極東ブログ「北方領土問題を巡るクローリー米国務次官補発言について」これはこの政権にとって最重要課題だと思う
北方領土の問題が解決しない一番の原因は何かと考えてみると、北方四島は日本の領土だとする日本に対し、二島は返還してもいいとするロシアとの間に、どちらも妥協を許さないのが簡単な理由だと思います。現時点では、四島ともロシアの施政下であるため、日本の北方領土関係者とロシア人居住者にはビザなしで渡航を許可されているというのが現状です。そして、これが「日米安保条約の第五条の適用から外れる理由」につながるので、後で触れたいと思います。
その前に、極東ブログの昨日のエントリー(参照)を何度か読むうちに、北方領土問題を解決せずにはいられない事態に直面していると感じ、重要な課題ではないかと危機感さえ持ちました。さらに考え進めると、日ソ共同宣言(1956年)に遡ってその切り口を見つける必要があることが分りました。そのために、まず、略歴を押さえておくことにします(参照・参照)。
- 1945年(昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定した後、1945年8月28日から9月5日にかけて赤軍(ソ連軍)は北方領土に上陸し占領した。北方領土は現在に至るまでソ連およびそれを継承したロシアが実効支配を継続している。ロシアによる事実上の領有状態のため、日本政府が領有権を主張しているものの、一切の施政権は及んでいない。
- 1956年10月19日に日本とソビエト連邦がモスクワで署名し、国会承認をへて、同年12月12日に発効した外交文書(条約)のこと。
これにより両国の国交が回復、関係も正常化したが、国境確定問題は先送りされた。日ソ国交回復共同宣言ともいわれる- 1960年、岸信介内閣が日米安全保障条約改定を行った事に対してソ連が反発し、歯舞群島と色丹島の返還(ソ連側は「両国間の友好関係に基づいた、本来ソ連領である同地域の引き渡し」と主張)を撤回したため、両国の政治的関係は再び冷却した。
- 1973年に日本の田中角栄首相がモスクワを訪問するまで、両国の首脳会談は17年間も開かれなかった。その後、(平和条約締結後に歯舞群島・色丹島を日本へ引き渡すことを明記した)日ソ共同宣言は、1993年のボリス・エリツィン大統領来日時に「日ソ間の全ての国際約束が日露間でも引き続き適用される」ということが確認され(東京宣言)
- 2000年にはウラジーミル・プーチン大統領が来日時に「56年宣言(日ソ共同宣言)は有効であると考える」と発言した。
- 2001年に両国が発表した「イルクーツク声明」では日ソ共同宣言の法的有効性が文書で確認されている
ポツダム宣言によって日米関係が復活したことに反発したソ連が、わずか9日間で北方領土四島を占領したことに端を発しています。その後の経過を見ても、この1956年の「日ソ共同宣言」がずっと有効だということが理解できます。極東ブログに話を戻すと、
米国としては北方領土にカンする日露問題は太平洋戦争を終結させるという意味でも、また国連における米露の建前からも、日露の平和条約の締結が先行すると見てよく、であれば、やはり1956年の日ソ共同宣言がそのステップになるしかないのだろう。
とあるように、「太平洋戦争を終結させる」ということが大きな鍵になると示唆されていることとつながります。日本の領土問題の解決の道は、国家間で話し合われるべきことで、日本の外相レベルが牽制する程度で収まる話ではないと思います。
日本の領土を占領した旧ソ連に四つ返してくれとい主張したら、二つなら返してもいいと言われ、いや絶対に四つじゃないきゃダメだ。で、話が終わっているのです。そこを麻生さんは、じゃー二つの線で折れるか、と話をまとめようとしていたのです。
ここまできてしまうと、この問題を解決するためには、どういう条件なら二つないしは四つ返してくれるのか?または、無条件ではいくつ?と、相手の条件をのむ用意をするしかないと思うのです。現在ロシアが望むものを交換条件として用意すれば成立するのであれば、逆にチャンスでもあると思います。それが極東ブログの前回のエントリーではこう記されてます(参照)。
現状の困窮したロシア経済を考えれば、サハリン州の日ロ共同開発液化天然ガス工場も順当に稼働させたいし、対中国・対米の関係上、ロシア側としては極東域で日本との関係を友好にしておきたい。おそらくメドベージェフ大統領の脳裏にあるのは、二島返還に加え、「もっとカネを出せ」ということであり、その際、カネにつられて残りの二島民が友好とはいえ日本化するの阻止したいということだろう。
また、この後に追記された部分では、その後のラブロフ外相の会見を受けて次のように分析されています。
歯舞群島・色丹島が明記されたわけではないが、これらの島への訪問が実施されれば、二島返還論プラスアルファによる領土問題の落としどころはかなり難しくなる。それを見越してのブラフをかけている状態ともいえるかもしれないが、日本側から実質的な対応のない現状(駐ロシア大使は報告のためで報復ではない)、事態の推移を見守りたい。
この「難しさ」というのは、相手の言いなりになる以外返還される道はないという解釈にもなります。つまり、北方領土問題は悪化しています。ここで最初の気がかりな点に戻します。
アメリカのクローリー米国務次官補の発言によって、日本はアメリカの助けを借りることもなく、ロシアとの外交は自国だけで何とかするしかないということがはっきりしたのです(参照)。つまり、日米安保条約の五条には当てはまらないということが明確化されたのです。
仮にの話だが、北方領土を自国領土だから防衛にあたるとして日本が武力行使に踏み切った場合、米国は静観するということだ。また同様に仮の話だが、尖閣諸島の実効支配を日本が揺るがし、そのことを自国の施政権への侵害であると見なさない民主党の柳腰外交が続けば、日米安保適用外となる可能性もあるのだろう。
米国としては北方領土に関する日露問題は太平洋戦争を終結させるという意味でも、また国連における米露の建前からも、日露の平和条約の締結が先行すると見てよく、であれば、やはり1956年の日ソ共同宣言がそのステップになるしかないのだろう。
「仮に」とありますが、私はこれを「最悪は」と読み替えます。起こりうる事態として受け止め、日本政府はこの問題をどうするのか?果たして政府の思慮は、ここまで及んでいるのだろうか?と疑問です。
昨日は、現地の状況把握をするために、前原外相がロシアの駐在大使を緊急帰国させ、首相にその話を報告すると言っていましたが、まだそういう段階なのだと知って驚きました。このようなことは、9月29日に大統領が「必ず行く」と言った時点で調査ししないのか?と思ったのです。また、一昨日の関連エントリーでコメントに「具体的にどうすれば防ぐことができたと思いますか? 」と言う質問を頂きました。4時間の滞在を防ぐことになるかどうかよりも、威嚇して「来ないで欲しい」と言っただけでは意向を伝えるに過ぎず、結果はご覧のとおりです。私ならこうするということよりも、ここに今日書いている日ソ共同宣言の決着をつけるべく、政府はそのことに着手するべきです。仮にその過程があれば、前原発言は威嚇では終わらなかったと思います。
前政権までは、特に事を荒げる出来事もそうはなかったわけですが、事もあろうかこの政権になったからこそなのか、日本の対中外交(尖閣諸島沖問題)からロシアはこの政権を学んだのだと思います。日本は無策と思われたのか、試されているのか分りませんが、極東ブログで「仮に」として言われていることは「最悪」起こりうることだと思います。アメリカが言葉を濁さないのは、この問題が双方にとってそれだけ重要だということです。全て、現政権に掛かっていることです。
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