30%)義援金総額は1,860億円となっています。また、復興計画の総事業費は16兆3,000億円です。

 この数字を比べてみて家屋の倒壊数だけは似通った数字ですが、他の数字を単純に比較すると、ハイチの被害はかなり大規模であることが分ります。ハイチ復興費用の115億ドル(約9500億円)は、被害の割りに一年の額として少ないと思います。この先何年も掛かると言われているだけに国際支援がどこまで維持できるのかも気になります。また、復興資金が少ないから復興が進んでいないとも言いい難い理由もあるようで、国の教育問題や国民の社会性が問われていると感じます(毎日)。

  1. 土地の登記制がないため、誰がどこに住んでいたかを証明できない。だから復興に時間がかかるの。
  2. 教育レベルの低さも復興作業を妨げている。国民の6割が読み書きができないため、広報資料などは読まれず、根拠のないうわさに影響される。
  3. ハイチ人に耐震工学を教えるには3年では難し過ぎる。知識を吸収できる人材を育てるのに10年はかかる」と語る。教育や技術を持つ専門職の多くは海外に流出し、戻ってこない実情もある。
  4. 有権者約10万人が投票を拒絶されるなど、政府の不正が数多く指摘され、候補者19人のうち12人が再選挙を要求。いまだに公式結果は発表されず、暴動が起きかねない事態が続いている。
  5. ハイチ政府の過去の援助金の使い方は不明瞭で、贈収賄もあからさまだ。政府から現場に公正に金が分配できないから必要な場所にまわらない。

 ざっと挙げた問題点を見るだけで、行政から政府に至る様々な問題を抱えていることが分ります。今後の支援の見通しが気になりますが、11日、オバマ大統領が復興支援の継続を表明したことには敬服します(時事ドットコム2011/01/12)。ハイチ震災後の一年を期に、経済大国であるアメリカ大統領としてハイチへの配慮は当然ですが、このような声明を出されることは国際社会への影響を考えると今後の支援協力を得るためにも意味があると思います。また、アメリカが現在抱えている移民問題として、反対的な議会勢力とどう渡り合うかという大統領の手腕を問われる問題でもあります。一方、日本からは何の声明も出されなかったようなので調べると、自衛隊が頑張っているようです(時事ドットコ2011/01/11)。

 自衛隊は昨年2月にハイチで活動を始め、これまで1次隊、2次隊計約550人が任務を完了。現在は8月に現地入りした3次隊約350人が、がれきの除去や整地に当たっている。
 首都ポルトープランスの東方約30キロの町マルパセでは10日、隊員45人が孤児院の宿舎新設に汗を流していた。気温30度、砂ぼこりが舞う中、20日の完成を目指し、雨漏り防止工事や電気配線の取り付けを行った。
 孤児院は地震で倒壊した他の施設から子どもを受け入れるなどしたため、スペースが不足。仮設のプレハブ小屋やテントの利用を強いられてきた。自衛隊は昨年11月初めに工事を開始。同月実施された大統領選の結果をめぐるデモの影響などで資材が調達できず、10日間ほど作業が滞った。
 現地の治安は不安定だが、日本隊隊長の佐々木俊哉1等陸佐(47)は「日本国旗を見ると、ジャポン、ジャポンと歓迎してくれている」と述べ、地元との関係は良好だと語った。
 孤児院で生活するマヌシュカ・ルイさん(13)は「新しい建物が建つのが楽しみ。とても立派なものを造ってくれた自衛隊の人たちが大好き」と笑顔を見せた。マリン・モンデジール院長は「自衛隊は最大の難題を解決してくれた」と絶賛。「自衛隊にはハイチを含む国際社会でもっと活躍してほしい」と話している。

 日本の防衛費は変わり映えのしない予算でやり繰りさていますが、同じ税金でもこのハイチの復興に役立っていると思うとつい引用が長くなってしまうのは個人的な思いからです。が、もっとすごいと言うか、個人的に驚いたのは、現地でマザーテレサと呼ばれる83歳の医師で修道女の日本人が、30年もハイチに住みついて医療活動をされていると知ったことです。私の母の世代の方ですが、この世代は戦中派であることから底力の存在を感じます。
 須藤昭子さんの「はい上がらなきゃしょうがない。負けてはいられない」とインタビューでの話は、人の生き方として先人に学ぶことは多いと感じました(時事ドットコム2011/01/11)。

 昨年1月の大地震で療養所は倒壊。その際、たまたま日本に一時帰国していて須藤さんは難を逃れたが、患者数人が亡くなった。地震前は医師6人前後が交代で勤務。「地震後にほとんどの医師が戻って来ず、週末に医者を置けない病院になってしまった」と肩を落とす。約50人の入所者は今もテントでの生活を余儀なくされている。
 須藤さんは80歳で診療現場から退き、今は療養所の再建に力を注ぐ。「予定通りには進んでいないが、私がやらなければ」と話し、引退の2文字には無縁な様子。「多くの人は自分の人生に自分で区切りを付けてしまうようだけど、何かしないと生きている意味がない」と強調する。

 海外に起きた震災に日本がいくらかでも役立っていることを知って安心しました。このことは、日本が国際社会で信頼を得ることにつながるという点もあるかと思いますが、それよりも私自身が日本はまだまだやれる、という自信のようなものを得ました。日本の政治は酷いものだと嘆くことが多い昨今だけに、日本が国際社会で役立っている部分だけでも垣間見れてよかったです。
 また、支援でできることはできるだけ日本が担うというのは当たり前ですが、そういった支援ではできないことの問題の方がむしろ重要だと思います。先に挙げた毎日新聞の抜粋部分にもあるとおり、ハイチ政府自体が問題の鍵を握っているとも言えます。民主的に選挙が運営されず、暴力闘争にもつれる可能性を抱えていたり、支援金の使われ方に疑問視を持たれたりするような政府の役人、つまり人間教育の問題を抱えているうちは、国際社会の期待するような復興への道はかなり遠いのではないかということも浮き彫りになったようです。道のりは長いのだと痛感しました。

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