極東ブログ「ゼロから学ぶ経済政策 日本を幸福にする経済政策のつくり方(飯田泰之)」について
ゼロから学ぶ経済政策 日本を幸福にする 経済政策のつくり方 飯田泰之 |
冒頭の三行と文末の本書の引用部分でこの本を読んでみる気になった、と言うのが正直なところです(参照)。
民主党政権で各分野に混迷が深まるなか、ただ批判的に状況を見ているのではなく、一連の騒ぎが終了し、空疎なマニフェストの夢からはっきりと覚めた後、日本をどのように立て直していくか。そのなかで経済政策はどうあるべきか。基本に戻って考えるにはどうしたらよいか。
ここです。
経済に関する本を読んで政治や経済を学びたいなどとはもう思いませんが、この狂ったような民主党政権を批判するのにももうくたびれた観が漂い、これ以上は腐りようがないとさえ感じています。また、政治に触れて書くとき、愚痴を書いて変なものを世間に撒き散らすのも憚れます。だからと言って、見て見ない振りもできないわけで、政治の良くない影響は、生きて行く生活の中でじわりじわり感じ取って行くしかないのです。この脱力感は、政治が良くなることに期待し過ぎるからでしょうか、根底には今は間違っていて過去には納得の行く政治があった、というような価値観や尺度が自分自身にあるからなのだとは思っています。その価値観が、私自身をダメにして行くのだな、という程度に自己分析しては戒める日々の連続です。私が不幸なのは私のせいなのだ、と戒めてもどうにもならない現実に戦い挑む若さもないし、経済学者の正さを知っても世の中が良くなるわけじゃない。そういう事を思うような近頃です。
読んでもいない本を腐すわけではないのですが、この本のタイトルは、確かに私の今の思い方の先に行き着き場所のようなものをきちんと据えて、見定める指針のようなものが見えてきそうなタイトルですが、世の中を変えるのは私じゃないし、という諦め感がかなり強いからか、最初は積極的になれませんでした。ただ、何とかこのような気持ちを払拭したいという思いと、現実的に進む時間の中で客観的に物事を見るためにも、思いに振り回されていてはダメなのだという思いがちょっと救いの部分です。そのほんのちょっとの救いの部分が、冒頭三行、文末の引用に引っかかったのです。
実は先日開催された横浜でのAPECの前後でしたか、菅総理が環太平洋経済協定(TPP)に参加することを前提とする言動が目立ち、私もそれなりに考えていました。この時にネックになったのが「大きな政府」と「小さな政府」の選択肢でした。考ええる先に、この選択を余儀なくされるのです。話は簡単です。
TPPで議論されているのは、国民の収入に不平等が生じるのをどうするかです。誰にとってもお得なことばかりではないので、これが結論を遅らせている元だと思います。顕著なものに、農産物の輸入が自由化になると、農業生産者の所得を脅かすというものでした。確かに死活問題です。もしも、政府が現状でTPPに参加するとなると、所得の不均衡をバランスするために補助金を出さなくてはならなくなります。つまり、これが政府管掌の実態なので、「大きな政府」という位置づけになります。国民が政府に管理される国家です。これはたまらんというわけでTPPを断念し、逆の「小さな政府」を考えるのです。すると、税金は減り、国民は政府に縛られることなく生産生活に活気づくという考え方です。が、問題なのは、税金を減らして成り立つような国家予算がない現状です。ここで思考停止な私なのです。誰もがこの問題に向き合わざるをえないと思うのですが、この究極の選択肢に今の政府は向き合う前に、どんどん政策を変えていってしまうのです。
財源がないので緊縮するというのは納得できますが、反対側でバラマキのようなことを言いながら政権を獲得し、実際の政策は絵に描いた餅です。国民からは詐欺師だペテン師だと罵られています。が、もうこんなことはお終いにしたいと、そう思っています。
さて、本書がどのような考え方を教えてくれるのだろうか、ちょっと楽しみです。難しい部分はさて置き、私はこの向き合わざるを得ない点についてだけでも考えを深めたいと望んでいます。そのための思考の幅が少しでも広がることを期待して、読んでみたいと思っています。
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