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2011年1月

2011-01-31

ダライ・ラマ14世の後継者問題

 昨日、チベット仏教の活仏カルマパ17世が住む僧院の家宅捜索で、20カ国以上の外国通貨1億2600万円相当の現金を押収したという記事がTwitterで流れ(朝日)、「全てに関心を持つ必要はないよ」と言われたのですが、どうしても気になったのです。

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 その彼が現在住む僧院から大金が見つかったことで、中国とのやり取りがあるのではないかという疑惑を持たれ、捜査が続いているというのです。でも、私の関心は現金にまつわる事ではなく、このカルマパ17世(25歳)という若い僧侶がこれからの中国とチベットの関係では重要になるのではないかという点です。現在は、インドの北部のダラムサラに住み、チベット主要宗派であるカギュー派の最高位ですが、7歳で中国政府からカルマパ17世として活仏に認定された後、14歳でインドに亡命しています。上の画像は当時のものですが、忘れられない印象が残っています。

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 彼がインドに亡命したことは、ダライ・ラマの脱出劇と重なる人も多いと思います。私にはそれが糸で結ばれた運命のような、何かと興味をそそられる元にあるのかもしれません。よいチャンスだと思ったので、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所公式サイトでカルマパ17世が脱出した当時の様子を知って大変身近に感じました(参照)。

1月17日付のタイム誌によると、カルマパは、中国により自由を拘束されていたことに苛立っていたようだ。また、ダライ・ラマを非難するよう強く圧力をかけられていたことも明らかだ。さらに中国政府は、「信教の自由がある中国」とカルマパに公言して欲しかったらしい。ところが実情は、カルマパの仏教教育は完全に止まったままであった。中国がカルマパのチベット仏教黒帽派またはカルマ・カギュー派3人の摂政(全員インド在住)の訪問を許さなかったからである。そしてついに、昨年12月末、カルマパは首都ラサの北西50kmほどにあるツルプ寺での公の地位から逃げ出すことに決めたのである。

逃亡を準備するため、カルマパは中国側の番人に瞑想修行に入り寝室から出ない旨を伝えた。こうした修行の間、専属の料理人と教師のみ面会が許され、番人たちは外でテレビを見ているのが普通である。こうして番人たちの注意がそれるとすぐ、カルマパは寝室の窓から脱出。12月28日の夜10時30分のことだ。車1台、運転手2人、侍従の僧2人、お付きの召使1人、そしてカルマパの姉で24歳になる尼僧が共にカルマパを待っていた。

1959年にダライ・ラマが馬で脱出したのとほぼ同じルートで、カルマパ一行はネパール国境に向け車を走らせた。そのころ寺院では、カルマパの料理人と教師が誰もいないカルマパの部屋に日課の訪問をし、カルマパが中にいるように見せかけていた。

 ダライ・ラマ14世の後継体制では重要な役割を担う可能性が報じられているとおり、関心はその部分に向くのですが、それがあまり単純な問題ではなさそうです。いずこも後継者問題は必ずついて回ることですが、ダライ・ラマ14世の後継者にはチベットの政治的な役割が求められます。この役割が機能しなくなれば、逆に中国が動きやすくなり、長年中国の弾圧に苦しんできた人々へのその後の関与が気がかりです。
 また、宗教的な問題として、後継者としての相応しさがあると思います。私は、宗教的なことに詳しくないので調べてわかったのですが、「ダライ・ラマ」は、転生によって引き継がれるもので、「生まれ変わり」でなくてはならないそうです。実務をこなせるまで最低でも20年はかかると言われていて、14世は1935年7月6日生まれ(75歳)ですから、今から後継者を育てるのは難しい問題です。また、宗派的にも勿論、同じ宗派でなくてはらないはずです。これが、カギュー派のカルマパ17世がゲルク派のダライ・ラマの後継者として直結しない理由です。
 ダライ・ラマ14世ご自身は、この後継者問題をそう考えているのか、その動きはあるのか調べると、昨年末のYahooホットラインニュースで触れています(ソースの元は読売新聞のようです)。

 【ダラムサラ(インド北部)=新居益】ダラムサラに本拠を置くチベット亡命政府のサムドン・リンポチェ首相(71)は30日、本紙と会見し、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(75)が、2011年に行われる亡命政府首相・議会選挙を機に、自身の政治的役割を縮小して首相と議会に一層の権限を持たせる方針であることを明らかにした。

 リンポチェ首相によると、ダライ・ラマは、3月20日投票の選挙(有権者約8万人)後に招集される亡命議会で、亡命政府の公式文書への署名や、閣僚の就任宣誓への立ち会いなど、現在行っている儀礼的役割を首相や議会議長に移管する考えを表明する。

 首相は、「ダライ・ラマの指導力への依存は減らす必要がある。次のダライ・ラマが成人するまで20年かかる」と述べ、亡命政府の権威確立を急ぐ必要を強調した。

 また、2009年12月15日のNewsweek「チベットを担う若きリーダー」の独占インタビューでは、カルマパ17世自身の後継問題についての考えが興味深いです(参照)。

 ダライ・ラマの後継指導者になれるかと尋ねると、自分は多くの候補の一人にすぎないと、カルマパは答えた。「ダライ・ラマは太陽のようだ。どれだけ星があっても太陽のようには輝かない」。

  カルマパは昨年3月にチベット自治区ラサで起きた反中国の暴動も含め、暴力を非難している。ただ、中国政府の抑圧下での暮らしを余儀なくされているチベット人や亡命チベット人の「いらだちや閉塞感」は理解できると言う。「どんな生き物でも、何度も繰り返し窮地に追い詰められたと感じると、もう怒りを爆発させるしかないと思うものだ」と、カルマパは本誌に語った。

  カルマパ17世にもダライ・ラマ14世と同様な役割を果たせるのではないか。「私には目標がないし、絶大な影響力をもつという野心もない」とカルマパは語った。「だが、私に変化を生む力が授かれば、その力を発揮する」

 この後、中国との接触についての質問が続き、そこでは「接触はない」と答えています。このことから、2009年のこの時点までは金銭的なやり取りはなかったということでしょう。
 また、調べている中で知ったことに、カルマパ17世がもう一人アメリカに実在するということです。この人物が後継者選びにどう関わるのか、その影響の可能性のほどはよくわかっていません。
 現金隠匿の疑惑やもう一人のカルマパ17世の存在についての事実確認は大切ですが、今の時点で取り上げて言及するのはまるで後継者問題によくあるスキャンダラスな馬鹿騒ぎのように思え、書き控えました。それよりも、チベットと中国の両国から認定を受けているカルマパ17世がダライ・ラマの後継者となることは、何かと問題の起こるチベットと中国間のパイプ役としてなくてならない存在ではないかと思えてきました。

 参考までに:極東ブログ「仏教の考え方の難しいところ」(参照)で、チベットの宗教についてかなり詳しく解説されています。

 

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2011-01-30

エジプト暴動の背景を解くキーパーソンはエルバラダイ氏

 エジプトの暴動が日増しに激しくなっているというのに、私はエジプトに関してだけはしっかり取り上げてきていません。昨日、100万人規模のデモに膨れ上がったと聞きましたが、その状態が想像以上であることはテレビの画像でも見ています。状況は、ニュースが伝えている通りで、特に言い添えたいことはないのですが、私の問題は、エジプトはとても不思議な国で読めないのです。今でもその真相は良くわかっていないため、文責を問われると思うと、とても躊躇してしまうのです。ただ、これだけの規模のデモが起こっているのに何もここに書き残さないというのは自分が矛盾するのです。
 と言うことで思い切って書くことにしましたが、エジプトの情勢を読むというよりは、私のこの国に対する関心の部分に触れておきたいと思います。
 まず、今回の暴動が読めなかった背景に、チュニジアの民主化を訴える市民暴動の余波であるかどうかが判断できなかったことにあります。その要素に1月1日、アレキサンドリアのキリスト教会前で、新年のミサのために集まっていた1000人の教徒を狙ったとされる爆発が起こりました。エジプトの少数派であるコプト教の迫害のための、アルカイダが起こしたテロ攻撃だと大統領が断定した事件でした。これについては「米軍がアフガニスタンから撤退する今年-エジプトに起きたテロの意味は?」(参照)で私も書いています。
 この流れを受けて、当初は、イスラム過激派によるキリスト教徒追放のような動きなのかもしれないと思っていましたが、そのうちに、ネットを使った呼びかけがデモの増員に大きく影響しているという情報に、チュニジアの暴動の連鎖反応と重なりました。報じていたメディアの殆ども、民主化の叫びだと読んでいたのではないかと思いましたが、私は、エジプトに関しては民衆の暴徒化とは思えませんでした。その理由が、2008年の異常なまでの物価高でのエジプトを思っていたからです。
 世界最大のパン消費国といわれるエジプトでは、2008年3月の時点で、一年でパンの価格が26.5%高騰し、パンを買い求める市民の間で暴動が頻発し、死者を出すような惨事となりました。今回の暴動も、民主化を訴える背景に物価高や政府への不満だと当初は思ったのですが、どうもエジプトに関してはすっきりそう思えないものが残ったのです。
 2008年の暴動も、すぐに鎮圧され、ムバラク大統領が軍へパンの製造を命じて収めた形になりましたが、エジプトの国民性なのか、暴動や血なまぐさい事件が大きく起こらない国です。これが不思議で、解明できないのです。イスラム過激派の影響も、もっと大きく発展してもよさそうな環境であると思うのですが、さほどひどいことは起きないのがとても不思議なのです。何でも中途半端で終わるのが返ってわからない理由でした。
 つまり、社会変革が起きるような要素はあっても、大衆を指揮するリーダーのような人物なり団体が存在しない国なのではないかと思うのです。
 物価高騰でパンを作りを大統領が軍に命じる国なのです。軍と仲たがいしているとは想像できませんでした。普通なら、困窮する市民の訴えを軍が肩代わりしてクーデターを起こし、政府の体制を打開に奔走するのではなのかと思うのです。まあ、これを「普通」と言ってよいものやらとは思いますが、今回は、市民と軍が一体となった暴動でもなさそうなので、残る可能性はムスリム同胞団のことしか浮かびません。
 ムスりム同胞団はエジプトの最大野党ですが、かつて、多くの幹部が警察によって逮捕され、もはや大衆を扇動する力は持たないと言われています。今回の暴動では28日からデモに参加したということで、野党最大とはいえ、デモの発端には関与していないと思います。むしろ、ムバラク政権崩壊をにらんで、返り咲きのチャンスくらいにしか思っていないのではないかと思います(産経0121.1.29

【カイロ=大内清】エジプトの大規模な反政府デモで、同国の事実上の最大野党で非合法のイスラム主義組織、ムスリム同胞団は29日、ムバラク政権に対し、「平和的に移行政権を作るべきだ」と要求した。
同胞団は28日からデモに正式参加したものの、「国民は変革を望んでいる」といった慎重な表現を使い、当局を刺激しないよう努めてきた。
今回の要求はそれよりも踏み込んだものといえ、ムバラク政権崩壊後をにらみ、新政権への参加を念頭に置いているとも受け取れる。同胞団は貧困層に浸透し高い動員力を持つだけに、今後、明確にムバラク政権打倒を目指す方向にかじを切るのか注目が集まっている。

 こうしてみると、エジプト政府にとって、暴動が起きても弾圧すべき団体や人物が特定できない状況だったのではないかと思うのです。今回の暴動は、政府にとっては予期せぬ規模ではあったため、事態の収拾がつかなくなるのではないかと傍観するしかありませんでした。
 そして、26日、アメリカのクリントン長官のムバラク大統領を支持するような声明をだしたことから、周辺国で起きている民主化運動とはわけが違うのではないかと強く感じました(読売2011年1月26日

 クリントン米国務長官は25日、エジプトでムバラク大統領を批判する大規模デモが起きたことについて、「エジプト政府は安定しており、国民の正当な要求に応えようと検討している、と判断している」と述べた。
長官は今月の別の演説で、中東の親米独裁的国家に対して民衆の不満に応える改革を行うよう呼びかけており、今回の発言は、ムバラク大統領に自主的な改革を促したものとみられる。

 エジプト政府は国民の暴動を恐れるあまり、あり得ない戦争の可能性を宣伝している国だと聞いたことがあり、それが本当だとするとおかしな国だと思ったことがあるのですが、現実に大きな暴動となってしまいました。結局、反政府騒乱を受けたムバラク大統領の指示で内閣は総辞職しました。が、大統領の退陣を要求する声の高まりもある中、おかしな風景に写ります。アメリカに支えられているエジプトでもあり、クリントン長官の声明のとおりにムバラク大統領がこのまま采配を振るうことが現実可能なのかどうかは気になります。
 気がかりではありながら背景が特定できず、ここ数日悶々としていたところへ昨日、極東ブログの「エジプト暴動は軍部のチキンゲーム」(参照)は、私の疑問の解決の糸口となりました。

 背景として考えられるのは、暗黙裏に進む可能性のあるエジプトの核化の阻止に適切なダメージを与える程度で終わらせたいということだろう。また、アルカイダというとオサマ・ビンラディンがつい話題になるが、実動部隊を実質供給しているのはエジプトだとも言えるほど、エジプトの過激派勢力の潜在性は大きく、社会混乱は好ましいものではないというのも欧米の本音であろう。
 今回のエジプト暴動の特徴は、報道からはあまり見えてこないが、軍の指導性だろう。ムバラク大統領の独裁を象徴する息子ガマル・ムバラクの大統領世襲問題は国民から大きな反感を買い、すでにロンドンに逃亡している(参照)が、これはチュニジア大統領の亡命とは違い、もともとガマル氏の世襲を厭う軍部(参照)のシナリオだったと見てよい。さらに軍部としては、この秋に予定されている大統領選挙を早々に潰しておきたいということもあっただろう。
 総じて見れば、今回のエジプトの暴動は民主化の高まりやツイッターなどの情報ツール革新がもたらしたものというより、新興国にありがちな軍部のクーデターを緩和に装ったものというくらいであろう。西側諸国としては、エルバラダイ氏を育ててエジプトの核化が阻止できればさらに御の字ということだが、とりあえずの仕込みで終わるのではないか。

 エジプトの軍部とムバラク大統領の仲は悪くないと思っていたのですが、軍の動きは、ガマル氏の世襲を厭ってのシナリオで、秋の大統領選挙の前振りと見てよいとすると、私が一番疑わなかった軍がネックだったということになります。が、これでトンネルから少し抜けた感じがしました。
 ところで、エルバラダイ氏の突然の帰国と、デモに参加するという行動も「仕込み」のパフォーマンスなら、個人的な理由ですが、ほっとしたのです。実は、氏が帰国したと知ったと同時に彼の事を調べていて、とんだ妄想をしてしまいました。今思うと、沢山の思惑が頭の中で未処理のまま脳内に散らかっていて、ほかの事を熟考できなかったためのようです。氏はアメリカの民主主義をエジプトにもたらし、核の番人でもするつもりだとすっかり思い込んだ始末です。よく考えると、エジプトが核保有国になる可能性は少ないですし、氏が、その番人になるとは考えな難いことです。あろうことか、Twitterで流してしまったのです。失礼しました。
 エジプトの民主化が前提にあり、そのための「仕込み」が今エジプトに始まったと言うのであれば、この暴動も、確実な通過点にしなければならないと心したところです。

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2011-01-29

所得税増税なら賛成しますよ、という話-政策を白紙にするくらいなら正しくやり直してよ

 国会が始まったばかりだというのに、菅さんはもうくたくたのよれよれといった感じ。身から出た錆なのでしょうけど、見ていて痛々しい姿です。政権を担当する政党のブレインなどあったものではないなあ。この政府には手の付け所もないと思っていた矢先、それでも昨日、極東ブログでは取り上げています(参照)。何か物を言うというだけでも偉いなあと思いました。子ども手当てを白紙にしたらどうかって言い出したのには、最初、ちょっと驚きましたが、政府にやり所の光が無いわけでもなさそうです。

これは、出生率を増やすとか、子供の成育環境をどうたらというのではなく、高齢者層を中心に所得移転を強制的に行うということだ。未就労の子供に所得を与えると理解してもいい。
だからと言うべきなのだが、子ども手当は規模がでかくなくては意味がないし、必然的に税制も根本的に変革する必要があった。所得移転なんだから当然高齢者層を中心に増税となる。国民からカネをむしり取って再配分するということだ。

  これは、子ども手当てという幻と化したような政策の利点の話です。同時に、与謝野さん辺りは全く眼中にもない話です。
 この話で思い出したのが、富裕族の抱えている財産や預金を使わざるを得なくなる「マイナス金利政策」のことでした。お金を預けていると税金が掛かっちゃうので、今の日本には持って来いの政策です。これも、フィナンシャルタイムズが日本経済を見かねて提案してくれたことだったな、とか、昨日思い出していました(参照)。
 言われているように、所得の多い人からは多く、少ない人からはそれなりに、無い人には国が所得を保証するという、政治の在り方がはっきりする政策です。中味は、国民同士が助け合うということです。ですから、社会保障制度の意義は、出し合ったお金を再分配し、生きるための基本的な生活の安定を図ることです。そのためには、所得税の増税はやむを得ないと思うのですが、この政府は、消費税増税によって補填しようとしているとしか思えないのです。これは、会計をやるとわかるけど、間違えた処理です。消費に対する税率は同じであっても、年収に対する税負担の比率は数字が違ってきます。消費税は文字通り消費にかかる税金であって、所得に応じてかかる所得税とは性質が違います。それ以上の理由はありません。そして、補填どころか、結局、子ども手当ては当初の金額が保障できなくなったため、この先もどうなるかわからない状態です。
 このめちゃくちゃに呆れ返っていた最近の私です。
 今まで、子ども手当てだけがこの政府の唯一の良い政策と思っていただけに、これを何とかして欲しいと注視してきましたが、極東ブログから「やめて白紙にしたら」と出てきて、何故か私の肩の荷が下りたのです。
 で、今日は、本当は、ネパールの一男性が政党のトップに平手打ちを食らわしたという爽快な話題でもと思っていたのです。ネパールと言えば、インドと中国のチベットに挟まれた細長い国で、ヒマラヤの玄関口として有名です。この国の政治もめちゃくちゃ。なんていうのか、政党間で小競り合いが半年以上も続いていて、政府が全く機能していないというのです(APF1月27日)。その上、国連のネパール監視団が期限切れで撤退したので、ますます不安定な状態だというのです。日本と比較しても始まらないのだけど、政変が起こることはよいとしても、政治をする能力を持たない政治家が舵取りについたためにおかしなことになっている国が目立ちます。日本では反政府デモは起こらないし、政府の要人をビンタするような人もいない平和な国なんですが、これから先が全く見えないのがなんとも。
 子ども手当てを白紙にしたらどうなるの?と先を考えるのは政治家の仕事なんで、私には何ができるかと、ハタと考えてしまった。
 与野党の合意というなら、子ども手当てを白紙に戻して議論し直すという案は、一つの光なのだろうか。この政府に残る政策面の可能性は、確かに他には今のところ見当たりません。ましてや、消費税増税なんてとんでもない話です。毎回言っていますが、デフレで物価が下がっている時に増税しても、物価のスライドに合わせて税収も少ない上、消費者の購買意欲も無くなり悪循環です。良策ではないのだから、それ以上に、政府への信頼もなくなります。
 税収を増やしたいのは財務省で、財務省が消費税に着目するのは、消費税が一番取りやすいからという理由が背後にあるのじゃないんかい。いつから菅さんは消費税が国民の暮らしにベストな政策だと思われたのでしょうか。誰にそう教えられたのでしょうか。こう言っては何ですが、私程度でもわかるこの間違った政策を、経済音痴の菅さんに誰かが入れ知恵しない限り、菅さんの脳内から出てくるとは思えません。誤解なきよう言いますが、私は税金を払いたくなくてこんなことを言っているのではありません。
 所得の再配分は、私達が一番納得できる政策で、この政策によって最低水準の暮らしが誰でもできて、その上、経済が動き出すのなら、早く着手して欲しいと願います。私は、こんな政府のために税金を払うのは嫌ですが、助け合って行こうよという気持ちが廃れたわけではないです。

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2011-01-28

物を増やしたくない私が、それでも買ったPanasonicマルチグリラー

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Panasonic マルチグリラー
シルバー NF-MG1-S
パナソニック

 ついにPanasonicのマルチグリラーを手に入れた。こう言っては何だけど、高価で手が出ないという程のお値段ではないし、直ぐにでも買うこともできたのです。買わなかった理由はいくつかあって、大きく言えば、調理器具の飽和状態ということかなと思います。マルチグリラーが無くても間に合う器具はあるし、キリがないのが物欲と食い意地だと言うことで線を引いていたのです。ですから、時折聞こえてくる「秋刀魚が旨い。」「蕪が旨い。」の声は誘惑の悪魔の声でした。ところが、買うと決めた時は、これまで買わない路線で頑張ってきた力がふっと抜け、あっけない一瞬でした。その助けになったのは、生活空間の整理整頓にありました。
 年末に片づけができなかったPC周辺を年明けに少し整理して、ここに作業テーブルを手作りしようと思い立ち、図面を起こすまでに計画が進んでいました。並行して、 積んであった書籍を書棚に納め、古い書類を全て処分したところすっきりと片付いてしまった結果、作業テーブルの必要性が消え、新たにスペースが増えたので す。購入後、ここがマルチグリラーの置き場所となりました。この整理整頓は、これで食べている人もいるくらい可能性を多く秘めた分野なので、見直す余地が多くあります。昨年の6月、極東ブログでこのグリラーの紹介があった時(参照)、直ぐに欲しいと思ったあたりの理由はこちらです☞が、これ以上物を増やしたくない理由がネックになっていた場所の問題が消失したのです。
 また、手持ちのビルトイン方式の200vオーブンは、オーブン機能のほかにスイッチの切り替えによって電子レンジ、グリル、グリルと電子レンジの併用のコンビ、また、上部に魚などを焼くための小型のグリラーがついています。これだけあれば怖いものなし。魚などもオーブンで焼けばふっくらと焼き上がります。かなり満足しているので、これから新たに調理器具を買うためのスペースを確保する気になれなかったのです。が、年明けの片付けによって思いがけないスペースの確保ができたため、決断は早かったです。
 また、重ねて、私の例の自慢のオーブンを問題視するようになってきました。大型のため、家族が多い時にはこれが最高に重宝したのですが、今となっては無用の長物的な部分もあります。たった二枚の鯖のレモン焼きや、300g程度の肉の塊をローストするために時間をかけてオーブンを予熱し、その予熱にかかるよりも短い時間で調理することに電気の無駄使い、という後ろめたさを感じるようになったのです。美味しく出来上がっても、なんとなくすっきりしないのです。このビッグオーブンを持て余すのは、こんな時でした。
 置き場所の問題や現存の調理器具で間に合っているとう理由で、これ以上物を増やしたくないという私のような思いを持つ人は多いのではないかと思います。が、それでも買う価値はあるという点を少し話しておきたくなりました。
 それは、兎に角何を焼いても美味しいのです。七輪焼きの魚やキノコの味を知っている人なら、おそらくこのグリラーの焼き具合を絶賛すると思います。というよりも、片面ずつしか焼けない七輪よりも遥かに合理的です。フッ素加工した焼き網を挟むように上下にヒーターがあり、一番下に蓋と一体化した受け皿があります。魚を焼き網にのせて引き出し式にスライドして内部に納め、電源を入れて自動か手動か選択してスイッチONします。受け皿には水を張らないタイプですが、臭いも殆ど感じません。たまたま届いたその日はハンバーグのホイル焼きの下準備が整っていたため、待望の魚焼きを試せませんでしたが、オーブンで焼くよりもふっくらとした仕上がりでした。予熱という手間がない上、網に載せてスイッチを入れると殆どの料理が15分~20くらいで出来上がります。野菜を焼いたりするのは5分~10分なのです。省エネだなあと、これまで気が重かった予熱の工程が無くなったことが何よりも嬉しいです。
 そして、かなり考えた置き場所の問題ですが、これは、いつでも手軽に使える場所が良いのは言うまでもないのですが、焼く時は、換気扇の真下か直ぐ近くまで移動した方が良いです。焼いている時は殆ど臭いは出ませんが、出来上がってふたを開けた途端に煙がもわっときます。この煙で一瞬のうちに部屋中に臭いが広がるのです。置き場所をどんなに考えたとしても換気扇のそばでの使用を思うと、逆に、使わない時はどこに置いてあってもよいのではないかと思います。
 付属の調理例を見ると、オーブンで作る料理は殆どできるようで、グラタンやホイル焼き、焼き鳥やローストビーフなどです。これらの調理例から、さらに料理展開が広がるのは想像の限りです。小型のオーブンのような感じですが、最高温度が280度なので、魚焼きに最適です。これは、Panasonicが「七輪のような遠赤過熱を実現したフィッシュロースターです。」と宣伝する由縁です。逆に、大きなオーブンが280度にもなったら、周囲が暑くてたまらん状態になると思います。因みに、ホームページに「特集レシピ」が掲載されていますので、料理の幅の広さがわかると思いますこちら☞
 私にとっては、手持ちの大型オーブはパン作りには欠かせないので必要でもありますが、マルチグリラーは、普段料理のためのセカンドオーブンといった使い分けになると思います。

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2011-01-27

「女はおばさんになり、男は一生子どものまま」

今日は、ちょっと息抜きエントリー。題して「女はおばさんになり、男は一生子どものまま」。これは私がTwitterに投げたんじゃないよ、Twitterでうろうろしていたらたまたま牡丹餅が落ちてきたという感じ。そのつぶやきはアホみたいなことから始まっていて、芸能ネタか、と思ったのですが、そこに突込みやら若手の質問やらが入っていって、展開が面白くなったのです。

