2010-08-18

極東ブログ「[書評]ローマ帝国の神々―光はオリエントより (中公新書:小川 英雄)」急に角度が変わった

 物事を調べるにあたり、とりあえずこれかと思う書籍を取り上げて読んでみるという試みが面白いと思った。それに、長く極東ブログを読み込んでくると分ることだが、思考の特徴が掴めてくる。今までは、彼が理解しているところから紐解くように解説されることが多かったのに対し、あの女神像から始まったミトラ教に至るまでの話は、途中で遭遇した謎に向かってその都度紐解くように進んできた。私は、推測を加えながらそれを一緒に味わうことで歴史が面白くなった。ここで、調べ方が少し変わったのをこのように説明している。

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 以前は、堀米庸三の「正統と異端」(参照)ではないが、キリスト教の正統とは何かという観点から私は西洋史を見てきた。その観点でローマの宗教も考えていた。だが次第に異教のほうが面白く思えるようになり、また、率直なところキリスト教の教理における正統は正統としても、実態は異教とされてきた諸宗教とそれほど差違はないどころか、異教が独自の変化をして西洋キリスト教になった側面が大きいのではないかという疑念もあり、少し概論的なものを読み直してみようと思うようになった。

 そこで、とりあえず選んだ「ローマ帝国の神々―光はオリエントより」の話から始まっている。因みに「読みやすい」とあるので、注文した。
 当初はフリジア帽の謎からだったが、私も、あのミトラ教までたどり着いた時、ミトラ教の勢いが消えてカルト教へと移行した話などから、引き継がれることはなかったのか?という疑問が残っていた。また、サンタクロースの被っている帽子がフリジア帽かもしれないと言うあたりは、きっとそうだろうと思っている。また、その関係が本当だとすると、キリスト教とミトラ教のつながりが何らかの形であるのではないかと思っていた。
 そして、ミトラの聖牛供儀を行う時にまとうマントに星が描かれているということから、現代にも伝わる占星術との関係に触れているのが興味深い。これに関しては、別のエントリーで展開するという予告を受けて、少し調べてみた。「聖牛供犠」で検索するだけでミトラ教関連の話がごそっと出てくる。

 これらの名称の起源は不明ですが、これらの位階は、天界やこの世界の七つの区分に与えられた意義に対応しています。通常、この七つの位階は梯子になぞられ、それは霊魂が至高天に至るまでの行程を表していたと思われます。また、儀式の際は、教徒たちは仮面劇を演じ、その位階に従った役割を演じました。その主要テーマは聖なる婚礼と牛屠りであり、具体的には次のようなものでした。(参照

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 興味深いのは、七つの星の意味とその役割のような位置づけや昇天の意味との関係だった。この供犠が「宇宙的救済行為の模倣」だということに些か驚いた。「生贄(いけにえ)」との関係もあるのだろうか。極東ブログでは「磔刑」との関係に触れていることに「本書の思いが隠れているのかもしれない」としている。うーむ。面白そうだ。
 ところで、私はキリスト教を学んだことはない。大昔に聖書を読み物として読んだことはある。その程度の意識しかないので、キリスト教の正統とは何か?という観点で西洋史を見てきたこともない。また、世界史は、壊滅的に不得意分野で苦手な教科でもあった。そのため、比較する背景や予備知識が殆どない。それでも少しずつ調べながら必要な情報を充当しながら進めてきた結果、フリジア帽に的を絞っていたにもかかわらずかなりいろいろなことが分ってきた。角度を変えたり調べる的を絞ったりすることで、今までつながらなかったことがある一瞬の発見で解明のヒントになったりする。
 歴史を知る楽しみとは、こういうことなのかもしれない。

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