2010-08-20

極東ブログ「一週間はなぜ七日か?」これがわからないことに満足した

 極東ブログの書評から端を発したミトラ教の神々や秘儀に関心が高まり、占星術との関連に関してのエントリーが別立てにあるという予告を受けていた事もあって、私も少し調べてみたところだった(参照)。
 その前に、紹介の「ローマ帝国の神々―光はオリエントより (中公新書:小川 英雄)」が昨夕届いたばかりでまだ読み始めていない。読んでおいた方がよいと思った時点では、ミトラス教が西洋キリスト教の流れの元になっているということは不明だったため、それを紐解くためには必読だと思っていた。「思っていた」という過去形になるのは、ここを読んでいる人なら分ると思うが、ミトラス教の研究者として第一人者である小川氏よりもはるかに確実な事実関係を抑えて、ミトラス教がキリスト教の起源になっているということを知ってしまったため(参照)、読む気が失せてしまった。追々、いつか読もうとは思っている。
 さて、Netで下調べをしたなどと言えるほどのことでもなかったが、ミトラス教のことを調べると小川氏の発している文献が殆どだ。私が前回拾った情報もそうだった。七人の神々に扮した人々が見守る中で行われる聖牛供犠の儀式に、なぜ神が七人なのか?それらの役割と、つけられた名前の由来などが疑問だった。
 「七」という数字と、それが現在使われている英語の曜日になっているという連想はあった。問題は、経緯が知りたいということだった。果たして、その答えにあたることが極東ブログのエントリーに含まれているのかどうなのかは、開けてみてのお楽しみだった。
 いきなり「一週間はなぜ七日か?」(参照)。キターッ!究極の疑問だ。が、これから始まるとは思いもしなかった。この疑問から見ていった経過がものすごいことになっている。ローマ人は八日だったということから始まって、それが七日になった理由が不明だと言うことだ。但し、抜け目のない調べ方だと思ったのが「市(いち)」を中心に人々が集うという習慣を七日ごとにすえたため八日目がその「市」の日だったそうだ。キリスト教を公認したコンスタンティヌス1世によって七日に変えられたと言うのだ。この話が出てきた時点で、既に、「一週間は七日」の答えとも言える。問題は「キリスト教を公認した」という部分に引っかかる。ミトラス教がキリスト教の元にあるので、考え方の支軸をミトラス教にもっていないと混同してしまう。以下の部分が、このエントリーの要になる部分ではないかと思う。

日曜日を起点としたのはミトラ教の影響か
 コンスタンティヌス帝はキリスト教の聖人ともされるため、なんとなくキリスト教的な文脈で理解されがちだが、異教にも敬意を払った皇帝である。興味深いのは、彼が321年、3月7日を日曜日とした宣言である。この背景は、日曜日のシンボルである太陽、つまり、ソル・インウィクトス(Sol Invictus:不滅の太陽神)への彼の敬神があった。この太陽神カルトは、それ以前のアウレリアヌス帝の時代からのものでもあった(参照)。

 

日本でミトラス教研究者の第一人者である小川英雄は、アウレリアヌス帝やコンスタンティヌス帝のソル・インウィクトス信仰についてミトラス教との関連を認めていない。だが、コンスタンティヌス凱旋門設立に至るコンスタンティヌス帝の行為からすれば、ミトラス教が明確に意識されていたとは言えないにせよ、異教の重視は基本にあり、逆にキリスト教的な背景が強いとは言い難い。

 私は単純にソル・インウィクトス信仰はミトラ神の習合の結果だろうと考えている。そして、であれば、実質的に日曜日を基点に曜日を固定した七日の週という制度の確立は、広義にミトラ教の結果であるとしてよいように思う。

 ここで、ミトラ教がキリスト教に影響したことを踏まえた上で、曜日の話が始まっている。タイトルだけここでは挙げてみる。また、曜日に関して考え方が錯綜しないためか、それぞれのことを事細かに説明されている。また、小川氏がミトラス教との関係を認めてないといっても、もはや、認めざるを得ない事実と立証(参照)があるため、この際、彼の論説は無視してもよいと私は思った。

