2010-09-26

極東ブログ「尖閣沖衝突事件の背景にポスト胡錦濤時代の権力闘争があるのでは」について

 昨日報じられた、中国の「謝罪と賠償」(参照)の要求には些か呆れました。この執拗さはなんだろう、と、不気味な感触さえ覚えたほどです。また、この中国の態度に対して「受けて立て」くらいの勢いで、民主党の対応に批判が飛び交っているようでした。衝突事故の責任問題を保留にしたまま中国の船長を釈放した民主党政権の判断は、この時点でできる中国に対する最大の譲歩であったということは昨日も書きました。その点について、日本国民が政府に対する批判の声を大きくしているのも確かだと思います。それでも、日本では暴動などは起きない大人しい国であるのは周知のことだと思いますが、現民主党は、支持率が下がるとぐらぐらブレて国民のご機嫌伺いをします。そこをヘタに強がるというか正義然としてしまうと、前原お尻青い君のように「粛々」の連発で何も言えなくなってしまう、というよう状態になるので困ったものです。
 そして、この執拗なまでの中国の日本に対する行動から、一体中国では何が起きているのだろうか?と、中国のことが気になってきました。繰り返しになりますが、中国漁船の衝突問題で、ここまで中国が日本に噛み付いてきたことはなかったようです。
 外交に不慣れな民主党が試されているだけでは済まされない、何か大きな理由が中国にはあるのではないか?そう疑って、中国を調べるような観点で極東ブログのエントリーが挙がっています(参照)。
 理路が端的に挙がっているのも珍しいのですが、非常に分りやすいです。それより何より、疑問点を解決してゆくための普通に辿る理路だということが分ります。

  • 尖閣沖衝突事件が偶発的なものでなければ、なぜこの時期に画策されたのか?
  • この時期の中国内政の最大の懸案は上海万博の成功である。
  • 上海万博を揺るがすことは胡錦濤を揺るがすことになる。そこが狙いか?
  • 中国内政の権力闘争があるなら、中核は習近平氏である。
  • またその権力闘争は今後の中国社会の政治・経済的な不安定要因を背景にしているのではないか?

 この理路に添って、衝突時の不自然さからいくつか挙げた上で説明されています。
 何か問題を起すための衝突事故のようであり、それがいかに意図的だったかと、そう思えてなりません。また、これらが上海万博の成功を妨害するための陰謀だったとすると、その反対勢力を調べるしかないです。つまり胡錦濤主席の対抗勢力を操っているのは誰かです。
 中国の政治には昔から権力争いはつき物ですが、毛沢東の「社会主義」思想によって統一されていたため、つまり国民に選択の自由がなかったこともあって、国民の声が表面化することはなかった国ですが、国交を開き、国がどんどん他国からいろいろなものを取り入れ変化してきています。それに伴い、中国の政治家も民意を受け止めるのに躍起にならざるを得ない部分もあるのではないかと感じます。偶然ですが、日本の小沢一郎氏は1942年5月24日生まれで、胡錦濤氏も1942年12月21日生まれの同い年です。日本では、「小沢氏の政治理念はもう古い、今の時代には通用しない」といわれていますが、中国だって同じです。むしろ、中国の現代は急成長していますから、その温度差は想像以上かもしれません。
 極東ブログの冒頭部分に触れられている

 尖閣沖衝突事件について日本人が日本側から見るのは自然なことだし、この地域の実効支配が日米安保条約つまり実質米軍に支えられているにもかかわらず日本からナショナリズム的に強行論が出てるのも、戦後が遠くなる日本らしいのんきな風景でもある。

は、日本ののんきな政治家達のことを思いますが、中国は違います。核保有国として常に自国を守る緊張感のある国です。中国政府の外交に寄せられる期待は、国民感情もともすると死活問題でもあり、危機感の緊迫から来る切実な思いでもあると思います。感情を逆撫でするようなことが起こると、それは内紛となり、国政に支障を来たすことになります。中国という国が、そのように変化してきたということだと思います。
 極東ブログの中国ウォッチングに期待して、さらなる見解を待ちたと思います。

 

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