宮沢りえがバタ臭い顔になってきた。まあ、別にいいけど。
南野陽子がリアルおばさんぽくなるのは味わい深い。
女はおばさんになる。わかっていても興味つきないプロセス。
男はおっさんになるかというと、ちと微妙なもんがある。
男はうまく性的に成熟しない。
男は一生、子どもであることから、抜けられん。
ああ、なんだろなあ。やさしさかな。“@tailofcat: @finalvent “おばさん”の定義をお聞かせ願えますか。”

 抜き出すとこんな感じ(全部ではないよ)。
 私は言われるまでもなくすっかりおばさんなので、だからって、言われても痛くも痒くもないのだけど、年は取りたくないものです。年を重ねるのを如実に感じるのが容姿です。鏡を見ると、見えるのは年老いた私。容姿の変貌は嫌だと思っても逆らえないし、かくなるは、心の中で格闘や葛藤をするのをやめてみたりする。ところが、自分の加齢を心底受け入れていないものだからやせ我慢のような、また、これが惨めなものなのです。こんな風に思うのは男性も多分同じでしょう。ここで男性はおっさんと言われるようになるんだけど、中味は5歳の男の子みたいな感じがするのです。それも、ずっと変わらずに。近所に100歳のお爺さんがいるけど、このお爺ちゃんも5歳の部分が見え隠れして、お茶目で可愛い。どうでも良いようなことに真剣に取り組んだり、お気に入りがあって、それを愛でる姿が無心過ぎるくらい純粋なのです。私にしたら、こんな姿が5歳の男の子と見る部分で、そこが羨ましいところ。女もおばさんになると、これと似てくる部分もあると思う。
 Twitterのこの話題に戻すんだけど、おばさんの定義が気に入ったという理由でこのエントリーも書いているので、ここに是非触れなければ意味がないな。棚から「やさしさ」が牡丹餅のように落ちてきたのだし。
 この言葉を見たとき、馬鹿みたいに単純に嬉しかった。本当の意味は、言われたご本人しかわからないにせよ。そして、自分に言われたわけでもないのだから、勝手に自分に都合よく解釈しただけの話だけれど、的を得ているなと思えたんです。そして、女だけではなく、男が一生子どもみたいに終わるというのも、日ごろからそう思っている私なので、これも当たりだなと妙に感心したのです。
 おばさんはやさしいというのは、これは年齢的なものでもなくて、思考バターンによっても違ってくるのです。また、「おばさん」という言葉には既に概念が埋め込まれていて、この概念の説明は難しい。でもちょっと言うと、男に対しては危険と見られる女ではなく、どちらかというと性がない。「人」かな。
 最近の若い人たちを見ていて時々思うんだけど、30代の女性で、歳を取るとみな優しさが滲み出るようなおばさんになれるかというとそうでもない人が多いと思う。優しく見せる技を身につけている女性も多いけど、これらの人は同姓から顰蹙を買うタイプ。男性はどきどき間違えるみたいだけど。この辺の人のことは棚上げしといて、前者だけど、率直に言うと人に優しい時代に育っていないのが致命傷かな。だから、五感を引き出せずに大人になった人達で、時代的には物が増え出し、遊びも楽しいことが増えた一見よい時代なのだけど、物事の表層部分や肉眼で見るものへの美的な感覚が、心を豊かにするまでのところに届いていないと言ったらよいのか。これは、人とのつながりが大きな要因になっていると感じる。これを上手く学問的に説明できるとよいのだけど、ちと私には難しいのでご勘弁を。ただし、手遅れとかそういう問題は無し。いつでも五感を引き出すことはできるし、本人次第のところもあるかと思う部分です。

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ゲゲゲの女房
武良布枝

 女の優しさというのは、母なる優しさとして括ると、私世代にはぴんと来るかもしれないな。そして、この年代層はすごく幅が狭く、団塊世代を除く、前後の世代で、しかも東京オリンピックより前の生まれまでかな。東京オリンピックが齎した社会変革の前というか(アレを変革と呼んでよいのかどうか迷うところだけど)、昭和の時代がよかったと思えるのは、私の20代までかな。ゲゲゲの女房がその辺を上手く表現していたのがよかった。あの人間臭さのある社会に揉まれて育っていないと、大人の女になってから振り返り先がないのです。また、たとえ振り返ったとしても、そこに感慨のようなものが漂う心情になれず、癒されないのです。生きる中で癒されて憂いを持てるような心情になるには、それ相応の傷もあるかな。母なる優しさが通じない人たちがこれから増えるのではないかと思ったりもする。こういった背景のない、私よりも後の生まれの人たちは、多分、「女」として生きるんだろうなあと思えてくる。そして、その生き方は、相当頑張らないといけないのだと思う。見ていて痛々しい感じもする。私がおばさんで、やさしいかどうかはわからない。けど、おばさんなので嬉しい。また、あの団塊世代と私以降の生まれの人達と私は全く違う。
 私は、昭和のイイ時代に生まれて育ったということだろうか。

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2011-01-26

イエメンの暴動と歴史的背景-チュニジアの政変で影響を受けている国々

 Twitterで流れたイギリスBBCニュース(参照)やNHKニュースで、フランスのサルコジ大統領が、チュニジアに起こっている暴動に対して救済に向けた動きを表明したのは昨日です。今まで何をしていたのかと腹立たしい思いがこみ上げました。チュニジアがかつてのフランスの植民地であったことや、ベンアリ前大統領が脱出前に相談した時点でだんまりを決め込んだようでしたが、今となっては各国に飛び火してしまい、多くの犠牲を出しています。経済救済に向けてG20への呼びかけがあったそうですが、チュニジアの暴動の発端は失業や物価の高騰、貧困などかもしれませんが、そういった問題に有効な経済政策を打てない政府の腐敗や汚職への不満や怒りとなっています。国内情勢については「世界的な物価高の連鎖とフランス発動のG20のこれから-チュニジアやアルジェリアの暴動が示していること」(参照)で触れた通りです。
 長い間の独裁政権が生んだ歪の修正のための訴えであり、怒りと化した感情を静める手立ては、サルコジさんとは言えどもないのかもしれません。
 この情報から周辺国への飛び火の様子が気になり、少しニュースを当たってみると、かなり多くの国で焼身自殺や暴動、デモなどが起こっているようです。今後の情勢の変化も気になるので、ざっと大まかに拾っておくことにします。

  •  イエメン:22日、数千人による集会で、21年間にわたる大統領の辞任要求(毎日)。
  •  アルジェリア:22日、民主化とブーテフリカ大統領の退陣を求めるデモで死傷者続出(朝日)。
  •  ヨルダン:21日、数千人がデモをして物価高などに抗議し、内閣総辞職を要求(朝日)。
  •  エジプト:市民グループなどが「25日の警察記念日にデモをしよう」「チュニジアに続け」などとネット上で呼びかけている。
  •  アルバニアの首都ティラナ:21日、約2万人が参加した反政府デモの一部が暴徒化し、警察の発砲で市民3人が死亡、警察官24人を含む54人が負傷した(毎日)。

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 この中で、アルバニア(イタリアのブーツのかかとの真横の国)は、現べリシャ政権の汚職疑惑で副首相が辞任し、野党や市民が首相に退陣と前倒しの選挙を求めているというのが現況で、チュニジアの暴動の発端とは違いますが、べりシャ首相が「我が国はチュニジアにはならない。暴力は厳しく取り締まる」と語っているところから、強権政治の現れを感じます。実際、警官がデモ隊に実弾を発砲し、死者や負傷者を出したことは市民感情を煽り、暴徒を増大させることにつながる可能性があると思います。
 また、気がかりなのはイエメンです。暴動が起きた背景がチュニジアによく似ていることと、21年にわたる独裁政権であったこと。また、調べてわかったことは、アラブの最貧国であることでした。長きに渡って独裁的な強権支配の下に貧困を強いられてきた人々の怒りは、おそらくチュニジアに匹敵するのではないかと思います。
 イエメンは、19世紀初頭はエジプトの支配下でしたが、1839年イギリスに西南部を占領され、イギリスの植民地でした。1849年、オスマン帝国に北イエメンが再占領された後、1919年、第一次世界大戦で敗北したオスマン帝国から独立してイエメン王国が誕生しました。その後、1962年に起きた軍事クーデターにより、イエメン王国が崩壊し、イエメン・アラブ共和国となりますが、英領だった南イエメンが1967年に南イエメン人民共和国として独立しています。その後、1990年に南北が合併しましたが、1994年、旧南部が再び独立を求め、内戦が勃発しましたが、国際的な支持を得られず直ぐに鎮圧されました。そして、1999年、初めて国民の直接投票による大統領が誕生しました。2000年には、旧南イエメンの首都アデンのアデン港で、イスラム原理主義勢力アルカイダのメンバー2名の自爆テロによって米艦コールが襲撃されました。
 このような歴史的背景であっても、国民は98%がアラブ人で、殆どがイスラム教であることから生活習慣的な違いはあまりないと言われています。ところが、イスラムの教えよりも部族内のルールの方が優先されることがしばしばあるようで、主張が尊重されているようです。
 さて、国の背景を心に置いて、毎日が伝えているイエメンの暴動の記事を読んでみることにします(毎日)。

 アラビア半島南西部のイエメンで反政府デモが発生し、22日には首都サヌアや南部主要都市で学生や野党勢力ら数千人が集まってサレハ大統領の辞任を求めた。21年にわたって同大統領による独裁体制が続くイエメンだが、大統領を名指しした大規模な抗議活動は初めてとみられる。チュニジアでベンアリ前大統領の亡命につながった民衆蜂起が飛び火した形だ。

 現地からの報道によると、サヌアでは約2500人のデモ参加者が「アリ(サレハ大統領の名前)よ、友達のベンアリの所に行け」と叫んだ。

 イエメンでは、今回の騒乱前から、北部でのイスラム教シーア派の一派ザイド派の反乱や国際テロ組織アルカイダ系団体「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」の活動、南部での分離独立運動という「三重苦」に直面してきた。高失業率や大統領周辺の腐敗、地方の開発の遅れなど、国民はチュニジアと同様の環境の中で苦しんでいる。
 イエメンはテロ対策で米国の支援も受ける。しかし、掃討作戦で民間人が死亡しており、反米、反政府感情は強い。AQAPは米欧を標的にした爆破テロ未遂事件も起こしており、サレハ体制の動揺は、国際テロの活発化を招く懸念もあり、民主化は「もろ刃の剣」と見る専門家もいる。

 アルカイダのテロ対策の拠点国家であることや、民主化を求めた政変のための混乱に関して、アメリカはどう関わりるんだろう。そういう疑問が湧いてきます。そもそも、政権に問題があるから暴動が起こるのであり、アルカイダのような活動も元は正義のためです。この国の歴史から、長年イギリスの植民地であり、その南部が独自性を主張したにも関わらず、弾圧を受けてきたという背景から、母国を守ろうとする原理主義者らが大きなテロ組織となったのも自然の流れです。このことを考えている時、ソマリア海域の海賊化してしまった漁民の訴えが脳内で重なるのですが、アメリカの対応によっては、アルカイダを刺激しないとも限りません。
 イエメンの暴動を知った時にいろいろな思いが巡り、何か安心材料はないかという思いもありましたが、毎日が指摘している「三重苦」には、人々の長い痛恨の思いがずっしりと積み重なってきているかに感じられます。仮に暴動が拡大しても、アフガニスタンのようなことにはならないで欲しいと願います。

参考文献:イエメン共和国大使館HP

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2011-01-25

カルザイ政権には合格点はあげられない-アフガニスタンの二つの課題

 昨日の産経の記事、「新・グレート・ゲームへ・・・対テロ戦10年目のアフガニスタン」(参照)が飛び込んできて、「グレート・ゲーム」の文字に釣られて読んでみまたした。この記事は、アメリカがアフガン治安部隊に全土の治安権限を移譲する2014年をターゲットに、このところの周辺国の様子を伝えていますが、以前私がパキスタン情勢で書いた記事でも触れたとおり(参照)、アメリカの撤退と同時にアフガニスタンが不安定になるとお出ましになる可能性言われているのは中国です。資源を必要とする中国が、どのように立ち回るのかなどを含めて、この周辺地域に「新・グレート・ゲーム」が始まると言われています。そういう点で、重要になってくるのがアフガニスタンのアメリカ撤退後です。
 アフガニスタンがアメリカの治安下にある現在は何とかバランスしていると言えますが、アメリカの撤退を先に見ながら、パキスタンがアフガンへの関与を続けているのも、自国の防衛のためとは言え、今後の不安定要因でもあります。このパキスタンの動きは「悪化するパキスタン情勢-アメリカ軍撤退に危機感」(参照)でも書きました。
 アメリカはアフガンの武装勢力はパキスタンにあるとした上で、アルカイダ武装勢力壊滅の鍵を握るのはパキスタンだとする一方、撤退を予定しているアフガニスタンにも梃入れを始めているのだと思います。
 昨年、米バイデン副大統領のパキスタン訪問のニュースですっ飛んでしまったのですが、パキスタン訪問の前にアフガニスタンを訪れ、カルザイ大統領との会談を済ませていました。この時の会談の目的は、「今回の訪問の主目的は2011年に開始するアフガニスタン主導の治安体制への移行に向けた進展を評価することと、アフガニスタンとの長期関係に対する我々の意欲を示すことだ。」(CNN)と、ホワイトハウス高官の発表後、「アメリカの撤退が先延ばしになるかもしれなという発言もありました(毎日2011年1月12日)。

副大統領はまた昨年12月、今年7月に撤収を開始する米軍は小規模ではないと示唆し、「14年までには、何が何でも米軍は完全撤収する」と明言していた。だが、「もしアフガン国民が望むなら」との前提付きながらも、「14年には撤収しない」と発言を修正した。

 今日は、先の産経の記事をきっかけに、アフガニスタンに焦点を当ててみることにします。
 混迷状態にあるとされるアフガニスタンですが、汚職・腐敗体質のカルザイ政権であり、その統治能力の欠如と、タリバンの軍事的な攻勢が主な原因ではないかと思います。まずは、この二点について調べてみました。
 昨年9月の総選挙は、カルザイ政権にとっては汚名挽回のチャンスでもあったと思いますが、カルザイ大統領自身の大統領選挙にも不正疑惑を中心に、多くの不正があったのではないかとの疑惑に包まれ、議会が開催されないままの状態です。
 日本では考えられないことですが、大統領派の議員の落選が多かったことに不満を持つカルザイ大統領は、今月23日に議会の召集を決めたようですが、選挙の不正の審査に当たった特別法法廷より一ヶ月の延期要請され、これを受け入れたようです。これが芝居がかっているのですが、この特別法廷というのは大統領令で最高裁に置かれた機関で、実態は、落選議員を復活させるための機関です。つまり、一ヶ月の延期は、そのための時間稼ぎだと見られ、結局他の議員の反対により、26日に召集が決まっています(CNN2011年1月24日)。毎日の「アフガン:新議会発足へ 不在4カ月、大統領権威揺らぐ」(参照)がわかりやすく報じています。

「延期」発表に反発した当選議員らは、「大統領が臨席せずとも予定通り23日に議会を発足させる」と宣言した。アフガン議会は大統領が招集しなければならず、議員側が独自に議会を発足させれば、憲法違反となり、政治危機に陥ってしまう。事態打開のためカルザイ大統領は22日に当選議員約140人を大統領府に招き、数時間にわたる協議の末、26日の招集を決めた。
 ロイター通信によると、大統領は、不正選挙疑惑を調べる特別法廷の廃止にも同意したという。同法廷は、選挙管理委員会の権威をないがしろにしかねず、内外から「違憲」との指摘が出ていた。
大統領の「1カ月延期」発表に対して、国連や米国などが「深い懸念」を表明するなど、欧米諸国も大統領に早期議会招集を働きかけていた。
 国民の多くは、カルザイ氏がこうした圧力に屈する形で議会招集問題を決着させたと受け止めている。アフガニスタンでは米国が今年7月から徐々に駐留軍を撤退させ、2014年までに治安権限をアフガン側へ移譲する計画だが、大統領の迷走ぶりが続けば今後、政治不安からアフガン復興に重大な支障をきたす可能性もある。

 加えて、この選挙では、カルザイ大統領を支える多数派のパシュトゥン人の獲得議席も選挙前の140から95に減少し、武装勢力との和平に道筋をつけることを最大の目標とするカルザイ大統領にとっては大きな痛手であり、和平取り組みへの支障になることは間違いないのではないかと思います。
 ところで、大統領と議員が決まり、やっとのことで議会が召集されるというのに、その議会では一体何が決まるというのでしょうか。事柄の決定ばかりに労力を費やすばかりで、肝心の内容がナイヨウでは困ったものです。
 二点目のタリバン攻勢についてです。パキスタンの国境エリアでは、アメリカ軍の大規模作戦による無人機攻撃激化によって、タリバンにも相当の犠牲が出ていると聞きます。難航しているのかどうか、その辺が詳細に渡ってはわかりませんが、タリバンの人事から見ると弱体化しているようでもあります。1月26日号Newsweekは、最高指導者のオマル師の消息が知れないと伝えています。

 いまタリバンは苦境に直面している。重要拠点である南部ヘルマンド州とカンダハル州では米軍が攻勢を強めており、大きな犠牲を強いられている。タリバン指導部は兵の士気を鼓舞し、反撃ムードを高めるため、タイプの違う2人を後継指名。これは最高指導者ムハマド・オマル師の同意を得たものだと訪う。
だが指導部の主張を信じる者は少ない。オマル師の消息は01年11月のカンダハル脱出以来、途絶えているからだ。
マンスールは陰でパキスタン軍統合情報局ISIとつながっているとの噂もある。後継人事の背後にISIがいて「われわれの弱体化を図っている」と疑う元タリバン高官もいる。絶対的な指導者不在のまま、有力者の熾烈な派閥争いが起きることをタリバンは恐れている。

 パキスタンのISIとタリバンのつながりはいつかのWikileaksにもあったかと思いますが、話しが混乱するのでこの件は置いといて、オマル師について、どこに潜んでいるのか調べても、他紙でもはっきりとつかめているような記事は見当たりませんが、ワシントンポスト記事を引用した時事ドットコムでは、

【ニューデリー時事】アフガニスタンの反政府勢力タリバンの最高指導者オマル師が今月、パキスタン南部のカラチで軍の支援により心臓手術を受けたと米紙ワシントン・ポスト(電子版)が23日までに報じた。事実なら、同師のパキスタン潜伏説を裏付ける有力な手掛かりになる。
 同紙は、米中央情報局(CIA)元幹部らでつくる民間情報会社がカラチの医師から聞いた話として報じた。オマル師は7日に心臓発作に襲われ、パキスタン軍の情報機関、3軍統合情報局(ISI)によって病院に搬送されて手術。術後は脳に後遺症が残り、発話に障害が出たという。
 この報道に対し、タリバン報道官は「オマル師の健康に問題はない。敵が流布したうわさだ」と一蹴。ISIも「でっち上げ」と反発した。(時事ドットコム2011/01/23-14:31

 「でっち上げ」?そうかなあ?ワシントンポストの記事に1万円賭けてもいいな、くらいに信憑性の高さを思いますが。タリバンにとってオマル師の存在が確認できないことも、師が病で倒れているということだけでも内部がぐらぐら揺れ動いているのではないでしょうか。
 結局、アメリカが引き上げを始めるかどうかの7月までに、ここで取り上げた二点でさえも合格点に達しないのではないかと思います。

 参考までに、極東ブログの「オバマの戦争」(参照)で、ブッシュ政権から引き継いだ戦争として当時の様子を詳しく解説しています。

追記: 
 今朝のTwitterタイムラインで「アフガンが揉めているメリットもある。」(参照)という発言を見て、その観点では考えていなかったことと、その関係を見るのに「グレート・ゲームの歴史参照」というので、少し調べてみました。
 「グレート・ゲーム」とは、19世紀、アフガニスタンの北方をロシアが、南方をイギリスとして覇権を巡る争いのことです。アフガニスタンは、このニ強国との間で翻弄(ほんろう)されました。北のソ連が優勢になればロシアに寄り、南のイギリスが優勢となるとイギリス寄りになるという右往左往の状態だったようです。
 その後、独立国家となり、ましたが、ソ連から干渉されることに代わりはなく、生活は左右されたため、徐々に反ソ・反共運動が高まり、治安が悪化しました。これに目をつけたソ連は、1979年、治安回復を名目に、軍事介入を始めると、これに抵抗したイスラム教徒の反ソ運動が活発化し、他のイスラム教徒もこれに便乗してゲリラ戦を活発化しソ連に立ち向かったのです。この時、アメリカとパキスタンとサウジアラビアがこのゲリラ戦を支援したのです。この抵抗運動の高まりやアメリカとの冷戦の末期でもあったため、1989年、ソ連が撤退ました。ここで平和が戻るかに見えたのですが、内部の仲間割れが起こり、南部から新興勢力であるタリバンが現れたのです。
 つまり、アフガニスタンは独立国といえども、ソ連やイギリスが始めた覇権をめぐる19世紀の争いから始まってこのかた、長い間大国の犠牲になり、自力で建国したとは言いがたい国だということです。現時点で国の内部が揉める必要があるのなら、揉めて方向性を見い出すプロセスも必要なのではないかと思いました。

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2011-01-24

ベンアリ独裁政権崩壊後のチュニジアの政変-続編

  ベンアリ前大統領の国外脱出(サウジアラビア)によって23年間続いたチュニジアの独裁政治は幕を閉じ、20日、暫定内閣初閣議が開催されましたが、一部の野党を取り込んだものの、ガンヌーシ首相を含めて主要閣僚の多くが旧政権で圧政を行ってきた与党・立憲民主連合(RCD)の閣僚が留任したため、前政権関係者の排除を求める市民の要求が高まっています。野党側の新閣僚5名が辞任した上、市民のデモは未だに続いています。このことは、20日の「混乱が拡大するチュニジア情勢-新政権に不満を持つ人々」(参照)で詳しく書いています。
 結果、この市民の抗議による形で、18日にメバザア暫定大統領とガンヌーシ首相が与党・立憲民主連合(RCD)から離党を表明し、RCDはベンアリ前大統領と側近らの除名を行いました。さらに、ガンヌーシ首相は、6ヶ月以内に実施する予定の大統領選挙と議会の終了後は、可能な限り早期に辞任し、政界を引退することを明らかにしています(毎日2011年1月23日)。
 ベンアリ政権による強権支配から脱した市民の興奮と、旧態同然の新内閣への不満やその反動は理解できますが、これまでの独裁政党から議員を追い出してしまっては政権担当能力のない野党議員が残るだけとなるのでは必須です。昨日、「新党結成も視野=要求貫徹へストも―チュニジア最大労組(時事2011/01/22)の記事から、野党勢力としてはかなり大きな組織になると思われる新党結成の話を知りましたが、当事者らも、1~2年はその準備にかかると話しています。

 チュニジアのベンアリ独裁政権の崩壊で主導的な役割を果たした同国最大の労組、チュニジア労働総同盟(UGTT)のシミ・モハメド副事務局長は22日、新党結成を視野に、新政権に対して1~2年後の民主的な大統領選挙や議会選の実施を求める意向を明らかにした。時事通信との会見で語った。
 同副事務局長は選挙について「半年では準備が間に合わない」と指摘。23年続いた独裁政権下で本格的な野党が育たなかったとして、新党の立ち上げも含め、最低でも1年の準備期間が必要だと述べた。
 モハメド副事務局長はベンアリ前政権からの刷新を求め、要求貫徹に向け、加盟労組の組合員約50万人を動員したストも辞さないと語った。
 新政権に関しては、「新政権にはベンアリ前政権の閣僚が数多く残留しており、独裁や腐敗の象徴を徹底的に排除することが必要だ」と強調。 UGTTトップがメバザア暫定大統領と会談するなど、デモと並行して新政権に要求を突き付けているという。

 そして、独裁政治から同時に開放された警察官らは、政府の命令で動くのがその使命であったことからも開放され、市民側と連携をとる形になったと言うのです。いや、これは言われるまでもなく正にそうなることは自然ですが、逆に言えば、命令がなくなった警察組織の主導はどうなるのでしょう。昨夜のテレビで、この状態を「不安定」とコメントしていましたが、見方を変えれば、一市民として民主化への歓喜を上げて喜んでいる姿です。今のところは市民との連携という形でその体裁が守られているようですが、市民の反発が強い政府にとっては、もはやコントロールできない組織の一つでもあるというか、軍の存在と共に奇妙な感じが残ります(朝日2011年1月22日)。

 チュニジア政変を受けて22日、これまでは市民のデモを鎮圧する側にいた警察官らが、市民との連帯を示すデモをした。チュニス中心部では1千人近い警官らが腕に赤い布を巻き、旧体制の打破や待遇改善を求めて行進した。

 政変後、ベンアリ前大統領を見限って市民側に回った軍に支持が集まる一方、前大統領を支えた内務省と警察への不信感は根強い。警官デモは、こうしたイメージを改善する狙いもありそうだ。

 参加したムニールさん(31)は「僕らは安月給のうえ、命令に従わなければクビ。命じられてデモ鎮圧に行ったら、デモ隊に隣人や親族がいて、心が痛んだ。今こそ市民と連帯したい」と話した。

 また、気がかりであったイスラム組織「ナハダ」の動きは、20日のエントリーにも書きましたが、ベンアリ前政権の強権政治が幸いしたのは、イスラム過激派をも弾圧し、そのリーダーであったラシド・ガンヌーン氏を国外追放していますし、チュニジアにはイスラム穏健派しか残っていない状態です。しかし、政権が崩壊した途端に「ナハダ」の動きが活発化するのではないかと懸念されているようです。特に、チュニジアの政権を乗っ取る恐れがあることを欧米諸国は強く思っているとのことですが、一方で、欧州文化の影響が強く安定的な国だと評価されているようです。暴力的に成らずとも、政変という事態はこの国にとっては大きな変革であり、だったらイスラムの暴力的な政党に政権を握らせるでもなく、慎重に立ち回るのではないでしょうか。
 社説はイマイチな朝日新聞ですが、「ナハダ」の幹部、サミール・ディロウ氏の直接取材の内容を報じています(朝日2011年1月23日)。

