2010-10-13

極東ブログ「2010年8月のルワンダ大統領選について」―「正義」との相殺を求めるべきか

 ルワンダの現況について、昨日の極東ブログの補足エントリーでかなり鮮明に見えてきました(参照)。私はというと、前回の極東ブログのエントリー(参照)を受けて、ジェノサイドが問われている背景の状況把握と、模索の中で感じたことを掲げただけに終わってしまいました(参照)。とはいえ、「正義」という言葉に含まれている価値観を問われているのだということが重く心に残っていて、答えのない疑問といつまでも向き合っているのも事実です。
 エントリーにも書きましたが、たとえ問題が16年も前のことであろうと疑惑が浮上した以上は調査し、未来に再び同じ事が起こらぬように現職のカガメ大統領を罪人と認定する事が良いのか、または、現在落ち着いてるルワンダをそのまま見守ることが良いのかという自問自答があります。
 先進国の価値基準による「正義」をもってカガメ大統領をジェノサイドの首謀者として問うことは、「権力」をいたずらに振りかざす横槍に過ぎないような気がしてなりません。補足の極東ブログのエントリーを読んで増々そういう気持ちになったのですが、言及しにくいことでもあります。その理由は、やはり、「正義」に対する固定観念の存在が邪魔しているのだと思います。これは、「正義」は正しいこと、という価値基準の成せる技です。ここで「正義」とはどう定義されているのか、調べてみました。辞書によると、

せい‐ぎ【正義】   

1 人の道にかなっていて正しいこと。「―を貫く」「―の味方」
2 正しい意義。また、正しい解釈。「四書―」
3 人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範。

とあります。私は確かに、「正義」をこのように解釈していると納得しました。
 では、カガメ大統領をこの「正義」によって裁かないとする事はどういうことか?仮説を立てると、逆に「不正」を問われてしまうのです。だから胸に痛みを覚え、正しき行ないを遂行することを「善」だと信じようとするのです。これが私に内在する気持ちの部分です。
 人は、「不正」を正すために法律や裁判を用いて公的に裁く事や、裁かれたことを当然としてきたのですが、これを当てはめない方が良いのではないかとということが、ルワンダについては思ったのです。
 有権者の90%以上が支持する指導者が大統領になっていることに普通は驚きます。極東ブログではこの選挙が「出来レース」であり、これが重要だとしています。

 通常の国ならば、独裁政治による不当な選挙と批判されがちだが、ルワンダおよびカガメ大統領にはあまり風当たりは強くはない。日本でもあまり話題にすらなっていないと言ってもよいだろう。

 つまり、カガメ体制を批判しているのは、知識階級や欧州先進国であって、ルワンダ国民は経済を重視して、「強権的と批判される政治手法」を支持しているという見解である。
 朝日新聞記事にもあったように、強引な選挙とはいえ、約93%の得票はあまりに圧倒的であり、国民の信任があると言えるだろう。

 ルワンダは主権国であり、多くの問題を抱えつつも現状明白な大規模な人権侵害の状況にあるとはいえない。ヒューマン・ライツ・ウォッチが示した懸念もあるが、国際社会も懸念を持って見守る以上のことはできそうにはない。

 有権者の90%以上から支持されている大統領を、国際的に犯罪人と認定してしまうことは、ルワンダを孤立させてしまうことになるか、内乱が起きる事になるのではないかという懸念があります。すると、結論は自ずと見えてきます。私は、善し悪しの判断基準を論じる前に、「人の幸福」とは何か?という点から考えると、ルワンダで人々が戦った挙句、混乱を乗り越えて建国に至った今、その戦い方がどうであったかを問うことに意味がないのではないか?と思うようになったのです。仮に行使したその先にあるのは、カガメ大統領を非難し、自責の強要にしか至らないのではないだろうか。
 かつて、アメリカと戦争をした日本は、世界で唯一の被爆国です。原爆を投じたアメリカにいつまでも「非」を求められるだろうか?日本は、アメリカに「やられた」のだろうか?日本だけが被害者なのだろうか?戦争という痛ましいかつての行いに「正義」をもって裁く事により「罪人」の認定を行い、謝罪を求めるとでも言うのだろうか?それで何が相殺されるのだろうか? このような疑問を持ちながらも、実は、全てに意味のないことだとも思っています。
 ルワンダを先進国固有の価値観ではかるのは、解決に導くどころか、新たな戦争を起こすことに他ならないと思います。
 では何が出来るのか、「許す」ことと「追悼」することではないかと思うのです。

|

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 極東ブログ「2010年8月のルワンダ大統領選について」―「正義」との相殺を求めるべきか: