2010-12-25

極東ブログ「finalvent's Christmas Story 5」からもらったクリスマスプレゼント

 23日の夕刻、ぼんやりと老いて行く自分の今を思いながら、昔よく聴いた曲をToutubeで聴いていた時のことでした。
 今となっては、このクリスマスを祝う料理も飾り付けも、クリマスリースを玄関に飾る気さえ起こらなくなった空虚な気持ちをしんみり味わいました。これは、母親であることの虚しさというのかなあ、誰かの役に立てることが生き甲斐であることを強く思いました。心の中は空虚極まりないのに、そこに落ち込む自分ではなく、静かにその時間を味わいながら過ごせたような気がしました。焦りのような強い感情ではなかったのは、そろそろ自分自身の今を受け入れる覚悟ができたのかな、と、そう思いました。
 いとも簡単にこのような穏やかな気持ちになれたのは、何故だろう。
 ひたすら書きまくったからか。人は私の書くことを「激白」と言うけれど、それとは裏腹に、私自身は本当に書きたいことはあまり書いていない気がしていました。とは言え、その中でも本心に触れて書いてきたことは、全て自分に跳ね返ってきたと言えるかな。問題は、その跳ね返ってきたものをぼやけさせることなく、そのままを見ようとするのがキツイ作業だった。これまでやり過ごしてきたツケが、回って来たに過ぎませんが、最近は何かにぶつかっても、胸のざわざわした騒ぎが起こらなくなったことと、何かを思っても客観的にその自分を見ようとするように変化してきたと思うのです。
 今まで、老い先の時間を自分の命の残り時間だと勘定し、焦りがあったのかもしれない。考えてみたら、何かが起こっていつどうなるかしれない命であるし、自分が老いて死ぬとも限らない。だから、残り時間の勘定をやめたのもひとつかな。
 昨夜の「finalvent's Christmas Story 5」に今の私が丁度重なって、安らぐような気持ちになりました。上手く言えないのだけど、テルミンの響きと、一卵性双生児のデュオのザ・ピーナッツの声の響きは似ていて、昔どこかで感じた安らぎを思い出させてくれました。ザ・ピーナッツの歌が、あんなに綺麗だったとは昔は思わなかった私ですが、あの晩、私が聴いていた曲も、実は同じように感じていました。
 私よりもずっと大人の人の曲だったはずが、今では、私よりも若い人の美しい歌として聴けるようになったのは、それが老いるということ。満更悪くはないな、と嬉しかったです。

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