2010-11-21

極東ブログ「自衛隊ではなく国家が暴力装置だから国民は安心して暮らせる」について

 仙谷官房長官の参議院予算委員会での「自衛隊は『暴力装置』だ」発言は、世間に波紋をよんでいるようです。騒ぎの元となる部分には二面性があり、「暴力装置」という言葉の解釈と、使われた時代背景を知っているか知らないかという問題があると思います。が、これがなかなか理解されないのだと思うので、再び触れておくことにします。
 仙谷さんは、直ぐに「実力組織」だと言い直し、陳謝したとはいえ、仙谷さんも本来の意味を取り違えて使用していることに気づいてはいないと思うのです。というのは、19日の会見では、「われわれの時代と言葉のイメージ違がう」(11・19記者会見参照))、と言われているからです。ここは微妙なので補足しておきますが、「暴力装置」と国会で発言した直後の18日の会見では、自ら「ちょっと言葉が走った。ウェーバーを読み直し、改めて勉強したい」(11・18産経ニュース)と、誤解または誤読を意味するような発言をされているからです(両方共その理由なのかもしれません)。このころ同時に、既にTwitterでは人を渡って言葉が迷走しているような状態になり、早々に極東ブログで、「暴力装置」の原語から訳を加え、出典を明らかにされた上で解説されました。(参照)。つまり仙谷さんの18日の会見で言われたウェーバーの説を解説されたのです。
 私は、この「暴力装置」という言葉の誤解と、全共闘よろしく学生運動に関わった世代なら普通に「暴力装置」という言葉を使っていたことを含めて、現代ではその語彙は通じないという点で書きました(参照)。これで、言葉の意味と出典や時代背景が整い、仙谷さんの使い方の誤りも理解したつもりだったのですが、読者側ではあまり理解されませんでした。それで再度、噛み砕いた説明のためのエントリーを掲げられたのが昨日の「自衛隊ではなく国家が暴力装置だから国民は安心して暮らせる」です(参照)。
 ところが、それでもまだ文章が読めない、意味を理解出来ない日本人がいるのを知って呆れました(参照)。これというのも仙谷さんの発言のお陰で露呈したことなので、理解できる人とできない人の存在がはっきりしたというものです。無知は恥ではないです。無知で利口な人は人の話に耳を傾け、そこから学ぶチャンスを得て知識を蓄えます。はてはブックマークにコメントをされている人々の多くは、無知な上に気の毒です。きっとまだお若いのでしょうけど、学びの道は随分狭い人達です。自分と違う考えを受け入れない姿勢のどこかに、自分は正しい、というのがあるのでしょう。自分は間違っているかもしれないと疑わない、自信のある人は気の毒だとしか言いようがありません。
 ところで、昨日Twitterで流れた小さな記事で、このようなことが本来は批判されるべきことと思ったので挙げておきます。

➠「暴力装置」発言、官房長官を擁護=前原外相(時事ドットコム

 前原誠司外相は19日の記者会見で、仙谷由人官房長官が自衛隊を「暴力装置」と表現したことについて「昔よく共産党系の本も読まれていたんだろう。その中に暴力装置のような言葉があったやに本人から聞いた。それが間違って出てきたものだと思っている。あくまでも本音ではなく、言葉が誤って出たものだと認識している」と述べ、仙谷長官を擁護した。

 前原さんの発言は確かに仙谷さんを擁護するつもりで言われたのでしょうけど、擁護になっていません。仙谷さんはご自身の解釈が誤っていることに気づいていない上、ご自身の立場としては相応しくない言葉だったと会見で言われています。この擁護の仕方だと、「暴力装置」の意味を誤解させます。また、「言葉が誤って出てきた」のが「共産党系」の本だというのなら、何という書物でどのように出てきたかまでを明らかにしないと、これでは「共産党系」に失礼です(非ぬ誤解のもとです)。
 仙谷さんは言葉のイメージを強調されていますが、意味の取り違えとは思っていないようです。あくまでも本音だと思います。次のように言われています。

 仙谷由人官房長官は19日の記者会見で、自衛隊を「暴力装置」と表現したことを石原慎太郎東京都知事が「軽率でバカだ」と批判したことについて、「批判を甘んじて受け止める。われわれが慣れ親しんできた時代とちょっと言葉のイメージが違う。こういうポジション(官房長官)に就いているので、思いを致すべきだった」と述べた。

 仙谷さんもですが、前原さんも「暴力装置」の意味を知らないと見えます。「暴力装置」は国家のことです。自衛隊は暴力なのです。紛らわしくて何のことか分からないという方は、極東ブロブをよく読んでください☞こちら 
 「暴力装置」は国家なのだと日本で言えば、お前は阿呆か、と罵倒されるのは私も承知しています。繰り返しますが、何故って、「暴力」という言葉には、「乱暴な力を振う良くない行為」と認識されているからです。だったら違う表現を使って分かりやすく言えよ、と批判されるのも分かります。が、言語の出典を尊重して、定義されたとおりに学ぶのが学問です。
 極東ブログで現在進行している内容は、学問的(社会学)な立場から解説されているのです。だから、これは社会学という前提で『暴力装置』、という言葉の解釈を教わったのだと会得できるか否かなのです。
 これが通じない上、意味も解釈できずに人を嘲笑し、礼儀も知らない恥ずかしい人が多いのには驚きです。はてなのブックマーク界隈だけの特別なエリアの話だとは思えなくなりました。

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