変わったロシアとポーランド-日本とロシアも変わるのではないか
丁度一週間前、今後のロシアと日本の外交課題の展開が気になっている点についてエントリーを起こしましたが、その後の目立った動きもなく、政府は、政権の内部問題でてんやわんやのようです。このような状況でもきちんと注視してみようと思った矢先、Twitterのラインをチェックしていて見に止まったNHK解説委員室のブログが興味深かったです。扱われた「時論公論 「自己主張するロシアとどう向き合うべきか」」(参照)が正に、日本のロシア外交問題なのです。一昨日取り上げたドイツとフランスのに近づくべく、日韓も何とかならないだろうか(参照)、という問題と平行して、日本は、ロシアとの外交も大きな課題に直面しているのでクリップしておくことにします。
ロシアの哨戒機が日本とアメリカの合同演習の真ん中を二度も横切るというハプニングがあり、一時演習を中断したという事態が起こったのは先週のことです。何かの偵察か、牽制(けんせい)かという懸念を持ったのですが、ロシアのこのような動きを政府はどう見ているのか、今後のロシア外交をどう進めるのかが気になるところでした(参照)。ましてや、民主党が社民党と復縁したのは6日のことでしたから、これが何を意味するかという点で一番気がかりは、社民党は、武器輸出三原則の見直しに反対であることです。懸念される問題は、これによって官首相は見直しを取りやめ、政権内部の意見分裂と、三原則保持のままでは諸外国の流れに乗り遅れ、孤立するのではないかということです。
幸いと言えばよいのか、社民党と合意した件で党内部で意見が割れることはないようです。それというのも、社民党と連立を組まなければ通常国会で三分の二の議席数が確保できないという事情の方が重たいからでしょうか。10日の琉球新報社説「武器輸出三原則 輸出禁止の「国是」堅持を」(参照)の意見は保守的で、視点としては、官と企業の癒着の点でこの三原則を変えることに批判的です。日本の政府のすることに一々癒着体質的な問題が浮上するのは仕方のないことですが、あえてその論調を外して武器輸出三原則の見直しをしなかったら、本当に安全なのだろうか?記事では次の点でも触れています。
国際的に武器を共同開発・生産した場合、相手国を通じて武器が紛争当事国に流出する可能性がある。このケースは憲法に抵触するのではないか。米国の外圧も働く。日米が共同開発しているミサイル防衛(MD)の迎撃ミサイルについて、欧州へ売却できるようにするため、米政府が日本政府に武器輸出三原則の見直しを求めていた。
アメリカとの協力体制を強固なものにするというのを前提にするのは、日本にとっては当たり前とは思いますが、この部分で見落としていたのは外交チャンスの拡大化という点でした。
NHKの「時事公論」に戻ると、ここでは日本外交のチャンスとして、ロシアとポーランドの例を挙げています。
ポーランドは帝政ロシアによる支配、そして第2次世界大戦初期のソビエトによる侵攻、さらにポーランド捕虜が虐殺されたカチンの森事件、そして第2次世界大戦後自らの意志に反してソビエトの支配する社会主義圏に置かれたことなど、歴史的にロシアに対して深い警戒感を抱いています。
ポーランドはヨーロッパの中ではもっとも反ロシア的な政策を続け、一年前は日ロ関係よりもロシアとの関係はさらに冷却化していました。何故ポーランドとロシアが劇的に関係を改善できたのでしょうか。
これに対しポーランドは地対空ミサイル・パトリオットを配備するなどアメリカとの同盟関係をまず強固にしました。その上で米ロの関係再構築リセットの流れを上手く利用しました。
日本が対米関係が揺らぐ中で日ロ関係も後退してしまったのとは対照的です。
ヨーロッパ全体としてはドイツを中心に長期的なロシア関与政策を続けていますが、その一方NATOの同盟関係を強固にして安全保障面での隙は見せていません。
