2010-10-01

finalventの日記「今日の大手紙社説」で思うこと

 極東ブログが昨日「日本を巻き込む米中貿易戦争の開始」(参照)で取り上げたアメリカ下院の決議がこのまま決まってしまうとどのように日本に影響するかを受けて、私も昨日書きました(参照)。日本は、八方ふさがりな事態になるもようですが、これを日本の新聞はどう取り上げるのかと気になり、夜中に、ネットで各社の社説にざっと目を通しましたが、どこも取り上げていません。なんだかここでため息が出るのですが、下院で決議されたということを報じることはあっても、そこを掘り下げて考察する社説はないというだけなのか。まだ、時期を窺ってるだけなのか。
 私の気持ちの中では、歯がゆさや苛立ちのようなものが湧いてくるのですよね。日本は今までこれで済ませてきたというのはあるのですが、このままではもう済まないということを感じるのです。
 日本らしさといえばそうですが、日本は昔からそうだと思いますが、海外のジャーナリストや新聞記者さんは、日本人のことをどう見ているかというと「group mentality」という言葉を、一人じゃ何もできないという意味を込めて良く使います。みんなと同じが大好きな人種です。一人だけ違う意見を持ちたがらないのです。質問されると直ぐに左右をきょろきょろして、他人の顔色を窺うのが日本人なのです。欧米人が日本人と関わると、必ず感じる事なのだと思います。私にも昔勤めた会社で経験があります。アメリカのバイヤーと直接取引の話をする時、誰もはっきりとした返答をしないので、相手の購買担当責任者が私に「この会社は、誰がこういうことを決めるの?」と、影でこっそり聞いてきたことがあったのを思い出しました。石原新太郎氏が「「NO」と言える日本」を書いた頃の日本だったと思いますが、この本には、センセーショナルなイメージがあります。
 外国人と仕事をすると必ず日本人は経験すると思いますが、自分を問われます。相手は会社の方針を聞いているのではなく、私の意見を聞きたいのだということを思い知らされます。だから、自分に向き合う姿勢に変わります。若かった私は、これが快感でもありました。自己主張は美徳ではなかった当時の日本の窮屈さが、馬鹿馬鹿しく思えて仕方がありませんでした。そして、水を得た魚のような状態で帰国した私が日本社会に馴染みにくかった頃、日本企業で、その経験をしたのです。アメリカ人バイヤーが私を狙って聞いてきた理由そのもので、私なら自分の意見をはっきり言うと見破られたのです。
 何が言いたいか?うーん、日本の大手紙のそれも社説を書くような書き手は、会社の看板を背負うというよりも、もう少し自信を持って堂々と個人のオピニオンを書いたらよいと思うのです。それを仕事にしているからこそ、日本国民に何を発信すべきかは了解しているのではないでしょうか。それを自問自答しない日はないと思います。何を書きたいかを問わずして書けるわけがありませんから。
 例えば昨日の日経社説の「日経新聞社説 景気減速へ確実な備えを : 景気減速へ確実な備えを」(参照)は気になった記事の一つで、finalventの日記でもコメントがあるとおり、流石に日経ですねと思わせる内容です。経済紙にしたら普通に書くレベルの話ですが、いつもにないので「流石」なのですが(参照)。

 追加緩和は当然として、日銀はアリバイづくりのような小出しの策を続けるのでなく、どうしたら円高やデフレ、景況感の悪化を食い止められるかを真剣に議論すべきだ。国債の買い切り増加や購入する資産の範囲の拡大など知恵を絞ってほしい。 

 日経もさすがに堪忍袋の緒が切れる。

「堪忍袋の緒が切れる」のもあると思いますが、いい記事が書けるのは向き合い方だと思います。取り上げようとする時点で、既に向き合っているかどうかだと思うのです。そういう姿勢で書いたものは、このようにきちんと伝わってきます。
 何が言いたいんだか私も散漫になってきましたが、メディアの中途半端には呆れるのです。国民が知ったらよいこと、個々人が考えたらよいのじゃないかということにもっと触れて、本当のところを書いて欲しいものです。

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