 ディロウ氏は「我々は『神権政治』は目指さない」と語り、トルコを模範に議会政治の枠内でイスラムに沿った穏健な改革を目指す考えを示した。一方、「社会には我々に対する偏見がある」として次期大統領選で候補者を擁立しない考えを明らかにした。

「ナハダ」は1981年に結成されたチュニジア最大のイスラム組織。都市部の知識層を中心に勢力を伸ばしたが、隣国アルジェリアでイスラム政党が躍進したことから、飛び火を警戒したベンアリ政権から厳しい弾圧を受けるようになった。

 ディロウ氏は「腐敗の廃絶や弱者への思いやりなどイスラムの道徳観に沿った政治を目指すが、個人に宗教を押しつけるつもりはなく、『イスラムこそが解決策だ』という言い方はしない。トルコの与党・公正発展党のように、世俗主義と宗教的価値観を両立させることは可能だ」と述べた。

 また「政権側の長年のプロパガンダで、我々を『テロリストだ』と無用に恐れている市民が多い」と語り、近く行われる大統領選には候補者を擁立しない考えを示した。「まず議会に参加し、民主主義勢力として各党と協調していけることを証明し、次の段階に進みたい」と話した。

 英国に滞在する指導者、ラシド・ガンヌーシ氏ら弾圧を逃れて亡命したメンバーを早期に帰国させ、組織を再構築する方針という。

 今のところは、これまでの反動的な動きが多く、それも偏った力となっているようにも思います。これが、弾圧政治から脱却した国が民主化へ移行する瞬間だと言えますが、市民も警察官も政治家も、皆その圧力からの開放感で興奮状態です。いわば正気を失った失速状態とも思いますが、こういうものなのですね。チュニジアの今の状態から、どのように民主的な政治が始まるのか、さらに見とどけたいです。そして、このチュニジアの民主化は、隣のアルジェリアやイエメン、エジプトの民主運動へも影響を与え始めています。であれば、これが一つのよいサンプルになることを願うものです。

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2011-01-23

もはや対岸の火事ではないが・・・韓国軍によるソマリア沖海賊の韓国船人質救出に思うこと

 韓国の化学物質運搬船(1万1500トン)がソマリア沖で海賊に乗っ取られ、この救出のため海軍を出動させ、海賊8人を射殺し5人を拘束し、タンカー船員21人全員を救出したと報じたのは21日でした(AFP1月21日)。この海域には日本も護衛艦などの艦艇を派遣していますが、2009年6月19日に海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律(海賊対処法)が成立したことから、新法施行の7月24日以降は、派遣部隊は護衛活動の根拠法を自衛隊法等に定められた海上警備行動から海賊対処法(参照)に切り替えて警備に当たっています。
 この法案がなかなか可決されず、やきもきしていた当時を思い出していました。決まったからと言って海賊の被害を防ぐものではないので、決まってよかったほっとした、と言うものではない問題です。世論ではいろいろな意見があり、例えば、小さな海賊船に日本の自衛隊が出動するほどのことがあるのかとか、他所は駆逐艦までだしているだとか、海上保安部隊に任務させればよいのじゃないか、そもそもソマリアの国はアレはいったいなんだよ、などです。
 韓国の救出の話に戻すと、AFPの伝えていることから今回の韓国の対処は、韓国政府の海賊に対する姿勢の内外への明確化と、この発動が李明博(イ・ミョンバク)大統領の命令であったことから、韓国軍の力を北朝鮮に見せ付け、威嚇の意味なったのではないかと思います。昨年のアメリカとの合同演習の際、北朝鮮から攻撃を受けてもロクな対応ができていないという韓国国民の批判を受けていたこともあり、政府に対する信頼回復にもなったのではないでしょうか。
 さて、この問題が対岸の火事ではない事は言うまでもない事ですが、では、日本だったらどうするの?日本は、特殊だと言われている「専守防衛」です。侵攻してきた敵を自国の領域において防衛で撃退するということですが、海賊に備えて武装しているわけではないので、遭遇して拘束された船員をどう救出するのかが問題です。ここで効力をもっている海賊対処法によって自衛隊が出動するということになるのですが、今回の韓国の救出のように、犯人を狙撃してでも救出することには少し問題があると思います。

 救出作戦が行われたのはソマリア沖から北東に1300キロの海域。韓国海軍特殊部隊SEALは夜明け前にタンカーに乗り込んで人質全員を解放し、船内で海賊と銃撃戦となった。船長は銃撃戦の際に腹部に銃弾を受けたが命に別状はない。また、特殊部隊隊員の負傷者はでなかった(AFP)。

また、産経ではこの作戦を詳しく伝えています。

 韓国軍は現地時間21日未明、「アデン湾の夜明け作戦」に着手。ヘリコプターの援護射撃を受け、特殊部隊が小型ボートでタンカーに接近、突入して機関銃などで武装した海賊8人を射殺し5人を拘束した。制圧までの時間は約5時間だった。韓国軍は米軍の駆逐艦や偵察機の支援も受けた。

 韓国では、海賊被害が多発しているとして昨年、海軍部隊を派遣。今回の事件対応をめぐっては「軍事的な制圧には法的根拠がない」とする議論も出ていたが、「李明博大統領の政治的判断で『専守防衛』から軍事行動に切り替えた」(政府筋)という(産経)。

 海賊被害が頻発していたと知って、日本の被害についてはどうか調べると、これが結構あったようです。

Screenclip

 国交省によると、日本船籍や日本の船会社が運航する船舶の海賊被害は、統計を取り始めた平成11年の39件をピークに年々減少傾向にあったが、昨年中は前年比10件増の15件で、過去10年間では14年の16件に次ぐ多さとなった。

 発生場所は、マレー半島西側のマラッカ海峡付近を含む東南アジア周辺が10件、内戦で事実上の無政府状態が続くアフリカ東部・ソマリアの沖合やアデン湾、インド洋沖が5件となっている。

 ただ、両地域では手口が全く異なる。東南アジアの海賊は夜間に停泊している船に忍び込んで刃物などで脅し、現金や船のケーブルなどの備品を奪うことが多いが、増加しているアデン湾などに出没するソマリアの海賊はマシンガンなどの重火器で攻撃、大型船ごと乗っ取るなど、より過激だ。

 外務省の担当者は「乗っ取った船の乗組員を人質にとり、日本円で億単位の身代金を請求する。東南アジアが窃盗、強盗ならソマリアは誘拐だ」と指摘する(産経 1月17日)。

 カネで解決できるうちはよいですが、命はカネと引き換えにはなりません。とは言え、海賊の要求が満たされれば人質を解放するのが確かだとも言い切れませんが、殺害するなどの刺激は、海賊をさらに凶暴化させるかもしれません。このことは、2009年の米軍や仏軍がこの海域で、人質救出の際に相次ぐ海賊殺害後、報復宣言を出しています。

 ソマリア沖では米軍が12日に海賊3人を、仏軍が10日に海賊2人を射殺した。CNNによると、
ある海賊は現地の報道関係者に「今後、人質の中に米国やフランスの兵士が含まれていれば殺害する」と語ったとされる。
AFP通信も「捕らえられた米国人は今後、われわれの慈悲を期待できない」とする海賊のコメントを伝えた。
中東の海域を管轄する米海軍第五艦隊のゴートニー司令官は12日の記者会見で、「今回の出来事が、
この海域における暴力をエスカレートさせることに疑問の余地はない」と語っている(産経)。

 話が散漫になるので詳しくは触れませんが、ドイツでは10人の海賊に対する裁判が続いています。こちらは殺害ではなく、逮捕です。が、無政府状態のソマリアから連れてきた被告の年齢すらわからない上、法制度も生活慣習も違うソマリア人を裁くことに何の意味があるのか、と言う声が出ているようです。ドイツで訴追する羽目になった理由は、それまでケニアで訴追を行ってきたことがかなりの負担となり、お手上げ状態になったからだと言うのです(ニュース・スパイラル)。
 海賊が出るような国の政府ってどうよ、と問うと、ソマリア隣国のスーダンやチャドと似たジェノサイドがあったり、イスラム原理主義勢力下に置かれたこともあり、政府が機能するどころの状態ではないようです。海賊を征伐するよりも、ソマリアの国の建て直しが急がれているとは思いますが、アフリカにおける国際社会の支援がそこまで行き渡るとは思えないです。
 新テロ対策特別措置法案を取り上げた極東ブログの2008年1月13日のエントリーに(参照)、ソマリア沖で北朝鮮船が海賊に遭遇した際、米軍が救出した事を取り上げています。へえ、と思ったのは、この時に救出に加わったのは米軍・英国・フランス・ドイツ軍で、構成された司令部は、日本から給油を受けていた国だったことです。このことは後に、日本が間接的に戦争に加担している云々の議論の元ともなるのですが、この例で見ても同様に、日本に法律があれば解決できる問題ではないのです。逆に、あるから問題にもなるとも言えますが、そこが変な国な日本。
 やっと通過した海賊対処法があっても、先の韓国やフランス、アメリカのように、実射による殺害は何のためなのかが問われると思います。
 そもそも論になってしまいますが、「みんな漁師だった。政府が機能しなくなり、外国漁船が魚を取り尽くした。ごみも捨てる。我々も仕事を失ったので、昨年から海軍の代わりを始めた。海賊ではない。アフリカ一豊かなソマリアの海を守り、問題のある船を逮捕して罰金を取っている。ソマリア有志海兵隊(SVM)」(参照)この話は、ソマリアの漁民の究極的な訴えとして聞こえます。私達が考えるべきことは、ソマリアに元のような静かで平穏な海を返すことや、漁民達が海賊をやらなくて済むような環境をどうしたら作れるのかではないかと思い至りました。

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2011-01-22

2005年ハリリ元首相暗殺事件を背景に不安定なレバノンの状況

 中東のレバノンが不安定な状態になりつつあります。少しさかのぼって今月12日、イスラム教シーア派組織ヒズボラ系の閣僚11人が一斉に辞任したことで、スンニ派のサド・ハリリ首相が率いる政権は、一年二ヶ月で崩壊しました。
 レバノンと言えば、1975年から15年間続いた内戦の要因となった宗派主義が根強く残っている国で、旧宗主国のフランスによって中東にキリスト教国を作るために、キリスト教徒の多い地域との間に国境を設けた影響があります。そのため、存在するその他の宗派も公認した上で、政府の役職や議席数を振り分けする独自の宗派体制を敷いたのですが、18の公認宗派の中の主にイスラム教徒を中心に不満が蓄積し、それが内戦へとつながったことが経緯にあります。

Syriamap

 現在でも大統領はキリスト教ロマン派で、首相はイスラム教スンニ派、国会議長はイスラム教シーア派の出身者から選出すると決められ、議席数も固定化されて割り振りが決まっています。この構造は内戦時代の縦社会そのもので、お家柄で指導者が決まっています。建国に際してフランスの関わり方がこうして植民地から独立後の今でも尾を引いていると思われますが、こうした議会の構成が原因で様々な衝突を繰り返して今のレバノンがあります。
 今回のレバノン政府の崩壊の主な原因は、2005年、レバノンのハリリ元首相が暗殺された後の裁判の動きによるもので、関与を否定するヒズボラが、暗殺された元首相の次男であるハリリ現首相にレバノン特別法廷への協力を拒否するよう要求したのに対し、首相がこれに応じなかったためヒズボラ系閣僚が辞任したと報じています。
 また、ヒズボラでは新たな反発の動きが見られるようです。(産経)。

特別法廷では今後、予審判事が6~10週間かけて十分な証拠があるかなど起訴状を審査。その後、正式に起訴され裁判が始まる。正式起訴まで容疑者名は明らかにされない。

 連立内閣の崩壊を受け、スレイマン大統領は週明けにも新政権樹立に向け各政治勢力との協議を始める。ただ、ヒズボラはハリリ首相再任を拒否する姿勢を崩していない上、双方に緊張緩和を働きかけてきたシリアやサウジアラビアの仲介も暗礁に乗り上げており、協議は難航が予想される。

 話が前後しますが、2005年のレバノン特別法廷に不服をもっていたヒズボラの最高指導者ナスララ師は、昨年10月、特別法廷の捜査のボイコットを呼びかけ、「提供情報は(ヒズボラを敵対する)イスラエルに渡る」と主張して反発を露にしていました。
 また、当時拘束されていた4名は、ハリリ氏暗殺ではシリアと関係が深いレバノン当局幹部ですが、関与を否定し、証拠不十分で2009年4月に一旦釈放されました。が、今度は国連特別法廷が追訴する観測が強まり、7月、ナスララ師がヒズボラ関係者の追訴の可能性を暴露したため特別法廷を攻撃し始めました。ヒズボラ支持のシーア派や、シリア・イランと反目するスンニ派などの間で武力衝突が懸念されていました(毎日)。
 この時、アクマディネジャド・イラン大統領がレバノンを訪問した際に、ヒズボラ関与は「でっち上げだ」と反発したり、シリアの大統領も10月汎アラブ紙「アルハヤト」で「(訴追は)レバノンを破壊しかねない」と警告していることについて、イランの孤立を狙っているアメリカにとっては、イランとレバノンがくっつくことを避けたいとやきもちしていると報じています。

 米国は核問題でイラン孤立化を狙っているが、ハリリ元首相の息子サード・ハリリ首相が最近、親シリア・イラン姿勢を目立たせており、いら立ちを強めている。米連邦議会の親イスラエル議員は、米政府がテロ組織と認定するヒズボラへの流出を恐れ、レバノン国軍への武器供与を凍結した。米政府のレバノンへの影響力回復は容易でない。

 国連安保理は先月28日、レバノンに関する非公開協議を開催。ライス米大使は「レバノン分断を図っている」とヒズボラ、シリア、イランを指弾。ヒズボラなど民兵組織の武装解除を求めた安保理決議(04年)の履行を検証する国連のラーセン特別代表は「むしろ武装を強化しており極めて危険」と述べた。

 ここで出てくるシリアに対しては、2005年10月31日の安保理で、ハリリ元レバノン首相暗殺に関する決議が採択さています。極東ブログ「シリアスなシリアの状況」(参照)で、当時の様子と、欧米を中心とする諸外国の関わりにも触れています。

 決議はシリアに対して国連の独立調査委員会に無条件に協力(妨害中止)することを求めるというもの。これには被疑者の拘束や資産凍結を含む。全会一致の採択となった。中露も賛成したのは米英仏が折れたため。決議にシリアが抵抗し国際調査委員会への協力を拒否すると、「さらなる措置」とかでチェックメイトになるかもだが、私の印象ではステイルメイトか。

 このレバノン情勢沈静化のために、トルコのダウトオール外相とカタールのハマド首相が18日、レバノン入りして仲介を試みたそうですが、不調に終わり、サウジアラビアも仲介努力の断念を表明したようです(毎日2011・01・20)。
 ざっと流れだけを押さえただけですが、新首相人選は難航するのは必須ですし、政権が不在の状態で武力衝突や宗派紛争の再燃のおそれは充分にあると思います。
 小刻みに変化する裁判状況と、同時反応のようにレバノンの空気が悪化するのではないかと思われるので、今後も注視して行くことにします。

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2011-01-21

パレスチナ和平交渉とアメリカの関わり-イスラエル非難の高まり

 昨日、ユダヤ人による入植活動について、アラブ諸国など計123カ国が19日までに「国際法に違反し、和平の大きな障壁だ」と避難する国連安保理決議案を提出したことを知り、これは、またオバマさんの外交手腕が問われる問題の浮上かと、この背景を考えていました。

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 このパレスチナ和平交渉は、アメリカオバマ政権の後押しによって、イスラエルとパレスチナが直接的に交渉する段階で、イスラエル占領地への入植問題で失敗後、ほとんど進展していないのではないかと思います。問題の焦点は、イスラエルとアメリカに対して多くの国がパレスチナを応援すような動きがあり、この構図から、アメリカの態度によってはアメリカ非難を醸成し、和平に向けての解決を遅らせてしまうことに懸念を持ちます。
 イスラエルのガザ軍侵攻から二年になりますが、崩壊した住宅の再建が進まない理由にイスラエル軍によるガザ地区への民間の建設資材搬入を禁じる政策がまかり通っていることです。この封鎖の解除が問題解決になると指摘する声も多いようです。実際の被害を調べると、ほとんど復興されていないようで、深刻な問題だと思います(毎日2010年12月25日)。

 住宅の再建が進まない主な理由は、イスラエル政府が07年6月からガザを封鎖し、セメントや鉄筋など建設資材の搬入を認めていないためだ。「(地区を実効支配するイスラム原理主義組織)ハマスが戦闘能力を高める」とイスラエル側は主張する。しかし、ガザ支援船の襲撃事件への批判を受け、イスラエルは国連など国際機関が実施する事業向け資材に関しては、今年6月に封鎖を「緩和」した。

 侵攻によってガザ全体で完全に破壊された住宅5000戸以上のうち再建されたのは、「100戸に満たない」(ガザ再建調整委員会のラドワン委員長)。08年以前からの紛争による破壊と人口増加を考えると、不足住宅は10万戸になる。

 そのため、最近3年でアパートの家賃は2~3倍に高騰。しかも、空き部屋があっても、失業率が45%に上る同地では大半が負担できない。多くが再利用のがれきまたは粘土ブロックで築いた仮設住宅や、倉庫、車庫に住んでいるのが現状だ。

 また、このガザ地区からイスラエルに対する攻撃は、2009年に発射されたロケット弾や迫撃弾数は858発だったのに対し、2010年では365発であったとイスラエルの国内治安機関シャバクが3日発表した2010年の「テロのデータと傾向」(12月25日現在)で発表されています(共同)。つまり、これ以上イスラエルを刺激することは、ガザの住民への直接的な被害を増大させてしまうため、この和平交渉が急がれていると思います。
 一方、イスラエルには暫定和平合意の意思を昨年末示していますが、中核的な問題を棚上げするという条件をパレスチナが受け入れず、合意には至っていないとしています。この中核的な問題とは、「エルサレムの帰属やパレスチナ難民の帰還権など」と上がっているだけでこれ以上の詳しい内容はわかりません。このように、両方に相容れない理由があり、交渉が難航しているようです。
 そして、ロシアのメドベージェフ大統領のこのところの外交が目立っている中、18日、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸を初めて公式訪問し、東エルサレムを首都とするパレスチナ独立国家建設を支持すると表明しています。つまり、アメリカとロシアが対立的な意見を表明しているわけです(毎日2011年1月20日)。

 ソ連時代(88年)に表明した同種の立場の継承を確認した。ロシアは米国、欧州連合(EU)、国連を加えた中東和平4者協議で仲介役の一端を担っており、発言はイスラエルや米国に対し、交渉再開に向けた一定の圧力となる。

 大統領は西岸エリコでアッバス議長と会談した。大統領は会見で、独立国家建設について「イスラエルを含めた全当事者のためになる」として、ソ連時代から続く「支持」姿勢を明確にした。

 これは88年、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長(当時)が独立宣言した際、ソ連を含む約100カ国が支持した経緯を指す。しかし米ソ冷戦の枠組みでソ連が“自動的”にアラブ寄りの姿勢をとっていた時代で、実質的な影響はなかった。

 イスラエルと米国は、パレスチナの一方的な独立やそれに先立つ「承認」に強く反発している。

 さて、入植活動が凍結されなかったことが交渉に失敗した原因であると主張したいパレスチナ自治政府は、交渉を有利に進めるためにアラブ諸国など123カ国と大国ロシアが見方についた形となったため、ますますイスラエルとその同盟国やアメリカにとっては圧力となったようです。
 アメリカはイスラエルの唯一の友好国で、この決議案が採決の段階になれば、アメリカは賛成はできかねるでしょうし、拒否権の行使をとる以外に良策はないと見られています(共同2011/01/20 )。

 クリントン国務長官は「入植活動の合法性を認めない」(クリントン国務長官)との立場だが、イスラエルを刺激したくないため「決議案が採決にかけられれば米国以外の14カ国は賛成するが、米国は拒否権を行使する」(安保理外交筋)見通しで、採択は困難な状況。

 アメリカは、第二次世界大戦時、戦費をユダヤ人協会から得て建国を約束しているため、未来永劫イスラエルの主張に同調してきました。また、アメリカ経済はユダヤ系で成り立っているといっても過言ではないです。
 これに対してロシアがアラブ諸国に応援するのは、米ソ冷戦時代からアラブよりで、油田権利の確保のためであったことも背景にあると思います。
 パレスチナが各国を味方につけ、イスラエルとアメリカに圧力的になると、どうしてもアメリカとソ連の代理戦争の時のような背景が浮かびますが、話し合いによる和平交渉はできないものかと思います。
 となると、パレスチナにとっては1993年のパレスチナ暫定自治宣言(オスロ合意)で「エルサレムの帰属やパレスチナ難民の帰還権など」が後回しにされたことが大きな論点であると思います。この点に絞って話し合うというのでは解決できないのでしょうか。
 アメリカとイスラエルの絆は、そうは簡単に決裂しないのだし。

 ガザ地区にある無数のトンネルがどのような役割を持つか、また、これらのトンネルがイスラエルによって封鎖された2009年の状況について、極東ブログ「ガザのトンネル」(参照)が詳しいです。

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2011-01-20

混乱が拡大するチュニジア情勢-新政権に不満を持つ人々

 チュニジアに続いた23年間の独裁政治は終わり、衆議院議長であった78歳のメバザア氏が暫定大統領となり、ガンヌーシ首相に新組閣を命じてスタートしたばかりです。然もありなんことですが、何かとがたがたしています。政権がよもや交代するかというときなので、何かと起きる事も予想はできますが、その暫定政権の歩み出しが既に崩壊しそうだという感触です。新内閣に反対する国民の暴徒化を食い止める手立ては何かが気になります。また、この鎮圧のために軍の出番が来るのかという点と、イスラム過激派が政権を取りに舞い戻るのかという点です。日本の新聞を見ると、戦乱へつながるような煽り記事とも思えるような書き方も目に付きますが、情勢だけを拾って、できるだけ事実に則した記事を拾っておきたいと思います。
 まず、国民の不満が何かですが、新内閣に起用されているのは、首相以下主要閣僚を与党・立憲民主連合(RCD)である点です。これまで弾圧や強権支配を行ってきたRCDの政治家の退陣を求めるデモに発展し、治安部隊と衝突を繰り返しています。産経がこの状況を詳しく書いています(参照)。

 【カイロ=大内清】民衆の抗議行動で政権が転覆したチュニジアのガンヌーシ首相は17日夜に発表した新内閣で、複数の野党指導者やベンアリ前政権下で拘束されていた著名ブロガーを起用し「変化」をアピールした。しかし、18日には有力労働組合が、与党・立憲民主連合(RCD)主導の新政権を拒否。労組出身の閣僚が政権入りを辞退するなど、チュニジア政局は混迷の度を深めている。

 18日は首都チュニスなどで数千人規模の反RCDデモが行われ、前日に引き続き治安部隊が催涙ガスなどでデモ隊を鎮圧する事態となった。

 ガンヌーシ首相は17日、国内の情報統制を担ってきた情報省を廃止しメディア活動を完全に自由化することや、すべての政治犯を釈放することを約束。当初は2カ月以内に行うとしていた大統領選についても、「準備期間が必要だ」との野党側の声に配慮し、議会選とともに6カ月以内に実施するとした。

 一方、今回の組閣から排除された非合法のイスラム主義政党「ナフダ」指導者で欧州亡命中のラシド・ガンヌーシ氏は18日、RCD主導の新政権を強く批判。他のアラブ諸国に比べ世俗化が進むチュニジアではイスラム主義勢力の影響力は強くないとされるが、ナフダは政治プロセス参加に意欲を示しており、今後の火種となる恐れもある。チュニジア政府によると、昨年12月から続くデモや暴動の死者は計78人に達した。略奪などによる経済損失は約30億チュニジア・ディナール(約1730億円)に上るという。

 また、これでも収まらない国民の不満を沈静化するためにムバッザア暫定大統領とガンヌーシ首相が18日、与党・立憲民主連合(RCD)からの離党を表明したということです。前政権の独裁政治が長年続いたツケというのか、国民の不満が学生の暴動と重なってさらに大きくなったようです。
 ここで報じられているイスラム過激派の指導者ラシド・ガンヌーシ氏に関して、毎日が報じている地元国際政治誌のカマル・ビニューナス編集長は、チュニジアのイスラム穏健派との接点はないとはいえ、条件付で受け入れるかもしれないと見ているようです。(参照2011年1月17日)。

 「チュニジアのイスラム主義者の多くは穏健派で、過激主義とは距離を置いている」と指摘する。既存政治勢力は、「弾圧は過激化を生む」と受け入れを認める陣営と、政教分離原則を主張する陣営に分かれているという。
モハメド・ガンヌーシ首相は帰国予定のイスラム主義指導者とも対話の方針を打ち出しており、ビニューナス氏は「護憲や暴力放棄を条件に政治参加を認めるのではないか」と見ている。