ポーランドがアメリカと協力して国防をロシアと共にする関係構築までになったのは、外交戦略がよかったことと、利害関係の一致点として、アメリカとの軍地同盟の流れに乗ったということだと思います。国を守るという点で軍備する時代ということにかなり抵抗のある私でしたが、先日行われたCOP16での日本の孤立が丁度浮かび上がり、あの図式から、これからの日本と諸外国との軍事同盟を映し出しているかに見えてきて、孤立では守れないひ弱な日本を思い知りました。他の意見に寄り添うような姿勢が日本の外交にないのは、頑固としか言いようがありません。諸外国からはどのように見えているのか?と、気になりました。最近騒がれているWikileaksにも漏れ零れる話もなく、それだけ相手にされていないのか、国際的に「ハブ」なってしまったのかとさえ思います。
先のエントリーでも書いていることですが、安全保障としての同盟であり、そのために必要な協力を日本は何でできるのか?この点が必ずしも軍備であるとは限りませんし、武器輸出三原則に抵触しない部分でできる事はないのでしょうか。
社民党と手を組んで行く他道がないというのなら、その限られた枠内でできることを模索し、関係諸国の利益となる方策を日本も共有できる事として同盟関係を持って欲しいです。そのためにも、菅さんを引きずり出すしかないように思います。
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コメント
はじめまして。EUの時事ニュースに関するブログを色々読んでいまして、こちらにたどりつきました。
もっとも大きなファクターはNHKが指摘した米ロ関係の変化ではなく、ポーランドのEUにおける態度の変化です。NHKの解説はかなり的外れです。
ポーランドでは2007年の総選挙で、自主管理労組「連帯」(の急進保守グループ)出身の急進保守主義者の政権が敗北し、これまた自主管理労組「連帯」出身(の穏健保守グループ)の穏健保守主義者が政権を握り、彼らの中から出た首相のもと、全政策の一斉見直しが始まりました。
今年4月のカチンスキ大統領の死亡記事はご存知と思いますが、最後に残った急進保守主義者であったのがそのカチンスキ氏でした。
その後6月に穏健保守主義者のコモロフスキ大統領が就任し、ポーランドの政治は内閣も議会も大統領もすべて穏健保守主義者が主導するようになったのです。
穏健保守主義はすなわち穏健自由主義ともいえます。(いっぽう急進保守主義は急進自由主義ではありません。急進自由主義はリバタリアニズムと呼ばれるもののことです)。
彼ら穏健保守主義者はEU協調派かつ、EUを内部から積極的に動かしてやろうという、「良い意味で狡猾」な知恵と野心の持ち主たちで、ポーランドのすべての外交政策で相手国(特に、たとえばロシア、アメリカ、ドイツ、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナなど、これまで多少なりとも緊張関係のあった国々)との二国間(=バイラテラル)交渉を一切やめ、交渉には必ずEUを使い多国間(=マルチラテラル)交渉に持ち込むことにしたのです。つまり現在のポーランドの政権与党は国の主権にかかわる単独での解決という手段を思い切って放棄したのです。
この、国際的な「連帯」を利用するやり方は、まさに大当たりでした。ソブリン金融不安の影響でEU内で孤立を深めつつあるドイツまでが、近年はポーランドのEUでの影響力を事実上唯一の頼りとするようになっているのです。
これによってポーランドは自身の国際的孤立を回避しつつ、かつ自国の利益を確保しつつ、かつ相手国も利益が確保できるようにする、という、まさに「黄金律」ともいえるべき方策を体得したのです。
この「黄金律」によるポーランド政治の歴史的成功例は外交や安全保障だけではなく、経済政策や社会政策でもすべてにおいて見られます。
直近の例としは、年金改革に関して財政赤字の計算方法を変更することを、年金改革に熱心なポーランドが同様の意向をもつスウェーデンを味方につけてEUと交渉し、新しい計算方法についてEU全体で協議することになったことです(ニュースをネット検索すると出てくると思います。昨日のロイター日本語版は協議開始を「2013年初め」と誤報していますが、正しくは「2011年初め」です。英語の記事を検索すると「2011年初め」であることが確認できます)。
