極東ブログ「多剤耐性アシネトバクターによる院内感染」から思うこと
どう言ったらいいのやら、胸の痛む出来事です。極東ブログではこの問題をどのような視点で触れるのかなと思っていました(参照)。公的機関の病院内での感染である上、感染者数や死者を出している問題としても大きい。それに、これは後で考えが変わったのですが、多剤耐性アシネトバクターという菌にまつわる問題として、ブログでの扱いが難しいのではないかという印象を持っていました。つまり、最初は、この菌が厄介なのだと思っていたのです。ニュースなどの報道で、この菌が何かということは既に知る人は多いと思いますが、エントリーを読み進めるうちに問題意識が変わりました。まず、菌の正体は、以下のとおりです。
多剤耐性アシネトバクター:複数の抗生物質が効かなくなった耐性菌の一種。アシネトバクターは皮膚や自然環境中に存在し、健康な人には無害だが、入院患者など免疫力の落ちた人が感染すると、肺炎や敗血症を引き起こし死亡する恐れもある。(時事ドットコム)
最近の社説を、書いてあるそのまま信じるということはお陰様でしなくなったので私にも耐性がつきましたが、大手新聞社説ではあまりにも当たり前の正論を書き連ねていて、それが問題の本質を逸らしているのではないかという点が指摘されています。
正論ではあるが「病院の管理がしっかりしていれば、ここまで広がることはなかったはずだ。死亡者も減らせただろう」との指摘は多剤耐性アシネトバクターに限らない。この細菌の日本での登場や背景なども理解する必要はあるだろう。同社説は簡素にこう触れている。
極東ブログのこのエントリーで初めて知ったのですが、この耐性菌の存在を確認できてもその報告義務のないことや、それがやっと今後の課題になりつつある段階であるということです。また、その検出は昨年まではそう簡単なものではなかったということです。毎日新聞社説を例に上げて言われているように、「病院の管理がしっかりしていれば、ここまで広がることはなかったはずだ。死亡者も減らせただろう」という指摘についても、これが、言うほど簡単ではないという意味と、その当たり前が実はできていないという現実をきちんと説明されています。この部分については、ジャーナリズムにその生命線を問うような投げかけとも思えました。私自身はこの問題は、たやすく書けることだとは思えなかったので様子を見ていましたが、この菌が多剤耐性菌であることが大問題だと言いたいだけではないようです。例えば麻疹の例を引用されている通り、空気中にいつでも存在するような菌の悪戯を発見する努力や、それを調べようとするかしないかの医療機関に対する問いかけが重要だとしています。これは、非常に鋭い視点であると思いました。
広義に感染症がどうであるべきかまで踏み込んだ議論となると、先の「麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか」で指摘されているのような根深い問題がいろいろとあり、簡素な正論ですませる大手紙社説のようにはいかない。
一方、ここに込められた思いは、書く者として問われているのだということを強く感じた部分です。正論だけなら誰でも書けることで、むしろ正しく行うことの難しさを知らせることで市民個々の心に届くものがあると思います。書き方を誤ると、掘り下げて考察すべき点が見失われていることに気づきました。これは、宮崎県で発生した口蹄疫の時もそうでしたが、初期段階での現場の人間とそれを報じる側の役目がそれなりにあるということを思い知った事件でした。
多剤耐性アシネトバクターに限らず、何を取り上げ、それを誰にどのように報じるかなのですが、こうして私も書く立場なので問われていることは同じなのだと気づき、感慨深いものがあります。
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コメント
GMさんのご意見に概ね理解という前置きをして。。。
事実に浅はかな知恵による感想文を付け加え、安易に報道してしまうマスコミは困りますね。
発信源としては重要な役割を果たしてますがw
まずは、その事実についてある程度の正しい知識を持つことが大事だと思います。
http://www.city.yokohama.jp/me/kenkou/eiken/idsc/disease/acinetobacter1.html
なぜ多くの病院は調べていないのでしょうか?
決してステレオタイプにならず、異なる視点を持つことも必要じゃないか?と思ったりもします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97
極東ブログさんは自分も巡回しており、深い知見のブロガーさんと尊敬はしておりますが、、、
「おそらく調べれば、「超高齢者」のように多剤耐性アシネトバクターの院内感染は見つかるだろうし、今後も事例は増えるだろう。その対応としてまず重要なことは、残念ながら現状ではごく基本的な院内感染削減の知見でしかないように思える。」(引用)
「おそらく」「だろうし」「思える」
決して専門家でも現場の人間でもないことが伺えます。
このエントリーは「多剤耐性アシネトバクターによる院内感染」についてと言うよりは、安易な報道姿勢に対する警鐘ではないのかな?(本人のみぞ知るところですが)
ネットの性質を考えれば、当然拡散するブロガー(孫ブロガー)も同様であると考えるのが、正論?w
正論なんて如何にもな言葉に惑わされてはいけませんね(; ̄ー ̄A
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E8%AB%96
板汚し、失礼しました
投稿: 774 | 2010-09-07 22:01
774さん、「正論」という存在は物事の真理から生まれ、概ね正しいとする程度の理解しかなくて、それを固定させるのではなく、多角から本当の事は何か?と、探求し続ける姿勢を持っていたら、報じ方や受け止め方をあえて論する必要はなくなると思います。報道があまりに偏っていたり、その本質部分を逸脱する恐れのあるような時、しかも、問題が多くの人に影響すると考えられる時は、啓発的な意見はバランスを良くすると思います。
極東ブログは世の中のそういったことにバランスを持たせるような役割だと感じています。
極東ブログを誤解している読者も多く拝見しますが、774さんは理解のある方ですね。年齢的に伝わりにくい事柄も多くあると思いますが、わたしが彼のブログについて書くことを「極東ブログの解説ブログ」だとお茶らけて言う人もいるくらいです。それでも良いのですが、私は私の解釈をここに書いて、私の意見を述べるだけです。
リンク先のWiki「1990年代以降、産経新聞の「正論」という名の雑誌・新聞の意見欄が注目されることが多く、それをかけた二重のニュアンスで使われることも多くなっている」の「産経」に噴きました。昔は、産経というと三流以下という認識で、そこで「正論」という雑誌を出してたとはね。初めて知りました。
投稿: ゴッドマー | 2010-09-08 04:44