2010-10-27

極東ブログ「欧米は緊縮財政から大きな社会へ。日本は大きな亡霊へ」について

 タイトルの「欧米は緊縮材財政から大きな社会へ」(参照)で、まずコケました。「大きな社会」とか、欧州にはその動きはあったとしても、米国に関してはそのような観点で考えたこともなかったです。私の頭はもっぱら、QE2はどうなるのか、中間選挙の行方はどうなるのか?と、追いかけるのに正直精一杯なのです。このタイトルはどう考えたらよいのか、兎に角文脈を読むのが難しいと感じました。海外視点で政治や経済問題を読むのは難しいものです。私の解釈がどこまで極東ブログの文脈に近づけるのか自信などまったくありませんが、曲解だけは避けたいです。おかしな点があったらご指摘ください。
 まず、欧米諸国の政治が変革期を迎えているという点から語られています。

 欧州が緊縮財政に向かっている。政府が国民に大盤振る舞いをしたツケが払わされる時期になったのだとも言えるが、反面、米国ではさらなる金融緩和が予定されている。もっとマネーを市場に供給しようというのだ。一見、逆の方向にも見える。しかし、もしかすると米国は最後のあがきをしているだけで、いずれ欧州を追うようになるのかもしれない。

 イギリスの緊縮財政問題は、軍事費から削減するという話もあるとおり、かなり深刻です(極東ブログ「財政再建か、安全保障か」)(参照)。日本と違って軍隊を抱え、自国で守らなければならないにもかかわらず、財政再建を優先するという話は既に苦渋の決断とも言うべきことだと了解していました。そのイギリスが、「大きな社会」を目指しているということと、アメリカは、この欧州の後追いをする準備にかかっているのではないかということを、コラムニスト、ロバート・サミュエルソン氏が12日のコラム「The Age of Austerity」で示唆しているそうです。このコラムに驚きを覚えたfinalventさんが、該当エントリーで詳しくその話を分析し、解説されています。
 サミュエルソン氏が示唆する「緊縮財政は避けがたいが早急な対応は危険だ」と話すのは、何が危険なのだろうか?アメリカの不況と雇用問題は深刻化しているため、当然緊縮財政は避けがたいということはわかるのですが、この疑問が、今回の文脈のキーになったのが意外でした。
 結論から言うと、米国連邦準備制度理事会(FRB)の第二回目の金融緩和(QE2)は、金融政策ではあるけれど、同時に「中央銀行の政治性」だったのです。アメリカの量的緩和政策は、世界が注目する政策としてその結果にも関心が集まっていますが、アメリカにとってはこの政策は、国の行方を「大きな社会」へと導こうとしていることなのではないかというのです。finalventさんは、このことを午前中のTwitterで私に教えてくれたのですが、その時点ではちんぷんかんぷんだったのでした(参照)。

@godmother: そうですね。QE2は現実の問題を慎重に改善するためと理解することでした。
@finalvent:正確に言うとそうではないのですよ。中央銀行の政治性が問われるということ。

 この時点では私は、彼の話の文脈を読むよりも、私が何か曲解しているのかという点を疑っていましたから、QE2の解釈が間違っているわけでもないのに、なぜここで「正確」という文脈になるのか不思議でした。しかも、エントリーではこう言っています。

 ここで私はブログの世界にありがちなネタを思いつく。そして、それが案外あり得ないことではないのではないかと自らトラップしてしまった。言おう。米国の金融緩和は実は偽装された緊縮財政なのではないか?

