極東ブログ「[書評]私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった(サラ・ウォリス、スヴェトラーナ・パーマー)」このような本を待っていた
八月十五日は日本の終戦記念日となっている。そう、昨日だった。この日が本当に終戦の日と言えないのではないか?という疑問を投げかけられる年齢層にも亡くなっている人は多くなった日本だと思う。この日から数えて65年の歳月が過ぎたわけだ。
私は、ブログ等で終戦ということに言及して書いたことはない。終戦そのものを知らない私には書けないからだ。昨日の各紙の社説はこの話題で一杯だったが、どれもこれも「戦争」に対する概念を教え込まれるのかと恐ろしくなるほどの美しい文章というか文字でしかないことに、これでは良くないと感じた。少なからず、両親から聞いた引き上げ船に乗る前後のリアルな話などを知る私にとっては、昨日の各紙の社説を読んだからといって鵜呑みにはしない。あれらの文章から、仮にも戦争のことが分ったと言う人がいたとしたら、それは社説を書いている人が捉えた「戦争」が分ったのであるということを心しておく必要があると思う。因みに、終戦記念日について、天皇が玉音放送をしたのが八月十五日であって、ポツダム宣言を受諾した旨を国民に伝えたのがその内容だ。降伏文書に調印したのは九月二日だ。この日が終戦の日とすべきではないかとずっと思っていたが、極東ブログの「終戦記念日という神話」(参照)を読んでからは、九月七日がふさわしいのではないかと考えが変わった。
夕方、少し忙しくしていたこともあって、朝の気分はそのような雑多に紛れて一日が終わるのかという時、書評「私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった(サラ・ウォリス、スヴェトラーナ・パーマー)」(参照)に触れてぞくっとした。手記として戦争の経過と人の動向を書いたものでは、「アンネの日記」が直ぐに思い浮かんだ。書評でもこのことに触れている。戦争に限らず言えることに、体験者の話に直に触れる時、そこで感じることは自分の感じたことであり、同じ話を同時に他の人が聞いてもその感じ方はそれぞれだ。また、単に知識としてそのことを知るというだけではない、本文にも書いてあるが、人が人をいとおしく思う時の幸せな気持ちや、直に感じる人の「愛」に満たされるということが何かを知りたいという欲望につながるのではないかと思う。
本書を読み終えたあと、その一人一人を自分の友だちのように身近に感じるようになる。その生命をたまらなくいとおしく思えるようになる。10代の彼らは第二次世界大戦を体験し、その戦火のなかでかけがえのない体験を記した。戦争とは何か。知識や善悪の教条を超えた答えがその手記の中にある。
冒頭のこの部分だけで、直ぐに注文した。このような本をずっと待っていたのよ、と思わず嬉しさがこぼれた。
これまでにも第二次世界大戦を戦士の立場やその家族の話を元に書かれた書籍などはいろいろ読んできた。極東ブログの紹介で読んだに「中国に夢を紡いだ日々」(参照)や「僕は日本兵だった」(参照)などには感動した。描写に沿って読み進めるうちに、自分がどんどん内容に入り込み、やがて同化してしまうようになると時間を忘れて読みふけてしまう。そういう本だった。
本書は、でもこれまでに出会った本とも違い、また、第二次世界大戦を見つめる角度が一定ではないらしい。読めば分るのだろうが、確かにこの戦争に対する私達の認識は偏っていると思う。それは、他を知らないという理由で充分で、その証明は不要だ。だから、単純に誰が読んでも良い本なのじゃないかと思った。
今年の原爆記念と終戦記念では特に感じたのだが、気になることがあった。それは、ニュースや情報番組などで盛んに「戦争を忘れてはいけない」という印象付けを強いているような言葉や意図がはっきりあると感じたことだ。体験していない世代になりつつあることへの警告的な意味でもあるのか、それにしても誰もが同じようにこのことを言っているのがある種のスローガンのようで嫌だった。「皆さん、戦争を忘れないようにしましょう!」と訴えられるよりも、戦争を知るのが先ではないのかと思った。言葉が頭の上を滑っているようで、心に何も響いてこないという違和感は拭えなかった。そういった意味でも、手記による本書は待たれているのではないかと思う。楽しみだ。
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