2011-01-22

2005年ハリリ元首相暗殺事件を背景に不安定なレバノンの状況

 中東のレバノンが不安定な状態になりつつあります。少しさかのぼって今月12日、イスラム教シーア派組織ヒズボラ系の閣僚11人が一斉に辞任したことで、スンニ派のサド・ハリリ首相が率いる政権は、一年二ヶ月で崩壊しました。
 レバノンと言えば、1975年から15年間続いた内戦の要因となった宗派主義が根強く残っている国で、旧宗主国のフランスによって中東にキリスト教国を作るために、キリスト教徒の多い地域との間に国境を設けた影響があります。そのため、存在するその他の宗派も公認した上で、政府の役職や議席数を振り分けする独自の宗派体制を敷いたのですが、18の公認宗派の中の主にイスラム教徒を中心に不満が蓄積し、それが内戦へとつながったことが経緯にあります。

Syriamap

 現在でも大統領はキリスト教ロマン派で、首相はイスラム教スンニ派、国会議長はイスラム教シーア派の出身者から選出すると決められ、議席数も固定化されて割り振りが決まっています。この構造は内戦時代の縦社会そのもので、お家柄で指導者が決まっています。建国に際してフランスの関わり方がこうして植民地から独立後の今でも尾を引いていると思われますが、こうした議会の構成が原因で様々な衝突を繰り返して今のレバノンがあります。
 今回のレバノン政府の崩壊の主な原因は、2005年、レバノンのハリリ元首相が暗殺された後の裁判の動きによるもので、関与を否定するヒズボラが、暗殺された元首相の次男であるハリリ現首相にレバノン特別法廷への協力を拒否するよう要求したのに対し、首相がこれに応じなかったためヒズボラ系閣僚が辞任したと報じています。
 また、ヒズボラでは新たな反発の動きが見られるようです。(産経)。

特別法廷では今後、予審判事が6~10週間かけて十分な証拠があるかなど起訴状を審査。その後、正式に起訴され裁判が始まる。正式起訴まで容疑者名は明らかにされない。

 連立内閣の崩壊を受け、スレイマン大統領は週明けにも新政権樹立に向け各政治勢力との協議を始める。ただ、ヒズボラはハリリ首相再任を拒否する姿勢を崩していない上、双方に緊張緩和を働きかけてきたシリアやサウジアラビアの仲介も暗礁に乗り上げており、協議は難航が予想される。

 話が前後しますが、2005年のレバノン特別法廷に不服をもっていたヒズボラの最高指導者ナスララ師は、昨年10月、特別法廷の捜査のボイコットを呼びかけ、「提供情報は(ヒズボラを敵対する)イスラエルに渡る」と主張して反発を露にしていました。
 また、当時拘束されていた4名は、ハリリ氏暗殺ではシリアと関係が深いレバノン当局幹部ですが、関与を否定し、証拠不十分で2009年4月に一旦釈放されました。が、今度は国連特別法廷が追訴する観測が強まり、7月、ナスララ師がヒズボラ関係者の追訴の可能性を暴露したため特別法廷を攻撃し始めました。ヒズボラ支持のシーア派や、シリア・イランと反目するスンニ派などの間で武力衝突が懸念されていました(毎日)。
 この時、アクマディネジャド・イラン大統領がレバノンを訪問した際に、ヒズボラ関与は「でっち上げだ」と反発したり、シリアの大統領も10月汎アラブ紙「アルハヤト」で「(訴追は)レバノンを破壊しかねない」と警告していることについて、イランの孤立を狙っているアメリカにとっては、イランとレバノンがくっつくことを避けたいとやきもちしていると報じています。

 米国は核問題でイラン孤立化を狙っているが、ハリリ元首相の息子サード・ハリリ首相が最近、親シリア・イラン姿勢を目立たせており、いら立ちを強めている。米連邦議会の親イスラエル議員は、米政府がテロ組織と認定するヒズボラへの流出を恐れ、レバノン国軍への武器供与を凍結した。米政府のレバノンへの影響力回復は容易でない。

 国連安保理は先月28日、レバノンに関する非公開協議を開催。ライス米大使は「レバノン分断を図っている」とヒズボラ、シリア、イランを指弾。ヒズボラなど民兵組織の武装解除を求めた安保理決議(04年)の履行を検証する国連のラーセン特別代表は「むしろ武装を強化しており極めて危険」と述べた。

 ここで出てくるシリアに対しては、2005年10月31日の安保理で、ハリリ元レバノン首相暗殺に関する決議が採択さています。極東ブログ「シリアスなシリアの状況」(参照)で、当時の様子と、欧米を中心とする諸外国の関わりにも触れています。

 決議はシリアに対して国連の独立調査委員会に無条件に協力(妨害中止)することを求めるというもの。これには被疑者の拘束や資産凍結を含む。全会一致の採択となった。中露も賛成したのは米英仏が折れたため。決議にシリアが抵抗し国際調査委員会への協力を拒否すると、「さらなる措置」とかでチェックメイトになるかもだが、私の印象ではステイルメイトか。

 このレバノン情勢沈静化のために、トルコのダウトオール外相とカタールのハマド首相が18日、レバノン入りして仲介を試みたそうですが、不調に終わり、サウジアラビアも仲介努力の断念を表明したようです(毎日2011・01・20)。
 ざっと流れだけを押さえただけですが、新首相人選は難航するのは必須ですし、政権が不在の状態で武力衝突や宗派紛争の再燃のおそれは充分にあると思います。
 小刻みに変化する裁判状況と、同時反応のようにレバノンの空気が悪化するのではないかと思われるので、今後も注視して行くことにします。

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