「遺伝子組み換えサケめぐり論議―米FDA諮問委」に何故か違和感を感じる
昨日、「遺伝子組み換えサケめぐり討議‐米FDA諮問委」(ウォールストリートジャーナル)のニュースに関してTwitterで少し話題になったのですが、こういう問題の何が問題で、どう捉えていったらよいのか良く分りませんでした。話は、通常の鮭の2倍の速さで成長するように遺伝子を組み換え(GM)、食用として安全だとする鮭がアメリカで誕生したというのです。この鮭の販売が認められれば、GM動物としては最初の販売になるということがまず注目点であること。もう一点は、製品ラベルの非表示問題です。
GMサケ販売が認められた場合、それを食べているかどうか消費者自身には分からないということも起こり得る。現在のFDA規則では、GM食品が伝統的食品と大きく異なる場合にのみラベルに明記しなければならないということになっており、米食品医薬品局(FDA)はGMサケは従来型の大西洋サケと基本的に同じだとの見解だ。
この問題に関連して直ぐに脳裏を過ぎったのは「遺伝子組み換え大豆」です。除草剤に耐性のある品種を生み出したと知った時は衝撃でしたが、生物の遺伝子を操作することに違和感があったのと、除草剤を口にすることになるのが嫌だと思ったのです。日本では、これに表示義務があるので納豆などを買う時は必ずチェックしますが、ほとんどの製品に「遺伝子組み換え大豆不使用」と表示されています。これを思うと、誰もが除草剤を好まないわけですから、GM大豆を生産する意味がないと素人の私は思うのです。
さて、事は鮭に話が及んでいるのです。開発側の鮭に関する安全性をこのように話しています。
販売許可を申請したのはマサチューセッツ州に本社を持つアクアバウンティー社で、同社のロン・ストティッシュ最高経営責任者(CEO)は公聴会で、このサケは安全であり、環境的にもサステナビリティーがあると強調した。
これに対して
しかし、反対派はこのGMサケを「フランケンフィッシュ」と呼び、人体にアレルギーを起こさせ、最終的には野生のサケを滅ぼしてしまうと主張している。
記事ではこれ以上詳しい部分まで言及されていませんが、ここで何が問題なのか?私達はこの問題をどう捉えたらよいのか?が良く分らないままで終わりたいくないので、意見を聞いたところによると、
とりあえずそうなったが、「科学的なら」無表示でもよいのではないかという議論が今後主流になる。つまり、表示意味のない遺伝子組み換え表示を求めるのはホメオパシーの砂糖玉と同じだみたいな偽科学批判の構図になる。(finalvent )
どんなに非科学的でも遺伝子組み換え動物はいやだなという市民の権利はありえるか? これはコストに反映し、社会コストに反映する。遺伝子組み換えなし国産大豆とかだと話はそれほど違和感ないけど。(finalvent )
ちょっと難しい話になるのですが、科学的根拠に基づいて安全であれば、「遺伝仕組み換え鮭」の表示の必要はなくなります。そこで、食べている鮭の誕生をわざわざ知る必要がどこにあるのだ?となり、あえて問うのは馬鹿げていることになります。ここで、感情論が出てきて「でも・・・。」と気が進まなくなるのは何故?となるのです。
倫理学というのはそれなりにごりごりとした議論をするのだが、そのせいか、おそらく自然と人間の関係の一線を越えてはならぬという禁忌の設定はできないだろう。しかし、人の心というのは自然の宗教性からそう自立するものだろうか?(finalvent )
宗教性は私自身にはないと思っていたのですが、生き物を作り変えるということに違和感は確かにあります。気持ちのどこかに「生命の神秘に科学の手を入れてはいけない」と思っているのは確かなのです。かと言って、妊娠できない人が体外受精で子どもができてよかったね、みたいに思うところをみると、これには反対はしていません。考え出すといろいろな部分に矛盾点が出てきます。非常に難しい問題だと感じるのですが、「科学的」に整理されて、一般市民に分りやすい解説があるとよいと思います。
鮭といえば、日本にはカナダ産の鮭が多く出回っています。カナダでGM鮭が売られるようになれば、当然日本にも輸入規制の問題が発生します。製造コストの低いGM鮭の日本向け輸出は、円高で苦しむ外国の生産者にとっては嬉しいニュースであると思います。
それにしても、世の中はどんどん変わって行くものです。少し寂しい気がします。
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