 言っちゃった。Twitter発言は予告でもあったのです。そして、前段の「もしかすると米国は最後のあがきをしているだけで、いずれ欧州を追うようになるのかもしれない。」に繋がるのです。
 さて、その中身とは?
 どうせ始まるのが分っているアメリカの緊縮財政がどのように進められるかは兎も角、それを性急に進めてはならないと言うサミュエルソンの示唆を補う話に、ソロス氏の講演の話が紹介されています。それによると、ドイツや日本のような債権国の赤字削減は例外として、欧米国にとっては、「追加的な財政刺激策を講じることが危機から脱する方法」だと話しています。ここが良く分らない部分で、話が繋がりにくかったのですが、言わんとすることは、緊縮財政のためには量的緩和の効き目をゆっくりやれよ、と読み取れます。正にそれがQE2なのです。だったら、とっくの昔にアメリカは始めてもよさそうなものです。が、極東ブログでは欧州と米国の違いを挙げています。この辺もアメリカという国の理解度にかかるのですが、その読みの深さの違いを大きく感じます。両国は日本とも違うので、興味深く感じました。

 社会民主主義的な素性のある欧州の場合、政府の側が率先して緊縮財政に向かうが、米国の場合は草の根の大衆の側が政府を小さくするための緊縮財政への動向をすでにもって動き出したということではないか。
 であれば、米国では、その動向が極端に振れないように、小出しの、あまり効果がなさそうな金融緩和が目論まれているのではないか。なんというのか、日銀の知恵とでも言うものかもしれないが。いやそこまで言ったら冗談が過ぎるな。

 英国のキャメロン首相の緊縮財政はかなりキツイのだと想像しますが、市民から反発が出ない理由ものべてあり、それを知って国民性の違いも感じますが、政治に民意が反映されている証なのだということです。

 英国の新たな動向である。
 簡単に言えば、福祉を国家が担うのではなく、社会が担うように「大きな社会」を構築しようという合意が取れつつある。

 大きな社会とは社会資本支出の個人負担が大きくなるわけだから、社会への入会金がつり上がるのと同じである。現下の欧州の移民排斥は、従来のような異民族差別というより、大きな社会に向かう同一のプロセスと見た方がよい(入会金を払わないかたお断り、と)。

 国が移民を受け入れ、自国民はそれに概ね賛成しつつも、この政策は上から目線のような意味合いがあったのだと思います。緊縮財政となって国民が窮屈になると、移民の面倒までは見きれないという理屈から政府に反発も起こるということでしょう。ですから、意図されているのは、今後は移民も社会への入会金を払って同格の立場でやりましょうという政治に変革しつつあるのだと言うことだと思います。
 一方、アメリカは移民の国なので、イギリスとは歴史的なスタートも違います。アメリカが緊縮財政を行うには、国民からその要望なりが上がってくるような形にならないと議会も黙っていません。動かすのはアメリカ国民自身なのです。
 では、自分達の国には緊縮財政が必要なのだという動きが出てきているのか?
 劣化してしまったとは言え、ティーパティーがその最初の火付け役でした。このような市民運動が動き出すまで、アメリカ政府は国を支えるためにQE2を導入するという考えなのではないか。
 長くなりましたが、要はQE2は国民が一息つくための応急処置的なもので、この先は、緊縮財政に入って「大きな社会」を築きますよ、と。入会金も増やしますよ、と。こういうことらしい。
 これって私の生まれた国と同じじゃん。ここでハタと気づいたところで、最後の下りに行き着くのです。

 かく、他山の石をまったり鑑賞しつつ日本はどうなるのか。
 私は日本は企業や公務員・公務員的な系列といったものが「大きな社会」のような「大きなメンバーシップ」を形成していたと思う。しかしこれは今後じわじわと解体され、なのに欧州風の大きな社会も築けず、米国風の自立と連帯もなく、人びとは細分化するだろう。
 そして細分化された人びとの正義を吸収する形で、大きな政府が希求されてしまうのではないかと懸念している。ネットで見られる正義によるヒステリックなバッシングはその前兆ではないだろうか。その点において右派左派もまった同構造でもある。

 つまり、日本のこれからは戦後の自民党が築いた政府のようになるのではないか、ということみたいです。これについては何も言いたくないという気持ちです。賛成しがたいというか。昭和の後半で主に育った世代と、団塊世代は政治に希求するという点では共通する部分があるように見えます。
 私は、国の人口の大半を占めるこの世代の人々を横目に見ながら、孤立してしまうような気がします。もう既にその気配を感じています。その理由が、こういうことだったのかと、今知りました。仕方がないとは言え、かなりショックです。

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