もうひとつは、ジェンダー政策でしょうか。国内政党に関して、一政党において男性も女性も国会議員は35%以上を占める規約をもうける協議をしています。ようするに男性代議士ばかりがたくさんいる政党がだめであると同時に、(日本の社民党のような)女性代議士ばかりがたくさんいる政党も、だめということです。
つまり、フェミニズムなど、ジェンダーを売り物にするような政党運営はいけません、ということです。
こういう、非常に巧みな政治運営はひとえにかれらの「穏健主義」「漸進主義」の理念(イデオロギー)と、その理念への確信がなせる業であります。
ポーランドの与党「市民プラットフォーム」の綱領には「我々は一切の過激主義を廃する。」とはっきり書かれております。
それに対して、イデオロギーと名のつくものをハナから一切拒否している日本の政治のお粗末さ。政治がお粗末なのは日本国民の頭がお粗末であることを意味します。
科学や製造業や商売の得意な日本人でも政治は「三流」以下です。
それに対して外交や社会政策やマクロ経済政策などといった真にプロフェッショナルな政治の場においては、ポーランド穏健保守主義者たちの英知はまさに「超」がつく「一流」です。
日本人はイギリスやアメリカのような、せいぜい「二流」の政治をさらに猿真似しているだけにすぎません。
また、日本は日米関係でも日中関係でも日ロ関係でも日韓関係でも日台関係でも日欧関係でも、あとFTAとかの話題でも、とにかく二国間(バイラテラル)交渉の主義ですね。これこそまさに、日本が「ハブ」られる所以です。
ポーランドも急進保守主義者たちが二国間交渉主義を進めていたときは国際社会から完全に「ハブ」られていました。ポーランド国民もわかっていて、急進保守主義者たちに期待したのはそういう外交政策でなく、単に社会政策(とくにカトリックとのかかわりについて)だったのですが、すべてにおいて矛盾が露呈して見事に裏切られたので愛想をつかしました。
それで2007年の政権交代となったのですが、それが結果的にすごくよかったのです。
日本人はポーランドの穏健保守主義者たちのすばらしい叡智から学ぶべきことがたくさんあると思います。
長文失礼しました。
投稿: ぴっちゃん | 2010-12-16 12:04
ぴんちゃんさん、大変興味深い内容です。
ポーランド政権がそこまで友好的に発展していたとは露知らずです。NHKの方もさほど詳しく入り込んではいないので、ポーランド情勢を一度もう少し詳しく調べたいとおもっていたところでした。
実は、30年以上前の友人にポーランド人がいて、国が厳しい時期を迎えていたこともあり、かなりポーランド国民にとってはきつかったようです。外交もオープンと言うほどでもなかった時代です。
大変参考になりました。ありがとございます。
投稿: ゴッドマー | 2010-12-16 12:45
こちらこそありがとうございます。多少なりともご参考にしていただければ幸いです。
30年以上前ですか、戒厳令の直前ですね。あのころさまざまな考えの人々が「連帯」の活動のもとに集まりました。そこで彼らを主導していたのが基本的にはその2つのグループ(急進保守主義者と穏健保守主義者)だったのです。
カチンスキ双子などは前者、トゥスク首相やガゼタ・ヴィボルチャ紙主筆のミフニク氏や欧州議会議長のブゼク氏や欧州委員会の財政担当役員のレヴァンドフスキ氏をはじめとする人々は後者です。(ワレサ元大統領はまとめ役でしたが、どちらかといえば後者に近いのです)。この2つのグループは当時から思想的に対立していました。
後者は当時のイギリスのポーランド系社会の同様のグループとも連携をしましたが、そのイギリス・ポーランド系グループの当時の中心人物の一人がいま財務相をやっている経済学者のヴィンツェント=ロストフスキ氏です。