 また、新内閣の内部では、与野党の対立が浮き彫りとなり、容易く連立できないということの現れでしょうか、18日には有力労働組合が、与党・立憲民主連合(RCD)主導の新政権を拒否し、労組出身の閣僚が政権入りを辞退しました。また、これに続いて野党である「労働と自由のための民主フォーラム(FDTL)」のムスタファ・ベンジャファル氏(70)は19日、「新政権の政策優先順位が明らかでなかったため」という理由で保健相を辞任したことを毎日新聞の単独会見で明らかにしたそうです(参照2011年1月20日)。
 こうなると政権に力がないことを国民に悟られてしまうのがオチで、激しくなる反RCD運動が加速するのではないかと懸念します。ここで混乱を収拾するために軍が出てくるとなるのが一番の気がかりです。これは、中国の64天安門事件に見る軍の学生民主化運動弾圧の風景を思い出させます。もしも新政権の命に従って軍が出てくるようなことにでもなれば、チュニジアの民主化は遠のくことを意味しますし、そうなると、イスラム過激派が黙っていないとなるのかもしれません。
 欧米諸国は、これまでのベンアリ政権は独裁とはいえ、事実上の実権を握っているうちはイスラム主義者を弾圧していたことは承知のはずで、事実上は独裁政権を黙認してきたわけです。イスラム過激派による政権よりは独裁であってもベンアリ氏による強権支配政治の方がぶっちゃけありがたかったのではないかと思います。
 このチュニジアの暴動の影響は、周辺にも出始めているようです。19日、毎日が伝えていることによると、エジプトのカイロ、北部のアレクサンドリアで焼身自殺を図って自殺するという事件が続いているようです。

 エジプトの首都カイロで18日、2日続いて人民議会前で焼身自殺を図る未遂事件があり、北部アレクサンドリアでも同日、男性(25)が焼身自殺した。チュニジア政権崩壊の契機となった焼身自殺事件に触発された可能性がある。イエメンでは首都サヌアのサヌア大で同日、チュニジア政変に影響された学生ら数百人のデモ隊が20年以上続くサレハ政権打倒を訴え、警官隊と衝突した(毎日2011年1月19日)

 また、産経では

 フランス通信(AFP)によると、ブーテフリカ大統領が1999年から政権を握るアルジェリアでも16日、市長に失業問題を訴えようとして面会を拒否され、自らに火をつけた無職男性(37)が死亡した。アルジェリアでは過去1週間で4人が同様の方法で自殺を図っている。また、モーリタニアでも17日、男性(42)が政府に不満があるとして、首都ヌアクショットの議会前で焼身自殺を図ったという。

 イスラム教では自殺を禁じており、イスラム教徒がほとんどを占めるアラブ諸国での焼身自殺は異例だ。

 一方、20年以上の強権支配が続くイエメンの首都サヌアでは16日、学生約1千人が「政権打倒」を呼びかけ行進。王制のヨルダンでも同日、リファイ首相退陣を求める3千人規模のデモが行われた(産経2011年1月18日)。

 チュニジアで起きた野菜売りの男性の焼身自殺の死が残したメッセージは、各国の強権政治に反発する若者達へ届いた結果、一連の暴動は、起こるべくして起こっているという気がします。日本のかつての学生運動を連想してしまうというのは、正にこういう連鎖反応です。これが学生運動にとどまらず、軍が銃口を市民に向けるような惨事にいたらないことを願うだけです。

 チュニジアの暴動の始まりから、渦中の政府と周辺国との微妙な関わりについては極東ブログ「チュニジアの暴動からベンアリ独裁の終わり」が詳しいです。

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2011-01-19

フランスに見る政局の変化-移民に反対する国民戦線新党首誕生

 チュニジアの大統領がフランスに助けを求めて脱出し、最終的にはサウジアラビアに亡命したそうです。フランスのサルコジ大統領は、G20の議長国でもあるため、チュニジアの暴動の沈静化のためにアメリカに働きかけるというのが意外な展開でした(「世界的な物価高の連鎖とフランス発動のG20のこれから-チュニジアやアルジェリアの暴動が示していること」)この暴動の成り行きを見ているうちに、特にフランスの極右政党といわれる国民戦線新党首にルペン氏三女に決まったことの方が気になりました。
 この暴動とは直接的な関係はないのですが、フランスと言えば昨年9~10月に、サルコジ政権の年金改革に対して激しい抗議ストが繰り返し行われました。また、移民に反対する国民戦線への牽制のような形でロマ移民追放を行うなど、国民の不満が溢れるような状況が続きました。いういった中で、何とかサルコジ政権を維持してきたのではないかと感じていました。
 また、昨年は、欧州全体に移民に反対的な政党が政権政党に加わるなどして右派の台頭が目立ちました。特に意外だったのは、社会民主主義を誇るスウェーデンの総選挙で、反移民を唱える右翼政党が始めて国政で20議席も獲得するなどの結果を出しました。移民に反対的になりつつある欧州各国に、アフリカやイスラムから移り住むのが難しくなってきているのが現状のようです。チュニジアの問題で浮上したフランスではありますが、その政局に変化が出てきているようです。

20110116at20p

 【パリ福原直樹】フランスの極右政党「国民戦線」(FN)は16日、党大会を開き、党首を退いたジャンマリ・ルペン氏(82)の後任として同氏の三女、マリーヌ・ルペン副党首(42)を党首に選出した。72年設立の同党は移民排斥などを訴え、勢力を伸長。世論調査でマリーヌ氏は17%の支持率を獲得しており、同氏が打ち出す「ソフトな極右戦略」が、さらに支持を広げる可能性がでている。

 同氏は父のジャンマリ氏に比べ過激な表現を避ける傾向にあり、「女性なりのソフトさが支持者増大につながる」(仏紙)との指摘がある。だがこの一方で、最近では仏国内でイスラム教徒が行う野外の礼拝を大戦中のナチスの侵略に例え、批判された。同氏は今後の政治目標を来年の次期大統領選としている(毎日新聞 2011年1月17日)。

 父であるジャンマリ氏は、過去に5回、大統領選に立候補した経緯があり、2002年には社会党候補を抑えて決選投票に進み、欧州政界に衝撃を与えた事もあったようです。フランスも移民に反対するムードが強くなるのかと思われますが、世論調査の結果を見ると、サルコジさんがヤバい。

 14日発売のマリアンヌ誌に掲載された世論調査では、18%が大統領選の第1回投票でマリーヌ氏に投票すると回答。社会党候補と目されるストロスカーン元財務相の30%、再選を目指すサルコジ大統領の25%に次ぐ3位に入った。(時事ドットコム1月16日)

 この「極右政党・国民戦線」って、一体どんな政党なのか知っておく必要があるなぁ。ので、調べてみました。Wikipediaに記されている内容から、なんとなく日本の民主党の野党時代を思わせます(参照)。政権を担当するようになった現在の民主党の菅さんは、「ポピュリスト」と呼ばれていますが、似たような人気なのではないかと感じます。

 1972年10月にアルジェリア独立反対派などの極右勢力が集まって、ルペンが創設した。結成当初は、弱小政党だったが、80年代に入りフランス経済が悪化し失業者が急増すると支持を広げていき選挙ごとに票が増えていった。

 国民戦線は、フランス人至上主義を掲げ黒人やイスラム系の移民排斥(ただし、フランスの文化を尊重する移民は拒まない)を唱えているが、他国からの移民によってフランス人としての権利が奪われているという感情から一部のフランスの海外県や海外領土の黒人からも支持を得ている。また、ルペンの側近の一人ブルーノ・ゴルニッシュは京都大学に留学した経験を持ち妻は日本人である。ルペン自身、日本の(そしてスイスの)国籍法を支持している。

 うーむ。「極右」ってこのような政党をにつくの?という感じがします。日本は移民を受け入れないので「極右」は元からですが、アメリカからは批判を受けています。でも、国民戦線が人気を伸ばして、ある日、フランスが移民を受け入れない国ににでもなり、欧州の各国もそれに続くようなことにでもなれば、移民は望めなくなります。本当は、そういうことを望まなくても安心して暮らせる国になることが先決問題だと思うのですが、目下のところそのようなことを望める政府ではないのがもっと問題です。

 ***

 移民に反対する野党の20議席獲得となったスウェーデンの総選挙を中心に、フランスを含めるヨーロッパ諸国の昨年の政局に関して、極東ブログ「スウェーデン総選挙に見る社会民主主義政党の凋落」(参照)に詳しくまとめられています。

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2011-01-18

スーダン南部独立後の南北の課題

 急激に南部の独立に向けたムードが高まり、住民投票管理委員が見守る中で七日間に及ぶ投票が速やかに行われたわけですが、この性急さがそもそも不気味なものを感じさせます。昨日、南部独立の容認が加速した背景を調べ出すうちに、新たな問題を指摘する記事を一度に拾い出すのが困難であったため、途中で保留にしました。今日はその続きとして、スーダンに新たに発生している問題や今後についてクリップしておくことにします。
 まず、ピックアップした各紙の記事から、スーダンの抱える問題として分りやすく大きく六つに括ってみました。
(1)アビエイ地区の帰属問題
(2)武装解除問題
(3)多数派部族による新たな南部支配
(4)バジル政権のイスラム化に反発する反対勢力との抗争
(5)水の問題(インフラ整備)
(6)国際援助の限界(「アフリカの大統領選挙と国際社会との関係の変化」)

 (6)に関しては既に昨年12月に書いているので、リンクを張るだけにとどめます。

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まず、(1)のアビエイ地区の帰属を巡る抗争ですが、油田の利権問題の起こる元に現行の仕組みをどうするかという問題が解決できないでいるのが大きいようです。
 2005年の包括和平合意に基づいて北部と南部で半分ずつ配分されてきてきますが、南部で産出される原油はスーダンの総輸出額の9割を占める原油のうち約7割とも言われています。独立が認められると、「国境」の画定時に問題になるのは、北部の収益が確実に減るため南北が原油の取りっこをすることになるのです。また、北部に暮らす100万人といわれる南部出身者の市民権の問題が浮上するため、内戦の再燃を懸念します。
 毎日新聞が報じていることによると、11日までにこの地区付近で起こった武力衝突で30人以上の死傷者を出しているということです(参照)。

 北部のアラブ系遊牧民と南部のアフリカ系農耕民との戦闘とみられる。帰属が未確定の油田地帯を巡り、南北間でなお確執があり、南部独立の足かせになっていることを改めて見せつけた。

 北部を拠点に同地区に南下し、家畜の放牧を続けてきたミッセリアの投票権を巡り、北部・中央政府は有効と主張。一方、南部自治政府を主導するディンカ人主体の「スーダン人民解放運動」は「和平合意でアビエイはディンカの領域と規定された」「遊牧民を住民とは規定できない」などの理由で投票権を認めず、議論が暗礁に乗り上げている。

  米国務省高官らは11日、ワシントンで、住民投票の結果を北部が受け入れたうえで、アビエイ地区の帰属問題解決▽テロ支援の停止--などが満たされれば、テロ支援国家指定解除を行うという従来の方針を強調。北部に圧力をかけた。

 一方、油田とともに懸念として残る380億ドル(約3兆1000億円)の対外債務について、国営スーダン通信は、バシル大統領がカーター元米大統領に債務帳消しを求めたと報じた。バシル大統領は、カーター元大統領に、南部が独立すれば「全債務は北部が負う」と述べたが、南北双方の返済能力のなさを訴え、棒引きへの協力も求めていた。

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 380億ドルの対外債務についての情報が錯綜している可能性があります。同じ毎日の10日では「南部が分離独立した場合も「(北部が)引き継ぐ」との考えを示した」(参照)とあります。本音と建て前があるにせよ、南部独立を容認することが大きな譲歩でもあるため、債務軽減をアメリカに懇願するのは見え見えです。
 (2)の武装解除ですが、働き盛りを戦士として費やした多くの兵士が社会復帰する問題です。これには、独立したばかりの新しい南部政権下で社会人となるための育成の問題や、南部に新政権を立ち上げることと平行して、住民の暮らしのためのインフラ整備や職場の確保の問題もあります。
 時事ドットコムは、次のように伝えています(参照)。

 15日まで続く南部独立の是非を問う住民投票に沸く中、最大都市ジュバ郊外の軍事キャンプでは、武装した兵士たちが「和平が確実に訪れたとは言い切れない」と厳しい表情を崩さない。

 和平合意では、南北双方9万人ずつの兵士を削減することが決められ、兵士が市民生活を始めるため、教育や職業訓練を受けた後に社会復帰する計画だった。しかし、南部自治政府関係者によれば、こうした教育や訓練を受けている南部の旧反政府勢力スーダン人民解放軍(SPLA)兵士の数は約1万人にすぎない。まだ約400人が社会復帰しただけだ。
 兵士の削減が進まない背景には、「独立国家が樹立され、安定するまで予断はできない」と戦闘再燃を警戒する軍指導部の判断もあるもようだ。 

 (3)は、南部が独立することは、南部に新たな対立を生むという問題です。独立を願って90%以上の南部住民が投票をしたことから、「独立」が平和になるための総意であっても和合にはならないのが現実です。キリスト教徒がほとんどだということと民族の違いは相容れるものではないらしいのです。数多くの民族がある中、多数派が少数派に対して強い立場となるという原理からか、南部には新たに支配力が生まれることを懸念する住民もいるようです(時事ドットコム)。

 しかし、南部の中にも対立の構図は存在する。民族数は40を超え、09年には民族間抗争で2500人以上が死亡した。解放闘争を主導したディンカ人が、キール大統領を筆頭に南部自治政府や治安機関の要職を占める中、少数派からは公的機関での雇用や、住民サービスをめぐる差別的な扱いに不満も出ている。
 ウガンダ国境近くの南端に住む少数民族出身のヨブ・アネットさん(26)は「どうして新たな支配のために独立に投票しなければならないのか」との思いから棄権した。

 (4)は、南部の独立を容認したバジル批判が飛ぶのは必須であるため、大統領として求心力を取り戻すために北部のイスラム化を推進する動きを見せているようです。これは、バジル大統領がお尋ね者になった「虐殺」を首謀したことの繰り返しを懸念します。バジルならやりかねないと、国際社会や周辺国の見方は強く、警戒を要することだと思います(産経2011年1月12日)。

 【ハルツーム=大内清】スーダン南部の独立が現実味を増す中、領土維持の失敗という「屈辱」を味わっている同国のバシル大統領が、求心力確保のため、北部のイスラム化を一層推し進める構えをみせている。非イスラム教徒からの反発は大きく、政権の出方次第では北部が再び不安定化する懸念もある。国際社会が今後、どうバシル政権に穏健化を促していくかが、同国安定の鍵を握る。

イスラム主義勢力「民族イスラム戦線」の支持を受け、1989年のクーデターで政権を奪ったバシル氏は、内戦をスーダン全土の完全なイスラム化のための「ジハード(聖戦)」と規定してきた。

 しかし、長期化した内戦に対する国際社会の非難は激しく、2005年には米英などの仲介を受け入れて包括和平合意に署名。独立に向けた南部の自決権を容認したことは、「南部をイスラム共同体(ウンマ)の一部とみなすイスラム主義者からすれば裏切り行為」(外交筋)とされた。バシル氏にとっては大幅な譲歩だったが、米国などによる経済制裁は緩和されず、経済が一向に上向かないことへの国民の不満も強まっている。

 バシル氏の「シャリーア強化」発言からは、北部社会に強い影響力を持つイスラム主義勢力の歓心を買い、権力基盤を盤石にしたいとの焦りがにじむ。

  オバマ米大統領は、米紙ニューヨーク・タイムズへの寄稿で、バシル政権に対し、和平合意などの内容を順守するなら、経済制裁の解除も検討するとのメッセージを送った。しかし、米欧には人権問題でスーダンに根強い不信感があることから急速な関係改善は難しい。スーダンを国際社会に取り込んでいく道筋はみえていないのが実情だ。

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 (5)の水の問題ですが、水だけにとどまらず電気や熱源の確保を含めたライフラインの確立を含むインフラ整備の問題です。長年の内戦で体力だけではなく財力も教育もない住民が生きて行くのに必要なもの全てを一から整備することにどれだけ時間がかかるのだろうか。気の遠くなるような長い年月がかかると思います。(時事ドットコム2011/01/12-06:31)

 【ニシジュ(スーダン南部)時事】スーダン南部独立の是非を問う15日までの住民投票は、独立支持が大半を占めるもようだ。最大都市ジュバから約20キロ離れたニシジュ村の住民も、独立により南北内戦終結が確実となり、水や電気などの住民サービスの到来を待ち望んでいた。
 「水も電気も十分な教育も、医者もいない」-。村の投票所で独立賛成に投じたアシリア・ムーイさん(50)は、長年の内戦に苦しめられた人生にもついに幸福の時がやってきたと喜びをかみしめた。しかし、積年の生活苦から今や視力をほとんど失い、足取りもおぼつかない。
 ジュバからの道のりは、南部最大の貿易相手国ウガンダとの幹線道路に当たるが、未舗装の悪路が続き、電線や水道施設などの生活基盤もない。村の住民は泥や植物で建てた質素な家に住み、家財道具らしきものはほとんどなく、硬い土の床に寝転がる生活だ。
 村には、わずか1カ所の井戸があるだけ。人々はほそぼそとした農業やまきを路上で売って生計を立てている。肌を焦がすような太陽の下、ある母親は疲れた様子で寝転がり、子供たちは木陰で過ごしていた。

 南部の「独立」を期に南北の大きな内戦は終結を迎えることになるとはいえ、これが新しい細胞となってさらに分裂して次の争いの核になるだけなのだろうか。解決とは何をもって解決とするのか、憤りを感じます。
 開拓で英気を養い、自然の恵みに感謝し癒される喜びを早く見つけて欲しいと願うばかりです。

長きに渡ってダルフール関連を取り上げている極東ブログの「ダルフール紛争が日本にも問われている理由」(参照)で、バジル大統領が問われた罪についてが詳しく解説されています。参照されたし。

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2011-01-17

スーダン南部独立の容認が加速した背景について

 スーダン南部の独立分離を問う投票が今月9日から始まり、予定通り15日で締め切られました。投票管理委員会の報道によると、投票率は投票成立条件である60%に達しているそうです。この選挙が妨害や紛争といった事前の騒ぎもなく、このようにスムーズに運んだことは以外でした。ネックになると思われたバジル大統領が問題を起こすことも無く、このように投票ができたことは喜ばしく思う反面、どうしてこのような事態になったのか、大変不思議です。予想に反してと言うと不謹慎かも知れませんが、投票は行われないだろうという公算が強かったこともあり、では何故成功したのかその背景を見てみることにしました。
 大きくは三つだと思います。まず、米オバマ大統領の声明によって、投票後の積極関与の意向が明確になったことだと思います。その声明は、ニューヨークタイムズ(電子版)への寄稿にもあるとおりです。

 スーダン指導部が投票結果を順守し、平和を選択すれば、経済制裁解除や、テロ支援国家指定解除の手続き開始を含む「米国との関係正常化の道がある」と改めて呼び掛けた。そうでなければ、「更なる圧力と孤立化」があると警告した。(中略)

 2005年にブッシュ前政権が主導した包括和平合意を引き継いだオバマ政権が、住民投票の実施を妨害するような行為を許せば、自らの指導力を問われることになるのを避けたかったという理由は大きいと思います。
 次に、バジル大統領の協力的な姿勢だと思います。ズバリ、孤独に悩んでいたのかもしれないと、冗談抜きで思っていました。多分、アメリカの全面支援に目が眩んだのかもしれません。
 10日、毎日が伝えていることによると、スーダンが抱える対外債務は、なんと約380億ドル(約3兆1000億円)もあるのいうのです(毎日)。

 中央政府は南部との内戦や反政府勢力との和平協定実現が長引く西部ダルフール紛争で、多額の費用を軍事・治安面に投入。その結果、債務が膨らみ、財政状況が逼迫(ひっぱく)。1月に入り、ガソリンなどの燃料や砂糖の値上げを決定し、閣僚級幹部の給与削減なども発表していた。

 ダルフール紛争を巡り欧米の経済制裁が続く中で、中央政府は国際機関などに援助を求めるのも難しく債務膨張に歯止めをかけられない状況だ。

 バシル大統領側は、米政府が住民投票の実施成功を条件に「南部だけなくスーダン全体を支援する」と北部も支える意向を示していることを重視。米国の意に沿って南部の独立を容認し、負債問題でも柔軟な姿勢を見せることで、債務軽減などで米国の援助を得る狙いもありそうだ。

 国際社会も債務問題を重視しており、日本は05年の南北和平合意の定着・進展を理由に08年3月、対日債務の一部約31億6500万円を免除する方針を発表。09年7月にスーダン政府との間で合意している。

 ここで初めて日本の支援についての情報をひろったような気がしたのですが、09年の7月と言えば政権交代前のことでしょうか。だからなのか、この時期からスーダンと日本の政府のやり取りを全く聞きませんが、私が見落としているだけでしょうか。ある意味、「免除」することで合意しているということはカネの切れ目は縁の切れ目とか申しますので、もう日本政府ができることはないということでしょうか。日本がどう関わっているのか、メディアはあまり報じていません。
 また、1月のガソリンや食料の値上げというのは、先日ここで取り上げたチュニジアやアルジェリアに代表されるアフリカ全域の値上げの流れではないかと思います(「世界的な物価高の連鎖とフランス発動のG20のこれから-チュニジアやアルジェリアの暴動が示していること」)。後日談ですが、チュニジアの大統領は、政権崩壊後フランスへ逃亡したというのです(参照)。私が記事を書いた翌日のことだったので驚きました。暗殺劇になる前に逃亡したのはお利口さんというものですが、バジル大統領が同じ目に合わないとも限りませんから、ここはアメリカの支援に期待し、事を荒立てない方策を選択したのかもしれません。
 三つ目の要因は、中国が路線変更したからではないでしょうか。
 私の記憶では、中国は昨年まではスーダン中央政府との密接な関係を堅持し、国際社会から顰蹙(ひんしゅく)を買っていました。国際社会が南部独立を条件にアメリカを中心にスーダンへの経済制裁をする中、こっそり抜け駆けをしていたとうことはバレバレでした。その中国は、住民投票が行われる段になると急に欧米諸国と足並みを揃え出したのです。自国の損になるとなればガラッと路線を変えて態度も変われるのが中国商いです。

 昨年10月、安保理の視察団がスーダン南部ジュバを訪れた際、同行記者団からクレームが上がった。ホテルのコンセントの形式が中国式のため、パソコンの電源コードなどが差し込めないというのだ。報道陣が宿泊したのは突貫工事でオープンした中国資本の豪華ホテル。スーダン南部との関係構築に向け大急ぎでかじを切る中国のあわてぶりを示しているようでもある。
 少なくとも昨年初めごろまでは、中国は人権問題などで欧米からの批判を浴びるスーダン中央政府との関係を堅持し、南部独立に懸念を示す姿勢を崩していなかった。台湾、チベットなどの独立を容認しないとの立場を貫く中国は、2008年にジュバに総領事館を開設したものの、控えめな活動にとどまっていた。

 だが、独立の動きは止められないとの見方が加速する中で、80%の石油資源が集中するとされる南部との関係構築に失敗すれば、権益を大きく損なう結果にもなりかねない。
 こうした中国の姿勢が、繰り返しスーダン住民投票の平和的な実行と、その有効性を強調してきた欧米諸国と一致。国連安保理には一見奇妙にさえ映る「協調」さえ生まれている(産経)。

 日本もJIS規格を持っているので中国の悪口ばかりはいえません。それに、世界は今や中国製ばかりなので、スーダンの南部ホテルで中国製が使われていてもおかしくはないかもしれません。
 それよりも、今回の調べる目的は、南部の住民投票が何故無事に行われたかだったのですが、こうしてみるとアメリカと中国の原油獲得しか浮かんできません。アフリカ問題は原油国と消費国の問題であると言われている通りなのかもしれませんが、安心して住めるアフリカになるための人道的な支援や、アフリカ自体のこれからを願うことは二の次の話になってしまうのが残念です。

 スーダン国連大使のオスマニン氏の話から、南部独立を巡ってアフリカの怒りのようなものを感じました。
「アフリカのパンドラの箱になる。民族や宗教、経済を原因とした紛争の火種があるのに、なぜアフリカの深刻な自傷行為を支援するのか」
長引いた内戦の打開策として、国際社会はスーダン南部独立の動きを例外扱いし、是認している。だが、連鎖を招きかねない、似たような事情をアフリカの多くの国は抱えている。

 欧米諸国が石油利権のためだけに南部独立を容認したわけではないとは思います。報道で多かったのは、国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が出ている人物がスーダンの大統領であり実権を握っている点で、悪者は退治というほどでもないにしろ、独裁者として統治を嫌う南部の権利として独立を支援する側に立ったのは、国際社会が望む方向でもあったと思います。また、アラブ系イスラム教徒の北部と、南部のキリスト教徒が多いアフリカ系黒人の対立構造に対してアメリカが関わりやすかったという点もあるかと思います。それでもアビエイ地区の帰属問題など、据え置かれた問題は多く残されたままのようです。
 新たな問題として、アフリカの他の国からスーダン独立をやっかむような不満が湧き起こっているということがあります。先の「パンドラの箱を開けた」ための罰のようでさもありなんですが、調べ出すと、このままでは記事の終わりが見えなくなるので一旦ここで中断します。アフリカが抱える不満と今後についてはまたの機会に書くことにします。

***

 スーダン情報について、極東ブログが要所要所で記事を書かれています。昨年5月、大統領選が行われた頃のスーダン情勢について「ダルフール危機に関連する現状、お尋ね者バシル大統領再選」(参照)が詳しいです。ご参考までに。

