2010-08-11

少し悩んでいる

 情感的なものは高校生の頃の私なのかもしれない。人を感じたり、その関係性や自分自身とのかかわりを思うときに、高校生の頃の私がたった今感じ取っているのではないかと気づいた。感じ方に進歩ってあるのだろうか。このことに関しては、ある一定の年齢から変わらないのじゃないかな。それが幼稚といえばそうなのかもしれない。そこがいつまでも大人になれないでいて、歳だけはとっている。自分の中でそれがものすごくアンバランスな部分だという、恥ずかしい思いがある。こんなことは外には出せないと。
 あるブロガーで、感じいていることをそのままメルヘンのような世界として書く男性がいる。それは、妄想の世界のようだが、よく読むと、自分の心の中を描いているのじゃないかと気づいた。私にはよく分らない世界観なのだが、メルヘンな世界とでもいうか、繊細な感覚的な部分に触れているのだということが分る。それは、書くという技法なのだと思う。読み手にはどのように伝わろうと、自身の中で解決できていれば問題のないことだ。書き表し方は如何様でも良い、ということなのかな。
 書きにくさを感じている時、脆い部分なのだということが分ってきた。ある人に、私はここに激白していると言われたが、そうでもない。自分の中から上手に出せていない。書きながら頭のどこかで同時に、書いていることを否定するような思いが過ぎる時があって、立ち止まってそこに向き合おうとすると手が止まる。書けないのは、そこに向き合えないからだと気が付く。向き合おうとすると、見えなくなる。この辺の自分がよく分らない。ちっとも成長していない。
 このプツンととまってしまう部分から先は、私が人の解釈の選択に任せようと求めている部分かもしれない。他の力に依存して、いつまでも私自身が自信のない部分としてそこに置き去りにしているのかもしれない。向き合えないのではなく、向き合おうとしていないのかもしれない。逃げているのかもしれない。少し悩んでいる。
 書く場所を与えられても、書かないのではそれが悩みになる。この思いというのはどうしたものか。
 外出する時は着替える。本当は今着ている洋服の儘がいいと思っている私。でも、外に出るなら、歳も歳だし、人の目があるし、それなりの身支度ってするものなんでしょ。だから着替える。すると、そんな格好はしたくないんだ、と思っている私の思いはどうすればいいの。それが、いつも置き去りになってしまう。

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コメント

>感じ方に進歩ってあるのだろうか。このことに関しては、ある一定の年齢から変わらないのじゃないかな。

これは、ほんとにそう思います。今年75になる母や、72になる父を見、45になった自分を省みても。
心が痛くなるものは変わらなくて、嫌いなものは嫌いだし。

ただ、悲しいもの、哀しいもの、いたましいものを感じる場面は、20歳のときより45の今の方がずっと増えてるような気がします。20歳のときよりも、大切にしたいものが増えたのかな。それとも、悲しみを跳ね返す力が無くなったのかな。わかりません。

投稿: 網 | 2010-08-23 22:43

網さん、そうなんですよね。喜怒哀楽に関して、年齢と共感慨が加わるので回顧的に自分の歴史が重なってくるんですよね。ものすごく厚みを帯びます。

投稿: ゴッドマー | 2010-08-24 02:05

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