つまり、穏健保守主義者たちについても最近になってそういうグループができたのではなく、30年前当時にはすでに存在し、それどころか「連帯」の民主化運動の理論的中枢だったのです。シレジアの山の中でハベルなどチェコスロバキアの「憲章77」の運動家たちと密会し、チェコ人やスロバキア人たちに理論的アドバイスをしていました。そして30年前の当時統一労働者党書記長で戒厳令のまさに主役だったヤルゼルスキ氏はいま、彼らと良好な関係を築いてきており、先日メドベージェフ大統領がポーランドを公式訪問した際は、直前からコモロフスキ大統領の臨時顧問として、対ロシア問題の最高級のエキスパートとしてさまざまなアドバイスをしています。穏健主義の本領発揮というところでしょうか。いまこうしてヨーロッパを動かす錚々たるポーランドの超エリートたち、30年前の彼らはTシャツにジーパンで汗水たらして街や森を駆け回っていたのです。(そこが日本のひ弱なエリートたちとは違うところ)。
いっぽう、急進保守主義者たちは当時から大衆動員が得意でした。「連帯」の運動の動員面を支えたのが彼らです。急進保守主義はポピュリズム(大衆主義)のことですから、他国では一歩間違うとファシズムに陥りますが、カトリックの非常に強いポーランドではコスモポリタニズム(世界市民主義)がポピュリズムと結びつくという、じつに特異な現象が見られます。
振り返って日本を見ると、なんだか嫌になっちゃいます。
投稿: ぴっちゃん | 2010-12-16 15:45
ぴんちゃんさん、その「振り返って日本を見ると」の当たりは今まで見苦しいほどここに書いてきていて、書いたからといって何も変わるわけではないので、その辺の気持ちは言わないことにしています。ですからあえて、日本にできることは何か、何が私にできるか、と考えるようにしています。
ポーランドで戒厳令が出る直前、私と彼女はイギリスのロンドンで学生でした。当時の彼らは何かと集会が多く、自国のことを夜な夜な話し合う日が多かったです。当時としても、傍らにいて感じたのは、ポーランドの国の若者は(当時の)大変勤勉家で、真面目。自律心と強い精神力の持ち主が多く、ある意味その感じは日本の学生運動を推進しているような人達とも似ていました。ここで日本の学生との大きな分かれ道だったかな。つまり、当時の日本の学生運動メンバーは、今の団塊世代で「誰の影でおまえ達は生きていると思うんだ!」と、恩着せられて育った反骨の塊のようなものですから、自己アピールには長けていたのでしょうけど、肝心の、物事に向き合うことをしてきませんでした。ポーランドの穏健派の爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいくらいです。
投稿: ゴッドマー | 2010-12-16 16:49
すごい!そのロンドンのポーランド人たちの間には、若き日のヤン・ヴィンツェント=ロストフスキ氏がいたと思いますよ!現ポーランド財務相で、ヨーロッパ最高の財務相との評判がある、経済の分野ではいまや押しも押されぬ世界的なスーパースターです。私、経済学のオタクで、ちょっとミーハーなところがあって、彼の大ファンなんです
彼らのグループの名前は「The Polish Solidarity Campaign」だったはずですが、グループや会合の名称を覚えておられますか?
投稿: ぴっちゃん | 2010-12-17 00:59
ぴんちゃんさん、ご明察です。これほどの有名な経済学者となるとは思いませんでしたが、痩せてスマートな時代の彼はしっています。確かロンドン生まれで二重に国籍を持っていますよね。私達よりもずっと年上ですが、友人は、彼のレクチャーを取っていたと思います。私は直接に関わっていなかったので残念ながら、グループ名も会合の名称や主旨も知りません。
ところで、ここで教えて頂いた情報も含めてネットでいろいろ調べてみたのですが、ここまで詳しく裏が取れるソースは見当たりませんでした。もう少し調べてみますが、一番見つかりにくいのは、ポーランドがEUに加盟した後ロシアと接触した辺りです。利害関係のようなものはどうなのか、気になりました。また、アメリカとポーランドの関係も一理あるかとは思いました。外務省の文献ですが☞ http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/poland/kankei.html
投稿: ゴッドマー | 2010-12-17 06:34