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2011-01-16

銃を持つことが憲法上の権利だということが当たり前に見えてくる

 8日、アリゾナで起きた民主党のガブリエル・ギフォーズ下院議員ら20人が死傷した銃乱射事件を期に、複数の州で拳銃の販売数が急増していることを知りました(読売)。このような現象を理解できないでもないのですが、日本は銃社会ではないし、アレはヤクザの持つ物で、一般人にはまるで関係のない世界のことです。が、他所の国の出来事として、日本には関係ないと言えなくなる日が来るのかもしれない、と少し思うことがあります。日本が銃社会になる日がいつか来るかというと、これはかなり飛躍的な考え方ですが、そうではなく、外国人と関係を持つような国際的な場面が多くなる中で、どんなことが起こるか計り知れないと思うのです。
 日本は、非核三原則の「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」という三つの原則から守られ、平和ボケと言われてしまうほど世界で起こっている戦争に関わることなく平穏です。これが仇となったのか、武器輸出三原則の「(1)三原則地域への輸出を認めない、(2)それ以外の地域への輸出も慎む、(3)武器製造関連設備の輸出も武器に準じて扱う」の見直しをすることに抵抗を示す人が多いのではないかと思うようになったのです。私は、戦争に加担しない事を大原則に非核三原則を守り、攻撃的な日本ではない事を表明することが何よりも安全なのだという考え方を強く持っていました。「いました」というのは、昨年の極東ブログの「民主党政権下で日本の武器輸出三原則が終わるだろう」(参照)で、認識が変わったのです。この記事から受けた衝撃で気づいたことは、私の平和に対する保守的な考え方でした。戦争の爪跡というのかがまだ漂う日常に接しながら育ったため、平和を願うことは戦争をしないことだという考えを強く持っていたことに気づいたのです。この平和主義をびりびりに破き、酷い錯覚の中で生きてきた保守的な考えの持ち主だったことを後悔こそしたきっかけとなったのが該当の記事でした。

 昭和時代の視点からすれば、こうした結語は普通に響くが、NATOの現状からすれば、日本はアフガニスタン戦争で血を流しもせず、イランとの関係も傍観しながら、NATOのMDの傘を妨害する国として、平和とは逆のイメージで見えてくる。

 この部分で、私自身の思い違いを修正することになったのですが、NATOとは平和維持活動のシンボル的な組織だという概念的な見方が自分にあり、ミサイル防衛システム(MD)を推進しようとしているなどとは露知らず、これに抵抗することは世界から浮いて置き去りになってしまうのだと痛感したのです。戦争に対しては距離を置きながらも、無視できない状況が知らず知らずのうちに目の前に来ていたのです。複雑な気持ちではありますが、「自己防衛」ということを考えざるを得なくなりました。
 先のアメリカの拳銃の購買が増える現象も、日本では考えにくい現象ですが、分る気がします。ましてや、アメリカは、銃を持つことが憲法上の権利とされている国なので、米メディアやインターネット上で銃規制の是非を問う声が高まっているとしても、規制を強化できるのかどうかは不透明だと思います。
 ここに、アメリカ在住の高校1年生のある疑問があります(参照)。

「なぜ日本警察は銃を使わないのか。」

 初めまして。ニューヨーク在住の高1です。
今は休暇で実家の神戸にいます。
日本に帰ってきてニュースを見ていたのですが
拳銃男がパチンコ店を襲って車に立てこもった事件に
関しても、ちょうど今日起きた秋葉原のナイフを
持った男が車で10人ほど轢いた後、何人かを切りつけて
死亡させたという事件に関しても、警察はすぐに現場に
来ているのになぜ銃を使わないのでしょうか。

たとえば車に銃と一緒に立てこもっている時点で
周りの住民や警察官を危険にさらしているという点
やすでに強盗をした後だという点で、攻撃しても
いいのではないのでしょうか。(中略)

考えがアメリカナイズドされているとよく言われますが、
こういう環境化において銃を抜くことに関してはアメリカナイズド
もなにも関係なく、正しいやり方のような気がします。

またよく警察が銃を使った後に「発砲は正当だった」とか
言っているのを聞きますが、なぜ凶悪犯に向けて発砲するのが
そこまで大事(おおごと)なのでしょうか。

 これは、「OKWave」というQ&A形式の投稿サイトで、2008年に日本で起きた通り魔殺人と秋葉原で起きた無差別殺人に寄せた質問です。アメリカナイズされていなくとも、多くの若い日本人が彼と同じような疑問を持ったのではないかと思います。
 攻撃されたら身の安全を守るために狙撃することも日本の法律では合法ですが、安易な銃器の使用は厳しく規制され、最終手段としての使用が認められているのです。
 この高校生の疑問の払拭は、おそらく自分の命が危ないと、いつ判断して銃を使用するか、という微妙な間合いがあることを解決することにあると思います。
 これは、正直に言うと私も明確に答えられる問題ではありませんでした。警察官の立場では勿論ないので、そういう規制的なことではなく、人間が持つべきモラルのような部分に向き合うことだと思います。このような問題に向き合わずにずっとこの年まで平和で生きてこられたのですが、昨年に引き続き、「自己防衛」でなにが守られるべきか、そのことは大きなテーマになると思っています。
 回答者の一人は、次のように警察が実行犯を射撃しない理由を挙げています。

 1)例え犯罪者と言っても人命には変わりはないこと(無論、日本において被害者の人命が犯罪者より軽視されていると言うのは誤解です)。
(2)事件解決の為犯罪者の生命を奪うのは、厳に限定的で最終的な判断でなければならず、例え法の執行と言えども、その為の法的根拠が必要となる。早い話が射殺してしまった後で、何かその手続きに問題が生じたり、事実誤認があったでは取り返しが付かない。
(3)犯罪者を死なせてしまっては、その事件背景を探ることが不可能となってしまう。例えば共犯者の存在とか、その犯罪行為に第三者の意思が介在していなかったか(早い話が黒幕の存在)とか、更には犯罪者がその犯罪行為に至った社会環境等の問題点。実はこの社会環境の問題点を探ることが、犯罪を防止し、或いは未然に防ぐ等、犯罪抑止の観点からも重要なのである。
(4)そして最後に私は、跳弾や流れ弾等による第三者への被害の可能性の高さも上げられるのでは?と思っております。

 質問者の「何故銃を使わないか」に的確な回答をされていると思いますし、私も同感ですが、これは警察の銃の扱いの観点ですから別問題です。質問者の疑問は警察の観点とは別に、「自己防衛」の意味合いが強く、銃使用は凶悪犯に対しては正当だという市民の主張があるようです。この主張は、アリゾナの事件を発端にアメリカ各地で起きている銃を購買する市民行動の裏づけでもあると言えます。また、これが、アメリカの銃社会での正当性なのだと思います。
 仮の話で、しかも極論ですが、上記の4点が守られれば、日本の国民も「自己防衛」の権利として銃の所持が認められるのではないかと言えると思います。武器輸出三原則の見直しが囁かれるようになった日本でもあり、このような解釈の元に、いつか銃刀法が見直されるような日が来るのかと危機感を持ちます。

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2011-01-15

悪化するパキスタン情勢-アメリカ軍撤退に危機感

 バイデン米副大統領が12日パキスタンを訪問し、国際テロ組織アルカイダなどの武装勢力壊滅へ向けてパキスタン側の協力を求めたと知りました(毎日1月13日)。かねてからアメリカはパキスタンに協力要請を繰り返していますが、なかなかアメリカの思うようには行かない関係が報じられてきました。今回の要請は、武装勢力の本拠地はアフガンではなくパキスタンだというはっきりとした認識を示したこともあり、今まで以上にパキスタンには重圧がかかったということになります。これを受けたパキスタンがアメリカの主導するように動くのであれば、アメリカが撤退開始を予定している7月までに武装勢力を弱体化できるのではないかと期待を寄せる気持ちも持ちますが、パキスタンを担い手とするにはやや重荷で、期待できない国内情勢でもあるようです。関連記事をいろいろ見ると、アメリカとは危うい同盟関係だということがわかります。
 バイデン米副大統領を歓迎しないタリバンの自爆攻撃を既に受けたことからも、そん激しさがわかります

 同日にパキスタン北西部の警察施設など2カ所で自爆攻撃が相次ぎ、計20人が死亡、30人以上が負傷した。AP通信によるとアフガン旧支配勢力タリバンが犯行を認めた。バイデン氏の訪問にあわせて攻撃を仕掛けた可能性がある。

 バイデン氏は11日、訪問先のアフガニスタンで、「我々は最終的にパキスタンのアルカイダを崩壊させる。アフガンをテロリストの避難所にしてはならない」と語り、武装勢力の中心拠点がアフガンではなくパキスタンにあるとの認識を示していた。

 12日の会見では「安定し、民主的なパキスタンが我々の利益だ」と述べ、ザルダリ大統領・ギラニ首相の政権を支持する考えを表明した。

 今年7月、アメリカ軍はアフガニスタンから撤退を開始する予定ですが、パキスタンにとってこの撤退の影響は、アフガニスタンの国内情勢が悪化するかまたは混乱が起こりパキスタンと敵対関係が出来上がることだと思います。目下のところはアメリカが抑止でもありますが、この存在がなくなるとアメリカの変わりに攻撃を受けかねないという懸念を持つのは自然です。そうなると、今からアフガニスタンを敵に回すのはマズイというのがこれまでの中途半端なパキスタンの動きからも分るとおりです。
 アメリカ撤退後、国がまとまっていれば無問題のはずですが、そうではないと思わせるに充分な要素がパキスタン政府にあるようです。
 年明けに連立を組んでいたムータヒダ民族運動(MQM)が連立から離脱する騒ぎがありました。これによって下院が過半数割れした政権に対し、野党イスラム教徒連盟シャリフ派のシャリフ元首相は改善要求を出し、揺さぶりをかけられていました。1日から実施されていたガソリンの値上げの撤回を表明したことでMQMは7日、連立に復帰すると発表し、政局の混乱は免れたようです(朝日1月3日)。

 多額の対外債務を抱え、国際通貨基金(IMF)からの財政健全化圧力を受ける政府は先月31日、ガソリン公定価格の9%引き上げなどの石油製品値上げを発表。これがインフレをさらに悪化させると与野党双方からの批判にさらされ、MQMの離脱を後押しする形になった。

 MQMの連立離脱で院内多数派となった野党側だが、政党間対立を抱えており、一致した行動をとれるかは不透明だ。最大野党・イスラム教徒連盟シャリフ派を率いるシャリフ元首相は昨年末、「MQMは多くの市民を殺害している」と発言、両党の反目は激化している。

 人民党政権の不人気からシャリフ派は次期総選挙での勝利を確信しており、今の議会勢力での政権奪取に消極的との指摘もある。一方、先月、連立離脱したイスラム急進派のイスラム聖職者協会が政権復帰の条件としてギラニ首相の解任を求めており、首相交代で事態が収拾に動く可能性もある。

 現政権を直ぐに乗っ取るというでもないシャリフ派と、人気のない現政権から距離を置く方が得策と考えているのかMQMとの連立も危なっかしい状態です。また、IMFからの要請である財政再建問題やアメリカの要請による武装組織掃討作戦への加担という難問を抱え、ぐらぐら状態のパキスタン政府は難問だらけと見て取れます。
 また12日、産経新聞「知事殺害男、英雄扱い パキスタン「冒涜法」改正めぐり不穏」(参照)によると、

報道によると、カドリ容疑者は「単独で犯行にのぞんだ」と証言しているが、犯行を動機づけた宗教指導者の存在があったとみられている。また、同容疑者は過去に過激思想が問題視され、州警察特殊部隊から外されていたにもかかわらず、2008年にエリート部隊に配属されタシール氏の警護を担当していた。事件時、ほかの警護官が同容疑者に発砲をやめさせなかったことに対しても批判が出ている。

 しかし、こうした批判や冒涜法のあり方についても、同法改正反対の動きにかき消されている。法改正に反対する宗教指導者らは9日、南部カラチで大規模なデモをし、動員力を見せつけた。タシール氏に近いはずのザルダリ政権も早々に冒涜法改正はしないと表明。過激派の圧力に屈したともとれかねない態度に、テロとの戦いに対する政権の姿勢を不安視する声も出ている。

 ハイダー元法相は、「国内の穏健派が殺害され続ければ過激派とテロリストが国を乗っ取ってしまう」と危機感を募らせる。

 このような動きに対し、アメリカがアフガニスタンから撤退後、パキスタンがテロリストの攻撃から守りきれるかという危機感を募らせると同時に、一方では防衛力の強化を支援している中国との関係は深まる一方で、ますます影響を及ぼすのではないかと思います。
 ちょうど昨年7月のNHK解説委員室の時論公論「米軍撤退まで1年 どうなるアフガニスタン」(参照)で扱われた中国のアフガニスタン包囲網構想の図が分りやすいです。

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 アメリカ軍の撤退開始がどうなるかはすべて今後の状況次第です。しかし、それに伴ってアフガニスタンをめぐる大きな地政学的な変動、新たなグレート・ゲームが起きる可能性があることを私たちは認識すべきでしょう。アメリカ軍の撤退開始に向けた今後の1年間、アフガニスタン情勢はきわめて重大な時期を迎えることになると思います。

 この記事からすでに半年が過ぎようとしている今、パキスタン情勢は悪化し、内政もコントロールしきれないような状態に陥り、財政面でも困窮しています。中国とパキスタンの関係も、核化施設の支援などを中心にかなり親密になってきています。アメリカ軍の撤退予定を覆すような見識は今のところ聞きませんが、7月に撤退する是非を改めて問うとしたら、アメリカ軍の存続も一つの選択だと思います。が、その先の日本の関与を思うと、この政府にいったいなにができるかなと考え込んでしまいます。

***

 なお、これまでの経過として、日本のアフガンの民政支援が難しいとされる理由に関しては極東ブログが詳しく、リンク先を参照されたい。☞「民主党によるアフガン民生支援金問題、補遺」

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2011-01-14

世界的な物価高の連鎖とフランス発動のG20のこれから-チュニジアやアルジェリアの暴動が示していること

 アフリカのスーダンやコートジボワールの独立や分離にまつわる騒乱の話と似たようなことかなと、記事の見出しではその程度にしか思わなかったチュニジア(地図上の緑色の国)の暴動は、ちょっと違うみたいです。最初に目にしたのは時事ドットコムの「夜間外出禁止、異常事態に=暴動で死者多数-チュニジア」(時事ドットコム2011/01/14-00:57)で、路上で物売りをしていた男性が警察の取り締まりに抗議するため焼身自殺を図ったのが発端だと言うのです。その背景にあるのは、若者の高失業率や物価上昇、汚職への不満が各地で抗議行動へと増えていると報じています。

 各地で治安部隊の発砲により死者が続出。政府が死者23人と主張しているのに対し、人権団体はAFP通信に、チュニス周辺部で8人が死亡するなど、死者は少なくとも66人に上ったと述べるとともに、「虐殺が起きている」と批判。チュニスでも13日、夜間外出禁止令が解除された後にデモ行進が再開され、目撃者によると、市中心部で男性1人が警察に射殺されたという。
 背景には、若者の高い失業率があり、物価上昇や汚職への不満も加わって、抗議活動への参加者は増えている。

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 素人なので原理的なことは分らないまでも、だからこそ不思議なのは、油田を持ち原油の輸出国であるアフリカの各国は、何故市民の生活水準がまともに維持できないのかということです。政治が悪いからと言ったらそれまでなのでしょうけど、それにしても、貧富の差の激しさや治安の悪さが目に付くアフリカです。石油の価格が上がったり下がったりするのは、日本では課金問題はあるとしても、高いからと言って暖房しないで凍死したという話もあまり聞きませんが、電気を熱源にしたエアーコンディションに切り替えようかと思ったりはします。昔は石油の価格が安かったので電気代と比らべるようなことはしませんでしたが、2008年の石油高騰時にはドッキリしました。だからと言って、アフリカやイランなどの原産国が潤っているわけでもないらしい。石油の価格は、物価の高騰を示唆するバロメーターのようになっているのでかなりの関心事です。石油高騰の理屈が分らないことはさて置き、今回の暴動の背景にある物価高のことに関連して少し調べてみました。
 北アフリカのアルジェリアはチュニジアのお隣(西隣)ですが、ここでも食料品の高騰が原因した暴徒と警官隊の衝突が頻発していると報じています。が、チュニジアとは異なり、インフォーマルセクター(非公式部門)を規制するために導入された政策が元で、卸売業者や流通業者はこの新政策にともなうコスト増加分を消費者に添加したため食用油や砂糖などが20%も値上がりしたのだという事です(ウオール・ストリート・ジャーナル2011年 1月 10日

 抗議の動きは、数が多く失業率も高い同国の若者たちの間に、広まったようだ。国際通貨基金(IMF)の統計によれば、同国の人口の70%近くは25歳未満の層が占めているが、その失業率は推定30%に達する。
 カブリア内相が国営メディアに語ったところでは、先週半ばに始まった暴動で少なくとも3人の暴徒が死亡し、このほか約100人の暴徒と少なくとも300人の警官が負傷した。
 同国は世界有数のエネルギー生産国だが、1999年以降圧政を敷いているブーテフリカ大統領は北アフリカや中東のほとんどの国が抱える若年層の高失業率問題の対策に完全に成功しているとはいえない。若年層は何年も前から住宅難を訴えており、一方で市民社会の創設を目指すグループは政治的自由を求めている。
 アルジェリア政府は8日の閣議で、砂糖と食用油の輸入関税、付加価値税、それに関連する法人税の「一時的、例外的免除」を決めた。政府は声明で、この新たな措置はこれらの価格を40%以上下げることを目的としたものだと強調した。9日には新たな抗議活動の報告はなかった。

 かなり極端ですが、40%も値下げすると抗議活動が沈静化したと言う話なので原因は明らかですが、それにしてもこれだけの値下げができる政府の財政は一体どういう仕組みなのかと呆れます。
 また、アルジェリアは穀物などの食料の大手輸入国であると記事でも触れていることから推測するのですが、昨年の異常気象で干ばつに見舞われたロシアは、小麦の輸出禁止措置をとったことで市場が高騰し注目を集めました。この影響でアフリカ南部モザンビークで、パンなどの値上げに抗議する市民デモが暴徒化して警官隊と衝突したことがありました。パンを片手握って抗議する画像に覚えがあります。この値上がりは、2008年を上回っていると報じていますが、2008年と言うと私が石油価格の高騰に閉口した年ですが、これを上回る高騰だというのは想像以上でした。
 イギリスのフィナンシャルタイムズ紙は、国際エネルギー機関(IEA)の主任エコノミスト、Fatih Birol氏の説を引用して次のように報じています(ロイター2011年 01月 5日)。

 Fatih Birol氏は、原油価格は世界の景気回復を脅かす「危険ゾーン」まで上昇していると警告した。
同氏は「原油価格は世界経済にとって危険な領域に入りつつある。原油の輸入価格は景気回復に対する脅威となっている。これは、原油消費国と産油国への警鐘だ」と述べた。
FT紙はIEAの分析を引用し、経済協力開発機構(OECD)加盟34カ国の原油輸入コストが過去1年間に2億─7億9000万ドル増加したと伝えた。
IEAによると、これはOECD域内総生産(GDP)の約0.5%に相当する金額となる。

 景気と言われて調べると、ロシアの干ばつがかなり影響しているようです。

 国連食糧農業機関(FAO)が5日発表した昨年12月の世界の食料価格指数は214.7となり、統計を開始した1990年1月以来の最高を更新した。干ばつに見舞われたロシアで小麦生産が落ち込んだことなどが響き、新興国の需要増大でこれまで最高だった2008年6月(213.5)を上回った。
昨年12月は前月比で8.7ポイント上昇。6カ月連続の上昇となり、食料の国際価格がじわじわ値上がりしていることを示している。1月6日 時事

 これにいち早くフランスのサルコジ大統領が米国との首脳会談で、世界的な食料価格と為替の安定についてオバマ大統領の支持を求めるという方針を打ち出しています(ロイター1月10日)。

 食料価格の上昇とアルジェリアなどでの暴動を受け、サルコジ大統領には、為替相場と同様に商品価格の極端な動きへの対処について、G20参加国間の調整を求める声が強まっている。

 サルコジ大統領は、議長国としての任期中に為替システムの改革をはかりたい考え。

 サルコジ大統領のあるアドバイザーは、匿名を条件に記者団に「より多国間での協調が世界の不安定性増加傾向への最良の答えだ。われわれは、この考えを米国に持ちかけ、そのようなアプローチに参加する意思があるか尋ねたい。そうすればより詳細な提案が可能となる」と述べた。

 「為替相場や商品価格の極端な動きへの対処」は、G20の調整でできるものとは思いも寄りませんでした。だったら血生臭い暴動に早々に手を打ってほしいと願うばかりです。
 良く言われていることに、原油や食料の価格が高騰する原因に大量の投機マネーがあります。今回の値上がりがそうかどうか、専門的なことは分りません。アメリカは昨年二度に渡って量的緩和政策を講じましたが、現在の新興国に起こっている食料品の物価高が、ロシアの穀物輸出禁止によって生じた影響とこのアメリカの量的緩和政策との関わりであるとすれば、この痛みは致し方ないことだと思います。そして、アメリカの量的緩和策の影響がジワジワ寄せてきたことが原因しているとすると、オバマ大統領にとっては外交と内政の板ばさみに会い、厳しい対応に追われるのかもしれません。元々は、中国元の安さに太刀打ちできないアメリカ国内の産業を活発化するためにも行われた量的緩和政策で、中国が悲鳴を上げて元をもっと世界水準に引き上げてくれることが望まれるのですが、思いがけない場所から悲鳴が上がったものだと思いました。
 日本はデフレで物価は安いと言われていますが、石油だけはなんだか今年も高いなあと感じます。2008年並みになるかと恐れ戦いたのはつい最近のことですが、素人の漠然とした不安はまんざら外れでもなさそうです。こうして刺激を受けながらデフレから脱却する時、一部の物価は上がるが給料は下がるみたいな現象をやり過ごさないとならないのは必須です。が、この影響って、まさかに日本が底から抜け出し始めているってこと?だったら嬉しいのですが、そんなことはありえませんね。
 石油価格を気にして暖房しない、と言うわけにも行かない信州の冬には厳しい高騰です。

追記: 大概の世界情勢は極東ブログでしっかり押さえているということもあって、またしても後付で恐縮ですが、2008年07.03の「原油高騰の雑談、2008年前半版」(参照)で、まるで今の状態を予言するかのような当時の石油高騰の話が展開されています。

 次に。FRBがインフレコントロールしづらくなる、と。へぇ。食品とエネルギーを除いたコア・インフレの場合は、ある種の自動調整的な動きになるらしいのだが、原油価格と食品価格が上昇し続けると、そうもいかないらしい。そういうもんか。そしてこの傾向は当分続くとのこと。
 日本はどうだろ。食品とエネルギーは上がるが他はデフレのままだろう。そのあたり、よさげなバランスになる? いやこれは冗談にしても悪過ぎるな。

サミュエルソンはあまり大胆に言ってないというか、蛮勇無きか、けっこう韜晦して言っているけど、でも、短期的には原油が暴落するリスクをヘッジしつつ、産油国の政治から米国は独立できるように政治をしたらあ、ということかな。  たぶん、日本もな(オイルマネーとかなんとかマネーで日本売却完了前に)。 

 原油高騰がどのようなものを齎すか、単純に物価上昇へという流れとは違う方向性を秘めていることに感慨もあります。しかし、日本売却前にだって。ここで内閣改造し、消費税増税に向けて躍進するべく与謝野氏を起用しています。大丈夫なのかな?という不安は今更始まったことではないのですが、想像以上の我慢が必須になりそうです。

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2011-01-13

ハイチ大地震から一年-復興への問題と日本が担ってきたこと

 1月12日はハイチ大地震から1年を迎えた日です。あの惨事を伝えてからもう一年が過ぎるとは、時の流れを早いと感じる災害です。一昨日のニュースで見かけたハイチの現在の様子は、復興を続けてきた1年で何がなされたのかという疑問を持つような、何も変わらないような風景に驚きました。瓦礫の山とテントしかないのです。支援活動はどうなっているのかという単純な疑問で少し調べてみると、いろいろな問題が障害となっていることが分りました。なお、この地震については、極東ブログ「ハイチ大震災」(参照)で詳しく解説されています。

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 地震による被害の状況はどうだったのかは、各紙で報じられている通り、昨日までで死者約30万人と言われていますが、国連開発計画(UNDP)の調べによる被害額は大変な額に相当しています(共同2011年1月11日(火)22:13)。

 国連開発計画(UNDP)は11日までに、ハイチ大地震による経済損失は78億ドル(約6400億円)との推計を発表した。ハイチの国内総生産(GDP)の約1・2倍に当たる。復興費用は115億ドルと見積もられている。被災者は350万人に上り、29万棟以上の家屋が全半壊。政府機関の建物も大統領府を含む6割が崩壊した。首都ポルトープランスでは8割の学校が全半壊した。

 また、震災直後の避難生活150万人は半減に近い81万人になり、特に昨年11月に流行した感染症コレラの深刻化に加えて国際支援による定住場所の確保などがその減少につながったと報じています(時事ドットコム2011/01/10-10:47)。
 この数字がどれ程のものかをイメージするために阪神・淡路大震災の数字だけを抜粋しました(ひょうご震災記念21世紀研究機構)。

マグニチュード7.3 、死者6,434人、負傷者40万人、損壊家屋25万棟、被災家族45万世帯、避難者最大30万で、95年からの5年間に増加した兵庫県GDP(復興のための追加需要)7兆7,000億円、そのうち70%は民間部門による (国・県・市の負担は30%)義援金総額は1,860億円となっています。また、復興計画の総事業費は16兆3,000億円です。

 この数字を比べてみて家屋の倒壊数だけは似通った数字ですが、他の数字を単純に比較すると、ハイチの被害はかなり大規模であることが分ります。ハイチ復興費用の115億ドル(約9500億円)は、被害の割りに一年の額として少ないと思います。この先何年も掛かると言われているだけに国際支援がどこまで維持できるのかも気になります。また、復興資金が少ないから復興が進んでいないとも言いい難い理由もあるようで、国の教育問題や国民の社会性が問われていると感じます(毎日)。

