2010-12-23

アフリカの大統領選挙と国際社会との関係の変化

Screenclip

 先月、西アフリカ・コートジボワールで行われた南北を統一するための選挙は、内戦が発生して失敗に終わり、元の南北に分断されてしまったのは残念な結果でした。アフリカの各国で行われる選挙は度々国際社会の話題になりますが、難しい問題を抱えています。
 お隣のギニアでも先月選挙が行われ、選挙直後は、コートジボワールと同様に死傷者が出るほどの混乱があったと伝えていますが、最高裁は、選挙の不正を訴えていた側のディアロ氏の訴えを退け、コンデ氏が大統領に決定したという経緯があります。また、1958年フランスから独立後、初めての民主的な選挙での大統領誕生であったようです(毎日)。
 アフリカの選挙が成功しない理由の根本的な理由に、フランスやイギリスの植民地支配によって民族の不平等な扱いによる不満や反発する素地が根深くあり、クーデターや内戦を起こす元となってしまうようです。選挙そのものは今更言うまでもなく、腕ずくで権力を勝ち取るという解決方法を平和的に解決するための手段でもあります。が、この選挙事態が争いの元になってしまうのが困った問題です。この争いの元を辿ると、改めて、いかに植民地支配の権力が猛威であったかを物語っていると思います。また、国連を中心とする国際社会の支援が、アフリカに別の意味で権力となっているのではないかとさえ感じます。
 コートジボワールに話を戻すと、暴力的な手段による「クーデター」として報じているフィナンシャルタイムズの引用に加えたコメントがが印象に残っています(極東ブログ)。

フィナンシャルタイムズの投げやりにも見えるこの論調には、帝国侵略のタネを撒いた西欧の傲慢さというより、すでにその絶望が内包されているようにも受け取れる。

 また、来年1月9日に南スーダンの独立を問う選挙の前ということもあって、情報を追っていたところ、コートジボワールの状態がさらに悪化していることがわかりました(毎日)。

【ジュネーブ共同】国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)のピレイ高等弁務官は19日、大統領選の結果をめぐり混乱するコートジボワール国内の衝突で、過去3日間に死者が50人を超え、200人以上が負傷したとして、人権侵害に深刻な懸念を表明した。

 治安悪化と国連平和維持活動(PKO)部隊に対する活動妨害で調査は困難を極めているが「今後も引き続き事態を注視していく」としている。(毎日新聞 2010年12月20日 東京夕刊)

 さらに、国連主要国からもかなりの批判が出ているようです(毎日)。

➠コートジボワール:大統領退陣要求強まる 各国が制裁警告
 フランスのサルコジ大統領は17日、ブリュッセルで記者会見し、コートジボワールのバグボ大統領を「民意に反して権力の座にとどまっている。速やかに退陣する以外の可能性はない」と非難した。フランスはコートジボワールの旧宗主国で、同国に平和維持部隊を派遣するなど影響力がある。
 欧州連合(EU)は17日に採択した首脳会議議長総括で、同国治安部隊によるデモ隊への発砲を非難、バグボ大統領陣営に制裁措置を発動する方針を確認した。制裁では陣営幹部への査証(ビザ)発給が停止され、EU域内の資産が凍結される。サルコジ大統領は退陣要求に応じなければバグボ氏自身に制裁が科せられると警告した。
 また、国連の潘基文(バンキムン)事務総長は17日の会見で、権力の座に居座るバグボ大統領の行為を「許されるものではない」と非難し、政権移譲を要求。米国もバグボ大統領が退任しない場合、制裁を科す可能性を示唆した。
 また、アフリカ域内からも非難が強まり、ケニアのオディンガ首相は同日、バグボ大統領を退陣させるべきだとし、アフリカ連合(AU)に積極的対応を求めた。
 一方、バグボ大統領は、国連とフランスに対し、平和維持部隊を国外に退去させるよう命じるなど強硬姿勢を崩していない。(2010年12月18日)

 このような状況で、バグボ大統領を追放すると問題が解決するかと言えば、決してそうはならないと思います。
 選挙に破れてもなお居座るバグボ大統領の対応は、日本の私達には理解しがたいものがありますが、見方を変えると、軍や警察を支配している実権者であることから、容易に大統領の座から退くのは難しいということも言えるのではないかと思います。
 権力者と支配者側の両方に民族、宗教、地域などに対立があり、これらの対立は、力でしか解決できないという現実なのかもしれません。
 先に触れた南スーダンで予定されている選挙にも関心を寄せていますが、これまで避難していた住民らが、選挙のために帰国し始めているようです。

101221

➠約5万5000人が国民投票を控え、南スーダンの故郷へUNHCRハルツーム12月21日)発国連難民高等弁務官事務所

先週、UNHCRは3万5000人の帰還民、そしてこの歴史的な出来事を可能にし、北と南の架け橋ともいえる、受け入れ地アビエイとその周辺地域に対してシェルターなどの緊急援助を始めた。

さらにUNHCRは帰還ルートに一時滞在所を設け、帰還民の支援にあたっていると同時に、南部の主要地区や、周辺国においてUNHCRのプレゼンスとキャパシティーの強化を図っている。

2005年1月にハルツームのスーダン政府とスーダン南部の主要勢力、スーダン人民解放軍の間で南北包括和平合意がなされて以降、約200万人がアビエイ、ブルーナイル、そして南コルドファンに帰還している。これに加え、周辺国に逃れていた33万人の難民がUNHCRなどの支援を得て帰還している。

今年に入りスーダン南部では、民族対立や反政府勢力の襲撃などによって、1月以降、国内避難民となった21万5000人を受け入れている。

治安の悪化、公共サービス、生活必需品へのアクセスの欠如、及びインフラの未整備という環境の中で、帰還民に対し、恒久的解決の手段を見出すことは、厳しさを増す。このような状況の中で
UNHCRは引き続きスーダン南部への帰還民の援助と、地域への統合を後押しする。

 かつてジェノサイドが起きたスーダンでの選挙が民主的に行われることを願うのは勿論ですが、南北を隔てる境界線画定も解消されない問題も抱えているため、難しい状況が続いているようです。帰還している人の数から、この土地に住むことがどれ程命の危険にさらされていたかを物語っていると思います。それだけに、民主的な選挙を願う以前に、安全に事が運ぶことを願います。

|

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: アフリカの大統領選挙と国際社会との関係の変化: