極東ブログ「ドイツ連銀ザラツィン氏の失言」から思うこと
「メディア検証の意味もかねて見ていこう。」と始まっている今回のエントリーは、「右派」とも「右翼」とも言われている異論者叩きにも関連する話として興味深いです。実は、メディアの取り上げ方に対する私自身の反応も気になるところがあり、振り返ってみたりしていることでもあります。昨日、未消化に終わった「日本を殺すスキャンダル狂い」(参照)のことも含めて考える中、良し悪しの判定よりも人間社会そのものを私自身がどう捉えるかということが先決問題のように思えてきたのです。この視点で今回は考えてみようかと思います。
昨日のTwitterで、「日本「新右翼」解剖」という中国の人民日報社の新聞タイトルだけが流れてきました。この記事が何の意図だったのかはさておき、私が拾って読んだ時に思ったのは、アメリカで話題になっているコーランの焼却の是非(参照)をメディアがどう捉えるかと似ているのではないかということでした。つまり、ザラツィン氏のような発言を「異論」として、その論者を叩き潰そうとする傾向にある実態をどう報じるかが問題だと思うのです。異論に対して議論をするのであれば民主的だと思うのですが、真っ向から「言わせない」とするのはフェアーではないです。また、それが政府やメディアの姿であるとしたら改めなければそこが正常な人間社会にはなり得ません。とは思うものの、メディアはなかなかそのようなスタンスではないようです。
極東ブログのエントリーに話を戻すと、ドイツのザラツィン氏の発言に関して報じた日経、朝日、毎日が取り上げている内容に曖昧な部分を残している理由は何故?と問うた時、三社とも当てているスポットの違いにも寄るのだとは思いました。このようにまとめています。
三紙以外にも共同や時事の報道があるが、概ね上述のような3つのタイプに分けられる。(1)要人に差別発言があったことのみに着目する、(2)差別から移民問題に焦点をあてる、(3)ユダヤ人の遺伝子への言及に着目する。
ここまで読み進めている私の脳内には、昨日触れた「日本を殺すスキャンダル狂い」(参照)が視点にあって、この三紙にこのことを立証できる隙はないものかと勘ぐっていました。そして、Newsweekのコラムの引用で、
逆鱗に触れたとしてザラツィン氏を葬ることで問題の本質である移民問題を封じ込めたとドイツ人の多くが感受している。このコラムはそのことのほうが問題だとしている。
いずれにせよ、今回の背景にはこうした複雑な構成があり、日本といった外国への報道では受容にズレが出るのはしかたがない。
ちなみに、同コラムはかなり示唆深い提言で締められている。
その提言とは
ドイツの政治文化を脅かすのは、極右よりも、(右派といった)異論の論者を叩き潰そうとする傾向にある。
ここへきて、私が解ききれなかった問題にやっと近づいたと感じたのですが、口を封じ込めることは極めて非民主的な方法であるのに、今の日本ではそれが政治の舞台で堂々と行われている上、メディアはそれを食い物にするかの如く報じています。これに節操の存在もあったものではないと感じていましたが、私もこうして書く以上は言語には充分配慮しなければならないと痛感しました。
さて、報道のあり方や受け止め方に関連したことで、昨日から書いています。その続きのようになるのですが、昨日のTwitterでの鈴木宗男さんの話題が、昨日のエントリーで未解決の、日本のメディアが何故スキャンダル狂なのかを解く大きなヒントになりました。遅ればせながらそこが見えてきたので触れておきます。
まず、ヒントの発端になったTweetから。
➠ムネオが自民党だったら評価は違ってたんじゃないかな。(finalvent)
どっちの評価?(godmother)
擁護論は少なかったんじゃないかな。(finalvent)
擁護論って、多いのかな?(godmother)
どう見ますか?(finalvent)
擁護論が急に多くなって、気持ち悪いなと感じています。(toronei)
なんでも政局論にするため、ダブスタと付け焼刃が大杉。(finalvent)
私自身は、宗男さんを擁護する評価が世間で多くなっているのに気づいていなかったので、当初ボケたことを聞いていました。最後のレスで「なんでも政局論にするため」という部分で、これが、メディアが権力争い(政局論)にもっていきたがる前提だとすると、今回の宗男さんの判決を擁護するのが良いかどうかという狙いが見えてきます。ぶっちゃけた話が、話を面白くしたいのだと思います。また、最初の「ムネオが自民だったら評価は違っていたんじゃないかな。」は、現在は、自民党は野党ですから、野党を擁護することが果たしてメディアの狙いに叶うか?得になるか?と考えると、言わずもがなです。つまり、このようにダブルスタンダードが基本なのだと前提に置いておくと見えやすい文脈です。
最初は、私にはまったく見えませんでしたが、先の極東ブログのエントリーにもあるとおり、メディアの報じ方一つで、一つの事柄なり人物を真実とは違ったものに歪めてしまうものです。職業人として、このことに自覚をもっていただきたいです。政治や経済は動いているという理由もそうですが、これにプラス駆け引きや、その元にある利害を排除して、一度良い記事を書かれてはどうかと思います。
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