2010-09-14

極東ブログ「コーラン焼却騒ぎはなんだったのか」で実感した敵意

 アフガニスタンで起きたテリー・ジョーンズ人形の火炙りを報じる記事にTwitterで遭遇し(参照)、それを拾って読むうちに気分が悪くなり、あのような映像を見なければよかったと後悔していました。日本ではあまり見かけない光景ですが、指導者の肖像画を焼いたり、像を吊るしたり頭を叩き壊したりするのは、反対派の行動にあることです。日本人では、小泉元首相の靖国神社参拝に対する抗議と反対運動が、中国でヒートアップした時がそうでした。あの焼かれるシーンに、酷く気分が悪くなるのです。擬人化された人形とはいえ、それが焼けてゆく様を見るのは、それがたとえ誰であれいい気持ちはしません。
 50名ほどの小さなカルト集団の主導者テリー・ジョーンズのコーラン焼却宣言の話は、クリントン氏やオバマ大統領が直々に批判するなど、世間を騒がしたことは事実です。それに対してアフガニスタンで起きたテリー・ジョーンズ人形焼却集会も、少し過剰な反応ではあると思いました。ただ、あのような挑発的なことにのって、アメリカの何処かで対抗するような騒動が起きなければ良いと思ったのです。
 夕方、その人形を焼く様を目にした後、報道のあり方についてもひとしきり話しました。この話をするうちに気づいたのですが、視覚を通して受けたインパクトは、それに反応した私自身の内在する感情を無意識のうちに引き出すのだということです。
 先日からこのコーラン焼却騒ぎについては、メディアの馬鹿騒ぎ位にしか思っていませんし、くだらないと思って、胸中に何か残るようなこともなかったのです。それは、昨夕も変わりなかったのですが、不覚にも、人形を焼くというのに私は嫌悪感があったのですね、まんまとそこに引っかかったのは事実です。対象によって反応のしかたは違うからでしょう、このコーラン焼却騒ぎの当初の報じ方には私には反応する対象がなかっただけのことだと気づきました。
 この会話の後半で、私は、「アフガニスタンではもろに本気になってしまっているのが怖いですが。」と率直な感想をレスした時、「アフガンを敵視することは益なし。」と言われて、確かに、「怖い」と感受した無意識の感情は、「敵対視」という動的な意識に変化することなのです。このような感情を持つなと言われているわけではなく、このような感情に気づいたら無意識の領域に閉じ込めておくのではなく、意識化しておくことなのだと思いました。このことに気づいた後は、アフガニスタンの今回の行動も冷静に見ることができました。
 私自身のことを言うと、「怖い」という感情は、「敵対視」として対象物を排除するように働きかけ、無意識に自分の中で戦争が始まることことなのだと感じました。それは、心の中で善が悪を打ちのめそうとすることなのです。アフガニスタンという悪に、わたしの善が戦いを挑むのです。これが、戦争を生み出す心のメカニズムのようなものでしょうか。
 極東ブログのこのエントリーの最後のメッセージは、わたしの心にはずっしりと響きました(参照)。

どの社会にも理性的な行動を取れない極端な人びとはいるものだが、彼がその社会の大半の良心を表してるわけではない。偏った報道やそうした偏向報道を元にした糾弾は無意味な敵意しか生まない。

 今回私が反応した画像は、アフガニスタンに敵意を持つ良い材料だったのです。こんなに些細なつまらないことで、私はアフガニスタンを敵に回そうとしたのです。メディアの力を実感した出来事でした。

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コメント

これ、単なる騒動じゃ済まなくなりますね。アフガンとカシミールで死者まで出ました。戦争とはならなくてもテロのきっかけにはなるかと。

投稿: 東京太郎 | 2010-09-14 18:55

東京太郎さん、もう少し様子を見てみましょうね。

投稿: ゴッドマー | 2010-09-14 20:06

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