2010-08-17

「真夏の果実」恋をするということ

 この夏は、桑田佳祐の曲をよく聴いた夏だった。
 デビューの頃から知っていはいるが、当時から今に至るまでサザンオールスターズの楽曲に全くと言って良いほど関心がなかった。デビュー当時は一世を風靡したというのは知っている。しかも彼とは歳が近い。一緒に成長してきたと言えばそうだが、猫も杓子も「いとしのエリー」や「チャコの海岸物語」を口ずさむ夏の印象が残っている。その当時、私は洋物の音楽が好きで、どちらかと言うと桑田の曲は浪花節的で好きではなかった。良くありがちな湘南の海の若者達の恋をさらに浮かせるような歌詞で、チャンチャラおかしかった。そのような歌に入れないと、歳の割りに冷めていた私だった。それが、この夏の初めに大変革した。
 歳のせいかな。彼の歌詞に込められている願いのようなものが、うっすらと見えるような気がしている。俗世間から浮いて、彷徨うような心の持って行き場所に納得出るのだ。彼、桑田佳祐に対する認識が変わった。
 彼の歌い方に独特のものはあるが、それは、彼が歌に込める思いからなのだと受け入れられるから不思議だ。そういったスタイルが、彼のエクスプレッションなのだと思えるようになった。彼の歌の影響からか、「恋」とか「愛」につして、よく考える。卑近な悩みとしても、若い頃からそれはある。「愛」は、自分を見つめる時にその原点ではないかと思う。桑田の曲の「愛」の線上には、繊細で純粋な男心を感じる。これが見え隠れするのを感じる時、私は女だが、同じように共鳴するものがある。彼はミュージシャンなので、音楽で表現できるということに尽きるが、彼の曲の詩に共鳴できるということは、私の代弁者でもある。それが心地よくてたまらない。
 信州の夏は短い。ニ三日前からやたらと虫の声がする。風もひんやりと涼しくなってきた。
 昨日、二日間ここで過ごした娘や息子、その友達が一斉に帰って行った。彼らには、恋をして欲しいと願ってる。何故自分は生きるのか、と悩む日がきっと訪れると思う。その時に、男なら「男」、女なら「女」としての自分を知っているかどうかということが、無意識の中に潜在していることが大きな救いになると思う。
 私が「女」であることを知っているのは、男の存在があるからだ。女の中での私は女ではない。男でもない。これがはっきりしていると、人としての自分自身も見えてくる。

真夏の果実
作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐

涙があふれる 悲しい季節は
誰かに抱かれた夢を見る
泣きたい気持ちは言葉に出来ない
今夜も冷たい雨が降る
こらえきれなくて ため息ばかり
今もこの胸に 夏は巡る

四六時中も好きと言って
夢の中へ連れて行って
忘れられない Heart & Soul
声にならない
砂に書いた名前消して
波はどこへ帰るのか
通り過ぎ行く Love & Roll
愛をそのままに

マイナス100度の太陽みたいに
身体を湿らす恋をして
めまいがしそうな真夏の果実は
今でも心に咲いている
遠く離れても 黄昏時は
熱い面影が胸に迫る

四六時中も好きと言って
夢の中へ連れて行って
忘れられない Heart & Soul
夜が待てない
砂に書いた名前消して
波はどこへ帰るのか
通り過ぎ行く Love & Roll
愛をそのままに

こんな夜は涙見せずに
また逢えると言って欲しい
忘れられない Heart & Soul
涙の果実よ

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