極東ブログ「ヒストリエ」岩明均:漫画の世界に触れて
極東ブログで紹介のあった「ヒストリエ」1-6(今明均)(参照)が、存外に面白いという話で早速注文した。これは、歴史ものの漫画です。といっても、まだ私は読んでいません。昨日までに二巻から六巻までが届き、残念なことに一巻が届いていないのです。一巻から読まなくては意味がないし、と半ば諦めて届くのを待つつもりでいたのですが、極東ブログの書評を思い出したのです。一巻の終盤で回想部分のような展開になるという説明を思い出して確認したところ、このようにあったのです。
冒頭いきなりスプラッタなシーンで始まる上、背景となる物語は一巻の終わりで回想シーンに接続するため、スターウォーズエピソード4から1に戻るような印象もあった。
えっと、これスターウォーズじゃないんですけどと言っても始まらない、先に届いている中の任意ということで、五巻をとりあえず開いてみた。目次の左ページには、ギリシャ神話などに出てくるようなシーンが一頁を締めている。城壁の外で兵士達が鎧をまとって槍を持ち、「ザッ ザッ ザッ」と行進している。緻密に線が書き込まれた兵士達の盾の影の部分は、金属質を思わせる。凄いな。これは全部手書きによるもの?という疑問が湧いたと同時に、ゲゲゲの女房に出てくる水木さんちのスタッフ、すがちゃんは、「点」が専門だと言っていたけど、このような点を何年も書き続けているのか、と感心したのです。次のページは、開いたページの両方を使って、まるで航空写真でも撮るような位置から前頁の兵士と城壁の内側のたたずまいの様子を捉えている。すげぇ。漫画の中身に入る前に、漫画の絵をまじまじと見たことがなかったので、その仕事の緻密さに感心したのです。
ここから本文にいよいよだな、とわくわく頁をめくると、殺風景な感じがした。噴出しの言葉の数も少なく、白い部分が結構多い。そして、何よりも驚いたのが、読む順番が書いていない。漫画のコマの大きさも違う上、コマには文章が書いてないのもある。文章が何も書いていないと言うことは、絵を見ろと言うことなのかな。あまりたいした印象のある絵でもないが、そういう「間」に作者の意図はあるのだろうか。また、コマの枠が外れて書かれているシーンが「驚き」などの強調の意味を持っているのだろうか、一際目立つ感じが既に意図された通りなのだろうか。
Twitterで
「ヒストリエ」見てびっくり。漫画の本て、読む順番は書いていないのね。どの漫画もそう?すげっ。読む技術はハンパない。
とTweetしたら、直ぐに反応があって、こんなことを言われた。
“@kokona86: どう読ませるを考えてコマ割りするのが漫画制作の醍醐味 RT @godmother: 「ヒストリエ」見てびっくり。漫画の本て、読む順番は書いていないのね。どの漫画もそう?すげっ。読む技術はハンパない。”
なるほど。確かにどう読んでもいいわけだ。枠が外れた部分に目が行ったらそこをまず見て、後から内容を掴むような読み方も悪くはないはずだ。人によって読み方が違うということか。なるほど、面白い。読み方はこっち任せということか、と納得したのです。が、小学生の頃は何よりもこれが面倒臭さの大元で、すっかり漫画読みに疲れたのでした。この歳にして漫画の醍醐味を味わうことになろうとは思いも寄らなかった。
漫画について先日大告白したように(参照)、私は漫画をまとも読んだことがないのです。ミステリー小説の結文を最初に読まないタイプなので、漫画の読み方も順番に読み進めるのかと思っていたのです。そうか、自由か。だからですね。漫画を読む人の目を見ていると、忙しく動くのはそのせいですね。
なんだか内容に入る前に、漫画の構成についての全体感を掴んだというだけですが、読む意欲が湧いてきました。水木茂さんが力を込めて書いているというシーンが浮かんできて、読むほうも正攻法で読まねば、と、そう感じて、わくわくしてきました。
早く一巻が届かないかと待ち遠しいです。
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