2010-09-12

小室直樹さんの「日本教」に触れて

 「日本人は、何が一番大事だと思っているか。それは、人間そのものに対する好みが一番大事だと思っている。つまり、人間の都合が神様よりも大切だと考えているのが日本人。これは日本だけ。だから日本教という。」

 これは、小室直樹氏の「日本教」の説明の一部でした。また、

「イスラム教などは一切日本に入ってこなかったのに、キリスト教だけは鎖国をしても入ってきた。これは、キリスト教には危機感を感じたから日本教は必死で防ごうとした。但し、そのキリスト教は本物だったかというと違う。踏み絵をして実際隠れキリシタンを見つけ出そうとしたけど、ああして見つかった信者は偽者。信じているのは本当のキリスト教ではないと、僕は思っています。信じているものが本物であるなら、踏み絵如きは蹴飛ばせるものだ。だから、日本のキリスト教は本物じゃない。」

 こんな話をサラッとしていて、時折、山本七平さんの話が飛び込んだりしていました(参照)。お二人の対談を聞いてみたかった、と、何とも惜しい気がしました。
 「日本教」が日本人の精神そのものだということは、私にどのように当てはまるのだろうかと考えてみました。過去に解決できていないいろいろな引っかかりは、もしかしたらこの「日本教」で全てが解決できるのかもしれないなどと思っていました。自分自身のことが良く分らないという状態は、非常に不安定だということは前にも話したことですが、合点の行くときというのは楽な状態です。そう考えると、私はいつも悩みを抱えているのかもしれない。何処かでいつも答えを出したがって焦っているような状態かもしれない。そう思った時、自分に都合よく解釈して解決する道もあったのかもしれないと思いました。また、キリスト教には、人はあらかじめ救われるか救われないか決まっているという「予定説」が根底にあるます。だから、選択肢を前に悩む必要はもはやないとする生き方は、楽観的でもあるようです。
 昨日突然、ある青年が私に身の上話しをしてきました。じっくりそれを受け止めているうちに、「貴方はこうした方がよい」と、言いたくなる自分が見えて、ぐっと抑えたのです。彼の話しを聞けば聞くほど、何を求めているのか、何が彼には足りないのかが見えてくるのです。それは私が彼の母親であってもおかしくない年の差で、彼の母親のことも、彼自身の息子としての悩みも、その確執が透けて見えるのです。だから、言ってあげたいという衝動が湧いたのだと思いますが、せっかく彼が自分で解決しようとしているのですから、彼の出す答えが彼が決めた道へと繋がるのだと心を鬼にして黙っていました。が、この判断が、実は怪しげに思えてきたのです。人は何でも自分が決めるのが一番良いといいながら、実はそれは個人主義へ向かう道ではないだろうか?まるで「日本教」のような。だったらそれは、まるで私が歩んできた道じゃないのか、と疑心暗鬼が生じてきたのです。嫌なものだと思い始めると、気分がわるくなるようでした。このように自分自身が分らなくなるのは、自信のない状態で、人の話の相談になんかのれる器でもないと、そう思いました。
 彼に「どうしたいの?」と聞くと、良く分らないと言いながらも、「無条件の愛情とか、そういうものをひたすら他人に求めている」とだけ話してくれました。彼の年齢から、その「無条件の愛情を母親に求めている」とは真っ直ぐに思いえずに屈折してしまっているか、見えないでいるのか。よくぞそこまで自分を見てきたね、頑張ったね。と励ましてあげたいとすら思ったのですが、黙っていました。これでよかったとは思えず、また、考え込んでしまうのですが。
 小室さんは、宗教や政治、歴史に関して「原理」と語尾につく本を沢山書かれています。少し読んでみようかと思います。

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