  1. 土地の登記制がないため、誰がどこに住んでいたかを証明できない。だから復興に時間がかかるの。
  2. 教育レベルの低さも復興作業を妨げている。国民の6割が読み書きができないため、広報資料などは読まれず、根拠のないうわさに影響される。
  3. ハイチ人に耐震工学を教えるには3年では難し過ぎる。知識を吸収できる人材を育てるのに10年はかかる」と語る。教育や技術を持つ専門職の多くは海外に流出し、戻ってこない実情もある。
  4. 有権者約10万人が投票を拒絶されるなど、政府の不正が数多く指摘され、候補者19人のうち12人が再選挙を要求。いまだに公式結果は発表されず、暴動が起きかねない事態が続いている。
  5. ハイチ政府の過去の援助金の使い方は不明瞭で、贈収賄もあからさまだ。政府から現場に公正に金が分配できないから必要な場所にまわらない。

 ざっと挙げた問題点を見るだけで、行政から政府に至る様々な問題を抱えていることが分ります。今後の支援の見通しが気になりますが、11日、オバマ大統領が復興支援の継続を表明したことには敬服します(時事ドットコム2011/01/12)。ハイチ震災後の一年を期に、経済大国であるアメリカ大統領としてハイチへの配慮は当然ですが、このような声明を出されることは国際社会への影響を考えると今後の支援協力を得るためにも意味があると思います。また、アメリカが現在抱えている移民問題として、反対的な議会勢力とどう渡り合うかという大統領の手腕を問われる問題でもあります。一方、日本からは何の声明も出されなかったようなので調べると、自衛隊が頑張っているようです(時事ドットコ2011/01/11)。

 自衛隊は昨年2月にハイチで活動を始め、これまで1次隊、2次隊計約550人が任務を完了。現在は8月に現地入りした3次隊約350人が、がれきの除去や整地に当たっている。
 首都ポルトープランスの東方約30キロの町マルパセでは10日、隊員45人が孤児院の宿舎新設に汗を流していた。気温30度、砂ぼこりが舞う中、20日の完成を目指し、雨漏り防止工事や電気配線の取り付けを行った。
 孤児院は地震で倒壊した他の施設から子どもを受け入れるなどしたため、スペースが不足。仮設のプレハブ小屋やテントの利用を強いられてきた。自衛隊は昨年11月初めに工事を開始。同月実施された大統領選の結果をめぐるデモの影響などで資材が調達できず、10日間ほど作業が滞った。
 現地の治安は不安定だが、日本隊隊長の佐々木俊哉1等陸佐(47)は「日本国旗を見ると、ジャポン、ジャポンと歓迎してくれている」と述べ、地元との関係は良好だと語った。
 孤児院で生活するマヌシュカ・ルイさん(13)は「新しい建物が建つのが楽しみ。とても立派なものを造ってくれた自衛隊の人たちが大好き」と笑顔を見せた。マリン・モンデジール院長は「自衛隊は最大の難題を解決してくれた」と絶賛。「自衛隊にはハイチを含む国際社会でもっと活躍してほしい」と話している。

 日本の防衛費は変わり映えのしない予算でやり繰りさていますが、同じ税金でもこのハイチの復興に役立っていると思うとつい引用が長くなってしまうのは個人的な思いからです。が、もっとすごいと言うか、個人的に驚いたのは、現地でマザーテレサと呼ばれる83歳の医師で修道女の日本人が、30年もハイチに住みついて医療活動をされていると知ったことです。私の母の世代の方ですが、この世代は戦中派であることから底力の存在を感じます。
 須藤昭子さんの「はい上がらなきゃしょうがない。負けてはいられない」とインタビューでの話は、人の生き方として先人に学ぶことは多いと感じました(時事ドットコム2011/01/11)。

 昨年1月の大地震で療養所は倒壊。その際、たまたま日本に一時帰国していて須藤さんは難を逃れたが、患者数人が亡くなった。地震前は医師6人前後が交代で勤務。「地震後にほとんどの医師が戻って来ず、週末に医者を置けない病院になってしまった」と肩を落とす。約50人の入所者は今もテントでの生活を余儀なくされている。
 須藤さんは80歳で診療現場から退き、今は療養所の再建に力を注ぐ。「予定通りには進んでいないが、私がやらなければ」と話し、引退の2文字には無縁な様子。「多くの人は自分の人生に自分で区切りを付けてしまうようだけど、何かしないと生きている意味がない」と強調する。

 海外に起きた震災に日本がいくらかでも役立っていることを知って安心しました。このことは、日本が国際社会で信頼を得ることにつながるという点もあるかと思いますが、それよりも私自身が日本はまだまだやれる、という自信のようなものを得ました。日本の政治は酷いものだと嘆くことが多い昨今だけに、日本が国際社会で役立っている部分だけでも垣間見れてよかったです。
 また、支援でできることはできるだけ日本が担うというのは当たり前ですが、そういった支援ではできないことの問題の方がむしろ重要だと思います。先に挙げた毎日新聞の抜粋部分にもあるとおり、ハイチ政府自体が問題の鍵を握っているとも言えます。民主的に選挙が運営されず、暴力闘争にもつれる可能性を抱えていたり、支援金の使われ方に疑問視を持たれたりするような政府の役人、つまり人間教育の問題を抱えているうちは、国際社会の期待するような復興への道はかなり遠いのではないかということも浮き彫りになったようです。道のりは長いのだと痛感しました。

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2011-01-12

ミャンマーの民政移管に動き出す野党-超党派の意図が見えない

 一昨日の10日のNHKニュースで、ミャンマーの軍事政権が新議会を召集すると報じた時、どうせ代わり映えのない軍事政権なのだしと聞き流していたのですが、アウン・サン・スー・チーさんが昨年11月に軟禁状態から開放されてからのミャンマーについて、自分の中で情報を飛ばしているにも関わらず、分ったような判断はマズイなぁ、と反省。また、政治的なことを書くようになったのは極最近でもあるため、ミャンマーについて今まで全くリファレンスがないのも片手落ちです。とはいえ、ミャンマーに関心があるというよりは、実のところ人々の民主化の動きや政治的な変化に対して必ず起きてきた保守勢力の理不尽な弾圧などに歴史を感じ、それが関心事なのです。今月末に行われる予定の総選挙は、形ばかりだと国際的にも批判されていますが、民主政治への移管のスタートではあるので、情報を集めて記録しておくことにしました。
 少し前のニュースで、ミャンマーが民主化を目指している背景ではあるにもかかわらず、軍の動きがおかしいなと感じたのは、徴兵制度が導入されたことでした。これは、私の全くの思い違いで、志願兵制の徴兵制という強制力への移行は、民政移管前に軍の基盤を強化するための狙いがあるとみられているそうです。思い違いというのは先にも触れたように、アウン・サン・スー・チーさんが率いる民主化最大勢力国民民主連盟(NLD)」は、総選挙に不参加であり、既に解党されていますから、11月の選挙そのものは軍支配によるものなので、政治の構造の改革と共に軍が弱体することを懸念しての事前行為だという見方があるようでした(NHK 1月7日 18時0分)。

 NHKが入手したミャンマー軍事政権公布の法令の文書によりますと、徴兵制について定めた法律は先月17日に公布されました。徴兵の対象となるのは、男性が18歳から45歳、女性が18歳から35歳で、徴兵の期間は2年ないし3年となっています。どのような兵役が課されるのか、詳しいことは明らかにされていません。

 去年11月、20年ぶりに行われた総選挙を受けて、早ければ今月末にも新たな議会が招集されたあと、新政権が発足し、少なくとも形の上では民政に移管することになっています。軍事政権としては、新政権が発足したあとも、徴兵制によって国民の間に軍の存在を浸透させ、影響力を維持しようとしているのではないかとの見方も出ています。軍事政権が新政権の発足前に、いわば駆け込み的に徴兵制の導入を決めたことに対し、国民からの強い反発が予想されます。

 この後、どれ程国民が強く反発したかという状況を報じるものはなく、いきなり昨年の11月の総選挙の結果を元に今月31日、上下両院と地方議会を一斉に招集すると発表されました(NHK1月10日 21時28分)。

 新たに開かれる議会では、まず大統領が選出され、大統領に任命された閣僚が新たな政権を作り、早ければ来月中にも軍事政権から政権を移管される見通しとなりました。これによって、形の上では、およそ23年ぶりに、軍事政権から民政に移管されることになりました。しかし先の総選挙は民主化運動のリーダー、アウン・サン・スー・チーさんを事実上排除するなど軍事政権側の政党に極めて有利な形で行われたほか、議員の4分の1が、選挙の結果にかかわらず軍人に割り当てられ、結局、議席の80%以上が軍事政権寄りの議員や軍人で占められています。このため欧米諸国からは「軍政独裁が形を変えただけだ」とする批判を浴びており、今後国際社会が新たな政権に対してどう対応するか注目されます。

 この選挙は、1962年の軍事クーデター以来49年ぶりに軍事独裁支配を終結させるとは言え、実質的に軍部支配を維持した形での、「民政移管」です。この政府のどこに民意が反映されるのかが気になりますが、アウン・サン・スー・チーさんが率いる民主化最大勢力「国民民主連盟(NLD)」(総選挙不参加、解党)から分裂して11月の総選挙に参加した政党「国民民主勢力(NDF)」は、上下両院と地方議会あわせて16議席を獲得していますが、この分派が野党的な動きをするのかどうかが気になります。軟禁状態から開放された直後のスー・チーさんの演説で、民主化勢力再構築に尽力して行く旨を表明していましたが、12月30日にNDFの申し出によって会談したことは、その方向性を持つという意味合いがあったのでしょうか(産経2010.12.30 19:44)。

 会談はNDF側からの呼びかけで行われた。会談は約1時間行われ、出席したNDF幹部のキン・マウン・スエ氏は記者団に、「個人的な会談で、政治については話していない。また会うだろう」と語った。
 NDFのタン・ニェイン議長は会談後、フランス通信(AFP)に対し、「(スー・チーさんは)われわれNDFの立場を理解している。そうでなければわれわれと会うことはなかった」と語り、会談が良い雰囲気で終わったことを強調した。
 同議長は、先の産経新聞とのインタビューで、同国の民主化実現のため、スー・チーさんに党の枠組みを超えて一緒に活動するよう働きかける考えを示していた。

 ただ、このNDFは、昨年11月の総選挙時にスー・チーさん率いるNLDの決断した選挙ボイコットに反発して立ち上げた政党であることと、産経のインタービューに次のように答えてるのは、スー・チーさんが変わるべきだと言っているようなものです(産経2010.12.21 19:32)。

 スー・チーさんについて議長は「彼女の国への愛情、国民のために犠牲となることをいとわない決意と勇気には疑問の余地はない。ただ、彼女が現実の政治から離れている間に物事は大きく変わった。彼女がそれに気づき、われわれと一緒に民主運動を引っ張っていくことを期待している」と述べた。

 「物事は大きく変わった。彼女がそれに気づき、われわれと一緒に民主運動を引っ張っていくことを期待している。」この発言の内面に、スー・チーさんに反目するものがあるような懸念がありますが、政治とは、理想を掲げて進むだけではなく、妥協して折り合うことでもあるとは言われています。
 余談ですが、ミャンマーのこの様子は、民主党の菅さんと社民党の福島さんを見ているようです。政治は男女平等ですが、性差と言うのはあると、最近思うようになりました。その現れかどうかは分りませんが、沖縄問題で折り合いがつかずに離党した福島さんは理想を追い求めるタイプと見ました。一方菅さんは、節操も何もあったものではないと批判されても、与党勢力強化のために可能な限りの他党へ連立の同意を求めにアプローチしています。この姿と分派したNDFのタン・ニェイン議長が重なって見えてくるのです。柔軟と言えばそうかもしれませんが、政権維持のためなら理想やマニフェストまでをもさて置き、みたいな菅さんを見ているせいか、スー・チーさんとどのような合意ができるのか関心があります。
 NDFのタン・ニェイン氏が言う「物事は大きく変わった」とは、実際、何が大きく変わったというのだろうか。スー・チーさんがNDFと共闘することが、本当の意味で民主化に向けた最善策なのだろうか。そういうところが見えてきません。

追記:ミャンマーの内政にについて調べていたところ、2004年10月20日極東ブログ「ミャンマーの政変、複雑な印象とちょっと気になること」(参照)で、当時のスー・チーさんらが求める民主化と軍政の背景を知り、さらにミャンマーの民主化について考えさせられました。

 1962年から1988年までは、ネ・ウィン将軍の軍事政権が続いた。ネ・ウィンは鎖国政策をとるのだが、好意的に見るなら、イギリスによって注入された要素を排除し、植民地化と異民族支配によって中断された民族主義的な国家の完成を目指していた。そしてある意味では、ネ・ウィンを継いだ現在の最高権力者タン・シュエの意図もその途上にあるとも言えるだろう。

その民族主義的な国家の形成は、その後、軍政自らが結果的に招いた欧米の制裁のよる鎖国的状況から困窮を招き、もはや国内は強権によってしかつなぎ止められないいびつなものに変形してしまった。
 別の言い方をするとベトナムのように社会主義であれ民族主義的な国家であれば、その民族国家的な基盤を形成し、その上に経済的な発展があれば、民主化はその段階の上に位置づけやすい。

 「民政」とは「軍政」ではないにしろ、その国の安全や民族間の問題をいびつな国家に作り上げることで解決することはないのは勿論です。問題は、民主政治にどっぷりつかって保守的な考えを持ち、「軍政」に対して左派的な視線を注いでいる側にあるのではないかと感じました。

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2011-01-11

政争のバランスを命と引き換えにしたいくない話題-アリゾナ女性議員狙撃事件

 一昨日の8日、米アリゾナで銃乱射によるショッキングな事件が起こりました。女性で民主党穏健派ガブリエル・ギフォーズ下院議員(40)がスーパーマーケットの敷地内で対話集会中に男に狙撃され、頭に重症を負った上、合わせて19人の死傷者を出したのです。幼い子どもをも巻き添えにしたというのが何とも痛ましいことです。
 事件から二日目に当たる現在のギフォーズ議員の容態は快復に向かっているということですが、その場で逮捕された容疑者はジャレッド・ロフナーという22歳の男で、その後の捜査で見つかったメモなどから計画的な犯行ではないかと見られているようです(47ニュース2011/01/10 23:14 )。
 現職議員が狙撃されると聞けば、暗殺ではないかと直ぐに推測が走ります。が、本当に政治がらみなのかどうなのかという疑念を事件の全容が解明される前に騒ぎ立てるものでもないと思いますし、野次馬的にネットで不確かな推測ばかりを流すことに抵抗がありますが、事件の背景となるアリゾナにはどのような問題があるのか、という点に絞って調べてみました。
 まず、事件に使用された銃についてですが、日本では銃刀法によって一般人が銃を保持することは容易ではありませんから、このての事件では、まず入手先がどこかが問われます。一方、アメリカ社会では、このような事件が起こるたびに銃規制の強化を問う問題が浮上します。今回に関してはどうかと調べると、やはりありました。産経が報じていることによると、銃規制が進まない理由を「個人の権利だとする建国以来の国民意識が背景にある。」からだと結びつけているようです(産経2011年1月10日(月)08:00)。それを言うなら、仮に禁止する法律があるとすれば守られるべきではありますが、銃乱用の抑止的な効果程度しかないのではないかと思うのが特にアリゾナです。

Unitedstates

 理由はメキシコ合衆国との国境を有し、国境付近での騒乱が頻発する土地であることと、そのため、自衛手段は個人の権利だとする強い主張があります。しかも、不法移民に対して取締りを推進している保守派と対立関係にあるのが穏健派で、これに加えてティーパーティーが共和党ジョン・マケイン上院議員(前大統領候補)との関係を持ってるといわれてます。この状態を「一触即発の空気である」と、冷泉彰彦氏(「凶弾に凍りついた政局、アリゾナ乱射事件Newsweek日本語版)は話しています。

 具体的には2点、まずアリゾナ州というのは「英語が喋れないヒスパニック」だと思われたら警官が職務質問を行って良く、その際に身分証明ができない場合は即手錠をかけられるという悪名高い「不法移民取締法」など、不法移民問題に関して取り締まりを推進する保守派と、他州なみで良いというポジションの穏健派は厳しい対立を続けている状況があります。

 これに加えて、ティーパーティーがかなり食い込んでいます。例えば共和党の大物であるジョン・マケイン上院議員(前大統領候補)などは、予備選の段階でティーパーティー系の新人にギリギリまで追い詰められる中、「不法移民の合法化」をブッシュ前大統領と共同で進めていた過去をかなぐり捨てて「なりふりかまわぬ右傾化」とドブ板戦術で辛うじて共和党公認候補の座を守っています。

 また、今回のターゲットになったギフォーズ議員の場合は、そのティーパーティー、とりわけサラ・ペイリンの「ファンクラブ」的な団体から「医療保険改革に賛成した憎い敵、11月の中間選挙で絶対落選させるべき標的」として、ポスターの中で「標的」のマークをつけられていたという背景もあります。

 これについては、ティーパーティー・保守派の広告塔的存在になっているサラ・ペイリン前副大統領候補のWebサイトで、中間選挙前に示された「撃たれるべき20人の政治家」のリストにギフォーズ議員の名前が含まれていたことも重なっていると思います。

Vagabond26_2

 このマークは、日本ではあまり馴染みがありませんが、銃社会では良く見る射撃のターゲットの印「cross-hair(クロス・ヘアー)」のことです。このポスターが正にペイリン氏のプロパガンダの証拠品だと意味づけている人もいるようですが、今回の狙撃とクロス・ヘアーが被っただけに過ぎない風評であると思いたいです。
 また、ティーパーティーが反対する医療保険改革も絡んで、これまでのギフォーズ議員に対する過激な抗戦がアリゾナを分断し、憎悪を生み出す元になっていたとすると、今回の事件が逆にそのバランスをとる警鐘となれば不幸中の幸いではないかと思う反面、払った犠牲の大きさはとは換えがたいことだと思いました。

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2011-01-10

「良い人間であることを歪めない場」探し-就活のこぼれ話

 昨日、成人式を行った地域が多かったことでしょう。我が家でも二人目の成人が誕生し、祝っていただいたおめでたい日でした。そして、この話題は、私が歳を食ったという話にしかならないと思ったのでするつもりではありませんでしたが、昨今の就活にまつわるメディアの報じることに少し反応して書いておくことにします。
 昨年の9月、息子の通う大学の連絡会で受けた印象から事は始まっています。大学3年から就活を始めるという話や、入学して単位を履修するだけではなく、成績の中味の良し悪しが早く内定をもらうことに繋がるということをしきりに話していました。そこからかもし出される空気は、中学や高校の進路相談のようでした。違いがあるとすれば、私大の売りがちらほら見え隠れするくらいのものです。つまり、大学としてはどの学生も就職できるように指導には力を入れているという点と、より良い就職先を獲得するには大学院へ進むこと、みたいな話です。そのような話を一般論として言われると、社会と大学の状況を把握できないでいる親にとって、子の進路に関わりを持つためのあり難いお話となるのです。何がって、親が我が子の将来に首を突っ込む始まりになるのです。
 今の世の中、親の介入が嬉しい人もいれば、ウザイ人もいるでしょうけど、私の頃は、親がそこまで介入することはほとんど無かったし、子が親の助けで就職を望むことも少なかったように思います。だからと言うのが理由ではありませんが、私は成人した息子達の就活に関わるのを当たり前とは思っていませんし、ましてや親が何ができるかを悩み、就活する子の助けとなるための親の相談をしに行くほど過干渉ではありません。
 10社にアプローチしても内定ももらえないと嘆いている学生の実話や、夏休みを全て就活に充て、そのための費用やパソコンの利用法まで至れり尽くせりの準備状況をNHKで報じていたのは8月ごろでした。番組から伝わってきたのは、努力の甲斐のない結果をもらった気の毒な姿の大学生と、親のお陰で就職が決まりましたというオチまでがついた内容で、私の感覚との違いをまざまざと見せつけられたように感じました。これは何かが間違っている、狂っているとしか思えず、親の過保護、過干渉の実態であり、胸中は穏やかではありませんでした。一生懸命就活しても一つも決まらないと嘆く学生をどうみているか、という視点の違いかと思いました。
 デフレによる不景気で求人が少ないため、確率的に厳しい状況であるから就職が難しいという現象はあるとしても、学生がバカだからとは誰も言わないです。言ったのは、池田信夫先生です(参照)。私は、他人のせいにすることを咎められて育っていますから、池田先生の言われることは良く分るのです。が、ここから考えを発展させられない学生さんの問題はあるにせよ、馬鹿だと承知したとしても、それで就職がきまるわけでもありません。
 影響力のあるメディアが報じることは、時としてとんでもない風評を作りますし、社会現象までをも起こします。極端ですが、自分を雇わない会社はおかしい、社会は間違っている、だからこんなに努力した自分は悪くない、悪いのはおまえだ、斬り、という回路が当たり前だという現象を作ってしまいがちです。かといって、バカな俺(私)が全部悪い、だから俺(私)はダメな人間、終了、ともならないのです。何故って、自分自身を人の尺度に当てはめなければ良いだけです。バカと言われようが自分であること。その自分が20社にアプライして失敗しようとも、納得の行く就職先が見つかるまで、泣き言を言わずに普通に頑張れば良いだけです。その苦労は、自分が買ったということを忘れないでやるのみです。それが無駄ともいえませんし、そこまでして見つかった職場は、ある意味大切に思うのではないかと思います。それも悪くはないです。また、身の程を思い知って方向転換するのも良いです。高望みさえしなければ、どこかしらに就職できます。
 ただ、どのような場面でも一つだけ外さないでいて欲しいのは、「良い人間であることを歪めない場」を探すことです。これは、息子が明日東京へ戻る時に伝えたいと思っていた言葉なのですが、Twitterでも同じようなニュアンスの言葉を言われていたので、はっとしました(参照)。が、考えてみると、割と多くの大人はこのように思うのではないかと思います。
 こんなことをしていても意味が無いんじゃないかと迷う時や、自暴自棄になる時に支えてくれるのは、自分は良い人間としてやってきたということに尽きます。挫折感を味わい卑屈な方向へ引いて行くような時、なによりも慰めて励ましてくれるのは、良い人としてやってきた自分自身です。言葉を換えると、誇りに思える自分であれということです。ただ、誇りというほどの大それたものでもなく、ごく簡単な身近なことに良い人間であろうとすることです。その小さな積み重ねを、自分にどれ程残せるかが人生なのではないかと思います。また、受け入れ先がたとえ自分のしたい仕事とは違う仕事を与えたとしても、その仕事を自分の好きなことにしてしまう方が幸せな生き方ではないかと思います。

☆ 池田先生の「誰もいわないが、学生がバカなことが就職難の原因。」という指摘に反応した様々の方の意見のまとめはこちら☞池田信夫氏(@ikedanob)の語る日本の新卒就職活動の問題点+ツイッターでの反応

☆ 「いいところに就職するより、長く良い人間であれるような場を探すほうがよい。」という人生感の話のまとめはこちら☞finalventの仕事とか人生とかのこと

 説教がましいし、転ばぬ先の杖を言ってもどうかという思いが残るのですが、何かあった時に思い出すと元気が出ると、その程度で受け止めてもらえたら幸いです。

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2011-01-09

高齢化社会が進む中国と日本の方向性-移民を受け入れない日本は集団自殺?