曜日は七日ではなくオクターブとして理解されていた

ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド

月火水木金土日の順序になる理由

ここがちょっと難しかった。

フランス革命とロシア革命は曜日を壊した

こんな事実があったなんて、知らなかった。

曜日の背後にある守護神

ここで、ローマの話に戻るのだか、これが現代の英語の曜日になる元だ。

キリスト教徒が安息日をずらしたのはミトラ教の影響

私の率直な感想を述べれば、これは屁理屈というものだろう。イエス・キリストの復活を祝うとしても、ちゃんと復活祭というものがあるのだから、毎週祝う必要はない。もっと率直に言えば、これがキリスト教なのかというくらいミトラ教や土星の占星術の考えに浸されていると見て取れる。しかも安息日の基となったユダヤ教では、曜日は単に番号で呼ばれるだけで曜日名なるものはない。

ローマの支配域では、このように惑星を神として実体化し、曜日をその守護神の名に当てた。さらにその神の意味づけを通して、他の神話での相当の神名をエーリアス(別名)として割り当てる考え方が採用された。これがゲルマン族の北欧神話にも適用され、その後裔が使う英語の曜日ができた。

占星術とミトラス教との関連はどうなっているのか?

 ここは、私が予習をした部分で、上位1から7までの並び方が現代の曜日と違うので、どういう関係なのかと言うことに興味があった。これまでの説明で、ミトラス教の影響で曜日が割り当てられてきたことはよく分ったが、占星術を神秘性との関係と言い換えられているのは新鮮な入り方になった。

ローマ時代に完成した曜日に潜む神秘性だが、これは単に惑星を使った占星術なのだろうか。つまり、バビロニア由来の占星術なるもがあり、それとは別に、ミトラ教の教えがあるのだろうか。

 このような疑問からこの問題に入るとは思わなかったが、牡牛供犠の儀式で既に触れていることもあり、ミトラス教の見直しから入ってもらって嬉しかった。
 おっと、ここで私も少し混同してしまっていて、一体全体どっちなのか?と疑問になっていたのが「ミトラ教」と「ミトラス教」の違いだ。やっとここで出てきた。それも極、こっそりという感じに。

ミトラ教はローマでは密儀宗教のミトラス教として広まったのだが、その密儀の参加者は7つの位階に分けられていた。

 ここから、小川氏とManfred Clauss氏が説明している位階の守護神が若干違う。というよりも、最後の説明に納得した。

 話が錯綜してきたが、ミトラ教の密儀における位階と惑星の対応は不明だ。位階として現れたものの本質が、その守護神である惑星なのか、惑星は位階シンボルの補助なのかもわからない。

 ミトラ教と惑星の関係は、曜日の決定にはそれほどには影響していないのか、なにか隠された秘密があるのか。もちろん、そこに秘密があるとしても、現代に残る曜日の理由にはほとんど影響はないだろう。

 最後になったが、今回のエントリーについての感想を残しておきたい。このエントリーの冒頭には、このようにある。

 一週間はなぜ七日か? 誰もが一度は疑問に思うらしく、ネットを探すといろいろそれらしい答えがある。どれも的外れとも言い切れないが、「なるほどそれが解答か」と合点のいくものもなさそうだ。残念ながら、このエントリも解答を提示するわけではない。が、このところのミトラ教関連エントリの文脈で言及しておこう。

 そう言われてみればと思い、私も検索をかけてみた。確かに五万と出てくることが分った。どれも中途半端だ。だが、それだけに、人類の永遠の謎になるテーマなのかもしれない。そして、「残念ながら、このエントリも解答を提示するわけではない。」としながらも延々と書かれている内容を読み終わると、その解答がないことに納得できる。「一週間はなぜ七日なのか?」の解答が「提示できない」と言い切ることに納得できるのは、これほどの説明があるからだと思った。答えを求めているにも関わらず、その答えがないことにちっともがっかりしない。それどころか、大満足した。
 もう一つ認識が変わった事に、「疑問」は調べる動機ではあるが、虱潰しに調べた後にもかかわらず、わかったとしないことに恐れる必要はないということだ。せっかちだという性分でもないが、どちらかというと数学的に答えを出したがる私で、それこそ解けるまで丸一日かけても一問を解くタイプ。だから、「疑問」として棚に上げておいてもよいという軽く心地のよい事をここで学ぶ事ができた。
 最後に、「一週間はなぜ七日か?」は、誰もが検索するだろうと思われる単純明瞭なフレーズになっているのがいいと思う。無駄にあっちこっちのサイトに渡り歩くよりも、イの一番に極東ブログのこのエントリーに来てくれたらきっと「答えがない」ことに皆、納得することだろうと思う。このエントリーは、人の一生分くらいの重みでもあると思う。
 本当に、楽しいエントリーだった。

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