私には評点がない
私は、老夫婦の家に来ている。老人でも食べやすいように柔らかいパンを焼いてほしいと頼まれて、焼きあがったパンを届けに来ている。ついでに家の手伝いをしてほしいと言われ、「そんなことは簡単なことだから」と、引き受けるのだが、それが上手くできない。助けを呼ばなくては一人ではできないと思っていたら、丁度窓の外を知り合いが通りかかり、窓を開けて呼ぼうと思ったが、その窓が開かない。自分にできることは何一つないのだとがっかりするが、そのことを老人には言えない。言うと、今後何も頼まれなくなることを心配する。でも、だからと言って、頼まれた簡単なこともできないでのはトリビアルになってしまう。本当のことを言った方がいいか、どうしようか悩んでいる。
この辺で目が覚めた。にもかかわらず、起きてもその悩みを引きずっている現実もあることに気付き、夢だったのかどうなのか半信半疑の状態だった。覚醒していないような状態だった。
そういえばと思い出したのが、昨夜、自分自身の評点がないことをぼんやり思っていて、そのこととつながっているのかもしれない。
社会的には落ちこぼれたんだなと思う私でも、多少「自信」というものがあって、それが少しでもあることで日々もあった。他人からどう言われようとも、自分さえ間違っていないのならくよくよしないで堂々としていればよいというような自信と、自分自身をある程度評価した上での自信があったように思う。思い出したが、朝ドラのゲゲゲの女房で竹下景子扮する村井絹代さんが、孫を励ます時に言っていた「千万人といえども吾行かんと」という孟子の教えは、実は私の母も私にそうよく言っていたものだ。因みに、正確には、
昔者(むかし)曾子、子襄(しじょう)に謂いて曰く、子(し)、勇を好むか。吾嘗て大勇のことを夫子に聞けり。自ら反みて縮からずんば(なおからずんば)、褐寛博と雖も吾惴れ(おそれ)ざらんや。自ら反みて縮ければ(なおければ)、千万人と雖も吾往かんと。孟施舎の気を守るは、また曾子の守り約なるに如かず。
「あなたは勇気を愛するか?私は昔、孔先生(孔子)にお尋ねした。[大勇とはどんなものでしょうか?]と。孔先生をおっしゃった。[自分で反省してみて、自分がまっすぐでないと分かったならば(自分が正しくないと確信できたならば)、相手が毛織のだらしない衣服を着た卑しい人間でも恐れないわけにはいかない。自分で反省してみて、自分がまっすぐだと思ったならば(自分が正しいと確信できたならば)、敵が一千万人であっても私は堂々と相手をするだろう。]」と。こう考えると、孟施舎の気の守り方は、曾子の簡潔で的を射た守り方に及ばないのである。
これは、言うほど簡単ではない。自分以外の全ての人間が敵になっても自分が正しければ堂々としていられるかという場面は、子どもの世界には実際あることだ。勇気を試される言葉でもあり、自分を省みる言葉でもある。が、なぜか、この言葉は私に入っている。だからじゃないか、この古臭い慣習のある田舎でも逃げ出すことなく今があるのは。
そして、評点のこと。これは昔は私にもあった。自分自身の合格点のことだ。どんなに自信がなくても、それでも、これはできる。これはできないけど、こっちならできる。というように可変的な合格ラインでも、それでも合格点をある程度自分に与えられたし、そのお陰で自信をつけられた。些細なことに挫けても立ち直ることができた。
それが、ある時から自分を評価するようなことをしなくなった。いつごろから意識しなくなったのか思い出そうとするのだが、ちっとも記憶が出てこない。他を意識する必要がなくなったと言うことは、もしかすると結婚後で、そのどこかのいつかだろうか。
昨日、このことをふと思い出して、今の自分が他を満たすことはできるだろうか?と思った時、私に評点がないことに痛みを伴った。きつかった。他を満たすに当たって、合格点が出せないという、なんとも情けない現実が見えた時、今までのこの元気は仮想だったのだろうかと疑った。急に心細くなった。
さっき見た夢は可笑しな夢だが、何とか自分に自信をつけたいという願望が滲み出たのだろうか。
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