2010-10-16

極東ブログ「政治的だった2010年ノーベル経済学賞」―曰くつきについて

 うー、こゆの結構好き。政治的に陰謀が絡んだようなストーリー展開に期待。と、読み進めたのです(参照)。え、一回読んだだけじゃ「何が政治的で、どこにそれが潜んでいるのかわかんねぇなー」というわけで、もう一回読んでみた。
 そっか、先を急ぐあまり、一番最初の段落が頭に入っていませんでした。

今年のノーベル経済学賞は、露骨に政治的だったと言えるのでないか。もちろん、ピーター・ダイアモンド(Peter Diamond)教授(70)の受賞が不当だというわけではない。問題は、タイミングだ。

 「政治的」と「タイミング」がキーワードですね。
 二度読んでも、あれ?わかんない。胡散臭さの匂いがしません。今回のエントリーは、よほどヒントを与えたくないらしく、どちらかというと尻切れトンボ的。酷いぢゃないですか、ヒントなさ杉。
 三回目。「タイミング」と言っても、それがどれを指すのか分らない。
 オバマさんが「雇用問題に真摯に取り組んでいない」という批判の口封じのために、ダイヤモンド教授を指名し、米連邦準備制度理事会に据えるという対策をとったそうです。その後、同教授の受賞が決定した、と。ここまではまったく無問題です。よね?
 で、このいちゃもんをつけたとされる野党米共和党が上院の夏季休暇を狙って8月6日のワシントンポストに、教授の専門性が適任でないことと、FRBの行った金融緩和が増税の愚作だとの趣旨で茶々を入れた、と。問題かどうか分りませんが、上院が夏季休暇中を狙うことに時系列上の意味があるのでしょうか?(一応、タイミングがキーワードなので、抑えておきますが)依然、夏休みとの関連がつかない私なのですが先に進みます。
 で、ここでいきなり「いずれにしても、ダイヤモンド教授のFRB理事承認が米国内で政治的に紛糾しているなか」と、中をカットしたみたいに結末に繋がっちゃっているんですよね。私が文脈が読めなくなるのはここなのです。そして、ダイヤモンド教授にここでノーベル経済学賞が決まっちゃうのです。
 これは、オバマさんの人選が成功したと評価される部分で、雇用問題でアップアップしていたオバマさんの株も上がったという話しです。
 ここに何か良くできた話があるのでしょうか?唯一疑うとすれば、昨年ノーベル平和賞を授与したオバマ氏が、アメリカ経済をも立て直して世界を引っ張る牽引力の助けとなるよう経済学賞も与えるか、という力が働いたとでも言うのか?そうかもしれない。それだったらありうる話です。特にわくわくするような陰謀論的な文脈はなしってことで。
 スウェーデン王立科学アカデミーにどのような意図や評価が裏にあろうと、ダイヤモンド氏の研究に授与されことには変わりないのです。ここに、賄賂の話などが持ち上がらない限り、何ら事件性を問う必要もないわけです。

 「ノーベル経済学賞に貴重な見識があるとしても、スウェーデン王立科学アカデミーには米国FRB理事を決める決めることはできない」ともシェルビー議員は述べている。 

 と、最後の一言は、ちょっとヒントでした。言い換えれば、米国FRB理事に指名された人をスウェーデン王立科学アカデミーが受賞者に選んだのは事実です。
 良く分らないのですが、近年のノーベル賞はほとんどそれなりの意図や何らかの配慮なり計らいがあるように思うのです。それが悪いということではないのですが、昔のように単純に喜べないのです。私の感覚も妙にこれに慣れてきていますが、考えてみると、日本人の受賞者の大半はアメリカが研究の本拠地ですし、中国の劉氏も民主化の世論の流れを汲んでいます。なんとなくですが、アメリカの政権交代が今世紀のノーベル賞を総ナメして完結するような、そういうストーリーでも書けそうな筋の上に成り立つのです。だからと言って、受賞されている方の研究に文句を言うものではありません。
 先日、劉氏の受賞のことをここで扱った時に「そんなめんどうなこと考えないで素直に喜べばいい話で、ふつうの国民はそう考えてるだろう」というコメントを通りすがりさんから頂きました。授与する側にどのような意図があってもそれはそれで結構ですが、そこに奇異を感じる人間もいるということです。たとえそれが普通でないと言われても。
 「昔は、もっとすっきりと授与され、心からお祝いしたものでした。」という思いがまずあるので、今のノーベル賞ははっきり言って、曰くつきが多くてしらけるのですよ。

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