 昨日のニュースで小さな記事ですが、中国の高齢化に対して日本では考えられないような法案が可決しそうだと知り、同じ問題を抱える日本が問われている移民受け入れ問題などを含めて考えてみました。
 この問題については、高齢者を国がどのように面倒を見るかという問題と、高齢化による労働力の減少化にたいする国の対応を取り上げてみます。取り分け、中国と日本を比較するのは、欧米諸国との深い関わりがあるのと、欧米諸国から何かと比較されて批判も受けるため、んじゃーあえて見てみましょう、という程度の動機です。
 きっかけとなったsearchina新聞の見出しは、「「子は頻繁に顔を出すこと」…独居老人増加で法律に明記へ―中国」(参照)で、これによると、

 20世紀末に全人口に対する60歳以上の高齢者の割合が10%を超えて高齢化社会に突入した中国では、現在「老年法」と呼ばれる高齢者の権利保護に関する法律の改定作業が進んでいる。「空巣老人」(独居老人)が増加する状況をうけて、「子は頻繁に顔を見せなければならない」という文言が同法に盛り込まれそうだ。中国新聞網が伝えた。

  記事が紹介した統計によると、現在中国には1億6700万人の高齢者がおり、そのうち半数が子どもなどと同居していない「空巣」生活を送っているという。生活スタイルの変化や核家族化が進む中でいかに高齢者の生活保障や権利保護を行うか。民政部の関係者は、社会による協力が不可欠であり、理髪、入浴、清掃、食料調達といった日常生活の支援や、医療や介護といった部分のより一層の専業化が必要になるだろうとの見解を示した。このたび改定される「老年法」にも「社会によるケア」という独立した章ができる予定だという。

 原因は政府の「一人っ子」政策によるもので、今から30年以上も前(1979年)から続いている政策で、人口のコントロールによって、老齢者の人口比率が子ども世代に対して多いのが原因だと言われています(毎日)。一人っ子同士の結婚では、その両親四人の面倒を見ることになるため、子どもの負担増となってることに法律で強制力を持たせるのが中国だということがわかります。問題はそれだけなのかと調べてみると、いくつか問題が上がっているようです「All About世界のニュース・トレンド 鳥羽 賢」(参照)。

 自然な状態なら生まれた状態では男女比率が「男105:女100」程度であるのに、中国では「男117:女100」という偏った男女比になっています。また広東省や広西チワン族自治区では、「男130:女100」という極端な男女比になっています。

 このために、多くの男性が結婚適齢期になっても結婚相手の女性を見つけられない事態が起こっています。一人っ子政策が始まった後で生まれた世代の3分の2は、まだ20歳以下で結婚適齢期には達していません。しかし、今後この世代が結婚適齢期に到達すると、「男余り」問題はますます深刻になっていくでしょう。

 日本の戦時中時代の「生めよ増やせよ」の逆を思わせるような政策ですが、現在の日本は、この戦時中の政策の反動のように少子化に転じてしまった結果ですから、中国がこの先に抱える問題は日本を見ていれば一目瞭然です。結婚問題についても日本は一時期から嫁不足が言われ、特に農家への嫁の来手を東南アジア諸国に求めるような取り組みをした地方もあったほど深刻です。また、日本の政府は、戦後大きな政府w目指し、高齢者の福祉問題や労働者の労働環境を整備するために社会保険制度の充実などに力を入れましたが、結果はご覧通りです。政府が大きくなり過ぎると、汚職事件頻発し、政治家は金と政治の問題を引きずっています。
 中国が国交を開いてから人口問題が慌てて取り上げられた理由に、世界人口をも左右する恐れがあったためです。「一人っ子」政策を取り入れなかったら、17億とも言われる人口増加に悩んでいたかも知れないと言われています。

 そして中国の人口が13億人に達した日と、世界人口が60億人に達した日を4年遅らせ、世界総人口に占める中国の人口の割合は、1980年の22.2%から2007年には20.1%に減少しました。世界人口全体の増加率も、1982年には18.4%だった数字が、2007年に10.3%に低下しています。

 だからと言ってここでこの政策を緩和するにしても、人口の急増は次の問題となるため中国政府の課題は大きいと思います。
 中国の問題は日本の30年前にさかのぼると見えやすい、と感心している場合じゃないのです。一昨日の極東ブログ「中国の模範とすべき日本の断念、ってか」(参照)で取り上げられていたアジア問題の専門家パトリック・スミス氏の意見は見過ごせません。

 「日本人は、近代化の必要性に付随して、西洋化したいという衝動を克服してきた。その境地こそ、中国人が追いつかなければならないものなのである」日本は他のどの非西洋先進国よりも、自国文化での人生の過ごし方を守ってきた。

 先輩として中国に助言をするとしたら、国もそこそこ栄えたのだし、この辺で国民生活を豊かにする政策に転向してはどうですか、くらいでしょうか。中国経済がどこまで持ちこたえるのかわかりませんが、いつか奈落の底へ落ちた時、期待されるのは国民の我慢強さと忍耐力だったりします。
 さて、問題は、日本の高齢化社会か抱える問題です。私如きが言うまでもなく、高齢者の介護や医療を支える政府の政策が何とも情けない状態に陥っています。これも長引くデフレ不況の中で、国にお金がないからだといえばお終いです。この問題にぐっさりメスを入れるようなダニエル・ドレズナー氏の記事(米タフツ大学フレッチャー法律外交大学院教授 ニューズウイーク)が目に止まり、ここまで言われても動かない日本は何だろうか、と焦る気持ちと苛立ちが同時に湧きました。

 英経済誌エコノミストが「自発的な人類絶滅」に関する刺激的なエッセイを掲載したのは、1998年末のこと。「問題は(人類が)滅亡するかどうかではなく、それがいつ起きるかだ」という警告は衝撃的だった。
 世界の大半の国はこんな警告を受け流した。だが、日本政府だけは密かにこの運命を恐れているのではないか。

 このような書き始めで、結局、日本は高齢化にともなう労働人口の減少に対して、移民に門戸を開かないから自滅するのだという論調でドレズナー氏の意見を引用しています。また、この問題と地球温暖化問題は同列であるにもかかわらず、行動を起こすだけの目先のインセンティブがないせいで先送りしているという批判もいただいています。
 記事中にも言及されていますが、移民受け入れ問題は、日本政府と言うよりも国民の意識の中では受け入れがたい問題かもしれません。私事ですが、私が住む町は精密関係の製造会社が多いことから、一時期はブラジルや中国の働き手に支えられ息をついた時期もありました。が、彼らと日本の生活様式の違いから生まれる問題は多く、あまり長続きしないという問題もありました。
 住まいの使い方や仕事場でのルールを教えることはできても、日本人のはっきり物を言わない言語が原因したと思われる行き違いが生じることも多かったと思います。結局、その後に残った「もう外国人は懲り懲り」といったしこりはかなり強いと思います。これは、外国人に大変を気を使って親切心で接しても、それほど相手に気持ちが届いているでもなく、契約にない事を親切心でやっても相手から見返りがあるわけでもなく、その関係に親密なものは生まれないという教訓になってしまっているかもしれません。日本人にとって、外国人としっくり仕事を進めるのは難しく、時間のかかることかもしれません。
 政府はが移民を受け入れる必要性を検討しているのかどうか、そのこと自体があまり話題にならないのはそのためでしょうか。私には良くわかりませんが、個人的には賛成です。ただ、問題の難しさも理解できるので、「目先のインセンティブ」が労働力の確保ではないとすると、あるとすればそれは何だろうか、その疑問が解けずに残ってしまいます。

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2011-01-08

菅さんを応援するなんて言ったら石を投げられそう・・・だけど

 ニュースをぼんやりと見ていたら、菅さんがまた酷い言われ方をしています。
 菅さんの弱音がとうとう出たかと哀れむ気持ちと、え、まさかに現職の首相が「気持ちが萎えるんです」とか「やめる原因というのが、なんとなくわかるんですよね。」なんてベタな本音を言うかな、と疑ってしまいました(参照)。これは今風には、別にまずいことでもないのかな。この政府は、自民党時代にはあり得なかったことをいろいろと塗り替えてきてくれたので、首相がこのような発言をするのもありとすることなのか、私には理解しがたいです。

「俺はこんなにやってくれるのになんで分かってくれないんだ?俺はこんなに頑張っているのになんで評価されないんだと、いろんな思いが伝らないことで、どこかで『これ以上やってもダメだ』と気持ちが萎えるんです」
 もしかしたら、今の菅首相は支持率の低下で「気持ちが萎えている」状態なのかもしれない。そう思わせる発言だったが、続いて出たのは力強い言葉だった。
 「私のような”変わり種”がなった総理大臣ですから、徹底的にやってみようと思う。つまり、自分の気持ちが萎えることで『やーめた』ということはしない」

 政治に感傷的な感情を挟むことで衆偶政治だと批判もされず、世の中も変わったものだと思います。
 また、産経ニュースによると、菅氏と社会学者の宮台真司氏との会食で、人事をめぐる構想をシュミレーションしながら歓談したと報じています(産経)。

宮台氏によると、首相は今回の人事に関し「誰々が続投したらどうなる。誰々を辞めさせたらどうなる。どっちの方が混乱が大きいだろうか」というシミュレーション話に花を咲かせたという。人事をめぐる構想を第三者に軽々しくペラペラと披露する首相には、この人事が日本の将来を左右するのだという自覚があるのだろうか。

 支持率低迷の中での内閣人事で抜擢された人物には、今にも倒れそうな屋台の骨を支える力量が問われるし、女房役の官房長官の椅子に誰が座ることになるのかとメディアもざわめいているようですが、このような首相の発言が事実だとすると、職に対する自覚が足りないと言われても仕方ないかなと思います。が、話す相手を見極めることも大切です。菅さんは、それで失敗してきたことをお忘れですか。
 菅さんの失敗談はさて置き、菅さんの内閣改造に関して、各論ではなく根幹部分で検討されなければならないのではないかと、切に思うようになりました。この際、期待するかしないかは置いといてです。
 昨日、極東ブログの「中国が模範とすべき日本の断念、ってか」(参照)で、フィナンシャルタイムズに寄稿されたデビット・ビリング氏の「日本は、経済成長より大切なものが人生にはあると気づいた(Japan finds there is more to life than growth)」で、日本を風刺する部分に出てくる日本は、最終的にはこんな風にまとめられています。

「国家の仕事が経済活力の増進になるなら、日本はどん底まで落ちた状態である。しかし、日本がなんとか市民の雇用を維持し、社会を安全に保ち、経済的にも快適であり、長寿に暮らせるなら、それほどひどいことなったと、いうもんでもないんじゃないの。」(極東ブログ訳) 

 実は、この記事がTwitterで流れる前に一読していて、その時、私の生き方を問われたと感じて気になっていました。風刺や嫌味とも取れますが、言われている論点を読むと、政治家が日本をどういう国にしようとしているのか、私は、どう生きるのかを考えさせられました。幸いなことに、まだ高齢者の部類ではない私世代は、辛うじて日本の働き手の仲間でもあります。ビリング氏の言い草を「あはは、言われちゃったな」と、笑ってやり過ごすような平和ボケでもいられないと思いました。
 確かに大満足はできないまでも貧乏と言いながらもそこそこの食事に恵まれ、何とか生きている人も多い日本です。また、政府に大きな期待をかけずとも、このまあまあなまったり感で手打ちとすることもできますが、そうも言っていられない気持ちになりました。日本経済の立て直しの意味は、今よりも良い暮らしのためと言うよりは、貧しても安全保障を確保することに回さなくてはならなくなる時代だと思います。そういう視点が、この政府に一切ないのが不思議です。大きな疑問を持ったのは、武器輸出三原則の見直しをどうするかという決断に迫られた段階にもかかわらず、反対している社民党を政権維持のために抱き込んだ時の判断です。後で報じられたことによると、アメリカと共同開発が予定されていた弾道ミサイル(BMD)の契約を破棄されたようです(参照)。
 また、私がこの政府に困惑するのは、菅さんの年頭挨拶で言われた(参照)「社会保障」や「税制改革」の目指す方向が見えない点です。見えるのは、菅さんの目線は、国民に向けられている以上のことも未満のこともなさそうなのです。こっちを見て政治を是正しようとするのは野党の仕事で、政権を担当している政党には、日本の今後をどうするかの根幹を考えていただきたいものです。
 襟を正すと言う意味で、ビリング氏の冷ややかな目線はとてもありがたいことかもしれません。
 首相が誰と居酒屋で歓談しようと構いませんし何を話されても結構ですが、後で言い改めたり言いっ放しになるのは情けないと批判されるだけです。菅さんは、自分が種を蒔いていることに気づいていないようですね。それでいて「評価されない」「気持ちが萎える」はないと思います。鳩ポッポが言い残した「国民の皆さんが聞く耳を持たなくなった」に匹敵する言葉です。
 それでも私は、静かにこの政府を応援はしますが。

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2011-01-07

「マイナス金利政策」が年明けのプレゼント!ファイナンシャルタイムズやるなあ

 年明けの5日、菅さんの声を久々にニュースで聞いたのは年頭記者会見でしたか、早速、党内の人事に言及されていました。野党で問責議決されてる仙谷官房長官の人事は、通常国会を無事に開催するための対策として不可避な課題でした。クリップした読売記事によると、後任に江田五月前参院議長の名前が挙がっているらしく、前原外相と岡田幹事長は続投させる意向だと報じていました。仙谷官房長官に関しては更迭ではなく、党の要職に充てるとしながら、同じく問責議決を受けている馬淵国土交通相は交代させるという意向を知りました(参照)。
 国会運営上、野党の申し出に何らかの形で体裁を整える必要上、仕方のない事だとは思いましたが、昨日の「内閣改造」という言及に、他にどこをいじるつもりなのか疑問に思いました。野党対策以外に他の部分の何が問題だと言うのでしょうか。まあ、問題だらけだとは思いますが、人材的にもこれと言って思い当たる人物はいませんし、今より良いものが新たに生まれる可能性はない民主党なので、「改造」となると意味不明です。
 また、この増税が「消費税増税」だったと知ったのは、極東ブログ「フィナンシャルタイムズ曰く、菅首相の税制改革の心意気や良し、されども……」(参照)で引用されている産経の記事でした(参照)。増税増税と仄めかしているうちには国民の耳も慣れ、「まあ、仕方がないかぁ」と、官僚の思う壺になるのは何時かな、というくらいのスタンスだと思っていましたが、それが「消費税」と特定されているとあっては無視できません。
 これには流石の私も強く反応してしまいました。デフレで消費税など上げた日には、国民の生活意欲は削がれて今以上に消費どころではなくなるわけだし、経済が停滞すれば増税しても税収は減るというのが道理です。そもそもデフレで物価は下がっているので、増税しても知れているのが消費税です。ですから、国民生活に直結する消費税の増税にだけは反対です。また、日銀がゼロ金利政策をとっても企業はお金を借りるわけはないし、リフレ政策によってお金を沢山刷ってばら撒いても、購買意欲もなく設備投資にも関心が向かないのがデフレなのです。お金があっても経済が動かないのは、企業がお金を貯め込み、お金持ちが投資や債権を買うような動きがないので仕方がないとは言われています。
 政府は、昨年末の補正予算で40%だった法人税を5%引き下げた上で、菅さんは「雇用増大に充てて欲しい」と要望しましたが、そんなことは企業の勝手でしょ、と。生産が停滞しているのでこれ以上の雇用は必要ない状態です。で、次は消費税増税と、どうしてそうなるかな?

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消費税「増税」はいらない!
財務省が民主党に教えた財政の大嘘
高橋洋一

 これに対して経済学者で元財務官僚の高橋洋一さんの著書「消費税『増税』はいらない! 財務省が民主党に教えた財政の大嘘」(講談社)を読むと、消費税増税するに匹敵する政策をバランスシートに照らしながら理路整然と説明されています。で、学者の書く本を読むと、ますます菅さんがアホに見えてしまうのです。菅さんの経済音痴は既に有名になってしまっていますが、私も今年は下品ではいたくないと思いつつもどこかに「正しさ」の刀を振り下ろす用意があるのかもしれません。
 そう言いながらも増税に賛成な部分として、お金持ちからは累進的に課税をするのはよいと思っています。あるところにはあるのがお金です。これは、戦後の自民党政治からの流れで、お金持ちはどこまで行ってもお金持ちで、貧乏人はどこまでも貧乏で終わる日本の構造を解体する意味でも賛成です。余談ですが、「アメリカンドリーム」という言葉が昭和のころ流行って、これは、アメリカという国は無一文の無名人がある日億万長者にもなれるような実力主義の社会構造だと憧れたものでした。
 ファイナンシャルタイムズの提案は、増税の切り口としては大変魅力的です。極東ブログの訳を引用させてもらいます。

「日本政府は借金で首も回らないが、家計はそうではない。財産と預金への課税は政治的には難しいかもしれないが、日本人が保有する私的財産は肥沃な課税源である。財産と預金に課税することで、貯蓄を削減し支出を増やすことができる。これこそ、日本が必要としていることなのだ。」

 柔和な感じに書いている記事ですが、この預金者とは私のような貧乏人ではなく、富豪クラスの富裕層のことです。また、お金を貯めこんだ私企業などがそのターゲットです。「マイナス金利としてリフレ政策と同じ効果を持つ」とコメントされている通り、デフレの状況ではこの政策が効果を発揮するといわれていて大変魅力的です。が、前例がないのがこれまたネックになりそうです。日本の場合は。
 以前何かで読んだものに「マイナス金利」がデフレの究極の打開策と書いてあり驚いたことがありました。金利というのはついてくるおまけのように思っていましたから、「マイナス金利」という言葉自体が耳慣れなかったのですが、要は、現金、預金、国債の残高に課税することで、実質金利をマイナスにし、手持ち資金を株式や不動産、設備投資などへシフトさせる政策のことです。
 「お金を貯め込んでいると課税しますよ」と菅さんが言い始めるだけでも効果が得られるかもしれません。何かに運用しようかなというきっかけを作り、実際にお金が動き出せばデフレスパイラルからの脱却が始まるというものです。日銀が刷ってばら撒いてくれたお金が市場に出回り始め、国民生活に活気が出てくるという相乗効果にも期待できます。
 これ、魅力的です。
 が、「増税」に対して敏感な国民が、しかも多くの支持を得ている高齢者の虎の子をターゲットにすると、直ぐに政権交代だ、やれ首相降りろと始まるのが日本なのです。しかも、貧乏人の僻み根性だと、お金持ちから跳ね除けられてしまいそうな政策かな。
 菅さんが自らの「政治生命をかける」と言うなら、世界が応援するような「マイナス金利政策」にでもかけてみたらどうかな、と思います。ファイナンシャルタイムズが提案するということは、世界を見方につけているも同然です。私も及ばずながら応援に回りますが、どうでしょうか。

追記:日本のデフレ不況にマイナス金利政策を推奨する深尾光洋さんの解説が分りやすいのでリンク先を参照されたし。☞「マイナス金利政策を検討せよ」

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2011-01-06

ルールを作って遊ぶゲームの面白さ-UNOのチャレンジルールは知らなかったなぁ

 今週の9日は何の日か?って、決まっているじゃん、うちの真ん中の息子の成人式。それと、ダルフール南部の独立を問う選挙の日。どっちの話題にしようか、書くことに迷いが生じて思案中でした。が、考えてみると、息子の成人はとっくの昔(昨年の5月)に過ぎている話で、成人式だからとて特に書くこともない。強いて言えば、出てきそうな話は、私がいかに年を食ってしまったかだし。 
 ダルフールの選挙の話は、日が近づいてきてから日本のメディアが少し報じ始めたかな、とは思うものの、ざっと見ても新しい話はなしで、私が最近書いてきたダルフールの状況には進展が見られません。というか、悪くなる一方だとは思います。
 激戦地の一つとなっている中部の油田地帯・アビエが話題の中心になっているのは、南北が分け合おうとする油田の権利や債務に関しての解決が必須であるにもかかわらず、二割ほどの実確定地域が残っている現在、選挙後に平和的に解決されるのかどうかが懸念されている状態です。北部に残留を希望するアラブ系遊牧族ミッセリアを有権者に含めるかどうかが目下の南北の協議が難航している原因で、この対立により、北の支援を受けるミッセリアとスーダン人民解放運動(SPLM)が衝突する可能性が高くなっているもようです。
 こうしてスーダンの状況を追っていると、対立の原因が南北の占有権になり、それが油田の所有を巡る利害の衝突となり、そこに加勢するSPLMが加われば戦争の火種を新たに作り出すという具合に拡大して行くようです。仮に選挙が行われても問題は残るということがはっきりしているだけに、気の休まらない毎日が続きそうです。
 さて、ダルフールの話の後に続けて書くようなことでもないかと少し気が引けますが、極東ブログでUNOのチャレンジルールについて書いているのにはドキッとしました(参照)。こちらの話はカードを使ったゲームの話で、戦争の話じゃなくてよかった。それにしても、何故このルールを思いつかなかったのか、それが悔しい。
 昨年末からいろいろ紹介されているお遊び系がたまらないのです。足を突っ込むと抜けなくなるのがゲームなので、困りものです。で、この歳こいてゲームが何故面白いのだろうか?ゲームを開始する前に、一応講釈しないとバツも悪い感じがするほど偏見もあるのです。ゲームは子どもがすることだと思っている節もありますが、正確には、大人が暇つぶしにやること、と言い換えたほうがよいかもです。
 私と同世代と少し上の世代の友人に、パソコンのゲームにはまっている人が数名いますが、暇があるとパソコンのゲームを、しかも同じゲームを延々とやるのです。私?私はそれほどの暇はないのですが、昔、はまった時期が極短くありました。あの熱は何だろうかと不思議です。子どもの頃のお正月のゲーム遊びで培ったものがあるにはあります。少し年齢が上に行くと、自分達ルールに変えて遊ぶのはもっと楽しい遊び方で、誰とはなく知恵を寄せ合って、ゲームのルール作りをやって終わるということもありました。それが遊びだったような、UNOの話から懐かしい思いが蘇ったようです。
 ゲーム好きの始まりは、UNOとかオセロ、チェス、ダイヤモンドゲーム、モノポリなどリアルのゲームとして良くやった口ですが、テレビ画面でマリオを始めてやったときは快感でした。要するに、5歳くらいの子どもが熱中するのとはちょっと違って、私世代は子どものころに経験したことのないヴァーチャルリアリズムってやつに快感があるのです。ちょっとしたカルチャーショックな部分でもあります。カードを切ったり、敵の陣地から奪い取った兵士を並べ替えたり、マージャンで言うならパイをガラガラ混ぜて積む作業などがボタンひとつでリセット出きちゃうwアラ不思議~!みたいな感激がまず走って、背筋がゾクゾクしたのを覚えてしまったのです。大人になってからこの感覚を知ってはまった暇で家にいる友人や、お客さんを待つ間にちょっとねという美容師の友人達にとっては都合のよい暇つぶしなのだそうです。私は、最近はゲームは全くしなくなりましたし、やったのもほんの短い期間でしたが、再燃する自信はたっぷりあります。病み付きにならないのは、5歳の子どもとの違いかもしれません。大人なので、直ぐにぴたっとやめられるということもあります。
 紹介のUNOは、iPhoneのアプリケーションで一人ゲームもできるらしい。時代は変わったな、と思います。子どもが成長期には絶対にファミコンは与えないと頑張った母が、今だから明かす「昔ゲーム好き」とはね。
 説明の、チャレンジのルールは私も知りませんでしたが、ドローフォーに「嘘」がつけるのなら、この感じはポーカーのようでもあるかな。嘘に引っかかった時、子どもならくすくす笑って嬉しさがこぼれてバレルというような光景が浮かんできました。確かに、正直者は一人もいないということが前提になるので、ゲームが緊迫するでしょう。
 因みにiPhoneアプリでみると、「UNO」で検索をかけると沢山の類似ゲームが出てきます。まさかの「有料¥115」もありますが、無料の「UNO」で試してみましたが、数回でゲームが終了してしまうので物足りない感じ。やはりこのゲームは、リアルにカードを使ってやるのがよさそうです。

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2011-01-05

極東ブログ「[書評]近江から日本史を読み直す(今谷明)」を読んでいたら近江八幡の旅に出たくなった

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近江から日本史を
読み直す
今谷 明

 書評なので紹介の書籍を買って読むのが順当なのですが、それよりも近江八幡への旅が魅力的になってしまいました(参照)。
 旅というと、電車やバスで乗り継ぎながら軽装でパイキングスタイルが良いなあなどと地図を見ながら妄想している時、ふと思い出したのは、数年前岐阜の揖斐郡に住む友人と訪ねた伊賀の里と信楽の里の里山歩きでした。あの時は、車で名神高速で竜王で下り、近江八幡とは反対方向へ南下したのでしたが、美しい山の景色は忘れません。ことに、長野の山々との比較で京都付近の山に感じるのは、高い山が聳え立つのではなく、広い平らな岡に小高い山が続くと言うようなスケールの小ささはあるものの、木々の美しさが目前に広がるので、歩いてそばに寄っていきたくなるような衝動に駆られるのです。
 あの時の旅は、早朝に揖斐川町をでて夕方までに帰着すると言う予定だったため、ほとんどが車の移動でした。そのせいか、足早に通り過ぎた感が残っていて、それは物足りなさでもあることに気づきました。

大きな地図で見る 早速、お勧めの坂本から比叡山、京都へ下るルートを地図で当たってみると、名神高速の京都東インター付近を通り過ぎると背後に比叡山が見えるような角度となり、死角に入ってしまうようです。そういえば思い出した。名神高速で京都の碁盤の目のような通りを下に見ながら山のある方へ向かう登りの左手が比叡山の位置でした。黄色い土の色が印象的で、粘土質なのだろうか、焼き物にはこの土が良いのだな、などと思って通りかかったこともありました。
 園城寺(おんじょうじ)とは、三井寺(みいでら(参照)のことで、この寺の背景に壬申の乱で敗れた弘文天皇の菩提を弔うため、皇子の大友与多王が天武15年(686年)に建立したと伝えられています。私も壬申の乱位の歴史は覚えているぞ、と、なんとなく身近に思えるから不思議です。

Chizu14z

 境内諸堂配置を見るとかなり広いという印象から、極東ブログで書かれている「一泊二日で初日園城寺を見て、翌日は坂本から叡山を訪ね、京都に下るという旅をお勧めしたい。」の部分に納得です。昼前にこの寺に着き、午後はこの寺でうろうろしているうちに夕方となります。宿にチェックインして入浴後食事をしてゆっくりすると、翌朝一番で比叡山に登りたくなるというものです。うふふ。なるほど、これは良い感じがします。
 そして、今年のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の主人公江崇源院の名前の「江(ごう)」の由来が「近江」からではないかという推察を知って、どうも気になり始めました。

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街道をゆく〈24〉
奈良・近江散歩
司馬遼太郎

 さて、紹介の「近江から日本史を読み直す(今谷明)」で歴史を押さえて司馬遼太郎の「街道をゆく〈24〉近江・奈良散歩を参考に観光ルートを作ってみようかと早速注文してみることにしました。旅のほうは、春先が良いような秋口が良いような、どうしようかと迷ってしまいます。揖斐の友人を早速誘ってみることにします。

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中華民国建国100周年の記念に何か問題でも?台湾の気持ちが分る気がする

 今年は、「辛亥革命(しんがいかくめい)」の勃発から100周年に当たるということをネットのニュースで知り、さしたる感慨も私にはないのですが、50周年があれば92周年もあり、100周年と言えば何かとキリの良い数字ではあると思って記事を読んでいました(産経2011年1月4日)。
 中台問題は永久に変わりようはないと思っていますが、昨年の台湾の選挙では与野党の勢力が互角になったという結果が出ていることもあり、台湾の独立志向に何か変化でも起こるのかという期待のようなものがありました。記事には、中国と台湾側のそれぞれの取り組みを取り上げています。

 1911年10月10日に勃発した辛亥革命の成功により、孫文を臨時大総統とする共和制国家「中華民国」が成立した。しかし孫文らが19年に結成した中国国民党は49年、中国共産党との内戦に敗れて台湾に政権を移し、「中華民国」を名乗り続けている。

 気になるので付け加えますと、「中華民国建国」は、辛亥革命後の翌年1912年1月1日、孫文によってアジアで初めての民主共和国である中華民国を宣言した日で、この年を数えて今年で100周年というのが正確だと思います。国慶節については、中国と台湾と蜂がいます。台湾の国慶節は10月10日、中国は10月1日です。

 このため台湾側は辛亥革命の意義を共和制の確立に求めている。馬英九総統は辛亥革命の蜂起から99年となった昨年10月10日の「双十節」で、「両岸(中台)は現時点で法的に(国家として)認め合うことは不可能だ」と指摘。そして辛亥革命そのものよりも、「中華民国100年」を祝賀する方針を改めて強調した。

 一方、49年に「中華人民共和国」を成立させた共産党の中国は「中華民国」の存在は認めず、清朝打倒による満州族支配からの漢族の解放と、数千年に及んだ君主政治に終止符を打ったことに歴史的な評価を与えている。
中国の国務院(政府)台湾事務弁公室スポークスマンの楊毅氏は昨年12月29日の記者会見で、「両岸は辛亥革命100周年の記念行事を共同で実施すべきで、両岸の団結と中華民族の復興にも有利だ」と述べた。
中台の経済協力枠組み協定(ECFA)は1月1日付で発効している。中国は「先経後政(経済問題を先(ま)ず解決、その後に政治問題を解決する)」を基本戦略とする台湾統一工作において、ECFA発効をステップとし、辛亥革命100周年を政治的接近のチャンスと位置づけている。

 この記事の通りだとすると、台湾は革命より自国の建国を祝う方針です。これに対して中国は、台湾の「中華民国」の存在を認めていない上で「中華民族」の結束をより強化するために合同式典の必然性を訴えているようです。
 文脈的には、中国が台湾を吸収しやすくするのが目的だと言っているようなものですが、昨年末の台湾の選挙の結果が示すように、与野党勢力が互角になったため少し変化が現れています。台湾の最大野党である民進党は、独立志向が強いと言われていますが、経済面では中国との関係を重視していると思われ、その点に関しては与党である国民党と同じ立場をとっているということです。いずれにしても、現段階での台湾独立は難しい上、中国の大きな経済力に寄り添うことが「ひとつの中国」となることを望むではないにしろ、この曖昧な状態を維持するしかないかと思います。
 一方、台湾国民はどういう反応かと世論調査を見ると、中国との統一を望まないが31%で微増、統一を望む割合は14%と10年前に比べ半減し、51%が現状維持という結果でした。この現状維持とは、「統一せず明確な独立宣言もせず、事実上の独立を維持する」という曖昧な状態を望むという傾向です(産経2010.9.23)。
 この結果から、政府と民意が一体となっている状態と言えるのだろうか。そうだとすると、これ以上国民にとって嬉しい政府の姿はありえませんが、問題は、成長を続ける大国である中国の影響力のもとで現状維持する事の方が、政治的に難しいのではないかと思えます。日本と中国の関係においても、利害関係を維持しつつ主張を通すことは困難な相手国です。まあ、日本の政治家の脇が甘いからかもしれませんが。
 では、中国の国民感情はどうかと思えば、台湾を訪れる中国観光客が増え続けているという事態を知り、これがそのバロメーターとは言いがたいですが、どうも、中国では発売禁止の本が購入できる台湾の本屋が観光スポットになっているらしいのです。(毎日12月26日)。

 観光名所にもなっているのは、台湾でチェーン展開している大手書店「誠品書店」。24時間営業の同書店敦南店では、夜になると中国人観光客が最後の「観光地」として訪れるという。

 投資関連の本も人気は高いが、「国家の捕囚-趙紫陽の秘密録音」▽「趙紫陽軟禁中の談話」▽「マオ 誰も知らなかった毛沢東」▽「毛沢東の私生活」▽「張学良の口述歴史」--など、かつての指導者の口述記録や側近者による回顧録などは根強い人気を誇る。この5冊は中国人観光客向けの「常備商品」とされている。

 この現象をどう読むか?中国が共産党による一党独裁を維持するために、情報管理に神経をすり減らす涙ぐましい努力の甲斐はあまりない、と見るのが妥当でしょうか。
 塞いでも塞いでも隙間から情報は出入りし、中国国民の知る権利を認めない独裁政治がいつまで持ちこたえるのだろうか。維持するのが難しくなると、周辺国を中国化することに余念のないのが中国で、日本占領だってありうる話です。
 それとも、中国独特の理屈を通すことが困難になり、いつかそれを是正する時が訪れるとでも?
 それは無理。中国国民が民主化を望めば弾圧がさらに激しくなる軍の方が政府よりも力があるのです。この構造を改革することができるとは思えませんし、習金平国家副主席が胡錦濤主席の事実上の後継者に確定していますが、軍に対して強い影響力を望める人物ではなさそうです。

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ネットで「国慶節」を調べるといろいろな解釈が出てきますが、何ともあやふやで誤解もや混乱があるようです。もしやと思って極東ブログを調べてみたら「国慶節に思う」(参照)で言及さていました。

 今年は中華民国建国九十二周年になる。常識なので言うも恥ずかしいがインターネット馬鹿曠野に戸惑うこともあるので書くと、民国建国は1912年、つまり大正元年と同じだ。今年は大正92年なのである。大正年を思えば明治は遠くなりにけりともいえるが、祖父母が明治年の生まれであることを思えば、民国成立の時代はそう遠いものでもない。夏目漱石の「心」にもまだ共感できる。現代が始まった時代だともいえる。1914年に第一次大戦が終わり、1917年に脳天気なレーニンの勘違いで始まったクーデターがひょんなことでロシア革命になった。
 民国成立について台北駐日経済文化代表處のページには、86年の李登輝の祝辞も残っていた(参照)。ちと長いが国慶節というものの説明のために引用させてもらう。

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2011-01-04

4月の大統領選挙を目前に相次ぐテロとナイジェリアの抱えている問題

 スーダン、コートジボワールと、アフリカでの内戦をこのところ取り上げていますが(「アフリカの大統領選挙と国際社会との関係の変化」)、アフリカに関して日本で報じる記事が少なく、それが関心のない由縁だとしたら西側先進国としてはいただけません。アフリカのテロ過激派による殺害行為やジェノサイド(集団殺戮=さつりく)は、先進国では考えられないような理不尽な理由で横行されているのも逃せないことです。また、その原因を辿ると、貧富の差や民族の違い、宗教的な対立などの様々な要因があるため、アフリカという大陸に存在する無数の国々ではきっと大同小異の多くの衝突が起きているはずです。
 昨日はナイジェリアで起きたテロに関する記事を目にし、スーダンやコートジボワールとはまた違った背景があるのでクリップしておくことにします。
 昨日、Twitterでも目に止まった記事ですが、アフリカ随一の産油国であるナイジェリアで相次ぐ爆弾テロや武装勢力による攻撃により、2日までに少なくとも97人が死亡したと報じていました(朝日2011年1月3日)。

 中部の都市ジョスでは12月24日、爆弾が爆発、80人が死亡。同日と29日には別の中部の都市でも、キリスト教会が放火されるなどして、計13人が犠牲になった。さらに、31日夜、首都アブジャの市場で爆発があり、4人が死亡、26人が負傷した。ジョスの事件では、イスラム武装勢力ボコ・ハラムが犯行を認めた。

 ナイジェリアはアフリカ随一の産油国だが、恩恵が国民に行き渡らないことへの不満が強く、イスラム過激派暗躍の背景になっているとされる。
同国では大統領は南北出身者が2期ごとに交代するしきたり。ところが、北部系の前大統領ヤラドゥア氏が昨年、1期目途中で病死し、南部系のジョナサン氏が後を継いだ。このため北部ではジョナサン氏続投への警戒感が高まっている。

 12月24日という日を特定してキリスト教会などが襲撃を受けたことから、宗教的な抗争かと思われるのですが、ナイジェリアは、キリスト教とイスラム教の割合は、二分されていると聞きます。この24日に関して何が背景になったのか調べてみると、毎日が27日に報じています(毎日2010年12月27日)。

 騒乱のきっかけになった連続爆弾テロは24日夜、同州の州都ジョスと周辺で発生した。キリスト教系住民が集まる市場など7カ所で次々と爆発が起き、32人が死亡、74人が負傷した。犯行声明は出ておらず、警察当局が捜査を続けている。

 さらに同日、ジョスの北東約520キロのボルノ州の州都マイドゥグリで、二つのキリスト教会が武装集団に襲撃され、牧師ら6人が殺害された。警察当局はマイドゥグリに拠点を置く「ボコ・ハラム」と称するイスラム過激派組織の犯行とみて捜査している。

 爆弾テロと教会襲撃の発生地は遠く離れ、両事件の関係は不明。だが、両事件ともクリスマスイブに多数のキリスト教系住民が犠牲になったため、プラトー州の一部のキリスト教系住民の間に「爆弾テロはイスラム教徒の犯行」との風評が広まり、イスラム教系住民との衝突に至った。AFP通信によると、ジョスの市街地で26日、建物が炎上し、死傷者が出ているという。

 プラトー州のデービッド・ジャン知事はAFP通信に「(テロの)狙いはキリスト教徒の反イスラム教徒感情をあおり、新たな暴力を生み出すこと」と述べ、住民に平静を呼びかけている。

 同州では、この地に先に定住したキリスト教系住民が教育や就職などで優遇される実態があり、不満を抱くイスラム教系住民との衝突、報復の連鎖で今年だけで約1500人が死亡している。

 イスラム過激派による襲撃と聞くとアルカイダの影響は受けているとは思いますが、ナイジェリアの場合は、イラクや、昨日取り上げたエジプトでのアルカイダ主導テロ(参照)と異なり、南北対立に起きたビアフラ戦争が背景にあると思います。ナイジェリアの南北対立の背景を物語るのに欠かせないのがイギリス植民地であったことの影響で、それが、教育レベルの違いを生み出す原因になっているのは皮肉な話です。
  キリスト教徒の多くはイボ族で、東部に油田が見つかり、工業化が進む中、北部のハウサ族とヨルバ族の一部が連邦を支配しようとしたことを端にビアフラ戦争 (1967-1970)が始まりました。この戦争の傷跡として世界に報じられたのは、お腹だけが膨らんだ大きな瞳の幼い子ども達の飢餓で、世界の多くの国 が支援をしてきたこともあり「ビアフラ」の知名度は高いです。
 これらの歴史的な背景からも、イボ族に何かと反感を持つ北部がキリスト教徒を狙い撃ちする理由は、ビアフラ戦争の素地から由来するものであることははっきりしています。
 また、3日朝日が報じている通りだとすると、就任中であった北部の前大統領が死亡したというアクシデントによって、大統領任期に関するルールを一時的に不規則にしたことが原因しているということになります。それが引き金で襲撃事件にまで発展し多くの犠牲者を生んでいるという事実は、受け止める以前にあまりにも日本の環境と違い過ぎます。
 また、現在のナイジェリアが抱える問題は多く、特に、子どもの栄養失調の問題が改善されていない原因となっているのは貧困問題だけでもなさそうです。少し昔の記事ですが、極東ブログの「アフリカの貧困というパラドックス」(参照)では、貧困揉んだではない事を解説しています。また、調べているいるうちに分ったのは、アフリカに言い伝えられている迷信が母親が新生児に母乳を与えない理由だと分り、記事では母親教育の必要性が伝えられています(AFP10年11月5日)

栄養失調児が700万人のナイジェリア、最大の要因は「迷信」

 ナイジェリア国内では北部で特に深刻だ。北東部には、5歳未満児の42%が栄養失調という地域もある。
 要因には、サハラ砂漠に近いため暑く乾燥した気候のほかに、さまざまな文化的要素があるという。北部の4州で栄養失調に関するユニセフの調査に携わっている専門家によると、最大の要因は継続的に母乳が与えられていないことだという。
 通常、生まれたばかりの赤ちゃんには(母乳ではなく)悪霊をはらうための「聖水」が与えられる。新生児にとって極めて重要とされる初乳は「有毒」とされ、誕生後丸々3日間母乳を与えないケースもあるという。また、発熱や黄だんが見られる赤ちゃんには、薬草を調合したものを服用させるという。
 さらに、農村部では母親が出産後すぐに仕事に復帰する傾向があり、授乳する時間がほとんどない。子どもが口にする水も不衛生なことが多い。
 保健衛生の担当者らは、母親教育が必要であり、政府も何らかの対策を打つべきだと話している。

 これらの現状を改善するためにも公正な政治が求められるため、選挙が公正に民主的に行われることが大前提で、4月の選挙の争点もそういった点で争われるべきです。血を流して権力争いすることから、血を流さない選挙が求められていると思います。
 これまでの経緯から、大統領選挙の動向が北部の感情を逆撫でするような状況を作れば、この国は直ぐにでも戦争を始めるかもしれない危機にあると言えます。これを黙って見過ごす気になれず、何か得策はないものかと思いつつも、何もできないジレンマに陥るだけです。
 それにしても、選挙とは、民主政治の象徴であり基本でなくてはならないはずですが、それが正常に行われないということから、アフリカの民主化への道が遠いことを思い知ることになるのは残念です。選挙の度に多くの人が亡くなり、乱闘が起きるこの国を哀れむのは、それこそ先進国のおごりでしょうか。

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2011-01-03

米軍がアフガニスタンから撤退する今年-エジプトに起きたテロの意味は?

 昨年末30日、英米系非政府組織(NGO)「イラク・ボディー・カウント」の調べで、この二年間は鈍化しているとは言え、イラク戦争以降の民間人死者3976人で開戦後最小となった事を知りました。2002年にアメリカで起きた同時多発テロから10周年を迎える今年7月、オバマ大統領の決断によってアメリカ軍はアフガニスタンから撤退を開始する予定です。先行きの見えない戦争としてブッシュ戦争をそのまま引き継いだオバマ大統領の戦法はブッシュ戦争とよく似ているといわれてきましたが、アフガニスタンの治安回復に関わるNATOや西側諸国の負担などの問題解決の見通しもないこの戦争の帰結について極東ブログで触れられていたことが気になっていました(「オバマ戦争」)。

同盟国を巻き込む形で戦闘が進行し、さらに懸念される事態になればブッシュの戦争とは多少異なる帰結になるかもしれない。そうならないことを祈りたい。 

 2003年からアメリカ主導で開始されたイラクでのこの戦争は、ベトナム戦争を抜いてアメリカ最長の戦争記録として残ることになるようです。また、アメリカ軍の死者の数は同時多発テロの犠牲数の約二倍になろうとしていると言われています。
 この撤退が意味するのは戦争の終結ではなく、むしろ、中東でのテロの拡大ではないかと思うような事件が起きています。
 1日、エジプト北部のアレキサンドリアで起きたキリスト教の一派コプト教の教会前で車が爆発し、信徒ら21名が死亡、43人が負傷した事件は、自爆テロの可能性が高いと報じているのを知りました。この事件の前にイラクのアルカイダ系組織「イラク・イスラム国(ISI)」がコプト教会の攻撃予告をする声明を出していたと知り、アフガニスタンからアメリカが撤退するすることは、この戦争の終わりを告げるものでもないと感じます。話は前後しますが、昨年、グランドゼロ近くにイスラム教のモスクを建設する問題で、信教の自由と遺族への配慮という世論がアメリカで二分され、半イスラム感情が根強くアメリカに残っていることを痛感しました。この戦争の意味が何なのか、平和ボケも手伝って私には良く分りません。
 エジプトの車の爆発事件の背景にISIの関わりがあるようなので関連事件として、その背景をクリップしておくことにします。

アルカーイダ系がテロ扇動、国外移住加速も イラク、キリスト教徒受難

➠エジプト:キリスト教会前で爆発 21人死亡、43人負傷(毎日2011年1月1日 16時59分

 爆発は午前0時半ごろ、新年のミサのため約1000人が集まっていたアレキサンドリアのクッデスィーン(聖人)教会前で発生。ミサ終了後に外に出てきた教徒らが巻き込まれた。車の下か中に置かれた爆弾が爆発したものとみられる。

 保健省幹部は国営テレビに、死者が21人に達したと明らかにし、「アルカイダがエジプトの教会を攻撃すると脅していた」と述べた。エジプト大統領府は声明で爆発を「テロ攻撃」と断定。ムバラク大統領はコプト教徒とイスラム教徒に対し「協力して国家の安全と安定を脅かす攻撃に対処しよう」と呼びかけた。

 エジプトのコプト教会に対しては、ISIが「イスラム教に改宗した女性を拘束している」と主張、解放しなければ攻撃すると警告していた。ISIは10月末にバグダッドでキリスト教会襲撃事件を起こし、50人以上が死亡している。

 エジプトは人口の約1割がコプト教徒とされ、イスラム教徒との衝突が起きていた。昨年1月7日には乱射事件でコプト教徒7人が死亡、イスラム教徒の男3人が逮捕された。首都カイロでも11月に教会の建設をめぐり暴動騒ぎが起きている。

 ISIの「イスラム教に改宗した女性を拘束している」という主張で何が問題なのか、この記事の背景が良く分らないので調べてみると、産経が11月17日に伝えていることが背景にあるということが分りました(産経2010・11・17

 ここで言及された女性は、エジプトで今夏、失踪(しっそう)したコプト教司祭の妻、カメリア・シェハタさんのことだ。失踪は家庭問題が原因だとされているが、一部のイスラム教指導者が「彼女がイスラムに改宗したのでコプトに拉致された」と主張。イスラム教徒による抗議デモが頻発した経緯がある。

 エジプトでは過去にも同様の改宗騒ぎがあり、抗議デモが繰り返されている。宗教問題に詳しいエジプト人ジャーナリストは、当局はそうしたデモを一定の範囲内で容認し、「一部の国民の反コプト感情のはけ口として利用してきた」側面もあると指摘する。
 シェハタさん問題では結局、イスラム教スンニ派最高権威のアズハル機構が9月、改宗はデマだと示唆し、エジプト国内ではいったん幕引きが図られた。しかし、犯行声明を機に、イスラム過激派系サイトでは「コプトを処刑しろ」などの書き込みが続出。実際のテロの可能性は低いとみられるものの、当局は教会側への配慮などから反コプト・デモを当面、禁止した。

 この女性が改宗したことがデマであるか否かに関係なく、イスラム過激派はこれをコプト教徒への攻撃の正当化に利用しているということがうかがえます。テロというものは無差別に人の命を奪うことにその意味があるのかもしれませんが、撲滅の日はいつやってくるのかと疑ってしまいます。その理由に、アメリカがアフガニスタンから撤退することは中東のイスラム過激派にとってはさらに活動しやすくなる条件になると思います。そして、アメリカにイスラムを嫌悪する風潮が高まるならば、イスラム過激派の米社会を敵対視する意識に拍車をかけます。また、欧州では、イスラム移民の排除に賛成的な政党が政権を握るようになってきています。
 対して中東では今回のエジプトのISIの活動に見るとおり、イスラム過激派による少数派キリスト教徒への迫害活動は、イラクからキリスト教徒を追い出そうとする動きです。
 「オバマ戦争」と呼ばれるこの戦争の終わり方はどうなるのだろうか、そのようにぼんやりとこの7月のことを思っていましたが、お互いを寛容できない限り、この戦争の終わりを見ることはなさそうです。

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2011-01-01

欧州諸国の経済再建に関わる中国と背景の問題

 財政に苦しむ欧州に、経済力では押しも押されぬ中国が黙って逃すわけはないと、昨日、ドイツを応援しながら脳裏を掠めたのが中国の関わりでした。年内のニュースにまとまらず、この件は年越ししてしまったけれど、引き続きクリップしておくことにします。
 まず、ロイターが12月30日に報じているハンガリーの各種プロジェクトへの出資と、国債買い入れの可能性です(ブダペスト ロイター)。

 タマーシュ国家開発相はハンガリーのニュースサイトindex.huに対し、ハンガリーのオルバン首相が中国の温家宝首相と10月末に上海で会談した際「財政における戦略的な協力関係について検討することで合意した」ことを明らかにした。協議は中国の代表団が1月にハンガリーを訪問する際に続けられるとしている。

 そのうえで「中国がハンガリーの財政に関わることを決定すれば、プロジェクト・ファイナンスから国債への出資に至るまで、形式、手段、規模の面から多岐にわたる可能性がある」とし、中国人民銀行がハンガリー政府が実施する入札を通してハンガリー国債を買い入れることも選択肢の1つとの考えを示した。

 財政面での協力関係を提案したのは温首相で、オルバン首相はこれに賛同したとしている。

 ハンガリーと国際通貨基金(IMF)との支援をめぐる協議は決裂しており、タマーシュ国家開発相は、ハンガリー政府は市場から資金を調達する意向を持っていると強調した。

 ハンガリーの公的債務の国内総生産(GDP)に対する比率は約80%と、中欧諸国の中では最も高い。

 ハンガリーはユーロ圏ではありませんから、目下のところEUの支援を要請する他ないところですが、このIMFとの決裂はハンガリーにとって中国の救いの手にすがる引き金になっていると思われます。どういった背景があるのか調べてみると、4月に政権交代を果たしたオルバン新政権がスタートした時点で、「前政権の財政赤字を過小評価していた」という報道官の発言をきっかけにハンガリーの財政破綻が懸念され、金融不安を招く引き金になるという連想からユーロは大きく売り込まれたようです。
 また、2008年にIMFから受けた支援の条件に2010年までにGDP比3.8%を達成するために新銀行の導入し、財政再建検策をとって火消しに回った結果、破綻を回避するまでに至っています。
 ところが、IMFからの支援を仰いでから緊縮財政に舵を切った結果、マイナス経済成長を続け、税収見込みも大きく下回る結果を招いてしまい、GDPは4%を上回ってしまったという経緯があります。
 オルバン新政権は、緊縮財政に反する減税を掲げて選挙に勝利したため、方針転換は刻への裏切りとなるのは必須です。また、IMF管理下にあったアルゼンチンと同じ轍を踏む可能性として、2005年4月、増税と歳出削減を発表した時に国内に暴動が起き、対外債務支払い停止に追い込まれたという経緯も教訓となっています。
 仮にハンガリーが財政破綻すると、日本にとってのインパクトはギリシャ以上であることは間違いないです。また、オーストリア、ドイツ、イタリアの銀行が多額の融資をしている中で、オーストリアは与信残高は370億ドル近く、これは突出した金額でギリシャへの与信残高の8倍に及ぶと言われてます。ハンガリーが財政破綻すれば連鎖的にオーストリアへの金融不安は相当に大きくなるのは確実です。
 中国が世界戦略を企てていると見て調べてみるといろいろ出てくるのですが、ポルトガルに関しても少し気になります(北京 ロイター)。

 [北京 23日 ロイター] 中国外務省の報道官は23日、中国はユーロ圏諸国が経済の健全性を取り戻すための支援をする用意があると表明した。
 外務省の姜瑜報道官は定例会見で、ユーロ圏は中国の外貨投資にとって最も重要な地域の一つだと述べた。
 22日付の金融時報によると、欧州当局高官は王岐山副首相とのハイレベル協議の後、中国側が欧州の金融安定支援に向けてより「協調的な措置」をとることを提案したと語った。
 これとは別に、ポルトガル紙は22日、中国が40億─50億ユーロのポルトガル国債を購入する用意があると報じた。

 EUではますます中国様様となる気風が高まるとは思うのですが、中国のこうした戦法には必ず交換条件がつきます。足元をられてしまうとロクなことはないのは常です。中国はどのような交換条件を出しているのか調べてみると、EUが中国に対する武器禁輸措置を解除する可能性も報じられています(毎日12月30日)。中国から巨額の融資を受ければ中国の発言力も調子付いてくるのは目に見えていますから、起こるべくして起きていることです。

 【ブリュッセル福島良典】30日付仏紙フィガロは欧州連合(EU、加盟27カ国)が来年前半、中国に対する武器禁輸措置を解除する可能性があると報じた。EUは89年の天安門事件以来、禁輸を継続しており、中国から再三、解除要請を受けてきた。
 EUのアシュトン外務・安全保障政策上級代表(外相)は17日のEU首脳会議に提出した外交方針文書で、武器禁輸について「外交・安保でEUと中国の協力を強化する上で主要な障害になっている」と指摘、解除の検討を提案していた。
 フィガロ紙はアシュトン氏側近の話として、禁輸解除が「迅速に進む可能性がある」と伝えた。解除にはEUの全加盟国の同意が必要。EUは来春にも外相会議で対中政策を討議する予定だ。
 フィガロ紙によると、対中関係強化の観点から早期解除が望ましいと考えるスペイン、フランスに対し、英国、オランダ、ドイツなどが異を唱えてきたが、反対論は次第に弱まりつつあるという。
 中国は最近、財政再建下にあるギリシャの国債を購入する用意を表明するなど、ユーロ安定を支援する姿勢を打ち出し、EUに対する影響力を強めている。

 中国の武器輸出に関しては節操もあったものではなく、先日「インドが抱える国際関係と内政の問題」でも触れたように、インドとパキスタンの関係を知りながらも堂々とパキスタンに核施設の支援を行ったり、アフリカ・スーダンへの武器供与を否定しながらも中国製の弾薬が発見されるなど、国際社会のルールを守らない中国に対する批判も大きいです。しかし、その中国の融資を一度受けてしまえば何かしらの見返りを期待され、それが武器輸出解禁への道を譲ることに発展してしまうのはなんとも残念なことです。
 また、EU各国対中国との利害関係が個々に結ばれることによって、EU諸国全体がまとまりにくくなるのは避けられません。この状況を中国が目論んでいたとすれば、中国への圧力は軽減されるという漁夫の利を得るのは中国で、これはかなり強かだと思います。が、これが中国。
 昨年は何かと中国に振りまわれたか弱い日本でしたが、欧州諸国も中国に足元を見られてしまったら、もはや蛇に睨まれた蛙も同然です。中国の政治経済・軍事パワー全開の口開けが昨年なら、今年はどのような嵐が吹くというのか。

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