2010-09-02

極東ブログ「父と子の対話ということ」にふれて、考えてしまったな

 昼間の日照りで熱がこもった家が夜中に冷やされてきたのか、やっと涼しく感じる深夜の三時。重なって聞こえる、遠くや近くの虫の鳴き声が心地よい。そして、極東ブログの「父と子の対話ということ」(参照)を読んで、私の記憶の出来事も、確かこんな風に虫の泣き声の聞こえるような夜だった気がする。
 女子はおませだからか、母親に、父親と結婚した時の話を必ず聞く時が訪れるものだ。私が母親に聞いたときは父親のことが大好きで、結婚するならお父さんのような人と結婚したいと思っていた時だったと思う。そして、ある種の不安から、自分の夫として選ぶ時のサンプルのように父親を置き換えて見ていた気がする。父親の母に対する態度や、両親のやり取りを客観的に割りと冷ややかに観察していたと思う。それがいつしか自分の尺度となり、夫を選ぶ時になんらかの形で役立ったのかもしれない。また、親の姿が自分の家庭を築く尺度にもなった気がする。
 そういば、娘も私に同じ時期に夫との馴れ初めを聞いてきたことがあった。また、自分が付き合っている人物は、父親と似た性格の人だとか聞いたこともある。その時、ああ、女は皆そういうものかなと、自分の娘時代と重なった。
 極東ブログで紹介のあった「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!(加納明弘、加納建太)」(参照)について、父親の青春を息子に語るなら、「息子に向かって「君のお母さんに私はこう恋をした」ということを語るべきではなかったか。子はそうした関係から生まれてきたものでもあるし。」という率直な意見を述べられているのが新鮮だ。先にも話した通り、私と娘は同じように、自分が聞きたい一心で自分から親に聞いているが、男子は自分から父親には聞かないということなのか?そういう対話が難しいと言っているようだが、今までこのことを疑問視したこともなかった。いや、改めて考えたことがなかった。考えてみれば、母親と娘の関係での対話は難しくないが、男親と息子の関係が同じであってもよいはずだ。私には息子もいるが、彼らがそういう質問をしてきたことはない。そういえば、と、思い出した。父親は、照れくさいから話さないのだろうか?父親からと言わず、親子で恋愛について話すような機会があれば、おそらく息子達は興味津々の思いで聞き入るのではないかと思う。
 去年だったか、息子から聞いた彼らの好きなタイプの女の子は、明るくて元気があって可愛い、だったかな。高校生の頃長男は、「可愛い子」と言っていた。男子が女の子に「可愛さ」を求める傾向があるのは、それはまだ成熟していないからだろうか。そう思う理由に、結婚相手にそれを求めてもいつまでも「可愛い」ままではないし、それを言うなら互いが変わって行くのである。現実は、特別に美しくはない。そもそも、彼らが目の前に見ている中年のおばさんが、母である。その母に父がかつてどう恋したか、これを話してやるには、プロポーズをし直すくらいの度胸がいるのではないだろうか。
 私は、辛うじて、結婚という関係で今こうしているが、これがたとえば離婚した場合、子どもにとっては父と母であることには変わりない。だから、どのような馴れ初めでその子が存在したかという、その時点での自分の親の話は、子どもは否定的には聞かないと思うし、また、話してやるのは親の愛情ではないかと思う。何故これを思うかと言うと、離婚家庭の多かった息子の同級生が、私の目からは非常に愛情に飢えているように見えたからだ。親のどちらと住んでいるにせよ、例えば両親がどれほ憎しみあっていても、子どもからしたら自分を生んだ両親であるがゆえ、どちらも否定できないというのが子どもの親を思う正常な気持ちだと思う。が、両親の離縁によってどちらかを憎むことで自分の心の場所を確保しなければならない、という状況を大人が作ってしまうのは心が病んでしまう。その姿を見てきたので少し触れたが、他意はない。
 どうも話が現実味を帯びてしまっていけないな。
 いや、現実なのだけど。親が子に話してやるという時、男親と息子の関係は、母親と娘の関係とは違うし、母親と息子の関係とも違う。父と子の対話で、父親が母親にどう恋したかを話すということは、母親を子に入れるということと同時に、子は、父を人として知るということではないだろうか。母親には両方の役割ができるものだが、父親は母親代わりはできないだろう。その父親が母親を子に入れるというのは、父親が母親をどう愛したかを語ること?そう思えてならない。現実には希少な話のように思えるが。

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