極東ブログ「40年ぶりの天文台」の話に触発されて
この休みに所用で実家に帰っていたので、三鷹の天文台に寄り道できたらどんなに良かったかと思いました(参照)。せっかくの機会なので調べてみると、木製の古ぼけたドームにはカール・ツァイス社製の天体望遠鏡が納めてあると知り、さらに興味が湧きました。どこかで話したような気もするのですが、好奇心が強く、もっと知りたいという欲望が旺盛な私は天体観測に夜な夜な出歩いた話があります。このことをまた思い出し、懐かしさと感慨にふけました。
私は科学少女と言えるほでもなかったのですが、自然の不思議を知るのが好きでした。私には顕微鏡、弟は天体望遠鏡を親から与えられて、これがどのような経緯だったかは定かではありませんが、ある日家に届いたのは覚えています。親が始めて買ってくれた高価な買い物だったことだけは確かです。その頃、学校の授業で葉の細胞の不思議に触れて、いろいろな植物を顕微鏡で覗くのがマイブームでした。また、科学少年といったところの物好き男子数名と一緒に、うちの天体望遠鏡を使って夜中に天体観測をしたものです。真夜中の3時に校庭に待ち合わせたのでしたが、あれが何故夜中の3時で、学校の校庭でなければならなかったのか、それが後から不思議でした。
また、傑作なのは、小さな天体望遠鏡だからこそ見つかってもよさそうなものですが、見たい星に焦点を合わせることはむずかしく、また、狙っている星そのものがレンズを通して見えている星かどうかも曖昧なのです。結局、見えるのは小さな点で、単に光っているというだけでした。今思うと、それに対してああだこうだ薀蓄を言うのが楽しかったのです。
実家の倉庫に仕舞ってあるはずだと思って探すと、大きな木箱にそのまま入っていました。レンズにはカビもついていないし、まだ使い物になるとは思ったのですが、倍率が低いので見たいものは見られないという代物です。が、これをかついで夜中に歩き回ったことが懐かしく、同時に、親への思いにも感慨深いものがありました。極東ブログでは、中学二年で三鷹の天文台を訪問したとあるので、私も同じ時期に当たりますが、昔のこの世代というか時代というかは、地球儀から世界一周の夢、宇宙には宇宙人が住む星があるのじゃないかとか、いろいろな想像を膨らましていました。
極東ブログの最初の画像が訪問当日の画像かどうかは分りませんが、大人が天体望遠鏡をセットしている様子をみて、あれがかつての科学少年達ではないかと思うと同時に、当時の私の同級生の顔が浮かびました。一人は学者として北海道の大学で未だに勉強をしているという変わり者で、星の話ともなると夢中になる彼の話し方は、中学時そのものでした。同級会でも当時の話が話題になって、あれは一生に残る笑い話だと盛り上がりました。他のメンバーは、職業的にも技術系の分野や開発にかかわりを持つポジションに就いていて、給料をもらって遊ばしてもらっているようなものだと言っていましたが、そこで何故私は進んだ道が違うのか?とちょっと複雑な思いを持ちました。考えてみると、中学の頃持った興味やそれに向かう姿勢が、そのまま当時抱いた「将来の夢」に繋がっていったのを知って、時代の良さというものを感じました。
その他の展示も、もちろんいろいろと面白かった、熱心に説明してくれる科学おじさんや科学青年のかたとの話からは、科学が本来もつわくわくするような夢と情熱が感じられた。私は思うのだけど、平和教育というのは平和の理念や悲惨な写真を見せつけることより、科学のわくわくする夢を語れる青年を育てることではないだろうか。
この下りを読んで、私のかつての仲間である科学少年達は、その道に進んで多くの学生達に夢を語って育ててきたのではないか、とそういう気がしてきました。30年という月日の経過を忘れさせるほど、彼らは昔と変わらない情熱をもっていました。
長野県高遠町の国立信州高遠青少年自然の家では、ボランティアによる天体観測ができるようになっていて、小さなドームもあり(せせらぎホール)、ここで木星、土星、スバル、などの星を見せてくれます(参照)。昔、子ども達を連れて何度も行きました。また、調べてみると、三鷹の天文台でも観望会が開催されているようです。いつか一度行ってみたいと思います(参照)。
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